タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
後半部分、後で少し方向性を修正するかもしれません。
前半:紫藤みなり視点、後半:第三者(竜神の娘)視点です。
0920 上竜神の村の男の子の名前を変更しました(「タクヤ」くん→「ショウタ」くん)
1990年の名づけランキングを参考に決めていたのですが、たっくんとまるかぶりでした。
――――
20230924 竜神の重さなどについての記述を、一部変更しました。
(紫藤みなり視点)
「一度は試さないと、まずいんじゃないかな?」
「──そうですね。
父も最近、急に体力が衰えていますし。」
竜神の娘さんだという、きれいな女の人、サクヤさんは。
わたしの問いかけに対して、ほうっと吐息をついて、そう応えた。
そしてうつむいて何かを考え込む、愁いを帯びた横顔に、わずかの間みとれてしまう。
──竜神様を異次元の世界に送還するための、事前調査をしよう。
そういう話になって、志野くんとわたしは。
そのための
そしてそこを出て、竜神様がいるという、このちいさな集落を訪れていた。
そこでわたしは、思いがけなくも歓待されて。
「竜神の娘」であるという、サクヤさんとはなしながら。
その人柄を、知るにつれて。
事前に抱いていた不安のいくつかが、消えるとともに。
別の形での、ぼんやりとした不安を覚えるようになってきていた。
――――――
事前に抱いていた、不安の1つ目は。
この「竜神の娘」さんが、志野くんに向ける感情だ。
──「竜神の娘」は、しのりんに気があるのかもしれない。
そしてしのりんも、あの人に向ける目がいやらしかったよ。だから、気をつけなきゃね!
竜神の娘という人物のことを、ハルカちゃんはそう評していた。
たしかに、ハルカちゃんの言うとおりで。
志野くんは、この美人なサクヤさんに、鼻の下をのばす瞬間がある。
(あ、もちろんわたしをないがしろにしてデレデレしてるわけじゃないよ。
むしろ志野くんは、できるだけサクヤさんを直視しないようにしてるみたいなんだ。おそるおそる、で。
変な気づかいの仕方だけど、わたしのことを思ってだと思う。)
でも、その志野くんの視線が、思わず吸い寄せられてる瞬間がある。
ちゃぶ台に身を乗り出すサクヤさんの和服の合わせ目がひらいて、胸元や首すじが深くみえたりするときとか。
長衣の袖から、はっとするくらい白い腕があらわになるときとかに。
そして、サクヤさんも。
たぶん抑えてるんだろうけど、志野くんのことが気になっているんだと思う。
ほら、志野くんが荷物をさぐるために後ろを向いたときとか。
わたしが気づいてない、ってサクヤさんが思ってるとき。
サクヤさんの視線が、ためらいがちに。
そうしてる、志野くんの背中にむかっている。
つまり、この1つめの不安。
ハルカちゃんとわたしの危惧は、事実無根とはいえない。
でも。
事前に抱いていた、2つめの不安への回答。
その回答との関係で、わたしにとっては、この1つめの不安は、うすらいでる。
いや、うすらいでる、っていうより、別の不安に変わってる、っていうべきなのかな?
