タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
なんか考えたこととかをついついいろいろ詰め込んでしまう癖もありますが、読みやすく書けるようにしたいです。
時間が取れず遅くなりましたが、書きたいことが渋滞中なので、一つずつでも書き進めていきたいです。
眠りは小さな死で、死は大いなる眠り。
レイモンド・チャンドラーの小説の、登場人物の台詞だったと思う。
たぶんこの、僕が荒い息を吐いて上半身を起こしたこの部屋の、聖書からそれ目的のグラビア雑誌(もちろん、読まない大型本の裏に慎重に隠してる)まで雑多な本が詰まった本棚のどこかに、その本もあるはず。
だけどもちろん、今、掘り出すつもりはない。
布団から上半身を起こした姿勢から、窓の外を見る。
なんだかまだ夜みたいだ。5時くらいか?雨だれの音がする。
そろそろ梅雨明けだと思うんだけどな。今日は雨か。
月曜日の朝。そして雨。
月曜日ってのは社会人だった「1回目」には、1週間で2番目に憂鬱な曜日だったし。
ましてや雨だと、首を括りたくなってたよ。
ん?1番憂鬱な曜日は、って?
日曜日じゃないかな。特に日曜日夕方。魔のサザエさん時刻。
「暗い日曜日」っていう、自殺を招くといわれてた歌もあったくらいだし。
まだ、動悸がする。
夢を見ていたのだと思う。それも、あまり良くない夢を。
夢の内容は、思い出せない。
起きぬけは胸がもっと激しく、早鐘のように打ってた。もっとも僕は本当の早鐘なんて、聞いたことがない。
聞いたことがあるのは、せいぜい火災報知機の誤作動のベルくらいだ。
高い頂から、足を滑らせて滑落していたのか。
水路をくぐり、浮かび上がる空間をみつけられなかったのか。
燃え落ちる高層ビルの階段で、逃げ道を求めてもみあう人たちの波にのみこまれていたのか。
ショッピングモールで逃げまどう客たちを刺しまくる通り魔に追われていたのか。
何か、それ以外のおそろしいものに遭遇したのか。
とにかく、僕はその夢で、濃厚な死の気配に接した。
おそらくは、夢の中で死ぬか、あるいはその一歩手前で目を覚ましたんだと思う。
この動悸は、そういうことだ。
小さな死を、味わったんだ。
着ていたTシャツを脱ぐ。寝汗で気持ち悪い。
明け方だからか、すごく寒く感じる。悪寒に近い。
肌をぴたぴたと手で触ってみる。汗でしっとりしてて、手に冷たく感じる肌。
少しは筋肉がついたかな。1回目の自分よりは、頑健になってると思う。
卓球には無用のものかもしれないのだが、少しでも生き延びる確率を上げたくてトレーニングも続けてきた。
でもすごくたよりない、よるべない気持ち。風が吹けば飛ばされる紙クズみたいに、自分のことが弱々しく感じる。
多少はましになった、多少は。
でも、こんなんじゃダメだ、全然届かない。
あの怪老人や筋肉男は、言うに及ばず。
たとえば同じクラスの日比谷とかのラグビー部や、上野原みたいな柔道部の連中とかと比べても、まだまだ僕なんてもやしっ子だ。
暗い考えや心配事が浮かんでくる。
頭を振って、考えないようにする。
いや、だけどいつかは直面する問題なんだ。その時じゃ、遅い。
喉が渇いた気がして、洗面台に向かうため布団から立ち上がろうとして。
頭がくらくらして、よろけた。ひどい二日酔いみたいな頭痛。
まずい、熱がありそうだ。筋肉痛かと思ってたけど、違うな。この節々の痛み。
水を飲んで、乾いた着替えを着よう。
母はいつも早起きだが、まだ起きてきてない。
黒い三角形の蛇口ハンドルをひねる。流れ出る水。
僕の記憶の始まり、おそらくは僕の保育園時代から使ってる、もうかすれてところどころ見えない子供っぽいアニメキャラのプリントのついた黄色いプラスチックのコップで受けた。
きゅっと蛇口を閉じて、コップの水を一息に飲み干す。
蛍光灯の下、少し四隅が黒くさびてる鏡の中の自分に視線を投げた。
上半身裸の、あまり顔色のよくない自分が見返す。
目の下に、くまが浮いてるのに、少し頬が赤い。
くまは出やすいんだ。少し寝不足だとすぐ出てしまう。昔からそうだ。
高校、大学のころは恥ずかしかったけど、そのうちどうでもよくなった。
今は恥ずかしいな、だって紫藤や調布に見られて幻滅されたくないし。──ん?
