タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
内容、ちょっと修正が必要かもしれません。場所もここなのは変なので、後で移します。
(20年後、第三者(烏丸朋子)視点)
その話を聞いたのは、彼女、烏丸朋子が旧友の結婚式に呼ばれたときのことだった。
「――幽霊?」
「そんなことを言うタイプじゃないと思ってたんだけど。」
旧友である新婦の子は、元バレーボール部の副キャプテン。
3年生のときに同じクラスで、烏丸朋子も懇意にしていた。
そのよしみで、結婚式と、それに引き続く披露宴に呼ばれたのだ。
評判のよい小さなホテルの付属のチャペルで、真心の込もった式だった。
披露宴では、
一抹の寂しさを感じつつも旧友の幸せを喜びあい、披露宴での料理や同じテーブルに集まった新婦と
その同じテーブルの、新婦と同じ部の友人たちがひそひそと交わしていた会話が発端だった。
最初、その話の冒頭を聞いたときの
はぁ、またその手の話ね。30過ぎてもまだ怪談かしら、という程度だった。
―――――
新婦から打診の電話がかかってきたその頃、
仕事の重責、そしてプライベートでのちょっとしたトラブル。
そんなものが積み重なっていて、日々いっぱいいっぱい。
新婦である旧友も、
ただ、
ある程度は感情を押し殺す術も学び、タフになってた。
この結婚式にも、久しぶりに故郷に戻って気分を切り替えよう、丁度いい、と考えて参加したのだ。
祝辞も、引き受けてくれる人がなかなか見つからないと聞いて、私でよかったら、と引き受けた。
この日は、
久しぶりの旧友たちとの会話も楽しく、多賀島で近年評判が高いホテルのフランス料理に心を和ませ。
デザートに入りテンションも上がっていた頃、その幽霊話の会話を耳にした。
そう、そんな話もあるの、と最初は聞き流してただけだった。
聞き捨てならない、いくつかの単語が耳に入ってくるまでは。
――あのいなくなった、ちっちゃなかわいい子
――三浦先生
――2年C組
――えーと、紫藤さんと、――シノくん?
それらの語を聞いて、
まずい。その単語はまずい!
会話に割って入って、止めようと思った。
テーブル一つでは足りなくて、隣のテーブル席には、新婦の高校と大学の友人が半々くらい、配席されていた。
そしてこの隣のテーブルに、
その名。
志野と紫藤みなりの名前を、出すなんて。
―――――
調布智美、通称さとみんは、
それも、もっとも親しい友人。いわゆる
端正な容貌と、魅惑的な肢体までも備えていて。
在学中から、まぎれもなく女の子たちの
2年生の当初はそこまで親しくはなく、どちらかというとライバル関係だった、
2年の3学期までにはかなり親しくなり、3年生では肝胆相照らす仲になったといってもいいと思う。
その
発端は。
その当時の
紫藤みなりという小柄でかわいい女子生徒、凸凹コンビの相棒がいなくなり。
そしてその後すぐ、その子とつきあってたという志野という男子生徒が、後を追うように行方不明になってしまったこと。
(どういうわけか、あまりこの男子生徒の失踪は報道されなかった。その後、組織的な大量殺人の形跡がみつかり、その報道の陰に隠れてしまったのだ。)
同時期には、別のクラスの女子も失踪し、その後死亡が確認された。
こちらも、迷宮入りになっていたと思う。
この別のクラスの女子も、調布智美の親しい友人だったと聞いた。
それらの事件はいずれも、
そう、その一時期。
彼女らの通う学び舎は、死神に魅入られていたのだ。
一連の事件の後しばらく登校していなかった調布智美は、結局復学した。
だけど心の傷が残っているのは、明らかだった。
だから、調布智美の前でその子たちの話をするのはタブーだった。
この噂話をしてる子たちは、多分それを知らないのか。
あるいは
交際していてもおかしくないくらい、親しかった。
