⇒⇒⇒一応ですね・・・この回はBGM指定です。グレンラガンの神曲「"Libera me" from hell」です。
https://www.youtube.com/watch?v=db168x55Sg0
---------登場人物---------
秋月 暁人:主人公
秋月 唯子:暁人の母(旧姓:住吉唯子)
秋月 暁年:暁人の父(M商事・開発部・課長←オリジナル設定)
三好 満司:調教師・主人公の遠縁(暁年の母方の従祖母の孫娘の夫)
三好 聖満:満司の子
藤原 綾乃:暁人の恋人(オリジナルキャラ)
パタンジャリ・プールナーナンダ:ヨーガ修行僧 (オリジナルキャラ)
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その後、唯子は決して私の病室に来ることはなかった。看護師に唯子の容態を聞いても、私に教えようとはしなかった。
「ご家族以外の方は守秘義務が有るので・・・」
そう冷たく言い放ち、私をベッドに押さえつけるだけだった。その後も私は何度かその看護師に聞いたが、
「三好唯子さんに関しては何も・・・ご当人の同意も得られないので」
その度に彼女はそう言うだけだった。嫌な予感がよぎる。
(当人の意識が無かったら、同意も得られない・・・・)
私は質問の矛先を変えた。
「その・・・彼女の家族の方は・・・ちゃんと見舞いに来ているのですか?」
意外な質問に、どこまでこたえてよいか逡巡した看護士が口を滑らせる。
「入院されてから一度も・・・彼女に家族が居るのかどうか・・・お独り身の方だと・・・」
情報を漏らしてしまった事に気が付いた看護士が、そこで言葉を途切らせる。
絶望の悲しみが・・・私を襲う・・・・
【満司さんからお暇を出されましたの】
そう言う事だったのか・・・。すでに唯子は満司から解放されている。いや・・・捨てられている。私からの解放だけが彼女の願い?・・・いや、そんな事ではない。彼女が求めているのは罰でしかない。満司に傾倒してしまった自分を呪い、涙を流しながら悪事に加担した自分が許せないだけだ。
(私に拒絶させることで、彼女はその罪を全うしようとしている)
これでは彼女の魂は少しも解放されない・・・。
それから1週間・・・私はやっと立てるようになり・・・やっと5歩ほど歩けるようになり・・・やっと10mほど歩けるようになった。そして、「三好唯子」の病室の前に立っていた。ドアをノックする。答えはない。思い切ってドアを開く。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
病室はもぬけの殻だった。私に気が付いた看護士が唯子の行き先を教えてくれた。唯一、外部の者に公表できる病状を教えてくれていた。
「三好さんならICU(Intensive Care Unit:集中治療室)に行かれましたけど。昨夜、病状が急に悪化しまして・・・危篤状態です」
私はきしむ関節をこらえながら、ICUがある階まで何とか歩いていくことが出来た。ガラスで囲まれた扉の向こうに、危篤状態に陥った患者をバタバタと処置する数人の看護師と医者の姿が見えた。ICUに置かれた特別な医療ベッドから、何本もの点滴の管と様々なセンサーや電子機器の配線が伸びている。病衣から露出した肌には忌々しい邪悪な淫紋がくっきりと彫りこまれている。だが、その左手の薬指にはまだ結婚指輪が煌めいていた。
(私と決別したのではないのか・・・唯子?・・・)
私がICUに入ろうとした途端、屈強な看護師が私を押しとどめる。
「ここは入室禁止です。下がって、病室にお戻りください」
私はこの時になって全てを理解していた。伝えなければならない・・・・
