※この作品はR-18です。

タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。   作:Marchhatter

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 三人称(国領ハルカ視点)です。
 後半部など、後で記述を整理するかもしれません。


115 河を渡って木立に憩う(8)(三人称)

 

 先ほどまでの、恐ろしいやりとりの後。

 深淵を垣間見せた彼女の親友は、打って変わって日常的な話に転じ、自分の周りの人々の興味深い、おもしろい話などをたのしげに伝えてくれている。

 

 海水浴の途中で急に冷たい水流にさらわれそうになり、あやうく浅瀬に戻れておだやかな砂浜を離れがたくなってしまった小学生のように。

 彼女(国領ハルカ)は、ひたすらそのあたたかな日常の話題が慕わしく思え、その世間話に没入することで衝撃的な事実を封じ込めようとした。。

 あまりのおそろしさに、凍えてしまいそうだったのだ。

 彼の危険性を知っていたと思っていた自分は、まだまだまだまだ甘かったのだ。

 その恐怖を強引に封印して、彼女(国領ハルカ)は一息つくことができた。

 

 ふと気が付くと、昼休みの時間はそれほど残されていない。

 あわてて、彼女(国領ハルカ)は購買で買ったサンドイッチを取り出す。

 紫藤みなりもどうやら昼食の途中だったらしい、お弁当をあけて彼女(国領ハルカ)にお相伴する。

 空腹を満たす食べ物に加え、食べながら交わす会話は、じんわりと彼女(国領ハルカ)の心を癒し始めた。

 たとえ現在は悪魔のような男の虜囚になっているとしても。紫藤みなりは、彼女(国領ハルカ)の大事な親友なのだ。そこは譲れない。

 

 うん、ボクがいつかキミを救いだしてみせるよ。

 ボクはキミの騎士(ナイト)なんだからね。

 

 そう、元気をとりもどした国領ハルカは心に誓う。

 その彼女の親友(紫藤みなり)は、どうもアルバイトを検討しているらしい。

 

 「ふむふむ、いろんなお仕事があるんだね?」

 

 折り目をつけられた求人雑誌のページ。

 それが、どうも彼女(国領ハルカ)の親友の検討している求人情報らしい。

 どれどれ、といくつかを見てみる。

 しかし、そうして開けたページの中のマークしてあった求人広告の一つが、まるで飛び出してくるように目立ってみえて。

 彼女(国領ハルカ)は、目をこすってまじまじと見つめなおし、そして気づいた。

 

 「みなりん、これはやめといた方がいいと思うよ。」

 

 「契約案内スタッフ」という求人広告。

 未経験で、非力な女の子でも務まって、そして比較的時給が高い、ということで選んだ気配。

 でもこれは、いけない。

 

 このバイト先の画商の会社。

 そもそも、結構強引な勧誘で問題となってる。

 詐欺商法とまではいえない。ちゃんとした本物の版画を売ってる。好きな人は好きだろうけど。

 でも、本当はそこまで絵に価値を見出せない人に対しても、強引な手法で高額契約させることで悪名が高いのだ。

 

 そして、何よりも。

 ここでアルバイトしているのは、彼女(国領ハルカ)の従兄なのだ。

 そう、容姿端麗な女性アルバイトに客を誘い込ませ、そのまま強引に契約にはめ込む。

 客が逃げようとしたり、冷静になってキャンセルを申し出てくると、傷つけられたように怒ってみせ、契約を結ばせる。

 キャンセルしに来た客のお詫びの品の菓子を、踏み潰してみせるんだ、ーーと。

 そういう一部始終を、得意そうに彼女(国領ハルカ)の従兄、布田茂良男が話していたのを、彼女(国領ハルカ)は思い出した。

 善良な伯父伯母はもちろん知らない。告げた方がいいか、迷ったものだったが──。

 

 そして。

 販売員には厳しいノルマが課せられ、そのノルマに達しない女性アルバイトに対しては、茂良男ともう一人の男とで「悪い警官、良い警官」のあの手で嵌め、食い散らかしていると自慢していたことも、覚えている。

 

 必死で、紫藤みなりに対してそのバイトをしないように忠告する。

 あの人間的にいただけない兄に、食い散らかされてしまう紫藤みなり。

 そんな悲惨な運命を、ただでさえ苛酷な境遇にあるこのかわいい親友にたどらせたくはない。

 必死だった。

 

 紫藤みなりはあまり納得した風ではなかったが、ページの折り目は伸ばされた。

 彼女(国領ハルカ)は、ふう、と胸をなでおろす。

 

 「じゃあこれかな?」

 

 「なになに。え?こんなのあるんだ。」

 

 画家のモデル?

