タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
大学進学で上京したとき、特に印象に残ったことが一つある。
朝夕のラッシュで電車に居合わせる人、道行く人、ほとんど全てが「見知らぬ人」で、その後、再会することもない人であろうことだ。
東京はとても人口が多い。だから住人も、いちいち人のことに口も出さない、構わない。
それは一見冷たくもみえるが、人のしがらみからより自由だということでもある。
ちなみに、本当に冷たい訳ではない。道を聞いたりすると、親切に教えてくれる。聞いてもらえるよう、立ち止まってもらうのがちょっと大変だけど。
匿名性が高いから、高校生が平日昼間から出歩いていても咎められることはない。カップルで出歩いてても、誰も道ばたの草ほどにも気にしない。
多賀島?その逆なんじゃないかと思うよ。
街に出ると行動範囲が被りまくって気まずい思いをする。暇なのか、うっかりしてると目撃されて噂がまわったり。制服デートなんか論外だな。
もちろん高校生が、平日昼に出歩けば補導される。
それと一見矛盾するのだが、多賀島のカップルにとっては治安があまり良くないのも交際にマイナスだ。進学校のカップルが絡まれて殴られたって話、結構あったりする。
あと、学生は学生だからという括りで一般社会の法律の治外法権になってる。
だから先生が生徒を殴るのも学校の裁量の範囲だ(もっとも僕の高校はいわゆる名門校で、そんな教員はいなかった)、暴力もいじめも、基本的には当事者の問題だから、当事者に解決を任せることになる。「民事不介入」みたいな感じで、当事者が強く訴えない限り温かく見守るっていうことだ。僕にいわせりゃ、冷たく傍観してるのと変わらないよな。
そのわりに多賀島では、高校生の男女交際にはすごくチェックが厳しかったりする。大学生は大人だからOK。だから早く卒業したかった覚えがある。大学でもあまり期待してたような展開はなかったけど、自由というか放任ではあった。
要するに世間、同じ学生、学校の統制のどの条件からいっても、多賀島は交際する高校生カップルには悪条件だ。だから、高校生間のカップルは少なかった。少なくとも、表面ではわからなかった。
学校で堂々と付き合ってるのは、せいぜいクラスで1、2組程度じゃなかったかな。それも、かなりヤンキー系で派手な子たちばかり。
後から聞くと、陰で付き合ってた子たちはもう少しいたらしい。その中には僕が片思いしてた子もいて、告白しなくてよかったなと思ったよ。
僕の目下のミッションは、この窮屈な環境下で、、コミュ障の僕と人見知りの紫藤とがちゃんと話すこと、そのために紫藤を誘うこと、ということになる。
うん、難しい。
ーーーーー
姉に電話してみる。
「そんなの簡単じゃない、休みの日はどうしてるの?って聞いてみて、よかったらどっか行こうよ、とか、一緒に勉強しない?とかでいいんじゃない?
心構え?ちゃんとリードして、相手任せにしないように!あと私服でも何でも、褒めてあげる!
あと、そうね、ーーお金は払わせない。たとえ相手がすごいお金持ちのマダムでも、自分が相手の分を払いなさい。自分で払えない豪華なものを食べたりするより、粗末でも払えるものを選びなさい。
誘うとしたらどこが良いか?水族館か動物園、かなぁ?誘う子によるとしか言えないけど。」
なるほど。
気になるので調布さんにも電話してみる。
「はい、調布です、って、なんだ志野かあ。早速ね。
デートの行き先や心構え、って?もう約束して決めたの?まだ?気が早くない?
それにしても最初の電話が他の女とのデートの計画についてだなんて、やっぱり志野ってかなりのクズね。感心したし、見直したわ。
いや、あたしが電話しても良いって言ったんだからいいんだけどさ。さすが頼りになる、って?いえいえそれほどでも?