「ダメだ・・・私は唯子に「強い愛」を悟らせてはいない。この世に生を受けたことを後悔したまま死なせてはいけない。真実を知らせなくては・・・・」
「何を言ってるんです?」
「本当の事を伝えなければならない。なぜならそれが愛だから・・・それこそが生きる事だから・・・「強い愛」を持たせなくてはいけない」
「おい誰か来てくれ!」
私はその看護師ともみあいになり、集まった数人の看護師に取り押さえられそうになった。
「喝!・・・邪淫退散!!」
だが・・・能力を失った・・・いや、それを教えてくれる人を失った私がそう叫んだところで、看護師に何の影響も与えられなかった。その場で組伏された私は、ズルズルと床を引きずられ、廊下に連れ戻されようとしていた。
その時、唯子に取り付けられたICUの生態モニターが一斉にレッドアラートに変化する。
「おい何をやっている!看護師集まれ!!」
担当医が叱責すると、私を置いて看護師が一斉にICUに入り込んでいく。そして、モニターのグラフが全てフラットに変化する。
私はフラフラと立ち上がると、ガラス越しに唯子を見つめていた。酸素マスクに覆われたその顔を一心に見つめる。せめてその顔が、安らかでありますように・・・そう願いながら一心に見つめていた。
「午後8時32分・・・心、肺停止・・・瞳孔の確認・・・死亡を確認しました」
ペンライトで瞳孔の対光反射確認を終えた担当医は、機器の数値を診断書に記入しながらそう宣言し、唯子から酸素マスクを外していた。唯子の死に顔は絶望に歪み、苦痛の表情しか浮かべていなかった。
「ぎゃあああああああああああっ」
私は絶望の叫びをあげていた・・・・唯子は地獄に行ってしまった・・・。後悔と慙愧の中で苦しみながら・・・・。
絶対的な絶望が私を支配していた。あらゆる後悔と無念が私を捉え、魂をずたずたに引き裂いて行った。どこをどう歩いたか分からない。気が付くと病院を飛び出し、薄暗い道端を歩いていた。郊外に建てられたらしいこの病院の回りは田んぼや畑ばかりで、点々と灯る街灯以外の明かりは何も見えない。時折、その田舎道を自動車が通り過ぎて私を照らし上げていくだけだった。やがて雨が降り始め・・・惨めに打ち拉がれた私をずぶ濡れにしていく。丁度よかった。惨めさに追い打ちをかけるように降り出した雨に包まれながら、私は闇と同化し始めていた。寒さに身体ががくがくと打ち震え、絶望がさらに強まっていく。震える手を見ると暗闇の中に溶け込むように、すでに半分透けてみる。やがて私は立っていることも出来なくなり、ひざを折ってその場にへたり込んでしまっていた。気が付くと虫の息で、呼吸すらままならない。
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プールナーナンダがその波動を感じて眉間をピクリと動かす。
「暁人見よ!」
マリンスノーの一つとなって漆黒の闇に漂っていた暁年の魂からその輝きがすべて失われ、闇と混然となって区別がつかなくなっていった。
「師匠・・・これって・・・」
「左様・・・暁年の魂を追うことは出来なくなった。最悪の事態じゃ・・・今や暁年は孤独に漆黒の闇に漂い、取り込まれつつある。すなわち魂の死・・・」
絶望のイメージがチーム「MRO」全員に覆いかぶさっていった。
その時・・・淡いピンク色をした美しい光の玉が一同の頭上に輝きながらフラフラと漂いながら近づいてくる。そしてある一点を中心に輪を描くような公転運動を始めた。
「あれは・・・あの美しい光は・・・・」
「左様・・・唯子殿の魂じゃ・・・今でも美しく清々しい気を感じる」
プールナーナンダそう言いながら、ピンク色の光を放つ魂を一同の輪の中心に導く。
「それでは・・・この球の回転運動の中心に・・・」
「左様・・・消えかり・・・死にかかっている暁人の魂がまだ何とか存在しておる」
