タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
ごうごう、と。
特に強く吹きつけた強風に、庭木が煽られ。
ばさ、ばさっ、と枝葉が雨戸にあたる音がした。
木造二階建ての和洋折衷、半洋館風の屋敷の二階の美鷹の部屋で、ふたりは同じベッドにもぐりこんで、さっきまで
絆された桜が、押しきられたのだ。
その美鷹は、先に寝落ちしている。
さっきまで、ぽつぽつ、と言葉を発していたが。
少し言葉が途切れたあと、桜の言葉に応答がないのでのぞきこんでみたらもう眠りこんでいた。
ぼんやりとしたナイトライトに浮き上がってみえる、白い顔。
閉じた薄いまぶたの、長い繊細な睫毛。
今は安らかな顔で寝ている美鷹に、すこしだけ桜は文句を言いたい気もする。
――あんなホラー映画みたいなことを言って、ビビらせておいて。
ひとりだけ、すやすや寝ちゃうなんて。
気になって、眠れなくなったよ。
だけどそんな憤りも、美鷹の白い顔に淡く浮かぶ目の下のくま、かすかに紫色を帯びた薄いまぶたの縁を見ると、しょぼんと萎えていく。
寝不足なのだろう。もともと勉強熱心なのもあるだろうけど、このことでの心労でここしばらく、眠れてなかったのかもしれない。
ぴし、と屋根のあたりで家鳴りがして、桜の意識が一瞬、そちらに取られる。
だが何事もなく数秒が過ぎ、桜はまた思索にもどる。
――この天気に、この広い家に一人なら。
私が来れなかったら、みーちゃん、どうしていただろう。
お風呂に入れてないのは、確実だな。
そう思って、薄闇の中で桜は微笑みをうかべた。
まあ、実のところ桜もすこし心細い。
木造の家は、わりと外の音を拾うのだ。
屋根に打ち付ける雨音を聞いていると、なんだか世界の果てに取り残されてしまったような、寂しい気持ちになる。
ママは、明日の朝まで宿直だと言ってた。朝には、台風は通りすぎてるだろうか。
桜の家は鉄筋コンクリート造の4階建てのマンションの一室。台風には強いし、雨戸も全部閉めてきた。大丈夫。
それにくらべてこの家は木造で、広いけど築もかなり古い。改修とか補強工事とかしてあるので大丈夫なんだろうけど、やはり時々家鳴りがする。
ほらまた、みし、ぴきっ、と。
3匹のこぶたのお話みたいに、壊れて吹き飛んだりしないだろうか。
もし、この家鳴りの音。
じつは家鳴りではなくて、あの小さい子供のときに空想した、部屋の片隅からにじみでる、フードをかぶった謎の人影だったら、――
妙な想像に、軽く鳥肌が立つ。
そのとき。
びちゃ、びちゃ、ぴちゃん。ざりっ。
窓のそとから、なにか風雨とは異質な音が聞こえた気がして、桜は身をこわばらせた。
屋根の雨樋から、水があふれてこぼれ落ちた音にも思えるが、――。
ぴちゃん、ざりっ。びちゃ、びちゃ。
近づいてくる?
雨だれでは、ない。
屋根の下のあたりを、移動している。
家の周りを、回ってる?
野良犬か何かなら良いけど、――。
近づく音に、あわせて。
かすかに、とん、と壁に手をつくような音。
雨戸に手をかけるような、カリ、カシッ、という音がした気がする。
雨戸や扉が、開くかどうか試してる?
ぴちゃ、ぴちゃん、ざりっ。ぴちゃ!
ぞっとすることに。
その水たまりを踏み分けてくるような音は、彼女らのいる部屋の真下あたりで、止まった。
彼女らに気づいた、ということはあるまい。
雨戸は、閉めてあるのだ。
いや、でも。
閉めてあるが、――。
そこで桜は背筋を凍らせた。
この家、広いけどかなり古いつくりだ。
二階の雨戸も、閉じても少し扉の合わせ目にすき間がある。
普通なら、いい。
ただ、今日はあらゆる雨戸、鎧戸がとじてあり、明かりも消されている。
(こわがりの美鷹はぜんぶ煌煌と点けておきたがったが、もちろんエコ思考の桜はぜんぶ消させた。)
暗やみの中なら、わずかな照明の照り返しも目に映るだろう。――いや、庭園灯があったかな。
それに、仮に人がいても。さすがに押し込んできたりは、――。
ざあっ、と強い雨が波状に落ちてきた。
さくらは、本能的に枕元のボタンをひねり、ナイトライトを消す。
消してしまったとたんに、後悔がはしる。
人がここにいます、って知らせるようなものじゃないだろうか。
いや、逆に明るくして、音楽をつけて人がいるって、アピールしたほうがよかった?
