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翔は警戒を解き、かつての想い人との再会を喜んだ。
「ああ、本当に久し振り。…というか、名前を言ってくれればすぐ分かったのに」
「いやいや、言って気づかれなかったらすごいショックじゃない?だからこう、尾上くんが覚えてそうな思い出を刺激してみたんだけど」
「それにしても回りくどすぎる気が」
「気づいてくれたからいいの!」
かつては女の子とのまともな会話どころか、挨拶すら不審だった翔は、唐突に現れた女子に対してどもることなく、円滑な会話が行えていた。
多少見知った仲だというのもあるが、この三年間で、童貞を失って、ずっと渚と深く関わり続けた結果、女子という存在と話すことへの気後れは無くなった。
能動的に翔の側から話題を振ることはほぼ出来ないが、こうやって相手から話題がどんどん提供されるならば、同年代の女性に違和感のない自然体で会話ができるようになっていた。
「誰とここに来てるの?まさか……1人」
「違う違う。渚と一緒に来てるよ。あいつは今トイレ」
「うわぁー!藤北くんもいるの!?懐かしい!」
「そういうそっちは……1人?」
「違うよー!テニスサークルの人たちと一緒!観覧車に乗りたいって言われたんだけど、私高い所怖いから、こうやって待ってたんだ」
かつての性格とテンションは健在のようで、話している内に小学校の頃の記憶が、思い起こされ始めた。
──小学生とは大人がしていることに憧れて、背伸びをしたがるもので、翔が通っていた小学校では特に恋愛事に対して、それが顕著だった。
閉鎖的環境で行われる幼き恋愛劇は、まさにおままごとのようで、大半は付き合っては速攻で別れるか、恋人がいるというステータスを守るために、だらだらと付き合い続けるかの、どちらかだった。
しかしそんな、惨憺たる結果を目の当たりにしても、シークレットブーツを履いた自称大人達は、自分達は違う、と恋に恋をして、好きな人を見つけ出そうとするのである。
そしてその空前の恋愛ブームの最中、翔も発見した。
心ときめく女の子を。
それが同じクラスの、山浪夏海だ。
テニスを習ってるという個性に加え、とても快活な性格をしていて、よく誰かと笑っているところを見かける、クラスのムードメーカーのような女の子だった。
しかし、恋をしたからと言って、積極的に喋るほどお互いのことを知らなかった故に、会話の機会に恵まれず、義務的な会話をする時ぐらいにしか、彼女と喋ることはなかった。
だが、翔にとってはそれで充分であって、気がるに話せないからこそ、たまに雑談できた時の嬉しさで募っていく恋心に、ドキドキと高鳴る胸。
翔はこれが恋愛なのだと、散々思い知った。
だが、その想いを伝える勇気はないまま、進級と共に彼女とは別のクラスになり、夏海が翔とは違う別の中学校に進学してからは、恋は遠い過去のものとなった。
この失恋とも呼べない、片思いが破れて以降、渚が女になるまで、同年代の女子と関係を結ぶ機会は、とんと訪れなかった。
甘酸っぱいようで、少し苦い回歴を終えて。
何故こうも昔から自分は思いを伝えることができず、衝動的な欲求に突き動かされない限り、永遠己の中で抱え込んで、熟成させて、腐敗させるのか。
そんな自己嫌悪の海へ沈んでいこうとする翔を、夏海が引き戻した。
「ねえねえ、藤北くんどんな感じになってるの?写真とかない?」
「……あー。それなら、前にプリクラで撮った奴が……。あったあった、これ」
最近流行ってるから、と渚に連れられ撮ることとなった、プリントシールが収まったアクリルキーホルダーが、鞄のチャックへと取り付けられていた。
落ちないように、外側のポケットに入れていたそれを取り出し外すと、夏海に手渡した。
それには、過剰に盛るということはなかったが、最低限にキラキラとしたエフェクトを散りばめさせて、仲良くピースをしている2人の姿が、写っている。
「どれどれ……え?こ、この横のショートボブの子?」
「そうそう。あいつ、TS娘になったんだよ」
「えっあっ、そうなんだ!?」
「そうなんだ」
記憶の中と全く異なっている級友をしげしげと眺めて、夏海は感嘆の息を漏らす。
「へえー……。いやぁ、本当に美人になるんだね」
「そっちはTS娘と会ったことない感じ?」
「うん。……藤北くん、女になってから、何か変わったりした?」
「ん?いや、あいつはあいつのままだよ、何も変わってない。昔みたいにしょうもない嘘ついて、笑ってるぜ。前は実はネッシーが日本海にいて、名をニッシー、なんて法螺吹いてたなあ」
差し出されたキーホルダーを受け取り、チャックへ取り付け直している翔の語りを聞いて、夏海は嬉々として言の葉を紡ぐ。
「尾上くんって、あの頃から変わってないんだね」
「え。どうして」
「藤北くんの話になったら凄く嬉しそうになるの、昔からそうだったじゃない?」
そう指摘されると、翔は自分が口角が上がって目尻が弛んでいる、ニヤついた表情を浮かべていることに驚く。
「おお、こんなニヤついてんだ俺…」
「うん、それはもう!今も仲良しなんだね」
「……ああ、お互いあの頃から変わんないよ」
一つだけあの頃とは違う、後ろめたいことを隠して、翔は渚との永劫の友好を主張する。
翔の主張を飲み込んだ夏海は、少しの逡巡の後、翔に問いかける。
「……ね、尾上くんから見てさ。私って、変わった?」
「ん……それは、どこらへんが?」
「えー、と。外見じゃなくて、中身かな?……どう?」
少し間延びした話し方、距離の近さ、この世の全ての不幸を笑って飛ばしてそうな底抜けの、明るさ。
外見は大きく違うけれど話している内に、思わず小学生の頃を想起させて、懐かしむぐらいに、内面的部分はあの頃と変わっていないと、翔は感じていた。
故に、翔はありのままの感想を夏海に伝える。
「……山浪さんは、小学生の時よりも綺麗だけど、中身はあの頃の明るさのままで、全然変わってない」
「……うふふ、そっか。あ、尾上くんのちょっと変わった部分発見!お世辞が上手くなってる」
「いやいや、こんなもんだった気がするよ」
「えー?……じゃあさ、これは変わってない?」
問いの主題を明らかにする前に、夏海は翔に横に詰めるように手で指示をした。その通りにベンチの右端に体を寄せると、すとん、と翔の隣に座りこんだ。
夕焼けによる逆光で表情が伺えないまま、喧騒の中、よく通る澄んだ声が翔の耳に届いた。
「──君が小学生の時に、私を好きだったこと」
*
──思ったより進まない列だ。早く個室にたどり着けることを祈る。
後ろを振り替えると、翔はベンチでパンフレットを開いていた。
翔を待たせているのはよくない。只でさえ負担をかけ続けているのに、これ以上は駄目だ。
さっさと済ませなければ、とちょっと焦って、でもどうやっても進むことはできないから、別のことを考えることにして、焦りを遠くに押し退けようとした。
──こうやって今は意識しなくても女子トイレに入ろうとするけれど、女になりたての頃は思わず男子トイレに入ってしまうことが珍しくなかったな。
女になって4年にもなると、もうないけれど。
……翔にも、こういうことで迷惑をかけたな。
男の時の常識で行動する俺を,何回そうじゃないって止めてくれたか、数えられないぐらいに。
感謝しても、感謝しきれない。
思えば、病室にお見舞いにきてくれた時に、色々不安になってた俺を気遣って、お前はお前だって、保証してくれて、それから学校でも色々助けてもらったから、今こうやって生きてるって言っても、過言じゃない。
