私には散歩の習慣がある。
日課、というほどではないけれど、そこそこの頻度で竹林や、その周辺を散歩する。理由のひとつは、運動のため。そしてもう一つは、あのとき妹紅に言われた通り、永遠亭にいるとつい疲れてしまう自分を、一人になって癒すためだ。もっとも、そっちの理由を自覚したのは、あいつに言われたからなんだけど。
ともかく、私はいつものように散歩をしていただけで。
だから、別にあいつを探してたわけじゃない。
たまたま、あいつの小屋に近いところを通りかかって、ちょうどそこへ、たまたまあいつが通りかかっただけだ。
それだけなのだ。
「やぁ」
軽く手を上げて短い挨拶をする、何日かぶりに拝んだ妹紅の顔は、ぱっと見にはごく普通の、何事もなかったような表情だったけど、それでもほんの少しだけ、照れくさそうな笑顔が浮かんでいて、それでたぶん私も同じような顔をしながら、うつむきがちに手を上げて、どうも、とつぶやくみたいな返事をした。
たまたま竹林の中で出会って挨拶をした……それだけだから、特に何か話すことがあるでもない。私はまた、散歩を再開した────その足の進む先が、たまたま妹紅の小屋の方向で、そして妹紅は自分の小屋に向かっているだけで……。そう、あくまで結果的に、並んで歩く格好になった。
しばらく無言で歩いたところで、先に沈黙に耐えられなくなったのは、私のほうだった。
「あのお酒、あれからどうしたの?」
「一本ほどは、自分で飲んだ。栓を抜いてない一本は、まるごと慧音に渡してしまって、代わりに米と塩をもらった」
ズボンのポケットに手を入れたまま、さくさくと足を進めながら言う。こいつの足運びはテンポが一定していて、耳に心地いい。粗野な印象とは裏腹に、姿勢が綺麗で、身のこなしは優雅だ。
「……最初からそうしとけばよかったんじゃないの?」
「礼品として受け取ったものを、即日なにかに代えてしまうのは、ちょっと気が引けるだろ」
「まあ、わからなくはないけど」
そういうところも、意外と繊細なんだよなぁ。なんて思いながら、私は頭の中でごく簡単な計算をする。
あの夜ふたりで飲んだのは、確か一本弱というところ。そこから、いま妹紅が言ったぶんを引くと……。
「だから、もうちょっとだけ、残ってる」
私の考えを見透かしたように、その言葉が耳に滑りこんできた。
「……いや、真昼間から呑むとかないから」
「ほんの少しさ。一合もない。今日のうちには飲みきりたいとこだ」
「うーん……」
乗りかかった舟ならぬ、飲みかけた酒を、誘いに乗って飲んでしまうべきかどうか、私は首をひねって悩む……フリをしていた。
胸の中で、ちょっと大きく鳴っている音が、妹紅に聞こえてしまわないだろうか、なんて馬鹿げたことを心配しながら。
小屋は、もうすぐそこだった。
◆ ◆ ◆
妹紅の小屋の周りに、兎は寄りつかない。
一応は対立する立場でもあるし、何よりてゐが、見つかったら丸焼きにされるぞ、と脅しているからだが……いや、違う違う。アレは兎の肉ではなかった。たぶん。そこは大丈夫だ、たぶん。
とにかく、この竹林の情報網を構築している兎たちの目と耳が、届かない場所にその小屋はあって、それがあの日の幸運であり、そして今日の都合の良さでもあった。
彼女の言ったとおり、残りの酒は少しばかりで、他愛のない世間話や愚痴の合間に、ゆっくりつまみを齧りながらでも、二人で飲めばすぐなくなった。
それでも、十分ほろ酔いにはなった私は、事ここに至ってもまだちょっと迷っていた気持ちを、また酒の勢いを頼りに振り切って、視線をあさっての方へと泳がせつつ、その言葉を口にした。
「……ちょっと、横になりたいから……布団、借りてもいい?」
我ながら、わざとらしい誘い方だったと思う。でも、ずっと考えていたことを実行に移すには、どうしても私が先手を取らなきゃいけなくて、だからちょっと強引にでも、その流れを作る必要があった。
ほんの少しだけ、
「……いいよ」
ほのかに色っぽく笑うと立ち上がり、壁際に畳んであった布団を板の間に敷く。
そして、妹紅に続いて立ち上がり、その隣へ歩み寄った私は、布団を敷き終えてこっちを見上げ、何かを口にしかけた彼女の肩を掴んで、そのまま布団に押し倒した。
「……あれ?」
きょとんとした顔で目をしばたたいた妹紅の表情が、すぐに苦笑に変わる。
「鈴仙ちゃん?」
「……兎はこう見えても、執念深いの」
特に抵抗するそぶりもない彼女の、腰の上へ馬乗りになり、シャツの襟に手をかけ、ゆっくりボタンを外していく。
「それに凶暴。相手を蹴り殺したり、喉笛を食いちぎることだってあるんだから」
「おっかないね」
はは、と小さく笑って片手が上がり、服を脱がせる私の腕を、軽く撫でるみたいに触る。
「やられっぱなしは性に合わない。だから……リベンジしてやろうかなって」
「うーん、どれに対して?」
そう問いながらにやにやと、きっとあの夜のことを思い出してる彼女の顔に、全部だよ、と心の中だけで呟いて、私はとりあえず、そのムカつく唇を奪ってやった。
