---------登場人物---------
春日 悠人(はると):主人公
春日 諾子(なぎこ):悠人の母
春日 悠年(はるとし):悠人の父(M商事・開発部・課長)
加木 充司(じゅうじ):主人公の遠縁(悠年の母方の従祖母の孫娘(はとこ)の婿養子の夫)
加木 清充(きよみつ):充司の子
枇杷の実の仙人:?
金賢姫:サタンの娘。AJK団総帥。
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「お前さんに遠慮しているだけさ・・・さ、まず食べてくれよ。もろ胡と茄子のおひたしから・・・」
遠縁だと名乗った男が、その狡猾そうな顔に歪んだ笑顔を張り付けながらそう言った時、僕は嫌な予感しかしなかった。そして、酷く生臭い嫌な味がするもろ胡と茄子のおひたしを口に入れ、糞尿を思わせるような悪臭を放つお茶で呑み込んだ途端・・・僕はクラクラとするような眩暈に襲われ始めていた。
「どうだ?美味いか?母親の特製だぜ・・・けひひっ」
その男・・・加木充司が嘲笑とも罵声ともつかぬ嫌な笑い方をしてそう言った時・・・俯いたまま僕と顔を合わせようとしない母に気が付いた。
「ぐぇっ・・・」
胸がむかむかとして気持ちが悪くなり、眩暈は酷くなる一方だった。母の手料理を食べて、こんなことになるなんて・・・。
「母さん・・・苦くて・・・生臭くて・・・これっていったい・・・」
そう言いながら僕は、母にすがる様に見つめていた。しかし・・・母は顔を背けるようにしながら、悲しそうに俯いているだけだった・・・。
「ぃっつたっ・・・うげっ・・」
僕は枇杷の実のコンポートに手を伸ばそうとして意識を失いかけ、その場で崩れ落ちるように倒れてしまった。胸がむかつき、鉛を飲み込んだような腹部の鈍痛が僕を襲う。酷く寒く体が震える・・・僕は居てもたってもいられなくなり、真っ暗な視界の中で空しく手をさ迷わせる他なかった。悪寒は頂点を極め、腹の痛みは耐えがたいほどになっていった。
「悠人・・・悠人・・・起きて・・・戻って・・・戻って!・・・生きて!・・・はると」
その時・・・虚無の真っ暗な空間の中で・・・薄っすらと母の声が聞こえたような気がした。その声は悲し気で、とても弱弱しかった。明るく快活な母らしくなかった。まるで、あの時の綾乃のようだった。母親を失った時の綾乃のような声だった・・・。
「悠人・・・悠人・・・呪われないで・・・母さんを許して・・・悠人・・・悠人・・・」
しかし・・・そこには確かな温もりが微かに感じられた。この漆黒の寒々とした空間の中に響くその声は、美しく、慈愛に満ちていた。
(母さんの声だ・・・)
母さんがそばに居る・・・僕はその声を聴いただけで、気持ち悪さや腹の痛みが遠のいていくのを感じていた。やがて口の中に清らかな温もりが感じられた。そして甘く酸っぱい香りが口いっぱいに広がっていく。
(母さんの枇杷の実のコンポート!)
それはさっき食べ損ねた枇杷の実のコンポートの味だとすぐに分かった。いや、その清らかでひたむきな味はいつも以上に深みがあり尊いもののように感じられた。そして、それを呑み込んだ途端、胸に清々しさが広がって気持ち悪さが遠のき、胃の痛みが薄れていく・・・。
もっと飲みたかった・・・求める様に口を開くと、ヌウッと口の中に温かでやわらかなものが入り込んでくるのが分かった。まるで軟体動物の様にそれは口の中でヌメヌメと動き回ったが、なぜか不快な気持ちにはならなかった。僕の口の中で清々しい枇杷の実のコンポートをその先から注いでくれた。素晴らしい味が口の中に溢れかえり、僕は魅了されたようにその温かでやわらかなものの先を吸い、コンポートを飲み込んでいった。
あっという間に気分が晴れ、胃の痛みが霧散していく・・・・。
それは母の温もりだった。清らかで快活だった母の真心の味だった。やがてその温かでやわらかなものの先は悲しそうに口の中から去っていってしまったが、僕の中で幸せな気分が広がっていく。僕は安心したように意識を失っていった・・・。
どのくらい時間がたったのだろう・・・母さんの気配も、温かさもすっかり消え去っていた・・・。
コンポートをタップリと呑み込んだ僕はすっかり元気を取り戻し、気分はかなり落ち着いていた。きっと夢を見ているのだろう・・・僕は上下すら分からない漆黒の闇の中でふわふわと漂っている不思議な感覚を味わっていた。
