タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
少し荒いところがあり、後で修正するかもしれません。
(追記)誤字のご指摘、ありがとうございました!
(追記)国領ハルカの失踪時期についての記述を一言、加えました。
(追記、0322-0325)誤字のご指摘、ありがとうございました!
(追記)通算192話「(閑話・裏)ありえたかもしれない世界線で(三人称)」が、この話の裏(調布視点)となっています。
家をこっそりと抜け出し、夜の道をひたすら、自転車に乗って走る。
持ち物は最小限。正直、足りないものがある。
自転車を走らせてるこの段階で、気づき始めてる。だけど取りに帰る時間がない。
警備に、ひっかかるかな。そっち対策もほとんどしてない。
黒っぽい、目立たない服を着てるってだけ。
もし捕まってしまったら。
「忘れ物を取りに来ました。」「ちょっと、いたずらで肝試ししたくなりました。」とか、言うしかない。
暗い道を自転車で走ってるうちに、心細くなってきた。
――いくらなんでも、思いつきに過ぎる。こういうのはもっと計画的にやるべきだ。
――つかまったら、退学にはならないだろうけどな。信用なくなるよな。
――リスクとリターンの釣り合いが、なさすぎ。本当に未来に飛べるとでも?
心の中に、うるさい小さなコバエのように不安が沸き立ってくる。
――こんな馬鹿なこと、やめようか。
そう思わないでもなかった。
でも、もう走り始めてしまったし。
半分惰性で、僕は神社の近くに自転車を停め。
高校に侵入した。
いや、始めちゃったから、ってのは本当の理由ではない。
怖かったんだ。
高校に不法侵入することが、ではなくて。
高校に不法侵入することを、もっともらしい理由で止めることが、だ。
もしこれで止めるようなら。僕は紫藤を救うなんて大きなこともできないんじゃないか。
大きなことをなすときには、それに見合う大きなリスクや犠牲が必要なのではないか。
そんな、強迫観念が胸の中にわだかまっている。
わかってる、あまり合理的でない考えだ。
第二次世界大戦始めちゃった軍部みたいな。
でも、僕には何かが必要だった。
めちゃくちゃな理由であっても。
僕が今、行動しようとするのを正当化するために。
それに。
無理してでも行動すべきだというのは、まったく真理や合理性の欠片もない考えだ、ってわけじゃない。
この世界は現実で、本当の意味での修正力みたいなのはない。それは僕がマコトさんたちを救い出せたことからも分かる。
でも、現実は現実。これから起きることの「可能性」は、正史に近い方向に濃く分布してる。
普通に行動していったら、その時点での「いちばんありうる可能性」が実現するよね。そしてそのコースに、物事が流れて行ってしまう。
つまり、正史が実現してしまう。
僕が思うに。
時の流れは川の流路に似ているのだと思う。
出来事が生じる、その生じる可能性は、川床のように、一定の道をなしてつながっているからだ。
水は低い方に流れる。だから、もし何もなければ、いくつかの生じる可能性がある出来事のうち、もっとも可能性の高い出来事が起こる。
そしてその出来事の影響によって、次にもっとも可能性が高くなった出来事が生じて、歴史が流れていく。つまり、川床のように低地が連なるところを水が流れるのと同じように、可能性が高いところを時間が流れていく。
正史は、この可能性の高い流路に流れる河なのだ。
そして。
とても確固としてて水が反れようがない流路。それは、宿命と呼ばれるのだろう。
この時の流路を変えるには、どこかでなにかの大きな作為、つまり「無理」が必要なんだと思う。
どこかで工作して元の流れをせき止め。
どこかで爆発を起こして川べりを破壊し。
可能性が少なかった分岐路を見い出して。
時の流れをその方向に変えなければならない。
自転車を停め、高校の門の様子を伺い、そして侵入した僕は。
そんな理論を、愚行に走る自分のよりどころとして、心の中で繰り返し、味のなくなったガムのように噛み返していた。
―――――
僕の中学校の頃、悪ガキたちの間では夏休みの夜に学校に忍び込んで肝試ししたり、プールで泳いだりってのが流行ってた。
当時の中学校は警備が甘かったんだな。別にヤンキーどもじゃなくて、普通の男の子たちも結構やってた。校舎内はさすがに入らなかったけど。
女の子も、勇気のある子たちとか。あ、女の子はヤンキーばっかりだったかな?
