タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
猿は、──何しろ猿ですから。
もしかすると逆恨みして、美鷹を酷い目にあわせようとしてくるのではないでしょうか。いやー、困ったことです。
第三者視点、吉祥寺美鷹と中河原桜の過去話です。
一部、後で修正するかもしれません。
(第三者視点)
猿の姿が消え、緊張の糸がきれた彼女は。
腰のあたりから力が抜けるのを感じて、膝をついてしまう。
次いで地面に、横たわる。身体をかるく、丸めるように。
服が土に汚れるのも、厭わず。
猿はあれを、彼女が仕組んだものと思っただろうか。
もし、そうなら。
もうおしまいだ、なにもかも。
彼女自身はもちろん、彼女の大事な家族も親友の命も。
思わず、乾いた笑いが漏れてしまう。
それと反するように、涙が溢れる。
そして高まる、殺意。
余計なことをしてくれた、何者かに対する激情。
ただ、狙いは悪くなかった、あの猿に実際に手傷も負わせている。神のごとき技量だ。
彼女としては、猿を殺せなかったこと、取引をぶち壊した可能性があることに思うところはあるが。
事情を知らない者(たち?)からすれば、この場面に気づいて、なにもせずに見すごすわけにもいかなかったのだろう。
彼(ら?)は、悪くない。
ただ、──彼女の感情が追いつかないだけだ。
ようやく気分を落ち着かせ、体を引きずるように一度たちあがり。
力が入らず、またしゃがみこむ。
目の前の地面に深く刺さったナイフを、引き抜いてみる。
少し離れた場所に突き立ったクナイらしいものも、立てるようになったら取っておこう。
クナイの方を見やった視野の隅、土塁の根元付近に、かすかにかびくさい臭いと、うごめく影がみえる。
──ここにも、「あれ」がいたか。
人の入らない史跡なら、たしかにいてもおかしくないのか。
そう思いながら、彼女は、幼少期のころ。
この影と、そしてこの影に似た悪意を知るようになった経緯について思い返していた。
──────
(198◯年2月、多賀島)
彼女、吉祥寺美鷹が家族とともに、今の家に引っ越してきたのは、彼女に物心がついてしばらくの頃。
まだ小学校に、上がる前だっただろうか。
人の住まなかった期間が長い、旧華族家の所有だったという広いけれど古い家は、最初は幼い彼女にはおそろしく思われた。
ぎいい、ときしむ木の床、ぴしり、と家鳴りする天井。
そして、いつもは使わない部屋のくらがりに、わだかまる影。
その影が発する、ほかの人には感じとれないらしい、かすかな、すえた臭い。
それまで暮らしていた、手狭だけど築浅のマンションにはなかった、それらの影に。
彼女はおびえて、歳の離れた兄にまとわりついた。
兄はどうも、それらの影や臭いには気づいておらず、そのためなんの影響も受けないようだった。
彼女は幼いながらも、聡かった。
それに気づくと、家族にすらその影のことは言わないようにして、隠しとおした。
ほどなくして、彼女は学ぶ。
彼女の父母や兄、騒がしい親戚たち。
要は鈍い人たちで、一定以上元気な人たちと一緒にいればいい。そういう人たち、とくに生命力の強そうな人が近づくと、影はどこかに消えてしまう。
しかも彼女ら一家が住むようになると、この家に潜む影はだんだんと数を減じ、臭いも小さくなっていっているようだった。
それにその影たちは、直ちに積極的な悪さをするわけではない。
家の影が気になり始めてから気づくようになった、そうした影のなかには。
奇妙な姿かたちが、うっすらと見えるくらいに濃ゆいものがある(彼女の家ではそこまでのものはいなかった)。
兄と従妹とで遊んでいた裏山の防空壕の跡で、彼女は、焼け焦げた異形の腕のようなものが濃い影から突き出されているのを見かけたことがあった。
だがそれも、なかば透き通っていて害を与える力はなさそうだった。
不気味だし臭うが、無視しているかぎり何も干渉してこないようだ、と幼い彼女は学んだ。
むしろその当時の彼女にとっては、保育園や幼稚園の同輩たちのほうが厄介だった。
幼いころにあっても、容姿のよい彼女は。
大人を含む異性からのちょっかいと、同性からのやっかみの回避と予防に忙殺されていたから。
しかし、不気味だが無害な黒い影に、似ていて。
