(習作)向日葵の墓標 作:Marchhatter
(村野景一視点)
家を出て、土日は人影もまばらなビジネス街の歩道を歩く。
柏原は僕よりかなり背が低い。だから、歩幅を意識して調整しなければ。
柏原は、スポーティに黒い野球帽と黒いダウンジャケット、濃紺のジーンズ。
(流行りのスリムでなくストレートなのだが)彼女のジーンズの腰から太腿あたりのぱつぱつの曲線に吸われた目を、意識的に逸らした。
僕は今となっては流行はずれのダッフルコート。学生時代から着てる。
流行遅れで重いけど、暖かくて丈夫だ。
僕の住む古びたビルから霞が関、虎ノ門あたりの官庁街は、すぐそこだ。
平日に仕事でみるときと違い、人のいない土曜日の街は穏やかな表情をしていて。
そうだ、休んでいいんだ、と少し気が楽になった僕は、歩きながら適当に、僕の灰色の日々をちょっと面白げに脚色して柏原に話す。
本当は面白いことなんて、ほとんどないうんざりする毎日のはずなのに。
でも彼女に話してると、自分でもなぜか少し面白い気がしてくる。
彼女は基本、ふんふんと聞いてるだけで言葉少なだが、ときどき笑ってくれる。
突っ込むところが、僕の思うポイントとは、ちょっぴりずれたところだったりするけど。
文部科学省(建物としては、一番好きだ)、財務省、外務省。総務省の手前で左折する。
錚々たる有名官庁かもしれない。でもどの省でも、何人、下手すると何十人もの官僚が自殺してるってことは、彼女には言えなかった。
国交省の坂を上ると、デモ隊が遠くで叫んでるのが聞こえる。首相官邸方面かな?
議事堂の方にも、来るのかな。
僕らは、官邸方面にはいかない。ひとまずは議事堂の前をかすめて、皇居を目指す。
絵にかいたような三車線の向こうにみえる、国会議事堂。
葉のすっかり落ちた銀杏並木に、冬の風がぴうう、と吹きつけて音を立てる。
あまりここらへん、僕も道がわからない。永田町あたりに行くのは夜が多くて、公用車かタクシー使ってたしな。
彼女は、ちょっと目を細めるみたいにして、議事堂を透かし見ている。
「来たこと、ある?」
「1年生のとき、たしかサークルで議事堂見学に来た。
でも、覚えてないよ。」
大学1年生か。僕にとっては、なんだか後悔のある大学生の日々。
じゃあ今、またもう1回やり直せるとしたら?
やだよもう、やり直したくない。
時間だけはあった。社会人になると黄金のように貴重な時間を贅沢に空費できたことを、少し懐かしく思うだけ。
「サークル、なんだったの?」
「うーん、見学でここに来たのは、社会運動系のサークルだったかな。
最初はいろいろ行ってみたけど、結局2年の夏くらいまでに全部辞めちゃった。」
もったいないのかもしれないけど、そうらしい。
基本、柏原みなりは、外見は良いし。
高校時代は、級友たちからアプローチも受けていたと思う。
進学した先の女子大学も、相当の名門で。
他の名門大学とのインカレサークルとかも多かっただろうし。
さぞかしモテてただろう、と思っていたけど。
「──あの雰囲気、私、すごく苦手。」
受験勉強の反動っていうのかな。
大学1年生って、「がつがつ勉強するのは恰好悪い」とか「勉強しないで入れた俺すげーだろ」みたいなマウンティング、やりがちだよね。
他大学の男子学生からのあれが、彼女には我慢できなかったみたいだ。
ひどく軽佻浮薄に思えたらしい。
相手も結構な名門大学だが、彼女の大学を
(彼女の母校は女子大で、名門男子高出身者としては絶対進学先に考えないところだからね。)
「それに〇大の人とか、すぐ一気(飲み)させたがるし。すぐ、馴れ馴れしく触ってくるし。
なんだか、何これ?って、がっかりしちゃって。
そんな無理に盛り上げようとせずに、普通にお話しするだけでいいのに、って、思ってた。」
なんとなく、感じが分かる。
僕らの学生の頃って、インカレサークルはどこも劣化版ス〇パーフリーみたいな感じだったから。
本当は真面目な子でも、それに合わせないと白けられるっていうか。
ボランティア系とか勉強系とかだと、真面目なところもあったのかな?