耳をすます。
もし、押し込み強盗みたいなやつが下にいて。
バールみたいなやつを持ってたら、広いけど設備の古いこんな屋敷、侵入は容易だろう。
物音がしても、庭は広くて隣家と距離がある。近隣も気づくまい。
警察を呼ぶべきだろうか。
いや、ただの気のせいかもしれない。軽挙妄動かも。
さっきまで聞こえてた、ぴちゃぴちゃ言う物音はしない。
気のせいだったかもしれない。
人の耳、いや正確には人の脳は、不思議な働きがあり。
自分が気になる音だけを、選んで聞き取ることができる。
いわゆる、カクテルパーティ効果だ。
人間の脳の情報処理能力の優秀さをしめすものではあるが。
それが自分を騙してしまうことも、あるだろう。
たとえば、雨どいからあふれる水だれの音を、選択的に聞き取ってしまうとか。
部屋を暗くしたら、いずれにせよ外からは見えない。
桜は、意を決して窓に歩み寄り。
ガラス窓の鍵を開け。
そして、音を立てないようにゆっくりと引き開ける。
とたんに外の激しい空気の動きが、雨戸のごく細いすきま越しに部屋の中に伝わり。
机の上のプリントや壁のポスターが、ふわ、と動く。
雨の飛沫も、吹き込んでこようとする。
早くカタをつけよう。そしてもう1回だけトイレに行って、寝よう。
雨戸のすき間から、外を覗く。
真っ暗で、何も見えない。
ざわっ、とまた雨が風に吹かれて雨戸にかかる気配。
幸いに、雨戸の外の庭木の枝に阻まれて雨戸の隙間には当たらないようだけど。
空気の動きのせいか。ベッドで、美鷹がみじろぎする気配。
思わず振り向く。寝返りを打っただけのようだ。
暗やみに慣れてきた目に、ぼんやりとふとんの外に出された、彼女の白い腕が映る。
視界が、急に赤くなる錯覚。なぜ、今?
窓に、すぐ振り向く。
風に煽られて、雨戸ががたつく。
雨戸のすき間から、かすかに漏れる光。
庭園灯か、たしか水銀灯というやつで、――。
おかしい、さっきは。
雨戸のすき間からみた外は、真っ暗で何も見えなかった。
雨は木の枝にさえぎられて、雨戸のすき間には吹き込んでこなかった。
視界が赤い。さっきの視界との相違、異常を超記憶が訴えている。
まるで生命の危機にあるかのように、自動的にオンになって。
意識して深呼吸する。記憶をプレイバック。
雨戸のすき間を、透かし見た記憶。
あのすき間から、いったい自分は何をみていたのだろうか。
本当に、何もみえなかったのだろうか。
違う。脳が情報をつたえなかったんだ、サーキットブレークして。
だって、みたものは。
――うつろな、黒い瞳孔。
悲鳴を喉の奥で押し殺そうとしたが、かすかに嗚咽のようなかすれた音がでてしまったかもしれない。
窓の方が、怖くてみれない。
彼女は、まるで保育園に通ってたあの頃に戻ったように。
ベッドで寝ている、桜の最も信頼する庇護者。
桜にとっての盾の聖女に、身を投げ出してすがりついた。
ん、朝?と美鷹はつぶやいたが。
意外なことに、美鷹は寝起きの目を擦りながらも、桜の様子から、なにかの異常があることをすぐに察したらしい。
「大丈夫、大丈夫、さっちゃん、大丈夫。」
ぎゅっ、と桜の慄える体を、抱きしめ。
口もきけず、ただ窓を指さして異常を訴える桜を、ベッドに優しく、しかし断固として座らせると。
美鷹はかわりに起き上がり、慎重に窓に近づく。
やはり軽く雨戸のすき間を窺いみたが、何も言わず、ガラス窓を閉めた。
雨風が締め出され、部屋は急にエアポケットのように静まる。
遮光カーテンまで閉め、デスクライトをつけて視界を確保し、部屋のドアへ行って施錠した美鷹は、ベッドで肩を震わせる桜のもとに戻り。
ベッドに腰掛けていた桜の横に掛けて、そっと肩を抱いた。
桜も、お母さんにすがりつく子どものように体をねじって、抱きつく。
「み、みーちゃん、いたの!なんか、」
「大丈夫、大丈夫。
何がいても、どんなことでも、お姉ちゃんが守ってあげる。」
お姉ちゃん、って。
もうここ5年以上、聞いてなかったよ。
昔、あの公園で石をなげてきた悪ガキに立ち向かってくれた時みたいだ。
心に酸っぱいような甘いような情動が、こみ上げてきて。
涙があふれる。
桜も、美鷹に抱きつく腕に力を込める。
それをいやがりもせず、美鷹は桜の背中を撫でていた。
だが、こうしてはいられない!
