※この作品はR-18です。

タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。   作:Marchhatter

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(8/11)タイトルを変更しました。
(旧)権利のための逃走(1)→(新)暗闇からの呼び声(1)(志)


100 暗闇からの呼び声(1)(志)

 

 一度、家に帰る。

 昨日は公用での外泊だと言えたが、今日は私用だ。

 しかも土曜日の外泊も認めてもらわないといけない。

 まあ、なんとか認めてもらった。

 ほっつき歩いて何してるの?と母からはあまりいい顔をされなかったけどね。

 

 話が通ったのは、ひとえに早帰りしてきた父親が僕に加勢してくれたからだ。

 おそらくPC関係で僕が父にいろいろ協力した、その謝意というか見返りみたいなところもあるのだと思う。

 父によると。

 父が高卒で就職した時代、仲のいい友達の家に2、3日泊りに行くなんてのは日常茶飯事だったそうだ。

 かえって僕にいままでそんなのがなかったのがおかしい、と言って押してもらえた。

 まあ昔がおおらかな時代だったというんじゃなくて、父の周りがヤンキーだらけだったからなんじゃないかと思うんだけどね。いずれにせよありがたい。

 

 あと、期末試験の成績もそこそこよさそうだということも情状酌量上有利に働いた。答案はほとんど帰ってきた。来週には成績公表もあるだろう。

 ただ母親に対しても譲歩して、朝は一度連絡を入れると約束した。親の信頼をまだ維持しておく必要があるし。

 連絡先としては、一応紫藤の家の電話番号を伝えた。今日明日は紫藤継父がいないし、もし連絡があったら弟君に頑張ってもらおう。迷惑だと思うが事後承諾で頼むしかない。

 まあ、こっちはなんとかそんな風に済んだ。

 

 着替えなど外泊用の荷物を詰め込み、救出作戦用の道具や資材、多少雑巾用のボロ布とか懐中電灯や雑貨類とかを詰めた。結構な量だ。

 時計を見る。もうあまり時間がない。

 バスに乗って、調布との待ち合わせ場所に急ぐ。

 

 ―――――

 

 調布とは駅の階段下で待ち合わせた。この時代、中高生に携帯電話は普及してないから場所を特定してないと詰む。

 調布は、いつか偵察のときにみた服装とほとんど同じだ。オリーブグリーンのカーゴパンツ、長袖の白のデニムシャツ、帽子。リュックサックを背負い、ヘルメットや紙包みを入れた手提げ袋もあって、これも割と大荷物だ。

 そうだ。メット、どうしようか。

 視線と表情を読み取ったのだろう。

 

 「メット、まだなんでしょう?行く途中の店で買いましょうよ。」

 

 途中で幅の広い幹線道路沿いを通る。その並びにオート用品の量販店があるとのこと。

 調布の荷物を若干分担して持たせてもらい、広い幹線道路を歩く。

 途中の道路沿いのオートショップで、そこそこの質の地味なジェットヘルとグローブを買った。

 

 もう午後7時半すぎ。空に太陽はないが、まだわずかに空が明るい。

 少し歩くと、こちゃこちゃした裏町に入っていく。いわゆる下町だ。

 雑居ビルと小さなアパートが並んでいる。私道なのだろうか、道路に看板やアロエの鉢植えがはみ出てる。傍らに桶を抱えた老人は、銭湯から帰ってきたところだろう。小学生らしい子供たちががしゃがみこんで、数人で花火をしてる。

 この下町を少し行き過ぎて、大家さんの住居併設の少し大きめの白いタイル張りのマンションにたどり着く。調布は「鹿子島」と書かれた表札の下のインターホンを押した。

 1階がガレージになってて、ガレージ前の道路には、すでにバイクが2台。

 これかな?借りられるの。

 

 ――はい。

 

 インターホンに応答があった。

 

 「カゴちゃん?あたし。調布。」

 

 ――おうっす。

 

 十数秒後、ドアが開く。

 茶髪のあまり背は高くないけど、胸の大きい女の子が「あ、さとみー。」と言って出てくる。いい加減な英語のロゴが入った緑色のTシャツに、だぼっとした緩い感じのズボンを着てる。

 調布は「カゴちゃん!」といってごく自然にハグする。対男子と態度違いすぎ。

 

 「カゴちゃん。ありがとね!」

 

 「オッケーオッケー。それで?」

 

