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寝覚めは最低だった。順は呻きつつ頭を押さえた。最近、ろくな夢を見ない。今日もまたあの時の夢を見てしまった。風龍神が水輝の刀の前に散る様を、順は嫌というど見せられている。夢を操る術があれば見ないのに。そう呟いて順は寝返りを打った。
隣では火藍が眠っている。水輝がいないのは、別室で眠っているからだ。火藍と交わって疲れ果てた水輝は倒れるようにして眠りについてしまった。その後、順はちゃっかりと火藍だけを自分の部屋に連れてきたのだ。もっとも、連れてきただけで特に何かをした訳ではない。ただ隣で眠っただけだ。
あの夢。多分、これのせいだな。順はそう内心で呟いて片方の瞼を手で押さえた。水輝が嵌めていった目だ。今はすっかり水輝の力の影響から解放されたと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。やれやれと順はため息をついて身体を起こした。
順に目を与えた水輝はいま屋敷にいる水輝とは違う。別人だと言っても間違いはないだろう。現に屋敷にいる水輝はその時のことを全く覚えていない。
「大体、同じ名前だからややこしいんだよ。まあ、元は一つだったんだから仕方ないけど」
不服そうに呟いてから順はするりとベッドを降りた。パジャマを脱ぎ捨てて真新しいシャツを着込む。床に散ったパジャマを拾い上げていくのはメイドだ。朝のコーヒーを運んできたメイドは黙々と順のパジャマを拾い上げてから一礼して部屋を出て行った。
コーヒーを啜りながらバルコニーに出る。今朝も餌を求めて小鳥が寄ってきている。順は手にしたパンくずを小鳥たちにばら撒いてやった。小さな声で鳴いて小鳥が一斉に餌に群がる。その様子は宝珠に群がるハンターたちにも似ている。順は柔らかな眼差しで小鳥たちをしばし見守った。
支度を済ませて部屋を出る。ドアの脇に控えていたメイドに火藍を起こさないように注意してから階段を降りる。朝食の用意された食堂に赴く順を途中で執事が呼び止めた。
「順様。お客様がみえられています」
「はあ? 朝の八時だよお? 誰、それ」
呆れた思いで順はそう言葉を返した。執事が恭しく頭を下げる。そこで順はぴくりと眉を上げた。朝の八時。その時間を知っていても執事はその客を追い返さなかったのだ。ということは、相当の理由がある客なのだろう。
「逢坂様でございます」
「……それはまた……いいよ。どこ?」
逢坂は一度、群れからはぐれたためにストレンジャーと判断されている。だがその逢坂がわざわざ順の屋敷を訪ねてきたという。逢坂だけではない。ストレンジャーが群れに戻ったという例は他にもある。順は様々な可能性を思い浮かべながら客室に急いだ。
客室の扉を開けると小柄な老人が見えた。逢坂が深々と順に一礼する。順は目で答えて背後の執事に茶を用意するように命じた。頭を下げた執事が静かに部屋を後にする。
「お久しぶりにございます、順様」
「挨拶はいい。ストレンジャーになったじいさんがどーしてまたここにいるのかな? その理由を先に訊きたいんだけどなあ」
笑いながら言って順はソファに腰を下ろした。逢坂は恐縮しきっているのか、勧めても座ろうとしない。やれやれと笑って順は立ち上がった。強引に逢坂をソファに座らせる。それから改めて順は逢坂の正面に腰を落ち着けた。
「はあ……実はとある方に助けてもろうて」
そう告げてから逢坂は話し始めた。ストレンジャーになってしまった経緯は逢坂自身にもわからないという。だがストレンジャーとして行動していた際の記憶はあるようだ。幸い、逢坂はストレンジャーと化していた間に龍神を目にすることはなかった。それ故に襲う相手も人間に限られていたという。
「人の心の臓の鼓動がいけんらしゅうて……。それを感じると堪らなくなって襲おてしまうんですわ」
「なるほどねぇ。つまり、ストレンジャーの主食は人の心臓なんだ?」
