大混乱の査問委員会を切り抜けた秋月暁年は、説明を求める部下や、同僚の課長達に呼び止められるのを全て振り払い、明日までに行う最低限の指示を出すと開発部第三課を飛び出すように後にしていた。満司とのセックスバトルまでの時間が迫っている。せめて自宅に戻り、シャワーぐらいは浴びてリフレッシュしておきたかった。今やM商事本社は大騒ぎに陥り、あらゆる社員が怒号を上げながら対応に追われている。暁年はそれを横目にM商事社内の廊下を急ぎ足で歩いていると目の前にM商事会長・三坂重吾が立っていた。
「少し時間をくれんかね?」
----------
M商事・会長室に入るのは初めてだった。社長室より小ぶりな部屋であったが、調度品は芸術の域に達しており、いったいどれほどの価値があるのか暁年では想像すらつかなかった。
「一連の件、大変申し訳なかった」
部屋に入るなり、三坂はそう言って最敬礼に近い詫びを入れていた。さらに土下座しそうになる三坂を何とか押しとどめる。
「・・・・・・・・」
何も言い返す言葉が見当たらなかった。ただその真摯な謝罪に心を打たれていた。
「私は君が苦境に陥りながらも、何もしてあげることが出来なかった」
暁年は急な謝罪に恐縮するばかりであった。
「いえいえ・・・私を自由に動かしてくれたこと。それだけで私は感謝しています」
「私はね・・この会社が硬直した状態で少しづつ腐っていくことを実感しながら・・・手をこまねいて何もできないままになっていた。もし、このまま林や金本をのさばらせていたら、我が社は悪の走狗と化していただろう。君のような男がいなかったらと思うとゾッとする」
その表情には、自身の悔恨とも、林や金本への憎悪ともつかぬ微妙な感情が混じっていた。
「きっと我社は、そのような試練を100年以上にわたって乗り越え、修正してきたんだと思います。基本は同じです。経世済民・・・世の中を治め、人民を救う・・・それを忘れた時、我々は悪の走狗と化すのです。」
「有難う。そんな事を言う奴はめっきりと減ってな・・・」
そう言いながら会長室から展望できる都心の夜景を、遠い表情を浮かべながら見つめている。その顔にはかつて「M商事きっての鬼大将」と言われた三坂重吾の面影が残っている。そして、ふと思いついたように暁年に向き直る。
「そうだ・・・何か君の望むことは無いかね?出世したいか?給料をアップしてもらいたいか?」
まるで孫にご褒美を上げる好々爺のような物言いに、暁年は苦笑する。そして・・・その真意に思い至り表情を改める。
「それではお願いがあります」
「宜しい。何でもいいたまえ」
「会長を絶対にやめないでください」
「・・・・・・」
三坂はハッとして自分のディスクを振り返る。書きかけの辞表が机の上に置いてあるが、秋月からは見えないはずだ。
「気が付いていたのかね?」
「もし責任を感じて辞任される事を考えていらっしゃるなら・・・大間違いです。私の願いはそれだけです」
「・・・・・・」
「三坂会長。あなたが今止めたらこの会社はもっと酷い事になる。どうか会長職にとどまって下さい」
そう言うと今度は暁年が最敬礼に近いお辞儀を返す。
「それでは私は帰ります」
「君は今日・・・随分と急いでいるようだが?」
先ほどからそわそわとする暁年を見て、興味本位でつい聞いてしまう。
「実は経世済民をしなければいけない一家がありまして」
「ふふっ・・君らしい言い方だな。勝算はあるのか?」
「それが2%だけなのだそうです」
「ふむ・・・わしだったら絶対にせんな」
「会長をなさっているなら当然です。ですが私は課長です。課長には十分高い数値なのです。0でなければ」
「・・・うらやましいな」
「だから、絶対にやめないでください」
大河原から聞いていたがこの男は本当に面白い。急いでいることは分かっていたが、どうしても聞いておきたかった。
「君のその強さは一体どこから来るのかね?」
「実は家内や、息子や、その恋人や、二重人格の娼婦や、探偵や、物理学者や、私に関わってしまった人々から、なぜか同じようにそう言われました。「救ってやれ」と、「きっと勝てる」と・・・私を買いかぶっているのでしょう。でもそれが私の原動力です。私は自分では何もできない男なんです」
「じゃあ私からも言わせてもらおう」
「はい?」
「大丈夫・・・君なら勝てる、救ってやりなさい」
「・・・・・・」
暁年は深々とお辞儀をすると、さっと会長室を辞去していた。
ビリビリッ・・・
疾風の様にいなくなった暁年を見送りながら、三坂は書きかけの辞表を破り捨てていた。