「?」
胸に、あざが浮いている。
指で押さえて、痛みをたしかめる。
右胸側、鎖骨寄りの位置だ。ずきずき痛む。
打撲とかの内出血に似ている。いや、多分打撲傷だ。
たしかに、昨日は冒険づくしだった。
だが、こんなところを打ち付けた記憶はない。
しかも僕は昨夜、寝る前にお風呂に入ってる。でもこんな目立つ打ち身に、そのときは気づかなかった。
寝てる間に寝返りをうって、うちつけたのかな。
いや、たしかに狭い部屋で本や資料を積み上げてるけどさ。
手足はともかく、こんな右胸あたりには当たらないだろう。
打ったんだとしたら、やっぱり洞窟のあたりでやったんだろうな。
あの爆破のときか。跳ね返ってきた小石に当たったりしたかな。
頭を振り、自室に戻って新しいシャツを出して着替える。
もともと起きたときから寒い感じがしてたが、やわらかいけど冷たいシャツを着たとたんに体が震えるくらいの寒気を感じた。
ひどく疲れてて、たぶん熱がある。体の節々も痛む。
洞窟の中と外、寒暖差の激しいところを行き来したから、風邪ひいたかな。
マダニとかじゃないよな?まさか、エボラ出血熱とか。いや、ないない。
少し休んでれば、治るだろう。
でもな。今日は紫藤と約束して待ち合わせしたんだ。行かなきゃ。
だけどほんの数十分だけ。ほんの少しだけ二度寝しよう。
ひどく疲れてるんだ。
もう一度ふとんに横たわったが、タオルケットだけじゃ寒い。
掛けぶとんを出した。もう、起き上がるのもダルかった。寒い。夏なのに。歯がかちかち鳴るくらい。
起きたら。ごはんを食べて。温かいお茶漬けにしてもらおう。
永○園のあの浮世絵カード、何が出るか楽しみで集めてたな。あれどこにあるんだろう。
雨だから、歩かないと。バスかな。
国領ほどじゃないけど、僕もあんまりバスは好きじゃないんだ。
紫藤をガードしなきゃ。今日は学校は休み。日蔭谷への往復くらい。
ナギさん。サングラス、余ってるのないか聞かなきゃ。
参院選、どうなったのかな。自民、新進、社会、トンちゃん、――。
ネットニュース まだ貧弱 、あとで を見 。そういえば、電話代、
テレホが8月から はず 親 説得 、――。
頭 ずき 痛 。調布に、電 しなきゃ 今日 駄目 て
熱に浮かされる僕の意識は、少しだけ開けてる窓越しに聞こえる雨だれの音に溶けていった。
―――――
―――――
(紫藤みなり視点)
「え?風邪?」
『ええ。本人はそう言ってたわね。』
熱があるみたいなの。
ただ、電話もできたし。そこまで心配しなくてもいいと思う。
そう、受話器越しにさとみんは言う。
今日はわたしとちがって学校がある千里をたたき起こして、トーストを咥えさせて送り出した後。
引っ越し荷物に入れずに残してあった教科書とか読んでたら、さとみんから電話がかかってきたんだ。
焦ったけど、ほぼワンコールで出たから、勇お父さんは起きてないはず。
まあ、そろそろ起きる時間だけど。起きるのと起こされるのは、違うんだろう。起こされると不機嫌になることが多いんだ。
わたしはさとみんの声を聞きながら、がらんとした部屋を見回す。
もう寝具とかの家具とわずかな日用品以外は、荷造りしてしまったよ。
勇お父さんは褒めてくれたけど、少し予想外だったみたいだ。
引っ越すつもりではいても、すぐすぐではなかったようなことを言ってたな。
それにしても。
志野くん、大丈夫かな。
お見舞い、行きたいな。
志野くんに、会いたいんだ。
――でも。
負担をかけてる要因のひとつ。