でもそこで甘えに甘えたせいで、男の頃の振る舞いをこいつの前だったら続けていいんだって思い込んで、無防備で無遠慮な対応をするようになってしまった。
スカートのまんまで部屋に上がったり、男の頃のノリで下ネタを話したりして。
それが、1年経ってからのあの夏の日に押し倒しされる原因になったんだなって今は反省してる。
あの日は、いつものように今日あったことを話してたら、俺が告白したらどうする、なんて珍しい反応をしたから、冗談で、いいよって返したら、まさか押し倒されるとは思ってなかった。
俺を性的な目で見てたってとこにびっくりはした。
けれど、顔と体が女であることを忘れて、距離を考えずに付き合ってたことにちょっと思うところがあったし、この体になってから、ずっと助けられっぱなしだった。
謝罪と礼、というにはおかしいけれど,親友のお盛んなそれを受け止めるぐらいは、いいかなと思った。
でも、女になってから、誰からもみだりに体に触られるのが嫌いになってて。
あの病院の時みたいに、手なら特に嫌ではないんだけれど、他の部位は駄目だった。
それで、多分翔にも触られたくないんだろうな、と予想してたから、終わるまで我慢しようと思っていたんだけど、不思議なことに、こうやって実際に体に触れられてみて、しかもそれはいやらしい触れ方だったのに、翔なら全然平気だってことが分かった。
それであれよあれよと舐められたり、揉まれてる内に、処女を奪われて、最後には中出しされてしまった。
それで、その時の一連の行為が痛かったところもあったけど、気持ちよかったから、そういうことを度々したくなった。
大体はあっちから誘ってくるから、その誘いを受けてするようになった。
そうやってヤりまくっている内に、ふと、翔の手の大きさとか体つきにドキドキしたり、見慣れたあの顔がかっこよく見えたりして、いつの間にかあんなにもあった女性への性的興味が消え失せて、気づいたら、女として翔を好きになっていたのが、ここ最近の話。
体が女になってるから、それに引き摺られて無意識の内に男を求めてるのかな、なんて考えたけど、他の男と付き合うとか、性的感情を抱くなんて嫌悪感が凄まじいし、そもそも翔以外の奴に胸がときめいた記憶がない。
それにもう男の体に戻れない以上、今をそのままに受け入れる方がいいと思ったし、元々、そういう感情を持ってたかもしれないから、なおのこと、この想いを大事にしてる。
で、ここで問題があって、翔が認めてくれてるのは、親友の、男としての自分なのであって、最近芽生えた女の自分なんて当然意識していないこと。
唐突に恋愛感情をぶつけられても翔は困るだろうし、そういうのを恐れてる節があるから、今のところは、この好きは言えずじまい。
俺も、今までの絆を否定してまで、翔の女になりたいわけじゃない。
女になる前の、性的な感情なんてない親友として接して欲しいのは、ずっと心の中心にある。
でも、それはそれとして、女として扱って欲しいし、愛されたい。
その欲求に従って、今までのように遊びながら、その中でプリクラを撮ったり、アクシデントを装って抱きついたり、手を握ったりのスキンシップをして、恋人の真似事をやってきた。
そして今日は、初めはあの時の思い出をなぞり続けて、あの頃の父さん達と過ごした記憶を、綺麗に再現して復元しようと思ったのだけれど、昼食辺りから、過去よりも今を優先したくなった。
両親に見捨てられて1人ぼっちになって、泣き続けていた俺を、翔は毎日慰めてくれて、今もこうやって外に連れ出してくれた。
俺の心が弱いせいで、消えないんじゃないかってぐらいの心の痛みがあったのが、あいつのお陰で和らいだから、もっと尽くしたい、助けになりたい、隣にいたいという欲求が募っている。
だから、もう戻らないものに焦がれるよりも、今あるものを、大切にしたくなった。
そうして、女になった俺と翔だけの思い出を作ろうとして。
いつもの冗談の延長線上で、恥ずかしかったけどカップル専用メニューを頼んで。
コーヒーカップに誘って、申し訳なくなって。
お化け屋敷で、本気で怖かったので翔に抱きついて。
メリーゴーランドでは、意図せずして体勢が崩れてしまったから、偶々手を繋ぎあえて。
色々想定外のことが起きたけど、何だかんだいい感じになったのは怪我の功名だ。
……あいつは、気づいてくれたかな。
──お願い、気付いて。
──駄目だ、気付かないでくれ。
女の俺と男の俺が交互に祈る。
今日の午後からはそれの繰り返し。
バレたらもう2度とこの、今の俺のように、どっちでもある、絶妙な関係は終了するというのに、試そうとしているんだから、どうしようもない。
思考の連鎖ゲームを続けている内に、列の先頭に来てたようで、賑やかな声がなくなって、僅かに隣から物音がする以外は静かな個室への扉を俺は開ける。
便座に座り込んでショーツをずり下ろし、4年間経って、もう見慣れた自分の女性の部分を露にして、手早く用を足した。
ぽたぽたと尿が滴ってるそこをトイレットペーパーで拭って、おりものシートを取り替えている最中、観覧車の中でどんな会話をしようか想像していると、ある天啓が舞い降りた。
合流したら俺がチュロスを2つ購入して、観覧車の中で食べよう。
あの中に飲食物を持ち込んでいいらしい、とパンフレットの紹介ページのところに書かれていた。
チュロス程度で今日のお礼は返しきれないだろう。
それはまた絶対に別途返すとして、今回は違う味を買って、半分食べたら互いの別の味のチュロスと、交換するのをしてみたいという我が儘だ。
男の頃からしてた気もするけれど、そういうのは恋人っぽくて、やってみたい。
あいつが許してくれたら、いいな。
なんて考えながら、さっきまで付けてたシートをサニタリーボックスに投げ込んで、トイレから出た。
さあさあ、早く行こう。
あいつのことだからパンフレットを見るのにも飽きて空見てるか、意味不明な妄想してるかのどっちかだ。
目を凝らさずとも、あのベンチに、見飽きないあの姿がある、はず──
──でも、何かがおかしいことに気づいた。
……翔が、誰かと喋っている。
その誰かの姿形は、どうみても女のそれだ。
俺は困惑して立ち尽くしてた。
翔は絶対にナンパなんてする性格ではないし、そもそもモテない。でも実際に、見知らぬ女と話してる。しかも、出てきた俺に気付かないぐらい楽しそうに。
女は立って話していたけど、翔に端に詰めるよう手で指示すると、隣に座り込んだ。
それは明らかに、俺がトイレに行って出るまでの短時間での会話で出来るような、距離の近さじゃない。
馴れ馴れしい上に、図々しい見知らぬ女に、心がざわついて足元がフラフラとするような感じがして、気分が悪くなってきた。
……色々考えてみて、出た答えが、宗教勧誘か美人局だった。逆ナンは当然ないだろうから、ここまできたなら、この2つで間違いない。
翔は、何故かそういうのに絡まれやすい人種だ。
2人で出掛けてて、俺がこうやってトイレに行ってる間に、抜け目なく奴らが仕掛けてくることがあって、その度に俺が救ったり、あいつ1人で切り抜けてきた。
そうして、幾度もその被害を受けてきたあいつが、あんなに楽しそうに話しているんだから、よっぽど、上手なんだろう。
そうだ。いつもの通り、俺が追い払わなきゃ、と一歩踏み出そうとした時、ある疑念が過った。
──あの女、どっかで見たことがある。
服装ではなく、顔というか雰囲気というか。
そう認識した瞬間、纏わりつく既視感。
その正体を記憶の深いところから探ると、小学校の頃、いつかのクラスにあんな奴がいたような気がした。
それを前提にして、翔と関わりがあったような女の子を探そうとして。
──知ってたの!?山浪さん!
