(習作)向日葵の墓標 作:Marchhatter
この高級住宅街に位置する、商店街。
僕の慣れ親しんだような、所帯じみた商店街とはずいぶん色合いは違うが、スーパーも一応ある。
もっとも、◯治屋という超高級スーパー。薄給(っていうほどじゃないけどね)の貧乏役人の僕には、敷居が高い。
でもこんなときには、とても便利だ。
そう、買わないけど、冷やかしたりするときね。
なんでもないスーパーにもあるジャムが、一般価格の数倍する恐ろしい価格で売られてるのをみて。
育ちはお嬢様っぽいくせに、貧乏性なところは僕に似てる柏原と、恐怖の目を見交わしたりするわけだ。
駐在の外国人が多いのかな、かわいいブロンドの男の子とかが店の中で手を引かれたりしてる。
そういう何気ない一コマを見るのも、楽しい。
ひととおり冷やかした後、外の個人商店をウィンドウショッピング。
1軒、まだ残ってる軽食屋台(?)さんで、誘って回転焼きを1つ買って半分こする。
(ちなみに関東では今川焼きって呼ぶのかな。僕と彼女の出身地方では「回転焼き」って言ってた。)
餡はカスタード。いや、僕個人は小倉あんも好きだけどね。
姉がカスタードが好きだったから、一緒に暮らしてた頃はいつもカスタードを買ってたんだ。それだけだ。
ちなみに僕と姉が学生時代に下宿してた最寄りの商店街の3倍くらいの値段だった。いや、いいんだけどね。それでも絶対額は安いから。
「美味しかったね。
――お洗濯そろそろだったり、しない?」
美味しかったというのは、嘘ではないのだろう。
昔みたいな、きらっとするような笑顔が、一瞬。
再会して、表情が硬いなって思ってた柏原の顔に浮かんで、思わず目が吸い寄せられる。
こっちを見返してくるその目にとまどって、視線を引きはがす。
「そうだね。戻ろうか。」
確かに柏原が指摘したとおり、良い時間だ。
土日は結構利用客も多いから、乾いた衣類を放置しとかないほうがいいよね。
ちょうど乾燥機が止まった頃で、しかも柏原もいるから先に自分の下着だけ抜いてもらおう。
僕は彼女にビニール袋を渡し、先にどうぞ、と言う。
しかし僕のささやかな心づかい(?)は、察しの悪い彼女には伝わらなかったらしく。
律儀に下着以外のものも全部、小さいビニール袋に入れようとして苦闘してたから。
それは一緒に持っていけるから、そうじゃないのをお願いするよ、と言うと。
ようやく趣旨が分かったのか、耳まで赤くなってた。
うん、僕は変態だ。そんな恥じ入る彼女を見るのがなんだか楽しい。
ほんの少しの間だけど、柏原の表情も会ったはじめの頃より、豊かになってきてる気がする。
――――――
帰り道を歩く。
帰り道は、最短距離だとこれといって楽しみもない街路が続くだけだ。
だから。
ちょっと遠回りになるが(といっても、少しだけだ)、かなり長く借りて住んでる僕の部屋のすぐ近くにあるのにほとんど来たことのない公園に誘う。
公園の広い芝生には、ちらほらとカップルや親子連れの姿。
3歳くらいなのかな、小さいぷくんとした顔の男の子が隅の方の遊具で、お父さんと遊んでる。
僕は多分人間として欠けてるところがあるから、あまり子供は好きじゃない。
誤解を招かないように言うと、別に嫌いじゃない。しかし、特に好きでもない。
「かわいー」とか言われても、よくわからないってだけだ。
というより、ほとんど接したことないしな。
だけど多分柏原はそうじゃないんだろう。
その小さな子が夢中ですべり台をすべっているのを、じいっと見てる。
柏原が我に返って、気恥ずかしそうにこちらを見る。いい人そうな頷きを返して、楽しそうだね、とかいい加減なことを言って、先に進む。
徳川家の東照宮があったり、神社があったり。
歩いて10分もしないところなのに、ほとんど来たことがなかった。
最近は、職場と家の往復だけだったしね。
なんとなく
二人で神社のお賽銭箱に投げ込んで、手を合わせて祈る振りをする。
学生時代ぶり、だろうか。
天野原とは、卒業したら向こうもこっちも忙しかったし。
関係が冷えてきてたのもあって、深夜に会って食事するくらいだったな。
――いや、正直になろう。
僕の仕事、土日くらいは休もうと思えば休める。けどしなかった。
僕の仕事はそれなりに激務だと思うけど、向こうもかなり忙しそうで。
(彼女の仕事は流行の先端を行く、華やかな職場だったけど、結構理不尽な感じに時間が拘束されるみたいなんだ。)
お互い忙しいって言い合って、会えない(会わない)理由にして意地を張りあう。
いってみれば、君(あなた)のことなんてどうでもいいのよ、とマウンティングしあってるみたいな状態?
