結局、それを言えないまま、私たちの関係は続いた。
梅雨を過ぎ、盛夏となって、ちょっと大きな異変が片付き、そろそろ秋の気配もするかという頃になっても、私はそれを保留し続けていた。だから、その関係も変わらなかった────色々と慣れて、遠慮がなくなったことは、たくさんあるけれど。
もう本当に、このままずっと、私以外の誰か、あるいは何かによって、二人の秘密が壊されるまで、このぬるくて甘い水に浮かんでいてもいいんじゃないか。そんな風に思うようにもなっていた。
そんなある日のことだった。
いつものように、薬の行商に出かける日。
そして、妹紅の小屋に寄ると決めていた日の朝。
荷物をチェックし、何かお菓子でも買っていこうかな、などとほんのり浮かれ気分で、少し多めの小遣いを財布に入れた私の背後から、鈴が転がるような声がした。
「イナバ」
振り向いた先には、声でわかっていたとおり、姫が立っていた。
「はい、なんでしょう?」
お使いでも命じられるだろうか。そう思いながらその笑顔を見つめ、次の言葉を待った私の頭に、それが刺さった。
イナバ?
そうだ。確かに姫は私をそう呼んだ────呼んでいた。昔は。
他のイナバたちと区別せず。
でも、今は、ちゃんと、
「鈴仙がね」
そう、ちゃんと鈴仙と名前で
鈴仙がね?
「最近、夜毎どこかへ出かけているみたいなんだけど」
腹の底で、なにかがぐにゃりと蠢いた。
「どこに行っているのか、知らない?」
脳髄が凍る。
体の芯が、冷えていく。
反対に身の表面は、沸き立つように熱くなり、そのねっとりとした黒い水が、ざわざわ、ぞくぞくと、肉を、皮を震わせながら、全身に溢れだしてくる。
眼球のまわりが、じりじりと痛い。
棘の生えた棒で心臓を叩かれる音が、耳の奥に小さく、すぐに大きく響きはじめ、やがて聞き取りがたい雑音となって、私の周囲を覆っていく。
姫は、ただにこにこと笑って、私の前に立っている。
その姿はいつもと変わらず、一片の曇りもなく麗しく、笑みは優しく、穏やかで。
だけど、目が。
大きく美しい、その黒い瞳が。
あの、すべてを死に誘う亡霊のような、底知れない闇の色に見えた。
「知りません」
その時の私の頭には、一体なんて答えるべきだろうか、なんて姑息な考えを巡らす余地も、何もなかったように思う。
尻の下から、顎の先まで、ぐらぐらがたがたと揺れる私の中身が、互いにぶつかりあい、弾かれあい、砕けて乱雑に跳ね返りあったあげくに、はずみで口から飛び出した言葉が、それだっただけだ。
実際の発音は、
っひししぃりましぇンッ
みたいなものだった気がする。
「そう」
それだけ言って、まったく変わらぬ笑みを浮かべたまま、ゆっくりと私に背を向け、姫は部屋を出ていった。
さっきから腹の中でぐるぐる暴れまわっている何かが、いよいよ口から這い出してこようとするのを、歯をくいしばって抑えつけながら、私はトイレに駆けこんだ。
下着が、ぐっしょりと濡れていた。
それを恥ずかしいとか、情けないとか思う余裕すら、私にはなかった。
ただ、この身のうちに渦巻く穢れが、頭蓋の底を突き破って脳を汚染する前に、その全てを汁として、あるいは音として、顔の穴という穴から搾り出そうと必死だった。
◆ ◆ ◆
抜け殻のように、あるいは死人のように、私は数日を過ごした。
もしかしたら、数十日か、数ヶ月だったかもしれない。そんなこともよくわからないまま、ただ後悔と喪失感に震えながら、私は独り生きていた。
毎夜、姫は私を膝に誘った。
何も言えず、逆らえもせず、ただその上で固まっている私の頭を、やはり何も言わずに姫は撫でつづけた。
お前の主人は私だ────と、じっくり刷りこもうとしているみたいな、その優しくて温かい手が、だからとても恐ろしくて、そこから開放されてもなお、朝の光がわずかに表面を融かしてくれるまで、凍った兎は布団の上で、じっと転がっているしかできなかった。
てゐは最初のころ、柄にもなく心配しているような顔で、幾度か私に声をかけてきた。一方で、それに返事もせずに背を向け逃げだす私を、あえて追いかけてくることはなかった。
やがてその話しかけもなくなり、けれど屋敷のどこにいても、ちらりちらりと遠くにその姿があって、そうしてずっと私を見ているらしかった。その決して不快ではない視線から、けれどもふと離れたくなるたびに、私はふらふらと足の向くまま、狭いほうへ暗いほうへと、屋敷の中をさまよっていた。
師匠は、やっぱり何も言わなかった。