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葛城の運転するZ4は首都高に入った途端、渋滞に巻き込まれてしまっていた。どうやら大きな事故が上り車線であったようで、金港JCT辺りから全く動かなくなってしまう。
「必ず門限に間に合わせるから・・・」
そう言った葛城は金港JCT料金所から一般道に出ると、夜9時過ぎの真っ暗な田舎道を飛ばし始めた。江の島を過ぎたあたりから降り始めた雨はかなり本格的になり、視界はすこぶる悪かった。ヘッドライトが当たった場所しか、景色らしい景色は見えない。遠い街灯をぼっと眺めていた唯子は道端に老人が倒れているのを偶然見つけてしまう。
「葛城さん・・・止まって下さい・・・今、老人が道端に・・・」
「えつ?・・・こんな時間に・・・こんな場所に?何かの見間違いじゃないですか?」
「いえ・・一瞬でしたけど、確かに人の影が・・・」
「でもこのままでは門限に・・・」
「構わないのでお助けしましょ」
にっこりとほほ笑む唯子に負けて、葛城が車をUターンさせると、確かに道端に人が倒れている。その近くに車を寄せてもらうと、唯子は傘を差し出しながらその人影に声をかける。
「どうされました?大丈夫ですか・・・」
老人だと思っていた人影はまだ60台の初老の男性だった。しかし、その身体はやせ衰えて、ブルブルと震えている身体はかなり衰弱しているようだ。何よりも声をかけてもあまり反応せず、その場にへたり込んで何時間も経っているような有様だった。
「どうやら歩けないようです。ずいぶんと意識が混濁している感じです」
クルマに向かって声を掛けた唯子は途方に暮れたようにそう告げた。葛城がスマホを取り出し、119番通報を入れて救急車を要請する。だが、首都高で発生した大事故で、付近の救急車は出払い、すぐには対応できないとの返事であった。
「どうしましょう?」
雨脚はますます強くなり、当分止みそうにない。道端に座り込み弱り果てている初老の男を見捨てる訳にはいかない。
「残念ながらこの車はツーシーターです。このご老人が座る席はない。次の車が来るまで、傘をお貸しして、ここに居てもらうほかないでしょう」
その言葉を聞いた途端・・・唯子の中で失望が広がっていく。
(違う・・・)
何故かそう思ってしまっていた。葛城先生の言う通りなのに・・・。何かもっと良いやり方がないのかしら・・・。そして、ある考えが頭をよぎる。
「私がここにとどまりますから、この方を付近の病院までお連れになって下さい」
何でこんな事を考えたのだろう・・・。でも、それが一番良いような気がしていた。なぜなのだろう・・・私にとっては最悪なことになるのに・・・・。以前の私だったらこんな事は絶対に考えない。
(「以前の私」?・・・・)
脳裏に浮かんだ不思議な考えを断ち切って、せがむように葛城を仰ぎ見る。
「今調べたのですが、救急をやっている病院はここから30分以上はかかります。往復1時間以上こんな辺鄙な場所にあなたを置いて行くことは出来ませんよ。それにこんな雨の中・・・肺炎でもなったらショパコンの予選に間に合わなくなります」
葛城の言う通りだった。まさにその通りだった。しかし、先ほど心の中で出した唯子の結論は違っていた。
(違う・・・きっと違う・・・)
「それはここにいる老人も一緒ですわ」
「傘も持たずにこんなところをウロツク方がおかしんです・・・自業自得なんですよ」
あくまで常識人の葛城が理性的にそう返事を返す。その通りだった。こんな遅くに、傘もささずにこんな辺鄙な場所にいること自体がおかしい。だが、それでも唯子は納得できなかった。なぜ?・・・なぜ私はこの人が気にかかるの?・・・なぜなんだろう?