桜は、涙をぬぐいながら。
美鷹に、まだ思うように回らない口で。
あったこと、見たことあるいは見なかったことを伝える。
ぴちゃぴちゃという、家のまわりを回る足音。
雨戸のすき間からのぞき見た外。
雨戸の外にすぐ貼り付くようにいた、何者かの目を覗きこんでいたのではないか。
侵入者が、今もこの近くに、――。
「わかった。ありがとう、そしてごめんね、さっちゃん。」
美鷹は、桜の腕をぽんぽんと叩いて放させると、立ち上がり。
シンプルなパジャマのズボンだけを脱ぎ、椅子の背に出ていたカーゴパンツに着替え。
スリッパを履き、ちょっと考えてから、ベッドの下から長めの大型懐中電灯と護身用スプレーらしいものを取り出した。
「さっちゃん。私、電話かけてくる。
電話の子機、パパの書斎にあるんだ。
私が出たら、このドア、鍵をかけて。
私がもどったら、ノックする。この回数。」
手の指で、3、2、4と順番に示して、桜が理解したかどうか、顔をのぞき込んで確認する。
「この回数。そしたら開けて?
もし違ったら、開けなくていい。
どんな声がしても。たとえ私が開けて、と言っても、開けちゃ駄目。
無理に入ってこようとしたら、このスプレー、ドアの下のすき間から使って。この細い管、付ければ外だけにスプレーできる。
そして、――。」
――なんとか、逃げて。
本当にごめんね、変なことに巻き込んじゃって。
でも、大丈夫。任せて。
そういう美鷹に、桜はすがりついた。
「駄目だよ、一人じゃ。さくらも、行くよ。」
小学生のときみたいに、自称が「さくら」になってしまった。でも、はずかしいなんて思う心の余裕すらなかった。
声を殺してえぐえぐと泣く桜の脳裡には。
講談の宮本武蔵みたいな、汗臭い粗野で巨大な男に。
捕らえられ、押さえつけられて。
口に出せないような狼藉をされ、白い喉を掻ききられる美鷹や。
小さい頃の悪夢でみたような、謎の白いローブに包まれた、長い鉤爪を持つなにかに。
無惨に、やわらかい下腹を引き裂かれ、内臓を摑みだされる美鷹の姿が。
まるで本当に起きることのようにリアルに、浮かんでくる。
ひとりで行かせちゃ、駄目だ。
「大丈夫だから。さっちゃん、大丈夫。でも。」
お姉ちゃんも、ほんとはこわいな?
だから。もしものときはちゃんと逃げる、後ろを見ずに逃げる、って。
そう約束できるなら、一緒にいこうか。
泣き止まない桜を見かねてか、そう、桜の背中を摩すりながら、美鷹は言う。
桜は口もロクにきけなかったが、やっぱり頼もしいこの従姉を見上げて、頷いた。
――――――
桜に安全ピンをはずしたスプレーを持たせ、物音に耳を澄ませてから。
まず、懐中電灯を持った美鷹が廊下に出た。
左右を照らして確認した美鷹が手真似で、OK、と示してくれたので、桜も続いて出る。
いわゆる中廊下。造り付けの棚がところどころにある。
棚に飾られた南の島の民芸品の仮面がライトに浮かび上がり、あやうく桜は悲鳴を押し殺した。
気がつくと、前を進む美鷹の持つライトは微かに揺れている。美鷹の手が、震えているからだ。
そっと見やる。横を見たときに見えた横顔には、硬い表情。こっちを気にする余裕もなさそうなのに、桜が見ていることに気づくと唇の端を吊り上げて、安心させるような、余裕そうな表情をみせてくれる。
そう、みーちゃんは本当は怖がりなのに。こういうときは、すごくしっかりした行動をとれるんだ。
小学生のとき。あの山のすべり台公園で、変なおじさんに私が押し倒されたときも。
すごく冷静沈着に、大きな石を持って――。
「ここ。さっちゃん、電気つけるね。」
廊下の端にある、美鷹の父の書斎の扉の前。
廊下の照明を、美鷹はつけた。
恐怖の空間だったそこが、蛍光灯に照らされると、安心感が漂う。
他方で曲がり角の階段の先の闇には、おどろおどろしい気配が残る。
「入るよ。さっちゃん、少し離れて。」
たぶんなにかあったら逃げやすいように、ということだろう。
美鷹は自分のパジャマの裾から、桜の手を放してもらい、間をとり。
息を吸い込んで止めると、きい、と重たいドアをひらいた。