 ちらっと、茶髪の子の視線が僕を一瞬、冷徹に走査した。判定結果はいかに。

 

 「あ、よろしくお願いします。志野です。」

 

 「ども。」

 

 あまり茶髪の子の興味を引かなかったらしい。路傍の石に対するのと同じくらいの熱心さで挨拶された。

 そしてすぐ調布に目線が転じられる。

 

 「さとみのアレ?今日、すると?」

 

 「違うし!でも週末、いっしょにバイクで遠乗りするっさ。」

 

 調布は、こころもち崩した口調で応える。

 別に話が弾む感じでもないが、そのままゆるゆる話が続く。

 ううむ、疎外感を感じる。口を挟めない。いや挟まなくていいんだけど。

 

 「これ、カギ。じゃ、気ぃつけて。あー、彼、バイク大丈夫?」

 

 「大丈夫っす。」

 

 ようやく玉が回ってきたけど、一言で終わってしまう。

 こんなとき、みんなどうやって切り込んで仲良くなってるんだろう。謎だ。

 

 バイクを見る。

 一つはヤマハのオフ車。足つきは悪くないし、悪路も行ける。今回の目的を考えるとベストに近い。

 もう一つが、ホンダの原付ビジネスバイク。見た目はノーマル。

 荷物も人も載せられるし、すごく昔、乗ってたこともある。クラッチが少し独特だが、多分いける。

 少し古いっぽいが、この手のバイクは頑丈だ、大丈夫だろう。

 

 「できるだけノーマルっぽいの選んだ。バリバリいけるのもあるけど。」

 

 「まだ乗り始めだし。ノーマルがいいよ。」

 

 調布が何か洋菓子店のロゴ付きの手提げつき紙袋を取り出し、女の子に手渡してる。

 中をちらっとみて、カゴちゃんなる子は、いままでのちょっとダルそうな感じからは考えられないくらい、すごくかわいい笑みを一瞬浮かべた。

 好物か何かかな。

 

 「ガソリンあんまり入ってないかも。途中、入れて。」

 

 「満タンで返す。ありがと、カゴちゃん。またね!」

 

 「うっす、またねー。」

 

 「・・」

 

 僕、完全に要らない子。とりあえず頭下げといた。

 

 調布は、メットをかぶる。僕も。

 グローブもつけ、原付に跨って、エンジンをかける。状態は悪くないな。ガソリンはあまり入ってない。

 ガソリン代が、借りる対価みたいなもんなんだろうな。

 調布の方も、少し遅れてエンジン始動。セルスタータ式のオフ車。昔は珍しかった気がする。

 

 「ありがとう!じゃーねー!」

 

 調布が先行。僕も片手を上げて謝意を示しつつ、後に続く。

 調布がわずかにぎこちなく交差点角で一時停止、発進、それに僕が続く。

 

 ─────

 

 当たり前だが、バイクは同車種でもわずかに癖がある。

 だけど少なくともこれは、昔乗ったこともある車種だ。懐かしい。

 ただ、まだ馴れきってない。無意識に前でギアを引き上げようとして引き落としてしまう。この車、ロータリー式クラッチなんだよな。

 

 調布も走行は慣れてきたっぽい。発進、停車のぎこちなさは消えてきた。

 まだ調布にはすり抜けは勧めない方がいいな。

 たしかあのセ◇ー、何かの車種の四輪車のミラーと干渉しやすいんだよ。

 しばらく走った交差点の赤信号で、僕はジェットヘルのシールドを跳ね上げて、調布に言った。

 

 「ガススタンド、行っとくか?」

 

 「ええ!」

 

 路肩側に車線変更し、見えてきたガソリンスタンドに入る。

 この時代、まだセルフ式のスタンドがない。係の兄ちゃんは、入ってきた調布をガン見してた。

 ごめんな。僕のも調布のも燃費いいから、あんまり入んないんだよね。ほとんど空だった調布と僕のバイクに満タンに入れても、夏目漱石2枚でおつりが出る。すごい安い。

 

 時計を見る。8時か。かなり時間をくった。

 調布に、行き先について耳打ちする。

 満タンにしてもらったバイクを、再度発進。今度は僕が先行、精一杯アクセルを回す。

 託児所とされているアパートと、周りの道路を確認。気分は犯罪者。

 ナギさんの子供を連れ出せたら、どう移動するか。

 当然タクシーだろうと思っていたが、それほど捕まえやすい場所ではなさそうだ。

 紫藤か国領も近くに待機してもらって、幹線道路まで移動してもらうかな。

 

