(習作)向日葵の墓標 作:Marchhatter
(村野景一視点)
──やっぱり、疲れさせちゃったかな。
彼女の様子を、僕はそれとなくうかがう。
人形のように整った顔の彼女の表情は、正直読みにくい。
なんだかさっき、橋をみるふりをして目の端でぬすみみた、ガラスに映った彼女の顔は。
目がどこか怒っているみたいに鋭く、僕をにらみすえてたような気がするんだ。
ひょっとして。
なんだこいつ、生理中にこんなに連れまわしやがって!とか、思ってないよね?
以前付き合ってた女の子(天野原)が、PMS気味だったからなー。
思わず、警戒してしまう。
家のバストイレのごみ箱には、生理用品はなかった。大丈夫大丈夫。
本郷三丁目の駅に到着したあたりで、おそるおそる問いかけてみる。
「疲れた?大丈夫?」
「大丈夫。そういえば、地元ではあまり歩いてなかったなー、って。」
やっぱり地方は車社会だったから、と。
苦笑気味に言う彼女に、すこし安心する。
少なくとも、怒ってはいないみたいだ。
ただ、疲れてることは否定してなくないかな、彼女の返答。
ぽつぽつ、と話を交わす。後楽園。
車社会だとは言っても、彼女自身は運転はしないらしい。
免許はあるけど、ペーパーで夫から嫌味を言われていたとか。
パートで運送関係の仕事を入れていたが、自転車で通っていたという。
「──!」
そこで彼女は、どこか愕然としたような表情。
「どうしたの?」
「休むって、言ってなかったよ、ー」
「あー、」
彼女は電車降りたら、ちょっと電話かけるね、と言っている。
連絡先がわからない、という彼女を見かねて、僕は彼女から勤務先の情報を聞き出し、スマホで検索して営業所の電話番号を突き止め。
恐縮する彼女にそのままスマホを貸して、連絡してもらうのだった。
──────
駅の近く、路上から電話を掛けている彼女を、少し離れた場所からみている。
すこしだけ背をかがめて、申し訳なさそうな風情。
電話を切って、唇を噛む。少し寄った、眉。
そして不安そうにあたりをみまわし、僕を見つけるとすこしだけ表情が緩んだ。
「大丈夫?」
「うーん、ふふっ、だい、ん、んんっ」
微笑みながら僕を見上げた彼女の目から、唐突に涙が流れるのがみえた。
僕は心にどしっと重いものがかかったような錯覚を覚えた。
まずい。柏原は、きっと。
「あ、大丈夫なの、大丈夫だけど、だけど、」
どうすればいい?どうしようもない。
僕はたぶん、外見的には普通の人。性格も、おそらく礼儀正しく四角四面なところはあるけど、普通の人の範囲に見えると思う。
ただ、人間性がぼこっと欠けてるところがあるんだ。
たとえば、人の痛みとか悲しみ。
僕だって怪我をすれば痛いし、悲しいことがあれば悲しい。怒るときには怒る。
でも、おそらく普通の人、感情豊かな人からすればすごく欠けてるところがあると思う。自分でも。
ほら、小学校とかで女子が喧嘩してさ。相手は男子でも女子でもいいけど。
女子が泣いてるとさ、女子はすごく同情して、なんなら泣かせた男子(女子でもいいけど)ってすごい責め立てられるじゃん。
男子は男子で結束するから、一応反撃とかするけどさ。でも、心の中じゃおそらく、女子が正しいって思うと思う。
僕はその感覚が薄かったんだ。すごく大げさにいえば、泣いてる女子をみても、その悲しみがわからない。いや、わかるけど本当の意味で心情に寄り添えない。
同情を惹くために泣いてる、とまでは思わないんだけど、なんでこんなことで泣くの、くらいは思ってしまったりする。
すごく人でなし、人非人だって?僕もそう思う。でもそれが僕だ。
ただ、僕もそうした泣いてる子のことも少しは理解できるようになった。少なくとも自分ではそう思ってた。
他の人の考えること、感じることもまったくわからないわけじゃない。ただ、ほら、心から同情するってことができなくて、頭で「こういうときは同情するものだ」みたいな感じ。
ただ、普通の人間の真似をするためにそういう感情的行動はとれる。
お葬式のときも、ぶわっと泣いたりもした。でも、別に心が本当の意味で悲しいと感じてたわけじゃない。
なんだか、説明すればするほど人でなしだ。
だから、今このとき、僕の頭にあったのは。
すごく最低もいいところなんだけど、「とにかく、なだめないと」くらいなところだったんだ。
彼女、たぶんバイト先の人に怒られたか、強くダメ出しされたかしたんだろう。「もう来なくていい」くらい、言われたのかもしれない。
その彼女の悲しみ、憤りを、僕は頭で理解できる。でも本当の意味では、つまり心では、ぼんやりとしかわからない。
どう反応すればいいのかも、実のところわからない。
僕は、だから。すごくありがちな行動をとった。
前の恋人が泣き喚いたりしたときに、ときどき有効だった行動。
抱き寄せた彼女の肩は、思ったより薄かった。
子供のころ一緒に走って鬼ごっこをしたとき、一度も追いつけなかった背中は、思ったより小さかった。
──ほら、小学校のころは女の子の方が成長が早いからさ。でも、それ抜きにしても彼女はすごく足が速かったんだ。僕だって男子で速い方だったのに。
彼女が、僕の胸に頭をつけてきた。よくわからない、どうすればいいのか。
女子大生っぽい2人連れが会話を止めて、僕たちの方を興味深げに観察しながら歩いて通りすぎる。通りすぎたあと、二言三言交わして、抑えた笑い声。
女の子を泣かせてる悪い男、って見えないか?
