タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
千里がお風呂から出ないなら、わたしがお風呂を出るしかない。退いてよ、と言って、浴室を出ようとする。しかし通せんぼされた。
「わたし出るから。」
「まだだろ。洗えよ。」
突破しようかと思ったけど、狭い洗い場での喧嘩はあぶない。仕方なく奥側に寄って、髪をちゃんとすすぎ直した。
千里も洗い場の入口側でしゃがみこみ、髪を濡らして洗い始めている。
はい、とシャンプーを手渡し、わたしは石鹸をへちまのあかすりタオルで泡立てて体を洗う。泡を首筋、腕、肩、胸、と広げていると、視線を感じた。
「なに?」
「洗ってやろうか?」
「やだよ。何考えてるの、変態じゃない?」
強く断って続行。見てるけど無視、無視だ。
「ビッチ姉さあ、あいつに何されたの。」
「何ってーー。お尻叩かれた。」
「それだけ?」
「言っとくけど、千里のせいだからね。あー、あとみられた。お尻。」
「ヤってない?」
「ヤってないよ!」
あいつにヤられるくらいなら、舌噛んで死ぬ。
「じゃあ俺も、後でビッチ姉のお尻を見て、叩く。」
「何を言ってんのあんたは。」
洗い終わった。千里が入り口を塞いでいるので、へちまのあかすりで下を隠しながら浴槽の縁をまたいで湯に入った。
「あいつにはやらせたんでしょ?じゃあ俺も同じことをやる権利がある。」
なんだこれ。頭痛い。
たぶん、今のお父さん(今父だな)への対抗心なんだろう。わたしが今父に何かされると、それと同等以上のことをわたしにしようとするのだ。殴ったりはしなくて、こういう、変態的なことばかりを。
たぶん、この家という猿山で、千里はボス猿になろうとしてるんだ。だからわたしに対して、現ボス猿の今父と同じマウンティング行為をして張り合ってる。
千里も髪が終わったようなので、隠すのに使ってた、へちまタオルを渡す。
「あいつのほうが好きなのかよ。興奮したんだろ。」
「そんなわけないじゃん。やだよ。」
「でも、発情したビッチ臭がする。いや、家に入る前からか。」
体を洗う手を止めて考え込んでいる。
「ゴウジたちに会ったから。タバコの匂い、移ったかも。」
「何させたんだよ。触らせたのかよ。」
「何も。貧乏臭いとかいろいろ言われただけ。あんた何でもかんでもえっちなことにするの、やめて」
「ふーん。」
鼻を鳴らして、雑にしか洗ってないのに入ってこようとする。
「まだ入らない!背中向ける!お湯が汚れるよ!」
押し止めて、へちまを手にとって、千里に背中を向かせてその背中を流す。まだ中坊だ、志野くんの背中に比べるとまだまだ細っこいな。志野くんも細いほうだけど。
洗い終わるまで千里はじっとしてた。
「入ってろよ。」
「もう終わった。」
入れ違いに出ようとしたら、腕を掴まれた。
「もう、止めてよ千里。ーーじゃあ、わたしがお父さんとこんな風にお風呂入ってもいいの?」
「違う、」
「でもそうなるでしょ?だからここまで。あと当然だけど、もう何もなしだからね!あんたさんざん見たでしょ。」
なんとか振り払えた。
ーーーーー
浴室を出て、急に力が抜けて、脱衣場でしゃがみこむ。
千里には、今のお父さんみたいな嫌悪感は感じない、でも千里は実の弟だ。あえてあまり気にしてる様子を見せないように振る舞ってたけど。
健全じゃない、よね。
千里は距離を詰めてくる。たぶんボス猿への対抗心なんだけど。でも最近、わたしを女とみている気配を強く感じるのだ。それがエスカレートするとーー。
今日はなんとかかわした。たぶん明日も明後日も大丈夫。でもこれから先、かわし続けられるのか。どうかわし続ければいいのか、よくわからない。
千里も、こんな貧相な女に粘着しないで、外に目を向けてくれればいいのに。
ーーーーー
千里が出てくるまでには立ち直った(二度洗いなのだろうか、千里は浴槽から出て洗い場でまたごそごそしてた。実はわたしよりきれい好きなのかも。背中を流す必要、なかったかな)。明日は明日の日が昇る。超特急で髪と体を拭き、洗濯の準備だけする。回すのはお母さんが入ってからだ。髪はドライヤーをかけたいが、ドライヤーが壊れて先端から炎が噴き出るようになってしまって、捨てたあと買えてない。