 おもしろいじゃないか。

 一度、保育園児の時代にチラシのモデルになったことがある国領ハルカは、ちょっと興味を覚えてその広告をしげしげと見た。

 ちょっと気になる。記憶にとどめておこう。

 

 「このページ、変わったバイトが多いね。これも。」

 

 山林監視員のバイト。男性向けかな?

 サファリハットをかぶり、オリーブグリーンのベストを着、偏光サングラスをかけた自分が密林を歩くさまを想像してみる。

 自然はいいね。

 

 「みなりん、ボク、これも気になるな。」

 

 水槽、飼育槽等の清掃バイト。大学でのアルバイトだから、ある程度しっかりしたところだというのもいい。

 みなりんには一番じゃないかな、と彼女(国領ハルカ)は思う。

 

 それからいくつかの興味深いアルバイトが検討され。

 また、どうみてもあやしい求人広告をネタに盛り上がり。

 休み時間が終わるあたりには、彼女(国領ハルカ)はそこそこ元気を回復していた。

 しかし。

 胸の中には、知ってしまった残酷な真実が、鉛のように重たく存在を主張していた。

  

 ―――――

 

 7時限目終了後のホームルーム。

 成績が配布される。

 彼女(国領ハルカ)は自分の成績を確認する。クラス1位は初めてだ。全体7位も。全体一桁は初めてだ。

 勝てるだろうか。

 光が、見えてきた。

 

 その後すぐ待ち合わせ場所である文芸部の和室の部室に行こうとしていた彼女の袖をつかんだのは、同じクラスの男子生徒。

 

 「なあ、国領さんさあ。今日、空いてる?」

 

 根取益男というその男は、サルに似た顔をほころばせながら、しかし結構強引にハルカの袖をつかんだ。

 

 「いきなり、何かな?でもごめんね、今日はちょっと用事があるんだ。」

 

 さりげない風を装って、振りほどこうとする。でも、放してくれない。

 

 「えー、じゃあ、いつがいい?オレ、今週だったら金曜以外あいてるから、時間くれない?」

 

 「何の用事?」

 

 本当はイヤだ。

 この男、根取は志野と並んで彼女(国領ハルカ)が警戒する相手の一人だ。

 そう。視線が、粘っこいのだ。下手をすると志野以上に。

 態度も、なんかふてぶてしいというか、妙に倨傲で気に障る。

 それを頼もしい、とクラスの女子の一部は思ってるみたいだけど。

 ボクだったらいやだな、と彼女(国領ハルカ)は思う。

 

 「ほら、オレの錦汰摩高(にしきたまこう)の先輩がさ。国領さんのこと見て、気に入ったみたいなんだよ。」

 

 なんか聞いたことのある誘い文句。

 しかも錦汰摩高だって?キ○タマ高って言われるあのヤンキー高校か。

 最悪。

 

 オレの顔を立てると思って。1回だけでいいんだ、1回だけ。

 金は出すっていってるみたいだからさ、と妙にしつこい。

 

 「いや、ほらボク、そんなのあんまり興味なくて。ファンが多いからねー。」

 

 少なくとも今日は用事があるんだ。約束の時間があるから、ごめんね!と切ると、しぶしぶ袖を離してくれた。

 教室を出ていく彼女(国領ハルカ)の膝裏にまとわりつく、根取の視線。

 

 気持ち悪いなあ、もう。

 そんなに露骨だと、後ろからでも女の子もわかるんだよ。

 

 せっかく好成績で少し持ち直した国領ハルカの気分も、急斜面を直滑降し始めていた。

 

 慌てていった文芸部室。

 包容力の塊である部長さんから、さっき長身の2年生の男が国領に会いに来たと知らされた。

 

 「大丈夫?なんか、すごい怒ってたよ。」

 

 「ええっ!?」

 

