タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
(第三者(調布智美)視点)
──ちょっと、体が重いな。
図書館のある旧本部棟に向かい、渡り廊下を渡った。
吹きすぎる風が、彼女の夏の制服の、標準的な範囲に戻したけどまだ長めのスカートと、青いスカーフを翻らせる。
朝方は鉛色だった空は、だんだん明るくなってきていて。
雲の切れ目に青空が覗きはじめ、夏の日射しが差し込みはじめてる。
それとは対照的に、徹夜明けの疲労を抱え込んだ調布智美は、朝方よりも少し精彩を欠いた足取りで。
こちらに一瞥をくれた、窓をみがいている中年の用務員さんに会釈して、その横を通りすぎ。
段鼻(階段の、踏板の角)が、(今はもう滑り止めの溝の角もすり減って磨きあげられ、目釘もところどころ浮きかけている)金属のすべり止めで補強された、階段を上り。
青と白のリノリウムの廊下を歩み、仮部室の扉を開けた。
暑くるしく空気がこもってるかと思ってたけど、まだそこまででもなさそうだ。
毛布みたいなものもないし、窓を開けると寝入ったときに寒くなるかもしれない。閉めたままにしておこうか?
そう考えた調布智美は、とりあえず最寄りの机に肩掛けの軽い布バッグを置き。
4人掛けくらいの大型の黒い長ソファの真ん中あたりに、最初は普通に座り、背もたれに上体をかけて目を閉じた。
合皮だろう、安っぽいが丈夫なソファの張り地がひんやり感じられて気持ちいい。
平衡感覚が怪しくなる、感覚がある。
睡眠不足なのは、事実。
ちょっとお行儀悪いかもしれないが、寝かせてもらおう。
上履きをはずし、ずりずりと横に倒れ込み、長ソファに横になる。
病院の待合にありそうな、大型のソファだ。足を伸ばしても、ひじ掛けの間にすっぽり収まることができる。
あれ、入口のカギ、掛けたかな?
まあいいや、どうせ誰も来ないだろう。
30分、30分だけ。
そう思いながら、彼女の意識はとろとろとした生あたたかい半液体のような塊に飲まれていった。
─────
「──そういうわけで。私たちにとっては、ですね。
いわば水中を泳ぐ、手足のない魚が。
空中さらには地上のことを知覚し、ロボットを遠隔操作するようなものなのですよ。
難しさが、お分かりいただけましたか?」
──そうね。
あなたのお仕事にも、ずいぶんご苦労があるってことは分かったわ。
そう、相槌を打ちながら。
調布智美はかすかに浮上しかけた意識の隅で、何の話だろう?と不思議に思った。
自分はどうやら、話し相手を見つけて喜んでいるらしい、この
いつ部屋に入ってきたのかわからないが、自分はそれなりにちゃんとした応答を続けてたのだろう。
こういうことって、いつかあった気がしたけど、──
確かめられないままに、誰かとの対話は続く。
ただ、相手のものやわらかな話しぶりは、決して不快なものではなかった。
「そうなのですよ。だいたいですね、──」
生命の在り方は多様なのですよ。ましてや、知性の在り方は。
知性なき生命があるように、生命なき知性もあるわけですし。
だいたい、知性といっても。
それは自身を知性と考える観測者が、自分にどれだけ似ているかを測っているにすぎないわけです。
まあ、それすらもできているとは言いがたいですね。
脳神経細胞など何一つない菌類だって、あなた方人間の尺度を借りれば「判断力」と「記憶力」を持つのですよ。*1
あ、これは
生命など持ちようがない、そう思われている無機物の結晶。
でもそれらは高い知能を備え始め、自己複製までも可能となります。たとえば、「カラミ○」は──。
それにそもそも、珪素生物のハイナ○タは、あなた方の生命の定義とは異なり、──。でも、彼らが、あなた方の成し遂げ得ていない、──を実用化していることは、疑いようもない事実です。
要するに。
そういう全く異なった生命、異なった知性を自らの尺度で理解することは、難しいのですよ。──
早口の説明が、脳の表面を滑りおちていく。
その場では理解できた気になっても(それも難しいけど)、絶対に記憶なんかできないという確信。
調布智美は、あくびをかみ殺す。
かすかに部屋の空気が、ぬるんできている。
──いろいろ教えてくれて、ありがとう。
それにしても、不思議なことね。
あたしたちが逆立ちしてもできないことが、あなた方には簡単にできる。
そしてあなたの言葉を、信じれば。
あたしたちの簡単にできることが、あなた方には難しい。そういうことよね?