「あのような男がいれば、まだ何とかなるのかもしれん・・・」
----
暁年が会長室の外に出た途端、待ち構えていたように何人かの部下が暁年の指示を仰ぎに来ていた。その指示を細かく出している間に、さらに時間をとられていった。暁年が何とかM商事本社の社屋を出たのは予定よりも随分と遅くなっていた。
「遅い!遅い!」
社屋の外に出た途端、ミニクーパーに乗った暁人に声を掛けられた。中には、鈴木一之介とプールナーナンダが乗っている。
「良かった綾乃ちゃんは一緒じゃないね・・・流石に彼女には見られたくないよ」
「最後までついてくるって聞かなかったんですよ」
一之介がそう言いながら、ドアを開けてくれる。
「さあ、行きますよ。残念ですがお家によって着替える時間もありません。それでも10分以上遅刻しそうです。」
一之介は暁年が乗り込むと同時に猛烈な勢いでクルマを走らせ始める。
「でも綾乃ちゃん・・よく引き下がったね?」
暁年はミニの強烈な振動に揺さぶられながら、舌をかまないように暁人に尋ねる。
「「変態暁人!」ってめちゃめちゃ殴られて大変だったんだから。スマホで逐一連絡は取るようにします」
「それに、綾乃ちゃんはまだ18歳以下だから、どっちにしろ未成年は入れない・・・ってことが分かって」
そうこうするうちに、一之介のミニクーパーは歓楽街の最深部、SMクラブ「J-POP」の地下駐車場に呑み込まれるように入っていった。プールナーナンダは自動車の中では終始無言で、SMクラブに入ってからは更に苦虫を噛み潰したような渋面に変わっていた。ショー開始予定時刻を5分ほど過ぎていた。
---------------
SMクラブ「J-POP」に入った途端、駐車場で待ち構えていた支配人から急いで会場入りするように伝えられた。
「ショースタートの30分前にはお越しいただかないと困りますよ。すでに三好満司様と三好唯子様は出場者控室でお待ちです。秋月様も普通なら出演者控室に行って頂くのですが・・・もう時間がありません。お着替やメークの必要がなければそのまま会場に行っていただきたいのですがどうでしょ?」
「三好唯子・・・?」
暁人がそう言って食ってかかろうとするのを、暁年が押しとどめる。時計を見ると既にショー開始時刻を少し回っている。かといって、着替えがある訳でもない。
「一之介さん・・・今さらなんだが・・・どんな格好で出たらいいのだろう?・・・それよりメークって?」
プールナーナンダを除く全員で顔を見合わせる。よく考えると何の用意も、何の作戦も、いや・・・今日の段どりすらも、一之介以外は把握していない。
「一之介さん・・・今日はどんな段取りになっているんです?」
改めて暁年が尋ねる。暁人が呆れたように暁年を振り返る。
「お父さん・・・そんなことも分からずここまで来ちゃったの?そもそもセックスバトルってどんなことするの?勝ち負けってどう判断するの?」
暁年と一之介を交互に見ながら訪ねる。
「いや私も・・・勢いで認めちゃったけど・・・実はあんまり良くは・・・」
暁年も一之介に、もの問いたげな視線を向けている。
「多分・・・それを詳しく説明したら・・・お父さん出なくなるだろ?」
「ひっ!・・・・・・・・・・・・」
「え?・・・・・・・・・・・・・」
そう言っている間に4人はSMショーの特設会場の入り口まで来てしまっている。
「ああっ・・・だめだめ・・・これをつけて」
一之介が急いで3人にアイマスクを配り始める。暁年と暁人はそれが何を意味するかようやく気が付き始める。そして、自分たちがどんな場面に遭遇しているのかを改めて痛感していく。
(顔を出せない程の・・・恥ずかしい場所・・・恥ずかしい行為・・・)
暁人がプールナーナンダにアイマスクを手渡ししようとすると
「わしにはそのようなものはいらん・・・」
先ほどから渋面のプールナーナンダの顔色はさらに悪くなり、アイマスクを跳ね除けようとする手が空振りして弧を描くだけだった。暁人がプールナーナンダにアイマスクを付け終わる頃には、今にもへたり込みそうな様子になっている。
「プールナーナンダさん・・・師匠・・・大丈夫ですか?」
「触るでない・・・穢れに・・・中(あ)てられているだけじゃ」
そう言いつつも、暁人にもたれかかってきたのはプールナーナンダの方だった。一人では到底歩けない様子に暁人は驚きながら、プールナーナンダをしっかりと支えながら歩き始める。竦み上がって何も出来そうにない暁年、頼みの綱のプールナーナンダも急に様子のおかしくなり始めた・・・。一之介はもしもの時のために用意したプランBに頼らざるを得ない状況になりつつある事態に焦りを隠せなかった。