なんだか浮かれた雰囲気が収まってきたのは、3年生くらいからだった気がする。
そしてそれからの就職氷河期で、叩きのめされた。
それでも口が上手いっていうか、スーパ◯フリー系の男子とかの方が内定を得て、就職活動をくぐり抜けてて。
内向的な奴らが結局、割を食ったんじゃないかな。
つまり、スーパーフリ◯的なすごし方こそが、大学生活の正解だったってことだ、少なくとも当時は。ちゃんとした筆記試験のあった、公務員を除いては。
なんだかやるせないね。
──────
相変わらず強い主張のない彼女の同意をとりつけて、僕らは皇居を左回りに迂回する。
銀座から丸の内のビル街、東御苑ってのも、一瞬頭をよぎったんだけどね。
なんだか、きらきらしたところには行きたくない気分。彼女もそれに同意した。
(とはいえ、基本、彼女は全部、僕の選択に同意するからよくわからない。
本当は行きたかったんじゃないだろうか、と後で思った。新丸ビルとか。)
晴れてるのに曇りみたいな気分になる、首都高の高架の走行音だけが響く、こぎれいだけど寂しげなあたりを歩いていく。
半蔵門を過ぎ、緑道めいた公園になる。千鳥ヶ淵だ。
ちょっと時間を意識する。家を出て1時間くらいか。
もうそろそろ、お昼にいい時間だ。
神保町までは、少し遠いし迂回することになる。九段下だろうか。それとも、北の丸公園に入って行って、カフェでも探すか。
また会話が途切れてしまっていた彼女に、打診してみる。
九段下、神保町、とかいう語を聞くと彼女は少し嬉しそうに、多弁になる。
行きつけの街だったというわけではないが、暇な日曜日とかに訪れていたらしい。
僕も学生の時分は、相当通ったんだけどな。いや、目当ての本があったわけじゃない。
ただ、あの本の匂いや、「その時代」の空気(なんていうんだろう、僕のイメージだと1970年代)みたいなのが、漂ってくる気がして。
神社の境内の森を横目にみながら、春になったらここの桜、すごくきれいなの。と彼女は言う。
僕も、同意した。ここの桜は、きれいだった。
前にみたのは、まだ学生時代のことだ。横には、天野原がいた。桜の花の散る下でうれしそうに目を細めて笑ってくれた、彼女。
あの使い捨てカメラのフィルムは、どこにあるだろう。捨てていなければ、僕が持っているはずだけど、現像しただろうか?
九段下の近辺には、思ったより開いてる店が少ない。というより店があまりない。
「景君、」
柏原が、珍しくも僕のダッフルコートの袖をちょんちょんと引く。
「神保町の方、行ってみない?