 ─────

 

 再び移動。こんどは、泊まる家まで飛ばす。

 紫藤の住むざくろが丘の北の坂を下った谷。日蔭谷と呼ばれている。

 ざくろが丘へ登るバス路線の道路は、南斜面だ。建売住宅も、緩斜面であるこちらの側に多い。

 北斜面の道路もあり、決して狭くもないが、あまりこちらは開発が進んでいない。

 北斜面の坂を下りきった谷には、川が流れている。平地部には人家や工場がある。ただ、人家も工場も点在していて、あまり多くないし空き家も多い。

 一度区画整理したらしく、川沿いに伸びる割とまっすぐな広い道路沿いには、ぽつぽつとセメント工場、廃業した肥料工場、中古車販売店、材木店、廃業した家具店、資材置き場などが点在している。

 

 この並びの、崖が少し迫った部分に、僕たちが借りた家がある。

田舎なので近所づきあいはそれなりにあるのだろうが、この家はやや特殊で、みたところは他に住人がいる人家がない一画にある。

 途中で改築されててそこまで古く見えないが、川沿いで水害を受けたこともあり、一方は道路を挟んで山林、もう一方の隣は今は操業していない製靴工場、その向こうは資材置き場、空き地、・・という立地で、近くにあまり良い商業施設もなく、住環境として必ずしも良くはない。

 

 不動産屋さんによると、この家はこの隣の廃業した製靴工場の経営者が住んでいたが、工場の廃業後はその縁者に管理人として住まわせていたらしい。それがこの一画での唯一の住人だったようだが、高齢になり健康に不安もあって引っ越したという。事業に失敗したか何かで、あまり人づきあいはなく、半分世捨て人のように暮らしていたとか。

 普通に考えればマイナス要素の多い立地。

 ただ僕たちにとっては、人づきあいや人目があまりないということは、利点だ。

 

 到着した。少し坂になった入り口を上がり、入り口に張ってあったロープを外し、入り口そばにバイクを止める。 

 踏み固めた入り口近くや、その横の納屋のあたりはまだ雑草の侵略はないが、庭はかなり雑草が生えてきてる。少し草取りしなければ。

 

 入口は古びたガラスの引き戸だ。引き開ける。

 先月引っ越したばかりで電気と水道は通じてるし、なんなら中は無事なのかよくわからないが冷蔵庫も通電したまま置いてあるそうだ。単価が高いがプロパンガスも使えて、住むことは可能。。

 壁を手探りしてなんとか電灯のスイッチをみつけて入れる。ピン、というような音がして黄ばんだ蛍光灯が灯った。

 恐る恐る入り、すべての部屋の電気を入れてみる。床は転居時に掃除したのか、まずまずきれいだ。

 台所で、うぃぃんという冷蔵庫のものらしい音がする。

 

 雨戸が閉まってるが、開けるかどうか微妙だな。でも、風を通した方がいいか。

 調布と手分けして、主な部屋の雨戸を開け、網戸で風を通す。

 古びてはいるが、生活感が残っている。ちゃぶ台とかもそのままだ。網戸もきちんと閉まるし、みたところ建付けは悪くなさそうだが、古い家だ。ゴキブリとかカマドウマとかはいそうだな。

 蚊取り線香を見つけて、焚いておく。

 

 「悪いが、紫藤を迎えにいってくる。」

 

 「二人乗り?大丈夫かしら。まあ、お風呂でも掃除しておくわね。」

 

 お風呂もちらっと見たが、タイルはそこまで汚くない。風呂桶はよくわからないプラスチックみたいな材質で、ちょっと表面も摩耗してたりして古びてるが、洗えば十分に使えそうだ。ただ、古いバランス釜は、調布には使い方がわからないかもな。

 さて、迎えに行くか。

 紫藤が嫌がったらダメだが、原付二人乗りか、自転車かな。

 ちょっと考えたが、調布のメットを一応借りる。紫藤用も買っとくべきだったな。

 

 ―――――

 

 ちょっと待たせてしまったかもしれない。

 近所の公園に原付を止める。来る途中に確認したが、交番もないし、パトロールに引っかからなければ大丈夫とは思う。だめなら自転車、歩きでもなんとか大丈夫、下りだから歩きでも20分くらい。30分はかからないと思う。