いや、最大の要因は、まぎれもなくわたしなんだよ。
そう思うと、胸にうすひんやりとした水風船が押し当てられたように、心が冷える。
考えてみると、志野くんはいろんなことで超忙しかったはずだ。
きっと無理をさせてしまってたに、違いない。
ここ、ほんの1~2週間のことだけをとってみても。
文化祭での実行委員。
マコトお父さんの救出。
その後も、一日おきくらいのマコトお父さんたちへの買い出し。
それに加えて、昨日はハルカちゃんを竜神から救い出した、って言うし。
いや、その手段には思うところがあるけどさ。
だってさ。ハルカちゃんと!
あそこじゃないけど、入れるなんて。本番みたいなものだよね。
でも、それ以外はきっとすごく大変だったはずなんだ。
包丁を持った竜神の娘っていう人に、追いかけまわされた、って言ってたし。怖すぎる。
なみなみならぬ、苦労があったんだ。
そして。それだけじゃなくて。
志野くんはわたしのことを心配して、今週は基本ずっと護衛するみたいなことを言ってくれてた。
学校からの下校とかに付き添うよ、っていう志野くんの申し出が、わたしにはうれしかった。
最近、あまりゆっくり二人きりでいられなかった気がしてたから。
でもさ。よく考えてみたら。
一人の人間がそんなにたくさんのこと、できるわけないよね。
わたしへの付き添いも、志野くんには、すごい負担のはずなんだ。
当たり前だ、多賀島市内から遠めの団地にある私の家に迎えに来て、学校に行って。
帰りもまた送って、家に帰って、なんて。
なのに、わたしは志野くんと二人きりでいられる時間が、長くなると思って。
デートみたいに思って、単純に喜んで浮かれちゃってた。
喜べるような軽いことじゃないのに。
ただ頼りっきりで、自分では何もしないで、志野くんに甘えて守られてるばっかりで、――
『それで、みなり。今日のことなんだけど、――』
わたしは暗い考えに傾きかけた意識を、受話器から聞こえるさとみんの声に戻す。
さとみんは、わたしも無理せず家にいてもいい、と言ってる。
さとみん自身は、軽く日蔭谷に行って、3人の様子を見てくるつもりだったらしい。
だから、わたしが日蔭谷に行きたいのなら、わたしを迎えに行って一緒に行ってもいい、と言ってる。
どっちでも、わたしの好みにあわせていい、ということだ。
わたしは、――どうすればいいのかな。
雨の日に家でじっとしてるのも気がめいるな、と思うけど。
同時に雨でぬれてぐじゅぐじゅになる靴で、歩き回って疲れるのも空しい。
誰かに会いたい。おしゃべりしたい。
あ、もちろん、さとみんが来てくれるなら大丈夫だよ。
『みなり、その、――あなたのお父様、お仕事でお昼は家にはいないのよね?』
あと、千里くんも今日は学校よね?とさとみんが重ねて訊いてくる。
ちょっとオブラートに包んだ聞き方だが、言いたいことはすぐわかった。
勇お父さんがいないのなら、家にいてもいいと思ってるんじゃないかな。
勇お父さんがいたら、そして千里がいないなら、きっとわたしをひっぱり出そうとしたはずだ。
さとみんは勇お父さんとその仲間に、――たぶんだけど、手を出されそうになったんだ。
手を出すって、もちろん、てのひらを上にして差し出すって意味じゃなくて。
さとみんに暴行して、犯すつもりだったんだよ、きっと。そんなことする人たちなんだ。
だからそれを知ってるさとみんは、わたしのことを心配してる。
よかったら、あたしと一緒に勉強会でもする?
