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ひゅっ、と喉の奥から鋭い息が漏れる。直後、水輝の耳にけたたましい声が聞こえてきた。耳元で喚くな、と呟いて右腕を大きく後ろに振る。断末魔の悲鳴を上げた男が路上に転倒する。水輝は刀をぶら下げて唇に煙草を挟んだ。
「汚い手で触るな」
吐き捨ててから水輝は強く地面を蹴った。起き上がろうとしていた男に音もなく近づいて右手を一閃する。切っ先で弧を描いた水輝はそのままの流れで刀を鞘に収めた。ぱちん、とつばが音を立てる。
どす黒い霧のようなものが周囲に広がる。それと同時にどよめきが水輝を中心に広がった。それまで観戦を決め込んでいた男たちが一斉に色めき立つ。水輝はにやりと嗤って目を上げた。古びた木箱が幾つも重ねられた一番上に中年の男が座っている。
「どうだ? これでもまだ文句があるか?」
そこは街外れにある寂れた場所だった。寂れ過ぎていて、ここには人など誰も近づかない。いるのは人ではない者ばかりだ。
「悪くない……が、これだけでお前を信用する訳にもいかん」
しわがれた声で男が喋る。その男の足は片方がなくなっている。龍神に食われたのだ、というのが男の言だ。ふうん、と呟いて水輝は刀を肩に担いだ。周囲を取り巻いている者たちに目を向ける。年齢にはばらつきがあるが大半は男だ。中に混じっている女は子供か老婆。若い娘は今はここにはいない。夜の街に繰り出すために今は眠っているらしい。
「じゃあ、もっと別の奴と戦ってみるか? 何なら全員でかかってきても構わないぞ?」
水輝の不穏なせりふに周囲が色めき立つ。水輝に我先にと飛び掛ろうとした男たちを制したのは、木箱に座った中年男だった。待て、という一喝で男たちがぴたりと足を止める。
「確かにお前は強いのだろうな。お前が言う通り、この場にいるみんながかかってもやられるかも知れん」
ったり前だろ、ばか。水輝は内心で呟いた。だがそうか、という無難な答えを口にする。中年男はしばし考えるように目を閉じた。
ハンターは群れを作る。その群れの一つ一つはここと同じように小さい。そして順は幾つもの群れの頂点に立っているのだ。水輝は刀を下ろしてその場に胡座をかいた。隙だらけと判断したのだろう。周囲を取り囲んでいた男のうちの一人が水輝に飛び掛ってくる。今度は中年男の制止は間に合わなかった。
一瞬、水輝を取り囲む人の輪に緊張が走る。だが水輝はひょいと身体を捻って攻撃の手をかわしただけだった。よろけた男の足を軽く刀ですくう。するとあっけなく男が地面に倒れこんだ。
「一矢! あかん言うたろ!」
中年男が声を張る。水輝に飛び掛った男は困惑した面持ちで周囲を見回した。だが水輝を取り囲む輪の意見も中年男のそれと同じらしい。しゅんとなった男は水輝の横を過ぎて輪に戻っていく。へえ、と水輝は男の背に感嘆の声を投げた。ぎらりと水輝を振り返ってから男が遠ざかる。
「あー……とにかく」
「いいよ、別に無理して標準語にしてくんなくても」
そう言いながら水輝は立ち上がった。刀を片手に中年男に歩み寄る。周辺から慌てたように声が上がったが、水輝はそれを無視して地面を蹴った。軽々と木箱に飛び乗る。中年男はそんな水輝を見ても動揺はしなかった。まあ、座りないや、と傍の木箱を指す。水輝は言われるままに中年男の傍に腰を下ろした。
「ほれ、みんなそろそろお勤めの時間やぞ! ぼけっとしとらんと働けや!」
中年男が一際大きく声を張る。するとその場を囲んでいた者たちが不承不承と言った態で散っていく。どうやら今から狩りが行われるらしい。ふうん、と水輝は彼らの背を見送った。