もっと有害な、生きた存在がいるのだと知ったのは、幼稚園の最上級のきりん組に上がり、しばらくした頃。
はじめは、臭い人が来たな、と思っただけだった。
あの影だまりに似た臭いだが、はるかにきつい、なまぐさい悪臭をたてていたから。
その男は、新しく幼稚園に中途採用された、用務員のような役割の職員だった。彼と彼女との間には、普通なら接点は少ないはず。
幼い彼女には、大人という点では同じ。あまり会わない先生がいる、というくらいにしか最初は思わなかった。
ただ、ひどく臭う。臭い。周りの人たちは気づいていないようだけど、と彼女は思い、さりげなく避けるようになっていた。
その彼の視線が彼女や、やや容姿の良い園児に、まとわりついてくること。
そして妙なタイミングで彼が接近してくることに、彼女はいつしか気づいた。
彼女とおなじくらいませていて、頭もいいリカちゃんも、気づいていた。思い違いではない。
お遊戯の着替えや、トイレ。
ごみの回収や備品移動と称して、そんなときに近づいてくる。頭をなでたり、話しかけてきたりする。
警戒心がなかったり、さみしがりだったりする園児のなかには、その人に懐くものもいたが。
彼女には、彼が危険に思えた。そして観察をとおして、その確信を深めた。
発育はいいけど頭のよくないモンナちゃんやウルミちゃんは、スカートの下に。
そして最近転入してきたばかりで、おとなしくて騒がない彼女の従妹(中河原 桜)にいたっては、下着の中に手を入れられたという。
男の子の中でもおとなしいノムくんも、ソーセージのようなアレを触られたと言っていた。
時間は、あまりない。
美鷹たちキリン組が今春、小学校に上がってしまうと。
あまり頼りにならない、ウサギ組の桜たちが被害に遭うことになるのではないか。
そう、彼女は思い悩み、そしてついに決心したのだった。
──────
「どうすればよかとね、ミーちゃん?」
その日、キリン組園児の3巨頭。
すなわち、おませなリカちゃん。
男子で4月生まれでサラサラヘアーで運動神経がよくて人気のあるカナメくん。
そして、幼いながら人目を惹く容貌とお姉さんロールで人気の高い美鷹。
その3人に、美鷹の従妹の桜を加えた4人は。
大人にばれないように、砂場で砂遊びをする真似をしながら、ひそひそと対策を話し合っていた。
桜はどちらかというとこういう
「あの人が、わるい人だってのは、たしかだよ。」
「ん、
事実、このカナメくんはときどき、ノムくんがそういう被害をうけそうになったときなど。
割ってはいったりさわいだりして、妨害していたが。
幼児たちの力では、できることに限りがあった。
そんな彼をなだめながら、彼女は思考を巡らす。
前々からあたためていた、計画がある。
「テレビのむかしばなしで。
こんなおはなし、みたんだ。」
浜辺の馬を海に引き込み、さらっていく大ダコ。
その大ダコを罠にかけるため、鉄で馬を作り、真っ赤に焼いて置いておく。
火の危険性を知らない大タコは、知らずに絡みつき、じゅうじゅうと焼かれて退治される。
そういうお話*1を、美鷹は伝える。
「あー、こないだの。それ、リカもみたよ?
でも、それがどうつかえんの?わからんと。」
「馬と人とでは、ちごぅばい?」
「───?」
ほかの3人には、すぐには伝わらない。
美鷹は、根気よく説明する。
「わざと、あのひとがいたずらしやすいように、するんだ。
そしておとなたちに、あのひとがいたずらしてるところを、みてもらう。」
もうこれはぜったいだめだ、ってわかりやすい、ひどいいたずらを、ね?
そして、あの人がロッカーにかくしてるはだかの女の子の写真や、へんな本。
あれも、園長先生にみてもらうんだ。
あの本とかは、大人用。こどもがみちゃいけない本なんだ。
おとうさんが、胸のおおきいはだかの女の人の本を隠してたのを、わたしがみつけたとき。
おかあさんにみつかって、そうおこられてたよ。
そう、美鷹は献策する。
「さっちゃん、あの本みせられて。
『みんなこういうことやってるんだ』っていわれたんだよね?」
従妹に、美鷹は確認する。
こくり、とうなずくかわいい従妹の姿に、そのときの怒りを再燃させながら、彼女は説明する。
あの本も、このやりとりも、追い出し材料に使えるはずだと。
「でも、だれがすんね、その、イタズラされる役?さっちゃんね?