特に態度が変わるようなこともなかった。ただ、もう行商はしなくていい、と言われた。それが師匠の判断なのか、姫からの指示なのかはわからないけど、とにかく私は言われたとおりにした────つまり、私が永遠亭から出ることは、完全になくなった。日々の散歩や宴会になど、もちろん行けるはずもなく。
そして妹紅も、ここにやってくることは、一度もなかった。
わかっていたはずなのに。
遅かれ早かれ、どんな形であれ、二人の関係が終わってしまうことは。
それが、こんな最悪の形になってしまったのはきっと、その真理の苦しさから目をそらし続け、ありえない夢想に酔っていた私のせいなのだ。
だから、この結果を受け入れるしかない。そして忘れるしかないんだ。あの心地よさと、暖かさと、喜びと切なさに満ちた日々のすべてを────
大丈夫だ。忘れられる。
永遠に続く痛みなんてない。
決して許されない罪なんてない。
ほんの少しずつでも、この傷が癒え、過ちが過去へと遠ざかり、そしていつか何でもない笑い話として、姫と、みんなと、そして妹紅とも、普通に話せるときが来る。
そう信じて私はその日まで、ただの一匹の兎になることを決めた。
────そのはずなのに。
◆ ◆ ◆
静かな夜だった。
風もない竹薮の片隅に、静寂が満ちていた。
少し開けた高い梢の上から、顔を出した満月が、あたりを明るく照らしている、その下で。
「久しぶりだね、鈴仙ちゃん」
後ろから抱きしめられ、カラカラに乾いた喉で、あえぐようにかすれた息を鳴らす私の耳元で、その声が響いた。
私はなぜ、ここにいるのか。
どうして今、妹紅の腕の中で、身動きもできず、竹林に立ち尽くしているのか────
あの庭師が悪いのだ。
外部との一切の関係を、まったく突然に絶ってしまった私を心配して──そう、心配してだ。そこに悪意がないことはわかってる。彼女一人だけの心配ではないことも。そしてそれ自体は、とても嬉しくもあったのだ。でも、その心配の言葉と共に、強引に押し通してきたそれは、やっぱりとんでもなく大きなお世話だった。
ちょっと顔を見せるだけ、すぐ戻ります。そんなうわずった言葉を師匠に託した私を、彼女は引きずるようにして、神社の宴会に連れ出した。
いつもの面々の多くが、私のことを心配していた。
勘のよさそうな、あるいは特に長く生きていそうな者たちは、おおよその事情を察しているようだった。それ以外のうちの何人かは、なんとかその事情を私から聞き出そうと、いくつもの質問をぶつけてきた。そのいくつかをはぐらかし、いくつかは明確に回答を拒否して、それでも私は皆に礼を言い、何も入りそうにない胃にほんの少しばかりの酒を流しこんだあと、大丈夫だから、心配しないで、という言葉と作り笑いを残して、早々に宴を後にした。
決して捕まってはいけない相手に、当然のように捕まってしまったのは、その帰り道だった。
「離して」
何秒かのあと、ようやくのことで震え声を絞り出した私の体を、がっしりと捕まえている二本の腕は、しかしまったく緩む気配がなかった。
「お願い、離して」
もう一度、繰りかえす。それでもやはり解けない腕の主が返してきた言葉は、了解でも、拒否でもなかった。
「輝夜にバレた?」
妹紅はわかってる。知っている。当然だ。ちょっと考えれば、すぐにわかること。
すべてわかっていて今、あえてそれを問い、そして私を捕まえ続けている。
「……わかってるなら、離して!」
そんな彼女に、私はなお、それを繰りかえすしかできない。
離してくれないと、わかっていながら。
「いいじゃん、別に」
いいわけがない。何も良くない。
「輝夜がどう思ったって、知ったことじゃない」
駄目だ。無理だ。あんたはよくても、私には。
私は永遠亭の兎なのだから。
「鈴仙」
呼ばないで。
私を呼ばないで。
ことここに至ってすら、心臓と脳を甘く揉みほぐす、その麻薬のような声で、私の名を。
「鈴仙は、もう私としたくないの?」
やめて。聞かないで。
答えられない質問をしないで。お願いだから。
そして、動かないで。
動くな、私の喉。私の口。私の舌。
「妹紅は」
やめろ。駄目だ。
それを聞いては駄目。
「妹紅は、私を、抱きたいの?」
「うん」
……妹紅が、私を求めている。
永遠の存在が、一瞬にすぎない私を求めて、抱きしめている。
妹紅は、私を────
でも、駄目だ。
もう駄目だ。終わったのだ。終わらせなければいけないのだ、この関係を。
私は永遠亭に戻らなければならない。絶対に。
そう、絶対に……。
……なのに。
どうして、私は動けないのだろう。
どうして、今すぐ逃げ出さないのだろう。
どうして、振りほどこうとすることすら、できないのだろう。
どうして?
