※この作品はR-18です。

傷跡   作:氷室雪美

1 / 5
一 誘惑


 

「酔ってるでしょ」

 

  ほんの少しのあいだ貼りついていた粘膜どうしが、わずかな未練を残して離れていく感触のあとに、私のその粘膜の隙間からこぼれ落ちたのは、そんな言葉だった。

 

「鈴仙ちゃんもね」

 

  ほのかに温かさを増しながら、まだまだ涼しい、初夏の夜。

  囲炉裏の炎と、小さな灯明だけが照らす薄明かりの中、そう言って笑ったもう一方の粘膜の持ち主は、今度は私の首筋に、それをゆっくりと押しつけてきた。

 

「やめてよ……」

 

  口以外にはさして抵抗することもなく、背中と頭を座布団の上にそっと寝かされた私は、額の奥がふわぁと熱くなるのを感じながら、そのどこかで冷静に、何をやってるんだか、と他人事みたいに考えていた。

 

  いや本当に。なんでこうなった?

 

 

 

 

 

 

 

  最初のつまづきは、薬の行商で寄った、あの話の長い客。

 

  普段なら適当に流して次に行くのだけど、今日は初孫が産まれたとかいうもんで、ついついお祝いの言葉をサービスしたのがまずかった。打ち切るタイミングを逃しているうちに、お茶と菓子まで出てくる始末。なんとか切りのいいところで腰を上げ、大急ぎで残りを回って人里の門をくぐったころには、もうだいぶ日が傾いていた。

 

  二番目が、その門を出たとたんに上空から降ってきたあの白黒。そして三番目が、竹林まで半ばというところで殴りかかってきたあの紅白だ。

 

  なんでも、また人里でちょっと奇妙な現象が起きていたらしい。もちろん私とは無関係だ。それをあの連中ときたら、たまたま目に付いたくらいの理由で疑いをおっかぶせてくるからたまらない。何事かたくらみそうな相手なら、もっと前科のある奴らがいるだろうに。山の上の神社とか。

 

  それでなんとかそいつらを振り切って、竹林の入り口にまで来たときには、すっかり暗くなっていて。この分じゃ永遠亭につくころには、師匠の料理も冷めてしまっているだろうなぁ、なんて溜息をついたところで、目に飛びこんできた鰻屋の屋台で、ついヤケな気分で一杯だけとひっかけた私自身の弱さが四番目だ。

 

  ちなみに師匠はうちの一切の食事を作っているけれど──兎たちは別だ。基本的にはてゐの指揮下で共同生活している──、「(  )作ってくれている」(  )わけではない。単に姫様と自分の食事を作るついでに、どうせ一緒だからと私やてゐの分まで作って、食べたければ食べなさい、と置いておくだけだ。食べなければ何も言わずに処分──大抵は運のいい兎の口へ──する。ああいう人だから、それについて何か思うこともない。のだろう。たぶん。

 

  そんなわけで外食に気兼ねもなく、酒で舌を湿らせながら焼きたての鰻をがっついていたところに、ちょうどあの人間バーベキューが通りかかったのが……ええい、もう何番目でもいい。とにかく、それで図々しく隣に座ったそいつに向かって今日の愚痴など垂れていた私に、何のきまぐれか彼女が言い放った言葉が、

 

「続きは、うちで呑まないか?」

 

  だったのだ。

 

 

 

「うちで、って……あんたんとこ、酒なんかあるの」

「普段はない。が、あるときはある」

 

  なんでも、道案内の礼として、後日に酒を受け取ることがあるらしい。それでも時々、せいぜい四合瓶を一本程度で、一人でちびちびと飲んでしまうのだそうだが。

 

「なんでかたまたま、三本も重なってしまってね」

「それを一緒に消費しようって?」

「私ひとりじゃ、酒を悪くするか、肝臓を悪くするかの二択だ」

 

  地上の技術はまだまだ拙い。酒であっても賞味期限が短いのだ。外の世界ならもう少し進んでいるんだろうけど、幻想郷ではさらに百年ほど文明が遅れていると聞いた。使っている瓶だって、ここで作られたものじゃなく、外から流れ着いたものを洗って再利用しているだけらしい……が、それはともかく。

 

「肝臓って……悪くなってもすぐ治るでしょうが、あんたは」

「まあね。でも悪酔い二日酔いの苦しさは変わらないからさ」

 

  蓬莱人──不死者は変化を拒絶した存在。だから怪我はしないし病気にもならない。でも痛いものは痛いし苦しいものは苦しいらしい。喉は渇くし腹も減る。なんとも難儀なやつだと思う。

