やっと来ました・・・「月下香の檻」最終回でのあまりにもやるせない思いを晴らすため延々48話を書き続けてきたのは、この回から続く49,50,51,52,53話(最終話)の為です。原作最終回で暁年はどう行動すればよかったのでしょう?唯子は何が出来たのでしょう?これからの5話がシン之助なりの回答です。
・プールナーナンダも鈴木一之介も誰一人助けるものの居ない世界
・最愛の妻はネトラレ真っ最中
・自分にはチャクラをはじめ何の特殊能力もない
こんな状況で・・・
・果たして満司に勝てるのか?
・唯子を無事取り戻すことが出来るのか?
・幸せになることは出来るのか?
ふつうに考えて絶対に無理な状況・・・
それを何となく「何とかしちゃうんじゃない?」と感じさせるのに48話を書いてきました・・・さあて・・・
悠年の明日はどっちだ?!
---------登場人物---------
秋月 暁人:主人公
秋月 唯子:暁人の母
秋月 暁年:暁人の父(M商事・開発部・課長←オリジナル設定)
三好 満司:調教師・主人公の遠縁(暁年の母方の従祖母の孫娘の夫)
プールナーナンダ:謎の修行僧
SMクラブ「J-POP」支配人:実は名前を決めていない!
漆黒の闇:漆黒の短剣の中の人(声は上川隆也さんって事になるかな・・・)
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暁年がふと目を覚ますと、そこは秋月家の居間だった。一人でソファーに横になり、スーツ姿のまま転寝(うたたね)をしてしまっていた。ボゥッとした意識のまま起き上がり、辺りを見渡すと、もう窓には西日が射しかかっている。
1日近く寝てしまったのだろうか・・・満司とのセックスバトルに勝利し、唯子とともに光に包まれた。だがその後は漠然とした記憶の断片があるだけで、何も思い出せなかった・・・・。
(唯子は?・・・・・)
唯子が大変なことになったという焦りや悲しみの感情が残っているだけで、最終的に自分が何をしていたのか、何をしようとしていたのか、頭が混乱して全く思い出せない。
(確か私はあの時「短剣」か何かを握って・・・)
しかし、「短剣」と考えた途端にそれが何だか分からなくなる。眩暈に襲われ「短剣」に関する全てが思い出せない。
その時・・・トントンとキッチンから夕餉の支度の音が聞こえ始める。そして初めて、自宅のソファーに身を投げ出していたことに思い至る。うっすらとしたみそ汁の出汁の良い香が鼻腔をくすぐる。何か久しぶりに我が家に戻ったような気がして、懐かしさがこみ上げる。
「唯子?居るのか??」
恐る恐るキッチンに向かって声をかける。
「やっとお目覚めですか?・・・何かぐっすりとお休みの様でしたね」
キッチンから唯子の声が聞こえる。
「唯子!」
暁年は急いで立ち上がると、そこにはキッチンで甲斐甲斐しく夕食の支度をしている唯子の姿があった。その表情には生気が宿り、確かな人間のぬくもりや魂の存在がひしひしと感じられた。
「唯子・・・元に戻ったんだね・・・魂を取り戻して・・・良かった・・・」
あまりの嬉しさに、暁年はこぼれ出る涙をこらえる事が出来なかった。
「どうしたの?・・・あなた」
暁年の涙に驚いた唯子が、キッチンから顔を出し、心配そうに暁年に声をかける。暁年はその胸に飛び込む様に、唯子を強く抱きしめていた。
「あ・・・あなた・・・さっきから、いったいどうしたの?」
訳も分からず、唯子はそう聞き返すが、やがて唯子も暁年を抱き返し、二人はそのまましばらく熱い抱擁を続けていた。
(良かった・・・唯子・・・本当に良かった・・・・)
「悪い夢でも見たの?なんだか変よ?」
しばらくして身を離した唯子は怪訝な表情を浮かべて暁年に尋ねる。
「うん?・・・あああ」
心配そうな唯子の顔が、なぜかとても懐かしく、尊く、とても愛おしもののように感じられる。涙をぬぐうと暁年は年甲斐もなく唯子の唇に自らの唇を口づけようと顔を寄せる。
「もう・・・あなたったら嫌だわ・・・そろそろ暁人も帰ってきますわ」
唯子は軽くそれを受け流すように顔を背けると再びキッチンに向かってしまう。どことなく他人行儀で、足取りが少し浮ついているように感じる。肩透かしを食らった暁年は苦笑いを浮かべながら、恥ずかしまぎれに天井を見上げる。いつもの我が家の風景・・・。まるで何事もなかったような日常の景色・・・。
しかし、何か胸騒ぎを感じる。じりじりとした違和感・・・。得体の知れない不安・・・。猫がどこかで低く鳴いたような気がした。そして・・・改めて室内を見渡した暁年は違和感の原因を見つけてしまう。