今まで距離があるから聞き取れなかったけれど、翔の大きな声がこっちまで聞こえてきた。
横の女に投げ掛けたと思うその質問に、女ははっきりと、頷いた。
そこで、分かってしまった。
──あの横に座っている女が、翔の初恋の人だってことに。
そうなると、多少の親交と懐かしさがある分、あんなに距離が近いのも分かるし、俺に気づかないぐらい楽しそうに話してるのも納得できて、しまう。
──あり得ない、何でって、脳が混乱して、早く行かなきゃ行けないのに、盗られてしまうかもしれないのに、足が動かない。
昔、親友にだけ明かす秘密として、山浪が好きだってことを、翔が明かしてくれたことがあって、俺はそんな親友の恋路を応援した記憶がある。
でも、今は、そういう気分になんてなれるわけない。
このまま会話が終わるまで待ってしまったら、もしかしたら翔はあの恋を思い出すかもしれない。
そしたら、山浪に夢中になって、俺を放っておいて、あっちへ行ってしまう。
そんな未来がありありと思い浮かんで、なおのこと、止めに行かなきゃいけないと、考える。
……だけど、そもそも。
2人を止める理由が、俺にあるのだろうか。
少なくとも翔は楽しそうに話していたのだから、合意の上で行われている歓談であることに違いない。
そして、こうやって遊園地に連れ出したり、家に泊まらせてもらったり、翔のプライベートにずけずけと侵入して慰めてもらったりして、俺は迷惑をかけてばっかりなのに、翔の恋模様というか、行動を邪魔する権利なんて、ないんじゃないか。
翔の隣にいるべきなのはこんなめんどくさく、面倒のかかる奴じゃなくて、今も明るくてはっきりとしてそうな、あいつの方がいいんじゃないかって。
──そうやって、うだうだと、悩みに悩んで1人、動けずにいたら。
2人はいつの間にか密着し合っていて。
顔を近づけ、キスをしようとしていた。
……翔は上手いことやったみたいだ。
あんなに良い奴が、不幸になるなんて嫌だから、翔には幸せに生きて欲しい。
大好きな人の幸せを願うなら、このまま成り行きを見守って、長年の片思いが今実る瞬間を祝うべきなんだ。
それが今できる、友人としての最大の恩返しだから。
でも、でも……。
…………翔の隣は、俺だけのもの、なのに。
それを、あいつの初恋だったってだけの、女に。
翔のことを、たった一年ぐらいしか見てない奴に。
好きな食べ物も、趣味も、癖も、特技も、体の温かさも、手の大きさも、キスの味も、安心する匂いも、かっこいいところも、情けないところも、優しいところも、えっちなところも、全部、全部、知らない他人に。
奪われたくない、盗られたくない。
待って。
嫌。
やめて。
やだ。
いかないで。
必死な現実の否定が、いつの間にか喉から声となって次々飛び出して、頭と心を、ぐちゃぐちゃにして。
耐えきれず、もうどうなってもいいから、翔を止めようとしたけれど。
もう、山浪の黒髪が、翔の顔を覆って──。
*
──その夏海の衝撃的な発言によって、会話していても、渚はまだだろうか、と気にかけていた思考が吹き飛んで、翔は驚きを顕にして、声を思わず荒げた。
「──知ってたの!?山浪さん!」
「うん。後で思い返したら、そうだって分かったんだ」
「……よく、気付いたね」
「……え?いやいや、すっごく分かりやすかったからね?私と目が合いそうになったらすぐ顔逸らすし、授業や先生からの用事のことで話しかけたら、いつもどもってたし。まあ、その時の私は何でこんなに距離があるんだろうって思ってただけなんだけど」
「あ、ほんと……。そ、それでどうしてその質問を?」
好意を隠しきっていたと自信を持っていた、小学生の時の、自分の愚昧っぷりに翔は涙しながら質問の意図を問う。
夏海は、翔に甘えるように懇願した。
「……聞いてみたいじゃ、ダメ?」
「特に、理由はないと?」
「うーん。尾上くんの返答次第かな」
「どういうこと……」
「答えてくれると嬉しいなぁ」
足を交互にプラプラと揺らしながら、夏海は翔の顔をじっと見て、返答を待つ。
面と向かっては気恥ずかしいが、バレているのなら、恥の上塗りにはなるまいと、翔はかつての好きな人へ、あまりに遅すぎた告白をする。
「……ああ。好きだったこと、変わってないよ」
「……そっか。じゃあさ、私のどこが好きだった?」
「え。それも言うのか」
「うん。……実を言うとね、私の人生において、大きな謎の1つなんだよ?君が何で、私を好きになったのか」
「そ、そんなに?」
「そんなになの。……で、どうかな」
雀の涙、または蟻の汗に等しいと考えていた己の恋が、当の想い人にとっては一大事だった事実に、またも驚きが隠せない翔。
冗談だろうと疑ったが、真面目な顔をして言うものだから、判別が付き辛かった。
そして、何故好きになったか、と問われれば、記憶の風化によるものなのか、はっきりとした理由があるかどうか、思い出せないのが彼の現状だった。
恋に理由や理屈なんてないと、もっともらしいことを述べようかと翔は思ったが、明確に答えるように強調された責任重大かもしれない、この問いには、相応しくないだろう。
とにもかくにも、理由を思い出さなければならない。
印象に残っていたことを取り上げればいいのではないかと思い付いて、それに従うと、昔の彼女の、天真爛漫とした笑顔を想起した。
そして、度々見ることがあった、時々憂いを秘めた顔をすることとのギャップ。
それらが記憶に焼き付いている為、そこに惹かれたのかもしれない、と結論付けた。
そこまで思案して、翔はふと、何かの引っ掛かりを覚えた。
それが何なのか気にはなるところだったが、とりあえずそれは置いておき、夏海へ答えを返す。
「ええと、……如何せん、昔のことだから、はっきりと言える訳じゃないけど、明るい性格と顔が印象に残っててさ、それにたまに寂しそうな顔をしてたのを凄い覚えてるんだ。そんな山浪さんの姿を見て、守りたいって思ったから、なのかな。……すまん、はっきりしなくて」
「……いいよ、全然。ありがとう、尾上くん」
「……それで、これを聞いた理由というのは」
夏海は、悲しげに眉を下げた、見覚えのある顔をして理由を明かし始めた。
「……私ね、彼氏が出来たことがないの。というより、他人と深い関係になったことがない。仲良くなることはできるんだけど、浅く広くというか。家に遊びにいったり、悩みを話したり、心を通わせあったりとか、そこまでの関係になったことがなくて」
「そりゃまた、どうして」
「……テニスやってるぐらいしか特徴と趣味がないからだと思う。それに加えて流行りに疎いから、話すことがないというか、盛り上がらないというか。それでも賑やかし要員として重宝はされてるけど、それ以上は求められてない感じ。ほら、サークルの人達からも、観覧車に乗れないからって、こうやってあっさり置いてきぼりにされてるしね」
「……そう、なのか」
そう言われれば、翔は夏海が誰かと笑いながら話しているところは多々見かけたが、特定の個人と仲良くしている姿は、どうにも思い出せなかった。
いまいち、どう言葉をかければいいのか難しいが、翔は1つ気になった点を指摘する。
「でも、その格好は流行りに乗ってるんじゃ……?」
「……うん。何もない自分が嫌になって、色々試してるんだよ。それで、この格好が流行ってるらしいから着てみたんだけど、詳しくは知らないから深く話せなくて。話題の取っ掛かりにはなっても、続かないんだよね」