歯磨きをする。先行くよ、と言って二階に上がり、学校の勉強。この瞬間は悪くない、余計なことを考えず、勉強にだけ集中できる。塾には行ってない、到底行く時間もお金もない。学校の勉強だけでも精一杯だし、進学校だからそれだけである程度はカバーできる。
千里も戻ってきて勉強し始める。なぜか疲れてるようで、こっちにも突っかかってこない。千里が通うのは、この地方では有名な私立中高一貫校だ。動物園みたいだった、わたしの母校のザク中と違って勉強も厳しいんだろうな。
11時少し過ぎ。電話が鳴る。二階階段にある親子電話で、新父が起き出してこないように、すぐに出る。
「みなり?ちょっと今バス停だけど、迎えに来て。」
「お母さん。荷物?あと、まわりに、誰かいる?」
「特に誰も。荷物、重いよ。自転車で荷紐持ってきて。」
「わかった。」
眠そうだった千里にはもう寝ておくように伝え、軒下の自転車を引き出す。玄関から荷台用ゴムロープを取ってきて前かごに放り込む。
自転車をこぎ出すと、顔に当たる風に甘い夜の香りがした。"夜は若く、彼もまたーー" 昔読んだ、海外のミステリー小説の格好いいフレーズが頭に浮かんだ。わたしだって若い。まだまだこれからだ!
バス停の屋根の下に茶色いコートを着たお母さんの姿を認める。そばに自転車を寄せる。ありがとうね、とお母さんが言う。すごく疲れてるみたい。朝早くから事務員として日中働いて、そこからまた5時間、冷凍倉庫の品出しのアルバイトをして、終バスで帰ってるんだ。そりゃ疲れるよ。そうして身をすり減らしてわたしと千里の授業料とかを出して、食べさせてくれてる。疲れた様子を見ると、胸が締め付けられるような気がする。お母さんにはいろいろ言いたいこともあるけど、やっぱりわたしのお母さんなんだ。
今のお父さんもお金を入れてくれてるはずなんだけど。今も、お父さんがわたしに絡むときは、そういってねちねち説教する。誰のおかげで食べて行けてると思ってるんだ、って。お母さんも再婚当初はそう言って今のお父さんに感謝するように言っていたけど、最近はあまり言わない。仲が悪くなってきてるんだろう。
お母さんが持ってきたトロ箱を受け取って荷台に載せる。冷凍ものの食品の中で消費期限とかで売れないものをもらってきたらしい。そろそろ冷蔵庫が空っぽになりかけてたから、うれしい。
帰りはお母さんと並んで、ポツポツ話しながら帰る。心配はかけたくない。ちょっと大変だけど大丈夫だよ、全部上手く行ってるから、と言う。わたしは嘘つきだ。死んだら地獄に落ちて舌を抜かれ、いろいろな責め苦を受けるだろう。それでもいいや。今この瞬間だけでも、お母さんを心配から解き放ちたい。
でも、お母さんの話は明るくない。
話を向けてみる。家のローンも残っている、らしい。売ればいいんだろうけど、抵当権?(借金みたいなものだろうか)が残っていて、どうもその関係でも売れないというか売ってもほとんど残らないらしい。わたしも千里も、授業料は分納制度を使って月払いに変えてるけど、自転車操業状態。5月の連休で仕事をたくさん入れないと、と言っている。わたしもアルバイトしようか、と聞く。してくれたらありがたいけど、そんなに簡単には見つからないよ、若くて何も知らない女の子は騙されるのが落ちだ、とお母さんはいう。そうだよね。でも、もしだめになったら。千里が私立中をやめて公立に行くか、わたしが高校をやめて働くか、だ。
まだ勉強したい。いや、勉強というよりまだ高校生という身分でいたいのかな、わたしは。義務教育は終わってるから、贅沢なんだろうか。でも一人だけ、みんなが行く高校に行かないで働くことになると思うと、きゅっと心細くなる。
だからせめて、アルバイトくらいはしよう、そして高校に通い続けよう。家事もしないといけないので、時給の高い新聞配達はやれないだろうな。
ほかのアルバイトがダメだったら。わたしはどうするだろう。
「売り」をやる子がいるって聞くけど、ある意味すごい勇気だ。わたしには絶対無理。それにこんなわたしを買う人はいないだろう。いるとしたら、いじめっ子かロリコン。嫌すぎる。それに見つかったら退学だろう、無理だ。
下着が売れるって聞いたけどな。本当だとしても恥ずかしすぎる。しかもわたしのはのは古くなってボロボロだ。
腎臓なら1つは取っても大丈夫って聞いたけど、怖すぎる。そのままコロコロされてしまいそうだ。