どのみち送り迎えはするつもりだし、みなりの家でも日蔭谷でも、同じようなものよ?
もちろん気晴らしにお買い物や、街歩きもいい。あんまり物騒なあたりに行かなければ。
それだと、あたしとデート?あはは、志野でなくてごめんなさい。
とにかく、みなりが今したいことでいい。
あたし?そうね、みなりとならどこでもいいけど。
そう、さとみんは言う。
でもな。さとみんも志野くんと同じくらい、ここしばらく大変だったはずだ。
うーん。
『ねえ、みなり。あなたまたうじうじ悩んでるんでしょう?
いいのよ、あたしどうせ運動したいと思ってて、出歩こうと思ってたし。
何より、あいつがあなたのこと、頼むって言ってたのよ。
――ほらほら、苦しい息の下から、ね?』
屈託なく笑ってる。わたしも、つられて笑った。
少し、気が楽になった。
「うん、さとみん。わたしもどっちでもいいよ。日蔭谷には、ちょっとだけでも行きたいかな。
わるいけど。もしできたら、少し後、8時から後ならいつでもいいけど、――」
「午前中に自習道具でも持って、あなたの家まで迎えにいく。心配しないで。住所、クラス名簿に載ってるとこでいいのよね?」
「うん、それで大丈夫だよ。」
勇お父さんは、いつもぎりぎりの時間に起きてインスタントコーヒーを1杯だけ飲んで出勤する。
8時すこし前に出るから、もう少ししたら起きる。コーヒーを用意しよう。
千里は、その1時間くらい前には出てる。今日はもう家を出た。
なにしろ、通学時間が小一時間かかるからね。
がってん承知よ、という明るいさとみんの声にくすりと笑って。少し心がもちなおした。
お礼を言って、電話を切り上げた。
―――――
勇お父さんを送り出し、家の片づけを進めていたりしてたら、あっという間に時間が過ぎて。
9時すこしすぎに、インターホンが鳴った。
ドアを開けると、さとみんの顔。
今日もきりっとしてるけど、細かい雨粒が長い髪についてる。すこし、睫毛にも。
「おはよう、みなり。――ちょっとだけ、お邪魔してもいい?」
「もちろんだよ。そうだ、麦茶とか飲む?」
さとみんは、白いサマーニットに、さとみんにしてはめずらしい気がする、短めの膝丈くらいの黒のスカートを着てる。
足元は、ちょっとごつい印象の、長めのミドルカットの黒いサイドゴアブーツ。
雨の中を、きてくれたんだね。
タオルを出して、足まわりとかを拭いてもらう。髪用のも渡す。
「あ、――そうね、もしあればいただくわ。」
上がってリビングで冷やした麦茶をごくごくとおいしそうに飲み、ふう、とさとみんは息をついた。
わたしの家に来るのははじめてかも。わたしは、さとみんを2階のわたしたちの部屋に案内した。
引っ越す前に、さとみんにわたしの育った家、部屋をみてもらいたい気もしたし。
それに、まあ話すのは1階のリビングでもいいんだけど。
自分の部屋じゃないところに、友達と居たくない気がしたんだ。
そんなことはまず絶対ないんだけど、いきなりドアが開いて誰か、――勇お父さんとか、――が踏み込んでこないかな?みたいな変な恐怖を感じるんだ。
自分の部屋だとそこまで恐怖を感じない。なんでだろう。
2階に上がったさとみんは、千里のベッドに腰を下ろし、そっと周りを見回した。
「あら、もう引っ越しは準備万端って感じね。――いつ?」
「まだわからないんだよ。」
さっきも言ったけど、勇お父さんは、もう少し先と考えてたみたいだ。