「この次の車には私が乗っていきますわ」
「何を言っているんです?それこそ危ないですよ。そんな事は僕にはできません」
これが本当の優しさ?これが本当の愛?・・・きっとそう。これが普通の優しさ。これが普通の愛・・・
(暁年さんとは違う・・・)
暁年さん?・・・・ふと左手の薬指を見てしまう。そっと指の根元を摩ってしまう。
「そんなこと暁年さんだったら言わないわ!」
思わずそう言っていた。「暁年」・・・言った先から唯子は自分が何を言っているのか分からなくなる。でもとても暖かな何かを感じる。重大な何かを置き忘れてきたような、懐かしさと悲しみが合わさった不思議な思い・・・。だが、その言葉を聞いた葛城の顔は違っていた。
「それがあなたのファーストキスのお相手ですか?」
「・・・・・・・・・」
皮肉が顔に浮かんだような嘲りの笑い・・・唯子が嫌いな表情・・・どことなく・・・満司さんを思い出させる・・・「満司さん?」・・・誰だったかしら?何か悲しい疼きを股間に感じる・・・。果てのない快感の無限の苦しみ・・・・。強烈で悲しい救われない快感・・・。
「葛城さん・・・私はあなたにファーストキスを捧げたかった・・・でも今のあなたは嫌だわ・・・」
「何を言っているんです。私はあなたの事をこんなに愛している。あなたの事を思って言っているんですよ」
突然変なことを言い出した唯子を諫める様に、葛城は困惑顔でそう言うほかなかった。
「でも私は・・・私の魂は・・・このご老人を救えと言っています」
唯子は胸に手を当て、その中に入っているものを慈しむ様にかがみこむ。
「我儘を言わないでください・・・ここであなたを失ったりしたら・・・僕は・・・」
その時だった・・・道路にうずくまる老人から絞り出されるような声が聞こえた。
「もういい・・・・」
その時になって、うずくまっていた老人が混濁した意識を取り戻したようだ。
「私はここに居て次の車に乗るから・・・君たちは行きなさい」
その声を聞いた途端・・・唯子は涙が溢れるのを抑えられなくなる。
(どうしちゃったんだろう・・・私・・・・)
「でもお爺さん・・・それはダメですわ・・・そんなにブルブルと震えて・・・ぐっしょりと濡れて・・・とてもお辛そうですわ」
そう言った唯子の顔を見た老人が一瞬呆けたように穴のあくほど唯子を見続ける。
「唯子・・・・・」
老人にいきなり声を掛けられて唯子は驚きをもって見つめ返す。
「どこかでお会いしました?」
そう言って小首をかしげる動作に、暁年は思えず微笑んでしまう。懐かしいその表情・・・愛おしくてたまらない。
「いえ・・・別に・・・。それよりお嬢さん。ここで私を車に乗せたら、あなたは一生後悔しますよ。私を置いてこのままお家にお帰りなさい。そうすれば、あなたは有名ピアニストとして立派な名声も富も得ることが出来る。しかしあなたが残れば、あなたは強い愛に縛られ、檻に入れられる。つらい、困難な人生しか待っていない。強い愛は自分の幸せには直結しないから・・・」
この老人は私がピアニスト志望だとなぜ知っているの?なぜ帰宅途中だと?まるで預言者のように自分の事を言い当てる老人を見て、唯子は思わず聞いてしまっていた。
「あなたにとっての「しあわせ」とは何ですか?」
「私はね・・・たった一人の人と家庭を持つことが「しあわせ」だったんです。その人と共に世界の人々と仲良くし、全ての生き物と共に生き、富や幸せを追求していく。そして子供を産み、育て、よりよい未来を提供してあげる。その人と共に理想の社会を作っていくことが私の「しあわせ」でした・・・」
「まあ・・・何て素敵な・・・大きい「しあわせ」ですね」
全てが過去形で語られることに違和感を覚えながら、唯子はその老人の「しあわせ」のすばらしさに感動を受けていた。
(そう・・・結婚前に・・・唯子・・・君は全く同じ事を言ってくれたんだよ)。
そして、何と言ってくれたかな・・・
「正義の味方みたいだって言われました」
「正義の味方みたいですね」
二人の言葉が重なる。思わず顔を見合わせてしまう。唯子は改めてその老人の顔を見つめる。胸がキュンとして締め付けられるような切ない思いがこみ上げる・・・なぜかしら?