わたしは、そう思いながら。
わたしたちと同じようにちゃぶ台の図面をみながら、志野くんの話に耳を傾けている「竜神の娘」さんをみつめた。
――――――
そう、わたしが事前に抱いてた、2つめの不安というのは。
この「竜神の娘」さんの、人格についての不安だった。
ハルカちゃんは、この「竜神の娘」は、ある意味、敵に容赦のない性格かもって言ってた。
自分を陥れて犯したものたちを、成敗した(って、殺したってことだよね)。
この集落に侵入してきた男たちも。
そしてあやうく、ハルカちゃんや志野くんも。
そう、聞いてたから。
だから、わたしも「竜神の娘」にとって、志野くんをめぐる敵だと認定されれば。
わたしは(さとみんも?)、敵視されてコロコロされちゃうんじゃないか。
そう思ってたんだ。
でも、そっちの心配はなさそうだ。
もちろん最初は、ハルカちゃんの言葉もあってわたしはサクヤさんを警戒してた。
でも、志野くんがわたしを恋人だって紹介してくれて(びっくりしたけど、うれしかったよ)。
その後、サクヤさんは、なんかもの言いたげではあったけれど。
わたしに対するあたりがきつくなったりとかは、全くない。
もしかすると志野くんに対する以上に、わたしにあたたかい好意を示してくれてる。
そう、だからわたしは敵認定されていないから、安全で、―――。
あー、いや、やっぱり違う。
そんなことじゃないんだ、ほんとうに言いたいことは。
敵認定されるとかされないとか、そんな次元の話じゃない。
サクヤさんは、もっともっと、高潔な人なんだ。
ひとつひとつは、小さいことでしかないけれど。
清らかな人柄が、サクヤさんの言葉や挙措ににじんでる。
直視したくない、不都合なことでも、はっきりと直言する姿とか。
わたしたちが挙げる、ちいさな疑問や違和感をおろそかにしないで真摯に考えてくれることとか。
お茶を用意したり、ちゃぶ台をだしたりするときの、なにげないけれど、きちんと礼儀作法を踏まえたきびきびとしたふるまいとか。
「そうしたい」じゃなくて、「そうすべきだ」を重んじる人なんだ。
そう。
最初は猫のようなきつめの瞳や、頬に浮くウロコとかも気になったし。
言葉づかいも、かなり古風というか時代遅れ。
でもそんなことは、すぐ慣れてしまって気にもならなくなる。
そんな属性をとりはらった「素」のサクヤさんは、眩しいくらいに、愚直なまでにまっすぐで。
なんだか、──わたしが小学校時代に思ってた、「学級委員長」みたいに。
清く正しく美しくみえるんだ。
小学校時代のわたしにとっては、学級委員長って、すごく大人で、立派で、清くただしい存在だった。
わたしが早生まれでクラスの中でも小さかったから。そしてそれで委員長さん(たち)に守ってもらうことが多かったから、かな?
それもあるかもね。
とにかくそのころの、ちいさなわたしにとっては。
同じ学年、同じ年とは思えないくらい、委員長さん(たち)がすごく頭がよくて、思慮深く思えてた。
――そう、大人以上に大人に思えてたかも。
中学生になったら、気づいた。
小学校のころはすごく大人に思えてた中学生はもちろん、大人であるはずの先生だっていいかげんなんだって、わかってきた。
そして学級委員長も、優秀だけど身近な人間にすぎないんだ、って気づいた。
でもサクヤさんは、その小学生のころに学級委員長に対してわたしが感じてたような、まぶしさを。
まさに今、わたしに感じさせるんだ。
頭がいい、っていうより。
道徳的にまっすぐな、天に恥じるところがないあり方。
どんなお金にも力にも揺るがない、強い芯を感じさせるんだ。
サクヤさんは、そういう人だ。
そもそもハルカちゃんと志野くんの命がサクヤさんに狙われたのも、この集落の掟にふれたからで。
好き嫌いや色恋沙汰で「敵」認定するような、人じゃないんだ。
それに、おそらくは、わたしが「敵」認定されたとして、サクヤさんは。
敵は敵だから、容赦はないかもしれない。
でもサクヤさんは正々堂々と、恥じることのない戦い方をするだろう。
たとえば、にこにこして握手しながら、もう片手で刺すような陰険なことはしない。
まずまちがいなく、敵だと認定したら。
堂々と宣戦布告して、戦うと思うんだ。
だから。
そういうわけで、事前に抱いてた2つ目の不安。
強烈な人格の人で、会ったらいきなりコロコロされる、なんて心配は、もう今は全くしていない。
でもそれに代わって、別の不安。
まだ形をとりきれてない不安が、生まれてきてる。
今、竜神様の重さと運搬方法について熱心に説明してるサクヤさんの横顔を見ながら。
わたしはその、漠然とした不安をたしかめようとした。
でも、その不安が何なのかをつきとめおわる前に、耳に入った言葉の衝撃で。
わたしの注意は逸れてしまった。
「――竜神の父は、あるいは上りの階段や、急勾配の坂については、今は危ういかもしれません。
でも、すくなくともこの窪地の縁を越える程度であれば、私が引き上げることもかないましょう。」
「大丈夫か?へたすると、3トンくらいはありそうに思うが。」
「3
父の目方、おそらくはもう少し。1000貫ちょっとくらいはあるでしょう。
その程度ならば。」
「その程度って。下手すると人の乗ったバンやワゴンくらいの重さだぞ。象なみだ」
「『わごん』は、工事に使う『はいイエス』とかですね。
あの程度でしたら、なんとか引きずって上げられます。」(←コレにわたしは驚いたんだよ)
「「!」」
「ええ。一度、愚連隊の乗った『はいイエス』の正面を持って傾けてやりました。
ただ、父は持ちどころがあまりないので、ただ持ち上げるのは、――」
なにっ。
サクヤさんは、人の乗ったハイエ○ス、持ちあげられるんだ?すごい!