 

「いっそ死んでしまえば綺麗さっぱりだけどね、ははは。そういや最近死んでないなぁ」

 

  蓬莱人以外が言うと笑えない冗談だが、蓬莱人が言ってもやっぱり笑えない。店のおかみは愛想笑いをしていたけども。

 

「いちおう私、あんたとは敵対勢力なんじゃなかったの?」

「その敵を相手に今、さんざん愚痴ったのは誰だよ」

 

  返す言葉がない。まあ実際のところ、こいつはもう長いこと、姫との殺し合いもしていない。たまにちょっかいは出してくるけど、せいぜい、仲良くケンカしてる、といった程度だ。正面から普通に入って来るぶんには、師匠も姫も許しているし。

  それに、こいつが道案内をしている里人というのは、その大半がうちの客なわけで……見方によっては、敵対どころか、協力関係と言ってもいいくらいだ。だけどそれでも、こう建前というか、体面というか……。

 

「つまみになるもんとかは?」

「干し魚、燻製肉、芋団子。タケノコの漬物に炙ったキノコ、それと味噌」

「……」

「お、よだれ出ただろ、今」

「うるさい」

 

  私は腹を決めた。とにかく、今日はむしゃくしゃして仕方ないのだ。タダ酒飲んでつまみも食らって、こいつにありったけの愚痴をブチこんで、なんなら寝床を占拠してやる。それなら問題ないだろう。なんて勝手なスジを自分の頭の中だけで通し、私は屋台のカウンターに猪口と勘定を音高く置いた。

 

 

 

 

 

 

 

  ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 

 

  こいつ、やっぱり顔はイイよね。

 

  一本目が半分ほど空いたあたりで、味噌を塗って炙った薫製肉──何の肉だか怪しいが、これがやたらとうまい──をかじりながら、囲炉裏の前に並んで座る彼女の横顔を見て、ふとそんな風に思ってしまったのが、崖から足を踏み外した最後の一歩だった気がする。

 

  酔いを頼みに、今日の分だけではなく、ここ最近の何もかもを投げつけにかかった私を、ぜんぶ静かに笑って受け止めて、ときおり自分の他愛もない愚痴や笑い話などを挟んでくるこいつに、だんだん溜息よりも笑い声のほうが多くなってきたころには、声もイイよね、肌は白いし、指も意外と細くてキレイで、髪もちゃんと手入れすればいいのにさ……なんてことすら考えていて、その時には多分とっくに落ちていた。

 

「鈴仙ちゃんはさ」

 

  最初からだったか、どこかのある時期からだったか忘れたけど、こいつは私をちゃん付けで呼ぶ。

  子供扱いされているようで、そんなにいい気はしない。

  しなかった、のだけど。

 

  今日みたいな、我侭に甘えた気分の耳には、なんだか優しげな響きに聞こえてしまったわけで。

 

「なんていうか、いっつも疲れた顔してるよね」

「そんなことないと……いや、あるかなぁ」

「あるある。毎日どこかしらへ色々に気をつかって、気を張り続けているからさ」

 

  言われてみれば、まったくその通りだった。姫様の遊び相手として。師匠の弟子として助手として。てゐには名目上は上司として、一応は仲間として、同時に監視役として……おもちゃになってるとは認めたくない。兎たちに対しては、いまだに変な優越感と劣等感とを抱えたまま、なけなしのプライドで上役みたいな顔をして、舐められないよう強気に振舞って……。更には患者や行商の相手には、それぞれ質の違う営業スマイルを振りまいて。

 

「そうやって頑張りすぎているから、外に出て遠慮のいらない相手と接すると、反動でつい気が荒くなったり、調子に乗りすぎちゃったりする。それでまた永琳に叱られる」

 

「うるさいな」

 

  ぐい飲みの中身を空にして、また瓶から酒を注ぎ、ついでとばかりに自分のを差し出してくる彼女にも注いでやってから、私はちょっと乱暴に瓶を置いた。

 

「鈴仙ちゃんには、永遠亭での人間関係は複雑すぎるんだ」

 

  折しも、ぱちぱち、と鳴った囲炉裏の薪から上がった火の粉が、彼女の体にうっすらまとわりつくように闇の中を舞った。その中で微笑みながら、ゆっくり酒に口をつけるこの人の姿が、なにかとても大きくて、暖かいもののように、その時の私には見えた。

 

「でも……私の居場所は、あそこだけだから。しょうがないじゃない」

 

  それに何より、私はあそこが好きだ。師匠も、姫も、てゐも……まあ、そこまで嫌いではない、他の兎たちも。

  ただちょっと、その中で精一杯に生きていると、疲れてしまう日もあるだけなのだ。

 

