(習作)向日葵の墓標 作:Marchhatter
自宅に帰り着く。
何か気分を害したのだろうか。参拝してから、なぜか柏原はそっけなく無口になり。
僕も僕でそんな柏原に会話を求める気にもならず、考えごとをしながら歩く。
自然と、会話はなくなった。
――柏原には服をいろいろ買ったけど、それで十分だろうか。
今のままでは無理だから、いつか家に帰ることになるのだろうけれど。
元鞘におさまる気が、あるのか。それとも離婚とかいう話になるのか。
離婚するとして、実家に帰ることになるのか。
いや、たしか彼女の父親が亡くなった後、母親も入院することになったとかなんだか、姉から聞いた気もするな。──あまり関心なかったから、よく覚えてない。
親戚くらいは、いるだろう。だがな、頼れるならこんなことになってないか。
柏原に直接聞くより、姉に報告がてら聞いてみたほうがいいのかな。
そういろいろと思いかけて、ヒヤッと胸が冷える。
──僕は、油断してる。思い出せ。
初心忘るるべからずだ、この幼馴染、あまりかかわっていいことはない。
よく考えろ、今でも結構あやうい。家出した人妻を自宅に泊めてるんだ。
まあ僕は固い職業とはいえ、芸能人でなくただの一般人だからまだいいけど。
彼女の夫に因縁つけられたり、訴訟をおこされたりというのは、避けたい。
ただ、姉に電話して善後策を協議するほうがいいな。
姉なら、彼女や彼女の夫に働きかけて、元鞘におさまるよう説得することもできるかもしれない。
太陽のように、暖かい人柄の姉のことを思う。
そんなに成績がいいわけじゃなくても、自分に自信があって、世界を信頼してる人というのが存在する。いわゆる自己肯定感高い系、ってやつなのかな?
そんな人は言葉や人格にも重みがあって、一目置かれる。
子供の頃から「しっかりした子」とか言われてる人だ。本当にしっかりしてるわけじゃなくて、間違いとか馬鹿な失敗とかもするんだけどね。性格がいいから、叱り飛ばされるけど長引かない。
ひいき目もあるかもしれないけれど、うちの姉はそんな感じだ。
僕が、その対極だな。
スペックはそこまで悪くないが(文句言ったらもっと恵まれない人に殴られそう)、言葉や人格に重さはない。
よく絡まれる。侮られやすいんだ。
自信もなくてよく仕事は入念に見返すから、失敗はしないけどあまり評価もされない。
人格が薄っぺらいというか、太宰治の「人間失格」の主人公からモテ要素を丁寧に取り除いた感じ。
自信がなくて、内心おどおどしてて、でも外面は取り繕って信じてもいない言葉を吐き、やりたくもない行動をとる。
僕の両親は、世間のマジョリティの家がそうであるように。
必ずしも100点満点じゃないけれど、公平に僕と姉を扱ってくれてた。なんなら家で一番の年少者である僕に甘かったと思う。
それでも姉とはこんなに性格が違うのは、生まれつきの要素が大きいのだろう。遺伝子ガチャだな。
子供のころは姉を疎ましく思ったこともあったし、姉も僕を歯がゆく思ったことがあるみたいだ。まあね、僕は姉の金魚の糞だったから。
年月を重ねて、ある程度お互いに相手を理解した。仲の良い姉弟だと言っていい。
ただ、姉は僕と同族じゃない。姉は、陽のあたる世界の人なんだ。あいつらの、一員だ。
そんな人たちをうらやましく思うこともあったけど、そっち側に行くのは、あきらめた。
穴居性夜行動物が、真昼のサバンナに適応しようとするようなものだよ。
いまさら、自分がそんな人になりたいわけでもない。
(ひねくれているようだが、これは本心だ。)
ただ、便利だからね。表面的には彼らみたいに人当たりのいい性格に擬態することを学んだ。
自分がいやになるときもある。でも自分で自分を否定してどうする、と思う。
彼らの正義や序列だと、僕の在り方は間違ってて、相手にしなくていい存在なのかもしれない。
でも彼らの正義に、僕がお付き合いする必要なんてない。
やつらの方法、やつらのゴールなんてまちがってる。
──いや、それは不正確だな。
彼らの
高校までは部活に打ち込み、地元の大学に行き、外交的な性格で就職活動をくぐりぬけ、美人な奥さんを口説き落として、子供をたくさんつくって。
仕事がオフの日は、家族で大きな自動車でドライブ。
ライバル会社とコップの中の市場での勝敗に一喜一憂し、平日は遅くまで残って上司部下と結束を確認し。
ちょっと取引先や飲み屋の女の子と浮気もするけれども、でもちゃんと本命はキープ。
子供になかなか会えないけれども、机には物心ついた一番かわいいころの写真。
奥さんが頑張ってくれて、やんちゃに育つ子供。表面じゃ疎んじてても、お金を稼いでくれる親父を、尊敬してくれてるはずで。
──それは、きっと幸せの一つの形だ。唯一じゃないけれど。
彼らの幸せを馬鹿にするのは、そりゃ違うだろう。それこそ彼らと同じ、上下をつくる猿山思考になっちまう。
でも彼らの体にはぴったり合うその
だったらお前の
ああ、みつかってないよ。悪いな。
毎晩終電が終わって上司を見送ってからの帰宅。疲れ切ってすする、塩分きつめのコンビニ飯。
眠った感覚もなくあくびを噛み殺して机に向かう平日。ただ長く寝るだけで体力の回復しない週末。
それらが幸せじゃないのは、確かなんだが。
どんなときかな、僕が最後に幸せを感じたのって。
天野原が横にいたときは、牡として幸せだった気もする。でも、やっぱり違う、って思ってた。
僕が欲しいもの、やりたいこと。それって、何だろう?