その言葉によれば、多少の坂や階段なら、あの巨大な竜神様を押し上げたりひきずり上げたりすることもできる、らしい。
ただ、運搬時間の関係もある。
だからその後、話は、台車を使うことについての検討に移った。
神社までの車道では人に見られたくないから、できるだけ早く運びたいと志野くんが主張した。
大八車があるみたいで、それを改造しようかという話になってる。
斜面、特に階段を滑らせられるような「板」も積み込めるようにしたい、って志野くんが言ってる。
最初はふつうにたたみにざぶとんだけでお茶を飲んで、会話していたけれど。
途中からちゃぶ台をとりだして、わら半紙に地図や図面を書いて、身をのりだして、ひたいをよせあって、熱弁をふるい。
いろいろと、確認事項も書き込み。
相当に、対処すべき懸案事項が絞り出せたと思う。
一度、竜神様にも会って話をしないといけない。
ただ、きょうは竜神様が深いねむりについている日で、おこしたくない、とサクヤさん。
だからサクヤさんの方で後で確認してみる、ということになった。
(昔はまったくそんなことはなかったが、竜神様はここしばらく、数日おきに深く眠りこんでしまい、その間は起きないんだそうだ。
起こそうと思えば起こせるらしいけど、かなり竜神様の体力を減らしてしまうのだとか。もう、おじいさんなんだね。)
まあ、それならそれでいいか。
夜間の交通とかのことは、竜神様に聞いてもしかたない。
そこはサクヤさんが、信頼できる村の人とかに頼んで確認することになりそうだ。
そういうことになり、わたしは。
話がまとまって方向性がみえた多幸感で、さっきの不安をなかば忘れかけていた。
――――――
白熱した議論をたたかわせて、懸案のあらかたをかたづけて。
お茶もおかわりした、わたしたちは。
なんとなくはなれがたく、ほてった顔をみあわせた。
なんとなくサクヤさんとは、友達になれそうな気がする。
ちょっとお姉さんぶってるけど、たぶんわたしと歳はあんまりかわらないんじゃないかな。
サクヤさんも、たぶんそう思ってる。
わたしを見る目も、慈愛に満ちてて、すこし熱っぽいくらい。
そのとき。
「ねー、さくやさまー、」
がらがらと、無遠慮に扉が開く音。
そして表から、高い子供の声がかかった。
「はいっ。
――こんなときに、あの子たちかしら。」
どこか困ったような、でもうれしそうな表情を浮かべて、サクヤさんが立ち上がる(立ち上がる瞬間のサクヤさんの、膝のあたりにかいまみえたむちむちした腿の内側に、志野くんの目が吸いよせられる。後で、罰だ)。
玄関先で、サクヤさんが何か子どもたちと話している。
わたしと志野くんは、顔を見合わせた。
「村の子供たちかな?」
「ああ、そうだろう。
こっちの話し合いは、まあ、こんなものでだいたい大丈夫そうだな。」
「うん。ただ、龍神様の大きさとか、体力の状態は、確認しないといけないね。」
志野くんは、竜神様の移動関係はだいたい懸念が晴れたのか、すっきりした表情だ。
「その。すみませんが。」
サクヤさんが微妙に困ったような顔で戻ってきた。
その後ろから、とたとたと足音がかさなり。
わちゃわちゃと2人の子供の、ぷくぷくした丸い顔が、サクヤさんの豊かな腰のうしろから突きでてきた。
ちいさな腕が、サクヤさんの太腿あたりにまきついてる。
「あー、おんなのおねえさんだー!」
「おとこもいるー!」
なんだこれは、といわんばかりの困惑した顔で、志野くんがこちらをみる。わたしも見返す。
うん、気持ちはわかるよ。
「こんにちは。なんていうお名前?」