「うん。それならそれで、もっと割り切って雑に生きればいいんだけどね。鈴仙ちゃん、変なところで真面目だし。ほぐしてくれる人もいないでしょ?」

 

  ぷは、と酒気たっぷりの息を吐きながら、かくんと首を傾けて私を見る。

  酒と炎に赤らんだ顔と、ちょっと眠そうに細められた目の柔らかい視線に、奇妙な安心感を覚えながら、私はその言葉を聞き返す。

 

「ほぐして……?」

「そう。こんな風に」

 

  す、と手のひらが、私に向かってかざされた。

 

「鈴仙ちゃんも、手、出して」

「う、うん?」

 

  いきなりなんだろう、と思いながら、私はなぜだか素直に、自分の片手を同じようにかざしていた。

 

  そのまま、手と手が重ねられる。

  彼女の指が、私の指に絡む。

 

「ちょっ……!?」

「ん?」

 

  さっきから変わらぬ穏やかな笑顔と、囲炉裏の炎にきらめく深い瞳が、私を見つめている。

  やわやわと、私の手を揉む。その指は長く、細く、思ったよりずっと力強く、けれど優しく。

 

  ぞわ、と何かが、震えを伴って、手のひらから染みこんでくる。

  明らかに異質で、でも不快ではなくて、むしろ────

 

  どきん、どきん、と胸の中で大きくなる音が、首から耳を伝って、頭の中に響きはじめる。

 

 

  やばい、って、心のどこかで、そう思った。

 

  今すぐこいつの手を振り払って、戸を蹴破ってでも小屋を飛び出して、一目散に永遠亭に駆け戻る。絶対、そうするべきだと思った。

 

  でも、そう思ったということは、つまり、この先にあるものを、はっきりと予感してしまったということで。

 

「……なんの、冗談?」

 

  にもかかわらず、ちょっと乾いた声で、そう言った私の手は、いまだに彼女の手に包まれたままで。

 

「冗談なんかじゃないさ」

 

  ゆっくりと近づいてくる彼女の顔に、ああ、やっぱり綺麗だな、と見入ってしまって、それでようやく、自分が本当にどうしようもなく疲れていたんだと自覚したときには、もう私の唇の逃げ場は、どこにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「やめてってば……」

 

  顎と喉と首筋に、自分のとは違う、ちょっと荒くて重い髪と、湿った唇が絡みついてくる感触を覚えながら、この期に及んでまだ私の口は、そんな言葉をつぶやいていた。

 

  もちろん口だけだ。体のほうはもう、すっかり力が抜けていて、彼女にされるがままになっていた。

 

  服の上から、胸に手が這う。

 

  偶然なのか意図的なのか、その指の流れは、重なる布をあっさり貫通し、酒で鈍くなってるはずの神経を的確になぞる。ギリギリ声にならない高い音が、鼻の奥で小さく響く。

 

  するりと帯がほどかれる。はだけられてゆく上着が、かすかに胸元をこすった刺激で、じんわり熱が広がった。捲り上げられたインナーの下から、滑りこんできた指先が、私をふんわり包んで揺らし、ずれた下着の隙間から、その頂点のまわりをそっと挟む。

  今度ははっきりと、声が出た。

 

「やっ……!」

「……かわいい」

 

  胸の上から、お腹の上へ、ゆっくりと手が降りていく。緩められた腰紐をくぐり、ズボンの中に入ってくる。下着越しに、私の中心の少し外側が、文字通りほぐすように揉みこまれ、ひどく尖っているように錯覚する指先が、だんだん内側へと寄り、そのいちばん敏感な部分に触れる。

 

  せめて、足を閉じようとくらいはするべきだっただろうか。そんなしょうもない考えを、ぐるぐる揺れる頭の中に浮かべながらも、やんわり膝で割り開かれた太股は、かすかに震える以上の力が入ることはなく、その根元がやがてじわりと熱くなってきて、高まる熱がはっきりと湿り気を帯び、もうはや布のすぐ下まで沸きあがってきているのを感じた私が、いや、だめ、と少し強めに言った言葉の真意を、きっと正確に察した彼女は、軽く浮かせたお尻からするりと下着を引き抜き、そして直接ぬかるみの底を探られる強い刺激が、腰を何度も跳ねさせる。

 

  重ねられた彼女の手と、もう片方の手で掴んだシャツを、強く握りしめながら、私はあっさりと絶頂に運ばれていた。

 

「鈴仙」

 

  その囁きが、いつまでも耳に残った。

 


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。