チャイムの音に水輝はびくりとして振り返った。誰かが訪ねて来る予定はない。
「くはああっ! んんあっ! ああんう!!」
腕に抱いていた女が反り返る。舌打ちをして水輝は女から手を離そうとした。だが脱力しかけた女が飢えた獣のように水輝の首にすがりつく。退けよ、と低い声で告げて、水輝は女を床にうち捨てた。
裸のままで玄関に向かう。部屋の奥からは女の鳴き声が聞こえている。どうやら足りない分を自慰で補おうとしているらしい。やれやれと呟いて水輝はドアに近づいた。
「はい?」
ドアを閉めたまま、水輝はそう答えた。見慣れない気配がドアの向こうに見える。だがすぐに水輝はその気配の正体を理解した。しまった、と唇をかむが既に遅い。ドアの向こうからは愛らしい声が聞こえてきた。
「水輝さん、奈月です。ご依頼のものをお届けにあがりました」
嫌な予感が的中する。水輝は額を押さえて思わず呻いた。どうやら先日に会った時に気配の一部を持っていかれたらしい。蒼、と低く呟いて水輝は顔を上げた。
「あー……悪いけど、そこに置いといてくれないか? ちょっといま」
不意に後ろから何かが首を締める。水輝は辛うじて声を殺して振り返った。さっきまで官能の声を上げていた女が凄まじい形相で水輝の首を締めているのだ。
「わかりました。お待ちしてます……水輝さん!?」
途中まで明るかった奈月の声が裏返る。水輝は舌打ちをして肘を突き出した。狙い違わず、女の胸に肘が命中する。衝撃に女が廊下の向こうへと吹き飛んでいく。水輝は解放された喉を押さえてしばらく咳き込んだ。
「あー……と、ええと……とにかくそこに置いてってくれ」
水輝がそう言い終わる前に空間が軋んだ。目の前に現れた奈月が水輝に抱きついて目を閉じる。こびりついていた女の闇の気配が一気に消える。あー、と力なく呻いて水輝は額を覆った。
「水輝さん、この歪みは? どうして!?」
奈月が悲鳴混じりの声を上げる。水輝は舌打ちをして奈月を片腕に抱いた。胸に抱え込んで右腕を上げる。
「目、閉じて、息を止めろ」
「あ、はい!」
奈月の返事を確認してから水輝は右手に光を生んだ。駆けて来た女に光がぶつかる。一瞬後、女はその場で弾けて散った。瘴気が家の中に満ちていく。水輝は奈月を抱きしめてそれを胸いっぱいに吸い込んだ。赤い女の残骸が砂になって消えていく。
「もういいぞ」
そう告げて水輝は奈月を放した。ふらりと奈月に背を向ける。奈月は両腕に大きなかごを抱えたまま、目を見張って震えていた。
「水輝さん。あの歪みは、いったい?」
小さなか細い声が訊ねる。水輝は肩越しに振り返って苦笑した。床に残っていた砂粒を拾い上げる。力をかけると砂は一滴の血に変化した。指先についたその血を口に入れる。
「せっかく来てくれたのに悪いな」
「いえ、とてもうれしかったです」
奈月が慌てたように首を振る。そんな奈月から目を離して水輝は手を上げた。奈月は目を閉じて何かを探るように息を潜めている。水輝は奈月にちらりと視線を送ってから歩き出した。
「でもごめん。帰ってくれる?」
それだけ言って水輝は部屋に戻った。散らばっていた服を拾い上げる。シャツを羽織って廊下に出ると、そこに奈月の姿はなくなっていた。廊下に置かれたかごを取り上げる。
かごの中身を覆っていたハンカチを取る。中には密封容器が幾つも重ねられていた。その中のひとつを取り上げて蓋を開く。煮込んだ大根を口に放り込み、水輝は息をついた。
「美味いじゃねえか、畜生」
だがその声を聞くものはない。水輝はしばらく廊下に佇んでいた。
多分、書いた時に大根が食べたかった……んだと思います。