というか、彼は
そう、
親友になってからも、調布智美はそのことについては話したがらず。
ときどき漏れた断片的な言葉から推測しているだけなので、今に至るも真相はわかっていない。
たしか志野が、学年開始そうそう、僕はあの子が好きなんだ、みたいなことを男の子たちの前で宣言して。
そして、ぐいぐいと押して距離を詰めた。
相手の紫藤みなりは初見では平凡な子に見えたが、磨けば光る素材だったのだろう。
あかぬけた、というのだろうか。
日ごとに、それはもう別人かというくらいに。
透き通るような美しさを備えるようになり。
クラスメイトたちには注目され、評判になってたのをよく覚えている。
あれ、ヤったからきれいになったんだよね!とか言ってたグループの馬鹿な女子をたしなめてた調布智美の姿を、覚えている。
そして。
調布智美も、この志野に誑かされてた。
これはどういう経緯だったのか、わからない。
気がつくと熱っぽい目で、志野の背中を追ってたし。
また紫藤みなりという子と同様、急に妖艶さを増していたように思う。
それはもう、これまた本人の知らないところで学校中の評判になるくらいに。
それこそ「ヤったらきれいになる説」を補強していたのだ。
まあだから、なんだ。
紫藤みなりも志野もいなくなって、調布智美が打ちひしがれるのは無理もない。
信頼してた恋人がなんの知らせもなくいなくなる。
そりゃ、落ち込むだろう。
ましてや。
親友との駆け落ち説が真実だとしたら、彼女は友情と恋情を二つながらに裏切られた(?)ことになるわけだし。
もっとも、事の真相はもっと単純かもしれない。
後で聞いたが、志野は失踪宣告を受けて死亡扱いになっているらしい。
何かの事件に巻き込まれたのだろう、と
この社会の中で、世間知らずの高坊が姿をくらませて、ひとりでずっと生きてるなんて、そうそうないだろうから。
この話のキーとなる、志野という男子生徒。
ある種の女の子は好きそうな、淡泊というか冷淡そうな外見。
成績は良かった。でもそれ以外は地味で、そして根は結構善良で素朴な子だったと思う。
ただ、結構思いもかけない突飛な行動力を示す男ではあった。
さっき言ったように、学期開始早々に紫藤みなりにオープン告白を仕掛けたり。
大学訪問企画をぶち上げたり。
文化祭で問題行動をして職員会議で対応が協議されたり。
結構、補習の授業で盛大に寝てたこともあったな。何ならサボってたことも。
だいたい一見まじめな外見を裏切って、女関係は派手というほかなく。
調布智美や紫藤みなりとおそらくは公認で二股交際してた感じだが、それだけでなく。
有名な、猟奇的なバラバラ殺人事件の被害者となった他のクラスの女子や。
例の瓶詰事件の当事者だった、3年生の美少女に手を出してた、っていう話もあった。
本当ならば、二股どころの話ではない。
でも、
おそらく今でも、そんな彼のことを想っているのではないか。
調布智美は
二人の付き合いは続いてたので、いくたびか
ただ、どれもあまり長続きはしなかったようだ。
何人目かのときに。
――あたし、そっちはもう、ダメなのかもね。
そう、自嘲気味にこぼしていたのを覚えている。
志野のことが、忘れられないのだと。
失恋で辛いこともあったはずだが、調布智美が泣いたのを彼女は見たことがない。
多分、志野の事件のことで大きく傷つきすぎて、その後は、――。
繰り返すように、彼らの間で何があったのかについて、
聞いても、はぐらかされるのだ。
ときどき(滅多にないが)、泥酔した彼女からぽつぽつ意味深な言葉を聞いたことがあるくらい。
ただ、彼が調布智美に何か、消えないような記憶を残していってしまったのは確かだ。
だからその彼に思うところは、ある。
――あなた、もっとやりようはなかったの?と。
―――――
いやそんなこともろもろは、今はどうでもいいい。
ともかく。
こんな発言が、調布智美の耳に入ったら!