「なる、ほど……」
「……それで、ね。親以外に自分を好きになってくれる人なんて、いないんじゃないかって、最近思ってたの。でも、会う筈のない尾上くんに会えたから、私のどこが好きだったかを聞いて、私を好きだった人はいるって、安心したかったんだ」
「……そうか。……なら、俺は、役に立てたのかな」
「そうだね。本当に、ありがとう」
好きだった人の悩みを打ち明けられて、一切の解決にはなっていないが、それでも自分が多少は貢献できたことと、もっといい返答があったのではないかという、罪悪感が多分に混ざった、喜びといっていいのか分からない感情が翔の胸に生じた。
そうして、儚げに微笑む夏海の顔を視認した時、それに渚を幻視する。
何故、あいつをここで思い出すんだろう、と不可思議な気持ちであったが、そのお陰で翔は、親友と共に昔の話をして明るい雰囲気に持っていき、夏海を笑わせようとする計画を思い付いた。
そして、渚を探そうとして彼女から視線を外そうとした瞬間、左手を握られた。
しなやかで少し固く、冷たい手。
渚のそれとは全く異なるそれは、夏海の物であった。
思わず、手へと意識が向かい、隣を見ることになる。
自分の方へ向き直した翔を夏海が捉えると──
「私ね。──────君のことが好き」
──静かに、愛を囁いた。
「………………え、っ」
翔にとってその告白は、青天の霹靂だった。
冷静ではいられそうにない頭を何とか宥めて、1度、大きく深呼吸してから声を出そうとしたが、そこに割り込む形で夏海が、告白の補足をする。
「……厳密には、あの頃から好きだったことに、小学校を卒業してから気付いたんだ」
「なっ、えっ、え。………お、俺の、どこ、を?」
「……藤北くんとの友情に、篤かったところ。あの人が困ってると、直ぐ助けに行ってたじゃない?……覚えてるかな、春の遠足で。バスから降りる時に、藤北くんが転んじゃって、それを君が助けたこと。凄かったよ?血が出たって聞いた瞬間、なりふり構わず走って行って、近くの水道までおんぶしてさ、素早く傷口を洗って自前の消毒液と絆創膏で、治そうとしてたの」
翔にとってそれは、ありふれた日常の1場面に過ぎないと感じてた為、その記憶は恐ろしく朧気であった。
親友を助けるのは当たり前のことなのであって、それを一々恩着せがましく、覚えているものではなかった。
故に、翔は曖昧に返事をする。
「……そんなことも、あった気がする」
「それで、その友達の為に尽くす姿が、凄くかっこよく見えたの。藤北くんが羨ましかった。あんなにも思ってくれる人がいるんだって。……でもね。その時の私は色々幼くて、分からなかったんだ。私にない物を持っている貴方に、恋い焦がれていることを」
初恋の人と、実は両想いだった。
そんな真実に対して、翔は嬉しくはあるが、それ以上に戸惑いの方が大きかった。
もう既に、終わった恋だと認識していたが故に、今更だと感じているドライな部分があるからだろうか、と考えたが、すっきりとしない。
「藤北くんとはずっと友達なんでしょ?本当に羨ましい、そういう関係の子がいるって。……私も藤北くんみたちに、君の隣にいたいの」
「……隣」
「私は変わってなくて、貴方も変わってない。じゃあ、やり直せるんじゃないかなって。あの頃のままで、君との関係を、もう一度」
畳み掛けるように、心の内をさらけ出して、翔を納得させようとする夏海。
その説得を聞きながらも、翔は思案に暮れていた。
夏海の言葉を噛みしめる度に、頭の中に残っていた、引っ掛かりとすっきりしない部分が、晴れそうな気がして。
「──翔くんのことが好きです。付き合ってください」
夏海からの、恋人になろうよ、と、甘い誘い。
翔がそれに答えられずにいると、彼女は掴んでいた翔の左手を離し、彼の背中へと両腕を回して、離れないようにした。その一連の流れはとてもぎこちなくあって、慣れていないことをまざまざと示す。
そして、ゆっくりと、夏海の顔が翔へと近づいていくと、その長い黒髪に視界が覆われて、彼女のことしか、見えなくなる。
鼻先か唇のどちらかが、先に接触しようとする刹那。
──いつの日かの記憶にて。
幼い頃の渚と野を駆け回り、笑いあう。
その時の親友の、満面の笑みを、翔は思い出した。
「…………えっ?」
「……」
いつの間にか翔の両手が夏海の肩に当たっていて、顔の接近を阻止していた。
互いの顔の部位が触れることはもうありえない。
夏海は動揺した顔で翔を見つめた。
「──そういうこと、なの?」
「……嫌って訳じゃ、ない。ただ、やっと気付いたことがあるんだ」
「なに、を?」
大きく息を吸って、吐いて。
翔は、打ち明けた。
「──今、好きな人が、いるってことに。だから、これは……」
その言葉を受けて、両腕を翔の腰から離した夏海は、顔を伏せたまま謝罪した。
「────そう、なんだ。……うん。ごめん、ね」
「……いや、俺が早く気付いていれば、良かった話なんだ。山浪さんが謝る必要はない。……本当に、ごめん」
翔も手を戻し謝罪を繰り返すものの、沈痛な雰囲気のそちらへと向くことは出来なかった。
互いに胸を痛めている、重苦しい空気の中、面を上げた夏海が切り出した。
「尾上くん。申し訳ないって思ってるなら、これ以上謝らなくていいから教えて。……その人は、どんな人?」
翔は、夏海の告白を受けて、頭の中と心の中で、ようやく纏まった答えを、言い連ねていくこととした。
「……その人は、いつ好きになったかは覚えていないけれど、小学校の頃には既に好きだったんだと思う。性格は明るくてよく冗談を吐く、俺にとってムードメーカーのような感じで、でもたまに、誰にも見せられないような寂しい顔をする奴で」
「……それって、尾上くんが好きだった私の部分みたいだね」
「……そうなんだ。似てるんだよ、その人と山浪さん。
今日山浪さんに会って、君の好きだったところを思い出している内に、分かったんだ。そいつの好きな部分を山浪さんへ無意識の内に見出していて、……君を通して、あいつと恋愛しようとしたってことに」
「…………そう、なんだね」
涙を堪えていた表情の夏海は、残酷な真実を告げられて、その表情を決壊させるのではなく、むしろ僅かに緩めて、諦めというか、得心したような面持ちと、なっていた。
「それで、それが判明して、よく分からなくなってたそいつへの感情が、やっとはっきりして、大分納得できた。昔から恋をしてたんだなって。……まだちょっと、引け目というか、負い目があるけど」
「……その人と、これからどうするの?」
「色々、誤魔化したり、取り返しのつかないことをしてしまったけれど、許してくれるなら、あいつの隣に、いたいって、告白するつもりだ」
「……そっか」
答えを言い終えて、2人の間に訪れた沈黙は、抱えた心の傷の、痛みが増すようであった。
このまま傷口が腫れて、膿む前に、と夏海は再びある告白をした。
「──正直に言うとね、もしかしたらそうなのかもしれないって思ってた。ずっと一緒にいて、しかも片方が女になってるんだから。……でも、一縷の希望を信じて、強引にやってみたけど、上手くいかなかったな」
「…………」
「TS病がなかったら、付き合えてたのかな、私達」
「……俺はあいつへの恋に気付かないまま、山浪さんをまた好きになって、恋人になってたかも、しれない」
「……いや、でも。……長続きしないだろうね」
「……どうして?」