家に帰りつくと、お母さんをお風呂に入れ、その間に軽食を準備する。千里に夜食作るつもりだったけど、忘れてた、もういいや。お母さんも仕事開始の前に簡単にお握りくらいは食べてるらしいけど、たりないのだろうか、運動量が多いのだろうか、急に最近痩せてきてる。心配だ。ちゃんと食べてもらおう。
特売の1パック88円の卵で、ちゃっちゃとプレーンオムレツを作る。最近たまごを扱うのがうまくなったと自分では思う。毎日お弁当に作ったりしてるからね。
音がしないので気になって見に行ったら、お母さんがお風呂でうとうとしていた。溺れたら危ない。起こして、暖かめのガウンを着せ、ご飯を半ば口に押し込むように食べさせて、歯磨きしてもらって寝かせる。昔は今のお父さんと同じ寝室だったが、今は仏間で寝ている。ここにも、ごみが散乱していて、荒れてる。ちなみに今のお父さんの部屋はもっとひどい。お弁当ゴミのほか(今のお父さんは、基本、外食か弁当だ。ときどき気まぐれにおつまみを命じる)、肌色の面積の多い本やビデオみたいなのがいっぱい置いてあったりするんだ。制服物も多くて鳥肌が立ったよ。まあ多くはもっと胸の大きい女の人のだったけど。
お母さんが寝入ってしまうのを見ると、わたしはそうっとリビングに入った。机の上の郵便物、山にして分けてるけど、その中に気になるのがあった。お母さんは多分忙しくて見れてないけど、保険の書類。ちゃんと手続きしないと、まずいんじゃないかな。保険、残ってたら解約した方がいいのもあるのかもしれない、ただわたしには判断できない。お母さんも実はそうかもしれない。ただ、前のお父さんが出て行ったとき、ほとんどの保険は解約してるはずなんだ。お金を返すために。
だから今、わたしが手に取っているこの書類が気になる。生命保険の書類となんとか金融の書類。お父さん宛てになってたので、見たことがばれたら、絶対に怒られてひどい目にあわされる。でも、なんか不吉な気がする。今のお父さんは、払わないといけない税金ですら払い忘れたりして、高い罰金?を払ったりする人だ。将来のことに備えて保険になんか入るなんて考えはない気がする、だから騙されたりしてるのかもしれない。そしてなんとか金融、前のお父さんが出て行かないといけなくなったとき、この手の会社から紙がたくさんきて、電話がかかってきたり、社員さんが家まで来たりしてた。だから、誰かにこれがどういうものなのか、聞きたい。誰に聞けばいいんだろう。学校の先生は違うよね。さとみんもわからないと思う、この手のは。
志野くんに聞いてみるのはどうかと思っている。
志野くんは、いろいろ、大人の社会のことを知ってる気がするんだ。
もっとも志野くんも、落ち着いているようにみえても、所詮はただの高校生だ。よく困惑してたり、どぎまぎしてたりしてる。わたしのことをときどきぼうっと見てて、振り向いてみると目線をそらして気まずそうな顔をしたりする(好かれてるってことに、まだ慣れないけど、そんな時々、日だまりの中にいるような、ほわんとあったかい気持ちになる)。もっとも、さとみんの胸とか腰を、本人はばれてないつもりで、こっそり視線を送ってるのも知ってるよ。わたしを好きと言っておきながら、浮気者め。
ああ、話がそれてしまった。それで。
志野くん自身はわからないと思うけど、大人の世界をちょっと知ってる気配がするんだ。こういうことを知ってる人を知ってるかも。お父さんがそういう仕事をしてる人なのかもしれないし。
音をたてないように軽くリビングを片付けると(今のお父さんは起こされると、怒り狂うか、妙にべたべた触ってきたりするかどちらかだ。どちらもいやだ)、私も二階に上って、寝ることにした。子供部屋の隅のベッドに、そっときしませないように入る。千里も千里のベッドで寝ている。まだ寝顔はあどけないな。枕もとの目覚まし時計がセットしてあるのを確かめて、私は目を閉じた。午前0時半。
明日の目覚ましは6時15分。これでもぎりぎりだ、起きたら急いで準備しなきゃ。
ーーーーー
夢をみる。最近は怪物に足をつかまれて、沼に引きずり込まれるような悪夢ばかり見ていたけど。
その夜見た夢は、ちょっと違っていた。悪い夢といえば悪い夢なのだろうか?わたしは志野くんに責められている夢を見ていた。
”ちゃんと相談してくれ。僕はそんなに頼りなかったかい?”