ほとんど捕まった子、いなかったと思う。
高校のときは、真面目な校風だからそんなこと考えもしなかった。
ただ、中学校と比べて格段にガードが厳しい、とは考えにくい。
たぶん監視カメラとか、そんなハイテク装備はこの時代はないのではないか。
(後から、約20年後にはあったかもと思って青ざめたが、まあそれは別の話だ。)
赤外線利用や、振動感知の防犯装置も、――ないと信じたい。
最初、僕は直接に目的の校舎。旧校舎を狙った。
だが駄目なんだ。どの窓もしっかり戸締りしてる。
ガラスを割るか?一応ガムテープは持ってきてる。
だがそれは、最後の手段にしたい。
僕は旧管理棟、文芸部室を目指す。
こっちの建物も、窓も扉も戸締りされてる。
中庭に面した1階の窓は、全部試した。
割るか。
そう思ったとき。
超感覚が発動した。
ん?
誰もいない。さっきまで誰も、誰もいなかった。気配も感じなかったのに。
視線を感じる。無感動な、無機質な凝視。
誰かに、見つめられている。
あの文化祭の夜、紫藤とふたりで旧校舎にいった時。
あの時に感じたのと、同じ感覚だ。
最初に感じたのは、恐怖だ。
恐怖に凍りついたまま、考えた。
逃げた方がいいだろうか。僕はそこそこ足は早い、たぶん本気で走れば、逃げられなくはないだろう。
しかし。
ここで逃げていいのか。逃げれば、もうチャンスは与えられない。
いまは、ただ視てるだけ。なにもしてこない。
止めるつもりではない。――試されてる?
だったら、やってしまうしかない。
鏡まで行きついて、中に潜り込んでしまえばいい。未来が分かれば、もう捕まってもいい。
時流分岐(タイムシフト)。時の急流と蛇行。
幸運の女神の前髪。「壁の扉」("The Door in the Wall")。
むなしかった努力。
そんな言葉、概念。
僕が普通なら思いつかないような妙な概念が、頭の中を勝手にかき乱す。
僕は、混乱していた。
監視の目を感じたとき、僕はガムテープつけて割ろうと思ってて、一番人目につかなそうなトイレの窓の側にいた。
ガムテープを拾った姿勢で、直立したまま凍り付いていた僕は。
混乱のなか、操り人形のように直近の窓に触れ。
おかしいと思った。
窓が、動く。
すうっと開けることが、できる。
おかしい。この窓、さっき試したはずだ。っていうか、全部試した。
僕は再び、凍りつく。さっきよりも、ずっと混乱して。
ぐるぐると考えが頭をめぐる。
罠か?
でもここまできたら、毒食らわば皿まで。
僕は、混乱しきってる。今なら、本気で僕をつかまえるのも、たやすい。
けしかけてる奴が何者であれ、その思惑に乗るしかない。
罠かもしれない。僕を侵入させて、袋のネズミとなる場所で現行犯で捕まえるとか。
でももう、この機しかない。
後から考えてみると奇妙な強迫観念としかいいようのないものに押されて。
僕はそこから建物に侵入し、文芸部室に上がり、鍵束を取り、旧校舎に向かった。
その時の僕には。
僕をみつめる謎の視線に、わずかな愉悦が混ざり始めていたことに、気づく由もなかった。
―――――
依然として、誰かにみられている気がする。
威迫するようでもあり、嘲笑するようでもあり。
そして、小さな頑是ない子供を見守る大人のようでもある。
たぶんどれも、気のせいだ。
すごく心細い。怖い。押しつぶされそうな重力を感じる。
僕はもう心は半分、ここにあらずで、歩みを進めるのがやっとだった。
もし、このとき。だれか先生とか警備員さんとかに出くわしてたら、あっというまに捕まってただろう。
でも僕は幸運なことに、誰にも出会うことはなく。
何とか旧校舎に侵入し、廊下をのろのろと歩き、階段の踊り場に到達し。
くるんだタオルから頭骨を取り出し。
緑色の炎の奔流を感じながら、鏡の中に入った。
感じたのは、奇妙な手ごたえのなさ。
鏡を抜けるのに、苦労した。
あの時。紫藤と一緒に、前夜祭のときにくぐり抜けたときとは、違う。
するっ、とすり抜ける感じ。元の世界に戻ってきてしまう感じなんだ。
緑の光の奔流も、心なしか前回よりも控えめだ。そのせいかもしれない。
何度かめの試みで、ようやく、違う世界に入った。