すぐそこだし。」
再会してから、ずっと控えめな彼女の要望だ。無下にするわけにはいかない。
もちろん、僕も行ってみたい気はあるんだ。あの古本屋街、ひところは足しげく通ったものだよ。
ただ、そこで食事したことはあまり多くないな。すきっ腹で街をさまよってて、ときどき安い定食屋のお世話になった程度。
あと、ちょっと離れてるけど明大そばのキッチンカ〇リーにはよく行った。あれ、癖になるんだ。
────────
────────
(柏原みなり視点)
水道橋から神保町、御茶の水の一帯。多くの大学があり、学生街を形成している。
高校時代にそこそこ仲が良かった友達の一人が、この一つの(当時は、バンカラが売りだった)大学に通っていたので、ときどき遊びにきたことがある。
連絡は途絶えてしまっているが、彼女は今、どうしてるだろうか。
私は彼に無理を言って、この街に足を向けた。
目的地からすれば、すこし外れたところ。かなり遠回りには、なる。
正直、少し足が張ってきていたけど、でもなつかしさの思いが勝ってしまった。
そして。
私がそうわがままを言ったことに対し、彼は驚いてはいたが。
同時に、どこか嬉しそうな色がみえた。
どうしてか、ということを、そのときの私は考える余裕がなかった。
広い歩道に、はみ出た古書店のワゴン。
ステッキを持つ老人が、日に焼けた背表紙を眺めている。
そしていい加減な恰好をした男子学生が2、3人、声高に笑いあいながら広めの歩道を歩く。
あの頃にくらべて、町はきれいになったけれど。
基本的な方向性は変わっていない。
妙な感動が、胸を震わせる。
夫に迎合し、長らく見失っていた、本当の自分。
その自分のかけらを、ひとつ見つけた気がした。
「柏原さん、ちょっと休んでく?もう、お昼でもいいよ。」
そう誘う彼の言葉に、私は。
しっかりと彼の顔をみて、うなずいた。
──────
大学生だったころ、私はこの近辺に、近くの大学の友人と昼食に来たことがある。
たしかそのときは、路地裏のいかにも昭和風な和食屋さんで食べた。
すごく美味しい、鯖の塩焼きの定食だったと思う。
おなかが空いていたこともあって、結構な量をぺろりと食べた記憶がある。
ダメ元で、そのことを告げてみる。
そんな店、いくらでもあると思うのだが。
「『近〇や』じゃないかな。行ってみようか。」
そう言って、彼は地図も何も見ないで、よく知った街であるように確信を持った足取りで私をガイドする。
「知ってるお店?」
「柏原さんの言ってるのと同じ店かわからないけど、おそらく。」
有名な店なのか。
私はそう思いながら、ふと、「柏原さん」と呼ばれたことに小さなひっかかりを覚えた。
それは、私の旧姓だ。
旧姓を呼んでくれることは、決して悪い思いはしない。
あの夫との結婚生活がこの先どうなるかは、わからない。
離婚されて、身一つで放り出されてしまうかもしれない。
でもあの生き地獄が続くよりは、この身を路上で終わらせても構わない、と私は思い始めている。
ただ、そう、旧姓で呼ばれると。
昔の私の呼び名が、不思議にくすぐったく、懐かしいと同時に。
私に彼が、本当は、十分には気を許してくれていないような気がしてきている。
私は彼を「景くん」と呼んでいる。これは、小学校、いや、幼稚園のころからだと思う。
彼は子供のころは私のことを、彼のお姉さんと同様に、「みなちゃん」とか呼んでいたように思う。
なのに、今はそっけなく「柏原さん」と旧姓で呼んでいる。
ちょっとこれは。距離が遠くないだろうか。
ただ、これは私の自業自得でもある。
彼のことを、私はこれまで決して重視してはこなかった。
姉さんの附属物。下手をすると、競争相手としてみていた。
ぞんざいに扱った覚えは決してないが、距離を置いて扱っていたのは、確かだ。
だからこれは、私の愚かさが招いたこと。私の罪。
それを雪ぐためには、──
「あ、定休日か。そんな気がしたんだ。」
彼が、そんなことを言ったので、私の思考は中断された。
