(習作)向日葵の墓標 作:Marchhatter
若干、後で粗いところを修正します。
(柏原みなり視点)
東京とか大阪からみれば、私はいわゆる田舎の出身だ。
田舎の人づきあいには、慣れてる。
そう思っていた。
まったく何もわかっていなかった。
そう、多賀島市も「地方」ではあったが、一応は県庁所在地。
すくなくとも私の周囲の文化は、比較的、都会のそれに近かったのだ。
多少は男尊女卑的なところがあったとしても、
父も母も私に甘く、特に父は紳士的で仕事を家庭に持ち込まない人だった。
そのうえ私の父は次男坊、母は3女。
母の実家との付き合いは、冠婚葬祭年賀状程度。
父の実家は都会の家で、比較的マイルドというかあっさりしたものだった。
伯父伯母や祖父母たちも、私をかわいがってくれた。
だから、その程度なのだと思っていた。
仕事の取引先の担当者だった夫と出会い、嫁いだ。
私が夫と結婚してしばらくは、自分が幸せだと思い込もうとしていた。
そして嫌なことも、目をつぶってやりすごそうとしていた。
夫が外で飲んで、不意に友人たちを自宅に連れ帰り、二次会・三次会、および宿泊所代わりの場所とすることも。
友人たちの前で、夫が妻(私)の至らなさ、愚かさをネタにいじることも。
(弁明しておくと、私の愚かさとして指摘されることは、単に生活習慣や生活文化の違いだと思うことが多かった。今にして思うと、何かの同調圧力に目を眩まされていた。)
友人たちが夫の目があるのに、平気でセクハラしてくることも。
セクハラから逃げても受け入れても、後からニヤニヤ見ていた夫から折檻を受けることも。
その後に仲直りHと称して無理矢理抱かれることも。
そういうものだと思おうとしていた。
夫が浮気をしている、と聞いた。
勤務先の会社の事務の女の子。高卒。
全然肌の張りが違う、反応が違う、と夫は言っていたらしい。
夫の妹が、悪意をむき出しに私に伝えてきた。
適当にあしらっていると、つまらない女!と言ってどこかに行ってしまった。
どうでもよかった。
夫の会社が民事再生になった。
給与が減った、働け、と言われて言われるがままパートに働きに出た。
希望もなく、作業服に身を包んで段ボール箱を運び続けた。
客からは罵倒も受けたが、ときどき礼を言われた。
少し、心が和んだ。
給料は、夫の管理する銀行口座に振り込まれ、私の手には残らなかった。
ときどきパチンコに勝ったときなのだろう、気まぐれに渡される生活費。
それでやりくりするが、夫は友人たちの前で私を浪費家の悪妻だと貶す。
月三万円では、到底暮らせないのに。OL時代の貯金も半年前に尽きてしまった。
大学時代の友人が結婚することになった。
勤務先が流通関係だそうで、その職場の人たちの都合にあわせて平日(木曜日)に式がなされることに。
夫の嫌味を聞きながら準備をした。
髪のセットを頼む余裕はない。夫は貧乏くさい、アホ毛だらけだと文句を言っていた。
(夫は金がない癖に、ひどく見栄っ張りだった。)
お金がないことを言うとひどく激昂し、準備途中で叩き出された。かろうじてスーツケースを持ち出せた。
もう帰ってくんなボケ、と言われた。
半ば遅刻を覚悟しながら、駅でローカル線の電車に乗り、乗り継いで東京に来た。
かろうじて式と披露宴に間に合った。
お祝いで、アルバイト先の客からもらったチップなどで貯めた3万円を包むと、もう何も残らなかった。
大学時代から使ってる財布には、数百円だけ。
腕の出ないデザインの、比較的状態のましなドレス。
他の参加者に比べると、ひどくみすぼらしく感じた。
だから早く立ち去りたかった。新婦には悪いことをした。
