※この作品はR-18です。

タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。   作:Marchhatter

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志野視点です。
粗い部分は、後で修正します。


139 王国は常に爾の胸に(15)(志)発見

 僕はさっき聞こえたような気がした物音の方角へと、闇に閉ざされた通路を小走りに走る。

 

 声を出すと、あの大蛸や、他にいるかもしれない危険な生き物に聞こえてしまうだろうか?

 ええい、構うものか。

 

「おーい、聞こえるかー!?」

 

 大声で呼びかけてしまってから、後悔した。

 いや、国領の名前を呼ぼうと思ったけど、迷信じみた何かの恐れが僕の中にあって。

 名前をナニモノかに知られたら、ちょっと嫌かな、って気がしたんだ。

 だから、ただ単に聞こえるか?と呼びかけたんだけど。

 それはそれで、こんどは逆に、ゾンビとか幽霊とかお呼びでないものが、聞こえましたよーってでてきたらどうしよう、って。

 赤外線アイもヘッドライトの明かりもあるけど、やっぱり暗くて心細くて。

 妙に臆病になってて、そんな益体もないことを思ったわけだ。

 

 何か物音が聞こえた気がして、必死に耳を澄ます。

 国領、答えられる状態なら答えてくれてもいいのに。

 いや、大けがをしてそれどころでないのかもしれないな。

 あるいは、ヤバい奴とまさに今、対峙してる最中とか?

 

 そして、超感覚状態の僕の耳は。

 かすかな声、あえぐような息遣いを捉えたような気がした。

 こっちの方向だ。走る、走る。

 

 三叉路の曲がり角を曲がり、小さな通路の行き止まり。

 教室くらいの大きさの、ホールみたいな天井の高い空間。

 ごくごくわずかにだけ、明かりが見える。

 懐中電灯の豆電球が、点いている。

 

 もう電池もほとんどないのだろう。豆電球のフィラメントが、瞬きながらかすかに灯る程度。

 ただ暗闇の中では、それは灯台の灯火のようにはっきりとした目印になっていた。

 

 そこに、国領がいて。

 生きてる!

 

「──しの、りん?」

 

 国領ハルカは。

 どこかぼんやりしたように、僕をみてそう口にした。

 僕のまだ明るいヘッドライトと懐中電灯の明かりの中に浮かび上がった、白い顔。

 頬が乾いた泥で汚れている。

 ところどころにある衣服の破れ目のすきまからみえる、白い肌にも泥が。

 

 「国領、大丈夫か!?」

 

 あきらかに、大丈夫じゃない。

 目にした国領の姿に、芸もなくそう口に出してしまったことを、後悔した。

 

 国領は、ぐったりとした感じで。

 足を崩して、脇を下にこちらを向いて横向きに寝た状態。

 この袋小路みたいな空間は、小さなホール状になっている。天井は高い。

 そしてこのホールの奥の壁は大きくえぐれて、不自然に段々(上り階段みたいな感じ)になってる。

 一段一段の幅は3メートル、奥行きも2メートル以上あって、一段の高さは50センチ以上もある巨大サイズの上り階段。

 6、7段くらい階段を作りかけてたような感じで、一種の祭壇みたいにも見える。

 この段々の最下段に、国領の細い体が横たわっていた。

 

 僕の声を聞いても。あまり驚いたり喜んだりすることもなく。

 国領は、肘をつき、気だるげに身を起こしただけ。

 不吉な予感がした。

 

 国領の服は土がついてて、ところどころ破れてる。

 チェックの登山シャツの両手首の部分、そしてカーキのチノパンツの両足首部分と靴下の足首部分が破られ、肌が露出してる。

 チノは、おそらく無理やり引きずりおろされたかどうかしたのだろう。前を留めるボタンがなく、ジッパーもいかれてるのか、一番下まで下げた状態。

 ベルトもバックルが壊れてるのか、垂れ下がってる。

 下の下着は着ていない。白いデルタがちらちら見えてて、目のやりどころに困る。

 

 赤黒チェックの登山シャツはボタンがほとんどすべて弾き飛ばされ。羽織ってるだけに近い。

 登山シャツの下も、素肌がそのまま見える。これも下着は着けていない。

 胸の下から全部、下着は剥ぎ取られてるんだ。

 まあそうだ、僕がその剥ぎ取られたやつを拾って持ってるんだから。

 枕元に、リュックサックがある。みたところ、リュックは壊れてないみたいだ。

 