そのうち、正義感あふれる声で、僕を咎めてこないか?
たまたま開けてたダッフルコートの前を開いて、横の視線から隠せるように彼女を軽く包んだ。
彼女が、ぐっと頭を押し付けてきた。腕が、僕の背中に回って、思いがけないほどに強く僕を引き寄せた。
すこしのけぞった自分の姿勢を自覚する。たぶん、傍からみたら女を振って、女にすがられて逃げ腰なクソ男に見えるのではないかと。
僕も彼女の背中に手を回す。ダウンジャケットの柔らかい生地を通して、彼女の背中が震えているのがわかった。
熱い何かが、胸のあたりにある。たぶん、涙か、呼気か。
僕も、ぎゅっと抱き返した。彼女も。
そうして、たぶん数分くらいだろうか。僕は針のむしろのような思いで、しかしまるで傍から見たら愛し合う恋人たちのように抱き合っていた。
歩道を行き交う人たちを見返す勇気は、なかった。
──────
(柏原みなり視点)
決して、いいバイト先でもなかった。
運送の仕分けや、配達。荷物は重くて、力のある男手が重宝される職場。
女だと重てえのは無理だろ、と吐き捨てるように言われたり。
女はいいよな、俺たちみたいに腰痛めなくてすむしよ、と言われたり。
配達先で、遅すぎるぞ馬鹿野郎、と怒鳴られたり。
いろいろ嫌な思いもしたけど。
ただ、私の収入源となり、私を金食い虫呼ばわりする夫からの嫌味への対抗手段ともなっていた仕事でもあった。
私は東京に戻って、どこか自由な空気を吸って。
何か、社会から自分への視線がなくなったように思っていた。
あの、重く重く、義務と責任とを私に求めてくる空気から。
そしてあの夫から離れて、解放感があって。
ここ2日、やっぱり浮かれていたのかもしれない。
これは、そんなだらしない私への罰なんだろう。
バイトの欠勤を謝罪した、電話の向こうからは。
社会人として、失格。もう来なくていい。
そういわれた。
そうかもしれない。
たしかにそうだ。
私はまともに連絡一つできない、出来損ない。
でも、──と言いたかった。私は。私だって。
でも、言えない。夫から追い出されたことは、バイト先には関係のない事情。
私は電話を切った。すごく、重力が重く感じた。
プールで泳ぎまくって、そしてプールサイドに上がるのがとても大変な、あの感覚。
社会人としての義務と責任。その重みだ。
イヤだ。溺れたくない。何かに、つかまりたい。
彼は?
あ、彼がいない。
彼は、こんな私を見捨てたんだろうか。
携帯電話を私が持ってるから、どこか行ってしまうことはない、ということは一瞬忘れていた。
あたりを見回す私の目に、少し離れたところで所在なげにたたずむ彼が映る。
そうか、きっと気を使ってくれたんだな。
確かに、いい年をして叱られたりするのは聞かれたくない。
それに、彼にまで自立できない馬鹿と思われたくもない。
大丈夫、大丈夫。ちょっと失敗しちゃった、てへへ、って感じに。
バイトは首になったけど、どのみちもう夫のところには戻れない。
そのうち、やめるはずだったんだ。
そう、心を決めて顔に笑みを浮かべて、決して急がないように、軽い足どりにみえるように彼のところに向かう。
「大丈夫?」
心配そうな、彼の声。
「うーん、」
大丈夫、でも首切られちゃったよ。あはは、とかいうつもりだった。
ぶわっとふき出た涙が、私のプランをめちゃくちゃにした。
声が、つまった。何を言っているのかわからない。支離滅裂。
焦って、声を落ち着けて続けようとする。
「あ、大丈夫なの、大丈夫だけど、だけど、」
みっともなく、声が裏返るのがわかる。
だけど、──何を言えばいい?
