※この作品はR-18です。

傷跡   作:氷室雪美

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三 丸焼き


 

  私には散歩の習慣がある。

 

  日課、というほどではないけれど、そこそこの頻度で竹林や、その周辺を散歩する。理由のひとつは、運動のため。そしてもう一つは、あのとき妹紅に言われた通り、永遠亭にいるとつい疲れてしまう自分を、一人になって癒すためだ。もっとも、そっちの理由を自覚したのは、あいつに言われたからなんだけど。

 

  ともかく、私はいつものように散歩をしていただけで。

  だから、別にあいつを探してたわけじゃない。

 

  たまたま、あいつの小屋に近いところを通りかかって、ちょうどそこへ、たまたまあいつが通りかかっただけだ。

  それだけなのだ。

 

 

 

「やぁ」

 

  軽く手を上げて短い挨拶をする、何日かぶりに拝んだ妹紅の顔は、ぱっと見にはごく普通の、何事もなかったような表情だったけど、それでもほんの少しだけ、照れくさそうな笑顔が浮かんでいて、それでたぶん私も同じような顔をしながら、うつむきがちに手を上げて、どうも、とつぶやくみたいな返事をした。

 

  たまたま竹林の中で出会って挨拶をした……それだけだから、特に何か話すことがあるでもない。私はまた、散歩を再開した────その足の進む先が、たまたま妹紅の小屋の方向で、そして妹紅は自分の小屋に向かっているだけで……。そう、あくまで結果的に、並んで歩く格好になった。

 

  しばらく無言で歩いたところで、先に沈黙に耐えられなくなったのは、私のほうだった。

 

「あのお酒、あれからどうしたの?」

「一本ほどは、自分で飲んだ。栓を抜いてない一本は、まるごと慧音に渡してしまって、代わりに米と塩をもらった」

 

  ズボンのポケットに手を入れたまま、さくさくと足を進めながら言う。こいつの足運びはテンポが一定していて、耳に心地いい。粗野な印象とは裏腹に、姿勢が綺麗で、身のこなしは優雅だ。

 

「……最初からそうしとけばよかったんじゃないの?」

「礼品として受け取ったものを、即日なにかに代えてしまうのは、ちょっと気が引けるだろ」

「まあ、わからなくはないけど」

 

  そういうところも、意外と繊細なんだよなぁ。なんて思いながら、私は頭の中でごく簡単な計算をする。

  あの夜ふたりで飲んだのは、確か一本弱というところ。そこから、いま妹紅が言ったぶんを引くと……。

 

「だから、もうちょっとだけ、残ってる」

 

  私の考えを見透かしたように、その言葉が耳に滑りこんできた。

 

「……いや、真昼間から呑むとかないから」

「ほんの少しさ。一合もない。今日のうちには飲みきりたいとこだ」

「うーん……」

 

  乗りかかった舟ならぬ、飲みかけた酒を、誘いに乗って飲んでしまうべきかどうか、私は首をひねって悩む……フリをしていた。

  胸の中で、ちょっと大きく鳴っている音が、妹紅に聞こえてしまわないだろうか、なんて馬鹿げたことを心配しながら。

 

  小屋は、もうすぐそこだった。

 

 

 

 

 

 

 

  ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 

 

  妹紅の小屋の周りに、兎は寄りつかない。

 

  一応は対立する立場でもあるし、何よりてゐが、見つかったら丸焼きにされるぞ、と脅しているからだが……いや、違う違う。アレは兎の肉ではなかった。たぶん。そこは大丈夫だ、たぶん。

 

  とにかく、この竹林の情報網を構築している兎たちの目と耳が、届かない場所にその小屋はあって、それがあの日の幸運であり、そして今日の都合の良さでもあった。

 

 

 

  彼女の言ったとおり、残りの酒は少しばかりで、他愛のない世間話や愚痴の合間に、ゆっくりつまみを齧りながらでも、二人で飲めばすぐなくなった。

  それでも、十分ほろ酔いにはなった私は、事ここに至ってもまだちょっと迷っていた気持ちを、また酒の勢いを頼りに振り切って、視線をあさっての方へと泳がせつつ、その言葉を口にした。

 

「……ちょっと、横になりたいから……布団、借りてもいい?」

 

  我ながら、わざとらしい誘い方だったと思う。でも、ずっと考えていたことを実行に移すには、どうしても私が先手を取らなきゃいけなくて、だからちょっと強引にでも、その流れを作る必要があった。

 

  ほんの少しだけ、間(ま)があって。

 

「……いいよ」

 

  ほのかに色っぽく笑うと立ち上がり、壁際に畳んであった布団を板の間に敷く。

 

  そして、妹紅に続いて立ち上がり、その隣へ歩み寄った私は、布団を敷き終えてこっちを見上げ、何かを口にしかけた彼女の肩を掴んで、そのまま布団に押し倒した。

 

「……あれ?」

 

  きょとんとした顔で目をしばたたいた妹紅の表情が、すぐに苦笑に変わる。

 

「鈴仙ちゃん?」

「……兎はこう見えても、執念深いの」

 