それで?ああ、心構えは分からないけど、これされたら冷めるからやっちゃだめ、ってのはある。店の人に当たったりするとか、ドライブで渋滞になってカリカリする、とか?まあこれは高坊にはないかな。
行き先ねぇ、水族館や動物園?普通なら良いと思うんだけど。ただ、あの子、手持ちーーお小遣いねーーが少ないと思う。お金使うようなとこは止めたほうが良いかも。たとえあんたが払うって言っても、遠慮するわよきっと。とりあえずは、勉強会とかでも良いんじゃない?
ああ、役に立ちそうなら良かったわ。全然あなたを応援してるわけじゃないけど、楽しいといいわね、み・な・り・が。じゃあね。」
なるほど。わからなくなってきた。
ーーーーー
僕は一晩考え、翌日登校した後、授業開始直前に紫藤にそっとメモを渡した(高木には気づかれた模様だが、何も言わなかった。)。
紫藤はメモを受け取り、読むとしばらくぴし、と固まっていたが、その後は再起動し、1時限目の現代文で質問を当てられたときの返答で声が少し裏返っていた以外、表面上は何事もなく午前中の授業を終えた。
昼休み、僕は今日は予定が入った、と高木たちに伝えて旧本部棟にある図書室に向かう。
図書室は旧ナンバースクールだけあって、かなりの広さだ。入口には「求学館」と達筆な扁額が掲げられている。
図書室入ると受付と会話可能な閲覧スペースがあり、右側閲覧スペースの奥にガラス扉で仕切られているが、会話不可の自習室兼閲覧室が、左側閲覧スペース奥に開架式の書架がある。
開架式書架はやや不思議な構造をしていて、一部が2階建てというか、ワンフロアがロフトのように上下に区切られて(あるいは2つのフロアが一部ぶち抜きになっていて?)上階の一部と吹き抜け部分の下階の一部に閲覧机が多少、下階にガラスで区切られたグループ小会議スペースが2つ、それ以外の上階と下階とは書架がならんでいる。上階へはやや急だが、優雅な意匠の階段がある。こちらは会話禁止でないが、話す人は暗黙の了解で声を潜めている。
僕は上階の閲覧机の席の一つに自習道具と弁当箱の入った手提げ袋を置き、数学の宿題を進めた。15分ほどすると、急ぎ気味に少しだけ色の薄い頭が閲覧室のドアを開けて入ってきた。きょろきょろと見回している。手を挙げると気づいておっかなびっくり階段を登ってきた。
ぺこり。
そんな感じに紫藤は頭を下げて、ふにゃっと笑いを浮かべた。思わず僕も頭を下げた。
紫藤はこわごわと僕の対面に腰掛けた。やはり自習用らしいノートと教科書持参だ。目が、僕を直視しないように、でも視界から外さないように、あちらこちらに揺れている。
ああこれ、あれだ、野良猫に対して敵意を伝えないようにするときのやつだ。ちらちらみる、ってやつ。
何やってんだ。僕は野良猫じゃないんだけどな。
沈黙。
僕は認めざるを得ない。場所の選択をまちがえたと。
僕はそっとルーズリーフのノートを1枚取り、メモを書いて渡した。
ーー呼び出してしまってごめん。話がしたいけど、場所が悪いね。場所変える?