(及川のやつ上手くやっているよな・・・)
こうして4人は、怯え、フラフラになりながら会場に入っていった。
-----------------------
アイマスクを付けた4人の目の前に、煌々とステージライトに照らされたストリップ用のステージが浮かび上がる。
「・・・・・・」
会場となる薄暗いホールは、ストリップ専用の特設ステージだけがステージライトで照らされ、暗さに慣れていない目では観客席すら良く見ることが出来ない。直径数メートルの円形の張り出しが数か所に設置してあるストリップ用の特別ステージには、ポールダンス用の柱やSMショー用の磔台、天井から吊り下げられた滑車やロープが垂れ下がり、背後の壁には大きな鏡が何面も置かれてステージ上に死角が生じないようになっている。
通常の舞台と違い、ステージの高さは1mもなく、円形の張り出しを含めても十数人が登壇すればいっぱいになる程度の大きさだった。そのステージを取り囲むように、同じようなアイマスクを付けた数十人の観客が、グラスや煙草を手にショーの開始を興味津々の体で待っている。会場内の空気は煙草の紫煙が立ち込め、くぐもって淀んだ空気は独特の臭気を湛えている。
「・・・すさまじい穢れじゃ・・・」
そう言ったきり、プールナーナンダは辛そうに眼を閉じ、暁人に支えられないと今や立っている事すらままならない。ステージライトにやっと目が慣れた一行は「挑戦者」とかかれた紙の貼ってある青い色をしたセコンド(second)席に向かい始める。その時、パッと一行に強烈なスポットライトが当たる。
「皆様お待ちかね!本日のメインイベント!・・・無謀にも、あの伝説の調教師・三好満司に戦いを挑みます。チーム「MRO」所属・ファイターは「課長マン」~!」
ステージに躍り出たMCがそう言って一行を紹介する。いきなりスポットライトを浴びた一行は緊張のあまり竦み上がって、その場で凍り付く。
「なんだ・・・ド素人か?」
「ネクタイにスーツ姿って舐めすぎだろう?」
観客席から早くもヤジが飛び始める。
「一之介さん・・・「課長マン」って・・・一之介さんのセンスですか?」
そう毒づく暁人に苦笑いしながら、一之介が答える。
「M商事って言わなければOKだろ?」
「センス悪すぎ!」
だが、暁年を振り返った暁人と一之介はその様子に愕然としてしまう。暁年は完全に舞い上がり、足をぶるぶると震わせ、目の焦点は定まらず、今にも気を失いそうだった。
「大丈夫ですか?暁年さん・・・」
フラフラになった暁年と、プールナーナンダを何とか席に着かせると、一之介が暁年を、暁人がプールナーナンダを正気付かせようと必死で介抱を始める。
「暁人君・・・何か水を持って来てくれ・・・それからタオルと・・・受付に言えば用意されているはずだ」
その間にもステージ上では観客に向かってMCからルールの説明が行われる。
「チャンピオン入場の前に、本日のセックスバトルのルールを説明します。最初はセックスパートナーとして唯子さんに15分ずつの前技を行ってもらいます。この際、互いの性器やアナルへの挿入以外はペッティング行為まで自由に許されます。もちろん、パートナーへの唯子さんからのフェラチオやアナル舐めなど・・・本番以外の全ての行為が許されています。ただし、どこまで行うかは全て唯子さんの判断に委ねられています。そして、その後は挑戦者、チャンピオンともに15分づつ交互に前技を繰り返していきます。セックスの相手を選ぶのも唯子さん次第・・・。唯子さんがセックスをしたいと思うようになった時から、その相手と本番が可能になります。そしてセックス移行からは制限時間がありません。そのままずっとその相手とセックスしてもらって構いません。この時、もちろんセックス相手の対象にならなかった男性も唯子さんにセックスを仕掛けて頂いて結構です。唯子さんはご存じのように極度のマゾなので、互いの妨害行為がなければ、どのような行為を唯子さんにしてもらっても構いません。勝敗は唯子さんがどちらのパートナーを選ぶかが問題ではなく、最終的にはセックスで唯子さんにより深い絶頂を与え、子宮内にたっぷりと精液を注ぎ込んだオスが、この勝負の勝者となります!」
会場内から卑猥なヤジが飛び交い、素人同然の暁年に対する非難が立ち上る。
「挑戦者・・・課長マン・・・みっともねえ事するなよ!」