たしかに、学生街ではあっても、基本的にはビジネス街なのだ。
いかにも下町の食堂が、目の前にある。閉まっているけど、そう、ここだ。
この店で、わたしとサトミは学生時代にお昼を食べていた覚えがある。
5時限後のゼミが終わった後、合流して、ここでサトミと肩を並べてカウンターに座ったものだ。
私より背が高く、宝塚の男役みたいな感じにかっこよかったサトミは、不思議にここになじんでいて。
ちょっとむさくるしい男子大学生たちの視線を集めていたのを、覚えてる。
「代わりに、──そうだね、柏原さんは、和食の気分?」
「和食でなくても、いいよ。」
そう、反射的に返す。
彼は一瞬思案していたけど。
ちょっとまた引き回して悪いけど、心当たりを試させて。と、そう言って。
また大通りに、引き返す。大通りを渡る。
裏通りに入ると、やや大きめの定食屋さんにたどり着く。はじめて来る場所だ。
ここも、雰囲気が似ている。大柄な男子学生や、工事の人が出てくる。ランチアワーは終わり近いのかな。
「いい?系統としては、似てると思うけど。」
私は彼を見上げて、頷いた。魚の焼ける匂いが、ふわっと漂った。
席には、すぐに案内された。入るお客さんもいるけど、出て行くお客さんの方が多い。
クッションつきのベンチシートに腰掛けると、腰が溶けるように心地よくて、すごくほっとした。
歩いてた間は気づかなかったけど、やっぱり歩き疲れてたみたいだ。
焼き魚定食を頼む。さっきの閉まってた店のことを思い出して以降、ずっとその気分だったのだ。イタリアンとかだったら、たぶんがっかりしてたかもしれない。
彼を見つめ直す。彼もあっさりと自分の分を決めて、元気のいい店員さんにオーダーを出してる。
彼は、大人になった。
私は、どうだろうか。
ただ、歳だけを重ねただけなんじゃないだろうか?
私と夫の7年間の結婚生活は、なんだったんだろう。
もう、戻りたくない。
出された熱めの番茶を飲む。
定食が、あまり待たずに運ばれてくる。彼は海鮮定食で、私はサバの塩焼き定食。熱々で、音を立ててる。
少しだけ味見する?と誘われ、言葉に甘えて二切れほどをもらう。私も、彼に少し身を分ける。
口に含んだ、旬の寒ブリの刺身。脂の乗った少し甘味を感じる官能的な味。
彼も、礼儀なのかもしれないが、湯気の立つサバの身を一口食べて、美味しいね、と私の目を覗き込んだ。
こんな風に、食事を交換するというのは。
傍からみて、気のおけない、親密な関係のように見えたりするのだろうか。男女の関係のある、カップルみたいに。
私はどこか、ふわふわとした幸せを感じていた。
ランチのラッシュが終わって少しのんびりした空気の中、少しゆっくり目に食事をして。
彼の勧めでトイレを借り、彼が代金を払い(彼は、当然のようにすべて払ってくれた。私は、もごもごと礼を言った)。
彼は、ちょっとズルをして最後は電車に乗ろうか、と言い向けてくれた。
かなり元気は回復したけれど、やっぱり体力が落ちてたのか、正直なところ、歩き疲れてた私は。
一も二もなく、その言葉に甘える。
地下鉄の赤い電車。私の下宿先のアパートからも、この路線に乗って通ってた。
電車の車両は、私の記憶にあるより、ぴかぴかに新しいものとなっていたけれど、やっぱり思い出の電車だ。
たまたま空いていた席に、彼と並んで座る。中央あたりの席だ。
赤い電車は、神田川を渡る際に一瞬、地上に出る。
そこから、聖橋のアーチ橋が見える。
ちらっと彼を見ると、彼も軽く首をひねり、私と同じように窓から優美なアーチを見つめていた。
見つめる後姿は、どこか追憶に浸っているようにみえる。
──彼は、誰のことを考えているのだろうか。
また、そんな思いが浮かぶ。
そして。
痛いくらいの、嫉妬心。
そして、こっちを見てほしい、私のことを考えてほしい、という、みにくい独占欲が、私の胸に突き上げた。
そのとき、彼をななめ後ろからみる私の視線は。
きっと鋭く、きついものになっていたのではないだろうか。