紫藤はあわあわとそれを受け取って読むと、返事を書いて返してきた。
ーー大丈夫です。もしお昼まだだったら、第2体育館ヨコにしませんか。
簡単な可愛くデフォルメされた旧本部棟と第2体育館の図があり、該当するらしい場所に矢印が引かれ、「ココ」と書き込んである。
ーー座れる場所があるなら、そこにしよう。
紫藤は受け取って読むと、僕にまたふにゃっと笑った。うん、かわいい。
第2体育館の横には植栽があり、石碑と著名な卒業生の歌碑があり、ベンチも置かれている。今日はまだ早いから大丈夫だよ、と紫藤は言って先に急ぐ。少し奥のベンチが空いている。僕と紫藤は端と端に離れて座った。
「よく、食べてないって分かったな。」
「わたしもです。」
「食べようか。」
食べながらそっと観察する。十数年後の浦和先生は、1年の終わりには紫藤母が離婚を決意したと言っていた。そして離婚の協議、夫の経済援助の停止、母の仕事復帰、発症、学期半ばでの入院。あまり時間的猶予があるとはいえない。
「自分でお弁当作ってたりするの?」
「はい、母と弟の分と一緒に作りました。」
にこっと返事する。なんだ、ただ僕はその指に巻かれた絆創膏を認めた。
「敬語なんかでなくていいよ、いつもみたいで大丈夫。それと、もしかして最近かな、始めたのは。お母さんが忙しくなったのかな。仕事とかで。うちもだけど。」
嘘が半分。弁当の用意を自分でするようになったのは最近だが、母が忙しくなったわけではない。
「そうなんです。仕事するようになって、ーー」
「もしかして夜も?大変なのに、よく勉強できるね。成績良いって聞いたよ。」
「たまたまなんです。」
紫藤の受け答えには、そんなに暗い影は見えない。まだ両親の離婚話を聞いてないのかもしれない。だがこれ以上のことの詮索は、もう少し関係が良くなってからが良いだろう。いつもは結構フランクな紫藤が、まだ敬語モードだ。
「紫藤さん、ところで、話がしたかったのは、あのことなんだ。いいかな?」
「はい。」
紫藤はスカートの裾をギュッと握って少し俯いた。
「僕は、紫藤さんのことが好きだ。ただ、紫藤さんも、いきなりよく知らない僕からそう言われても、混乱してしまうんじゃないかと思う。」
俯いていた紫藤が、疑問を感じたように顔を上げる。
「紫藤さんからみたら、僕はまだ話したこともないのに、いきなり好きだと言ってきた変な人に見えると思う。」
紫藤は反射的に首を振った。礼儀正しいんだね。
「だから、いきなり付き合って、と言われたら、紫藤さんも多分断りたくなると思う。だから、もし良かったら、お互いのことをもう少し知ることができるように、なんていうかな、準備期間を作らない?」
「準備期間?」
僕の申し出は、一種のペテンだ。
準備期間と称しているが、付き合い始めるのと変わらない。ただ、僕はそこに紫藤が自分で自分を騙せるような条件をつけてみた。
「そう。ちょっと話してみて、特に理由がなくても、気が向かなかっただけでも、それ以後の継続は断っていい。期間も決めよう。もし何もなくても、それで終わりにしていい。」
有期の擬似交際契約とでもいうのかな。あまり良いアイデアじゃないかもしれないけど、僕の頭で考えつくのはこの程度がせいぜいだった。これなら、少なくとも一定期間は紫藤と一緒にいる、そしてその後別れる口実ができる、紫藤が付き合う気にならなくても。
「その間、一対一で会わなくてもいい。僕自身は紫藤さんを傷つけるつもりはないけど、心配はわかる。誰か、適当な信頼できる人に一緒にいてもらってもいい。」
紫藤はじっと聞いている。
「例えば調布さんとか。家族のだれかでもいい。」
ようやく紫藤は口を開いた。
「志野くんの言ってることは、わかったけどーー。聞きたいことがあります。」
紫藤の視線が強くなり、僕は思わず姿勢を直した。
「考えても、わからないんです。志野くんは、どうしてわたしが好きだと言ったんですか。わたしはどこにでもいる、ただの女の子ですよ?わたしなんかのどこが好きなんですか?ーーそれと、」
わたしの気の所為かもしれませんが、と続ける。
「さっきから、志野くんはなんだかわたしが断りやすい条件ばかりつけてる気がします。志野くんは本気なんですか?志野くんは、なんだか最初から諦めてる気がします。もしかして、一度好きだと言ってしまったから、引っ込みがつかなくて仕方なく言ってくれてるだけで、本当はもう、その気はないんじゃないですか?」
紫藤は僕が自分でも気づいていなかった嘘と欺瞞ーーまあそこまでいかないとしても矛盾ーーに、気がついたんだな。。
ーー僕は紫藤を甘く見てたかもしれない。