(満司が設置した梁やフックが元のまま残っている・・・)
綾乃ちゃんと二人で外した・・・暁人が自慢げに語っていた。それが元のままなのだ。暁年は、先ほど聞こえた猫の鳴き声があまりにも不気味で、唯子に確認するように聞いてしまう。低く唸るような猫の鳴き声を・・・。
「今・・・どこからか猫の声がしなかったか?」
「えっ?・・・何も聞こえませんけど・・・夢の続きをまだ見ているんじゃありません?もう夕食の時間なんですからね」
「でも暁人は遅いだろ・・・進学塾によってから、綾乃ちゃんと帰ってくるんじゃないのか?」
「進学塾?あやの?・・・何を仰ってるんです。暁人はもうとっくに大学生ですよ。それに「あやの」ってどなた?」
唯子が怪訝な顔をキッチンから向ける。
(暁人が大学生?・・・綾乃ちゃんを知らない?・・・)
「・・・・・・・・・・・・・・・」
一瞬立ち眩みの様なめまいを覚える。
「何を言っているんだ。暁人が大学生だなんて・・・それに綾乃ちゃん・・・暁人の幼馴染の、ご近所の藤原綾乃ちゃんだよ」
「あなた、大丈夫ですか?うちの近所に「藤原」なんてお宅はないですよ」
猫の鳴く声が低く暁年の頭の中で響きわたる。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
唯子の顔は冗談を言っている顔には見えない。もしかすると暁人の嫁になるかもしれない女性を忘れている?いくらなんでもあり得ない・・・
(いったいどういう事なんだ?)
暁年がそう思った時・・・・
「ただいま~」
暁人の帰宅を告げる声が玄関先から聞こえてくる。
「暁人が帰ってきたわ・・・お帰りなさい暁人・・・」
まるで今の気まずい雰囲気を悟られたくないように、一転して朗らかな声を出した唯子は、玄関先に暁人を迎えにいく。
「母さん・・・今日は生姜焼きだね?」
そう言いながら鼻をクンクンと鳴らして居間に入ってきた暁人を見て、暁年は目を見張ってしまう。
「何だか急に大きくなったな・・・」
2人で並ぶと、握りこぶし分ほど暁人の背が高くなっている。
「それに制服はどうしたんだ?」
「何を言っているんだよ父さん・・・僕も4月からは大学生4年生だよ。来年は花の社会人さ・・・」
「本当に良かったわ。関西の大手建設会社に内々定を頂けるなんて・・・。母さんも肩の荷が下りた気分よ。ちょっと寂しくなっちゃうけど・・・」
どこかで猫の鳴く声が聞こえる。軽い眩暈が再び起き始める。
「大学生?・・・君は高校3年生で去年SSHから戻って・・・」
「もう・・・お父さんたらさっきから変なのよ。寝ぼけるのも大概にしないと・・・自分の息子の年ぐらい・・・」
グラグラと空間が歪む。頭の中の猫の鳴き声が大きくなり、暁年にえも言われぬ恐怖が広がっていく。
「父さん・・・大丈夫?・・・」
暁人が心配げな顔を暁年に向ける。
「ああっ・・・大丈夫・・・・ちょっと疲れているのかな」
眩暈は一瞬だった。何とか作り笑いを浮かべて暁人に向き直る。暁人が探るような目で見つめ返す。
「いや・・・本当に何でもないんだ。それよりも、綾乃ちゃんとの事はその後うまくいっているのかい?」
「あ・や・の・・・誰だいそれ?」
「・・・・・・・・・・・・」
猫の鳴き声が低く唸るように聞こえる。眩暈はますます酷くなり、暁年に嫌な予感が走る。
「暁人・・・今日は何年の何月何日だ?」
視界がくるくると回り始める。立っていられなくなり、再びソファーに腰を下ろしてしまう。
「やだな・・父さん・・・今日は20**年の3月24日だよ」
「3月24日だと!」
暁年の蒼白な顔を心配そうに見ていた暁人は、父親の姿に気が付くとさらに眉根を顰めてしまう。
「よれより父さん・・・今日は土曜日なのになんでスーツを着ているの?」
「いつも通りだろ?M商事開発部は海外時差とのことを考えて土曜日は半日出勤日・・・」
そう答えた暁年に、唯子も心配そうに駆け寄る。
「M商事?・・・あなたは・・・NP建設の社員じゃないの。暁人が建設会社に行くのもその影響よ・・・。あなたが商社マンに憧れていたのは知っていたけど・・・今日はいったいどうしたの?さっきからおかしいわ・・・」
いきなり変なことを言い始めた暁年を唯子がいぶかしげに見返す。
(いったいどういう事だ・・・何だかおかしい・・・)
暁年は目の前のローテーブルに置いてあった新聞を奪う様に手に取り、日付を確認する。
20**年3月24日(土)・・・!