  特に抵抗するそぶりもない彼女の、腰の上へ馬乗りになり、シャツの襟に手をかけ、ゆっくりボタンを外していく。

 

「それに凶暴。相手を蹴り殺したり、喉笛を食いちぎることだってあるんだから」

「おっかないね」

 

  はは、と小さく笑って片手が上がり、服を脱がせる私の腕を、軽く撫でるみたいに触る。

 

「やられっぱなしは性に合わない。だから……リベンジしてやろうかなって」

「うーん、どれに対して?」

 

  そう問いながらにやにやと、きっとあの夜のことを思い出してる彼女の顔に、全部だよ、と心の中だけで呟いて、私はとりあえず、そのムカつく唇を奪ってやった。

 

 

 

 

 

 

 

「あんたって、意外とキレイにしてるよね」

 

  使い古した、けれどもちゃんと洗われている布の上で横たわる彼女の裸体に、ついつい見入ってしまった私は、そのつるりと肌触りのいい胸元を、ごまかし半分に指先でなぞりながら、あの夜も少し思ったことを口にした。

 

「これでも毎日、水浴びはしてるもの。週に一度は、慧音のところで風呂も借りてる」

 

  特に普段と変わらない調子で、薄く笑って言う彼女は、ちょっとばかり顔を横に向け、斜めに私を見つめている。その表情と、ほんのり赤らんで微妙に揺れている頬は、単に酒のせいなのかもしれないけれど、やっぱり一応は恥じらっているように私には見えて、それで余計にどきどきしてしまう。

 

  浮浪者みたいな生活のくせに、いつでもこざっぱりとした印象なのは、気のせいじゃなかったということだ。たまに疲れているときとか、ついお風呂をサボってしまうこともある私のほうが、むしろずぼらなんじゃと思わされてしまう。ムカつく。そこまでしてるなら髪に櫛くらい入れればいいのに。入れなくても十分綺麗だけど。ムカつく。

 

  あの夜は、なんだかとても逞しく感じたけれど、こうして改めて見る妹紅の身体は、すらりと細くて小さく、薄い。

  肉感に乏しいそのディテールは、だけども決して貧相ではなく、華奢な骨格はしっかり筋肉に支えられ均整がとれていて、健康的にくびれたお腹から、そのせいでたぶん実際より大きめに見える腰への曲線が、妙に蠱惑的だった。

 

  もちろん蓬莱人だから姫様たちと同じく、特に節制などしなくても、ボディラインが崩れたりはしないんだろうけど。ムカつく。そんなことを考えつつ、きめの細かなその表面に手を這わせていた私は、早くも少し後悔しかけていた。

 

  リベンジしてやる、と意気込んで仕掛けてはみたものの、よく考えたらそのための目算が、さっぱり立っていなかったのだ。

 

  なによりもまず、私が知っているのは、月の都で仕込まれた、月人のためのケアテクニックだ。シンプルで、クールで、事務的な。

  それで妹紅を、あの夜の私のように、乱れさせることができるものだろうか? ……無理な気がする。っていうか月の性戯が地上のそれより激しいものなら、そもそも私はあんなになってない。

 

  しかも当たり前なことに、ここは地上だ。月の都じゃない。つまり、あのころ使い慣れた、効率よくかつ節度ある快感を与えるための専用の道具たちや、それを補助する薬品のたぐいもないのだ。……師匠なら、もしかしたら持ってるかもしれないけど。どっちみちここにないんだから、どうしようもない。

 

「……鈴仙ちゃん?」

 

  そんな私に、静かに呼びかける声が聞こえた。

  おとなしく布団に横たわり、私を見上げる妹紅の顔には、なんだか心配してるみたいな表情が浮かんでいて、それが逆に私の覚悟を決めた。

 

  やってやる。というか、やるしかないし。大丈夫、基本はちゃんとわかってる。そして思い出せ。あの夜、私自身がされたことを。そこに自分の知識と経験を乗せて、やりかえしてやればいいだけだ。

 

 

  両手で妹紅の体の左右をつかみ、ゆっくりと撫で上げる。わき腹から、胸へ。持ち上げるように、何度も。弱すぎず、くすぐったくならないように。

 

  吐息が漏れる。

  まだ、感じてる、という風ではない。でも、心地よさそうな。

 

  そうだ、焦ることなんかない。別に、月でしていたまんまだっていいんだ。

  ただ、私の手で妹紅を、そこまで連れて行けるなら、それで。

 

  だんだんと、吐息が色づいてくる。首筋へ、肩口へ、唇を落とし、舌を這わせる。酒を飲んだときの汗の、ほのかな甘さを纏った、妹紅の味。大きく口を開けて胸の頂上へかぶりつき、突起とその周辺を弱めに吸いながら、全体を舌で舐め上げる。もう片方の乳房は手で包んで、親指の付け根で先端を軽く絞るように。

 

「ん……」

 

  妹紅の声が聞こえる。

  妹紅が、私の手で、唇で、感じてる。

 

  膝を入れて足を割り広げ、その根元へと手を伸ばす。

 