片目を閉じてみせ、唇に指を立てて、それ以上の話を止めようとした。
しかし、その警告は遅かった。
「あら、楽しそうなお話ね。」
その一言が発されて。
聞かれた子たちは、凍り付いた。
調布智美は、別に取り乱しはしなかった。激怒もしていない。
ただ穏やかに、その話をしていた子たちに。
噂の経路を尋ね、微笑んで礼を述べただけだ。
ただ、聞かれた子たちは、少々青ざめて震えていた。
多少、冷房が効きすぎていたのかもしれないが。
しかしその後彼女たちは、その知るところを白状させられていたようだった。
――――――
大柄な調布智美の側は、小柄な
おそらくは対人能力を見込んで(調布智美は初対面の人とも臆せず話せるし、打ち解けるのも早い)、テーブルは分かれて配席されてしまっていたが。
ひところはいつもつるんでいたし、今でも気のおけない親友だ。
「ねえ、さとみん。元気出しなよ。」
「――トモちゃん。」
二人とも、二次会にも参加することにしてたはずだ。
二次会、いや三次会でもいい、この姉貴分の心のケアもしてあげないとな。
ひとつ、痛飲しようか。明日は休みだし。
そう、
―――――
―――――
(20年後、調布智美視点)
結婚式の披露宴の後、友人にも誘われていたし、二次会に参加した。
清楚だった昼と違い、新婦もちょっと華やかな衣装に着替えてきてた。
お昼の披露宴でもお祝いを言ったが、二次会ではもう少し、話ができた。
夫となる人は、優しそうな目元の人だな。決して美男子とかではないけど、温厚そう。
快活だけど意外と落ち込みやすい彼女には、ちょうどいい癒しになってくれるといいけど。
久しぶりに会う旧友たち、
事情を聞いて同情したり、自分の窮状を冗談にしたり。
新郎新婦の大学での友人も参加してる。
なかには、面白そうな子もいる。
もっと早く会えたら、ちょっとなんかあったかな?という、感じのいい男の人も。
――でも、もう遅いんだろうな。
ほら、彼らの目には、もうそういう「期待」は、見えない。
今の自分に満足してるのか、甘んじているのか。不満でもあきらめているのか。
とにかくもう、何かに見切りをつけてしまった目。
希望のない目、とでもいうのだろうか。
深い期待も、深い思い入れもなく。
ちょうど私が死ぬまでの日々を過ごすときを思うように。
彼らも、あっさりと浅くその場限りでこの憂き世を流していこうと思っているのだろう。
――いけない、感傷に浸ってしまった。
かつてのクラスメイトのグループに、また加わる。
一応は女子グループでは人気のあった私。
あれこれと質問を受けたり、懐かしがられたり。
こんなのも悪くないな。ちょっとそう思う。
少し落ち着いたころに、さっきと違う、地元に残った子たちに聞いてみる。
さっき聞いたんだけど。その、志野とみなりの幽霊話のこと、知ってる?って。
「え、うん、知ってる。」
「あれ、本当なのかもしれないよ?」
私と志野のことを知っているその子たちは、ちょっとためらいがちに、そう言う。
上京組は、――まだ知らない人もいるのか。
でも、地元組は、顔を見合わせている。
おや、男の子も?