真っ正面を見据えて、翔に目線を送ることなく、夏海は微かに口ごもってから、言い表す。
「君を好きって言い切ったけど、多分私のこれは、憧れなんだと思う。私の理想の王子様としてしか、尾上君を見てなくて、一緒に過ごせば見えてくる、君の人としての部分を認められなくて、現実と理想の間で苦しんで、結局互いに不幸になる気が、するんだ」
「……そう、かな」
「……そうだよ」
──ふと、夏海は上を見上げた。
観覧車のゴンドラから視線を感じたような気がして、サークルの面々が乗ったゴンドラを探す。
すると、搭乗口に近いところに位置するそこに、彼女達は窓に顔を押し付けるようにして此方を見ていた。
夏海が凝視していることを知った同学年の1人が、手でハートマークを作る。
それを見て、一瞬呆けた顔をしてから、夏海は首を振り、高く手を上げ、自身もハートマークを作り、そして片方がずれ落ちて、無くなるように手を動かした。
そうすると、彼女達は窓から顔を離していった。
あと少しで、観覧車の搭乗時間は終わることを確認した夏海は、ベンチから腰を上げて、翔へと向き直って、感謝の言葉を述べる。
「ありがとうね、尾上くん」
「……そんな、言われることを俺はしてない」
「……言い方は悪いけど、君に囚われてたからこうなったんだと思うの。好きになってくれた人がいたから、積極的に変わる必要性がないって、心の何処かで思ってたんだろうね。だから、そんな私の目を覚まさせてくれて、……ありがとう」
「……言う権利はないかもしれないけど、こちらこそ、色々と、──ありがとう」
搭乗口から3人の女子大生がゴンドラから降り立った姿を認めた夏海は、そちらへと歩き出そうとして、最後にもう一度、翔に振り返った。
「私と恋人になる機会を蹴ったのを、後悔するぐらい、いい女の子になるね、私!……じゃあ、さようならっ」
「……さようなら」
手を振って、夏海を見送ろうとした時。
不意に翔は、自分が提げているレジ袋の中身を思い出した。このまま別れを告げるには、少し申し訳がないし、物足りない。
母と父には悪いが、買いに戻るのも時間的に面倒なので、2人で一つの菓子を分けてもらうことにしよう。
レジ袋から、再会の祝いと己の内面の実態に気付かせてくれた礼、そして謝罪として、包装されている菓子を手渡すべく、声を張り上げた。
「待ってくれ!これっ!つまらない物だけど!」
「──えっ!?……もうっ、締まんないな。それはそれとして、いいの?……大事に食べるね」
菓子土産を渡して、空になった翔の手を、夏海は自分の手で包んだ。
彼女は、その温もりの残滓を手に残そうとしていた。
握るのではなく、重ね合わせるだけのそれをもって。
翔も、ただなすがままにしていた。
──10秒ほどそうした後に、名残惜しそうに夏海の手は別れていき、もう一度別れを告げる。
「……うん、やっぱり、さようならは嫌かな。次は藤北くんも一緒にっ。………また、ねっ」
「ああ、……また」
サークルの人間と合流して、そうして夏海の姿は喧騒の中に紛れて姿が見えなくなった。
ぽつねんと、1人ベンチに座り込んだままの翔は、手を握り合わせると、ある決意を胸に秘める。
──渚へ、この想いを伝えなければならない。
彼女は前に進もうとしているのに、俺が進まなくてどうするのか。
気付かせてくれて、そして身を引いてくれた夏海の為にも、今まで煮え切らなかった自分を、変える為にも。
例え、その結果がどうなっても、伝えよう。
そう、誓って。
──しかし、それにしても、夏海と話し始めてから結構に時間が経っている筈だが、渚が帰って来ないことに、翔は不安を覚えた。
何度もトイレを見やるが、列はもう解消されていて、人も疎らだった。
──自分と山浪さんとの会話を見て、邪魔をしないようどこかへ行ったのか。
──それともまだトイレの中に入るのか。
──いや。もしや、拐われたのか。
最悪な予想図が頭の中で描かれようとする前にベンチから離れ、すぐさま渚の捜索を開始しようとした矢先、トイレから少し離れたところで、彼女がしゃがみこんでいるのを、翔は発見した。
遠くに行っていないことに安堵したが、この距離だというのに、此方へ向かってくる気配がないことで、渚へ何かしらの異常が発生したことを察する。
焦燥に駆られ、渚の元へと駆け出した。
「──大丈夫か!渚!」
「……翔」
渚は顔を上げて応答するも、さっきまでの元気さを感じられない、虚ろな様子であった。
「山、浪は?」
「え?……あの人は大学のサークル仲間と一緒に帰ったよ。というか、見てたのか?」
知りようのない彼女の名前を出した、友人への疑問は多いにあるが、ともかく翔は渚へ手を差し出した。
その手を取ると、少女はのろのろと立ち上がる。
視線が地面に固定されたまま、感情を押し殺したような声色で、渚は呟く。
「……一緒に、いてあげなよ」
「……山浪さんと、か?なんでだ」
「…………」
「……よく分からないけど、山浪さんと一緒にいる理由はもうなくなったし、それに今はお前の方が心配だ」
「……俺に、気遣わなくていい、のに」
「気遣うも何もない。本当にお前が心配なだけなんだよ。……何があったか、教えてくれ」
要領を得ない応答に、より一層翔の不安が募る。
夏海に起因する問題であることは明白だが、思い当たる節が妄想と想像を込めた曖昧なものしかなく、やはり聞き出さなければ、特定のしようがなかった。
「……答えるのは、無理か?」
「…………ごめん」
「分かった。……じゃあまずどっかで腰を落ち着けよう。……色々と、お前に話したいこともあるから」
翔のその発言に、渚の四肢は動こうとする力を失って、立ち尽くす形となる。
数歩歩いて、付いてくる気配がないのを感じて、翔が後ろへと振り向こうとした瞬間。
「やだ、やだっ」
「お、おいおい!」
嗚咽混じりの声に気づくと、渚の目の端から涙の滴が頬を伝っているのに気づいて、翔は思わず慌てる。
ぐすぐすと目元を押さえて必死に涙を拭う姿に、かつての幼稚園の頃と、重ね合わせられずにはいられない。
渚の泣き顔が他人に見られないように、翔は彼女を腕の内へと引き寄せると、手で背中を包み、その顔が己の胸で隠れるように、抱き締めた。
周囲から好奇の目線を浴びるだろうが、そんなことは親友の一大事に比べれば、些細なことだった。
渚の背中に回した手で、ポンポンとさすり、あやす。
その涙が止まるまで、それを繰り返す。
「っうう、ぐすっ……ごめんっ、ごめん……忘れてっ」
「誤魔化さないでくれ。……どうしたんだ?」
「ただでさえっ、迷惑かけてるのに……っこれ以上翔の負担になりたく、ないっ」
「お前が俺の負担になるなんてあり得ない。とりあえず、落ち着こう」
3分ほど要して、ひっく、と度々しゃくり上げることを除けば、渚の嗚咽は大体収まった。
何故泣いたのかの話を進めたいが、一連の流れで注目を浴びている為、この状況は大事な話をするには拙い。
それなら、丁度いいものがあるのではないか、と翔は上を見上げる。
そこは完全な密室で、邪魔が入ることはなさそうだ。
しかしこんな雰囲気で、最後に乗ろうとしていたものを楽しめるとは思えない。
何か別の都合の良い場所はないかと、思考を巡らせようとしたが、渚の1言によりそれは中断された。
「──翔。……観覧車に、乗ろうよ」
「……ああ。分かった」
2人はそれ以降、互いに口をつぐんだまま、観覧車へと歩を進めていった。
──ごうんごうん、とゴンドラが吊り上げられて行き、徐々に下界との距離が離れていく。