幸せそうな新婦を見るのも、つらかった。
せっかくの高級フレンチも、味を感じなかった。
お祝いを言って、新婦にハグされて、新郎や親族にお礼を言われて。
そして所用を口実に、式場を先に出た。二次会には夫に参加を禁止されてたし、どのみち参加費の工面がつかないから所用で不参加と回答してあった。
快適な式場にいる間は忘れていたが、雨だった。薄手のドレスにコートを羽織っただけでは、寒かった。
手元には、骨が歪んだ小さな折り畳み傘一つ。
帰りたくなかった。帰れなかった。
頼れる友人は、いない。
頼れる親戚も、いない。
携帯電話は、夫の会社が民事再生となって給料が減額されたときに、解約させられた。
住所録は、どこかにあったはずだけど。
3年前、夫の会社の民事再生法から急に吝嗇になった夫に外部との連絡を禁止され、使わなくなり。
ついにはどこに仕舞ったかすら思い出せなくなって、持ってこれなかった。
そんなみじめな状態。
ただ、持ってきてたほとんど空っぽのスーツケースのポケットに、第2子出生を知らせるハガキが1枚入っていた。もう、7、8年近く前のハガキだ。
新生児の写真、それを抱く母親と父親の笑顔。
そうだ。
まだOLだった頃、タイ旅行に出発する、その出がけに。
郵便受けに来ていたこのハガキを入れたんだったかな。
空港からお祝いの電報を送ったけど、ハガキ自体は忘れてしまってた。
ハガキを出した人の電話番号が、これでわかる。
最近数年は没交渉になってた、ある名前。公衆電話を押す指が震える。
怖い。
そっけなく、あしらわれるんじゃないかって。
でも、手持ちのお金は数百円。
私は、祈るような気持ちで手元に数枚の貨幣を用意し、手始めに十円玉を灰色の公衆電話に投入して、ボタンを押した。
あの電話がつながっていなかったら。
私は今、どこで何をしていただろうか。
―――――
――あ、つい時間がたってしまった。
彼の家のお風呂場、湯船につかって、ついついどうでもいいことを長々と思い出してしまっていた。
よく考えたらお風呂とトイレが同室なのだ。彼はトイレを我慢とかしてないだろうか。怒ってたり、しないだろうか。
よくわからないプラスチックみたいな素材でできた浴槽は古びていて、角はキズだらけになって粉を吹いたように劣化している。
大きさも、夫の家(「私たちの家」とは思えなかった)の半分くらいしかないが、それがかえって自分に合った大きさのかたつむりの殻のように感じて。
ついゆっくり、浸かってしまっていた。
夫の家では、夫が乱入して無理矢理されたり、夫の友人が覗きに来たりして安心して入れなかった。
もしかすると、彼も覗いたりするだろうか?
たぶん、しないだろう。そんな気がする。
そういうタイプの人間ではない。そんな風に思う。
彼は完全無欠なんかじゃない。
今日も、私が値札の数字に怯えて決断できなかったとき、ちょっとイラっとしていたと思う。
きっと仕事も忙しいに違いないにもかかわらず、時間を作ってくれたのだろうに。私なんかのために、時間を浪費してる。
そう思うと、ますます決められなくなって、もう帰ろうよ、と口から出かけた。
だけど彼は、そんな私の状態を見て取ったのか、決して声を荒げたり不機嫌さを示したりすることなく。
なんというのだろう、私ではなく自分がそれが好きなんだ、みたいな感じで責任を肩代わりして。
代わりにするすると判断してくれた。
ただ、ずいぶんな大金を使わせてしまった。いつか返さないといけないのに。
そう思うと、あまり痛くはないけどチクチクする、指に刺さった抜けない棘みたいに気になる。
でも、久しぶりにキラキラしたお店に入って、店員さんと会話しながら試着して、人が変わったような装いの自分を鏡に見て。