しばし懐中電灯でチェックし、得心がいったのか中に踏み込み、照明をつけて、手招きする。
電話はハンズフリータイプ。掛けるね、と桜に断って、発信する。
「――夜分遅くすみません。――はい、事件になると思います。
自宅は、多賀島市京門町**ですが、この時間になって、家の回りを、――」
もしかしたら勘違いかもしれないのに。
美鷹は、桜の見聞きしたことを忠実になぞって、話を整理しながら伝えている。
「はい、是非お願いします。あの、何でいらっしゃるでしょうか。――はい、わかりました。ありがとうございます。」
よろしくお願いします、と礼儀正しく言って、切りあげる。
「たぶん大丈夫。お部屋に戻って、待っとこうか。」
「うん。」
少しだけ屋根をたたく雨は弱まった気がする。と思ったときに、めき、と枝が折れるような音が窓の外遠くで聞こえた。風はかえって強まってるのだろうか。
「よかったら、何か飲む?下で温かいお茶、入れて来ようか?」
「悪いよ、――それに、怖い。」
そうだね、私も着替えとかないとね。お巡りさんに会って、お話しするかもしれないしね。
そういって、従姉は書斎の照明をつけ、扉を開けたままにして、桜を促して戻りはじめた。
去り際に桜は、書斎のなかを見回す。
大丈夫、さっきのままだ。
――――――
部屋に戻り、なんなら少し興奮状態で、ふたりは語らう。
応対があるだろうから、と美鷹は上のシャツも着替える。さっちゃんは寝ててもいいよ、と言われたがさっきの混乱した姿が恥ずかしかったし、まだまだ私が守ってあげないとなあ、なんて思われたかもと思うとしゃくで、いざというときに動きやすい服装に着替えた。
インターホンが鳴ったのは、桜が着替えたかどうか、というとき。
美鷹がすたすたと明かりをつけっぱなしにしてる廊下を歩き、あわてて着替えおわった桜もついていく。
「はい。」
インターホンは電話でとれるように設定しているようだ。しかし、電話をとった美鷹は微妙な顔をした。
――ちょっとごめん、わすれものが。
そういって美鷹は部屋に小走りでもどり、懐中電灯を携えてためらいもなく階下に降りていく。
応接室兼居間、そして玄関への廊下、玄関と明かりをつけていく。
ちょうどその折。どんどん、と玄関ドアにノック。
開ける?と目で美鷹に問いかけるが、美鷹は首を振った。
「どなた様ですか?」
大きめの、この天使のような美少女には珍しい、険を含んだ良くとおる声で、美鷹が誰何する。
なぜ?
そう桜が思ったとき、どんどんどん、とノックが大きくなった。
答えないと、また、どんどんどんどんっ、と大きく。急がせるように。
これ、お巡りさんじゃなくて、もしかして。
「さっちゃん。さがってて。あと、これお願い。」
美鷹は桜が着替えたときに回収したスプレーをポケットから出し、桜に手渡す。
自分は長柄の懐中電灯を握り。
ドアに寄り、ドアスコープに目を近づけた。
どっどっど、ぶるるる、きぃっ。
ガチャ、ばたん。
自動車の音。自動車のドアの開閉音、回転灯らしい光。
「たすけてくださいっ、何かいます、この家の玄関です!」
大声で、美鷹が叫ぶ。
誰かが急いで駆け寄る足音。どすっ、と腹いせのようにドアを蹴ったか殴ったかのような音、入れ替わるように、砂利を踏む音、ドアの嵌めガラス部分からみえる懐中電灯らしい光の動き。
懐中電灯は家の庭に入り、しばらくがさごそと歩き回って一周してから、玄関先に戻り。
そしてインターホンの呼び出し音が、鳴った。
美鷹はすぐに開けたりせず、居間に戻って電話で出て、何かしばらくやり取りしていたが。
得心がいったのか、戻ってきて。
この間、茫然と玄関近くで立ち尽くしていた桜に、「こんどはお巡りさん。たぶん。待ってていいよ。」といい、玄関ドアのドアチェーンをつけたまま、ドアを開けた。
なぜか知らないけど、マスクをつけていた。居間にいる間に付けたのだろう。
そして居間に行く前はなかった、何か重たいものが着ているカーゴパンツのポッケに入っている。なんだろう。
ドアを開けると、また風が吹き込んで、壁のカレンダーとかが揺れる。