 その場に居合わせたもう一人の下級生も、こくこくと頷いている。

 おそろしい殺気を感じたとか。

 ただ、下級生の足を舐めるように見て帰っていたようだ。その行動パターンなら間違いない、志野だ。

 今日は帰っちゃって、頭が冷えてから話すことにしたらどうかな?と部長さんは考えているようだけれども。

 きっと根に持って、さらにひどい事態になることは目に見えてる。

 

 「あ、心当たりがあるから、そっち行ってみます。」

 

 ありがとうございました、とぺこりと礼をして、退出する。

 あくまで念のため。文芸部の5階の和室のドアを試す。かぎがかかってて、誰も入ってない。

 ということは、神社か。

 

 志野や国領たちが通う多賀島中央高校は、街の中心部ではなくやや外れたところに位置している。

 ただ、志野の住む鳥兜団地みたいな丘の上ではなく、平地部で、学校周りは住宅街。

 しかし、学校から10分も歩けば、丘陵地帯が始まる。多賀島市の中心部からみて、第一列にあたる団地群の一つが多賀島中央高校の最寄りの丘の上に造成されているが、その斜面部と平地の一部は未開発であり、広葉樹林のまま残されている。

 

 そしてこの平地部の林の部分に、彼女(国領ハルカ)が待ち合わせに指定した栗抜(くりぬき)神社という神社がある。

 その参道に、行く必要がある。

 歩いて5分くらいか。3分では、無理かな。

 

 急いで靴を履き替え、校門を出る。

 振り返って正門を見る。走れば、なんとか約束の時間に間に合うかな?

 急いで正門を出て、最初の角を曲がろうとしたとき、おーい国領さん、と呼びかける声を耳にする。

 仕方なく振り向く。

 

 「なあ、急いでるんだろ?乗せてってやろうか?」

 

 げ。またかよ。

 振り向くと、自転車に乗った日焼けした短髪のにやけた猿顔男。

 この際仕方ないか、と思って答えてしまった。

 

 「うーん、ちょっとだけお願いしようかな。」

 

 大後悔するとも知らずに。

 

 ─────

 

 その20分後、彼女(国領ハルカ)は大慌てで住宅街の歩道を疾走していた。

 根鳥はこともあろうに指示したのとは全く違う方向に彼女(国領ハルカ)を乗せて行った。

 わずかながら方向音痴の気がある彼女はそれに気付くのが遅れ。

 着かないなあと思っているうちに、気が付くとみえるはずのない登良川がみえていた。

 まったく方向違いの住宅街に乗せられてしまっていたらしい。

 それを糾弾したときのあの根鳥のヘラヘラとした様子。どうも確信犯だったようにも思える。

 多分、例の錦汰摩高につれていかれそうになったのでは?と彼女は推測している。

 

 あれえ?ごめーん間違えた、と笑う根鳥の頬を張ってやろうかとすら思ったが、ぐっとこらえて。

 最小限の別れの言葉を告げ。

 近くにいた世話好きそうな小母さんに声をかけ、道を教えてもらい、今、こうして走っているというわけだ。

 

 ただですら睡眠不足。お昼もかろうじて購買で購入したサンドイッチだけ。

 きついよ、これであの性獣と戦うって。無理。

 心の中で嘆きながら、ようやく到着した。

 志野の姿は見えない。その姿を求めて参道を歩いていると、不意に横合いからたたきつけるような殺気を感じた。

 

 「遅かったな。」

 

 悲鳴を上げなかったのは、僥倖だった。びくつく心臓をなだめながら、答える。 

 

 「ごめんごめん、すぐ行けるかと思ったんだけど、さ。」

 

 「──ああ、いいんだ。」

 

 いいと思ってるわけないじゃないか。すっごい怒ってるよね!?それくらいボクもわかるよ。

 およそ20分遅れか。あのまま根鳥の甘言にのせられなかったら、間に合ってたかどうかはわからないが、こんなに遅れはしなかったかもしれないのに!