「ええ。
あなた方の文明、生き方、そして性愛。
ずいぶん、驚きに満ちたものです。あくまで私たちの目には。」
それは、お互い様なんでしょうね。
でも、本当に驚異的なのは。
そんなに違っていても、わかりあえることなのかもしれないわね?
「ええ。そのとおりなのです!
それにしても、あなたのボーイフレンドさんも、そうでしたが。
もしかするとあなたも、死んだことがあるわけですか?だって、──」
──なにそれ、怖い!
死んだことなんて、ないわよ!?あたしも彼も。
だって死んでたら、あたし、ここにはいないでしょう?
「これは失礼。そういう意味ではなくて、ですね。
あれ?でもやっぱり、少なくともあの方は──」
「光円錐の外側」がどうとかこうとか、「彼岸」がどうこうとか言ってる。
相手も、何かに困惑しているようだ。
──あ、あれかしら。シュレ─ディンガ─の猫?
たしかに量子力学では、ここにいるあたしは、確率的に分布してる、あたしの可能性の一部ってだけ。
たとえば、どっかで死体になって冷たい雨に打たれてるあたしも、死体置き場に転がってるあたしも可能性としては存在してて、──
でも、そう考えるあたしがいることで、この世界線でのあたしの実存は確定できない?デカルト的な論証だけど。
「いえ、それは間違ってますよ。
もちろん観測者はそこに「自分が存在してる」と思っている、正確に言えば願っているのでしょうね。
でもそれは、観測者の主観的な実在はともかく、客観的な実在を裏付けるものではありませんよ?
そもそも、あなた方のいう「世界線における実在」自体、本当は違うのです。
だって、ほら、──」
熱弁を振るう相手に、苦笑しか出ない。
まあ、いいじゃない。あたしは、あたし。
あたしにとってはあたしはここにいる。それでいい。
あなたの考えは、いわゆるエヴェレット解釈*2かしら。なんだか背伸びした中学生の空想みたい。
それにしても。
これ、もしかすると夢?夢だとしたらずいぶんヘンテコな夢ね。
あたしって、こんなこと考えてたんだ。
脚を伸ばしてもソファからはみ出ることはないが、なんだか無防備な感じがして。
浅い「く」の字に体を曲げて横向きに寝ていた彼女は、目を閉じたまま苦笑を浮かべた。
部屋がわずかに暑くなってきてる。窓、開けとけばよかったかな。
不快さに少し覚醒しかけて、そう思うと。
からから、と窓の一つがレ─ルを動く音がして、ふわあっと涼しい風が入ってきた。
快適だ。
──あら、気が利くじゃない。流石、私ね。
相手が自分とは思考そのものが異なる「他者」であること、口に出していないことを読み取られていることの、異常さに。
夢うつつで思考力の落ちている
「ええ、このくらいはお安いこと、『お茶の子さいさい』ですね。
だって私たちは、あなた方のいう──の位相を──できるのですよ。
というより基本、それ以外はあんまりできないわけで、──」
時間塵のせいで、──には、ノイズが入るでしょう?