 そして。

 肝心の、国領自身。

 目で見える場所に、流血はない。

 だけど。

 国領の服が破れたりして、肌がみえてる場所(鼠蹊部や胸元など)、首元や両手首にうねるような、痣。

 強く縄みたいな何かで、絞められてた、ってことなんだろう。

 あの国領の持ち味である、生き生きした快活な光が消えてしまってる目。

 そしてあの生き物の形態、力強い触手などを思い出すと。

 何かろくでもないことを国領がされたことぐらいは、推測できる。

 

 ただ。

 今、それを尋ねてほじくりかえすと、ろくなことはない。

 それは精神科の医師やカウンセラーさんとかのプロに任せよう。

 

 だから、まずは、ここからの脱出だ。

 心を鬼にして、国領を急き立てよう。

 目の高さを同じにするため、国領の前にしゃがみこんで話しかける。

 

「国領、悪いがゆっくりしてられない。

 いったん、逃げ出そう。後で話を聞かせてくれ。いいな?」

 

「しのりん。ありがとう。――でも、もういいんだ。」

 

 国領は、奇妙な泣き笑いのような表情を作った。

 僕は、その表情に何かぞくっと背筋が寒くなった。

 

「もういい、なんてことがあるもんか。

 ほら、ここを出たら、熱いカプチーノ、おごってやるよ。

 自販機やファストフードチェーンのアメリカンコーヒーなんかじゃなくて、ちゃんとした豆を挽く喫茶店で。

 アイスもつけてやるさ、好きなんだろ?」

 

 アイスも、やっすいスーパーのアイスじゃない。銀の皿に入れて出すようなやつ。いちばん高いやつでいい。缶詰でない生のさくらんぼが乗ってたりするやつだ、とたたみかけるが。

 

「ねえ、しのりん。君は、早く逃げた方がいいよ。」

 

 僕の話を聞いているのかいないのか、国領は泣き笑いみたいな顔のままで、続けた。

 彼女の頬の白く乾いた泥の一部が、ぬれた濃い色に変わったので、僕は気づいた。

 涙だ。

 

「ここに住んでるひとたちに、会ったかな。

 男はほとんどいないのに、気づいた?

 子供は一人二人、いるみたいなんだけどね。

 ――男はほとんど全員、殺されるか、追い出されるかしたんだって。」

 

「!」

 

 背筋が冷たくなる。

 そして、なぜそんな話を知ってる?

 

「ここの『元・人間』の指導者がね。女の人なんだけど。

 嫌いなんだって。憎んでるんだって。男を、ね。

 なぜかというと。

 その人は、昔、竜神様への生贄だったんだ。

 そして自分が竜神様に捧げられて、生きて村に戻るとね。――」

 

 なぜ帰った、ごくつぶしが!と言われて村の男衆にさんざんに嬲られ、輪姦されて。

 あらゆる穴を犯された、って言ってたよ。

 反対して守ってくれようとした男もいたが、殺されて。

 そして、しっかり喰われてこいって、また贄を捧げる竪穴に投げ下ろされた。

 だけど。その女には竜神様の力が一部、宿っていたんだって――。

 

 そう、国領はいう。

 妙にとおる、落ち着いた、詩吟のような、あるいは物語を語るような声で。朗々と。

 

「その女の人は。竜神様に拾われ、竜神様とともに眠りにつき。

 そして約50年後、目覚めたのさ。」

 

 ――そして、女は復讐した。

 奇妙な能力で、村を掌握後。

 自分を犯した村の男たち。今では老人になったものたちを捕らえ。

 竜神の窖に突き落とし、その四肢を竜神に引き裂かせた、という。

 直接参加しなかったが、けしかけたものたちも。

 種付けされ、結局、女を死に追いやろうとした者たちは全員死んだ。

 

 ちなみに女は、見境なく男を全部殺したわけではない。

 女の扱いに反対したものたちは、女を犯した側の村人たちによって一部は殺され、残りもその隠蔽のため、多くは身ぐるみはがされて村をいびり出されてしまっていたが、ごく少数残っていた者は村外への移転を求められた。

 女に関する記憶は、女の能力で封じられたものの、丁重に金銭で補償がされた。

 当時生まれていなかったり、幼少だったものたちも同様だったらしい。

 女は恨みを忘れず残酷だが、見境もない殺人鬼ではなく、それなりに筋をとおす性格なのだろう。

 

 あの、途中でみた多数の骸の謎の一部が解けた。

 おそらくは数年前か十数年前か、竜神とその生贄だった女は数十年ぶりに目覚めたのだ。

 そして女は男たちに復讐した。つまり殺した、ってことだ。

 

 つまりこの教団。外国から突然来たんじゃ、ない。

 過去から来たんだな。

 それは、興味深い。

 興味深いが、それは後でゆっくり聞こう。

 今は、逃げて国領を安全なところに保護しなきゃ。

 