こころなしか、うしろめたさがあるようだ。
「志野とみなり。高校のときのままだって、聞いたけど?」
「そうなんだって。高校時代の、本当にそのままみたいだったって。
そう、浦和先生が言ってたみたい。」
伝聞だから詳しいことは分からないけど、と彼女たちは言う。
月夜の晩。そう、満月の晩に二人の幽霊が現れたという。
もしかすると、全くの見間違いかもしれない。
三浦先生自身も、幽霊なんているとは信じていない、と言っていたらしい。
でも、はっきり見た。そのことは事実だ、とも。
まるであの頃のままで、最上階、4階の渡り廊下に並んで月を見ていたそうだ。
あの世でも、仲がいいのね。
少し、うらやましく思う。
――浦和先生に聞いてみるといいよ。
あの先生、自分でも体験してるし。卒業生からも連絡受けてるみたいだし。
彼女たちも、そう言った。
そうだ、後は浦和先生に聞くことにしよう、それはそれでいい。
私はそのくらいで、このことについての情報収集を止めた。
今夜くらいは、楽しもう。それが生きている者の務めだ。
そしてそれが今回の主人公である、新郎新婦たちへのささやかなはなむけでもあるだろう。
痛飲しよう。3次会もあるのかな。
歌ってもいいし、踊ってもいい。私は嫌いだけどホスクラ行きたい子がいたら付き合ってもいい。
思い切り、羽目を外してみよう。
そう思って、シャンパンのグラスを傾けた。
―――――
あの後、トモちゃんとその他何人かの仲間と、結構飲みまくって。
かなり遅くに、実家のマンションに帰宅する。
この実家のマンションも、引っ越してきた当時は新しく豪華に思えていたけれど。
今ではどちらかというと落ち着いて古びた味わいすら感じられるようになってきている。
丘を背後に控えた、武家屋敷跡地の落ち着いた住宅街。街の中心地にも近い。
だから実家がここなのは、時折の帰省のときの飲み会の帰りも便利に思ってた。
マンションのエントランスに入る。
エレベータはまだ、昔のままだな。今となってはボタンパネルも旧式に思える。
今だともっと薄い、二度押しキャンセルができたりするやつが多いけど、このエレベータはそうじゃない。
耐用年数とか、大丈夫なのかな。私の心配することじゃないんだろうけど。
夏の夜で、蒸し暑い空気が地表近くに滞ってる。
マンションのロビーの空気も、ぬるかった。
ロビーの空調は、節約のために夜間は入れないようにしたと聞いた。
常駐だった、勤勉な管理人のおじいさんはいなくなり、昼の間だけ管理サービスの社員が来る。
何か、そのことで母が文句を言ってたっけ。忘れちゃったけど。
シャワーを浴びたい。エレベータが遅い。
―――――
実家のドアをくぐったのは、日付が変わってしまった時間。
年老いて寝つきの早くなった母は、もう寝ているのだろう。
母には遅くなると伝えてある。そっと、できるだけ音を立てないようにドアを閉めた。
かつては懐かしかった、家の匂い。今では、他の家の匂いとしか感じられない。
とりあえずは自分の部屋に入ろう。
暑い空気に辟易して冷房を入れると、ちょっと大きな音を立てながら作動しはじめた。
ほとんど高校時代と変わらない状態で残してくれている、自分の部屋を見回した後。
私はドレス姿のまま。ベッドに倒れこんだ。
大きなクマのぬいぐるみの「くまたろう」をぎゅうぎゅうと抱きつぶす。
涙は流さない。流さないようにする、と心に決めた。約20年前の、二人を失ったあの日から。
でも、泣きたい気持ちだった。
志野。
みなり。
あなたたち。まだ、ちゃんと成仏してないの?
あの高校2年の夏の日に、この世界から失われた彼ら。
まだ彼らの魂は、この世に縛り付けられているのだろうか。
――――――
しばらくして、立ち上がり。
寝付いているであろう両親を起こさないようにシャワーで身を流し、はみがきをすませて部屋に戻る。
きれいに片づけられた、ちょっと殺風景気味な広い部屋。
しばらく、机に向かって腰かけてみた。
何も起きない。からっぽのままの、空虚な私。
ふと思い立って、もう見ない、もう破って捨てよう、と何度も決心したにもかかわらず、取ってあるもの。
ハルカも含めた、私たち四人が写った写真を取り出す。
屈託なく笑うみなり。ちょっと澄ました顔で微笑む私。白い歯を見せて、明るく笑ってるハルカ。
そして珍しく、笑った顔をみせてる志野が、写った写真。
泣かないと決めてたのに、目が潤みそうになって、長くは見つめられなかった。
机の上に写真を放り出し、ベッドに滑り込む。また、クマのぬいぐるみを抱きしめた。
くまたろうは、今も変わらず柔らかい肌触りを頬に伝えた。
―――――
そんなときに、鳴った電話。
間違い電話だろう。いたずら電話かもしれない。
でも、妙な感傷に浸っていた私は。
ベルの音も抑えてあったのですぐには取らなかったのだが、ひとつには父母を起こすことを避けるため。
親子電話になっている、この部屋の受話器でその電話を取った。
妙なきまぐれで、誰かの声を聞きたくなったのだ。
まったくの、いたずら電話でもいいから。
「はい。調布です。」
「夜分遅く、すみません。智美さんはいらっしゃるでしょうか。」
尋常に、相手は詫びる。確かに、もう日付が変わって1時をすぎた時刻だ。
その声に、何か違和感を感じる。
誰だっけ、この人。私は、この人を知ってる。
もう酔いすぎてるせいか、すぐには誰だかわからない。
耳に心地よい、低めだけど通る声。
でも、同時に何か心理的に不快感を感じた。
私のこと、知ってるくせに。なんで声でわからないの?と。
「私です。」
そう言って、しばらくアルコールでとっちらかってしまった頭の中の友人録を探る。
だれだっけ。
大学時代や就職してしばらくのころに付き合った男かな。でもこんな男いたっけ。
まだずいぶん若い感じの声だけど。――じゃあ、仕事関係?