あの対策で相当、リソースを割かれるのです。
ただ最近に限っては、余裕ができて、──
収支が厳しかったときなど、**するなんてとてもできませんでしたからね。
興味深くなりそうな変化を、「指をくわえて」見送ったりもしました。
でも今回は余力もありますし。
あなたのボーイフレンドさんからの、ご依頼だって、──。
きゅうん、とすこし早口になって。
おそらくは得意げな顔で、まくしたててるだろう様子。ウザかわいい。
ただ
──ねえ、あなた。さっきも言ってたけど。
あたしの「ボーイフレンド」って。
もしかして、
あいつが、何をあなたに頼んだっていうの?
そこで彼女は、別のことにも思いいたる。
──それより、あたしたちのことを知ってる、って。
もしかしてこの部屋で、あたしがあいつの前で服を脱いだ、あのときのことも、──?
かあっ、と羞恥が身を焼き、眠りが浅くなる。
──「性愛」って。まさかそのこと!?
どうしよう。この子、他の子たちにぺらぺらしゃべったりしないでしょうね。
いや、志野のことを、あたしに言ってる時点で、──
しかし相手は、
別の点に問題を自覚したようすで、何やら弁解している。
「あ、あの件は
ご本人の同意もないのに、うっかりしていました。」
あなたと、あの方の間柄ですから。
まあいいやと思ったんですが、まずかったですね。
あの方にはどうぞ、ご内聞に。
ええ、埋め合わせと言ってはなんなのですが。
貴女も、なかなか興味深い存在のようですし、──。
何か言っているが、もういいや、と
──よくわからないけど。
もらえるものなら、ありがたくもらっとくわね?
それより、約束だし。そろそろハルカを見に行かなきゃ、──
調布智美は、ううん、とまた伸びをする。のばした腕に、ソファの端のひじ掛けがあたる。
わずかの時間のまどろみが、驚くくらい充実した気力を取り戻させてくれたようだ。
急速に、彼女の意識レベルは上昇し。
深い
白くまぶしく光る覚醒ラインが、目の前に急速に近づく。
「また今度機会がありましたら、お話ししましょう。
そろそろいい時間みたいですね。では。」
あ、最後にこれは、純粋にただの忠告で。
貴女が心を悩ませておられる、その案件。
貴女たちだけでやろうとしては、いけませんよ?
ボ─イフレンドさんを巻き込んで潜入した方が、いいでしょう。
「あ、待って!」
今のこと、あたし、あなたに話してないわよね!
だいたいあなたって、あたし自身、いや、それとも、――。
だがもう、言葉は追いつかない。
カラカラと、扉が開いて閉まる音がした。
心地よい午睡から一気に覚めた彼女は、あわてて起き上がり。
顔に乱れかかる黒髪をさばき、スカ─トの裾を直しながら、ソファにとりあえず座り直す。
最後の一言に、心臓が爆発しそうに動悸を打っていて、汗が全身に噴き出てきた。
おかしな夢をみた、と荒い息を整えながら、覚醒した彼女は思う。
まあ、夢は夢だ。無意識に、昨夜永山若葉さん*3から受けた、あの電話がプレッシャ─だったんだろう。
それより、そろそろハルカのところ行ってみようか。
すっかり疲れも、取れたことだし。
しばらくして落ち着き、身のまわりなども整えて。
元気になって足取りも軽くなった彼女は、無人の部屋を出て行く。
彼女が寝ている間に開かれた部屋の窓は、まだそのままになっていて。
白いカ─テンが、吹く風になびいていた。
──────
いい時間なので、そのまま階下に、体育館に向かう。
階段を降りて行く途中に、図書館(土日も開いてはいる)から出てきたと思われる男子生徒に出くわす。
後ろ姿や背格好が、志野に似ていて。
今の話で彼のことを考えていた彼女は、思わず、「馬鹿志野、なんでここいるのよ!」といつもみたいに声をかけてしまったが。