ただ、ここまで片付いたんだったら、もうアパート借りて住もうかと思ってるみたいなんだ。
「そうなの。それで、――あなたは?」
視線を強くして、さとみんがきいてきた。
「――うーん、」
「あたしは賛成できないわ。あなたとお父様だけが同居する、今までより小さい家で近い距離で、っていうのは。」
よかったら、しばらくあたしの家にきてくれてもいい。
居候なんて、みなりが嫌だろうけど。
そう、さとみんは言う。
ありがたい、ありがたいよ。ただ。
そこまでしてもらうのは、やっぱり。
「今は、そこまで危険じゃないと、思――」
「甘いわ。」
ぴしゃっと、さとみんに言われてわたしの眉が下がる。
ここしばらく、勇お父さんはわたしに無関心だ。
いや、全くの無関心じゃないけど、前みたいなことはないんだ。
鬱々としてて、そんな気力はなさそうにみえる。
そう思う。
だから、あまりこっちに構ってこないし大丈夫じゃないかって言ったんだけど、さとみんは納得しなかった。
だから、結局。
「うん、わかったよさとみん。そのときは、お願い。」
わたしだって、さとみんの家に行くのが嫌なんじゃない。
さとみんといっしょにいると、安心する。一番の親友だし。
でも、負担をかけたくないんだ。
だってさ、知らないよその子を家に入れるって、嫌だよきっと。さとみんのお母さんも。
「ええ。本気よ、あたしは。
気兼ねとか遠慮とか、絶対しちゃだめよ?」
さとみんは、まだ納得しきってない感じだな。
わたしが、まだ説得されてないって読んでるんだ。そしてそれは正しい。
確かに、勇お父さんと二人きり同居なんて避けたい。
だけどそうしないとお金もかかるし、なんか勇お父さんに事故があったら世話をできる人が必要だ。
テメコさんがいるか、でも最近は来ないし。
ただ、お互いよくわかってる。今ここでは、これ以上詰められない。平行線だ。
だから、ひとまず話を収めた。
「ねえ、みなり。ちょっとだけ、休ませてもらってもいいかしら。」
もう拭いたから、大丈夫だと思うけど。ダメ?
そう聞かれて、もちろんOKだよと返す。
ただ、千里のベッドはなんかばっちい気がするからこっちにしようよ、という。
さとみんはその言葉に笑って、わたしのベッドの方に来て。
腰かけてる私の後ろでベッドに横たわった。
そして、頭の後ろに手を組んで天井を見上げながら。
「あまり詳しく聞いてなかったけど、みなりのその奨学金をくれるところって、どこ?」
引っ越すってことは、多賀島市の奨学財団とかじゃないのね、とさとみんが聞いてくる。
なんだかほとんどノースリーブに近いショートスリーブから出ている腕が、まぶしい。
それにサマーニットって、胸の形がきれいに出るよね。
羨ましいっていうか、妬ましいというか。
「ヤツザキグループなんだってきいたけど、事務窓口は吉祥育英会っていう財団になるみたいなんだ。」
そこは引っ越しのことを指示されたときに、勇お父さんに聞かされて、不思議に思ったところだ。
勇お父さんには、友達や先生に聞かれたらヤツザキとは言うな、そっちを答えろって言われたけど、さとみんにはいいよね。
なんたって、ただの友達じゃなくて親友だし。
「あー、あそこね。」
吉祥は、名前をときどき聞くわよ。
東京に進学した美術部のOGにもいたわ、吉祥の奨学金もらってた人。あなたのいう、特別奨学生ってやつじゃないけど。
たしか、もともとはヤツザキの分家か、親戚か何かなんじゃない?