 あ、やっぱりあの日蔭谷の家、自動車とかないと不便なんだな。

 歩きしかないと、最寄りのバス停はたぶん、日蔭谷の川沿いをずっと下って行って国道に出るか、坂を上ってざくろが丘のバス停を使うしかない。どっちも30分近くはかかるな。あと、電鉄の駅も国道近くにあったはずだ。本数少ないだろうけど。

 どれが早いか、後で調べておこう。

 

 紫藤の家のインターホンのボタンを押す。こうしてまともに訪れるのは、初めてだ。

 扉がぱたんと開いて、紫藤が飛び出してくる。ぎゅうっと抱き着かれて、ちょっと焦ったが、抱き返した。

 見つめ合ったあと、一度、玄関口に入れてもらった。またちょっと二人でそわそわして、キスをした。

 すでに、リュックサックが準備されて置かれている。

 時計を見る。もう9時前だ。

 

 「弟さんは?」 

 

 「千里、千里!」

 

 二階に呼びかける。

 

 「あ、呼ばなくてもいいから。」

 

 あ、そうだ。メモ残しておかなきゃ、と紫藤が奥の台所方向に消えてしまい、僕は取り残された。

 うっそりと、二階から紫藤弟が現れる。

 なんか、不機嫌、っていうか、何というか。

 三白眼気味ににらまれてる。含むところありげな感じだ。

 え、何。この前は友好的だったのに。僕、何かした? 

 

 「ちいっす。」

 

 「ああ、こんばんは。」

 

 「――」

 

 「――」

 

 「――先輩。確かめたっすね?」

 

 確かめた?何を?

 あ?ああ、そうか。黒子のことか。

 

 「ああ。教えてくれてありがとう。」

 

 「くうっ、」

 

 なんだ、血涙を流しそうな感じ。そんなにショックだったの?

 あれ、2階で電話鳴ってる?取らなくていいのかな。でもすぐ鳴りやんだ。

 

 「じゃあ、頼んましたよ。」

 

 「おう?」

 

 何をだ?

 

 「千里!メモ、テーブルに置いたから!ちゃんと食べてね!」

 

 紫藤がパタパタと奥の食堂から戻ってきた。

 

 「うん分かった。食べる。――先輩、絶対っすよ。絶対。約束っすよ。みなり姉を守ってくださいよ。」

 

 「お、おう、――。」

 

 あれ、紫藤実父の救出計画には、紫藤弟は噛ませてない。どうして危険を感づいたんだ?

 

 「千里、聞いてる?ちゃんと食べてね!」

 

 千里少年の悲愴な、夫を死地に送り出す妻のような眼に見守られながら。

 僕はリュックを背負い、紫藤は手提げを携えて、外に出た。

 数歩歩いて、僕たちは顔を見合わせる。

 

 「大丈夫かな、弟さん。――いつからあんな感じ?」

 

 「うーん。ちょっと前から、元気ないんだよ。」

 

 数日前から、著しく精彩を欠いていて、急にしくしく泣きだしたり、情緒不安定さが目立つらしい。

 

 「今日は特に変だったよ。たぶん昨日も今朝も何も食べてないからだと思うんだよね。」

 

 食材は残していたが、弟君の生活能力は想像を絶して低かったらしい。

 いや、生活能力が低いというか、気力が抜けてる感じなんだとか。

 

 「生きる希望を失ったとまでは、言えないけどね。」

 

 理由は分からない。姉絶対主義者の超シスコン少年だから、恋人に振られたとかも考えにくい。

 あ?そうだ、わかった。

 昨日今日に関していえば、紫藤が外泊するからじゃないかな。

 そりゃな。一人で取り残されるんだ、寂しいだろうな。

 超シスコンだったら、そりゃ紫藤の身が不安にもなるよ。

 でもあの憔悴ぶり。ひどかった。

 うーん、僕の実家から電話かかってくるかも、って言い出せる雰囲気じゃなかった。ぷちっと切れて激怒されそう。

 どうしよう。

 まあ、仕方ないか。

 

 ―――――

 

 バイクのことを言うと、紫藤はあっさりと、いいよ自転車で、と言った。

 なんでも、ときどき遊びに行ったことがある場所で勝手はだいたいわかるとか。廃工場に忍び込んだりするのは、ざくろが丘小学校の子供たちには定番の危険な遊びだったらしい。

 ただ紫藤が中学に上がったころ当たりに水害が連続してあって空き家や廃工場が増えてしまい、ヤンキーがときどきシンナー遊びとかしてることがあるから注意しろと言われたらしい。