”ごめん、でも志野くんだけには、いいたくなかった、知られたくなかったんだよ”
”それで僕はすべてを失ったんだ。”
夢の中のわたしは、何かお金を稼ぐために、無理なことをしたらしい。
それを志野くんが咎めている。
厳しい言葉で責められているけど、志野くんが、わたしのために憤ってくれてるのがうれしかった。
不思議なことに、夢の中では私は一度、無理をして死んだ(過労死?)らしい。
志野くんは、それを痛切に、涙を流さんばかりに悲しんでくれていた。
だとするとこの志野くんも、もう死んでいるのだろうか。
まあ夢の中のことだ。気にしない気にしない。
夢だけあって、そのうち、話がなんか奇想天外な方向に行き始めた。
”金だったら払ってやる。他の誰にもーーさせない。ーー1回で、ーーー万円でどうだ”
”志野くん、金銭感覚狂ってるよ。わたしにはそんな価値はない、そんなに払う人なんていないよ”
”そんなことはない、紫藤さんは特別だ”
ああ、これは夢だ。
学校で志野くんに、あんなことを言われたからだ。
平凡なわたしが、誰かの特別だっていうこと。すごくうれしかったんだよ。
でも、なに、この夢。好かれたいという願いと、必要に迫られたゲスで低俗な欲求・欲望とがごちゃまぜに入り混じってる。
”今、ここでしたい。もうどこにも行かせたくない。”
”今?えっ?本気で?”
”ああ、本気だ。せめて、ーーさせてくれ。”
”志野くん、ダメだよ、恥ずかしいよ!”
”恥ずかしいことなんてあるもんか。紫藤はとってもきれいだよ。ほら、ーー”
”##”
ーー目が覚めた。うわあ、なんて夢だ!なにが##だ!
少し冷たい空気。わたしは千里を起こさないように、少し荒くなってしまっていたらしい息を静めながら、どきどきと心臓が拍動する胸を押さえた。乳首が少し立っている。枕もとの時計を見る。6時少しすぎ。起きるつもりだった6時15分の、少し前だ。
起きて用意をしよう。朝はいつもは憂うつだけど、今日は学校で志野くんに会える。
またお願いすれば、一緒に帰れたりするかな。
そう思うと、わくわくする、心が弾む。
でも、そう浮かれる一方で、私の心の底でヒヤリと冷たい底流も動く。
志野くんは、わたしのことをもっと知ったら、もっと好きになると言っていたけど。
私の家での荒涼とした生活を知ったら、志野くんはどう思うだろうか。
志野くんは、やっぱりわたしを美化しすぎだよ。
一見そうはみえないかもしれないけど、わたしは、すごく救いようもなく、醜くあちこちに媚びを売り、嘘をつき、ビッチと罵られるようなことまで甘受しながら、あがき続けてる。泥沼に落ち、死ぬとわかっているのに、あさましく一秒でも生きようと手足を無様に動かしてる。
志野くんにしがみついたら、多分志野くんまで、底なし沼に引きずり込んでしまうだろう。
こんな面倒な事情持ちの、どこにでもいる特筆事項なしの女の子。好きになる価値なんてない。いつか志野くんも夢から醒める。でもそのときに、せめて、志野くんの中にだけは、きれいな思い出として残りたい。
夢の中の志野くんには、悪いけど。
やっぱり、きみのいうことには従えないかな。
わたしは学校では、志野くんに対しては、これまでと同じようにやせ我慢して、見栄を張り続けて、演じ続けるだろう。
知ってた?女の子はみんな女優なんだ。そんな簡単にはベールを剥がさせやしない。
ほんの一瞬でもいい、分不相応と知っていても、特別だと、想う人に想われたくて。
その一瞬のためなら、無茶な演技に命も賭けられる。その一瞬がない、灰色の長い人生などいらない。今は、そう思える。
志野くん、きみの前言ってた言葉は、その意味では正しいよ、心から同感する。
わたしたちは変なところで似てるのかもしれないね。
幸せな誤解が解け、馬車がカボチャに戻るまで、わたしは演じ続けよう。
きみの心の片隅に、残ることを祈りながら。
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