「ちゃんとチンコ起たせるんだろーなー・・・つまらねえバトル見せるなよ」
どう見ても場違いな暁年に向かって、観客のヤジは辛辣を極めていった。
「N国のサラリーマンを舐めるなよ」
会場の雰囲気に完全に飲まれてそうになっている暁人が思わずそう独り言ちる。が、圧倒的な雰囲気に空元気(からげんき)にしかならない。
「暁人はまだ高校生だろ?」
一之介がそう突っ込みをいれながら暁年の様子をそっと伺う。だが、MCの言葉を聞いた暁年の顔はかえって生気を取り戻し始めている。
「良かった・・・あくまで唯子が主体でバトルが進められる。当人を無視した無理やりな行為を満司が出来ないのがせめてもの救いだ」
「いいえ・・・違いますよ」
一之介もMCの言ったことを冷静に分析する。
「当人が喜べばどんなラフなプレーも許される。「極度のマゾなので」・・・って言いましたよね。つまり「SMプレー」の名目で、奴らは何を仕掛けてもいいってことになる」
「そ・・・そんな・・・」
暁人が顔をしかめて暁年を振り返る。
「だが、どちらかを選ぶかも唯子次第・・・と言ったね」
暁年はやっと震えが収まり、少し顔に赤みが差し始める。怯えているばかりいた暁年の顔にわずかな希望の光が灯り始める。
「それなら・・・勝つ可能性がある。私のチャクラは彼女が協力してくれないと、何の力も発揮できない。直接触れる事が出来ればプールナーナンダ師匠がいなくても波動を感じ取ることは出来る。私のターンになって唯子が協力をしてくれれば・・・まだ勝つ可能性が出てくる!」
それを聞いて一之介の顔が曇る。一週間の唯子の不在・・・それも満司による拉致・監禁であることの重大性を暁年はどれくらい認識しているのだろう。
(一体唯子さんはどうなっているのだろう・・・脳天気に唯子さんをそこまで信じていいものなのだろうか?)
気がかりなことを振り払い、一之介は暁年を元気づけるように説明を続ける。
「ええ・・・そうですね。私はこのバトルを始めるときの条件に、2つだけ条件を出しました。その一つが唯子さんの絶頂具合で優劣を決める事。これなら、悪辣な満司の性技に敵わない時でもお二人の愛の深さで打ち負かす可能性があります。そしてもう一つがTKOをなくすこと。こちらがタオルを投げ込むまで、決して試合を決めないことを条件に挙げました。我々はこの手の勝負慣れていない。戦意喪失でTKO負けをとられたら・・・」
「それって・・・お父さんが戦意を無くすって事ですか?」
怪訝な顔を浮かべて問う暁人を見て一之介は、暁人をセコンドとして連れてきたことを後悔し始める。
(童貞の暁人には分からないのかもしれない・・・男はどんなにやる気が有っても、戦意喪失と思われる事態に陥ることがあることを・・・)
一之介はどう説明したら良いものか言葉を濁していると、暁年が悲しげな顔で暁人に言い添える。セックスに関しても隠し事をしない・・・洋子の教えはまだ守られている。
「違う・・・お父さんぐらいの年になると・・・勃起しないことがあるんだ。こんな大勢の人の前でセックスをしなければならないような時など特に・・・というか、普通の人はまず無理だ。人前でセックスをする事なんかできない。師匠がこれじゃあ・・・お父さんも思い上がっていたのかもしれない」
ここで、プールナーナンダの助けがなければ・・・4,500年のヨーガの秘儀がなれば、暁年は人前でセックスするどころか勃起することすら敵わないだろう。ましてや満司のような調教師に勝てるようなセックスを行うことなど・・・。
「満司と言う男は・・・いや・・・調教師と言われる男は、このような中でもセックスを堂々と行い、女性を喜ばすことが出来る・・・ある意味凄い奴らだな」
それは暁年にとって何の外連味もない心からの本音であった。
「そんな・・・今頃そんな悟りきった事を言われても‥‥一之介さん・・・」
暁人があきれ顔で一之介を振り返る。
「一応手は打ってある・・・」
そう言った一之介の顔には若干の余裕が感じられた。プールナーナンダの秘儀がない限り、こうなることは十分予想された。怪訝な顔を浮かべる暁人に、一之介が説明しようとした時、ステージ上に上ったMCが挑戦者側の条件を説明し始める。
「セックスバトルのルールとして、TKO負け・・・つまりどちらかが勃起不能や戦意喪失状態になった時点で・・・通常はレフリーの判断でTKO負けになります。しかし!今回は挑戦者側の条件として、TKO負けは無くすことにいたしました」