「つかぬことをお伺いしますが、――」
ムカついてきた。
私の高2の夏。
人生に抱くことができた希望が絶望に変わった、あのひと夏。
果てしなく苦く、しかし今となっては、奇妙に甘い。
私の記憶の宝石。
あんたなんかに、教えてたまるもんですか。
だいたいこの男、時間については詫びてみせたけど。
名乗りもしないじゃない。
誰だっけ。もう少しで思い出せそうなんだけど。
とりあえず、詰めてやるか。
つんけんと、相手の非を糾弾する。
酔ってても、流れるように言葉が出てくる。
嫌なことが得意になってしまったものだ。
しかし、次の相手の言葉で、すべての酔いが吹き飛んだ気がした。
「僕だ。――志野だ。この電話番号は、君から聞いた。」
凍りついて、受話器の声に耳を傾ける私。
そう。そうだ、この声は。
志野の声だ。
でも、ありえない。
彼は、私を守って命を落とした。
約20年前に。
目の前で飛び散った彼の血を浴びた私は。
はっきりとその絶望の光景を覚えている。
(彼と交わしてた約束で、彼が死んだことは誰にも言わなかった。
私が
彼の言葉が、心地よく流れていく。
これは、やっぱり夢なんだろう。
悪夢と呼ばれる種類の。
だって、ほら。
「僕とみなりは、――死んだのか?」
ガシャン!と手が勝手に、乱暴に受話器を置いていた。
絶対に、泣かないと決めていたのに。
「違う!違う!違う!」
くまたろうを叩く。叩きまくる。
そして、ぎゅうっと抱きしめる。
唐突な興奮で、息が乱れてる。
そして、涙が。今にも、あふれそうに。
でも、認めなければならない。
彼の声に、そっくりだった。
いや、認めよう。あれは彼だった。
だから、次のコールが鳴ったとき。
私はすぐにその電話を手に取った。
「あたしよ。」
聞きたい。悪夢でもいい。悪質にすぎるいたずら電話でもいい。
彼の声が、聞きたい。
「僕とみなりは、死んだんだな?