間違いない・・・今日は3月24日(土)。この日付は忘れようにも忘れることが出来ない。私たち夫婦が交(か)わしてしまった満司との邪悪な契約・・・唯子が満司の元から秋月家に返される為の条件の一つ・・・それを最初に履行した日だった。唯子が満司と週に一度のSMショーに出る・・・その最初の日だ。
あの時はその結末がどんなに残酷なものになるのか知り様もなかった。唯子が素顔でSMショーに出演し、全てをさらけ出し、マジックミラー越しに満司との退廃的なセックスを見世物にしてしまう事など・・・。3月24日・・・その日、私と暁人はすぐ目の前で背徳の快感に身を任せ、満司と肉欲の限りを尽くす唯子を嫌と言うほど見せつけられる・・・・。満司への愛をハッキリと示し、私たちへの蔑みと裏切りを、大勢の他人の前で宣言させられながら絶頂を迎える・・・その初めての日だ。今日はその3月24日だというのか・・・。
・・・1か月前に戻っている・・・
全ての努力は、失われてしまっている世界・・・。そう・・・この時点での唯子はその愛をまだ満司に向けたままだ・・・
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全てを悟った瞬間・・・暁年は強烈な眩暈に襲われ、頭の中が歪み始める。まるで、世界が歪んでいくように・・・冷酷な猫の鳴き声が・・・「シュレーディンガーの猫」の鳴き声が暁年の頭の中で木霊していく。
そして、時間がとまった。
辺りの空間が動かなくなり、すべての世界から色が失なわれていく・・・。
「漆黒の短剣が求めるのは絶対的な絶望」
時間が止まった異常な空間の中で、暁年に語り掛ける真っ黒な人物が突然現れる。体中に真っ黒なスプレーを吹き付けたようなその身体は、輪郭がぼやけ男のものとも女のものとも定かではない。姿は半透明に透け、すぐ後ろの景色が透けて見えている。のっぺら坊なその表情からは何も読み取れない。
「この期に及んでまだ記憶と希望を持ち続けているとは・・・めずらしい個体だな」
その声は頭部から発しているのではなく直接空間に響いているようだ。そしてその半透明の身体から黒い手が伸びると、暁年の胸の中に入り込み始める。漆黒の短剣を突き刺した丁度その場所に・・・。
「ホーッ・・・忘れさせることが出来たのは、私に関する事だけのようだな・・・」
魂を探られるゾッとするような感覚が暁年を襲う。だが時間が止まった中、暁年がそれを認識することはない。
「この絶対的絶望の世界線の中で、まだ希望を失っていないとは・・・だが、どこまで持ちこたえることが出来るかな? お前が感じた事のあるもっとも屈辱的な時空を再現したのだからな・・・。だが手は加えさせてもらったよ。より残酷に、より決定的にな・・・。お前を助ける者はこの世界には居ない。山本洋子も、プールナーナンダも、藤原綾乃も、鈴木一之介もいない・・・無力なお前だけの世界。何もできずに、妻の魂が汚れていく様を再び味わうがよい・・・より強固で絶対的な絶望を・・・」
絶対零度の冷酷な声が心の中に突き刺さる。だが、停止時間中の出来事を暁年が認識することはない。
「そして・・・無力なお前の目の前で、邪淫に染まった妻が、愛を失った母親が、変えられた肉體と心を持った存在が、邪悪に真っ黒に染まっていき、お前のまわりの者を全て巻き込みながら、破滅させていく様をただ手をこまねいて見ておれ」
それは冷厳たる事実を突きつける真実の声・・・。
「それこそが真実・・・それこそがお前の置かれた本当の立場・・・無力な自分が招いた残酷なこの世の真実を思い知るがいい」
唯子を取り戻すことなど夢の中の幻影だと、真実の声が木霊する。この1ヵ月で起こったことは全て負け犬の都合のいい空想に過ぎないと・・・宇宙の真理が木霊する。
「そして希望を失わせろ・・・無限の絶望を味わえ・・・それこそが漆黒の短剣の求めるもの・・・希望が絶望に朽ち果てる甘美な瞬間を差し出せ・・・」
暁年の胸から暗黒の手が引き抜かれる。そして、その黒い影は唯子と重なり見えなくなっていく・・・・・
「さあ甘美な絶望の声を上げろ・・・・」
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黒い影が次第に透き通り、唯子に重なったように感じた瞬間、凍り付いた時間が再び動き始める。心配顔の唯子が眉根を寄せて尋ねる。