ぜったい、あぶなかよ。できっと?」
「!」
衝撃に固まる桜をみて、カナメくんが助け舟をだす。
「サクラにやらせっと?だめじゃ、むぞか(かわいそうだ)よ。
「カナメくんは、いやがられとるよ。
ミーちゃんくらいでねえと、できんがよ?」
リカちゃんは、いちはやく問題点に気づいている。さりげなく、仮想恋敵である美鷹に役をなすりつけてくる手腕も、みごとだ。
他方でカナメくんは、こういう正義感あるところがいいな、と美鷹は思う。囮役には不適任だが。
人気があるのも、もっともだ。
ほら、リカちゃんがうっとりした目をしてカナメくんをみてる。さっちゃんは、──きょとんとしてるな。
礼を言うように、あとで教えよう、と美鷹は思う。
「いや。さっちゃんとかにはやらせない。ぜったいに、ね。
わたしが、やるよ。」
かわいい従妹のためなら、そのくらいのリスクは冒す。
美鷹は、自分では自分のことを臆病だと思っているのだが。
なぜこんなときに、妙な自信と勇気と行動力が湧いてくるのか、自分でも不思議に思った。
「じゃあ
「ううん、先生たち、そしてみんなをできるだけたくさん、あつめて、イタズラしてるところをみてもらいたいの。
だからカナメくんは、みんなをよぶ係。」
人気があって声が大きい男の子の方が、人集めにはいい。
タイミングを計る必要があるが、カナメくんなら大丈夫だろう。
「あのウサギ組のおとこの先生。あの先生は、あの人と仲がわるい。
あとキリン組のクロダ先生。あの人がへんだって、すこし気づいてるみたい。
あの先生たちのどちらか、できれば両方を呼んで。
おとなたちだけじゃなく、子どもも。」
大人たちだけで隠して処理したり、できないように。
口には出さなかったが、子どもにみせるのはそれがねらいだ。つまり、子どもの後ろにいる親たちの圧力を期待してる。
「わかったぜ!」
「じゃあリカは、本のかかりとね?」
「うん、さっちゃんも、本のかかり。
さっちゃんが、あの人に本をみせられて、そんなこと言われたんだ、ってことをしってもらうの。
さっちゃん、リカちゃんが付いてくれるなら先生にいえるよね?」
「うん!」
子どもたちは、綿密に打ち合わせを行い。
決行の日を決め、配役を決め。
そしてそれとなくほかの園児にも根回しして、手はずを整えたのだった。
──────
(某犯罪者視点)
美男子というわけでは、全くない。ちょっと遊び人風の小柄な男。一見、陽性で親しみやすい顔。
アニメで人気が出てきた、某3代目の怪盗に似ていると一度、飲み屋でいわれたことがあった。
こんな、当時流行ってた区分でいえばネアカ風の彼が数件の幼女誘拐殺人事件を起こしているということは。
彼のごく親しい数人の犯罪仲間をのぞき、誰も知らない。
3県の県境をまたいで行っていたため、それらの事件が相互に結びつきのあるものとは理解されず、捜査も進まず迷宮入りになったからだ。
うち1件では、なんと軽い精神発達遅滞のある青年が誤って容疑者として逮捕されてしまっている。
女には、あまり不自由していない。しかし、彼の中には妙な、ねじくれた嗜癖が存在していた。
いわゆる小児性愛。定期的に、そう数年おきに、強い、抗いようのない衝動が高まる。
(それ以外のときは、ちょっと幼げな外見の女を囲ってなんとか収められる程度。
だがこの数年おきの衝動は、そんなものではおさまらない加虐的な、激烈なものなのだ。)
これは神さんが俺をそう創ったんや、どうしようもねえ。俺のせいじゃねえ。と彼は考えていて。
その数年おきの衝動を乗りきるために、綿密な事前準備を整え。
そして幼女の誘拐を決行し、思うままに楽しんだあとに殺し、隣県でほとぼりをさます、というルーティーンを組み、成功させてきていた。
そのときまでは。
犠牲者へのアプローチは、いろいろだ。
もちろん、パチンコ屋とかで放置されている子に声をかける、という王道の犯行パターンもある。
ただし、そういうところで捕まえられる子には、あまり彼の好みの上玉はいない。
公園とかで、孤立してる子に飴やチョコレートを与えて餌付けする、という手もためした。
ばれずに犯行に成功することができたが、意外に目撃者が多くなるという欠点があった。
今回は、大胆にも幼稚園に勤務して糸口をさぐることにした。
上玉も多い。うまく連れ出しを工夫すれば、なんとかなる。
ここで懐かせておいて、外で一人で遊んでいるときなどに声をかけるといいだろう、と彼は考えていた。
園児の住所録もちょろまかして入手済み。成功の確率は、高い。
ここで彼が見い出した、次の犠牲者の候補たち。
彼の好みの子たちだ。とくに2人が、彼の気を惹いた。
本命は、幼いながらも、早くも将来の美貌を予告する外見の美幼女。ただし、ガードが堅く友人も多い。「ミタカ」「みーちゃん」と呼ばれている。