夫に追い出された。バイト先、首になった。──それで?
彼にあわせる、顔がない。
英語の授業で、「lose face」って表現があったな、とすごくどうでもいいことが頭をよぎる。
ハンドルを切り損ねた自動車か何か、ぶつかってくれないかな。──死にたい。
「!?」
彼は、やっぱり優しかった。
おずおずと、しかし確実な意思がこめられた手で、私の肩は引き寄せられた。
頬を寄せたダッフルコート。小説だとこんなときにアラミスの香りがたちのぼるのかもしれないけど、私の場合は、わずかにお昼に食べた焼き魚の定食屋さんの匂い。
ふいに、心がほどけるのを感じた。
私は、馬鹿だった。本当に大事なものが何かもわからない、馬鹿だった。
本当だったら。
すごくありえない仮定だけど。
彼とつきあっていれば、良かったのかもしれない。
押しつけがましくなく、ちょっと不器用で、でもどこかで私のことをちゃんと考えてくれてる、彼。
おそらくは下心もなく。単に、幼馴染だってだけでここまでしてくれる、彼。
そう思うと、いまさらなことなのに、また泣けてきた。
しかし、次の一瞬。
彼の腕が背中から離れ、体が遠のいた。
決して、突き飛ばされたわけではない。力を緩めただけだ。でも、私はすうっと胸が冷える思いがした。
そうだ。何、私は彼に甘えてるんだろう。
彼にとって、私は単にそれほど親しくもない幼馴染。
彼も、困るだろう。まるで初めての交際で舞い上がってあたりがみえなくなってる、大学生みたいに抱き着かれても困るのだろう。
そう思って、私も彼から離れようとした。でも、そのとき。
次の瞬間、また肩を抱き寄せられた。こんどはダッフルコートが消えて、彼に、薄いシャツごしに顔が接した。
温かい体温が、私の冷たくなった頬にあたる。
コートを開いて、中に入れてくれたんだ。と、わかった。
同情かもしれない。見かねてのことかもしれない。
ただ、好奇の目から隠してくれただけかもしれない。
でも、嬉しい。
そのとき、私の肩から背中に下りてきた彼の腕が、ぎゅうっ、と私を力強く抱きしめてくれた。
嬉しい。
涙がまた溢れて、彼のシャツを濡らしてしまう。
バイトのことなんて、どうでもいい。
彼のことを、感じていたい。放したくない、離れたくない。
私も、いつのまにか彼の背中に回していた腕に、力を込めた。
もう、ずっとこのままで。ずっと、──。
──────
永遠のように思えるひとときの、後で。
私は彼にエスコートされて、暮れなずむ公園に誘導され。
花壇のへりに、腰かけていた。
(ベンチには、住所を持たない人が寝ころんでいた。
私も、ああなるかもしれないけれど。)
ちょっと温かい飲み物、買ってくるよ?