「今日はいったいどうしたの?・・・」
ソファアに身を沈めながら・・・呆然と妻の顔を見つめる。一瞬、何か嫌な感じが魂に突き刺さったような・・・ゾワゾワとする寒気が残っている。
(私は夢を見ていたのか?・・・この1ヶ月間に起こったことは全て私の夢の中の出来事?・・・)
疑念を頭から振り払い、目の前の事実に向き直る。そこには怪訝な表情を浮かべる唯子と心配げな暁人の顔しかない。
(藤原綾乃ちゃんも、プールナーナンダ師匠も、鈴木一之介探偵も、山本洋子さんですらも・・・全ては幻想の産物・・・・)
そして目の前の自分よりも大きくなった息子を見つめる。
(私はNP建設の社員で、暁人は大学生・・・)
すべて私の夢の中の出来事だったと言うことか・・・・
「今日は・・・本当に3月24日なのか・・・」
暁年は恐る恐る二人の顔を・・・最も愛する二人の顔を・・・交互に見つめる。
「そうだよ・・父さん・・・今日は3月24日の土曜日だよ」
暁人が心配そうに答えると、自分の持っていたスマホの画面を見せる。つられて暁年も自分の胸ポケットからスマホを取り出しながら日時を確認する。どちらのスマホも同じ日時を示している・・・。
「3月24日・・・・・・」
「そうよ!・・・あなたの言ったことはみんな夢の中の出来事だったのよ。きっとそうよ」
唯子が諭すようにそう答える。
「夢の中の出来事・・・・」
そして暁年は、手のひらの中に一枚の紙きれが握られていることに気が付く。まるで記憶がない・・・しかし、じっとりと汗ばんだそのメモ書きは確かにずっと前から握っていたものだ。恐る恐るその紙きれを開き、走り書きされた汚い男の字を見つめる。
【3月24日(土)23時 SMクラブ「J-POP」地下MMステージ 満司】
唯子が暁年の視線の先を見て、全てを理解する。
「今夜・・・なのですね」
暁年の絶望的な表情を見て、唯子は柳眉を逆立てながら悲しげな表情を浮かべる。しかし、そう言った唯子の顔には、朱を注したような火照った表情が浮かび上がり、疼き始めた股間を気づかれぬようにもじもじとすり合わせていた。その表情や仕草が何を意味するのか、あの時は気づきもしなかった。しかし、今では全て分かってしまう・・・。そう・・・この時唯子は既に変えられてしまっていた。私たちへの愛を彼女はまだ持ち続けている。しかし、ひとたび満司に抱かれてしまえば、唯子の心は直ぐに満司へと傾倒してしまう。そしてそれはこの1年で決定的なものになっていた。どんなに理性で否定しても、唯子の愛は身も心も満司に塗り替えられているのだ・・・。
暁人が着替えをしに自分の部屋に戻ったのを見届けながら、唯子は再びキッチンに向かっていった。肉體の疼きに耐えながら、必死になって夕食の準備を続ける唯子を、暁年はただ失意の中で見つめる他はなかった。
唯子はこの時ですら・・・自分が家庭に戻り、日常を取り戻すことが出来れば、やがて全ては元に戻ると信じている。いや・・・そう願っている。1カ月前は、愚かにも私もそう信じていた。だが、それが幻想にすぎない事を私たちは今夜思い知る。徹底的に思い知らされる。唯子の肉體は肉欲の疼きを常に感じる牝豚の肉體に変えらていることを・・・。牝豚奴隷として人生の全てを満司に捧げつくす一歩手前の状態にまでなっている事を・・・・・。私や暁人よりも、満司と聖満を心から愛し、身も心も捧げつくすようになっていることを・・・。今夜、徹底的に、完璧に、自覚させられる。私たちのすぐ目の前で・・・圧倒的なセックスを見せつけながら・・・。
それもこれもすべて私が唯子を手放したからだ。1年前・・・満司が唯子とのセックスを暁人に見せつけ、強烈なマゾ性癖を母子に植え付けている現場に遭遇した私は、怒りに囚われ、我を忘れてしまっていた。全ての許容を超えてしまっていた。その時、私は確かに唯子を手放してしまったのだ。「永遠の愛」の幻想にとらわれ「強い愛」を見失っていた。そして、ほんの一瞬、怒りに任せて唯子を手放したせいで・・・私は唯子を長い間、見失なうことになった。その間に、唯子はじっくりと長い時間かけて、牝豚奴隷に、満司の情婦に・・・仕込まれていた。そのように徹底して調教されていた。