「わかった、国領。でも、今は逃げよう。後で聞かせてくれ。」

 

 たぶん大丈夫だとは思うが、地盤の緩みも心配だ。

 しかしな。来た道は引き返せないかもな。隙間があるかどうかもわからないし、橋も無事かわからない。

 

「今は?後で?――しのりん、君は勘違いしてるよ。」

 

 国領は、寂しそうに笑った。

 そして気だるげに、いままで起こしていた体を、このホールの壁面の段々の、いま座っている段の一つ上の段の部分にもたせかけた。

 そう、階段でいえば踏み板にあたるところに、うつぶせるようにしてもたれかかり。

 重ねた前腕の上に頭をのせて、横にした顔だけをこちらに向けた。

 その生気のない凝視に、また僕はぞくっと寒気を覚えた。

 

「君には、『後で』があるのかもね。

 でも、『今』しかないんだよ、ボクには、ね。」

 

 その君の「後で」も、あいつらに捕まったらなくなってしまうよ?

 捉えた侵入者とかは、1か月くらいは種馬として生かしてもらえるみたいだけどさ。

 

 でも、それが過ぎたら用済みだ。

 竜神様に捧げられるんだってさ。

 竜神様は、さっき言った村の男や、盗みに入ってきて捕まえられた男にも種付けしたんだって。

 でも、みんな死んじゃうんだって。

 

 男だけじゃない。

 女も。みんな。みーんな。

 そして、ボクもね。

 

 ボクは何も特別なんかじゃなかった。ボクはこの世界の、主人公じゃなかった。

 ほかのたくさんのみんなと同じだ、ボクも。

 死んじゃうんだ。

 

 そう、うたうように言う。

 そして、ささやくように、続ける。

 

「ねえ、しのりん。来てくれてありがとう。

 すごく、すごくうれしかったよ。」

 

 君は、――うん、ボクはキミのことがやっぱり気に入ってたのかもね。

 やっぱりいいヤツだよ、キミは。

 いやもちろん冒険を共にする友人として、だよ?

 恋人としては、キミは最低最悪さ。

 

 何、豆鉄砲食らったハトみたいな顔してるのさ。

 だって、キミ。

 やりすぎだよ。

 みなりん、さとみん、ハコヤさん、ジュリエット、それからあの名前は知らないけど、D組の眼鏡をかけた子とか。

 サクラさんっていうの?そうか。

 

 あと、浦和先生と、って噂も聞こえてきたかな。

 あ、北高の子とかも。

 いい加減にしなよ、っていつか言おうと思ってた。

 いま言うね。いい加減にしときなよ、キミ。ハハハ、――はぁ。

 

 ああ、だけどもういいんだ。

 ぜんぶ許すよ、キミのことを。女の敵だけど。

 いろんな女の子とよろしくやって、しあわせに生きるといいよ。ボクの分まで。

 

 ああ、話がそれた。

 ここは危険だ。

 来てくれたのは、キミだけなんだよね?

 ほかの子には、まさか言ってないよね?

 家族にも、みなりんたちにも。

 ボクのことは、言わないでほしいんだ。

 見つからなかった、って言ってくれるだけでいい。

 こんなところに、来させちゃいけない。

 

 そう、遺言のようにぽつぽつと国領は、言った。

 また涙で、頬の泥が黒く染まってきてる。

 みてられなくて、僕はタオルを荷物から取り出し。

 飲みさしのペットボトルの水で少し湿して、国領の頬の泥を拭った。念のため、ペットボトルは2つ買ってある。口を付けてない方を、飲んでもらってもいいな。

 国領は力を抜いて、ただされるままになってる。

 その白い頬、血の気のない頬を、僕はできるだけ優しく拭う。

 

 今まで手に持っていた懐中電灯を床に上向きに置いて固定し、広範囲照射モードにした。

 ヘッドライトは、今は消しておこうか。

 荷物からチョコレートも取り出して、包装紙の端を剥いて一片を割り取って、国領の口に持っていった。

 国領は、素直に口を開けて。

 甘いかけらを受け入れた。

 円環状に絞められた痕のある、国領の白い喉がなまめかしく動いた。

 

 ありがとう、とすごく小さい声で、国領がささやいた。

 国領のキャラじゃない。でも、それを指摘する気になんてなれない。

 

 国領がすごく危うい精神状態なのは、明らかだ。

 本当は無神経な僕なんかが、いろいろ問いただしたりなんか、しちゃいけないのだろう。

 でも、これだけははっきりしておかねば。

 僕は、さっきから気になってたことを聞いてみた。

 

「なあ。国領。死ぬようなことを言ってるけど、どうしてなんだ?」

 

 国領にまた、キレられることを覚悟で。

 

 疑問がある。

 確かに国領は、多分「種付け」をされた。

 つまり、――あの竜神、つまり大蛸に犯されたんだろう。

 だが、それですぐ死ぬのか?