「私がこのままあなたを置いて行ったら、それこそ私は人生を踏み外す・・・そんな気がします。自分の欲望に負け、人に振り回され、自分の人生を生きて行くことが出来なくなる。自分で考え、自分の意志で生き、自分を含めた世界全体を考えることが難しくなってしまう。」
「イド(id)の怪物に気をつけなさい・・・」
だが、老人はそう謎の言葉を残すと、唯子を振り払うように立ち上がり、元来た道を引き返そうとし始める。
「ウグックククッ・・・」
老人が苦しそうに胸を押さえる。
「おじいさん・・・お薬は持っていないの?・・・葛城さん・・・私を置いて、このご老人を・・早くしないと・・・」
「いいんだ・・・私は何をなすべきなのか・・・今やっとわかった。行ってください」
老人はなおもそう言うと、先に進もうとする。
「葛城さん」
唯子が求める様に葛城に振り返る。だが、葛城はそんな唯子を、聞き分けのない子供の様に無視して続ける。
「その老人も必要ないと言っているじゃないですか?行きますよ」
だが、イヤイヤをして、唯子は車に乗ろうとしない。
「先ほどからもうあなたも随分と濡れています・・・このままでは風邪をひいてしまう。あなたの才能はこんなところで道草を食って無駄にするような才能ではない。お願いだ・・・もう行きましょう。きっとすぐにほかの車が通りますよ」
そう言って葛城は老人に傘を持たせると、嫌がる唯子を車のシートに押し込み、Z4を発進さてしまう。
(違う・・・)
何処からともなくピアノの音が聞こえ始める。その音は強く、繊細で、真摯だった。まるで・・・綾乃ちゃんのよう。まだ拙いけど技量に現れない不思議な美しさが出ている。綾乃???そう思った途端・・・すべてが色づき始める・・・心が温かくなっていく。魂が叫び声を上げ始める。
「暁年さんだったらこんなことしない!絶対にしない!」
再びそう言っていた。ふと左手を見るといつもの位置に指輪があった。暁年さんからもらった指輪が・・・。唯子はその指輪を固く握りしめるように拳固を作ると葛城の胸を叩き始める。
「お願い止まって・・・葛城さん・・・私を失望させないで」
更に胸を叩く唯子に負けて、葛城は100mほど車を走らせて停車する。唯子に向き直り真摯に説明を続ける。
「僕を信じてください。僕はあなたを愛している。あなたに幸せになってもらいたい。あの老人が、ああなってしまったのは可哀そうなことです。でも、それは救急車が来ないのでは仕方がない。運が悪かったんです。田舎と言ってもここは首都高の近くです。すぐに次の車が来るはずです。さあ冷静になって・・・」
唯子が落ち着くのを待って、葛城はハンカチを胸ポケットから取り出すと、涙に濡れた頬を拭い始める。唯子の白いブラウスが雨に濡れて、ブラジャーがほとんど透けて見えるほど肉體の線をくっきりと浮かび上がらせている。
「良いですね・・・あなたはあの老人を見なかった。あの老人はすぐに次の車に見つかって、すぐに助かります」
そう言って再び唇を寄せようとする。
その時突然、自分の胸の中に暖かなものを感じる。不思議な感覚・・・自分をいつくしむ暖かなぬくもりを確かに感じる。それは儚く、小さく、弱い・・・しかし、確かで、大きく、強い。矛盾した存在・・・小さいのに大きい。
「暁年さん!」
そしてその顔を・・・その大きな心を・・・大河の様にゆったりとして心強く頼もしい人を・・・思い出していた。
バシッ
唯子は思わす葛城の頬を打っていた。