でも僕は、まだ会いたかったんだ。
合わない、って思ってたけど、やっぱり会えないと寂しい、会えると楽しい。
でも、そのうち、――
「あ。」
目を閉じて手を合わせて回想してたら。
気がつくと、妙に長い時間熱心に祈りを捧げてるみたいになってたみたいだ。
ちょっと離れたところで、いつも真剣そうな顔の柏原が、強い視線でこっちをみてた。
心配そうな表情も何も浮かんでないけど、ごめんね、と手を上げるとにこっと笑った。
あのダウンジャケット、やっぱり似合うな。
なんだかきれい目の女の子を連れてる風な感じに、気持ちがふわふわする。
いや、人妻だし。なんなら地雷物件なんだけどね、まちがいなく。
なんだか妙に、眩しく感じる。
――――――
――――――
(柏原みなり視点)
銭湯に入らないかと、彼に誘われた。
夫に殴られたあざも、体に残っているのもあり。
正直、温かいお湯につかることは大好きだけど、今ここで、というのはためらわれた。
けれどめずらしく熱心な彼の説得に応じて、入ってみることにした。
私の出身県や、嫁ぎ先の地方の銭湯とは違う。
まあ嫁ぎ先では、ほとんど外風呂には行ったことはなかったのだが。
小母様方から話しかけられるかと思ったけど、そういうこともなく。
都会の銭湯だからだろうか、親切だけど近すぎない距離感。
思ったよりあざも軽快してる。見えない背中は分からないけれど。
なにより体を洗い、温かいというより熱い、黒っぽいお湯に浸かっていると、体がじんじんと温まり。
気のせいか、肌もすべすべしてきてる気がする。
思えば、あまり落ち着いてお風呂に入ったことなんてここ数年、なかったかもしれない。
頭をからっぽにして、無心に、ていねいに髪を洗い、体を洗い、そして黒っぽいお湯に浸かると。
妙な多幸感が、こみ上げてきた。
せっかくだ、元をとろう。
ジェットバスも試してみる。肩にあててみると、力が入って凝ってた肩がほぐれていく。
冷たい、冷水風呂も試そう。
きゅうっと体が引き締まる気がする。上がって、また熱いお湯に浸かると、すごく気持ちがいい。
心臓が止まりそうなほど。
繰り返してみよう。
あ、しまった。
私は、結構長風呂だ。
夫の家では、長く入ってると怒られるからすぐ上がってたけれど。
油断してると、1時間くらい入ってることもあった。
ここでのお風呂巡回も、もう三巡目に入ろうとしてたけど。
そういえばお洗濯もしてるんだった。そろそろ上がった方がいいだろう。
きっと彼は、あまり長風呂しないタイプだ。もう上がって、待っているに違いない。
銭湯から上がった洗い髪をしんしんと冷えさせるなんて、良くないことだ。
彼は礼儀正しいし親切で、いままで一度も私に怒ったことはない。
だけど、その限界を試すのは愚かなことだ。あまり好意に甘えすぎてもいけない。
今日は、ここで切り上げよう。
お風呂に上がると、それでもやっぱり待たせてしまってたみたいだ。
だけど彼は、全く気分を害した風はない。
夫だったらこんなとき、ストレートに遅いとは怒らないけど、ねちねち嫌味を言ってくる。