 あの大蛸の胚(胎児)への免疫反応で死ぬとか、胎児が異形ゆえに出産できず死ぬ、とかじゃないのか?

 それまでに、その「種」あるいは胎児を手術か何かで取り出せばいいんじゃないか?搔爬、って言ったっけ。

 産婦人科医には、すごく変な腫瘍って思わせればいい。

 まあ、胎児だとバレるかもな。その場合の手術に胎児の父親のサインが必要なんだったら、――たしか必要なんだよな?

 僕がしてもいい。

 ここを出て、病院に駆け込もう。

 

 すごく不躾、無神経だけど。

 そんな内容のことを、言う。

 

「無理なんだよ。――あと、そうだね、1時間くらいしかないと思う。」

 

 ボクが生きていられるのは、ね。

 ボクが種付けされて、もう2、3時間くらい経つかな?

 2時間未満ってことは、たぶんない。

 時計、バンドが切れかけてて。

 どっかの裂け目に、落としちゃった。だから、わからないけど。

 

 それでね。

 ボクは、あのリーダーの女と話したんだ。

 捕まってから、この洞窟に降ろされる時間に、ね。

 女だからかな?

 それとも、どうせもうすぐ死ぬからかな?

 意外に、親切だったんだ。ボクを気に入ったのかもね。

 

 そうそう、それで。

 竜神の花嫁になり、竜神と番った後のことを、いろいろ教えてくれたよ。

 早い人で3時間。普通は4時間。遅くても、5時間くらいで、死ぬ。

 だからもう、早ければそろそろ死んでもおかしくないんだ。

 

 竜神は、ね?

 普通の動物、地球上の生物とは、違うんだよ。

 種付けされた母体は、ある時点の直前までは、普通に動けるらしいんだけど。

 そのタイムリミットのあたりで、急激に胎児っていうか、植え付けられた種、つまり肉芽が成長するんだ。

 そしてその時に、母体は死ぬ。

 

 いろんなパターンがあるって。

 その胎児、肉芽が急成長しようとして、内側からばあん、って爆発する感じに母体を食い荒らし、母体ともども死ぬパターン。

 

 爆発まではしないけど、増大した肉腫が内臓を圧迫して、死ぬパターン。

 

 肉の芽が母体を敵と判断したのか、防御反応を示して鋭い硬質の棘をウニみたいに形成し、母体に突き刺して母体が死に、それに依存してる肉芽自身も死ぬパターン。

 

 ああ、もちろん肉の芽が母体の拒絶反応で死に、一体化してしまっている母体も死ぬパターンもある。

 

 ちなみに志野がいうように、搔爬をしようとした人も何人もいたらしいよ。

 指や棒を突っ込んでみたりね。戦前の話だけどさ、医術の心得のある人がやってみたこともあるらしい。

 

 結果、悉く失敗したって。

 一度植え付けられると、駄目なんだね。

 いろいろあるみたいだけど。

 でも、結果は同じ。みんな、死んだんだ。

 

 そう、国領はいう。

 

 その半世紀くらい前に種付けされ、生き延びた女のリーダー

 (僕をここに追い込んだ、イカレ包丁女だ。まちがいない。)

 そのリーダー以外には、生存例はない。

 その女のリーダーも、必ずしも100%の成功例とはいえないのだろう。

 (子が死んで?吸収されて?)母体が生き延びた、という例でしかない。

 ただ、どういうわけか龍神の力は一部女に取り込まれた。

 あの動きを止める術とか、超人的な体力とか。

 竜神同様、ある種のテレパシーもできるそうだ。

 だから、あの竜神(大蛸)はこの女指導者を我が子と捉えているらしい。

 

「ねえ、しのりん、」

 

 こんな気の滅入る話、やめようよ。ボク、あと1時間かそこらしか生きられないんだ。

 ねえ、ボクは馬鹿だったよ。キミも、警告してくれてたのにね。

 でも、馬鹿は馬鹿なりに、この人生、楽しかったよ。

 誰にも知られず、ひとりぼっちで死ぬのかなって思ってたけど。

 最後にキミも、来てくれたし。

 

 でもキミ、さ。

 これ以上ここにいると、つかまって種馬のち種付けだよ?

 男の方は、種付けの時に反抗して、龍神様に引き裂かれて死ぬパターンも多いってさ?