全てをはっきりと思い出していた。そう・・・これはすべて私が招いたことだったのだ。
【それこそが真実・・・それこそがお前の置かれた本当の立場・・・無力な自分が招いた残酷な結果を・・・この世の真実を、思い知るがいい】
素粒子の声が頭の中を真実となって響き渡る。冷酷な真実が現実となって浮かび上がる。そして、暁年はこの後の未来を覚えている。これから起こる未来を、既に知っている。
(それは・・・唯子と私達家族の転落のほんの始まりでしかない・・・)
今ならまだ間に合う・・・まだ彼女はセクストーションの一線を越えていない。最後の気力を振り絞って暁年はソファーを立ち上がり、キッチンに向かう。
「唯子・・・すまない・・・あのマジックミラーを使ったショー・・・あれではやがてセクストーションの餌食になってしまう・・・例え満司の元を離れても・・・永久に君はネット上で晒され・・・大変な犠牲を今後も払い続ける事に・・・・」
だが唯子は顔も上げずに夕餉の支度を続けている。それがまるで、この家族とつながる最後の儚い糸のように・・・一心に準備を続けている。そしてぽつりと漏らすように告白する。
「もう遅いの・・・私はすでに・・・何度も出てしまっているの・・・マジックミラーを使ったショーに・・・見ず知らずの特別会員に何枚も写真を撮られているの・・・」
「!・・・・・・・・」
全てを断ち切るような唯子の絶望的な表情を見て、暁年は何も言い返す事が出来ない。
「今更もう遅いの・・・ショーの事はあなたもお認めになったこと・・・それが条件のはずですわ・・・」
そう言いながら左頬にかかった髪を掬うように掻き上げる。その手の薬指には結婚指輪がむなしく輝いていた。
(私は本当に何も分かっていなかった・・・今の一言を唯子に言わせてはいけなかった・・・多分・・彼女はギリギリの状態だ)
満司と契約を結んだ時点で・・・こんな状態になることをしっかりと予見するべきだった。満司が求めるものが、より不道徳で、より非人間的で、より非常識なものに激化していく事など容易に予想できたのに・・・。満司という男の狡猾さを改めて実感していた。何重にも張り巡らされた唯子を縛る見えない縄・・・そして家庭という檻・・・。調教師という存在の邪悪さ、SMという闇の恐ろしさを甘く見過ぎていた・・・。これ以上、彼女を追い込められない・・・これ以上追い込めば唯子は壊れる。坂を転げ落ちる様に満司一辺倒に塗りつぶされて身を滅ぼしていく。かといって手をこまねいていれば、それはゆっくりと時間をかけて進行するだけで、結果は同じ事・・・・。
【それこそが真実・・・絶望が溢れた世界・・・・それこそがお前の置かれた本当の立場・・・無力な自分・・・残酷なこの世の真実を思い知るがいい】
虚無がじわじわと暁年の心を蝕みつつあった。
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そこには漆黒の空間が広がっていた。
円環状に手をつないだチーム「MRO」のメンバーは、プールナーナンダの掛け声とともに、いきなりその空間に放りだされていた。何の光も感じられない、ただ荒涼とした空間に身を預けている薄ら寒い感覚が全身を取り囲んでいる。互いにつないでいる手の温もりだけが、現実と自分とを繋ぎとめる最後の頼みの綱のようであった。暁人はプールナーナンダの鋼鉄のような意思と、三好良枝の優しくしなやかな気を、繋いだ手からぬくもりとして感じていた。そしてよく気を付けると、聖満と満司、一之介の感覚もつないだ手を通して僅かながら感知できる。
「師匠・・・聞こえますか?師匠??」
暁人がそう問いかけた言葉すら虚しく空間に消えていくだけだった。だが、暁人の思念は握った手からプールナーナンダに伝わっているようだ。
「暁人じゃな・・・どうやら御主(おぬし)のみがわしと直接の意思疎通できるようじゃの・・・」
プールナーナンダ以外は暁人の呼びかけに対して何の返事も返してこない。プールナーナンダと意思疎通を交わせているという安心感のみが、他のメンバーにも伝わったようだ。わずかな安心感のイメージがメンバーの間から伝わってくる。
「良いか絶対に手を放すでないぞ。その手をワシから放した途端に、現実世界とのつながりを失って御主(おぬし)達もこの短剣に取り込まれてしまう」
