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薄く目を開けると眩しい日の光が差し込んでくる。奈月は眩しさを避けるために手を目元にかざした。次第に目が慣れてくる。奈月はしっかりと目を開いてから慌てて身体を起こそうとした。
がくん、と嫌な音がして動きが止まる。奈月は身体に走った痛みに呻きを上げ、再び横になった。
「……まだ起きんほうがええ。嬢ちゃん、あげな力を使こうたばっかりじゃ、ろくに動けんじゃろう」
間近に知らない声が聞こえる。驚いて奈月は声のした方を見た。知らない老人が奈月の傍に座している。はい、と小声で返事して奈月は恐る恐る周囲を見回した。知らない場所だ。狭い部屋の中には細い針金が数本渡されており、そこに洗濯物がひっかけられている。畳は日に焼けている。窓から差し込む光が眩しすぎたのは、カーテンがないからだ。部屋の隅、窓際に敷かれた布団に奈月は寝かされていた。
ここはどこだろう。それよりこの人は。そう思った時、奈月の脳裏に閃くものがあった。闇の中で奈月に爪を振りかざした老人のことを思い出す。もしかして、と呟いた奈月に老人はゆっくりと頷いてみせた。
「そう。わしがあの時、嬢ちゃんに飛び掛ったんじゃ」
「成功したんですね……よかった」
心底安堵して、奈月はほっと息を吐いた。老人が目を細めて笑う。皺が深く刻まれた顔には一筋の傷がついている。それが刀傷であることを奈月は見抜いていた。白髪を指で撫で付けて、老人が頷く。
「あの時、嬢ちゃんが助けてくれなんだら、わしは恐らくもうこの世にはおらんかったじゃろう。この通り、感謝する」
そう言って老人は深々と奈月に頭を下げた。奈月は仰天して慌てて首を振った。
「そんな……わたしはわたしに出来ることをしただけです」
困ったように奈月が告げると老人はほっほっほ、と笑った。身体を起こしてずれた毛布を奈月の肩まで引き上げる。奈月は大人しく毛布にくるまりながら老人を見つめた。
老人は見た目はごく普通の人間に見える。だが老人が内側に抱えるものを奈月は正確に読み取った。ハンター。かつて奈月を囚えた相手と同じものだ。だがこの老人に敵意はないらしい。こうして奈月を休ませてくれているのがいい証拠だ。
「その、出来る事をする、いうんがなかなか難しゅうてのう。実行できるもんばっかりじゃないんじゃよ」
そう言ってから老人はよいしょ、と腰を上げた。奈月の額から手ぬぐいを取り上げる。たらいに手ぬぐいを浸し、かたく絞ってから老人は奈月の額にそれをまた乗せた。ひんやりとした手ぬぐいの感触に奈月はそっと息を吐いた。どうやら発熱しているらしい。
「ありがとうございます」
浄化の力を放ったところまでは奈月も記憶している。だがその力は機体に残っていた最後の力だった。使えば倒れることは奈月も先に承知していたのだ。だがあの時、どうしても奈月は老人を助けようと思った。どうしてだろう。ふと奈月はその時の自分の心の動きに疑問を覚えた。もしかしたら水輝を見たせいだったのかも知れない。そんな答えに奈月が辿り着いた時、ふと老人が話し掛けてきた。
「嬢ちゃんは……その、もしかして青龍王のいい人かのう?」
唐突にそう訊ねられる。奈月はえ、と目を丸くして瞬きをした。青龍王、とは青龍神である水輝の別称だ。余り使われる名前ではないが、確かにそれは水輝を指し示している。
「えっと、確かにわたしは水輝さんのものです……。ですけど……」
恥ずかしさに頬を染めつつ、奈月は告げた。寂しい気持ちがこみ上げる。忘れかけていた悲しみが蘇ってきて、自然と奈月は涙ぐんだ。おお、と老人が声を上げてたんすから新しい手ぬぐいを引っ張り出す。それを手渡された奈月は礼を述べながら涙を拭った。