「しかしあんちゃん、無茶するなあ。あそこでカツがみんなを止めんかったら、どえらい騒ぎになっとるで?」
「そう? そんなに無茶したつもりはないんだけどな」
言いながら水輝は困ったように頭をかいた。すると中年男が豪快に笑う。体格の良さも手伝って、その声は水輝が思った以上に響いた。散りかけていた者たちの幾人かが驚いたように振り返る。だが慣れているのだろう。またすぐにどこかに向かって歩き始めた。
「ええ度胸や。それにあんちゃんの持ってきたこいつも本物みたいやし」
そう告げて中年男が傍に据えていた一つの宝玉を手に取る。真っ赤なそれを暮れ行く日に翳し、中年男はしばし魅入られたような面持ちをしていた。水輝は黙ってそんな中年男を眺める。すぐに取り合いにならなかったのは幸運だった。どうやらこの群れは思った以上にきちんと統率が執れているらしい。
「ところでさ。みんなどこ行くんだ?」
そ知らぬ顔で水輝は話を振った。宝玉を見つめていた中年男がああ、と笑う。大切なものを扱うように宝玉を置く。ご丁寧に宝玉は絹の布を張られた小さな座布団の上に据えられている。
「狩りや。今日は久方ぶりに……いや、あんちゃんにはまだ教えん方がええような」
途中まで言って中年男が言葉を濁す。水輝は苦笑いして中年男を見上げた。
「何だよ、それ。まだおれのこと信用出来ないのか?」
いきなり群れの集まりに割って入った挙句、一部の者たちと乱闘騒ぎを起こしたのだ。当然、そんな水輝のことを群れの誰も信用など出来ないだろう。それはこの中年男も同じだ。そのことを知りながら水輝はあえてそう訊いた。すると困ったように中年男が言葉を濁す。
「いやあ。あんちゃんが強い、ゆうんは判るんで? んでもそやからゆうて、すぐに信用出来る思うか?」
「ま、そりゃそうか。でもおれ、役には立つと思うよ?」
そう言いながら水輝は飛び乗った時と同様に軽々と地面に降り立った。困惑する中年男を振り仰ぐ。本来なら水輝は群れに狙われる筈の龍神だ。だが今、水輝はその気配を完全に消している。それだけではない。水輝には凝った歪みがまとわりついているのだ。
「龍神、狩るんだろ? 用心棒くらいにはなると思うけど?」
中年男が隠そうとしていたことを言い当ててみる。見ていて面白いくらいに中年男の顔色が変わる。慌てる中年男に水輝は首を傾げて笑ってみせた。
「で? おじさんは何て名前? さすがに群れのリーダーをおじさん呼ばわりってのも、気持ち悪いだろ?」
「あ、ああ。わしは榊や」
戸惑ったように名乗って榊がぎこちなく木箱を降りる。片足だけで滑るように降りてきた榊に水輝は手を貸さなかった。榊、と口の中で名前を呟く。
「そうや。榊や。……んで? あんちゃんの名前は?」
水輝はああ、と呟いてから笑った。
「おれ? おれは……沙耶、だよ。女みたいな名前だろ?」
榊が感想を述べる前に水輝は肩を竦めてそう言ってみせた。榊がふうむ、と呟いてからにかっと笑う。しゃあないなあ、と言いながら榊は水輝の肩に手を伸ばした。分厚い手が水輝の肩を叩く。
「あんちゃん、狩りに連れてったるわ。おおい! カツ! このあんちゃん連れて配置につけや!」
野太い榊の声を受けて一人の少年が慌てたように飛んで来る。水輝は改めて少年に頭を下げた。頼りないくらいに身体は細く、ぱっと見には小学生くらいにしか見えない。だがこの少年は榊にとても信頼されているようだ。しかも群れに飛び込んだ水輝を直接的に止めたのはこの少年だ。
見た目はあんまり関係ないってことか。水輝は内心で呟いて少年に笑みかけた。
水輝も別の名前を使いましたが、こっちは順と違って偽名って訳でもないので……。