ここの遊園地の観覧車はそれなりに大きい上に、景観を存分に堪能してもらうという、遊園地側の意向に従い、ゆっくり上昇するようになっている。
それによって、25分の所要時間を客に要求している。
──観覧車の一週がどれほど長いか競ってるわけでもないのに、不要な時間を客に食わすな。
──回転率が悪い。
──流石に25分は暇。
等の批難は多かったが、長年そのこだわりが強行され続けていると、ある種の名物として受け入れられるようになった。
その為、話す時間は大いにあった。
ともかく初めに,泣いた理由を明かしてもらおうと、翔が声に言葉を乗せるよりも早く、小さくなっていく眼下の光景を窓から眺めていた渚が、口火を切る。
「……今から全部、言うから。何も答えないで、聞いて欲しい」
「……了解した」
翔は口を一文字に結ぶ。
窓から翔に渚の視線が移り、その綺麗な水晶体を覗き込んだ。
その親友の瞳の中に写っている己は、男の頃の自分に違いないだろう。
鬱々としたどす黒い感情が、声に現れるのを懸命に防ぎながら、答え合わせと相成った。
「……俺が、泣いた理由は、山浪と翔が仲良くしてた、から。トイレから出たら、翔が知らない女の子と楽しそうに話しててさ、それだけで、何か、嫌になって。それで、その女の子が、翔が好きだった山浪だってことに気付いて、もやもやしてたら、2人がキスしてるのが見えて、頭の中がぐちゃぐちゃになって……。それで、お前に会うことが出来ずに、しゃがみこんで、後は、この通り」
打ち明ける痛みを堪えるように、渚の両手は強く握り込まれていって、爪が食い込み、手を白くさせる。
「……失望した、よな。友達が女と仲良くしてるだけで泣く奴なんだ、俺は」
「…………」
「何でって、思うだろ。それは、……俺が翔を恋愛対象として、見てるからなんだ。この体になってから助けてもらって、色んなことをお前と楽しんで過ごしてたら、好きになってて。……そうして、いつの間にか、友達としてじゃなく、女として、勝手に翔の隣にいられると思い込んでたから、面倒をかけた。……救えない」
秘めようと努めた筈の忸怩たる思いが、いよいよ言葉に影響を与えていき、刺々しく、自己否定に溢れたものへ変わっていることに、渚は気付かない。
「こうやって1人空回って、好きな人達に迷惑をかけ続けて全部壊していくんだろうな。これからも、生きてる限り、そうなる。そうして、皆不幸にさせるって、いうなら……俺は、母さんの言うとおり、生まれてこなきゃよかったのに」
昨日の夜のように、慰めを期待して尋ねるものではなく、自己完結した総評を連ねる渚は、再び涙を目の端から頬へ伝わらせていた。
「それで、ね、……翔っ。お前には、こんな奴忘れて、放っておいて、幸せになって、ほしいんだっ。……本当は、お前の横に友達として、いたいけど、この好きな気持ちも、認めて欲しいって我が儘を、絶対に言うから、やめておく」
「────っ」
「今まで、ありがとう、翔。お前と会えて一緒に過ごしてきたことを、絶対に忘れないから。──だから、だから……俺達は、ここで、さよな───ん、んっ」
それ以上は言わせない、と、互いの鼻先が当たって、それから、ちゅっ、と柔らかく温かな水音が響く。
渚の思考が止まって、呼吸が止まった。
唇という僅かな部位から感じる翔の熱に、涙でくしゃくしゃになった顔が蕩けて、瞼がとろんと閉じて。
罪悪感と後悔にまみれた心と頭が、その行為に夢中になっていく。
そしてそれは、不意に終了した。
「……ぷはっ。はっ、はぁっ、……それ、卑怯だっ。何も考えられなくなる、からぁ……」
渚は息継ぎをしていなかったことに気付いて、酸素を大量に取り込んでは、吐く。
その生存に不可欠な行為のせいで、唇の先に灯った火が消えるようで、物寂しい。
「……ん」
「ふあっ、んぅっ……ん……」
そんな渚の寂しげな唇に再び火が、灯される。
今度は消えないようにと、鼻で呼吸をして。
2度の口づけによって、渚は体の内から発生した愛情の炎が、煮詰まって固まった負の感情を、溶かしていくような感覚に、陥っていく。
「……渚、聞いてくれ」
唇が癒着しそうな程に、長い口吸を終えて、決意を秘めた真剣な表情にて、翔は渚と対峙する。
「まず、俺は謝らなくちゃいけない。俺が始めてしまったことなのに、お前に先に言わせてしまったし、泣かせてしまった。……渚。本当に、すまないっ!」
感情を乗せて、頭を下げた。
渚はそんな翔の姿を、じっと見つめていた。
暫く低頭を続けて、これから話す言葉が纏まった為に、頭を戻し、渚を見据える。
「初めてお前を襲ったあの夏の日から、その理由を言えてなかった。最初にそれを聞いて欲しい」
「いいよ。……いっぱい、話して」
「……どんどん女らしく、綺麗になっていくお前に欲情して、というのはあった。でもそれ以上に、お前が俺の元から離れて、知らない世界に行くんじゃないかって、不安になって。それで、お前を押し倒して、俺を忘れられないように傷をつけようとした結果が、あれだ」
「……そう、だったん、だね」
「そして、お前の優しさにつけこんで、こんな醜い理由を言えずに隠したまま、中途半端に、のうのうと生きてきた。……俺だって、こんなに救えない奴なんだ」
「……」
自分と似た理由を抱いてくれていた嬉しさなのか、ここまで追い込んでしまったことへの悲しさなのか、分別できない情念が渚の胸の中にて宿る。
「あの日から、お前とは肉体関係のない元の関係に戻りたいと思ってた。いや、というより、そう思おうとしていた。お前を強引に手籠めにした後悔があったし、こんな最低の俺にお前は、綺麗すぎて相応しくないっていうのが理由だったんだけど、そんなもんは建前で、もっとお前を求めようとして、拒絶されるのが怖かっただけなんだ」
「…………」
「そして、今日まで、お前への気持ちが分からないって誤魔化し続けてきたけど、さっき山浪さんと話をして、あの人に告白されて、やっと整理できた。それで1つ、分かったことがある」
やめて、と言い出しそうになって、そしてその続きに怯えて、耳を塞ぎそうになった声帯と四肢を渚は強引に押さえ込み、待ち詫びようとする。
断罪か、救済か、を。
「…………何が、分かったの?」
だが、かつての翔と同じように、量刑の宣告を待つ、罪人と成り果てた渚は、彼女にとって刹那と呼ぶにはあまりに長い、翔が二の句を次ぐ一瞬を、やはり待ちきれなくて、耐えきれなくて、挟み込むように口を開いた。
そして、その答えは───。
「お前に、恋をしてるってことを」
渚の胸が高鳴る。もしかしたら、と淡い希望を抱こうとした心中の自分を咄嗟に叱咤した。
不要な期待を向けて、また空回って、翔に面倒をかけないようにとするけれど、一度始まった胸のときめきは、止まりそうにない。
「それに気付いて、山浪さんからの告白は断った」
「……そっか。…………そっか」
「お前が小学生の頃には既に、恋をしてたみたいだ。渚の性格を無意識の内に山浪さんに当てはめて、惚れることで、疑似的にお前と恋愛しようとしていた。実際、山浪さんに感じてた、……その、どきどきが、今日お前の顔が、ふと甦った時、同じように感じたんだよ」
「……ほんと、に?」
「本当だ。……いや、もし本当じゃなくても、今のお前に俺はどきどきしてる。それで充分だ」
好転している状況に対して、困惑と歓喜が同時に襲ってきていて、どうすればいいのか分からず、スカートの裾を握り締めて、次の翔の言葉を切望する。