 もう暗くなってるし、ヤンキーが気になるが、まあ、しかたない。

 

 荷物を前かごと後ろの荷台に括りつけて、出発。紫藤の自転車の速度に合わせて並行してバイクで走る。

 やっぱり二人乗りでもよかったじゃないかな、とは思うが、ときどきお巡りさんが巡回してるとか。

 まあ、紫藤実父を救ってからなら捕まってもいいが、今はリスク高いよな。

 くだりなので、自転車も相当のスピードで飛ばせる。

 幸いにもヤンキーに遭遇して絡まれることもなく、僕と紫藤はたどり着いた。

 

 たどりついた家の外周りは、さっき見たときより少し片付いてて、金属蓋に立てた蚊取り線香が門の前で燻ってる。

 カラカラと音を立てて、ガラスの引き戸を開ける。不用心だな、合いカギ複製して、この玄関のカギは掛けておくべきだった。

 玄関先も、雑巾がけがしてある。頑張ったんだな、調布。

 上がってふすまを開ける。暗い部屋、その奥のふすまが開いて調布が顔を出した。

 

 「さとみん!」

 

 「あらお帰り。こっち、クーラー入れたわよ。」

 

 ひんやりとした空気が、調布があけた隙間から流れ出てくる。

 どうもクーラーが入る部屋は2部屋だけ。奥の寝室と、今僕たちがいる床の間のある座敷だけ。

 台所は北向きなので比較的涼しいが、クーラーはない。

 

 「奥の寝室は、掃除途中なの。使えなくはないけど。だから今日はこの座敷でいいかな、って。」

 

 ふとんは比較的きれいそうな客用布団を引っ張り出して、上に洗ってあると思われるシーツを重ねてある。

 気になるようだったら持参した封筒型寝袋をフルに開いてその上に敷いてもいいけど、と言われる。

 ただ、まあ大丈夫そうだな。紫藤は気にせずもう寝転んでみている。

 

 「涼しー。ねえさとみん、ちょっとぐるっと見てもいいかな?」

 

 「いいわよ。――ねえ志野、あなたあのお風呂場の給湯器の使い方わかる?」

 

 「ああ。お湯張りは、やっとくよ。」

 

 やっぱりな。バランス釜はわからないかもな。

 調布と紫藤が探検している楽し気な声を聞きながら、苦労してちょっと挙動に癖のあるバランス釜に点火し、お湯を入れ始める。

 全自動なんかじゃないから、気をつけてないとお湯を溢れさせてしまうことになる。それは避けたい。

 紫藤も調布も汗かいてるだろうしな。お腹もすいてるけど、先にお風呂かな。ごはんかな。

 

 ひととおり回ってきた調布たちは、やはりお風呂を選ぶ。

 うん、そうだよな。べたべたに汗かいたし。

 女の子二人に先に入ってもらうことにして、僕は食事の用意を進める。

 お風呂部分は増築したらしく結構広いので、二人で入るとか。

 まあ、一人だとちょっと心細いよな。

 覗いてもいいわよ、と言いながら調布が恥ずかしそうな紫藤を引きつれて消えていった。

 

 たいしたものはできない。レトルトカレーやパスタを相当量買ってある。野菜が足りないけど、仕方ないか。

 古いナショナルのマークのついた、うぃぃいんと音を立てる小さな冷蔵庫をびくびくしながら開けてみる。

 思ったよりはきれいだが、開封済みの食材はちょっと使う気にならないな。様子を見て処分だ。

 月曜日がごみの回収日だっけ。ごみの回収場所は靴工場の横にある。ほぼ、この家専用だ。ちゃんと集めてくれるかわからないので、まあその場合は僕がごみを家に持ち帰ってもいい。

 食材、台所の流しの下に多少缶詰とか醤油とかのストックもある。使わせてもらおう。

 未開封の切り干し大根の袋は使えそうだな。高野豆腐やツナ缶も。

 適当に塩や醤油とツナ缶を使って、和風パスタって感じにするかな。

 お風呂場の方向から、また楽しそうな笑い声がした。ぱしゃぱしゃ水をかけあっていると思しき音も。

 なんか以前みた夢とはかなり違うけど、でもこれもまるで結婚生活の一場面のようだ。

 ちょっと低い流しにかがみこんで食事の準備をしながら、ほのかな幸せを感じた。

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