「そうか、やっぱりそうか。いや、嬢ちゃんをどこかで見た気はしてたんじゃが……そうか、順様のお屋敷で」
納得顔で老人が何度か頷く。順の名を耳にした奈月はぴくりと肩を震わせた。あの時の辛い記憶が蘇ってくる。
水輝の心が壊れる音を聞いた。他に辛いことはたくさんあったが、奈月が一番心を痛めたのはそのことだった。狂った水輝の力が周囲の全てを破壊した。その瞬間、確かに水輝の心は壊れていたのだ。
「ああ、いや、申し訳ない。今さら、掘り返すようなことじゃなかったのう。いや、わしが悪かった」
慌てたように老人が詫びる。どうやら自分が思う以上に悲しい表情をしていたらしい。そのことに気付いて奈月はいいえ、と首を振った。
「ひとつ、お尋ねしていいですか?」
零れかけていた涙を拭いて奈月はそう口を開いた。ん? と老人が目を細める。そうしているとどこにでもいる優しいおじいちゃんに見える。
「あの歪みは何なんですか?」
奈月があの夜に目にしたそれは、紛れもない歪みだ。水輝のところで見たものもそれと同様のものだった。しかも水輝の部屋のそれは老人の発していた歪みとは桁違いに強かった。あの場にあった歪みの全てを浄化できる自信は奈月にはない。
「歪み、か。そうじゃのう。確かに歪みなんかも知れん。わしの目には見えんものも、嬢ちゃんの目には歪みとして映ったんか……」
そう告げてから老人はその場に胡座をかいた。長い話になるがの、と前置きして奈月に目配せする。奈月ははい、と神妙な面持ちで頷いた。
元々、ハンターと呼ばれる者たちは数がとても少なかったという。龍神に対して一割にも満たない数しかいなかったらしい。あの頃はほんまに数えるほどしかおらんかったのう、と笑いながら老人は指を折り曲げた。
通常、食物連鎖というものは狩る者の数が狩られるそれより少ない。それは狩る者が狩られる者より力が勝っているからだ。餌となるものの数が少ないのでは、連鎖の上に立つ者は餌が足りなくなってしまう。
「数はまあええ。ハンターの方が少ないのが、まあ、道理じゃな」
そう言って老人は笑った。
だがハンターは数が少ない上に力がなかった。人間に比べればはるかに強くはあったが、その力は龍神を狩ることが出来るほどに強くはなかったのだ。
「そんで、龍の御仁たちはな。ハンターを逆に狩ることにしたんじゃよ」
元々、狩る力の少なかったハンターたちは龍神たちの前に次々に散っていった。中には生まれて間もない赤ん坊もいたという。そう語る時の老人の目は細くなっていた。遠く、何かを見つめるように視線を飛ばす。奈月は話に頷きながら手ぬぐいを握り締めた。ハンターが龍神を狩らなければ命がつなげないことは知っていた。だが、こうして昔の話を聞くのは初めてだったのだ。無意識のうちに緊張する。
「じゃが、そこで龍の御仁は間違えたんじゃな」
恐慌状態に陥った龍神が人間に誤って手をかけたのが最初だった。それから龍神は次々にハンターの疑いのある人間を殺戮した。それまで天敵らしい天敵がいなかったためだろう。龍神たちは執拗にハンターを狩り続けた。やがてその種が果てるまで。
「……わしらハンターはいっつも飢えに晒されとる。それは生まれながらに持った業っちゅうもんじゃな」
そんなハンターにはだが力はなかった。それでも龍神たちは自分たちが狩られるのを恐れ、ハンターを根絶やしにしてしまったのだ。周辺の人間ももろともに。
話を聞いていた奈月の胸に苦しいような感情がこみあげる。奈月は痛ましさに目を細めて唇を軽くかんだ。
ハンターは一度は根絶やしにされたように見えた。実際、絶えたのだと老人は笑った。その笑みには深い感情が見え隠れしている。
どこまで方言が入れられるかチャレンジした記憶が。