「お前の大事な存在になりたいっていう感情が、ずっと昔からあった。昔はそれが親友か恋人かは区別がつかなかったけれど、今はどっちもに、なりたい」
「…………翔」
「……こんな意気地無しで、優柔不断だけれど、お前が望むなら、許してくれるなら、今もこの胸の中にある、想いを、お前に伝えたいんだ」
己という存在を、直に伝えられるように。
握り締められていた、渚の両手を自分の手で纏めて。
情による熱を、与えて、受け取って。
翔は、勇なき今までの自己と、決別する。
「──お前のことが好きだ。ずっとお前の横にいたい。男のお前に背中を預けたいし、女のお前を胸の中で愛したい。全部ひっくるめて、渚という存在が愛しいんだ。……もうお前を、誰にも渡したくない」
「…………っ」
「……親友でありながら、恋人でもありたいって願う、この贅沢な気持ちを、受け取ってはくれないか、渚」
「……」
「答えてくれ。俺の、大事な人」
「…………俺、も」
ゴンドラが頂点に差し掛かる時、雲の波間から沈もうとしている夕日が、最後の主張かのように、周りに光を散らす。
その暖色の光に包まれて。
渚は想いを解き放つ。
「──俺もっ、翔のことが大好きっ!ずっとずっと隣で、笑って欲しい!守って欲しいっ!死ぬまでっ、一緒に、いたいよぉ……っ」
ぼたぼたと、涙腺で留められていた大粒の滴が、感情の発露によって限界を迎え、止めどなく溢れだした。
誰も介在し得ない世界で、幼き頃のように、やっと、渚と翔は素直に想いを伝えることが叶ったのだ。
「────渚っ!」
「うわっ!あ、ん……」
渚の脇を掴み体を持ち上げて、膝に乗せて抱きすくめる翔の顔は可笑しいぐらいに、涙でまみれ歪んでいて、胸の中で戸惑う友であり、恋人の名前を連呼する。
「なぎさ、なぎさぁ……ふぐっ、んん」
「そ、そんな、泣かなくて、も……」
「ごめんっ、ごめんなっ」
「……もう。お互いに、泣き止もう?」
「んぐっ、うぅっ、はぁーっ……ああっ」
「……2人揃って同じようなこと考えてたのに、下手に気を遣って、心の中に押し込めてさ。……可笑しいね」
「……っほんとうに、その通り、だな。──俺達2人、どうしようもない」
「……うん。でも、ずっとそうだから、こんなに気が合って、仲良くなれて。今もこうやって、好きなんだ」
「……渚」
「翔」
確約された片割れの名を呼びあって、もう一度だけ、唇の感触にて。
目に見えないモノを、確かめあった。
──下降していく2人を乗せたゴンドラの中は、緊張と後悔で凝り固まっていた重い空気が徐々に薄まって、告白の熱と湿り気が残った、しっとりとした空間になっていた。
翔は渚を太股へと乗せたまま、体を密着させて2人、睦言のように耳元で、心の内を囁きあう。
「……なあ、昼にカップル専用のクリームソーダ頼んだり、コーヒーカップ乗ったり、手繋いだりしたのは、偶然じゃないよな」
「うん。男として一緒に遊ぶのは物凄く楽しかったんだけど、女としても翔と遊びたくなって……」
「……お土産を俺に買ってくれる発言の辺りは、特にやばかったよ」
「え、あっ。そこなんだ」
「あんな顔されたら、流石に意識する」
「へえぇ。──えーと、こんな感じだっけ……?」
「……そんな感じ」
「ふふふっ」
「──ぅお、……渚。唇を指でなぞらないでくれ」
「……結局。山浪と、キスしたの?」
「あ……そう言えば、言い忘れてた。そっちからはそう見えたかもしれないけど、山浪さんとはキスしてない。あっちから来たのを手で止めた、その後断った」
「えっ、あ……そう、なんだ。……嘘じゃ、ない?」
「本当だ。……あっおい、何で笑うんだ」
「──何でもないっ。……ちょっと、嬉しかっただけ」
「……渚も、他の奴とそういうこと、してないよな」
「当たり前じゃん。翔だけだよ。こうやって触れ合うのも、キスするのも、好きって言い合うのも」
「……そうか。俺も、嬉しいな」
──永久に続くと錯覚するぐらい、微睡みのような温もりに溢れた密室の窓から見える景色はもう、翔の見慣れた視点の高さからのそれに近づいていた。
「後少しで降りるみたいだ、渚」
「もう?早いな……」
翔は降りる準備をするべく渚から体を離すと、ほんの数瞬まで感じていた、血の通う人の温もりが消えて、どうにも寂しくなった。
寂しさに当てられてまごついていた無骨な腕が勝手に渚へと絡んでいき、翔は再び、ふんわりと、渚へハグをする形になった。
「ん……どうしたの」
「……すまん。まだ、こうしててもいいか」
「──いいよ。ギリギリまで、してよう?」
「ありがとう」
そうして、スタッフが扉を開ける寸前まで、翔と渚は、ここだけの時間を共有し、味わい尽くした。
──日が落ちてから、花火が始まるまでには時間がある為、店が閉まる前にどこで食事をしようかという、合議の末、様々なテイクアウトの店を巡ることとなった。
焼きそばやフライドポテト、ホットドッグやフランクフルト等を買い、自由に使うことが可能な、野外に設置されたテーブルへとそれらを広げ、夕食とした。
「いっぱい買っちゃったな」
「食えるだろ?」
「うん、──お腹減ったっ。いただきます」
「いただきます」
購入した品々の、ジャンキーな味わいと塩っけは、暑さによる汗の流出と、諸々の涙の放出で塩分を欲してた体に、染み込んで堪らない。
結構な勢いで2人は食べ進めて行き、あっさりと空になった皿やパックをポリ袋の中に纏め片付けて、満腹となった腹を抱えた翔に渚が、待望の願いを伝える。
「翔。デザートにさ、違う味のチュロスを2つ買って、半分こ、しない?」
「もちろん、了解だ」
そうして、デザートとして買ったストロベリーのチュロスは、甘酸っぱくて、さっぱりとしていて、濃い味の食事の結びとして、最適だった。
半分ほど食した辺りで、渚が願った通り、交換し合うことにした。
かじりつくとチョコレートの甘味と苦味が程よくて、ストロベリーの一辺倒だった甘さとはまた別の趣があり、飽きない。
黙々と翔がそれを食べ進める中、渚は翔から受け取ったチュロスを上の空といった様子で、見つめていた。
「どうした、俺が食った奴は嫌だったか」
「──ううん。……何かね?今が夢みたいで、覚束ないっていうか、現実味がなくて、不安というか。遊園地にいるから、そうなのかもしれないけど……」
「うーむ、そうか。……どうしたもんかな」
「……ちょっと、胸、借りてもいい?」
「おう、え?」
何も考えずに翔が了承した刹那、口をティッシュで拭った渚は開いてた胸に飛び込み、顔を翔の厚い胸板に押し当てた。しばらくそうしていると、次は頭を傾けて、心音に耳を澄ます。
翔からすれば、鼻息がかかってどうにもこそばゆいが、耐える。
「これで、これが現実だって感じるのか?」
「……んー、多分。というか、さっきまで抱きあってたからか、寂しいだけかもしれないのを、そう感じてるだけかな……。後、観覧車の時は気にならなかったけど、いっぱい遊んだから、汗の臭いがする」
「……臭くないか」
「ううん。この匂い、好きだよ。……うん。大分安心できた。ありがとう、翔」
「……ああ」
心臓の鼓動をたっぷり聞いた渚はさっと胸から離れていった。
先程の観覧車からここまでに至るまでに、思うところがあったのか、どことなく何かを言いたげな雰囲気が渚にあったのを、翔は感じ取った。
それを、親友だからと、わざわざ聞き出したり、言い出す必要がない、と自分の優柔不断を誤魔化す言い訳はもう止めるべきだ、と心の内を決める。