自分が価値を認める、何か。
それに、自分を一本の釘のように打ち込みたかった。
それで認められたい。でも、ほかの人からの評価、っていうより。
自分が、自分を認めてあげられる何か。
これができるんだ、と胸を張って言える何か。
自分が唯一でなくていい。自分が一番でなくてもいい。
でも、自分が価値を認めてて、そして自分がそれができる、と言える何か。
それがあれば、それでいい。他人からみたら何それ、っていうようなものでも。
ただそんな何かを見つけられないままに、僕の十代、二十代は過ぎ去り。
そして今三十路の僕は、目の下にくまをつくりながら、小手先の断片的な文書作業の経験を積んでいく。完全無意味なパワポポンチ絵や神エクセルの技術を向上させながら。
灰色のトンネルみたいな、僕の役人生活。
アクセルを押しっぱなしに走り終わって抜けたら、もう初老で年金暮らし。
何も残せず、ただ政府のGDPをわずかに押し上げて終わるだけなら。
やっぱり彼らの幸せの方が、正しいんだろうか?
むっつりと黙ってしまった柏原と並んで歩くうちに、僕は。
そんな堂々巡りみたいな沈鬱な考えに没入しきってしまっていた。
──────
僕の自宅の、この雑居ビル。
みごとに南側には背の高い別のビルがあって、まともに日は差し込まない。
夕方に少しだけ、北に面した窓から西日が入る程度。
だから、昼に家に帰るとなんだか気分が塞ぐ。
だけどまあ、役人だからね。日のある時間帯に家に帰ることなんて、ほとんどないだろうって思って契約した。
今まではその見込みどおりで、土日はたいていお昼近くまで寝てるし。
起きたら職場に書類を見に行ったりしてたから、昼に日光が差し込まなくても良かった。
だけど、今。
家に帰ると薄暗い部屋で微妙な関係の人と顔を突き合わせることになる。会話もなく。
こんな閉鎖的な環境、あまり居心地のいいものじゃない。
どうせなら、お互いに相手以外の人に視線が行く方が、気楽じゃないだろうか。つまり、外出した方がまだしもマシじゃないだろうか。
それに、お昼のこともある。まだお昼までには時間があるのだが*1、一応聞いてみよう。
「お昼、どうしようか?」
テーブルになんとなく腰かけた僕は、やはり向かいに腰かけた彼女に問いかける。
背筋の通った姿勢の良い座り方は、まだこの家ではリラックスできないからだろうか。
家で作ってもいい。大学時代は、結構自炊してたし、最低限だけど調理器具はある。
ただ、今はあまり自炊してない。野菜はね、足りなくなるからときどき買うようにしてるけど。
行商っていうのかな、軽トラで路地裏に売りに来るんだ。
野菜以外は、コンビニとかのパスタとかお弁当とか牛丼屋さんの定食でごまかしてる。
最初は結構美味しいな、と思ってたんだけどね。3年経つと、もう嫌になった。
今は、なんだか作業みたいな感じ。石田徹也の絵*2?に、あったねそんなの。
食べてるときは食欲あるけど、食べ終わって汚れたガラをゴミに捨ててるときに、ひどくくだらないことで時間をつぶしたときみたいに、自己嫌悪が沸き上がるんだ。
レタスやピーマンを洗ってかじったりすると、少しだけそれが癒える。
「景くんは?」
「僕は、ちょっと食べに出たいかな。」
──それに、柏原さんは東京、ひさしぶりなんだよね?
おのぼりさん気分で東京観光もいいものだよ。はとバスとかさ。
ちょっと歩けば、浜離宮や竹芝桟橋の屋形船って手もあるよ?
僕、ジモティーなのにもう10年以上経つのに一度も試したことないよ。
そんな風に。
またこの地雷女相手に、僕の外面を気にする軽薄な人格が勝手にロールプレイし始める。
そう、この主体性のなさ。
人に興味がないくせに、人に嫌われたくない。だから自分がしたいことじゃなくて、期待されてることを一生懸命やりだすんだ。
自分でもわかってる、そんな生き方してても、全然楽しくもないって。
僕の求める幸せとは、全然違うもの。むしろ軽蔑するあり方かもしれない。
でも他に、人との接し方を知らない。
「でも景くん、忙しいんでしょう?