「あなたが愛しているのは、あなただけだわ。あなたは私の事なんか見ていない。あなたの教え子の私しか見ていない・・・あなたの代役としてしか私を見ていない!」
急いで外に出ようとして助手席のドアを開けようとする。そして、初めて気が付く・・・自分がやり残していたことを。20年間わだかまっていたことを・・・そうだった・・・そう言う事だったのか・・・私がやり残していたこと・・・。唯子は葛城に向き直り、しっかりと彼に自分の思いを伝える。あの時、はっきりと言わなければならなかった事を・・・。
「葛城さん・・・あなたのすべきことは私を指導する事じゃない。「強い愛」です。あなたは私に逃げてはいけない。あなたのなすべきこと・・・それは自分に打ち勝つこと。死や私に逃げるんではなくて、病を克服し、ピアノを極める事。それがあなたのなすべきことなんです。逃げないで打ち勝って!自分に・・・そしてピアノに・・・。そうでなければ、私も「本当のしあわせ」になれないんです。あなたに「強い愛」を渡せなかった自分が許せなかったから。あなたに「本当のしあわせ」を掴んで欲しいから・・・そしてあなたを愛していたから・・・」
これを言わなかったばっかりに、私はずうっと流されていた。やがて悪に捕まった時も、私はそれに染まってしまった。抗う事をやめた途端に、人は流される。言わなければならない事、訴えなければならない事、抵抗しなければならない事、・・・それがどんなに困難でも、どんなに辛くても、どんなに自分に不利でも・・・抗い続けなければならない。
(暁年さん・・・そう言いたかったのね?許してくれるわよね?)
そう言うと、唯子は葛城にその唇を重ねていた。心からのファーストキスを捧げていた。
「お別れのキスですね・・・」
悲しそうに私を見つめる葛城浩夢は、しかし深く頷いていた。
「あなたの魂の中で生きられてよかった・・・ありがとう・・・行ってください」
そう・・・本当の私は、ここに居てはいけない。私の行くべきところは決まっている。唯子は転がり出る様に葛城が運転するZ4から降りると、暁年の向かった先を目指していた。
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「母さんの魂が父さんの魂の周りを回っている!父さんの魂はまだ存在してるんだ」
「そのようだの・・・魂の共鳴じゃ。互いに惹かれあい、相互作用しようとしておる。本当に美しいの」
「まるで踊りを踊っているみたいだ!」
「それに何だか・・・輝きが増しているみたい・・・二つとも・・・なんだかとても綺麗」
「眩しいくらいだ・・・輝きがどんどんと増している・・・」
「今がチャンスじゃ!皆の気を集中させるのじゃ!」
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暁年が向かった先はもと居た病院だった。ICUのある階に行くと、唯子が今にも運び出されようとしていた。
ダンダンダン
一人残って、点滴や測定器を取り外し、唯子の身体をチェックしていた看護師は、ICUのガラスの壁に張り付いて、激しくガラス壁を叩いている初老の男を唖然と見ていた。
「あいつまた来たのか・・・」
ICU内のインターカムを押して、ナースセンターに連絡を入れる。
「秋月さんまたこっちに来ているよ。早く連れ戻してくれないかな・・・」
ダンダンダン
ガラスの壁を割らんばかりに、必死で何かを叫んでいる。気が付くと20前後の女性がそれに加わり始める。二人とも雨にぐっしょりと濡れている。
(秋月の娘だろうか?)