  ゆっくりと、上下になぞる。手のひらで全体を、指で中心を、だんだん強く、深く。

  指の付け根で、あの敏感な突起を押し倒すように、こすり上げるように。

 

  温かい湿り気が沸いてくる。指が、手のひらが、濡れていく。

 

「あ……ぁ、っふ……」

 

  声が漏れ出す間隔が、だんだん短くなる。

  その音を吸いこむ私の耳が、気のせいかじんわりと火照ってくる。

 

  そして、ぬかるむ肉の谷間をかきわけるように、私はそこへ指を伸ばした。

  膨らんだ柔らかい襞を広げ、その中心を中指の先で探り、そのままじわりと力を込める。

 

「んんっ……!」

 

  狭い。指一本がやっとの、小さな孔。

  入り口を囲む、薄い襞の感触。

 

  経験、ないんだ。

 

  そのことにまた、ちょっとドキッとしながら、そこを傷つけないよう、替えた薬指の先を慎重に差しこみ、その中の少し質感が違うところをそっと叩いて、それで彼女が腰をくねらせる動きを確かめていた私の頭に、ふと、その疑問が浮かぶ。

 

 

  経験がない?

 

  ……本当に、そうだろうか?

 

  だってこいつは、蓬莱人だ。

  不可逆の変化を拒絶する存在。だから、もしそういうことがあったとしても、すぐにそれは治ってしまうのだ。経験自体はあっても、何も不思議じゃない。

 

  そう、すぐに治る。

  それは、たとえば今、私がこの指で、そうしたとしても────

 

 

 

  なに考えてんの、って声と。

  やっちゃえ、って声が、同時に聞こえた。

 

  やってしまえばいい。どうせ治るんだ。リベンジするって決めたじゃないか。やれることは、全部やってしまえ。もし怒ったって知るもんか。簡単なことだ。指をもう一本、無理やりにでもねじこんで、ちょっと力を込めるだけ。やっちゃえよ。それもすぐに治る。なんなら二度三度、そうしてやったっていい。永遠に変わらないこいつの、それでも今この一瞬だけでも、私の傷跡を、こいつに────

 

 

 

  ────でも結局、妹紅の中に埋められた私の指の数は、それ以上増えることはなくて。

 

  ただその奥を探り、天井をなぞり、突起を指で転がし続ける私の耳に、

 

「……鈴仙」

 

  少しかすれた細い声が、ぞわりと染み入ってきた。

 

  口付けていた胸元からはっと顔を上げ、はずみで思わず指に力が入る。

 

  その刺激でちょっと高い声を漏らし、身をよじった妹紅が、薄く薄く目を開いて、私を見る。

  そしてまた、その唇が動く。

 

「鈴仙っ……」

 

  何もされていない私の中が、ぎゅうっと熱くなった。

 

  体をずらして覆いかぶさるように、その唇に顔を近づけ、軽くついばむ。

 

「……妹紅……」

 

  ほんのり酒の匂いのする吐息を吸いながら、私も彼女の名を呼んでいた。

 

「あっ……ん……鈴、仙……」

「妹紅」

 

  何度も、その名を呼ぶ。

  何度も、自分の名が呼ばれる。

 

  かく、かく、と妹紅の腰が動く間隔が、だんだん短くなって、私の手に自分からそこを押しつけるみたいに跳ねる。

 

  そしてやがて、ひときわ荒く激しく響いた呼吸のあとに、きゅう、と子犬が喉を鳴らすような声がして、彼女は私の指をしめつけながら、宙に浮いた背中をしばらく震わせて、ややあってとろけるような声の混じった長い息と共に、とさりと布団の上へ落ちた。

 

  イかせたんだ。

 

  妹紅が、私の手でイッた。

 

「妹紅……」

 

  吸い付くような熱いぬめりの中から、ゆっくりと指を引き抜き、ぐったりと横たわる妹紅の体を見下ろした私の中には、何か彼女のそれよりも熱いものが、泡立つ音を立てて渦巻いていた。

 

 

  なんだろう。この気持ち。

  月では、感じたことがない。

 

  終わった後で、良かったよって、褒めてもらえて嬉しかったことは、何度もある。だけど。

 

  これは、うまくやれたことの喜びじゃない。

  褒められたときの高揚感でもない。

 

  ただ、私の愛撫で妹紅が絶頂したという、本当にただ、その事実だけで。

  どうしてこんなに、胸が高鳴って、目の奥が熱くなっているんだろう────

 

 

  軽く眉を寄せて余韻に浸っている顔の、濡れた半開きの唇が、細かく酸素を取りこむ動きに合わせて、白く小ぶりな胸が上下し、可憐な突起を揺らしている。

 

  思考が止まってしまったまま、そんな妹紅を見ているうちに、自分まで高まって小さく震えた私を、呼吸を整えながらゆっくり目を開けて見上げた彼女が、にやりと笑いつつ手を伸ばして捕まえて、そのまま引っ張られ、ひっくりかえされて布団に沈んだ兎は、やっぱり綺麗に丸焼きにされて、またしてもリベンジを誓うはめになった。

 


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