 

 志野はギロ、とこちらを一瞬睨んだが、そのあとはむしろ目をそらし、こちらを見ないようにしている。

 

 ──どうみても怒ってるよね。

 

 泣きそうだ。でも虚勢を張って、相手をせめてこれ以上不快にしないようにはきはきとしたやり取りを心掛けよう。

 

 「どこで話す?こっちはどこでもいい。」

 

 「帰りながら話そうか。今日は自転車?」

 

 神社入り口近くの駐輪スペースに、高校のステッカーをフレームの目立たない部分に貼ったシルバーのサイクリング車が置いてあった。あれは多分、志野のものなんだろう。

 

 「そうだ。国領、バスなんじゃないのか?」 

 

 「ボクは今日は歩きでいいんだ。行くところがあるし。志野は?」

 

 「僕も行くところがあるな。家は鳥兜団地だけど。」

 

 「うーん、まあまあご近所さんなんだね。ボクは家は、白髪町だよ。」

 

 鳥兜団地か。まあ、比較的穏やかな地域の中学だ。

 国領ハルカの通っていた地域の中学の方が荒れてた。たぶんヤンキーどもが殴り込みに行ったりしたことがあるだろう。

 うーん、ますますボクへの印象、悪くなっちゃったかな?

 

 志野によると、この近辺は蚊が多い。話せるような環境じゃない、ということで。

 場所を変えることにした。

 彼女(国領ハルカ)は、この近所の小さな公園を思い出す。近くに交番もある。さすがに性獣もそんな場所で彼女に手を出したりはしないだろう。

 

 そこに向かう道々、彼女(国領ハルカ)は志野の文化祭での演技や卓球部での活躍を称賛したりして、硬化しきった志野の感情をやわらげようと努めた。

 何しろ原因である二股解消をぶち上げたのは彼女だ。

 もちろんそのこと自体は、彼女は悪いとは思っていない。

 しかしこっちの都合で会談を求めたあげく、約束の時間に遅刻して蚊の刺す中で待たせてしまったのは確かに自分が悪い。

 

 しかし彼女の涙ぐましい努力にもかかわらず、志野の様子は好転の兆しを見せなかった。

 決して無作法とまではいわないが、彼女の方には目を向けてくれず、生返事をよこすのみ。

 国領ハルカは焦燥を強めた。

 

 もっとも志野のそっけない態度は、もちろん機嫌をとるなど小さなお子様扱いしてくる(と志野が考えてすねている)彼女(国領ハルカ)へのいら立ちの側面も一部にはあるものの。

 志野サイドでの自覚はないが、半分以上は褒められ慣れていなくて反応に困っていたのと、彼女(国領ハルカ)のようなイケてる風の容姿のよい同級生と一緒に歩くことへの戸惑いのためだったのだが。

 

 このままでは、後の交渉がぶっ壊れかねない。ただでさえ、難しい交渉になってしまったのに。

 そう思った彼女(国領ハルカ)は、自転車を押す志野の視線を捉えようと志野の顔を覗きこもうとして、傍に寄りすぎて。

 その様子が、仲の良いアベックのそれに見えてしまったのかもしれない。

 近所の暇な小学生たちが、彼らを冷やかす。

 これにはもちろん、志野の怒気は傍目にも明らかになっていた。

 その原因はあくまで小学生にあるとはいえ、これから微妙な駆け引きを強いられる彼女(国領ハルカ)は、目的地の公園についたときには、ほとんど涙目になっていた。

 

 ─────

 

 ようやく公園にたどりつき、ベンチにこころもち離れて、腰かける。

 

 「その。悪かったよ。――都合が悪かったかな?」

 

 「ああ。ちょっといろいろあるはあるんだけどな。まあいいんだ。」

 

 しばし沈黙があったが、意外にも志野はよく自制した。

 ここからは交番は見えにくい。志野は気づいてなさそうだ。たぶん、自分で感情を抑制したんだ。

 怖くはあるけど、不愉快だからどなり散らすくらい単純だったら、まだよかったかもしれない。

 理性を備えた怪物は、やっかいだからだ。

 

 「こっちこそ悪かったな。忙しいんだろう?」

 

 そんないたわりの言葉までかけてくる。

 さて。

 唾をのみ込み、国領ハルカは交渉に着手した。

 

 ─────

 

 国領ハルカが今回の交渉で獲得したいと思っていたことは、大きく分けて2つ。

 

 1つ目は、志野から過酷な要求が出ないよう、抑止すること。

 つまり、志野がおぞましい欲求。たとえば彼女(国領ハルカ)に性的奉仕を強制したりしないよう、予防線を張ること。

 2つ目は、それでいながら志野に対して要求するチャンネルを維持すること。

 