ちらつく蛍光灯、深い壁のひび割れ、日に焼け、色あせた壁。
未来に、来れた。
でも時間はあまりない。急がねば。
―――――
旧校舎には、宿直室などの設備はない。
でも、警備が回ってこない保証はない。
だからあまりいい場所ではないけれど、警備への警戒は超感覚さんにお願いすることにして、ここの1階ロビー部分に設置してある公衆電話を使わせてもらおう。
外に出て別の電話を探すような時間は、ないだろうから。
持ってきた、同級生たちの電話番号のメモ。
今は何時何分だろう。そもそも、何月なんだろう。
夏だということは、気温からわかる。同じ時間帯なのかわからないが、多分同じくらい。
月の形は似ている。半弦の月。
元の世界では、月齢22くらいだったか。
家から持ってきた手元のメモには、いくつかの電話番号。
正確には何時かわからないが、月齢と月の高さから推測すれば、夜の12時を回ってる。1時すぎくらいか。
非常識な時間だ。
まず、自分の家に掛けるべきだろう(そのときは未来に来てるということは確信してて、もし違ってたら、なんて頭に全く浮かばなかった)。
電話番号を回すが。
「お客様のおかけになった電話番号は、現在使われておりません。」
そうか。
この世界は、僕が秋月さんと一緒にいたときに襲われて、おそらくは死んだあの時間線ではないのだろう。
あの時間線だとしても、もしかすると時代が少し違うのかもしれない。父が人事交流とかで県外に出てた時期とか。
今がいつかすら、僕にはわからないし。
いいや。次だ次。
高木の実家にかけてみよう。
―――――
数人にかけたが、出なかったり、いたずら電話だと思われたり、ガチャ切りされたり。
なんか僕、悪いことした?
いや、12時すぎ、いや1時すぎに電話かけてる時点で、少なくとも間の悪いやつだな。
平日なのかな。休日だとしても出ないだろう。
そして窮した僕は。本命に掛けることにした。
最後に残してた電話番号。調布の実家の番号だ。
ルルルルと、呼び出し音が鳴り。
10回ほども鳴って、もう切れようかというときに。
「はい、調布です。」
ようやく出た。女性だ。
たぶん調布。でも、もしかすると。
「夜分遅く、すみません。智美さんはいらっしゃるでしょうか。」
相手は、「私です」と言った後、沈黙している。
よかった、調布か。でも、すごく不機嫌そうな、冷淡な感じを受ける。
切らないでいてくれるだけ、いままでとは違うが。
「つかぬことをお伺いしますが、――」
知りたいことが、ある。
高校2年生の頃のことで、もし教えてくれたら有難い。
そんな趣旨のことを伝える。
なんとなく、自分の名前を言うのが怖くて。すごく拒否されそうで、自分の名前が言えなかった。
電話の向こうの声。調布は、冷たくそんな僕のためらいを突き崩した。
「それで、どちら様でしょうか。またこの電話番号、どちらでお調べになったのでしょうか。」
そもそも、今は電話を掛けるような時間なのでしょうか。
失礼ですが、名乗りもせず、いきなり個人の立ち入ったことを聞いてくる方に対応する必要はないと存じますが。
そんなふうに。
ああ、怒ってる。怒ってるよ。
あの調布の声だ。あの涼しい、心地よい響きの声。
でも今は。言葉遣いは丁寧だけど、いかにも仕事できそうなその口調で。
ぶしつけにも真夜中に電話を掛けてきた僕を、詰っている。
でも、いきなり切られないだけマシだ。
「僕だ。――志野だ。この電話番号は、君から聞いた。」
彼女の言葉の途中で、いたたまれず。
僕はそう、白状した。
息を飲んだような気配があり。
電話の向こうの声は、途絶えた。沈黙。
そのままだと埒があかないので、続ける。
「悪いと思ってる。いろいろ、仕事も大変なんだろう?
たしか、○○に勤めてるんだよな。同期の出世頭だったか。さすがだよ。
そしてこんな時間に、本当に悪いと思ってる。」
そう、言った。
依然として、応えはない。
信じてくれてないのか?
頼む、でもどんな情報でもいいから、知りたい。こっちにもう一度来れるかわからないんだ。
懐の頭骨を見る。なんだか炎が小さくなって、薄れてきてる!