だが、花火という楽しいイベントの前にそういう話をするのは、水を差す以下の問題である。
見終わった後に必ず聞き出す決意を固めながら、翔は残り僅かとなったチュロスを口へと放り込んだ。
──今日の遊園地のラストを飾る、外灯が消された奥の広場にて、誰も彼もが空を見上げ、まだかまだかと夏の風物詩を待ち望む。
そして開始の時刻となった時、夜の山場を飾る華美な花弁が、星空へと舞う。
爽快な轟音と共に、広場を中心として360度に広がる様々な色の火薬達が、空の黒いキャンパスに色を塗り、派手で溌剌とした、鯔背な絵を作り上げていく。
「おおおお……っ」
「たまや〜!」
その美しさに各々が感動を表した結果、感嘆の声で広場全体が賑やかになっていく。
翔と渚も、迷惑にならない程度で声をあげた。
「……ね、翔」
止まることなく花火玉が打ち上げ続けられる中、メリハリの一環として作られた一瞬の静寂。
音もなく明かりもない、空白と暗闇の最中、渚が隣にいる翔に呼び掛けた。
花火がパッと弾ける直前──
「俺、いつか翔との子供が欲しい」
──そう、翔へと告げた。
その告白の僅か後で咲いた花火に照らされた、渚の顔は、朱に染まっている。
翔は目を瞬かせて、その言葉を噛み砕くのに僅かとはいえ、時間を要した。
「初めての時さ、翔は中に出して子供が出来るんじゃないかって焦ってたけど、俺はあの時、翔の子供を妊娠しても、別にいいかなって思ったのが、きっかけなんだ」
「……どうしてだ?」
「大好きな人の子供なら、幸せかなって思えたから」
これが、ナイトショーが終わってから聞き出そうとしていた渚が隠していたものだと、翔は納得する。
「こうやって女になれたんだから、俺と翔の血を合わせた子供と家族になりたい。子供が寂しさを感じることがないぐらい愛してあげて、幸せな家庭を作りたい。……TS娘への子育て支援も充実してるから、大分楽にできると思うんだ」
いとおしそうに目を細める渚の横顔には、女性としての強さと慈しみが、垣間見えた。
だが、何かが頭の中で過ったのか、その笑みに影が落ちていき、渚は話すのを躊躇っていた理由を、明かす。
「でも、そうしたいって思うのと同じぐらい、不安なんだ。子供を上手に愛せなくて、母さん達みたいになって翔と憎み合うかもしれないって、考えると、恐くて仕方ない。そうして、俺を選んで生まれて来てくれた子供を、1人ぼっちにさせるなんて、耐えられない」
不安と怖れに瞳を揺らし窺うようにして、不安と期待が入り混ざった消え入りそうな声量にて、おずおずと、続けようとして、止めた。
「……うん、ごめん。今のは忘れて。さっきのは俺の勝手な妄想だし、どっちにしたって翔がいないと出来ないことだから、お前が、嫌っていうなら諦めるよ。お前の大事な存在になれて、一緒にいられるってだけで、俺は最高だから。……とりあえず、言っておこうって、思っただけなんだ。隠すのはもうやめようと、思ったから」
「…………渚」
花火の音に飲まれて、薄れて消えてしまいそうな渚の手をひしと握り締めて、己の正直な心の内を、さらけ出した。
「……本音を言うと、まだちょっと、はっきりしてないところがある。でも、お前と本当の家族になって、お前の嬉しい顔を見たいし、寂しさを埋めてやりたいってのは、常々どこかで思ってる。……でも、お前の不安も分かるよ。これからどうなるかなんて、誰も分からないから」
「そうだよ、ね………」
「──だから、俺も。一緒にその不安を背負いたい。1人で抱え込まなくていいんだ。お前の両親のようにならないよう、俺が守るし、支える。いつか時がきたなら、お前と俺で子供を作って、その子が俺達が親で良かったなって思えるぐらいに、頑張って育てよう」
「────っ、翔……」
「それにお前は、お父さんで、お母さんっていう、最強の親になれること、間違いなしだ」
「……なにそれっ。……でも、ふふっ。そうかもな」
茶化すような返答であったけれど、そこに込められた想いと感情は、人一倍大きいものだった。
2人は、いつものように、ただ自然に、笑った。
「なら、約束だよ、翔。俺を絶対、お母さんにしてね」
「ああ。約束だ、……渚」
──心にしこりのようにあった隠し事が消えて、2人が純粋に打ち上げ花火を楽しんでいると、いよいよ、一夏の夢が覚めようとする時が、訪れようとしていた。
クライマックスに相応しく、一気呵成にバンバンと、花火が光って鳴り叫んで、広がって、消える。
その終わりに向かおうとする、大団円の裏に潜む寂寥感が、渚の心を刺激した。
彼女は寂しげに笑って、隣の翔にしなだれかかる。
「……本当に今日が、夢みたいに幸せすぎて、覚めないのか怖いな。……翔、ごめんね。こんなことばっか、考える奴で」
「…………いいさ」
多くの言葉より、1つの行動で示すように、翔は渚の肩を抱いて安心させる。
もっと何か、渚の記憶に残って、消えないようにする方法はだろうか、と花火が終わるまでに、翔は考えようとして、一つのアイデアが沸いた。
ごそごそと、花火の音に紛れさせて、バッグの中へと押し込んでいた土産袋から、ある物を取り出して、ポケットへと、放り込む。
「……なら、渚。もし今日という夢が覚めても、それは夢じゃなかったって思えるものを、今から渡したい」
「え……?」
翔は片膝を立てて、渚へかしずいた。
そういう甘い言葉と、シチュエーションにおいて翔は浅学の身であったが、渚の思い出に焼き付けて、忘れられないようにするべく、己を奮い立たせる。
ポケットの中へと忍ばせていた少しばかしちゃちだけれど、記憶の中で、強く輝いているそれを取り出した。
激しい光源の明滅の中で、浮かび上がったものに渚は思わず、息を飲む。
「──指輪だ。……覚えてるか?」
「っ、え、あ……。何で、それっ、どう、して……」
渚は、サファイアの指輪を買えなかったことを覚えていた。けれど、自分で買うのではなく、あの時に買って貰えなかった分、いつか、翔か両親に買って欲しいと、淡く思っていた。
そしてそれが、まさかここで、最愛の人から渡されるなんて、想像が及ばなかった。
「婚約指輪ってところで、指に嵌めても、いいか」
「……もち、ろんっ」
一瞬の閃光が、辺りをパッと花が咲いたように照らして、指輪のサファイアを淡く光らせる。
渚の右の薬指に、割れ物を扱うような繊細さで指輪を嵌めていく。
ほっそりとした指に、その小さな指輪は馴染んで。
渚は、言葉にならない様子で涙を溢れさせていた。
しかし、そんな姿も、群衆は畳み掛ける花火の光と轟音に、視覚と聴覚を奪われていて、誰も気づかない。
そこはまさに、婚約の儀を執り行う2人だけの舞台。
翔は立ち上がり、渚は右手を握りしめて、互いに1歩踏み出す。
互いの距離はゼロとなった。
交差する視線。瞳の中で互いが揺れる。
そうして、最後の花火が打ち上がる寸前にて。
「──好きだ、渚。健やかなる時も病める時も、お前に尽くす。死が二人を分かつまで──共に生きよう」
驚きと感動でぐちゃぐちゃになった感情の渦に揉まれて、しどろもどろになりそうな口を必死に抑え、渚は、はっきりと、答えた。
「──はいっ」
──夜の明花に彩られた、2人の影が、重なる。
可憐で快活で、寂しがり屋な夜空は、ただ静かにそれを、受け入れた。
後編は前編で予告してた通りの内容ですので、お楽しみにお待ち下さい。
感想お待ちしております。