(深宇宙に行くことが出来たら、きっとこんな感じになるのかな・・)
宇宙飛行士になる大志を抱いている僕は夢の中で無邪気にそう思っていた。
「やあ悠人・・・一年ぶりじゃな」
真っ暗な闇の中から僕を呼び止める声がした。ふとそちらに目をやると・・・そこに「枇杷の仙人さん」が立っていた。
「枇杷の仙人さん」と言うのがこの夢の中に出てくる登場人物に僕が名付けたあだ名だった。僕は起きるとすっかり忘れているくせに、夢の中だけで何度も繰り返す「連続した夢」を見る事がよく有った。その夢を見ると「ああっ・・・これはこの前の夢の続きだ」と夢の中だけで思うことが出来た。翌朝起きると何もかも全て忘れているくせに、たしかに僕は同じような夢を続けて何度も見、夢の中だけで体験し、夢の中だけで記憶し、夢の中だけで思い出すことが出来た。この「枇杷の仙人さん」が出てくる夢もまた・・・夢の中だけで記憶されている特別な夢の一つだった。庭に植えた枇杷の実を食べたときにだけ夢に現れる、そしてこの「枇杷の仙人さん」は僕のお気に入りの登場人物の一人だった。
「一年ぶりの再会じゃの・・・どうじゃ・・お母さんは助けられたかの?」
髭もじゃの仙人は、そう言って人懐っこい目を僕に向けた。そうだった・・・僕は母が心配で・・・SSHで出会った大事な友人達の危機を放って実家に帰って来たのだった。そして・・・加木充司と清充親子が我が物顔で家の中にいることにショックを受け、一つも安らげない自分を感じていた。
「これって僕の嫉妬なのかな?それとも何かの虫の知らせなのかな?」
そう・・・この仙人には僕は何でも相談することが出来た。この仙人はみすぼらしい身なりで、痩せこけていたが、その目の奥に輝く底知れぬ知性は隠しようもなかった。もうすっかり忘れてしまっているが、僕はことある毎にこの老人に相談をしてきたような気がする・・・。それにどうせ夢の中の出来事だ。何も恥ずかしがることはなかった。
「嫉妬は愛のなせる業じゃ・・・気に病むでない。だが虫の知らせは五感を超えた大事な感覚じゃ。その伝えるところ・・・注意しなければならん」
そう言って仙人さんは僕の額のすぐ前に手をかざすと、そのつま先まで下に下ろしていった。
「ふむ・・・危ないところじゃったな・・・お主は母親を助けるどころか、その母に一旦呪われておる・・・お主にはちと荷が重い事のようじゃったな」
「母さんに呪われた?・・・」
「先ほど随分と苦しんでおったではないか」
僕はつい先ほどまでの気持ち悪さと異常な腹痛の原因を考えていた。悪臭を放つ腐ったような苦い味、糞尿のような香りのお茶・・・
「それって・・・もしかして母さんが作ったというあの胡瓜と茄子・・・それにお茶・・・あれはもしかして・・・まさか・・・」
「すぐに吐き出しておいたほうが良かったの。しかし母親の手料理ゆえにお主が吐き出すことが出来んことを見越しての犯行じゃろうな」
「犯行?」
その禍禍(まがまが)しい言葉に、僕は仙人さんの顔を改めてみていた。その顔は冗談を言っている表情ではなかった。仙人さんからは柔和な表情は消え、厳しい面持ちに変わっている。
「母さんが僕に毒を盛った?有り得ない・・・そんなことはあり得ない・・・」
「悠人よ!心して聞くのじゃ・・・人の心はすぐに支配されてしまう。どんなに清い心を持っていようが、どんなに正しい心を持っていようが、簡単に変えられてしまう。充司のような男はそれを最大限に利用する。虚言を弄し、弱点を突き、肉欲で支配し、正しく清い心を捻じ曲げて真っ黒に染めてしまう。ましてや権謀術数に長けたあの小娘が係っているとすればなおさらじゃ。彼奴等(きゃつら)に一度目を付けられればそれまでの事じゃ」
「・・・・・・・」
「だが安心せい。お主の母は悪魔をも凌駕しおった。すべてに気が付いたとき・・・お主の母はお主を全力で救った。精神を魔に乗っ取られてなお、わしの分身をお主の胃に送り込み、全ての魔を清め、無効化していったのだからな。あの小娘すら予想だにしなかったに違いない。諾子殿だからできた事じゃ」
「僕は呪われて救われた??」