「すまない。時間がないんだ。教えてくれ。
あの時からのこと。覚えているんだろう?」
高校2年生の夏。何があったのか。
知らなければならない。
この、今、僕が電話を掛けている、この未来の世界。
たぶん、あの1回目の世界の延長の世界線ではない。僕の実家が、存在しない。
あの1回目の世界の時間線は、おそらく書き換えられた。あるいは、あの世界線は、この2回目の世界線に強引にループさせられ、つなげられたのだと思う。
根拠の薄い仮説だ。でも、そういう直観がある。
前回、前夜祭のときに紫藤と二人で訪れた、未来の世界。
あれは、もしかすると1回目の世界の延長上か、あるいは細かいところでは違ってても、近い世界線だったのではないかと思う。
あのとき訪れた世界、おそらく僕が銃撃されて死んだ後の世界線ではないだろうか。
おそらく、一人の観察者は、同じ世界線で同時に二人は存在できないのだろう。
この未来世界。今僕が電話を掛けてる、この世界は。
多分、僕がいろいろやって、少なくとも紫藤実父とナギさんを救出した。
その世界の未来じゃないか、って僕は思うんだ。
ただの直観。まだ検証できない、でもする時間がない。その仮説で、突っ走る。
だけど、さすがに次の質問をするのが、怖かった。
思わず声が、震えそうになった。
「僕とみなりは、――死んだのか?」
ガシャン!と乱暴に叩きつけられたのだろう、調布の側の受話器。
テレホンカードが排出される、けたたましい音。暗闇のホールに響く。
あわててカードを取り、フックを押えて音を押さえる。
どうすればいいんだ。
いままでの、調布以外の奴らにもう一度かけるか?
頭骨に目をやる。さらに炎が弱まってる。ああ、もう時間がない。
もう一度だけだ。もう一度だけ。
頼む、調布。取ってくれ。
祈る気持ちで、プッシュホンのボタンを押す。
コールなしに、電話が取られた。
「夜分遅く、「あたしよ。」」
はあっ、はあっと、少し荒い声が聞こえる。
困惑させてるんだろう。悪い。
でも、頼む。教えてくれ!
「僕とみなりは、死んだんだな?
いいんだ。調布が生き残ってくれて、うれしい。」
時間がないのに、何を悠長な。
自分で言ってて、そう思った。
でもいきなり聞いても、調布が答えられそうにない気がしたんだ。
「教えてくれ。どうすれば、みなりを救える?」
「あなたは、あなたなのね――?」
激情を押えているような、少し震えた声。
少し涙声になってるのか?
「会いたい。会いたいの。あたし、もう、あなたたちのところに行ってもいいのかしら?」
「それはもう少し、待ってくれ。」
なんか恐ろしいことを口走られた。
こっちに来るったって、学校に来られても困るじゃん。
ただでさえ不法侵入状態。っていうか、今僕が捕まったら身元不明の怪しいやつだよ。
あと、紫藤は今ここにはいないぞ。残念だな。
「調布、頼む。助けてくれ。合言葉は『花』と、」
「『星』。疑ってなんか、ない。志野、会いたい――」
「聞いてくれ、調布。僕だって、会いたい。でも、今じゃない。
そして僕には、時間がないんだ。」
頭骨の光も心もとない。テレホンカードも、度数が減ってる。
僕はバカだ、度数の多いテレカも家にあったのに。
使いかけの、度数の少ないテレカしか手元にない!
「僕は、死んだんだろう?
そのことを教えてくれ。そして、――みなりは?」
「あなたは、みなりを救いに行くって言って、乗り込んだのよ。」
少し乱れる声で。でも調布は、訥々と伝えてくれた。
ええ、時期尚早だった。あたしも止められなくて、同行したけど。
みなりは、たぶんしばらくはまだ無事だったはずなのよ。焦らなくても、よかったの。
でも、あなたは乗り込んで。みなりは連れ去られて。
あの大きな体の人との戦いで、あなたは殺されかけたあたしを、かばってくれた。
最後の最後で、あなたはアレを使った。
あなたも、あの大きな体の人も、死んだ。
残ったのは、あなたたちの体のごく一部の破片だけ。
でも。
それで、あそこで行われてた所業が、明らかになった。
囚われてた女の子たちも、何人かは生きたまま救われた。無駄じゃなかったの。
でも連れ去られたみなりたちは、見つからなかった。
そして、7年後に失踪宣告。もちろん、あなたも、――
え?ハルカ?
そう、知らないのね。知らないはずだわ。
あなたが死んだのと、重なる時期だから。
ハルカも、死んだ。バラバラ死体の状態で、見つかったわ。
あなたが乗り込む直前、ほぼ同時期だったかしら。学期末。
ハルカ、行方不明になってたでしょう?