「あんたって、意外とキレイにしてるよね」
使い古した、けれどもちゃんと洗われている布の上で横たわる彼女の裸体に、ついつい見入ってしまった私は、そのつるりと肌触りのいい胸元を、ごまかし半分に指先でなぞりながら、あの夜も少し思ったことを口にした。
「これでも毎日、水浴びはしてるもの。週に一度は、慧音のところで風呂も借りてる」
特に普段と変わらない調子で、薄く笑って言う彼女は、ちょっとばかり顔を横に向け、斜めに私を見つめている。その表情と、ほんのり赤らんで微妙に揺れている頬は、単に酒のせいなのかもしれないけれど、やっぱり一応は恥じらっているように私には見えて、それで余計にどきどきしてしまう。
浮浪者みたいな生活のくせに、いつでもこざっぱりとした印象なのは、気のせいじゃなかったということだ。たまに疲れているときとか、ついお風呂をサボってしまうこともある私のほうが、むしろずぼらなんじゃと思わされてしまう。ムカつく。そこまでしてるなら髪に櫛くらい入れればいいのに。入れなくても十分綺麗だけど。ムカつく。
あの夜は、なんだかとても逞しく感じたけれど、こうして改めて見る妹紅の身体は、すらりと細くて小さく、薄い。
肉感に乏しいそのディテールは、だけども決して貧相ではなく、華奢な骨格はしっかり筋肉に支えられ均整がとれていて、健康的にくびれたお腹から、そのせいでたぶん実際より大きめに見える腰への曲線が、妙に蠱惑的だった。
もちろん蓬莱人だから姫様たちと同じく、特に節制などしなくても、ボディラインが崩れたりはしないんだろうけど。ムカつく。そんなことを考えつつ、きめの細かなその表面に手を這わせていた私は、早くも少し後悔しかけていた。
リベンジしてやる、と意気込んで仕掛けてはみたものの、よく考えたらそのための目算が、さっぱり立っていなかったのだ。
なによりもまず、私が知っているのは、月の都で仕込まれた、月人のためのケアテクニックだ。シンプルで、クールで、事務的な。
それで妹紅を、あの夜の私のように、乱れさせることができるものだろうか? ……無理な気がする。っていうか月の性戯が地上のそれより激しいものなら、そもそも私はあんなになってない。
しかも当たり前なことに、ここは地上だ。月の都じゃない。つまり、あのころ使い慣れた、効率よくかつ節度ある快感を与えるための専用の道具たちや、それを補助する薬品のたぐいもないのだ。……師匠なら、もしかしたら持ってるかもしれないけど。どっちみちここにないんだから、どうしようもない。
「……鈴仙ちゃん?」
そんな私に、静かに呼びかける声が聞こえた。
おとなしく布団に横たわり、私を見上げる妹紅の顔には、なんだか心配してるみたいな表情が浮かんでいて、それが逆に私の覚悟を決めた。
やってやる。というか、やるしかないし。大丈夫、基本はちゃんとわかってる。そして思い出せ。あの夜、私自身がされたことを。そこに自分の知識と経験を乗せて、やりかえしてやればいいだけだ。
両手で妹紅の体の左右をつかみ、ゆっくりと撫で上げる。わき腹から、胸へ。持ち上げるように、何度も。弱すぎず、くすぐったくならないように。
吐息が漏れる。
まだ、感じてる、という風ではない。でも、心地よさそうな。
そうだ、焦ることなんかない。別に、月でしていたまんまだっていいんだ。
ただ、私の手で妹紅を、そこまで連れて行けるなら、それで。
だんだんと、吐息が色づいてくる。首筋へ、肩口へ、唇を落とし、舌を這わせる。酒を飲んだときの汗の、ほのかな甘さを纏った、妹紅の味。大きく口を開けて胸の頂上へかぶりつき、突起とその周辺を弱めに吸いながら、全体を舌で舐め上げる。もう片方の乳房は手で包んで、親指の付け根で先端を軽く絞るように。
「ん……」
妹紅の声が聞こえる。
妹紅が、私の手で、唇で、感じてる。
膝を入れて足を割り広げ、その根元へと手を伸ばす。
ゆっくりと、上下になぞる。手のひらで全体を、指で中心を、だんだん強く、深く。
指の付け根で、あの敏感な突起を押し倒すように、こすり上げるように。
温かい湿り気が沸いてくる。指が、手のひらが、濡れていく。
「あ……ぁ、っふ……」
声が漏れ出す間隔が、だんだん短くなる。
その音を吸いこむ私の耳が、気のせいかじんわりと火照ってくる。
そして、ぬかるむ肉の谷間をかきわけるように、私はそこへ指を伸ばした。
膨らんだ柔らかい襞を広げ、その中心を中指の先で探り、そのままじわりと力を込める。
「んんっ……!」
狭い。指一本がやっとの、小さな孔。
入り口を囲む、薄い襞の感触。
経験、ないんだ。
そのことにまた、ちょっとドキッとしながら、そこを傷つけないよう、替えた薬指の先を慎重に差しこみ、その中の少し質感が違うところをそっと叩いて、それで彼女が腰をくねらせる動きを確かめていた私の頭に、ふと、その疑問が浮かぶ。
経験がない?