その言葉を聞いて暁人はゾっとしながらプールナーナンダを握った手を強く握り返してしまう。どうやらその感覚はチーム「MRO」全員にも伝わったようだ。全員が強くその手を互いに握り合う様子が伝わってくる。そして・・・微かに綾乃の奏でるピアノの音が聞こえ始める。
「綾乃も僕たちと一緒にいる」
それは手をつないだ全員が感じているようだった。ピアノに込めた綾乃の思いが音を通して感じられたからだった。
「ではより深くダイブする・・・決して手を放すでないぞ・・・綾乃殿は決してピアノを止めぬこと。いきなり演奏を止めると、みなと同じようにこの場に魂を置いて行かれるぞ・・・」
チームは漆黒の空間のさらに最深部に沈んでいった。沈み、深く落ちていくにつれ、点々とした光の粒が見え始める。やがて、いくつもの淡い光を放つ小さな粒が皆の前を通り過ぎていく。どの光も淡く、儚く、弱弱しい。その光の粒がマリンスノーのように揺らめきながら、辺りを漂いやがて底の方に降り積もっていく。
「無に帰す直前の、可哀想な魂の慣れの果てじゃ・・・」
プールナーナンダの悲しげな思念が暁人に感じられる。その思念は物悲しいイメージとしてこの場に居る全員が共有しているようだ。
「やがて沈殿し、次第に光を失っていく」
「まさか父さんの魂はすでに・・・」
「分からん・・・だがここにおる魂はどれも恨みや、呪いや、怨念の波動しか感じぬ。二人の持っておった美しい魂とは根本的に異なる」
「さっき師匠は「幸福の絶頂か絶対的な絶望を味わいながら虚無に帰っていく」っておっしゃっていましたけど・・・。恨みや、呪いや、怨念の波動しか感じないのはなぜですか?」
「どちらも最終的にはそこに到達するからじゃ・・・漆黒の短剣の求めるのは恨みや呪いのみ・・・虚無に帰る直前はすべてここに居る魂と同じ・・・」
「待ってください・・・絶望は分かりますが・・・幸福の絶頂が怨念につながるのですか?」
「どちらも過ぎたるは及ばざるがごとし・・・幸せに奢った時・・・イド(id)の怪物に呑み込まれてしまった時・・・人は堕落し、すべてを見失っていく。ポテンシャルの落差こそが、その強烈な喪失感こそが、こやつの好物じゃ」
「それって・・・母さんがSMショーのステージ連呼していた「幸せ」と・・・」
「本質的に同じこと・・・やがては怨嗟となって無に帰っていく。「本当の幸せ」とは程遠い」
「・・・・・・・・」
全ての人々と手をつなぎ、平和を求め
全ての生き物と絆を結び、これを慈しみ
豊かさを求め、豊かさに奢らず
幸せを求め、幸せに奢らず
絶えることのない、人間の命を生み育てることを誓います
「それって・・・父さんたちなら・・・」
「左様・・暁年なら何とかするかもしれん。あ奴の希望こそが・・・ただ希望だけが・・・漆黒の短剣に勝ちうる唯一の武器じゃ!」
「でも・・・漆黒の短剣はそれを失わせると・・・」
暁人がそう言いかけた時、強烈な光を放ちながら漆黒をさまよう光の玉を発見する。
「暁年じゃ・・・見失うな」
プールナーナンダは円環状に手をつないだ一同の輪の中心に、その光を誘い込むように手を掲げる。暁年の魂は誘い込まれるように、輪の中心に落ち着くと希望の光を漆黒の中で放ち始めた。しかし、強烈な光を放っていたその玉はみるみるその光を失っていった。
「こっ・・・これは・・・」
「漆黒の短剣はそれを失わせる・・・左様・・・徹底的にじゃ・・・」
「父さん・・・頑張れ」
「暁パパ・・・決してあきらめないで」
「暁年さん・・・あなたならきっと出来る」
「暁年さん・・・あなたに賭けたい。あなたに俺の正義を賭けたい。俺に正義ってもんを見せてくれ」
「おっさん・・・セックスバトル凄かった・・・俺もあんたのようになりたい」
一同が思い思いの念をその光の玉に投げかけていった。
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「僕も何か手伝おうか?」
着替えを終えた暁人が、居間に戻って来ると、朗らかな声で申し出る。何かに勘づいているものの、唯子の帰還を心から喜び、家族の幸せがまだ続いていると思い込んでいる。
(この子が来年には社会人になることが・・・来年には巣立ち、一人立ちすることが・・・私達家族における唯一の救い。新たな家族を持ち、私達から離れる事でこの子は巻き込まれなくて済む)