とりあえず、わたしは気をとりなおしてきいてみた。
「えみー!」
「しょうたー!」
「おねえさんたちはー?」
わたしたちも、自己紹介する。
それにしても子どもたちは、奔放だ。
「あー、シシ、できたんだー」
「えみも!えみもあそぶ!」
さっそく部屋のすみの不細工ないのししのぬいぐるみをみつけて、取りあってる。
子供は男の子、女の子1人ずつ。歳は同じか少し女の子が年長かな?
小学校に上がる直前、4~5歳くらいだろう。
この「えみ」と「しょうた」は姉弟ではなく、どうも別々の家の子らしい。
どちらもお母さんはもともとここの人ではないが、この村に転がり込んでるみたいだ。
そしてこの子たちが、何を求めているかというと。
「かわ、いきたい!」「かわ、かわ!」
「お母さまたちは、どのように?」
「サクヤさんがいっしょなら、いいって!」
「いーでしょ、いーでしょ!」
サクヤさんは子供にあちこちから服をひっぱられ、苦笑いしながら、わたしたちに。
この子らを連れて行ってきます、と伝える。
わたしは、思わず。
「それなら、ごいっしょしましょうか?」
と言ってしまっていた。
志野くんが、裏切られた!という顔をしてみてたけど。
わたしには、ちょっとした目的もあったんだ。
――――――
志野くんによれば、洞窟内にも水が流れてたみたいだし。
あの神社からも、水は湧き出ていた。
このあたりは、きれいな水にめぐまれた一帯なんだ。
あの村の中心の十字路からさらに奥に歩くと、小さな森の中のせせらぎに出る。
幅は、広いところでも10メートルもない程度。
1/3くらいは、浅瀬で膝くらいの深さ。
それより深いところは、流れもきついので入っちゃだめです、とサクヤさんから言われた。
いわれるまでもなく、そういったところの川の水は、どこか深みをしめすような青みをおびた色をしている。
――にょろにょろの蛇はいないと思うけど、一応、ものかげにいくときはお兄さんに、言ってね。
さわがにをみつけたら、あとでごはんに揚げてあげるよ。
そう、二人の子供にサクヤさんが言ったので、子供たちは浅瀬とかで石をひっくり返してカニを探している。
志野くんも、いかにも子供は苦手そうな様子で。
最初はサクヤさんに頼まれて、いやいや子どもにつきあってたみたいだけど。
今はもう、子どもたちの監視がおろそかになるくらい熱中して探している。
おだやかに、サクヤさんから注意が入るくらいに。
「体裁の悪いところを、おみせしました。」
「いえいえ。かわいいですね。」
「みて!かに、かに!」
女の子の方、愛美ちゃんという子の方が、ぷくぷくした手に小さな赤い脚のカニを持って、つかまえたよー!とこっちに示してくれてる。
志野くんが、サクヤさんの家から持参したブリキのバケツに入れてあげてる。
「ええ。
あの子らも、最初は、人見知りして大人しかったのですが。今は、すっかり腕白、お転婆になってしまいました。
本当はそろそろ、町に帰すことを考えて。
手習いもさせ、分別をつけていかねばなりませんね──」
また、ほうっとため息をついた。
聞くと、ちょっとしたなりゆきで、ショウタくんのお母さんを暴力的な夫から匿うことになったらしい。
親戚もいない、こんな辺鄙なところにショウタくんのお母さんが逃げ込んだのは。
そのお母さんが、サクヤさんの仕事先での知り合いの知人だったから。
まさに、すごく辺鄙でみつけにくいだろう、と頼み込まれたかららしい。
2人のうちもう一人、愛美ちゃんの方は。
愛美ちゃんのお母さんは夫から逃げてるわけじゃないが、離婚後にへんな男につきまとわれてて。