久しぶりに、楽しかった。
そう、楽しいと思った。
そして彼に勧められるままに、靴下や下着も含めてすべて着替えた。
中華料理店に入った。チェーンかもしれないが、本格的な中華風の料理店だった。
西欧と比べると日本とそこまで大きく違わないはずなのに、なぜ中華料理店というのはあんなに異文化を感じさせるのだろう。
ここでも彼は私を辛抱強くリードして、コースを組み立ててくれた。
温かい食事を取りながら、彼を見つめた。
学生時代の彼は、はっきり言ってこの手のことが本当に苦手な人だったんだと思う。
ときおり彼の姉、彩子姉さんに勧められて、ときどき彼と食事を共にしたりすることもあったが。
まったくこの手のことは慣れていないのが丸わかりだった。
私も、それに対してつっけんどんとは言わないまでも、何も期待せず淡白に対応していた。
変わったものだ。彼も、私も。
それはともかく、長風呂になってしまった。
骨の芯まで温まったし、彼を待たせてしまってるかもしれない。潮時だ。
ざば、と音を立てて、浴槽から立ち上がり、彼が置いてくれたバスタオルで髪を拭く。
鏡を見たが、すっかり曇ってしまっている。
ちょっと迷ったが、手にあるバスタオルの端で拭いてみる。
不景気な顔は相変わらずだが、目には少し光があるように思えた。
―――――
―――――
(村野景一視点)
10時すぎ。明日は土曜日だとはいえ、あまり夜更かしはさせるべきでないだろう。
大荷物を持って、柏原みなりと寒風の中を歩き、自宅に帰り着いて。
さっそく暖房を入れて部屋を暖め、お風呂を準備した。
服は買ったが、まだ最低限だ。明日の着替え分くらいしかない。
明日もまた、ショッピングに行くことにしよう。
女の子の買い物は、時間がかかるものだ。
しかし昔と違って、今はそれなりに楽しめることに少し驚いた。
こういうのって、成長っていうんだっけ。むしろ退化かな。時間を無駄に潰すことの耐性がついたというのか。
いや、認めよう。そうじゃないな。
僕は、楽しかったんだ。
ちょっとやつれてはいるが、柏原みなりは素材がいい。
少なくとも僕の目からは、あの高校時代の美少女ぶりのイメージがあって。
その彼女を僕の思ったように服を着せて変えていくのが、楽しかったんだ。
着せ替え人形で遊ぶようなものなのかもしれない。いい大人なのに、とは思う。
でも、楽しかった。
ぶかぶかの僕が貸してたジーンズから、ちゃんとした大きさのジーンズに着かえてもらって。
その腰とか太腿の曲線に、どきどきしてしまった。
僕は度し難い変態かもしれないな。
自分が暴走しないようにとかかる、世間知のブレーキが、今はかからない。
どうしてだろう。
それはともかく、少し長めのお風呂から彼女が上がったようだ。
ドライヤーの音がする。
先に彼女を寝かせてから、僕が入ろうかな。
なんか今までなんとも思ってなかったけど、彼女が入った後の残り湯に僕が入る。
一糸まとわず彼女が浸かっていたであろう、お湯に。
すごく背徳的な感じがする。
ちょっとむらむらしてしまう。抜きたい。
でも、我慢だ。――いや、我慢する必要はないのか。
ないけど、せめて見つからないようにしないといけないな。
そんなことを思っていると、彼女が出てきた。
髪を拭いて乾かしたはずだけれど、まだ軽く湿った感じの髪。
少し荒れて、髪の先など色が抜けてる感じだけど。
ポニーテールにしてた彼女の髪が、今はほどかれて、豊かに流れて肩にかかってる。
お風呂ありがとう、という彼女の声が。
そして少し色の薄くて茶色っぽい目が。
妙に深いものを湛えてるように感じられる。