(この子を巻き込むことだけは避けなければならない)
暁年と唯子は互いに目を交わすと、何事もなかったように幸せを演じ続けた。
「そうね・・・これをお皿に盛りつけてくれる?」
唯子が務めて明るい声で答える。無理をしているのが痛いほどわかる。しかし、暁年はそれ以上何も言うことが出来ない。
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こうして暁年たち三人はそろって暖かな夕餉の準備を始めていた。それは幸せなひと時だった。唯子が千切りのキャベツを慣れた手つきで刻み、暁人がそれを巧みに皿に盛り付けていく。暁年はテーブルセッティングをしながら、次々と運ばれる唯子の手料理を形よく並べていった。何気ない普通の日常。何でもない当たり前の風景・・・しかし暁年は本当に幸せだった。例え大きな地獄の窯の淵が、家族のすぐ横に大口を開けて飲み込もうとしていようと・・・満司と言う男が再び唯子を肉欲の虜に堕とし、この家庭を壊してしまおうと・・・・この幸せは本物だった。いや、だからこそ、今のこの幸せがどれだけ貴重なものなのか実感できる。儚く、脆く、弱い・・・しかしだからこそ貴重で、大切で、尊い・・・。
暁年と暁人はこの儚く尊い幸せをかみしめながら、ほんの短いつつましやかな三人きりの夕食を噛みしめていた。何故か暖かな気を回りに感じ・・・自分を応援してくれるような魂の共鳴を覚えずにいられなかった。
(この心のぬくもりは何だろう?)
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「その調子じゃ・・・わしらはこの空間では魂の中に主体的に関わることが出来ん」
「わしらは?・・・それって・・・漆黒の短剣自体は関わることが出来ると?」
「暁人・・・何を言っておる。ここはすでに漆黒の短剣が作り出したイメージの世界。わしらはその狭間に紛れ込んでいるにすぎん。奴から検知できない代わりに、我々はその作り出したイメージに触れることは出来ん」
「それじゃあ僕たちは・・・」
「左様・・・暁年を励ます事しか出来んのじゃ」
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一家が儚く、脆く、弱い、しかしながら貴重で、大切で、尊い幸せの瞬間(とき)を過ごしたのはほんの一瞬の短い時間だった。その安寧は長くは続かなかった。漆黒の短剣がその幸せを貪欲に奪い取り始める。
やがて暁年は残酷な事実に気が付いてしまう。唯子の表情がわずかに上気していることに・・・。そして、股間をもじもじと落ち着かな気に擦り合わせされていることに・・・。先ほどから暁年の心に響く素粒子の声が、ひたひたと心に囁きかける。
【そう・・・これこそがお前にふさわしい幸せ・・・惨めで、儚く、すぐに奪い取られるだけの惨めな幸せ。踏みにじられ、裏切られるだけの、かりそめの幸せ。不幸の代償でしかない幸せ・・・。お前はすでに気が付いている。お前の淫らな妻は、こんな儚く尊い幸せなひと時にすら、股間の疼きを止められない・・・】
その声はいつの間にか唯魔子の嘲るような声に変っている。
【これから、それすらも奪われる絶望をじわじわと味合わせてやろう】
唯子は股間を強く、きつく閉じ合わせ、クリトリスを挟み込む仕草を何度もしていた。暁人は気が付いていない。
(セックスバトルを潜り抜けた私には痛いほどわかる。唯子は満司の大きな一物に貫かれる感覚が忘れられないのだ・・・)
淫らな気持ちを抑え込もうとして、かえって邪淫に落ちてしまうマゾの快感を植え込まれた肉體・・・一度刺激しだすと、もう抑えが利かなくなってしまっているのだろう。よく見ると茶碗を持つ手が震え、今夜のプレーにゾクゾクとした淫らな期待を寄せて、その目は上の空になっている。しかし、1か月前は私も暁人と同じだった。私は何も気が付いてやることが出来なかった。すでに唯子はここで戦っていたことを・・・。こんな幸せの一瞬でさえ、淫らな責め苦となってしまっていたことを・・・私は今更ながらに知ったのだ。唯子は確実に「家庭」と言う檻に縛り付けられ、責め苦を負わされ、被虐の快感に良心を痛みつけられている。唯子の隠れた葛藤が、暁年の中の何かを確実に打ち砕いていく。希望が萎み、砕け始める・・・・。
