あ、エロシーンはありません。
指示通りに男を別の部屋に連れて行く。空いたベッドに男を横たえる。火藍はやれやれとため息をついて男の服を直した。できる限り乱れを整えて、最後にポケットにピルケースを忍ばせる。近くを通りかかったメイドに男の様子を見てもらうように頼んでから火藍は順の私室に戻った。
「あーん……って、どう? あのヒト、ちゃんと寝てる?」
一口大に切り分けた桃をメイドに口に運ばせていた順が声をかけてくる。火藍はああ、と返事して順の寝ているベッドに腰を下ろした。
「なーんかねえ。不能な男もこれで絶好調になるとかの売り込み文句でさあ。そんなに効くなら試してみてよって言っただけなんだけどさあ」
メイドに片手を上げて順は果物の入った皿を受け取った。メイドは一礼して静々と部屋を後にする。その目が少しだけ火藍を睨んでいたのはきっと気のせいではないだろう。恨まれたくはないのだがな、と火藍は内心で呟いた。
「それで? 実際にあの男が飲んだのは何だ?」
火藍はメイドが部屋を出たのを確認してからそう訊ねた。声が自然とかたくなる。順は小さなフォークで果物を刺しては口に運んでいる。呑気な順の様子に火藍はおい、と声を荒らげた。
「たーだの催淫剤だよ。カレが持ってきたのじゃなくて、オレのとこで開発したやつだけどね。びっくりしたろうなあ。ほんっとに効くとは本人も思ってなかっただろうからさ」
「……売り込まれたのが紛い物と判ったからなのか?」
「まあ? 口に入れれば大概のものは判るからねえ。体質がら」
言いながら順は梨の破片を口に放り込む。火藍は難しい顔で考え込んだ。確かに大袈裟に宣伝した割には効果の低い薬などたくさんあるだろう。そんな紛い物を持ち込まれたなら順が男を騙そうとするのは当然かも知れない。そこまで考えて火藍は顔をしかめた。だが、だからと言って初めて会った男を寝所に引きずり込むのはどうなのだろう。他人の性癖に文句をつける気はないが、危険だということくらいは順にも判るだろう。
考え込んでいた火藍の顔は強張っていた。自然と視線も睨むそれになる。
「そんな怖い顔しなくてもいいじゃん。別にオレは何ともなかったんだし。……はい、あーんして」
笑いながら順が何かを差し出す。火藍は目を上げて目の前に突き出されたフォークと順を見比べた。フォークの先には林檎の切れ端が刺さっている。これを一体、どうしようというのだろう。火藍は訝りを込めて林檎を睨むようにして見た。
しばしの後、火藍は重々しく口を開いた。
「……この林檎には特殊な仕掛けでもしてあるのか? だからわたしに先に毒見をしろと?」
目を上げると順が不思議そうな顔をしているのが見えた。次いで順が大笑いする。どうやら本気でおかしがっているらしい。そのことに気付いた火藍は眉間にしわを寄せて呻いた。
「何がおかしい?」
「い、いや、だって、火藍ちゃんって、すっごく真面目なんだもん」
「無論、わたしはいつも真剣だが?」
笑い混じりの順の言葉に火藍は生真面目な顔で頷いてみせた。順が林檎のささったフォークを軽く上下させて苦笑する。その笑み方はまるで子供に対するもののようだった。
「オレはただ、火藍ちゃんに食べさせてあげよー、と思っただけだってば。ほら、あーんして」
「なっ」
何でそんな真似をわたしがしなければならんのだ。火藍は自分でも気がつかないうちに真っ赤になった。だが順はフォークを片手ににじり寄ってくる。頬が勝手にひくひくと動く。火藍はひきつる頬を押さえてそっぽを向いた。
「いらん」
きっぱり言って立ち上がる。えー、という不服そうな順の声に火藍はくるりと振り返った。拗ねて唇を尖らせている順のパジャマの胸倉をつかむ。順は果物が零れないよう、器用に片手で皿のバランスを取った。
「……昨日より傷が酷くなっているだろう?」
低い声で火藍は訊ねた。間近に迫った順が困ったように笑う。
「あら? バレてた?」
「当り前だ。わたしを何だと思っている」
呻くように告げて火藍は強く順を引き寄せた。目を閉じて唇を合わせる。力を注ぎ込むと僅かにだが順の胸の傷が癒される。だが、こんなものは応急処置にすらならない。早く本格的に治療しなければ、やがて順はこの傷に食いつぶされてしまう。
手を開いて唇を離す。火藍は屈めていた腰を上げながら手の甲で唇を拭った。順は困ったように笑ったままだ。
「木村。その傷を甘く見ない方がいい。早く治療しなければお前は」
「死ぬ?」
火藍の言葉をさらって順が呟くように告げる。だが言った内容とは裏腹に順はまだ笑っている。火藍はため息をついて順から目を背けた。そのままベッドから離れて部屋を出る。
ドアを閉じて火藍は静かに目を閉じた。廊下には幾人かの使用人が行き来している。だが火藍のことをよく知っているからか、誰も声をかけてはこない。
順を傷つけた者の意図ははっきりと判らない。が、その力を受け続けていれば間違いなく順は倒れてしまうだろう。死ぬ、という順の言葉は大袈裟にも聞こえるが、あながち間違いでもない。順という個人が死ぬという意味では当たっているのだ。
死んでしまったらもう二度と同じ形では現世には戻れない。火藍はそっと目を開けて自分の手を見つめた。前とは全く違う、頼りない細い指を軽く握る。指を開いてまた握る。何度かそれを繰り返してから火藍は肩越しにそっとドアを見返った。
何のかんの言っても、アレですよねーw