ストレンジャーと化したものが群れに戻った例は他にもある。だが実際に順が目にしたのはこの逢坂が初めてだ。確かに逢坂からはストレンジャー特有の強烈な歪みは感じられない。ふうん、と呟いて順は逢坂を促した。はあ、と力なく返事した逢坂が言葉を続ける。
「そいで、わしが人を襲った時に通りかかったんか、とある嬢ちゃんが割り込んできて」
「……女?」
ぴくりと順は眉を上げた。逢坂が話を切り出した時にとある見当をつけていたのだ。だがそれは見事に外れているらしい。
「はあ……若い嬢ちゃんで……。ほれ、前に順様が屋敷に連れてきたことがあったじゃろう。あの嬢ちゃんじゃて」
言われて順はああ、と膝を叩いた。だが次いで首を傾げる。逢坂の言う嬢ちゃんというのが奈月だということは分かった。だが何故彼女がそこで出てくるのだろう。逢坂を救った? 順は無意識のうちに眉を寄せて腕を組み合わせた。
「何でカノジョがそこで出てくるかなあ。だってじいさんを助けたんでしょ?」
運ばれてきた紅茶を啜りながら順は呻いた。朝食を摂っていない順のためだろう。スコーンが添えられている。順は遠慮なくそれにも手を出した。逢坂はだが恐縮しきっているらしく茶にすら手をつけない。
「え、いや、何でぇ言われてもわしも困るんじゃが」
「だってカノジョ、水輝ちゃんのだよ? こめられてる力だって水輝ちゃんに影響されるじゃない」
即座に言い返しながら順はスコーンを小さく割って口に放り込んだ。水輝に影響されるということは、その力は乱暴に標的を刻むことはあっても助けることは出来ないだろう。そう見当をつけた順はそのことを逢坂に示してみせた。だが逢坂はうーん、と唸って首を傾げる。
「嬢ちゃん曰く、歪みが見えるらしいんじゃがのう」
「歪みが……みえる?」
ぴくりと順は手を止めた。傾けかけていたカップをソーサーに戻す。はあ、と額を押さえて逢坂が続ける。
「どうも嬢ちゃんに言わせりゃあ、歪みがその……糸みたいに見えるらしゅうて。それを解いたんじゃ、とは聞いたけども」
「なん、だって?」
「じゃから、歪みを解いたと……順様?」
順はその場に勢いよく立ち上がった。テーブルを回り込んで逢坂の頭に手を伸ばす。逢坂はよほど驚いたのか、慌てた声をあげる。だがそれを無視して順は逢坂の額に手をあてた。
力の流れを探る。順の真剣な様子に飲まれたのだろう。逢坂は無言だ。
「じいさん」
しばしの後、順は静かに逢坂の額から手を外した。目を伏せて息をつく。
群れに戻った幾人かのストレンジャーは、群れにいた時と同様に飢餓感を埋めるために狩りを続けている。だが逢坂は特有の飢餓感をまるで放っていない。ごく自然な精神状態であることがはっきりと判る。
「ハンターは歪みだって教えてくれたのはじいさんじゃないか」
呟くように言いながら順はふらりとソファに戻った。疲れた面持ちで逢坂を見やる。逢坂は表情をかたくしたまま黙っている。
「じいさん、ハンターじゃなくなってるじゃん」
答えはない。やれやれと呟いて順は改めてカップを取った。冷えかけた紅茶を一気に飲み干す。逢坂は黙ってそんな順を見つめていた。その視線には以前と同様に息子を見るような優しさがある。
順にハンターについてのあらゆることを教え込んだのは逢坂だ。いかにして龍神から身を隠し、効率よく狩りを行うかを諭したのも逢坂だ。ある意味、順は逢坂がいたからこそ今まで生きてこられたのだ。
「どーすんのさ、それで。ハンターじゃないなら群れには戻れないよん?」
「はあ、困りましたなあ」
大して困った風でもなく逢坂が呟く。白髪を押さえる逢坂に苦笑いして順はスコーンに手を伸ばしかけた。
その瞬間、息が止まる。順の手からカップが滑り落ちる。慌てた声を上げて逢坂が腰をあげる。だが順はそれすら見ていられなかった。締め付けられるように胸が痛む。一気に傷が開き、順の胸からは血が吹き出した。
「順様!」
大声で呼ばれ、順はのろのろと顔を上げた。食いしばった歯が軋る。大丈夫だから、とも言えず、順はかたく目を閉じた。
痛いの大好きな順ですが、次から次へと食らいますw