────そんなの、わかってるくせに。
だいたい、どうして途中で宴会から抜けた?
あとで師匠に叱られようが、前後不覚になるまで呑んで、朝まで神社でつぶれていればよかったのに。
あるいはそもそも最初から、肩が抜けそうなほど腕を引っ張られようと、彼女を殴り飛ばしてでも、柱にかじりついてでも断固として、永遠亭から出なければよかったのに。
そして、そのどちらもができなかったとしても────この竹林を駆け抜ける間、全力で隠密していれば、それで済んだはずなのに。
断れなくて? うっかり? 空きっ腹に入れた酒のせい?
ありえない。馬鹿でもわかる、幼稚すぎる嘘。
こうなることを、望んでたくせに。
このまま、私を抱きしめたまま、彼女の小屋へ引きずりこんで、竹林じゅうに響くほど鳴き狂わせてほしいと、そう願っているくせに。
いやむしろ、もっともっと遠い、ここではないどこか、誰も知らない彼方へと、さらって行ってほしいとすら思っているくせに。
そして、そこまでわかっていながらなお、自分からそこへ落ちていくこともできないなんて、本当にどうしようもなく、私は────
「離れなさい」
月から声が降ってきた。
「────!!」
「おっと」
喉に空気のかたまりを詰まらせた私が、そして妹紅が仰いだ夜空に、人型の影が浮いていた。
静やかに、月光の上を滑り降りるように、それが私の三歩前へと降り立つ。
「輝夜……様……」
「帰りましょう、鈴仙。さあ」
金の
私には、その口元しか見えなかった。いや、見なかった。見たくなかった。視線をその一点に集中し、それ以外のすべて、その口元の上にあるはずの黒い宝石を、ピントの外へ、眼球の乾きに歪んだノイズの中へ、必死で押し隠していた。
「鈴仙ちゃんは、帰りたくないってさ」
「……さあ、鈴仙」
からかうような妹紅の言葉を無視して、姫はなお私に呼びかける。
「無理な要求で人を困らせるのが、本当に好きだなぁ、お前は」
その言葉に続く笑い声が、響くか響かないかの一瞬。
妹紅の足が地面を蹴り、私ごと真横へ飛ぶのと同時に、何かがそのすぐ脇で閃いた。
向き直った、いや後ろから抱かれたまま向き直らされた先、たった今まで私と妹紅がいた場所には、瞬間移動したように姫が立っていて、そして二、三片の白い布が、ぱさりと地面の上に落ちた。
一辺だけが異様に滑らかに断ち切られた、妹紅の袖の切れ端だった。
依然、流麗な弧を描いたままのその唇が、ゆっくりとこちらを向き、そしてまた言葉を紡ぐ。
「もう一度だけ言う。鈴仙を離しなさい」
「嫌だと言ったら?」
直後。
姫の手元が
妹紅が私を突き飛ばしたのだと分かったのは、地面に倒れた半秒後だった。
「危ないなぁ。鈴仙ちゃんに当たっちゃったら、どうするんだ?」
あわてて咳きこみながら上半身を起こして見た先で、服のあちこちを焦がした妹紅の右腕が、ボロボロの炭と化していた。
真っ白い灰になった、おそらく呪符だったものが、その指先ごと崩れて落ちると共に、炭が更にひび割れ、砕けながら燃え散った後には、いつもどおりの妹紅の腕がついていた。
「流石に、そこまで愚かじゃないと思ってるもの」
眉すら動かさず、うっすら笑ってそう言う、姫の横顔。
「だけど性根は昔から、なんにも変わっていないよね。他人のものを掠め取る盗人。本当に手癖が悪いったら」
「三つ子の魂百までって言うしな。でもいつだって、本当に欲しいものはそれじゃない」
もう一つの横顔が、こちらはにやりと強く笑って一歩、鼻を突き出すように前へ出た。