ショウタくんのお母さんと友達だったという伝手で、一緒にころがりこんだとか。
ただ、そっちの問題はたぶん解決したと言っている。
今はいいとして、ふたりとも、そろそろ小学校などに通わせなければならない。
ところが住民票とかが元のままなので(とくにショウタくんの方は、それを移すと、お父さんが突き止めてやってくるかもしれないとか)、困ってる。
子どもたちには内緒の話ですが。そう言いながら、小声でそんな話を、してくれた。
「サクヤさん自身は、その。
竜神様が帰った後、どうするんですか。」
そう、わたしは問いかけてみる。
サクヤさんは、とまどうように目を瞬かせた。
「さしあたりは、あの子ら。
そして残った村の人の面倒を見ることでしょう。
ただ、あの子らはあと1、2年くらいで町に帰しますし。
村の人も、もう長くはないことでしょう。
村の人も、足腰が立たなくなったら、今は設備も良いということですし、養老院に移ってもらうのがよいのかもしれませんね。」
そう言って笑う。
違う、そうじゃないんだ。
それは、人のことばっかりじゃないか。
サクヤさん自身の人生って、どこにあるんだろう。
「サクヤさん、たとえば。
好きな人とか、って。」
あえて地雷を、踏みに行ってみた。
意外な質問に、サクヤさんは目をまたたかせた。
「好きな人、とは。――好いた殿方ですか。
――そんなもの、おりません。」
目を遠くにやって笑う、サクヤさん。
いま、サクヤさんはごまかした。
わたしの目が、節穴でなければ。
サクヤさんは、志野くんに惹かれてる。
ある意味、わたしの恋敵なんだ。
でも、わたしはそのサクヤさんが、ひとごとに思えない。きらいになれない。
どういうわけか、がんばれーっ、て思ってしまうところさえある。
だって。
サクヤさんは、わたしにとってはたぶん、恋敵なのかもしれないんだけど。
あの、志野くんの背中に注がれてた、慕わしげな視線。
ほら、今も。
サクヤさんが、よろけた子供の1人を気にして支える志野くんの背中に向けた、優しいまなざし。
それには、ほのかなあこがれと、あきらめと、――そしてさびしさとがいりまじっていて。
もう、気づいてしまうとだめなんだ。
わたしの心臓が、きゅっとしてしまう。
だって、わかるんだよ、その気持ちが。痛いくらいに。
サクヤさんは、いわば志野くんに会えなかった世界線の、もうひとりのわたし。
もしかすると、志野くんがさとみんとか、別の女の子とむすばれてしまった世界線で。
おそらくは思いをかくしとおして、ついに伝えられないまま消えるはずだった、わたし。
だからわたしは、どうしてもサクヤさんのことが他人事に思えない、嫌いになれない。
それに、サクヤさんの性格だと、──
――そこで、わたしは形のないもやもやした不安が何なのかを、ようやく理解した。
サクヤさんは、どこか危うい。
もちろんサクヤさんは、強い。でもサクヤさんの強さは、さとみんと似てるけど少し違う。
さとみんも、学級委員長とかもやろうと思えばできるタイプだ。
だけれど、なんていうんだろう。
さとみんは、もっと我というか主張が強いし、したたかだ。
たとえば疑問があることを先生に指示されたとき。
抗戦もするけど、通らないと見越したら、面従腹背したりできるタイプだよね、さとみんは。
誠実で高潔なところはたしかに似てるけど、さとみんはもうすこし柔軟だ。
サクヤさんは、そうじゃない。
「義」をつらぬく感じ、っていうか。
義理と人情が矛盾したら、義理を通すタイプっていうのかな。