……本当に、そうだろうか?
だってこいつは、蓬莱人だ。
不可逆の変化を拒絶する存在。だから、もしそういうことがあったとしても、すぐにそれは治ってしまうのだ。経験自体はあっても、何も不思議じゃない。
そう、すぐに治る。
それは、たとえば今、私がこの指で、そうしたとしても────
なに考えてんの、って声と。
やっちゃえ、って声が、同時に聞こえた。
やってしまえばいい。どうせ治るんだ。リベンジするって決めたじゃないか。やれることは、全部やってしまえ。もし怒ったって知るもんか。簡単なことだ。指をもう一本、無理やりにでもねじこんで、ちょっと力を込めるだけ。やっちゃえよ。それもすぐに治る。なんなら二度三度、そうしてやったっていい。永遠に変わらないこいつの、それでも今この一瞬だけでも、私の傷跡を、こいつに────
────でも結局、妹紅の中に埋められた私の指の数は、それ以上増えることはなくて。
ただその奥を探り、天井をなぞり、突起を指で転がし続ける私の耳に、
「……鈴仙」
少しかすれた細い声が、ぞわりと染み入ってきた。
口付けていた胸元からはっと顔を上げ、はずみで思わず指に力が入る。
その刺激でちょっと高い声を漏らし、身をよじった妹紅が、薄く薄く目を開いて、私を見る。
そしてまた、その唇が動く。
「鈴仙っ……」
何もされていない私の中が、ぎゅうっと熱くなった。
体をずらして覆いかぶさるように、その唇に顔を近づけ、軽くついばむ。
「……妹紅……」
ほんのり酒の匂いのする吐息を吸いながら、私も彼女の名を呼んでいた。
「あっ……ん……鈴、仙……」
「妹紅」
何度も、その名を呼ぶ。
何度も、自分の名が呼ばれる。
かく、かく、と妹紅の腰が動く間隔が、だんだん短くなって、私の手に自分からそこを押しつけるみたいに跳ねる。
そしてやがて、ひときわ荒く激しく響いた呼吸のあとに、きゅう、と子犬が喉を鳴らすような声がして、彼女は私の指をしめつけながら、宙に浮いた背中をしばらく震わせて、ややあってとろけるような声の混じった長い息と共に、とさりと布団の上へ落ちた。
イかせたんだ。
妹紅が、私の手でイッた。
「妹紅……」
吸い付くような熱いぬめりの中から、ゆっくりと指を引き抜き、ぐったりと横たわる妹紅の体を見下ろした私の中には、何か彼女のそれよりも熱いものが、泡立つ音を立てて渦巻いていた。
なんだろう。この気持ち。
月では、感じたことがない。
終わった後で、良かったよって、褒めてもらえて嬉しかったことは、何度もある。だけど。
これは、うまくやれたことの喜びじゃない。
褒められたときの高揚感でもない。
ただ、私の愛撫で妹紅が絶頂したという、本当にただ、その事実だけで。
どうしてこんなに、胸が高鳴って、目の奥が熱くなっているんだろう────
軽く眉を寄せて余韻に浸っている顔の、濡れた半開きの唇が、細かく酸素を取りこむ動きに合わせて、白く小ぶりな胸が上下し、可憐な突起を揺らしている。
思考が止まってしまったまま、そんな妹紅を見ているうちに、自分まで高まって小さく震えた私を、呼吸を整えながらゆっくり目を開けて見上げた彼女が、にやりと笑いつつ手を伸ばして捕まえて、そのまま引っ張られ、ひっくりかえされて布団に沈んだ兎は、やっぱり綺麗に丸焼きにされて、またしてもリベンジを誓うはめになった。