 1つ目の要求は当然だ。こんな見られただけでアフターピルの処方が必要になってしまいそうな奴に、好き勝手に要求を出されては、たまったものではない。

 逆に言えばそこがクリアできれば、ある程度はこちらから協力するのもやぶさかではない。

 彼の特殊な性癖を彼女が知ってしまったとはいえ、彼は、やっぱり善良なのだと思う。

 途上国に多大の資金援助を行う一方、多数の現地女性を食い物にしたといわれていた有名人がいるが、それと似たようなものか。

 

 2つ目の要求は、ある意味虫のいい話だ。

 向こうが求める(であろう)性的要求はかわしつつ、こちらからの要求は呑んでもらう必要がある。

 今のところ、彼女(国領ハルカ)は志野に対してなにか命令できる権限もなければ、取引を成立させるだけの何らかの資源もない。

 彼女の親友、紫藤みなりを救い出すためには、やはり志野本人が納得するような根拠が必要だ。

 そのためには、この試験を舞台にした勝負の枠組みは残しておく必要がある。あとは頑張るだけだ。

 

 1つ目の要求を、驚くべきことに志野は呑んだ。すごく難渋するだろうと思っていた彼女(国領ハルカ)は、驚きつつ安心した。

 しかし返す刀で、「過大すぎる要求の禁止」を志野が求めてきた。ある意味、国領ハルカの2つ目の要求に制約をかける形になるが、逆に国領ハルカを守る盾にもなりうる。

 

 二股解消や紫藤みなりの解放を求めることがそれに当たるかどうか、という点を、彼女(国領ハルカ)はあえて詰めなかった。

 そこを明らかにしよう、という話にすると、そもそも合意が成立しなくなってしまう。曖昧にしておくべきだ。後で要求を出したときに過大な要求に該当すると言われても、該当しないと思ってたよ!とごねて別の何かの条件成就を求めることもできる。その方がいい。

 そう考えると、1つ目の主要目的は、おおむね満額回答。

 

 2つ目の主要目的も、ここであえて明らかにしない方がいいかもしれない。

 そう彼女(国領ハルカ)は考えて、あえて口に上らせなかった。

 むしろ、相手にもアメを舐めさせてやり、数回これを続けていった上で既成事実化していく方がいいのではないか。

 無理に現段階で継続することを明示的に要求すると、勝ったときのメリットより負けた時の不快な要求を強制されることの危険性に目が向きがちになり、合意自体が成立しなくなってしまう。うやむやにして、慣行にしてしまう方が現実的だ。

 特に、今は二股解消という志野に不快な要求を出してしまってたことだし。

 そう、国領ハルカは考えた。

 

 今回の勝負は、捨ててもいい。勝ったとしても、何か志野にはあまりダメージのない要求を一度出す。

 そして、再度、壊れてしまった関係の復旧を図る。今回の二股解消は、やっぱり焦りすぎたかもしれない。

 そのうえで、数回勝って少しずつ要求を広げ、布石を置き。

 紫藤みなりから手を引かせる。

 そうすべきだろう。

 

 そしてこの第2の目的を叶えるための、関係復旧の布石として、要求事項の変更を申し出た。 

 調布聡美と紫藤みなりとの関係断裂はたしかに恐ろしいリスクだが、まだ現実化してはいない。

 最悪、現実化してしまったら、自分が間に入ったりして紫藤みなりを守ろう。

 国領ハルカのシンパは、少ないながらも志野たちのC組にもいるのだ。

 

 それに、今回知るに至ったより大きな問題。つまり紫藤みなりに対する彼の醜状を止めようと思えば、二股解消を求めることはむしろ逆効果かもしれないのだ。

 

 調布聡美が彼の変態的な暴虐にさらされているか不明だが(彼女の戦闘力を考えると、それは考えにくいが)。

 仮に二股を解消させて紫藤みなり一本に絞らせると、かえって性欲のはけ口を失った志野の紫藤みなりに対する変態行為は激化しかねない。

 つまり、度を越えて紫藤みなりに負担が集中してしまうことになるのではないか。

 そう考えたのだ。

 

 そして紫藤みなりへの教育不足のまま、つまりあのようなぽわわんと志野に恋した状態のまま、彼女(国領ハルカ)が志野に紫藤みなりとの間の関係清算を迫っても実効性などまったくないだろう。

 かえって、紫藤みなりまで彼女(国領ハルカ)の敵に回りかねない。それは最悪だ。

 

 こちらも、受け入れてもらえた。すんなりと。

 話している間は、志野は普通に紳士的な常識人に思える。

 だからこそ恐ろしいのだが。

 

 事実、志野は紳士的な常識人なのだろう。表の人格は、善人なのだ。

 ただ、ジキルとハイドのように並外れて恐ろしい性欲の塊という側面もある。

 ある意味、陽と陰のある自分と、同類なのではないか?