それを聞いた会場内から、一斉に不満の声が上がり、卑猥なヤジが飛び交い始める。
「金を返せーっ」
「ちゃんとチンコ起たねえED野郎は引っ込め!」
「つまらねえバトルなど見たくないぞ!」
それを制するようにMCが両手を上げると、一段声を潜めてアナウンスを再開する。
「その条件を受け・・・チャンピオン側からも条件が出ました。当SMクラブもその条件を受け、より勝負を楽しくするために、特別な仕掛けを用意いたしました」
そう言ったMCは内ポケットから金属製のケースを取り出す。そのケースから取り出されたのは一本の注射器だった。場内のヤジが収まり、その注射器に注目が集まる。一之介の目が光る。
「これで何とかなるかも・・・」
そう言って暁人に振り返る。
「ご安心ください。覚せい剤や麻薬ではありません」
一之介の期待を裏切るようにMCがそう付け加える。それを聞いた一之介が落胆のあまり思わず舌打ちをする。
「ちっ・・・」
狙いが外れた。違法薬物の不法所持・使用・・・それを狙っていたのだ。非合法な薬物使用を警察にタレコミ、このSMクラブ自体を閉鎖に追い込む。官憲を使ってあらゆるセックストーションネタを調査させ、押収させる。もともと暁年のような素人がセックスバトルで勝てる訳がない。プールナーナンダの秘儀が有ってですら2%の勝率。プロの探偵がやるようなことではない。こっちにはこっちのやり方がある。彼らが非合法な薬物をこのショーを通じて何らかの形で使っていることは掴んでいた。挑戦状を素人から送り付けられ、セックスバトルで負けるかもしれないという非常事態に奴らが尻尾を出すのを狙っていたのだ。しかし、こいつらもそこまでは読んでいるようだ。
(だが、まだ手はある。聖満だ・・・彼が舞台に立った時点でこのショー自体を無効にすることぐらいはできる。聖満の年齢詐称で警察を呼べばこのショー自体を中止できる。支配人を書類送検することぐらいしかできないが、プールナーナンダの助けがなければ、こんなアウェーなところで何をやっても暁年さんでは・・・いや、誰がやっても勝てるわけがない・・・)
そう思っていた一之介がMCの次の言葉で凍り付く。
「唯子さんには1週間前からピルの服用を中止して頂いています。そして・・・本日のショーは唯子さんの危険日に合わせて開催しています。それがチャンピオン側の条件。そして・・・これは即効性の排卵誘発剤です。注射後約1時間で確実に排卵が始まります。さすが伝説の調教師・三好満司の出した条件・・・これはセックスバトルであると同時に、公開種付けセックスなのです。この注射を打った1時間後・・・唯子さんの子宮に元気な精子が注がれれば確実に孕まされちゃいます!」
「何だと!」
暁年が驚いて一之介を振り返る。
「一之介さん・・・これは一体・・・」
「まさか・・・満司がここまでやるとは・・・これでは・・・」
挑戦者側の混乱をせせら笑う様に、MCが観客を煽り立てる。
「そう・・・まさに背水の陣!オス同士の戦い!この戦いで生き残った者のみが遺伝子を残すことが出来るのです!牝豚を孕ませることが出来るのです。単なるセックスバトルではない・・・妊娠を掛けたセックスバトルロワイヤル・・・生死を掛けたまさにオスの戦いなのです。これで戦意喪失など、男ではない!遺伝子を残す資格はありません!」
先ほどまでヤジを飛ばしていた観客が一斉に興奮の歓声を上げ始める。
「満司!ま・ん・じ!・・・セックスモンスター!」
「ま・ん・じ!・・・調教師の鏡!・・・ま・ん・じ!」
「ま・ん・じ!・・・牝豚を孕ませろ!・・・ま・ん・じ!」
興奮した群衆の声が次第に大きくなり、満司コールに変わっていく。暁年と暁人は唖然としながら満司コールが沸き起こる会場内を見渡す。
「さらに!満司さんの子種を受精した場合は10か月後・・・この場で公開出産ショーを執り行う予定です!」
満司コールがさらに大きくなり、場内に響き渡る。観客の興奮した声がさらに大きくなり、怒号とも、嘲笑とも、つかぬ声がホールに木霊し始める。
「ま・ん・じ!・・・牝豚を孕ませろ!・・・ま・ん・じ!」
「ま・ん・じ!・・・子豚を堕ろせ!・・・ま・ん・じ!」
その人々の顔には邪悪な表情しか浮かんでいない・・・・人の不幸を喜び、無責任な妊娠に興奮し、生命の尊厳を冒涜する・・・人間の心の暗黒面を露骨に見せつけられ、善良な親子は絶望を禁じえなくなっていく。
(こいつらならやりかねない・・・むしろその条件を出すために敢えてこちらの条件を呑んだのかもしれない・・・俺たちは墓穴を掘っているのかもしれない・・・)