そう言って、彼は遠間に見えた自動販売機に歩み去る。
私を落ち着かせる、それだけの目的だと思うけど。
公園に来るまで、私とずっとつないでいてくれた彼の手は。
骨ばっていたけれど、私の記憶にあるよりずっと大きく温かった。
──手の温かい人は、心が冷たいんだよ。
そうかもしれない。それでもいい。
私は、彼をみる。
たまたま別のお客さんが来ていて、先に譲る彼。
相手が女の人だったので、私はちょっともやっとする。
いや、女の人と言っても子供連れだ。彼だって、変な下心など抱きようがないだろう。
でも、妬ける。うん、妬いてる。私は、彼に、そして相手の女の人に、妬いてるんだ。
彼の関心をわずかでも奪う、相手の女の人に。
「どっちがいいかな?」
二つ買ってきてくれたのは、嬉しくもあり、がっかりでもある。
貧乏カップルみたいに、1つのコーヒーを回し飲みしたかった。
目の前にあるのは、コーンポタージュと有糖の紅茶。
どっちにしようか。紅茶は、好みだ。でもコーンポタージュって、珍しいな。
そのとき、私の頭に天啓が響いた。
「どっちも、いいな。
ねえ、景くん。」
私は、できるだけ自然に聞こえるように続けた。
「紅茶にしたいけど、コンポタ、味見してみてもいい?」
──────
(村野景一視点)
泣いて目が赤くなった彼女を、近くの公園に誘導する。
おりしもベンチは占拠中。うん、僕のやることなすこと、とことん上手くいかない。
仕方がないので、植え込みの花壇のヘリにこしかけさせて、自販機に向かった。
何か、温かいものを飲んでもらって落ちつかせよう、って思ったんだ。
今日は、どうしようかな。こんな状態でお店に入っても、また泣き出したりするだろうし、家に戻った方がいいかもしれない。
お店に入っても、泣く女となだめる男っていう、深夜のファミレスにいそうな超ウザいありがちクソカップルの出来上がりじゃないか。
「どっちがいいかな?」
天野原は、あーそういう子いるよね、という女の子だった。
末っ子で兄姉がいるせいか、甘やかされて育っていて。
こんなときは「私の欲しいものを察しろ」というタイプ。
統計もないしn=1なんだけど、顔のいい女の子ってこの傾向がある。
ただ、天野原は2つ買ってどちらか選ぶ、ってのは良しとしていた。
だから、その成功体験に基づいて、僕は2つ、コンポタと紅茶の缶を買う。
紅茶は甘い午○ティーのミルク。白っぽい缶。僕自身は無糖派だけど、女の子に落ちついてもらうには甘いものがいいと読んだことがあった。
「どっちも、いいなー。」
目の前に選択肢を示された彼女の顔に、一瞬走った失望感。
あー、やっぱり駄目だよ僕。こんなときにも失敗だ。
どっちもいい、って言ってるけど、要はどっちも嫌なんだ。
きっと彼女、別のものが良かったんだろう。無糖が良かったのかな。
しかし、彼女は一瞬後、まだ涙がついてる長い睫毛を開き、ちょっときらきらした目で問いかけてきた。
「ねえ、景くん。」
紅茶にしたいけど、コンポタ、味見してみてもいい?」
──────
(柏原みなり視点)
私のたくらみは、効を奏した。
紅茶は飲んだことあるけど、コンポタ初めて、と言い。
じゃあ最初、コンポタ試してみる?気に入ったらそっちで、と言わせ。
あー、美味しー!でも、紅茶も飲みたい!と言い。
彼にコンポタを味わってもらい、紅茶で喉を潤し。
ちょっと物欲しげな顔で、コンポタを飲む彼をみつめる。
本当に欲しいのは、コンポタじゃない。
え?やっぱり、コンポタが良かった?と言わせて。
ううん、紅茶、美味しいしこれでいいよ。でも、もう一口だけ、いい?と言って、彼の口のついたコンポタを奪い取る。
しょっぱいコンポタは、勝利の味がした。
彼にも紅茶を交換し、私の口のついた缶を飲んでもらう。
街灯がつき、薄暗くなりゆく公園。
目を軽く閉じて、紅茶を飲む彼の横顔を見ながら。
私は、一つの決心を固めていた。
私は、けじめをつけないといけないのだろう。
私は、さまざまな過ちをしでかした。その罰を受けなければいけない。
それに比べて彼は、明るい未来のある男の子(私も彼もいい年だけど、やっぱり同級生は、いつになっても男の子だ)。
私が彼といられるのは、長くない。もう、私が彼のもとにいていい道理もないのだ。いられるとしても多分、あと2、3日。
それは、いい。仕方ない。
だけど、せめてあの灰色の、いや泥色の生活に戻るとしても。
もっと悪い、落ちぶれはてて街角で男を取る生活に入るとしても。
最後に、この彼との思い出が欲しい。
彼だったら。
たぶん私を愛していなくても、愛してくれる。
それでいい。それだけでいい。
「良かったら、食べてく?
池袋とかに出てもいい。
ここでもいいけど、探してみる?」
そんな私のよからぬ思いに、彼は気づくこともなく。
私にそんな提案をしてくる。
「そうだね、だったら、──」
私は少し上目づかいに、彼をみつめながら、要望を口にした。
彼は立派な社会人で、仕事もしっかり、隙なくこなしてるんだろうと思う。
でも私という幼馴染には、ガードが甘いところがあることに気づいた。
それにつけ込む私は、きっと悪い女なんだろう。
でもごめんね、これは男と女の戦争だから。──そう、恋多き大学での同級生のスズちゃんも言ってたな。
そう思い、これから先のプランを頭に思い浮かべながら。
私は、一つめの布石を打った。