 いやいやいや、こんなときにこんな危険な相手に同類としての親しみを覚えてどうする。

 まちがってもボクは、こんなチ○コの乗り物と同類じゃないぞ。

 彼女(国領ハルカ)は、気のゆるみを自覚し、改めて相手との交渉に注意を向け直した。

 

 ─────

 

 点数を見せ合い、思わぬ同順位という結果を得て。

 二人で協力して知恵を絞って処理案を策定したことも、寄与したかもしれない。

 志野との関係は、あの仮部室での対決前くらいとまではいわないが、相当に改善できた。

 

 そう思いながら。

 うまく調整が終わってホッとして、冗談を言って笑いあい、ベンチの背もたれに寄りかかって伸びをした国領ハルカは。

 ずっと対決して気を張っていたため、こわばってしまった背筋を伸ばす心地よさを感じながら。

 ふと電撃のように走る、「まずい!」という本能の警告を感じた。

 

 ――とても危険なおそろしいものが、みている。

 

 そう。

 どこからか彼女に向けられている、餓狼のまなざし。

 国領ハルカの伸ばした足。スカートの裾のあたりにそれが向けられている?

 思わず、体がこわばる。

 巨大な獣の顎にくわえこまれたような、無力感と焦燥感を感じる。

 

 おそるおそる目の隅で志野の顔を確認する。

 獲物を前にして「待て!」をされている狩猟犬のような表情だった。

 

 それに気づき。

 ひやり、と背筋に冷たいものが走ると同時に。

 ──脳を揺らされるような興奮とスリルを感じてしまったのは、なぜだろうか。

 

 ─────

 

 その後。

 志野とは社交辞令を交わし、冒頭のように手を振って別れ。

 今日は週に1回の合気道の時間。

 社会人も多いので、夕方の時間帯の開始だ。

 会員はさまざまな人たちで、おじさんもいれば女子大生も、男子中学生もいる。

 それらを相手に、受け身を取ったりえいっと投げたり。楽しい時間だ。

 

 汗を流した後、挨拶をして帰宅の途につき。

 伯母に世話を焼かれながら食事を取り、入浴し、早々に宿題を終え。

 睡眠不足を補うべく、早めにふとんに入る。

 

 寝入る前のひととき。

 うとうととしながら、彼女は自分を見つめていた、志野の飢えた野犬のまなざしを思い出す。

 

 荒々しい自らの衝動を抑えていた。

 獰猛で野卑なだけではなかった。どこか物欲しげで、願いを叶えてもらえない子供のような哀しみを感じさせた、その視線。

 

 どこか、どきっとしてしまったっけ。

 とても小さい頃。異性の幼馴染とススキの枯野で遊ぶうちに、草陰に成年向け雑誌を見つけたときに覚えたような。

 胸を衝くような感覚。

 あのときは、そのあと、どうしたっけーー。

 

 うとうとと、彼女は夢の世界にいざなわれる。

 夢の中の彼女は、檻の向こうに閉じ込められたおそろしい毛むくじゃらの獣の前で。

 白い肌をさらし、からかうような笑みをそのけだものに向けていた。

 巨獣は檻の隙間から、人ひとりをやすやすと引き裂くこともできる、かぎ爪のついた腕を伸ばすが。

 国領ハルカは、わざとすれすれにその身をさらす。ぎりぎりで届かない距離を見切って。

 夢の中で彼女は、踊り子のような肌もあらわな華美な衣装を身に着け。

 獣が怒りで鉄格子に噛みつくぎりぎりという音を聞きながら。

 華麗に舞っていた、挑発的に、美しく。流し目を獣にくれて。

 彼女を狙って伸ばされる致死的なかぎ爪をかいくぐり、風を切る音に混じる死神の呪詛を耳に涼しく聞きながら。

 眩暈がするくらいの、スリルと快感を感じていた。

 

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