景くんのしたいこと、していいよ。」
──それで私が邪魔にならないんだったら、一緒にいくし。
そうでなければ、お掃除でもしとくよ。
そんなことを言っている。君も主体性のない日本人なのね。
(もっとも僕は別にそんな人を嫌いじゃない。押しの強い人って、大の苦手なんだ。)
ただ、今はちょっと困る。掃除なんて、されようものなら。
見られたら非常に困る類の本だとかが、押し入れにあるんだ。
「大丈夫だよ。
僕は、今週土日はもう、仕事はしない、したくない。
それに柏原さんには、せっかくだからゆっくり休んで、そして楽しんでもらいたいな。」
我ながら言葉に重みがない。いや、早く出て行ってくれるならそれがいい、と内心は思ってるからな。仕方ない。
でもその僕の薄っぺらい言葉に、じっと、柏原みなりは考え込んでいる。
そもそも彼女はあまりぺちゃくちゃとしゃべる人じゃないんだ。
「私は、──ちょっと行ってみたいかも。」
「竹芝?浜離宮?銀座、ハバラ、御徒町。それとも茗荷谷?」
「ふふっ。茗荷谷?」
貴重な笑いが取れた。茗荷谷には、彼女の通ってた大学のキャンパスがあるんだ。
「すっごい煙い焼き鳥屋さん。なかった?」
「あー、あった!今も、あるかな。」
心なしか、柏原の目にすこし光が戻ってる気がする。
そわそわと前髪を払うしぐさが、学生みたいだ。
「確かめに行ってみる?」
「うん、──いいの?」
「いいっていいって。ほら、この土日は僕がガイドになるよ。
ど素人で、ロクなところも知らないけれど。」
また、貴重な柏原の笑いがとれた。昨日と違って、自虐的な色がない笑いが。
すこしいそいそと準備を始める柏原。
あーあ、夕方くらいまでかかるかな。僕、なんで一文の特にもならないことに時間使ってるんだろう。
そう、心の隅でひねくれてウザがりながらも。
僕は、どこか柏原と出かけることを楽しく感じてはじめていることを、自分では気づいていなかった。
──────
──────
(柏原みなり視点)
「どうせなら、変わったルートで行く?」
洗濯の後。
彼はどこか落ち込みかけた私の気持ちを、軽妙な会話で不思議に浮き立たせてくれて。
私と彼は、まるで大学生のカップルのように。
明確な当てもないのに、街歩きをすることにした。
まだお昼前だ。日の短い冬だとはいえ、十分に時間はある。
地下鉄もいいけど、バスで行ってみてもいいね、と彼は提案してくる。
大学生の頃、バスはよく使ってた。
電車にすると、とたんに方向が分からなくなるのだ。どの階段を使っていいかわからない。
地図をみて、すごく考え込んで、ようやく正解を見つけられる。それもときどき間違ってる。
バスも似たり寄ったりだけど、ずっと地面の上を走ってるからだろうか。目立つビルとかがあるからだろうか、そこまで迷わなかった。
まあ、地下鉄が常識的だろうか。バスは、直行はないだろう。
ところが、彼はさらに思いもよらない提案をしてきた。
「歩いて行けるところまで行ってみない?」
「歩いて?」
「うん、途中で国会議事堂を見たり、大きなたまねぎ*3を見たり、さ」
2時間くらいかな。だから途中でごはんをたべようよ。と言っている。
なに、そのいきあたりばったり計画。
でも。
──急にそれも、魅力的に思えてきた。
爆風スラ〇プ、小学生高学年から中学生のあたりで流行ってた。
私は親がそういうのに眉をひそめる人だったから、こっそり友達からテープを借りてヘッドフォンで聴いたことがある。
武道館か。知識として知ってはいるけど、東京に来てから見たことはあるだろうか。全然記憶に残ってない。
2時間、歩く?
私は、体力には自信がある。いや、あった。
かけっこでは、誰にも負けたことがなかった。
今は?
もう、そんな日々は過去のものとなり。
さいごは毎日、疲れきってた。泥の中を動いてるみたいだった。
歩いて2時間かけて行こうよ、なんて言われたら、殺意さえ抱いたかもしれない。
ただ、ここにきてなんだか私のまわりの泥が落ちてきてる。
あの銭湯のお風呂に入って、体にまとわりついてたいろいろなべとべと、もにゅもにゅした何かが、落ちていったみたいにさっぱりした。
精神的には、かなり復調してきてる。
身体的には?
準備のため、いったん脱いだ上着に腕をとおす彼。
私も彼に買ってもらったダウンジャケットを羽織り。
その場で足踏みみたいに、腿を上げてみる。
ちょっと張ってるけど、大丈夫。
「ねえ、景くん。──途中まででもいいかな。」
途中まで歩く。それで疲れたら、途中から地下鉄かバスにのる。
それでもいいだろうか。
「もちろんだよ。
ほら、毎日バッタみたいに僕が飛び回ってる永田町と霞が関、行ってみようか。」
彼が私の要望を、そんな風に軽く、軽く。
諧謔を交えて、肯定してくれることを。
私は聞く前より先に、わかってた気がした。
おそらく、実際に私が途中でギブアップしても、彼は内心がっかりするかもしれないけど、怒ったりはしないだろうことも。