いいんだ。調布が生き残ってくれて、うれしい。
――教えてくれ。どうすれば、みなりを救える?」
死んでからも、気にしてるのね。
あなたの、みなりのことを。
「あなたは、あなたなのね――?」
20年間、堪えていた涙が頬を伝った。
「会いたい。会いたいの。もう、あなたたちのところに行ってもいいのかしら?」
もう、十分に生きたかもって、思うようになってた。
別に、今の生活が嫌なわけじゃない。
仕事だって面白いし、お金も稼げたし、友達もいるし、なんなら信者みたいなのもいるし。
だけど、何か心にぽっかりと空洞が空いていて、埋まらない。
都心に買った瀟洒なマンションでも、週末に女友達と青山のお洒落なビストロで飲む最高級のワインでも。
預金通帳に記入される数字でも、職場の上司や
埋められない、埋まらない空洞。
だから、もういいや、と思ってた。
徹夜明けの勤務後にベッドに入り、そのまま目が覚めない。
道を歩いていて、突然落ちてきた何かに頭を砕かれる、あるいはわき見した自動車に跳ねられて宙を舞い、舗道に叩きつけられる。
そんな終わりを、いつか思うようになっていた。
でも、今、その心の空洞に。
とくとくとくと、何か熱いものが流れ込んでくる。
あなたたちがいるなら、きっと地獄も楽しいだろう。
「それはもう少し、待ってくれ。」
ええ、待ちますとも。
もう20年待った。後10年でも、20年でも。
――――――
しかし、意外にもその電話で彼は私に、「記憶」を求めてきた。
自分が死んだ前後の記憶。それがこの電話の向こうの彼には、ないらしい。
「あなたは、みなりを救いに行くって言って、乗り込んだのよ。」
私は、私の知る事実を伝える。
ハルカのことも。そう、ハルカが死んだのが分かったのは、あなたの死んだ後。
ああ、もう少しちゃんと伝えればよかった。
あなたのお墓にも参ってたのに。ここ数年、多賀島に帰れなくて行ってなかったっけ。
「ねえ、志野。
話したいの。いま電話を掛けているあなたは、――」
どこ。
地獄なら地獄に。この地上なら地上に。
どこでもいい。会いたい。
だけど。
「僕に許された時間は、もう終わる。
一人にしてしまって、悪かった。そして、ありがとう。今聞いたこと、全部変えてみせる。
大好きだ、調布。今度は、きっと――」
電話が、切れる。
受話器を見つめて、そして受話器を胸に抱いた。
涙は、相変わらず頬を濡らしてるけど。
私は、知らず知らずのうちに頬に笑みを浮かべていた。
「きっと」と言いかけてた。
そうだ、あいつは、変えるつもりなんだろう。
だって志野は。あいつは。
約束したことは、すべてやってきたんだ。
私とのつまらない、小さな約束ですら。
私を守るって言って、実際に守ってみせたんだ。
あいつが全部変えてみせるっていうのなら、そうなんだろう。信じよう、あいつを。
あのひと夏。私が、私たちがすべてを失ったあの夏を。
あいつは変えられるっていうのかしら。
お手並み拝見。楽しみね。
ある日、寝て。
そして起きたときには、新しい世界線に移行してるのかもしれない。
私自身も、いや、世界のすべての人も気づかないうちに。
それでいい。それがいい。
私は涙を拭き、顔を洗うために洗面台に行く。
そして蛍光灯の下、鏡の中の自分を、みつめる。
見慣れた私自身が、鏡の中から私をみつめ返す。
外見は全然高校時代と変わらない、なんて言われてたけど。
思えば昨日まで、少しずつ光が薄れ霞んで弱まってた、私の目。
今はまだ目が赤いけど、自分でもわかるくらいに荒々しい輝きがある。
悪そうに、微笑みかけてみる。鏡のむこうの私も、悪だくみしてる親友みたいに笑う。
洗面台の明かりを消し、部屋に戻る途中も。
どこか抑えきれないうれしさで、頬に笑みが浮かんできてしまうのを感じる。
部屋に戻って、ベッドに横たわる。
さすがにもうそろそろ、眠ろう。
少しだけ綿がへたってスリムになったくまたろうを抱き締めながら、私は幸せな微睡みに落ちていく。
志野とみなり。
永遠の夏。
高校二年の夏に、囚われてしまったあの二人。
私にとって友人で、恋人で。
でもそのどちらとも言えない。――その両方で、それら以上。。
あの彼らに、もう一度会えるのだろうか。
――いや、今の私は、ずっともっと欲張りだ。
それ以上のことだって、あいつなら、いや私たちならきっと手が届く。
あの過去に遡り。
くそったれなこの世界を塗り替えられる、そんな気がする。
夏の日の草いきれが、ふっと半分意識をなくした私の鼻先に香った気がした。
蝉時雨が聞こえる。ぬらっとした太陽の光に濡れた木々の梢、溶けそうに焦げたアスファルトの上に、揺らめく陽炎。
ハルカが楽しそうに騒ぐ声。やり込められたらしい志野の狼狽した声、そしてみなりの鈴を振るような笑い声、――。
戦い抜こう、今度こそ負けるもんか。
――を選ぶのは、私たちだ。今度こそ、この世界を――。