一之介はぐったりと意識喪失寸前のプールナーナンダを改めて見つめる。この仙人がこの場所で力を持ちえないのは、人間の魂の暗黒面のなせる結果なのかもしれない。すべては俺たちの愚劣な心のせい・・・・。
「そ・・・そんな事を・・・唯子が許すことなど有り得ない・・・」
人間に対する一縷の望みを抱いて、暁年はそう呟く他なかった。・・・たとえ心が満司になびいていても、魂は変わっていないはずだ・・・。
「もちろん・・・当人のご了解を得てから打たせていただきますよ。ウチはまっとうなSMクラブなんですから。あくまでご当人のご希望なんですよ。なんの違法性も御座いません。出産ショーじゃなくて結果的に堕胎ショーになっちゃうかもしれませんけどね・・・」
いつのまにか、SMクラブの支配人がセコンド席に現れ、慇懃にそう答える。だが、惚けた薄笑いを浮かべるその目は、人のよさそうな外観とは裏腹に、暗黒の光を帯びていた。
「何を狙っていらっしゃるか分かりませんが、今回はすべて合法的にやらせていただきますよ。やくざな探偵に変な言いがかりをつけられては困りますからな・・・・」
(こいつらやっぱりこっちの狙いを感づいていやがる・・・だが、最後の防波堤は聖満だ。もし唯子さんがそんなことに同意するようなら、このショー自体を中止に追い込むしかない・・・)
「あっそうそう・・・聖満君と言いましたっけ?彼は今日、来ませんよ。未成年者を出したと言って、騒ぐような不届き者が出るとも限りませんからな」
にこやかにそう言った支配人の目は、まったく笑っていなかった。
(な・・・何だと・・・こいつ・・・そこまで読んでいたのか?犯罪にはド素人に近いSMクラブの支配人がなぜ・・・)
そして重要な見落としに気が付いてしまう。
(AJK団の差し金か・・・金賢姫とかいう魔女の・・・)
一之介は人のよさそうな目の前の支配人も、結局はAJK団の一員であることを改めて思い知らされる。そして初めて気が付く・・・ホールに渦巻くただならぬ妖気、プールナーナンダが意識を保っていないほど穢れた邪気・・・・。
(もしかするとこいつら・・・観客全員がAJK団の構成メンバー・・・)
これはアウェイなんてもんじゃねえ・・・
「これは「罠」だ・・・俺たちは負けるように最初から仕組まれているんだ!」
「はあ?何のことだかさっぱり分からんですな?」
そう言った支配人の右手の中指には忌まわしい「逆五芒星」を象った大きな赤黒い指輪が暗黒の光を放っていた。
(数週間前に調査したときはAJK団とは関わりのない会員ばかりだったはずだ・・・)
するとこの数週間で、こいつら全員が全て洗脳されてしまったという事か・・・。支配人はいざ知らず、ここに居る観客はほぼ全員、政府高官や大企業の重役のはず・・・。いったいN国はどうなっているんだ?
「それよりも・・・こんなものが我がSMクラブに設置されていましてね。嘗められたもんですよ・・・」
そう言った手には、一之介が及川に言って仕掛けさせた隠しカメラや盗聴マイクが握られていた。今まで人のいい支配人を演じていたその男は、今やその演技をかなぐり捨てていた。獲物を前にして舌なめずりする獣の目が、残酷に4人を見下ろしている。
「誰が仕掛けたのか分かりませんが、出歯亀行為はいけませんな・・・ああそうだ、表にいるご友人には眠ってもらっていますよ。なに殺してはいませんよ。ウチはあくまで合法的な組織なんでね。8時間ほど・・・眠くなるコーヒーをお飲みになって頂きました」
足元にドサッとカメラや盗聴マイクモジュールが転がされる。一之介の目が、驚愕に見開かれる。
(及川のやつドジりやがったな・・・プランB・・・この現場にいる「上級国民」を特定し、この映像で逆にセクストーションネタをすべて出させる計画・・・この最後の頼みの綱のプランBまで見破られていたとは・・・)
すべての手の内は見透かされている。こっちの動向がこれほど見事に予見されているのは、探偵事務所の情報が筒抜けだからに違いない。盗聴は言うに及ばず、内偵者がいるのかもしれない。AJK団・・・と言うよりは金賢姫と言う魔女の恐ろしさを改めて痛感する。そして、もっと嫌なことに思い至る・・・・もしかするとプールナーナンダのこの不調自体も賢姫が仕掛けた何かで・・・。
(プランC・・・・逃げる他ない・・・理解の範疇を超えている。頼みの綱のプールナーナンダがこのような状態では・・・体勢を立て直して、計画を根本から練り直すしかない・・・プランC・・逃げるぞ・・・・)