たとえ通らないとわかってても、自分の地位があやうくなっても。
高校の漢文で習った、あれだ。
自反而縮雖千萬人吾往矣(
昔の武士みたいな、融通のきかない清廉さ。
そのまっすぐな誇りには、いささかの曇りもゆがみもなく、――みえるけど。
でもある意味、わたしより世渡りが下手なタイプなんじゃないか。
そう、無理してるんだ。
まっすぐな輪郭は強く美しくみえるけど、雪の結晶のように脆く
汚れてなまぬるいこの世界に、そのままで在りつづけるには純粋すぎて。
中学校の教科書で、読んだことがある詩*1。
夕焼けのバスの席に座った女子学生。
疲れてるけど、自分の前に出てくるお年寄りたちに、席を譲っていく。
そして、あるとき。
ついに疲れて、譲るのを止める。うつむいて唇をかみしめ、自分を深く傷つけながら。
二島由紀夫の、とある短編*2。
つねに清くまっすぐな矜持を示す、剣道部の主将。
その主将を敬愛する後輩は、でも、主将の不在時に規則破りをする部員たち大勢に迎合して。
そして主将に聞かれて、自分も規則を破ったと晴れやかに言うんだ。
その後輩を許すことで曲がってしまう自分を許さず、剣道部の主将は剣を抱いて自裁する。
そうした、自分自身すらを傷つけるまっすぐさ。
そんなあやういところが、サクヤさんにはある気がして。
そう、たとえば。
もし、わたしたちの関係が、これっきりじゃなくて。
志野くんと、この竜神の娘さんが、このまま二度と会わなくなるのではなく、接触が続いたとして。
その場合はきっと、わたしたちとサクヤさんも、ずっともっと親しくなってるだろう。
そして、志野くんへのサクヤさんの思慕が、サクヤさんの思う、自分の正しい在り方と相いれなくなったとき。
つまり、――友人の恋人である志野くんを、どうしてもサクヤさんが欲しくなったとき。
サクヤさんが、選ぶのは。
きっとわたしやさとみんへの攻撃や、志野くんの強奪なんかじゃない。
おそらくは筋を曲げる自分への、冷たい自裁の刃。
百人一首の、「玉の緒よ、たえなば絶えね――」の和歌*3。
あれでいえば。
サクヤさんは、誰かに知られる前に、相談もなにもなく。
弱りかけた玉の緒を、ずぱっと切ってしまう人なのではないか。
――それが、ようやくとらえることができた、わたしの漠然とした不安の形だった。
――――――
――――――
(竜神の娘視点)
ごくり、と。
おもわず飲んだ生唾の音が、響いた気がして。
彼女、竜神の娘は、となりの少女の様子をうかがう。
少女は気づいていないようで、水辺で童たちと蟹を採る青年の姿をぼんやりと眺めている。
突然に村にやってきた、勇士の青年とその妹のような年恰好の少女。
感知範囲に入ってきた気配に、竜神の娘はあわてて駆けつけた。
そして彼らに遭遇し。
知らされる、衝撃の事実。
なんと、伝説の勇士であろう彼、志野青年は。
あの
連れてこられたその少女の、おおきめの麦わら帽子の下には。
すこし色の薄い、栗色の艶やかな髪。
血の色がうす桜色にすける、透明感のある肌。
かすかに憂いを含む、長めの睫毛の奥の黒目がちのまなざし。
『影おおき 林をたどり、夢深き み瞳を恋い、──』
佐藤春夫の詩の一節*4を、想起させるような。
竜神の娘が少女時代に好んでいた、「少女画報」の高畠華宵の表紙絵のような。
山陰にひっそりと咲く桜草の花のような。
そんな可憐な少女のたたずまいが、彼女の心の臓を直撃する。
少女は、年相応の背の高さである。
おそらく尋常小学校あたりを、出たばかりなのだと思われた。
しかし、話をしてみると。
並々ならぬ利発さ、歳に見合わぬ分別に。
