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黒い車が校門の前に停まる。運転手が降りてきて後部席のドアを恭しく開いた。要は喫茶室からその様子をじっと見下ろしていた。降りてきた少年に野木が一礼する。四階から見ると小さすぎて少年の顔までは判らない。
車が走り去る。要は少年と野木を目で追いかけた。少年の背丈は野木とそう変わらない。年齢も要と同じだと聞いている。ふむ、と頷いて要は喫茶室の入り口に移動した。
キッチンにこもっていた周藤が顔を覗かせる。要は今日いれる紅茶の種類を指示して手を振った。はい、と返答して周藤がキッチンに戻る。要は再び廊下に目を向けた。
もしもの時のために優一郎は近くの教室で待機している。いざという時にすぐに対処できるよう、あらゆる手段は講じてあるという。だがその手段とやらの説明を要は受けていなかった。そんな暇がなかったというのが正直なところだ。無意識のうちに苛々と要は爪を噛んでいた。慌てて口から手を離す。いけない。もう、自分は機械になっているのだ。爪を噛むような真似をすれば、爪ごと取り替えなくてはならなくなる。自己治癒能力には全く期待できないのだ。
やがて廊下の向こうに人影が見えてくる。要はきっちりと制服の襟を正して背筋を伸ばした。優雅に対応しなければね。内心でそう自分に言い聞かせる。
不意にブラウスの中にくすぐったさが生まれる。怪訝に思いながら要は胸を押さえた。一体、何事だろう。だが違和感はすぐに納まった。気のせいかしら。要はそう呟いて伏せていた目を上げた。
その瞬間、硬直する。野木に伴われて近づいてくる少年を凝視し、要は絶句した。少年は多輝とそっくりな容姿をしていた。野木が恭しく要に一礼する。その後、少年が丁寧に頭を下げた。
「初めまして。神楽坂洋といいます。本日はお招きに預かり大変光栄です」
「あっ、え、あの」
動揺した要を不思議そうに洋が見る。要はごほん、と咳払いして優雅に身を折った。ここで取り乱しては駄目だ。そう自分に言い聞かせる。だが要は緊張しきっていた。あれほど探しても見つけられなかった多輝とそっくりなのだ。動揺するなという方が無理だ。
「如月要です。さあ、こちらにどうぞ」
そう告げて要は喫茶室に洋を案内した。歩き方といい、仕草といい、とても洗練されている。要は時折、ぼんやりと洋を見た。椅子に腰掛けた洋が不思議そうに首を傾げる。要は慌てて自分も椅子を引いて座った。
出された茶をありがとう、と受け取りながら洋は微笑を浮かべた。多輝からは少し想像し難い優しげな笑みだ。どちらかというと多輝には皮肉な笑みが似合う。要は自然と洋と多輝を心の中で比べていた。
「でも嬉しいな。本当に会えると俺も……いえ、私も思っていなかったので」
途中で言い直して洋がはにかむように目を逸らす。要は余裕ありそうににっこりと微笑んでみせた。だがその実、胸は言いようがないほどに高鳴っている。
「お会いできてわたくしも嬉しいですわ」
そう要が言うと洋は急に顔を赤くした。まあ、と要は口許に手をあてて大仰に驚いてみせた。洋がすみません、と言いながら慌てて頬に手をあてがう。
「俺、舞い上がってますね。ちょっと頭、冷やしてきます」
カップを戻して洋が立ち上がりかける。要は内心慌てて首を振った。ここで出て行かれてはまずい。何しろ近くの教室には優一郎が控えているのだ。機械のたくさん詰められた教室を見られたら何を言われるか判らない。要は洋を引き止めてにっこりと笑った。
「わたくしは構いませんわ。ありのままの神楽坂さんを見てみたいですもの」
楚々と笑って要は小首を傾げた。すると洋が照れた笑みを浮かべて椅子に戻る。要はほっと胸に手をあてた。
それからしばらく世間話をした。経済の行方、学校の様子、世界情勢について話をする。だがそうしながら要は奇妙な違和感を覚えていた。言いようのない苛立ちにも似た感覚がある。
そっと胸を押さえて要は優雅に笑んでみせた。ブラウスの奥にくすぐったいような感覚が生まれているのだ。それは定期的に訪れている。
「あ、あの。如月さんは……その」
それまで静かに語っていた洋が急に口ごもる。要は何かしら、と微笑みを向けた。洋は俯いてしまっている。
「どうなさったの?」
胸を押さえたまま、要は再度訊いた。すると何かを決心したように洋が顔を上げた。胸を押さえていた要の手を取り、真剣な目で見つめてくる。要は思わず息を飲んで洋を見つめた。
「あの! 如月さんはどなたかとお付き合いなさっていらっしゃいますか!?」
要は言葉に詰まって瞬きをした。洋は真剣な面持ちで要の目を覗き込んでいる。その面立ちはやはり多輝に瓜二つだ。色素の薄い茶色の髪は柔らかそうで、その下にある目は焦げ茶色をしている。皮肉な面立ちにはだが、今は笑みはない。
「い、いえ……特定の男性とは」
上ずった声で要は答えた。どうして本当のことを口にしてしまったのだろう。要はそう思う心のどこかで不満を感じていた。なぜ、自分は早く洋を捕まえてしまわないのだろう。多輝とこれだけそっくりなのだ。自分の隣に並んで遜色はない。
「ほっ、本当ですか!?」
嬉しそうに洋が笑う。その様は一途に一人の女性を想うそれだ。どこにも嘘はないように見える。要はついうっとりと洋に見惚れてしまった。
「俺、如月さんの彼氏に立候補してもいいですか?」
真剣な面持ちで洋が告げる。要は反射的にはい、と返事しそうになった。だが慌てて口を閉じる。いけない。この相手は多輝ではないのだ。だがそう思いつつも要は次第に自分の心が目の前の洋に流されていくのを感じていた。
神楽坂洋の中の人はお察し下さい……。