「なあ輝夜。お前、羨ましいんじゃないのか?」
「羨ましい? 誰が?」
「鈴仙がさ」
姫の顔から、微笑が消えた。
凪いでいたはずの風が、ざわりと梢を揺らす。
「……何故?」
「鈴仙が私に抱かれたことが、羨ましいんじゃないかって言ってるんだよ」
永い沈黙が落ちた。
それが本当に永かったのかどうかは、わからない。
ただ、私の胸の奥で、そして頭の中で徐々に大きくなった、鈍く不気味な音が、数え切れないほど繰り返されて、夏の月夜を埋め尽くしたように、私には思えた。
「頭がおかしくなったの?」
「おかしくなってないとでも思ってたのか?」
ややあって低く響いた姫の言葉に、妹紅は天まで届けとばかり、高らかに笑った。
「脱げよ、輝夜」
「……何を言っているの?」
「私に抱いて欲しいなら、この場で服を脱いで、裸になって、抱いてくださいって私を誘っ」
月をも欠きそうな閃光と共に、妹紅の上半身が吹き飛んだ。
腰から下だけになったその残骸が、すぐさま燃え上がる。
炎は一気に火勢を増して、竹の梢を焦がす火柱が、星空にまで吹き上がる。
「あー……
炎の中から、声がした。
「ああ、痛い、痛かったな……久しぶり、だったなぁ」
生まれ変わった不死鳥が、そこに立っていた。
熱風に舞い上がる呪符が体を覆い、その服までをも再生させる。
「……最近、少し心地よすぎた。のんびりとぬるま湯に揺られて、崩れかけていた。……私が、私でなくなりかけていた」
炎を纏って姫を見据える妹紅は、私がいつか見たことのある顔をしていた。
もうずっと前、姫と殺し合いをしていたときの、憎悪と、狂気と、歓喜に満ちた顔。
「ああ、痛い、痛いなぁ。熱いなぁ……憎いなぁ。
憎い。憎い。憎い。憎い。憎い憎い憎い憎い」
呪文のように繰りかえされる言葉を、黙って聞いている姫は、私が見たことのない顔をしていた。
感情の何もかもを失ったような、白く美しく、滑らかな石の仮面。
「なあ、輝夜」
だけど、その、妹紅の一言で。
「私が、なんでお前を憎むのか、教えてやろうか」
白磁の仮面に、ひびが入ったように見えた。
「……知ってる」
「そうか? 思い違いかも知れないぞ。その理由はな」
「言わなくていい」
「単純な話なんだ。私は」
「言うなっっっ!!」
その夜を裂く悲痛な叫びも、私が始めて聞く声だった。
いっそうに吊り上がった妹紅の口が、答えを吐いた。
「私は、お前が憎いから、憎いのさ」
静かだった。
虫の鳴く音。風に梢の揺れる音。妹紅のまわりの草が竹が、ちりちりと焦げて燃える音。
そして何より、私の心臓の音。
それらの音が、まるで本当は存在していないみたいな、凍りついた夜の静寂が、ここに満ちていた。
「憎い。私はお前が憎い。藤原妹紅は、蓬莱山輝夜が憎い。ただそれだけだ。他はもう、ぜんぶ燃えてしまって、何もない。私という現象に刻みこまれた、再生し続ける永劫の定理」
場違いなほどに浪々と、陽気にさえ聞こえる妹紅の声も、まるでどこか別の世界から、この夜に響いてきているようだった。
「私は、私が私であるために、憎み続ける。いつか永琳の言う因果の果て、世界のすべてが
そんな妹紅を見つめる姫は、また、私が見たことのない顔をしていた。
頬に、涙が流れていた。
嗚咽のひとかけらもなく、眉も唇も動かすことなく、ただ涙を流す姫の姿は、やはり世界のあらゆる美を集めたように美しくて、だからそれは、まったく同じだけ悲しく見えた。
「安心しろよ、輝夜」
なおも言葉を続ける妹紅の顔は、さっきから変わらず、嬉しそうに憎しみをたたえた鬼女のそれだった。