ダメだ。なんか頭や胸が熱くなってしまうけど、勘違いだ。
相手は何も僕に対して思っていない。僕も何も彼女に対して思っていない。だいたい人妻だぞ、人妻。
要するにさんざん遊んだリア充のなれの果て。僕とは全く違う世界の住人だ。
特に彼女は、外見はいいかもしれないが面倒事満載人間。
決して、決して。
単なる幼馴染への好意を超えた感情を持ってる、っていう。
そういうそぶりすらも、彼女に見せちゃいけない。
大丈夫、大丈夫。
僕は無味乾燥なスルメ人間だ。いざとなれば単に自分の地を見せればいいだけだ。
鉄面皮に、皮一枚の社交辞令的な笑みを乗せて。
歯磨きとかについて簡単にインストラクション。
台所のお湯を使うといいよ。洗面所の水は、冷たいから。と。
トイレも行っておいてもらおう。これから僕が入浴するんだし。
彼女に寝巻代わりの(今日買った)ジャージを着せて、お休みを言う。
ちょっとだけメールチェックして、しばらく無意味に掃除などをする。
3、40分くらいたっただろうか。おそらく彼女は寝たのだろう、障子の隙間から洩れる照明の光も消えた。
ほうっと息を吐き、入浴するために服を脱ぎ、脱衣かごに置く。
彼女の下着が2セット(この家に来た時に来ていたもの、そして今日、買ってすぐ着替えて使ってもらったもの)が脱衣かごにある。
彼女の信頼を損ねちゃいけない。高尚なことでも考えて気をそらさないと。
それなのに、微かに漂う彼女の残り香。どうしようもなく、劣情が刺激される。
でも、ここでたとえば下劣なことをしたら、僕は彼女の世界に負けた気がしてしまう。
つまり、弱肉強食の、リアル充実の人の世界。
規範や知識や見識より、コネや暴力やコミュ力や外見が勝つ世界だ。
そんな世界は、僕が嫌い抜いてきたもの。
頭の片隅から、大学卒業後、しばらく付き合ってた前カノのことを思い出して、そっと音がしないように抜いた。
でもその途中。今は奥の寝室で寝てた彼女のことがよぎってしまった。
きっと彼女の夫は、彼女にふさわしく外面が良く、声と体が大きく、彼女を満足させるだけの技術があったにちがいない。
夫婦であるからには、きっと何度も彼女を抱いて。
何か妙な興奮を覚えてしまった。
僕は、馬鹿だ。
抜いた後の妙な虚脱感を感じながら、僕はそそくさと体を洗い、丹念にお風呂場の四隅のタイルの汚れ部分の汚れを落とし、そして彼女が浸かっていたはずのお湯(そのことは、できるだけ考えないようにした)に浸かった。
でも、思い出してしまう。
服を選んで試着させたとき、雑念もなく鏡の中の自分の姿に見入っていた彼女。
中華料理店で、高校のときと変わらず、姿勢よく僕の向かいに座っていた彼女。
ごく数回だけだけど。笑ってくれたときのやわらかい目元と、形のいい口元。
そして、ついさっき。お風呂上がりに髪を解いた、ちょっと無防備に思えた彼女の姿。
──ダメだ。僕はどうかしてる。
いつもは決して飲まないけど、ちょっと強い酒を飲んで寝ようかな。
気のせいか、洗面所のガラスがきれいになっている。
鏡に映る僕は、見た目はさほど大学時代、そして高校時代の僕とも変わらない。少しだけ老けただけだ。
中身は、まったく賢くなっていない。愚かなままだ。
ちょっぴり世間知を身に着けただけの、愚物だ。
結局、酒は飲まなかった。
日頃と違い銀座まで歩いたせいか、結構疲れてる。そこまで好きでもない酒に頼る必要はない。
歯磨きをし、たたんであった布団を敷いて、暖房を消すと、窓側から冷気が部屋に侵入しはじめる。
その中で、僕は布団に頭まで潜り込んだ。すぐに、疲労が瞼を閉ざした。
柏原みなりは、いったい、どうして。
何か考えかけたが、そのまま僕は眠りに落ちていった。