そう合図しようとした時だった。ホールのもう一方にスポットライトが当たり、数人の人影が浮かび上がる。
「ま・ん・じ!・・・ま・ん・じ!・・ま・ん・じ!・・ま・ん・じ!」
満司コールがひときわ高く叫ばれる中、狐のお面をかぶった2人の女が、四つん這いになり同じようなお面をかぶった女を従えて、しずしずとチャンピオン側のセコンド席に向かって歩いていく。狐のお面をかぶった二人の女はおそろいの巫女装束を着て、四つ這いで歩く女の首輪から伸びた2本のロープを引いて、まるで犬の散歩のように従わせている。二人が着る巫女装束の緋袴は、赤黒く変色し、その裾はミニスカートのように膝上までしかない。本来は白いはずの巫女用の白衣は真っ黒な薄絹が使われ、強烈なスポットライトを浴びて上半身は裸の様に透け、裾の短い緋袴からはすらりと伸びた真っ白な脚が妖艶に浮かび上がっている。四つん這いの女はお面をかぶっている上に黒いマントで全身を包み込んでいるため、その容姿は全く分からない。
そして、そのすぐ後ろをふてぶてしい笑いを浮かべた満司が登場する。派手な金色のマントを羽織り、熱狂的な観客の声援に応えながら堂々とステージ上に躍り出る。
「さあ皆様お待ちかね!我がSMクラブ「J-POP」の伝説の調教師!三好満司~!」
そうMCにコールされると、場内の満司コールが一層盛り上がる。満司は羽織っていたマントをさっと脱ぐと、客席に向かって放り投げる。真っ黒なビキニパンツ以外何も身に着けていない満司の肉體が、観衆に向かって曝け出される。観客の目が、ビキニパンツを突き破らんばかりにそそり立っている一物に注がれる。
「大きい・・・」
「化け物だ・・・」
ピクンピクンと波打つ一物を、満司が誇らしげに突き出した途端、セコンドに居た3人の女が吸い寄せられるように一斉にその足元にひれ伏すと、その顔を股間に摺り寄せていく。
「あああん・・・満司様・・・真美この香たまりません」
「はああ・・・由美も・・・このオスの香が・・・ああああん」
「・・・・・」
だが、マントに身を包み首輪をつけた女だけがその声を発しない。
「唯子なのか?・・・」
だが、暁年が呼び掛けてもその仮面の女性が振り返ることはなかった。そして、いよいよバトルが開始される。
「まずは挑戦者・・・青コーナー・・・クラブ「MRO」所属・・課長マン!」
MCからそのままレフリー役になった男が、挑戦者サイドの口上を再び呼び上げる。暁年は一瞬何をして良いか分からなかったが、一之介に背中を押され、スーツ姿のままステージ上に押し上げられてしまう。
「えっ・・・はぁ・・・」
強烈なスポットライトに照らされ,暁年は気が動転して何も考えられなくなる。ただ俯いて、その場に立ち尽くすだけだった。
「何だあれ?」
「ぎゃはははっ情けねえ」
暁年は真っ赤になって俯いたまま、力なく佇むだけだった。見るに見かねた暁人が一之介に尋ねる。
「ねえ・・・一之介さん・・・ボクシングの様に・・・ステージサイドから元気づけても良いの?」
「ああ・・・ステージに乗らなければ、何をしてもいい約束だ」
それを聞いた暁人は早速、ステージサイドに張り付くと暁年に向かって檄を飛ばし始める。
「お父さん大丈夫・・・お母さんへの愛があれば・・・きっと勝てる!ここにいる魂をなくした奴らにお父さん達の「強い愛」を見せてあげて!」
「あ・・あああ」
その言葉を聞いて、何とか勇気を取り戻した暁年が、やっと顔を満司に向ける。満司のふてぶてしい笑いが、見下すように暁年に向けられている。
「続いて赤コーナー・・・チャンピオン!「J-POP」所属・調教師・三好満司!」
三人の女にかしずかれていた満司は、そのまま仁王立ちしながら、ガッツポーズを取って腕を曲げ、力こぶを誇示するように見せつける。
「満司様・・・素敵」
「あああっ・・・抱いてくださいまし!」
今にも縋り付きそうな巫女装束の二人の女に向かって、あきれ顔のレフリーが注意を促す。
「セコンドの女性は・・・すぐにステージ脇に下がって」
レフリーに言われて、巫女装束の女達がしぶしぶとステージを降りると、一人残ったマントの女が観客席を振り返りながら立ち上がる。
「そして・・本日のバトルセックス・パートナー・・・生贄マドンナ嬢は三好満司氏の奥方であり所有物、皆様おなじみ牝豚奴隷13号・三好唯子!・・・・そして今回の挑戦者・課長マンの戸籍上の配偶者、見せかけの妻でもあります・・・」