数日後に、段ボール箱に丁寧に詰められて、ハルカの体の一部が届けられた。ドライアイスで冷却されて、ね。
よく血抜きされ、洗浄されてて、死因不明。頭と腋から上、両手足の一部しかなかった。
何をされたのか、一切の手がかりもなし。運搬の目撃情報もなし。迷宮入り。
ねえ、志野。
話したいの。いま電話を掛けているあなたは、――
次から次へと伝えられる衝撃的な事実に、僕は声も出せなかった。
聞かなきゃいけないことが、たくさんある。
しかし。
頭骨の炎は、もうほとんど見えないくらいで。
テレホンカードは、もう最後の1度数。
調布の言葉を、遮る。
「僕に許された時間は、もう終わる。
一人にしてしまって、悪かった。そして、ありがとう。今聞いたこと、全部変えてみせる。
大好きだ、調布。今度は、きっと――」
テレカが切れて。
ピピーピピーピピーと、通話終了の音が鳴る。
テレカを取り出す。しまらないな、途中で終わった。
財布すらも持ってこなかった僕は、大馬鹿だ。
でも、テレカや小銭があっても、同じか。
もう少しで、元の世界に帰れなくなっちゃう。いや、今も危ない!
僕は身を翻して、音を立てるのも構わず走った。
今はごくわずかにしか緑色の炎のない鏡に、飛び込もうとする。冷たいガラスに阻まれる。
まずい、まずい、まずい!
ほとんど緑色の炎が見えなくなりかけてる頭骨を鏡面に渾身の力で押し付けるようにして、ようやく入っていけた。
重い重い粘着ゼリーの中に、無理やり入りこもうとする虫のような感じ。
断層を乗り越えるときに、自分の中の何かを歪められるような、とても不快な感覚を覚えた。
鏡の前に転がり出た。2回目の、元の世界だろう。
まだ、まだだ。終わってない。終わりじゃない。帰るまでが遠足だ。
僕は泥酔者のようにふらふらした足取りで、でも律儀に今回は頭骨を返し、鍵を返し、そして開いている窓から出た。
どこかからあの視線を感じた。もうそれすらどうでもいいような気すらしていた。
調布は有能だ。でも、死んだはずの人からの電話に、即座にちゃんと答えられるはずがない。
今もらった情報も、虫食い、穴ぼこだらけだ。
それでも、貴重な情報を教えてくれた。
①さらわれた(?)紫藤を取り返しに、僕は乗り込んだ(どこへ?)。
何が起きたのかは、よくわからない。やっぱり、売り飛ばされたか?
弟のことは、何も言ってなかったな。一緒に連れ去られたのか?紫藤だけ連れ去られたのか?
どこに乗り込んだんだ?たぶん、あの樋木崎渓谷の老人の山荘なんだろうな。
②乗り込むのは時期尚早だった。焦る必要はない?
――だから、急がなくていいのはどうしてなんだ。クソ。
ヒントはある。囚われてた女の子が、他にいたみたいだな。生きて救出された。
だから、それと同じなら、すぐには殺されないってことか。
でも、殴られたり犯されたりしたとしたら。それは無事とはいわないぞ。
紫藤がそんな目に会うことを考えるだけで、頭が煮える。
しかも、紫藤だけ連れ去られたってのは、やっぱり紫藤は特別扱いなんじゃないか。
ちゃんと生きてられる保障、ないじゃないか。
もう警戒もほとんどなしに、でも幸運にも誰にも見咎められず、僕は学校を出た。
僕を冷徹に観察していた視線も、もう感じない。超感覚も、ほとんど消えかけてる。
近くに止めてあった自転車にたどり着き、帰路をたどる。
③「大きな体の人」。多分、あの筋肉男。
筋肉男対策が、必要だ。
僕は最後、刺し違えたみたいだな。何を使ったかわからないけど、たぶん爆薬。黒色火薬で作ったのか?
考えごとしながらだから、思わずハンドルがふらつく。危ない。
気を取り直して、しっかり前を見据えて走り出す。
④国領が、先に行方不明になり、そして殺される。
自殺のわけはないよな。国領も攫われるのか?
気をつけろ、と釘を刺さないといけない。
正史では、国領には何かがあったけど、僕が銃撃されて死んだ約20年後の時点では生きてた。
この2回目の世界で高校2年で死ぬとしたら、僕たちに協力したせいかもしれない。
タクシーの運ちゃん経由で、飯場関係に顔バレしてしまったのか?
そうだ、ナギさんたちはどうなったんだろう。聞けなかった。
家にようやく帰りついた。とても疲れてた。
本当はお風呂に入ってこのこびりついた精神的な疲労をどうにかしたかったが。
足音を忍ばせて、最後の超感覚でもって音を立てずに部屋に入り。
ふとんにもぐりこみ、泥のように眠り込んだ。
帰宅したのは、3時過ぎくらいだっただろうか。
翌朝、もちろん寝坊した。