竜神の娘は、志野とよばれる青年がこの娘の愛らしい外見だけでなく、内面にも惹かれたのだろうと思う。
この娘子は、たしかに愛されるにふさわしい、と。
竜神の娘も、好意を抱かずにはいられなかった。
女学校進学を志しながらも、ついに高等小学校すら進学できなかった自分への引け目で。
この少女に対しては、ついに敬語が崩せなかった彼女であった。
最初はぎこちなく、そのうち親しく、言葉を交わし。
ほどよく距離が近くなったときに水をむけると、どうやら。
このいとけない少女は、国領ハルカや、それ以外の女の存在も感づいているようで。
それでも一途に志野青年を慕っているようすが、けなげにもいじらしい。
あの快活な国領ハルカと、あのような変態的性愛に溺れるだけでなく。
こんな童女にまで手をつけようとしている志野青年は、ほぼ小児性愛者でまちがいないであろう。
(まだこの少女は無垢であると竜神の娘は無意識に想定していたが、それは願望かもしれなかった。ただ、この大柄な青年が、この少女の青く未熟な体をあじわっている想像図が、あまりに犯罪的で残酷と彼女には思われた。)
それだけでなく、それ以外にも女の影があるとは、───
この穢れない少女を守ってあげたい、そういう気持ちを竜神の娘は覚える。
その感情に、嘘はない。ないのだが。
しかし、昭和初期の山村に育ち、愛情深く、当時としてはやや甘い、過保護ぎみな父母のもと。
歳の離れた、素行面については厳格な父や学究的で病弱な叔父、そして野卑な村人の男くらいしか知らずにすごしてきた、彼女には。
素朴な外見でありながら、そのこころの
どうしても抗いがたい、おそろしい性的魅力を感じてしまってもいた。
表面上は気丈にふるまい、真剣な議論をしているさなかでも。
彼の少し眠たそうな切れ長の瞳が、無価値なものでも眺めるように彼女を撫でると。
心が瞬時、止まるような思いがするのだ。
こっそり、志野が後ろを向いた際に、その恋人の少女の目がないときに、背中をぬすみみる。
広い背中の、かすかに汗に濡れたのであろう白いシャツのしわが、その下の鍛えられた筋肉の盛り上がりを示唆する。
それをみた竜神の娘は、体の内奥。下腹のあたりで。
彼女を律するピンと張りつめた線のようなものが、溶ける思いを味わった。
――英雄、色を好む。
大八車の改造案について確認すべき点を挙げている、志野をみながら。
なぜか全く脈絡もなく、そんな格言が竜神の娘の頭をよぎった。
──────
その後、彼女らは子供に誘われ、谷川で水遊びをした。
小児性愛者である志野も、さすがに年齢が離れすぎているのか、子供らには特段の関心を示さない。
それをみて、竜神の娘はほっとすると同時に。
──ただしい性愛に、この男を引き戻さねばならないのではないか。
この身を、使ってでも。
そういう、奇妙な使命感が沸き起こるのを感じた。
彼女も、それが自らの志野に対する欲望を、表面上体裁よく鋳なおした口実である、と半ば気づいている。
しかし、その想念は、彼女のこころの奥ふかくに刻み込まれた。
だからだろう。
志野青年の幼いが聡明な恋人から、「好きな人はいないのか」と聞かれ。
とっさには何も返しが思いつかず、いないと答えたが。
脳裏に、自らの体をおもうままに志野にむさぼらせている画を浮かべ、動揺してしまった。
なんとか動揺をごまかして、少女にも水遊びに参加するよう誘う。
英明な少女は、やや憂うるような、そして心の奥を見とおすような視線で。
竜神の娘を見つめ返しながら、その誘いにうなずいたのだった。