湿った空気が、家を吹き抜ける。
ドアの隙間から、濃紺に反射テープのついた警官のレインコートが見えた。
ドアからの視界をふさぐように美鷹が立っているので、警官の顔とかまでは見えない。
「――ええ、そう、たぶんね。
ただね、はっきりとは見えなかったんですが、そう、ドアノブをね、こう、――。
それでね、ほかに気になることもあって。うーん、今見ます?」
「もしかしたら、木ですか?」
「ええ、木の枝。バキバキッとね。
でもね、今は危ないからいいですよ。風で折れたんかもしれませんしね。
明るくなってから、見てください。
あとは、地面かな。ちょっと気になる足跡が、――、でも、これ管轄はウチじゃなくて、市役所かな。○○課とか、市民課とかかな。よくわからないけどそこらへん、電話案内を訊いてみるといいですよ。」
「わかりました。おさわがせしました。
――これ、すみません、もしよかったら。
お歳暮でもらったやつで、もちろん変なことしてないです。」
「あー、いいんですよそんなに気を使わなくて。
でも、せっかくなら、ありがたくいただきますね。
あとしばらくは念のため、あたり見回りますけど、そのまま戻ります。
戸締まり、気をつけて。たぶん、この台風で迷いこんできただけだと思いますけどね、」
「わかりました。市役所ですね。ありがとうございます。」
「ええ、それじゃあ。」
「ありがとうございました。」
ばたん、とドアを閉め、後ろ手に鍵をかけて、美鷹はほうっとため息をついてドアによりかかった。
さっきより、少し風が弱まっている。
「ねえ、さっちゃん。軽く飲まなくて、大丈夫?」
「みーちゃんも飲むの?」
「ちょっぴりだけ。ホットミルクだけ飲んで、口ゆすいで寝ようかな、って。」
そういうことにして、湯せんで手際よくミルクを温めて。
二人は居間の長いソファに並んで座った。
さっきとはうってかわって、美鷹が甘えるように桜の腕をとって寄りかかってきた。
ずっと美鷹の方が背が高かったが、桜が高校1年のときにほぼ追いつき、今はもう桜の方が高い。
「――ダメ。もうダメ。どうしようかって思った。」
ほら、こんなにどきどきしてるよ。
そう言って、桜の左手を取って自分の左胸に当ててみせる。
上目遣いに訴えるような目に、思わずどきどきしてしまう。
従妹を誘惑して、何がしたいんだろう、まったくもう。
そう思うが、正直なところ桜も少なからず恐怖の影響が残っていた。
温かいミルクを、口に含む。
「サル。」
「えっ?」
いきなりの罵倒、にしては変だ。もちろん違った。
美鷹は言葉を続けた。
「おサルさんじゃないか、ってさ。あのお巡りさんが。」
「え、でも。」
ありえない、だって。
「そう。すごく変わったサルなのよ、きっとね。
ノックするサル。2階の雨戸のすき間から、女の子の部屋の中を見たりする、えっちなサル。」
くすっ、と笑ってみせた。
「――人間だって、思ってる?」
「いえ、実はそれも変だと思ったの。」
警官が来る前にあった、ドアへのノック。
そのときに、一瞬だけドアスコープから外が見れたらしい。
「玄関灯をつけてたの。でも、少なくとも大人の人間じゃなかった。
覗いても、正面には誰もいないように見えた。」
ただ、ちらっと下に見えたという。
黒っぽい、毛のかたまりみたいなものが。
「サルだとしたら。
訓練された、特殊なサルよね。大型の。」
絶妙に膜が張らないくらいに温めたミルクを飲みほし、感慨深そうに美鷹は言う。
そんなの、わざわざ使って何がしたかったのかしら。
サルだけじゃ、強盗もできないでしょう?
もちろん、桜にもわからない。
ふたりはそこで少し体を温めて(夏ではあるが、寒気がしたのだ)、口をゆすぎ、もう一度戸締りを確かめ、明かりを消してベッドに戻る。
さっきまでの毅然とした言動はどこへいったのか。さみしがりやに戻った美鷹が、もぞもぞさわさわと桜の存在を確かめ、安心したように目を閉じる。
風も弱くなってきてる。明日はピーカンで晴れるな。
今回は桜も眠れそうだ。ちょっと寝不足になるかな。そう思いながら、桜も目を閉じた。