【それこそが漆黒の短剣の求めるもの・・・。お前の信じるもの、お前の愛する者、正義の心、清らかなもの・・・すべてが薄汚れ、汚され、腐り果てて真っ黒になっていく。淫らで邪悪で汚れ切った暗黒に変えられていく・・・絶対的絶望の甘美な瞬間に早く落ちるがいい!】
猫の鳴き声が、いまや唯魔子の嘲笑となって暁年の脳裏の中に響き渡っていた。
こうして、かりそめの幸せな時間はあっという間に過ぎて行った。暁人は満足そうに自室に引き上げて行った。唯子はそれを見届けると、夕食の後片付けを終え、エプロンを外しながら居間を後にする。
「約束の時間ですわ。夜のお着替えをしてきます」
その後ろ姿は、残酷な運命に打ちひしがれている悲しさと、これから始まる背徳のショーへの淫らな期待の混じった、壮絶な後ろ姿であった。
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「ごめんなさい・・・」
私たちが我が家からこっそりと外出した時、唯子がいきなりそう囁いた。唯子は背後に気づかれないように玄関の様子を伺っていたようだ。確かに玄関のドアがわずかに開いていた。どうやら暁人は私たちが外出するのに気が付いてしまったようだ。こっそりと私たちが見えなくなるまで、玄関先で見送っていた。
(まさかこんな早くから気づいていたのか・・・)
暁年は暁人の聡明さや勘の鋭さに舌を巻いていた。その後の暁人の行動を見ていれば、暁人は秘密SMショーに母親が出演していることに気が付いていたことは分かっていた。こんなにも早く・・・彼も絶対的な絶望を味わっていたのか・・・。その後の彼の懸命な活躍と一之介探偵、プールナーナンダ師匠、洋子さんが居なければ、あのようなことは出来なかった・・・。そして綾乃ちゃんも・・・。だが、彼らは今やもう居ない・・・。いや・・・元々居なかったのだ。
この世界では私たちはただ何も出来ずに手をこまねく他はない。これが現実なのだ・・・。
「彼が会場に入れないように、遠回りをして尾行を振り切ろう。彼の聡明さなら、私達に気づかれずに尾行をすることが可能かもしれない。管理人にはきつく言っておこう。絶対に入れるなと。これ以上彼を不幸にしてはいけない・・・」
「ごめんなさい・・・」
暁人が見えなくなるまで、唯子は消え入るような声で「ごめんなさい」と囁き続けていた。そして角を曲がった途端、唯子は涙を流していた。
(それでも満司を求めてしまう・・・そんなにも強く彼に依存し、愛してしまっている・・・私や暁人の知らない所で・・・自ら満司を愛するように変えられてしまっている。そして最後には、魂を真っ黒に染め上げられ、悪事に手を染めてしまう。背徳の快感に沈み込みながら、家族や友人を巻き込んで不幸に堕としていくようになる。私たちはそれをこれから嫌と言うほど思い知らされる・・・・)
(そして・・・私ひとりの力では、牝豚奴隷に変えられてしまった唯子を取り戻すことなど出来ない事を、嫌という程思い知らされる)
それは過去に起こったこれから起こる未来・・・。そして、プールナーナンダ師匠がいない今、それを受け入れることでしか「セクストーション」ですら解決できない。
「いいんだ・・・唯子・・」
暁年は再び唯子を抱きしめていた。
(そうだ・・・それでも私は、唯子とともにありたいと願っていた)
(いずれ君は・・・魂まで満司に売り渡してしまう・・・究極の快感に打ち震えながら、ドロドロの幸福とともに絶望のどん底に沈んでいく・・・関係するすべての人を道連れにしながら・・・・私はそれをすでに知っている)
ならば私も、一緒に無限の絶望に沈んでいくべきなのかもしれない。暁人が巣立てば、唯子と二人だけであるなら、私はそうしなければならない。今のこの儚い幸せにすがってでも、唯子と共に生き続けなければならない・・・。彼女が嬉々として悪事に身をやつすようになったときは・・・・平気で他人を不幸にし始めたときは・・・・考えたくもなかった・・・・。
【あははははっ・・・絶対的な絶望・・・甘美な絶望の声を上げるといい!あはははっ】
暁年の頭の中で唯魔子の声が、猫の鳴き声のように響き渡っていた・・・・
これは愛なのだろうか?・・・絶対的な絶望が暁年の希望を打ち砕きつつあった・・・