看護師が注意しようとICUの扉を開けた途端、ずぶ濡れの二人が雪崩打つように入りこみ、三好夫人のベッドに駆け寄っていく。
「ああっダメだよ・・・死体に触れちゃぁ・・・」
暁年が、横たわった死体の胸に手を掲げ、一心に祈り始める。
「何だ?・・・宗教か何かか?いずれ応援が駆けつける。その時はつまみ出すから、とりあえず今はそれ以上何もするなよ」
二人を遠巻きにしながら、看護師は警備員や仲間の応援が来るまでの間、この狂人が患者や機材を傷付けないように監視することにしたようだ。
「マニュアル通りのいい対応ですよ」
暁年は看護師にそう言いながら、ICUのベッドで横たわった女性の、刺青だらけの左手を見つめた。その薬指からはいつのまにか結婚指輪が消えている。
「この女性は?」
唯子が不思議そうに、その女性の顔を覗き込みながら尋ねる。その年老いた苦しそうな顔を見た途端、胸に電流が走った様な不思議な感覚を覚える。
「私が愛している女性だ・・・だが、21年間も手放してしまっていた。「永遠の愛」を妄信し「強い愛」を忘れて、努力を怠ったためだ。私は彼女とともに解決しなければならない問題に一人で勝手に立ち向かってしまった。彼女も多分そうだった。だから、私達の愛は邪悪な男に毟り取られてしまった。なのに・・・彼女は自分のせいだと思い込んでいる。だから、彼女は自分を罰しようとして、地獄へ勝手に旅立って行ってしまった。だが、それは間違いだ。彼女の魂は救われるべきだ。それをちゃんと分らせてあげなければ。彼女の中にまだ私への愛が息づいている間に・・・・」
「死んだ人間に魂や愛を?・・・一体どうしようというのですか?」
「彼女はまだ死んでいない。まだ間に合う。少なくとも、魂も「強い愛」も彼女はまだ持っている」
「どういうことですか?何でそんなことが分かるんですか?」
唯子がそう問うた時、暁年がゆっくりとほほ笑みながらしっかりと唯子を見つめる。
「あなたが私を追ってきたから」
「えっ?」
そう言って唯子の左手の薬指に光る結婚指輪を眩しそうに見つめる。
「あなたが、彼女を救うんです」
「えええっ?」
「私は、彼女の20年前の世界からここに来た。ここに居る彼女の姿は私が手をこまねてい何もできなかった時の姿だ・・・。何も手を出さないで、出せないで、手をこまねいていた時の成れの果ての姿だ」
悲しそうにその年おいた姿を見て暁年が決然として続ける。
「今度はあなたに正義の味方になってほしい。20年前、私では解決できない問題が発生する。悪辣な男と、魔女の企みを受けて私は絶望に陥った。漆黒の闇は私をさらなる絶望・・・絶対的な絶望を与えるため、私をこの世界に飛ばした。そして彼女が死んだ今・・・私はすぐに20年前に戻される。だが彼らは誤算していたようだ・・・。あなたと再び出会うことなど彼らは予想だにしなかった。魂の呼応など・・・魂の調和など・・・魂を持たぬ存在が気付くはずもない・・・」
「再び出会う?」
「そう・・・私はやっとすべてを思い出した。私は再びあなたと会うためにここに来た。その為だけにここに来た。そして、あなたを救うために、あなた自身に救ってもらう事でこの女性を救います」
暁年はそう言いながら唯子の右手を取ると、じっとその目を見つめた。唯子の中で再び電流が走ったような感覚が走り、体中が熱くなっていくのが分かる。そして・・・すべての事が走馬灯のように思い出されていく。
「暁年さん?」
「暁年さん!」
「暁年さん!!」
暁年は唯子の右手を掴みながら、左手を横たわっている女性の胸に再び掲げた。
「さあ、私の手にその左手を重ねて」
「はい・・・」
暁年の薬指に自分と同じ指輪が輝いている・・・。その上にゆっくりと左手を重ねた。不思議な光がその手の回りからあふれ、横たわっている女性を包み込み、少しづつその女性の顔から苦しみの表情が消えていくような気がした。
「そろそろ戻る時が来た・・・一緒に闘ってくれるかい?・・・」
「うん!」
そして・・・看護師のすぐ目の前で二人の人間が光の粒に囲まれながら忽然と姿を消した。