私が謝ると、「そんなこと怒ってるんじゃねえんだよ」と言って。
夫のことを思うと、なんだか気分が沈んでしまう。
この、追い出されてからの宙ぶらりん状態。
彼に依存しきってる、危うい状態だけど、あの夫を会わなくていいのですごく精神的にはいい。
だけど空の黒雲のように、終わってない課題のように、思い出すたびに私の心を陰らせる。
今みたいに。
彼はそんな私の内心を、知ってか知らずか。
お風呂を上がった私に、あたりを散歩しようと提案してきて。
ごく自然に、私をエスコートした。
やっぱり彼は昔の彼じゃない。気の利かない、朴訥な青年じゃない。
それとなく車道側に回って私を守りやすい位置をとる彼に、そう思う。
都心のスーパーに入ってみる。
商品のラインアップと、超強気な価格設定に驚く。
彼に言わせると、近くの別のスーパー(「ポ○ロッカ」という名前だと言っていた)は、もっと穏当な感じらしい。
帰りに寄れたら寄ってもいいな。
でも嫁ぎ先の激安スーパーよりは、やっぱり高いんだろう。
回転焼き屋さんを見つけて、彼が寄っていく。
私にはとても高く思えて、辞退しようとしたけど。
またも彼は自分が食べたいしと口実をつけて、買ってくれる。
学生時代には、下宿先の近くの商店街でよく買ってた。
半分に分けて、口に含む。
カスタードクリームの、力強い甘さ。
学生時代の味と、おんなじだ。
学生時代に通ってた、あのお店。
常連さんになると、気安くお話しするようになって。
ちょっと形の悪い回転焼きだと、10円おまけしてもらったっけ。
あのお店の陽気な肝っ玉お母さん、今でも元気なんだろうか。
ちいさなカバさんみたいな男の子もいたっけ。今ではもう高校生くらいかな。
乾燥機からの衣類を回収する。
私は小さなビニール袋を渡され、先に取るように指示され。
それが最初は下着を取れってことだと気づかなくて。
彼からそれとなく指摘されて、すごく恥ずかしかった。
もう、ちゃんと言ってよ、って思うけど。
でも彼のそんな細かい心づかいは、決して不快ではなかった。
私を一応、女扱いしてくれてる、ってことだからだろうか?
そのときの私には、その感情を分析する余裕はなかった。
帰りにこれまた彼の提案で、大きな公園に立ち寄る。
身近な、子供たちが野球やサッカーで楽しんでるような公園じゃない。
寒いだろうに、大学生くらいのカップルが芝生に並んで寝転んでる。
片隅の遊具では、お父さんが男の子が遊ぶのを見守っている。
男の子は、いかにも楽しそうだ。
彼も、このくらいの年には、あんな風に遊んでいただろうか。
私の記憶の中の幼少の彼は、どちらかというと一人で何かしているイメージだ。
もう少し大きくなると、相棒みたいな男の子と、自分たちだけの閉じた世界を作ってた気がする。
私は彼らに、全く関心を抱いていなかったけれど。
彼らの世界は、意外に豊かだったのかもしれない。
背の高い彼を、見上げる。
目がどこか、思いにふけってるみたいに思えた。
何を考えてるんだろう?