 ぶるぶるだよね。

 

 だからもう、キミ。逃げていいよ。

 あるいは。

 せっかく一緒にいてくれるんだったら、せめて何か楽しい話、しようよ。

 

 十三国記だっけ。あれ、みなりんに教えたのって、しのりんなんでしょ?

 ボクも教えてもらって読んだよ。あれ面白いよね。

 ボク、グ○ン・サーガも好きだったんだけどな。イシ○トヴァーンが好きだったよ。

 どっちも完結を楽しみにしてたのに。読めずじまいになりそうだ。

 諸星大○郎の連載も、楽しみだったのにな。

 やりたかったこと、食べたかったもの、読みたかった本や漫画、観たかった映画や劇。いっぱいあったのにな。

 どうして、いったい、――。

 

 少し精神状態が落ち着いたのか微笑みすら浮かべて、語っていた国領は。

 そこまで言って、突然、声を詰まらせてまた泣き始めた。

 押し殺そうとして、殺しきれない、ちょっと裏返った震える声で。

 ごめん、ごめんと漏らしながら。

 

「みっとも、ないよね、ご、めんね、しのりん、――」

 

「もう何も言わなくていい。」

 

 何か胸がつぶれるような思いがして。

 そう言って、僕も目を閉じて、涙をこらえた。

 いままでしゃがみこんで国領と正対していたけど、国領の横に場所を移動し、段に上がって座り込んで。

 頬を叩かれるのを覚悟しながら、後ろの段に寄りかかってた国領を抱き起し、その肩を抱いた。

 国領はとくに咎めず、かえって頭をこて、と僕の胸にもたせかけてきた。

 

 国領の気を楽にできたら、と話しかける。

 

 巨体の蛸は、いますぐにはここには入って来れないよ。

 来る途中の路、爆破しちゃったからね。

 あいつら、信者たちや女リーダーも来ないだろう。

 この洞窟は、聖域なんだと思う。簡単に入れる場所じゃない。

 多分立ち入ったら、種付けされたり、喰われてしまったりするんだろうし。

 

 治療とかできるなら、早く安全なところに逃げたほうが良いと思ったけど。

 今だと僕をつかまえるために信者たちや、女リーダーが待ち構えてるかもしれない。

 だったら、今すぐ出るより、僕が蛸に殺されたと思って油断する、少し後で出る方がいい。

 逃げ出す自信はある。

 だから僕のことは、気にしなくていいよ。

 

 そう、僕は見聞きしたことから推測して、伝えた。

 

 国領の情報が、正しければ。

 国領の命が尽きるまで、おそらくあと1時間。最長でも、2時間。

 救援を求めるとして。

 まず、僕たちには通信手段がない。救援は呼べない。

 そしてこの迷宮を逃げ出すだけで(そもそも逃げ出せたら、だけど)、どれだけ時間がかかるかわからない。

 来た道は埋まってるのでわからないが、入ってきたときと同じくらいの時間で戻れると仮定しても、1時間は必要だ。

 ただし入ってきたルートなら、あの崩落箇所を抜けないといけない。隙間が空いてるかどうかもわからない。

 そのうえで、あの大蛸を出し抜かないといけない。

 橋も、崩落してるかもしれない。

 1時間で済むはずがない。

 

 そして、さらに。

 真夜中の森を抜けて、そこから最寄りの電話がある場所まで。あの神社か、あの廃集落か。どう考えても40分くらいはかかる。

 そう。たとえ、国領がベストコンディションで、土地勘のある信者たちや、あの恐ろしいイカレ包丁女の妨害に何一つ遭わなかったとしても、だ。

 

 そこから救急車が呼べたとして。

 これも時間は読めないが、都市部では救急車の駆けつける平均時間は10分以内。

 だが、離島や山間部は1時間以上かかると聞いたこともある。

 この地はそこまで山深いというわけじゃないが、さすがに10分では無理だ。

 すごく飛ばしてもらっても、2、30分は余裕でかかるだろう。

 救急車を呼んだことに気づいた、あの女や信者たちに妨害されないとしても、だ。

 

 そして、さらに外科的措置がとれる病院までどのくらいかかるだろうか。同じくらいか。

 そして国領の状態を説明してわかってもらったとしても、摘出するのにどのくらいかかるだろうか。

 というか本当のところ、摘出して治療できるものなのかすら、わからない。

 一番ラッキーなパターン。修験道の教団の妨害がなく、しかも種付けから5時間生きられるとしたパターンでも。

 国領と僕は、詰んでいた。

 どこにも行きようもない、この闇にとざされた洞窟の中で。

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