今はエネルギー開発関係の事業だったかな、それを本業にしてるわよね。
ヤツザキとは一応、資本提携関係か何かあるんでしょう。
でもヤツザキ自体も奨学財団、持ってた気もするけど。何か事情があるんでしょうね。
そう、さとみんが言う。
さすがさとみん、博識だ。
特別奨学生に限っては、文書とかの事務窓口は吉祥育英会にするけど、ヤツザキグループが資金を寄付して作った制度なのかもね。
作ったのは、ごくごく最近みたいなことを聞いたし。
ヤツザキグループが直接、採用とか決めて管理とかもするんだと思う。住むところもヤツザキの寮だそうだし、面接官もヤツザキの人だったし。
なんで吉祥育英会の名前にするのかな。人手が足りなくて委託した、とかかな?
あれ?でもわざわざ、そんなことするかな。人手はありそうだったけど。
なんとなく話が途切れた。
わたしもころん、とさとみんの横に転がる。
ふたりで、天井を見上げる。
「ねえ、みなり。」
さとみんが体の向きを変え、腕を伸ばしてきて。
わたしの胸から肩に腕を置いて、軽く抱きついた。
「寂しい。みなりが引っ越しちゃう、会えなくなるって思うと。
転校も、するのよね?」
「いつか、することになるって言われてるよ。」
でも、来学期からじゃないかな。
それに、引っ越しても遊びに来るよ。会えるよ、大丈夫。
わたしも、体をさとみんの方に向けて、抱きつき。
顔をさとみんの胸に埋めながら、そういう。
至福だ。至福だけど。
その確かに存在する肉塊が、「格差社会」という単語をわたしの脳裏に浮かび上がらせる。
「そうだといいけど。」
ほうっ、とさとみんがため息をつく。
腕を放して、またあおむけになって天井を見上げて何かを考え込んでる。
わたしが横向きになって、さとみんにくっついてる状態。
窓からは、雨の音。
思い切って、えいっと。
さとみんの上に、のしかかって抱きついてみた。
「!?」
黒い睫毛にふちどられた大きな目を、びっくりしてみひらくさとみん。
笑いかける。
「さとみん、大丈夫だよ。」
大丈夫、大丈夫。
そう、さとみんだけじゃなくて、自分の心にも言い聞かせる。
そういうわたしも、本当は不安がいっぱいだ。
新しい土地、新しい学校、新しい人たち。
でも、やりきるって決めたんだ。
がんばるんだ。
いつのまにか、わたしたちはベッドの上で、恋人たちのように抱き合ってた。
雨の音がぱらぱらと聞こえる2階の部屋で。
明かりもつけていない、厚い雲のせいで、外からの光もうすぐらい、この部屋で。
「ん、んん。」
さとみんがやさしく、わたしをその強い腕で抱き返す。
いい匂いがした。
むしょうに、泣きたい気持ちがした。
寂しいよ。
志野くん。さとみん。ハルカちゃん。
会えるよね。去るもの日々に疎し、って感じにならないよね。
「ええ、みなり。大丈夫よ。」
さとみんの豊かな胸の中で。
わたしは、少しだけ泣いた。
さとみんは、一度ぎゅっと私を抱きすくめた後。
やさしくわたしの背中をなでていてくれた。
その手つきが、志野くんがしてくれるのに似てて。
わたしはさとみんのからだにまわした腕に、力をこめた。
ふたりの体重を受けとめる木のシングルベッドが、かすかにきしんだ。
―――――
そこから、どうしてこうなっちゃったんだろう。
わたしの目の下には、ベッドに横たわったさとみんがいる。
うん、それはいいんだ。それは。だけど。
そのさとみんの状態が、問題だ。
虚脱状態っていうのかな。目はあいてるけど、なにもみえてないみたいに、瞳孔が開いてて。
白くなめらかな肌の下に薄く筋肉が浮く、均整のとれた裸身には、今はぬらぬらといやらしく汗が浮いてて。
なんなら、いつもきりっと結ばれてる口も半開きで。
さっき声を漏らして、いや叫んでしまったときに出たよだれが、口の端をぬらしてる。
どうしよう。
わたしは、事態収拾の糸口を求めて。
かすむ頭で、必死にこの一時間の記憶の断片を思い出し、再構成しようとしていた。