MCがそう言った途端、観客の嘲笑がドッとあがり、暁年を揶揄するヒソヒソ声が各所で囁かれ始める。しかし、あらかじめ指示されていたのだろう、MCの口上と共にその女はお面と真っ黒なマントをかなぐり捨てると、その全てを観客の前に晒してしまう。
「おおおっ・・・」
観客からどよめきが起こる。見事に熟れた豊満な肉體を覆う様に、ぴったりとその女に張り付いた真っ黒な極薄のボディスーツは、まるで裸身にペイントを施したように、クッキリと体の線を浮かび上がらせている。そして、乳房と股間部分だけ、ボディスーツの生地がすっぱりと切り抜かれ、乳首と、股間の割れ筋が完全に曝け出されている。
その顔は魔女のようなシャドー系のどぎついメイクが施され、見るものに強烈な悪の印象を与えている。あまりにもきつ過ぎる真っ黒なアイラインは目尻が跳ね上がり、クッキリとつりあがって冷酷な印象を与えている。濃紺のアイシャドーはほぼ黒に近く、ラメの輝きがギラギラと妖しい輝きを放っている。厚めに塗られたリップはまるで人肉を食らったように真っ赤な色が引かれ、てかてかと妖しいぬめりを帯びている。
「唯子?・・・」
まるで別人のようなけばけばしい化粧に、暁年も暁人もわが目を疑う。しかし、それは紛れもない唯子であった。だが、何よりもその表情が、挑む様に冷酷に自分たちを見下ろすその冷たい表情が、つい1週間前までの唯子の表情とはかけ離れている。その面影は一つも見当たらない。何よりも、慈愛に満ち、愁いを帯びてはにかむような笑顔を浮かべていた唯子は、どこにもいなかった。
「あっ!」
そして、暁人が悲痛な叫び声をあげる。唯子の乳首と股間に光るピアスに気が付いたのだ。ボディスーツから露出した両方の乳首には、十字架を逆さまにしたような金色のピアスが施され、キラリとステージライトを反射している。そしてよく見れば、ボディスーツがくりぬかれた股間の割れ筋からも、逆五芒星をかたどった紋章が施されたクリキャップが、秘肉からはみ出すように覗いていた。
「満司のやつ・・・せっかくプールナーナンダさんと父さんが外したばかりだというのに・・・」
憎々しげにそう独り言ちる暁人をよそに、レフリーが先ほど説明していた排卵誘発剤の注射器を取り出し、支配人が約束した通り、唯子に確認を求める。
「それでは奥様・・・この注射をお受けなさいますか?排卵誘発剤ですよ。1時間後にセックスした相手の赤ちゃんを妊娠する事になりますよ。どうされますか?」
その場にいる全員が、唯子の返事に注目する。だが、そう言われた唯子はなんの躊躇もなく、当たり前のように頷き、
「もちろんお受けしますわ。満司様のお種を授けて頂けると思うだけで、もうゾクゾク感がたまりませんわ・・・」
まぎれもない唯子の声・・・自分達を心から愛していると言った真摯な声が・・・だれよりも自分たちを慈しんでくれた優しい声が・・・何の躊躇もなくそう言っていた。そしてまるで暁年も、暁人も目に入らないように、熱い視線を満司に送るだけで二人には振り返ろうともしない。
「唯子!馬鹿な真似はやめろ・・・」
暁年が訴える声を煩そうに横目で聞いていた唯子が、虫けらを見るような眼で冷酷に言い放つ。
「まあ・・・アイマスクなどをつけているから誰だか分からなかったわ。暁年さん、あなたには関係のない事だから、黙っていて頂戴・・・」
その声は凛として清々しく、いつものように清楚だった。けっして呆然自失に堕ちた夢うつつのような様子はなく、はっきりとした意思をもってそう話していることが痛いほど感じられた。唯子は嬉々としてレフリーから注射器を受け取ると、何の躊躇もなく自分の腕に注射針を突き刺し、一気に薬液を注入していく。
「自分から・・・あんなに嬉しそうに・・・あんなに積極的に・・・」
暁年はショックのあまり、その場でひざを突いてしまう。だが暁人と一之介はボディスーツがまくられた腕に、三好良枝に施されていたのと同じような紋様の刺青がくっきりと施されていることを見逃さなかった。
「か・・・母さん・・・まさか・・・」
「暁人・・・今のは・・・」
一之介も同様だったのだろう、確認するように暁人の顔を覗き込む。
「そ・・・そんな・・・いくら何でも・・・タトゥーシールだよね・・・」
呆然とする二人を尻目にレフリーの開始宣言がコールされる。
「さあ、ついにセックスバトルの開始です!ゴング・スタート」
カーン
無情なゴングの鐘が響き渡る。一之介はプランCも実施できずに最悪の事態を迎えてしまった事を、その鐘の音を聞きながら痛感していた。こうして、地獄のようなセックスバトルが開始された。