彼女の足音に振り向いた彼は、どうやら別人っぽい。
でも、顔も雰囲気も志野にすごく似てる。
ちょっと濃い目の眉の下の切れ長な目、鼻筋の通った顔だち。地味だが悪くない、あっさりした顔だ。
基本、真顔で素朴そうな様子。でも、視線が変態っぽくスカ─トの裾とか胸とかに行くところまで、志野にそっくり。
まあ年頃の男子高校生なんて、多かれ少なかれそんなものだけどさ、と彼女は思った。
本当なら、知らない男子と話すことなんてしない彼女だが。
今回ばかりは、声をかけてしまったなりゆきもあり。
おそらく次学期あたりから転入するのか、それとも転入したてかの、帰国子女か交換留学の日系人か何かなのだろう。
彼の言葉遣いがまだこなれてないのも、かえって気楽であり。
また慣れない様子に、少しばかりの親切心も湧いて。
生徒たちの様子とかを見たい(見学したいという意味だろう、と彼女は解釈した)という彼を同道させて、会話を交わした。
(彼がよりによって日曜日に来ていることの奇妙さに、寝起きでまだ頭が回り切っていなかった彼女は、そのときは気づかなかった。)
まだ男子と隔意もなく話してた中学時代みたいな感じで、英語も交じえて言葉を交わす(ただ、英語も彼の母語ではないようだった)。
そのうちクラスメイトのことなどにも、話が及んだ。
「ミナリさんの、同級生ですよね?」
あ─、みなり、有名になっちゃったしな、だから知ってるのか、と彼女は思う。
「あの子、すっごいいい子だけど。
でも狙うのは、やめときなさいよ?」
もう志野に、売約済みだし。
だから念押しに「変なことしたら、ただじゃおかないわよ?」と冗談半分に言ってみたら。
「っ!」
相手から、なぜか隠し切れない驚愕が伝わってくる。
ぱっと、距離を開けられた。いや、そんなに警戒しなくても。
別にあたし、ここでいきなり戦いをしかけたりなんてしないわよ?どんな狂犬だと*4思われてるのかしら。
でもやっぱりあれか、この男も。
みなりがきれいになって以降、群がってきた蠅の一匹ってわけね?
ちょっと好みの系統だったのにな。がっかりだ。
「まあいいわ。今は休戦、いいわね?
あなたも単に、
それにどのみち、みなり本人はここにいないんだし。」
そう言うと、まだ緊張感は残っている様子だが、相手は警戒的な態度を改めた。
ただ、二人の間の会話は少なくなり。
また、気のせいか。
妙な、畏敬というか、畏怖の念じみたものが相手の言葉の端々から伝わってくる気がする。
その後はそれ以外に、特になんということもなく。
体育館に到着したが、彼はバスケットボ─ルのバウンドの音やきゅっきゅっとなるシュ─ズの音、うねる熱気や、多くの人々に怯んだようで。
見学しにきた、という話だったけれど、練習中の部員たちの視線を避け、入り口近くの壁、体育館コートの壁じゃなくて入口の左右の壁に、目立たないようにはりついてる。
相対的に、コート側に入ってしまった、目立つ容姿の
男バスの側のコ─ト、遠くから手を振る人影。
あれは、神奈川君ね。たしか副部長だったかしら。
組み立ての練習なのだろう、数名ずつゴール前で攻防してて、神奈川組は今は休憩組。
それほど仲も悪くないので、手を振り返す。
──ハルカは?
ああいた、ちょうど平均台の練習をしてる。
国領ハルカもこっちに気付いて、手を振ってくれる。
大会ではレオタードなのだろうけれど、今日はごく普通の体操服。
ただ、その優美な姿態と高い技術があいまって、目を瞠るような輝きがある。
──あの子、気のせいかますますきれいになった気がする。
そう、
ひたむきに練習に取り組む、その姿と。
それに見入る
連れ立ってきたその彼が、じっと粘度の高い視線でみつめていたのに、そのときの彼女たちは、気づいていなかった。