どこか真面目な、誠実な印象を与える彼の横顔。
そう。
彼は今でも真面目な大学生っぽく見える、生硬さがある。
しかも勤め先もお堅い公務員。
そしてこんなに優しくて、気が利く。
きっと、結婚したい女の人からすれば、すごく優良物件(?)なんだろうと思う。
公務員の給料がいくらかなんて、私にはわからないけれど。
地方では特に、すごく人気の職だ。
でも独身なのは、仕事が忙しいからだろうか。
彼の言葉の端々から、彼が忙しいのは分かる。
夜はもっと遅いものらしい。昨日、一昨日は、すごく早く上がったんだろう。
土日でも一方は、職場に行ってたみたいなことをポロっと言ってたし。
家の様子から、彼は一人暮らしで、交際もなさそうだけど。
どうやって、その、――発散してるんだろうか。
私は彼になにも返せない状況だけれど。
今日の、洗濯物の件。あの下着のこととか。
彼がもし私を女としてみてくれてるのなら。
もしかして、――
「よかったら、お参りしていかない?」
神社へ続く石段を見上げながら、彼が聞いてきて。
私のふわふわとどこかよからぬ方向に向かいかけていた考えは、中断された。
みると、石段があり、道は鳥居に続いている。
私と彼は、道をたどり。
神社でお賽銭を投げ、しばし祈りをささげる。
私自身は、パワースポットとか、特別感のある場所に行ったりするのは好きだった。
OLのころは、大学時代の友人たちと秘湯や神社をめぐる小旅行をしたりもしたっけ。
あんな頃に、戻りたいな。
そう思って、手を合わせた。
しかし合理的な彼は、神仏は信じていないだろうし、こういうことで時間をつぶすのは好まないだろう。
私に合わせてくれて、つきあってくれてるだけだ。
そう思い、10秒ほど手を合わせて祈り、横を見ると。
彼は意外にも熱心に、何かを強く思うように、祈りを捧げていた。
その真剣な表情に、思わず圧されるような思いがした。
触れてはいけない、と感じた。
きっと彼は、とても彼にとって大事な何かについて、祈っている。
私の思いのつかないような、何か。
なぜだろう。
でも私はなぜか、彼がこんなにも真剣に願っていることに、不快感を感じている。
彼の心を占める、大事な何か。
私のことなどではない、何かがあるということに。
そういえば。
私は、彼が誰かと交際してはしていないと思っているけど。
(そうでなければ、急に私を泊めたり、大事な週末を潰したりはしないだろう。)
ただ、彼が異性(私)をエスコートする、その物慣れた物腰は。
誰か、朴念仁だったはずの彼をそのように変えた、誰かの存在を示唆していて。
そして、この真剣に祈る様子をみると。
彼が祈る内容はおのずから推測できるように、そのときの私には思われた。
彼は、別れた恋人のことについて、何か祈っているのではないか。
私は、ひどく理不尽にも、そして自分でも意外なことに。
彼にどこか、裏切られたような思い。
そして嫉妬に似た灼けた思いを、抱いていた。
――――――
私は。
もちろん、彼の恋人でもなんでもない。
ただの、小中高の同窓生。幼馴染といえなくはないが、関係は非常に薄い。
彼は私に親切にしてくれるけど、特にそのまなざしにも熱は感じられない。
そう。
私が勝手に思い込んで、そして妙な不満を抱いているだけなのだ。
でも、そのときの私は。
祈りを続ける彼の側には、いられなかった。
他の女のことを(おそらくは)考えて、祈る横になど、いられない。
ささやかな復讐、――ともいえない。
当てつけに似た感情で、ちゃちなプライドの命じるまま、私は彼の横を離れ。
少し離れた場所から、祈り続ける彼を見守った。
だけれど。
長身の彼が祈るさまは、どこか絵のように様になっていて。
それも私の心に、さらに波を立てた。
彼に恩義を感じている。それは確かだ。
でも同時に、彼の心に波風を立てたい。私の存在を、認識してもらいたい。
こっちを、見てほしい。
注意を向けさせるために、爪を立てる仔猫のような。
そんな妙な感情を、私は祈る彼に抱いていた。