「私は変わらない。お前も変わらない。
私とお前の関係は、絶対に変わらない。
誰にも変えることはできない……だから安心して、絶望しろ。私のように」
だけど、やはり私の目には、妹紅も泣いているように見えた。
やがて、止まることなく涙を流す姫の体が、ゆっくりと後ろを向いて。
「ごめんね、鈴仙」
永遠亭のほうへと去ってゆく、その間際に聞こえた謝意が、いったい何についてのものだったのか、私にはよくわからなかった。
燃え盛っていた炎は、いつしか消えていた。
ただ、今更にひどく鼻をつく焦げ臭さだけが、その憎悪の激しさの名残として、静寂の中に漂っていた。
満月の下に浮かぶ妹紅のシルエットは、ぼんやりとしてよく見えなかったけれど、たぶんいつもの、なんでもないような表情のその横顔が、ふと口を開いた。
「うち、来る?」
「行かない」
「そっか。じゃ、おやすみ」
その声も、本当にまったくいつもと変わらぬ妹紅の声だった。
「一つだけ、答えて」
背を向け、去って行こうとする彼女を、そう言って私は呼び止めた。
「あんたは、姫を挑発するために、私を抱いたの?」
少し長い沈黙の後、背を向けたまま彼女は答えた。
「……ああ、そうだな。そんな目論見も、少しはあったかもしれない……。いや、あったよ、確かに。最初に君にちょっかいを掛けた動機は、間違いなくそれだったと思う」
誰か知らない人が、知らない誰かに語りかけるような、淡々とした声が、星空の下に響く。
「さっき言ったとおりさ。あの暖かい陽だまりの中で干され、乾いて崩れてゆく日々に耐えられなくなって、それをぶち壊し、再生するために、私は自分だけの勝手な都合で、君のすべてを利用した」
満月の光を見上げながら、ポケットに両手をつっこんで、微動だにせず立つ背中は黒々として、その姿からも声からも、彼女の表情を伺い知ることはできなかった。
「そして同時に、確かに私は君に夢中になった。それも嘘じゃない。……信じるかどうかは、君次第だけど」
「だけど、あんたは」
聞いたことのない汚くしわがれた声が、私の喉から響く。
「私を抱いている間すら、姫を憎んでいたんでしょ」
「ああ」
全身の力を込めて地面を蹴り、月光の中に跳ね上がった私は、突き飛ばすように彼女を振り向かせながら、勢いのまま襟元を掴んで、後ろの竹にその背中を叩きつけた。
「鈴仙ちゃん?」
呆けた顔でそう言って、私を見つめた瞳は、穏やかで、静かで、濁って、乾ききっていた。
「言ったよね。兎はこう見えて、執念深いって。喉笛を食いちぎることもあるって」
左手で握りしめた襟の下、首元に右手の指を突っこんで、ありったけの力で引き降ろす。
ぶちぶちと、布と糸と私の皮膚が切れる音がして、シャツのボタンが弾け飛んだ。
「あんたが、姫へのあてつけに私を抱いたっていうんなら。
私も、あてつけにあんたを抱いてやる」
「誰への?」
その問いには答えず、襟を掴んだまま足を払って、竹の葉の積もった地面の上に押し倒す。
「泣くなよ、鈴仙」
深い虚無の瞳で私を見上げながら、あまりにも優しく、哀しい笑顔を浮かべた彼女の服を剥ぎ、私はその白い首筋に噛みついた。
この人は、永遠。
数限りなく交わりながらも、どこまでも重なり合うことはない、もう一つの波と、果てしなくもつれ合い続ける、憎しみの三角関数。
私は一瞬。
二つの波の無数の交点の、そのたった一箇所に、たまさか存在しただけの、何の意味もない座標。
だけどもしも、決して途切れぬはずの波の、ただ一
その傷跡は、永遠になれるだろうか。