「運が良かったのじゃ。丁度、わしの分身である枇杷が実をつけて、お主の目の前にあったのだからな・・・一年のうちのたった一度きりの奇跡的なタイミングじゃった」
僕は口の中に広がった清々しい香りと味を思い出していた。あの味は確かに枇杷の実のコンポートの味だった。あれを食べさせてくれたのは母だったのか・・・。
「だが気をつけるのじゃ・・・お主の母親はまだ魔に精神と肉體を乗っ取られ続けておる。あの充司と言う輩と・・・その背後にいる小娘の両方に・・・操られておる」
「操られている?・・・どうしたら母さんを救えるのですか?どうしたら??」
「ウーム・・・あの小娘が関わっているとすると、それが出来るのは悠人お主ではない。お主の父にしか出来ん事じゃ」
「父さんだけ?・・・・・あなたは救えないのですか?あなたによって僕はこうして救われたじゃないですか・・・」
「わしが助けてやれるのはこれ一度キリ・・・年に一回、枇杷の実をお主たちが食べた時だけしか、私はお主たちを救ってやることが出来ん。わしは食べられ、お前たちに吸収されてその使命を果たす。お主の母親が受けている穢れは・・・もはやわしにはどうすることも出来ん」
「そつ・・・・そんな・・・」
「そしてお主を本当に救えるのは・・・お主の母だけじゃ。今、お主を救ったのもワシではない・・・お主を呪った当の本人であるお主の母なのだ」
「僕は・・・僕はどうすれば・・・」
「お主が救ってやるべきは・・・別の女(ひと)じゃ・・・お主もやがて気が付くじゃろう」
そう言って仙人さんは僕の顔を見つめながらウィンクに似た表情を浮かべた。一瞬、それが瞬きなのかウィンクなのか気が付かなかったが、たぶんウィンクだったに違いない。
「別の女(ひと)?」
と僕が訝る間もなく、仙人さんは厳しい表情に戻って続けた。
「よいか。わしの存在に気が付き、それをお主に食べさせたのはお主の母親だ。誰にでも出来る事ではない。枇杷の実が無くなった以上、私はただ御主の中で見守っているだけじゃ、外部には何もできん」
「・・・・・・・・・」
「気をつけるのじゃ・・・お主の母親は充司の虜となっている。そして今とても不安定で、何をしでかすか分からん状態じゃ。たとえお主に対してでもな」
「母さんが僕を?・・・そんな・・・」
「それが女と言うものだ。母親とて女なのじゃ・・・と言っても修行をしておらんお主には理解できんかの・・・そもそもこの会話自体を覚えておくことも出来んのだったな。だがお主のここは・・・魂は記憶し続ける。分からなくなったら魂に従え!」
そう言いながら、仙人さんは僕の胸を指さした。
「お前にはこれからも幾つもの過酷で残酷な運命が待ち受けている事じゃろう。だがな悠人よ、嘆くでない。それが神に選ばれしものの試練なのじゃ。だが、神は決して乗り越えられぬ試練を与えぬ。お前がその鉄の様な正義を失わん限り、必ずやお前はその試練を乗り越え、運命を克服することじゃろう。お前はこの夢の事を覚えておくことは出来ん。しかし、その魂にしかと刻んでおくのじゃ。悠人よ・・・お主の母は母親であり女である・・・だがその前に人間なのじゃ。よいか母を信じろ!きっと道は開ける。悪と戦い、正義を貫け!」
仙人さんはそう言いながら、愛おしそうに僕を見つめた。その影は次第に薄くなり、輪郭がぼやけ始めていた。
「もう時間がない。お主の胃がわしを消化しかかっておる・・・さらばじゃ・・・また来年会おうぞ」
「僕はこれからどうすれば・・・教えてください・・・」
だが・・・仙人さんは黙って僕の顔を見るだけで、何も話してくれようとはしなかった。
「またお主と会えることを楽しみに待っているぞ」
そう言いながら、仙人さんはすぅっと僕の目の前から姿を消してしまった。
「まずわが身を守れ・・・お主は今、魔の真っただ中におる。特にあの小娘は曲者じゃ・・・なにそのボールペンが有れば大概の事は防げるじゃろう・・・」
僕の脳裏に仙人さんの声だけが木霊していた・・・僕は再び深い闇に囲まれながら再び意識を失っていった。
僕はそのまま、ゆらゆらその空間を漂っていたような気がする。こんなに長くこの夢の中に居たのは初めてだった。
そして、僕の少し前の方に一人の妖艶な女性が立っている事に気が付いた・・・。
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