一人は少し内向的で孤立気味、しかしよく見るとなかなかの上玉。ミタカの親族か何かだろう、世話を焼かれていて、「サクラ」「さっちゃん」と呼ばれている。合同クラスのときは、ミタカがこの子を守っているが、別活動の時は接近できる。こちらの方が、狙いやすいかもしれない。
それ以外にもまあまあの子たちがいて、まあ最悪それでもいいか、と彼は考えていた。うまく連れ出せるチャンスがあれば、その中から選べばいい。
そう考えて、彼は幅広にターゲットを設定していたので、本命の子のことは気になってはいたが、固執するつもりはなかった。ガードも堅いし。
しかし千載一遇のチャンスというものは、あるものだ。
「あれ、おじさん。
きょうは、もうおしごとおわりじゃないの?」
なぜか園児はふつう入らない、職員駐車場にすぐ隣接している裏庭に、その子が来ている。
好都合にも、彼は少し早めにタイムカードを押してあり、もうここにはいない扱い。
しかし近時、とみに強く生じるようになった衝動をごまかすため、車外でキツめのタバコを吸いながら。
車中のグローブボックスに入れてある、数年前に殺した女の子の思い出の写真アルバムでも見ようか、と思っていたときに。
その子が、ふらふらと裏庭に入ってきたのだ。
さっきから、こっちを覗いているような気配はあった。
本当なら入るなと言われてる場所だが、好奇心に駆られて、先生たちの視線をかいくぐってきたのだろう。
「ああ、そうだけどね。
すごくお仕事、つかれちゃっててさ。」
そう、口にしながらそれとなく近づく。
あまり急いではだめだ。猫に対するのと同じ。
明後日の方向をみながら、どうでもいいようなことを口にして、会話の実績を稼ぐ。
これまでは、どういうわけかこの子は警戒心が強く、彼になかなか近づこうとせず。
彼から接近しようとしても、待ち伏せしても、まるで超能力があるかのように巧みに接触を躱してしまうことが多かった。
しかし今回は、めずらしく警戒心ゼロ。絶好のチャンスだ。
──しかしこの子は、絶対に将来美人になるよな。
まあ、その「将来」。もう、来ないんだけどな。
もう一挙手一投足の近さに近づき、彼は思う。
彼がシフトを終わり退出した後、他の職員には見られてない。今も、彼がまだここに残っていることを、他の職員は知らない。
裏の門を閉め忘れを装い開けておけば、この子が勝手に出て行って何らかの事故に遭った、と思われるだろう。
数日は、何食わぬ顔で出勤してもいい。そして父母のクレームとかを理由に、退職すればいい。
安全をとって、即日出奔しても構わない。氏名も経歴も偽装しているし、容疑者に上がっても跡は辿れない。
しばらくは昔なじみのところで、厄介になってほとぼりをさますことになるが。
この獲物にはそれだけの価値がある、と彼は思う。
陽だまりの中、しゃがみこんでいる彼女のさらさらした髪には、天使の輪のような照り返し。
不思議そうに見上げる顔は、幼いながらも整っている。
この顔を歪ませることを考えると、前が持ち上がってくる。
「ミタカちゃんは、猫とか好きかい?」
「ねこ?ねこはすきだよ?」
「見たくない?」
「いるの?」
「ああ、おじさんの車の中にね。ちょっと、見てみる?
まだ小さい、赤ちゃん猫なんだ。」
もちろん、猫などいない。
だが、この手で子どもが釣れることが多い、と彼は知っていた。
「みたい!でも、ようちえんからでちゃいけない、って。」
「車が止めてあるのは、幼稚園の駐車場だから大丈夫だよ。」
「ふうん?」
幼女は、何を思ったのか石ころを二つ、この園庭からこの裏庭に通じる境目の方向に抛った。
そのあたりの壁際に生えているタンポポのあたりに蝶がひらひらと飛んでいたので、それを狙ったのかもしれない。
ただ、狙いかなりずれていて、平らな地面を転がった。
それを見て動き出した小さい影があったのだが、彼はそれに気づかなかった。
「じゃあ、みる。みせて?」
「ああ、こっちだ。」
とことこと、だまされた幼女がついてくる。
駐車場との間には、たいした仕切りはない。
ただ、駐車場と外の間には、フェンスがある。
助手席を開けてやる。
「どこ?いないよ?」
車内を覗き込む幼女は、不思議そうに彼に振りむこうとする。
車中に追いこむように、その背後に立ち、背中を軽く押し。
手をのばし、幼女の肩ごしにグローブボックスをあける。
「これ、なに?おにんぎょう?
それに、へんなおどうぐ。」
「いい質問だ。」
グローブボックスには、誘拐の小道具のためのぬいぐるみや人形が2、3点。
それと、例の女の子のミニ・アルバム。
そして、いくつかの道具も忍ばせてある。
たとえば、この子供にも使える、小径の手錠だ。
流れるように女児の片手首に付け、もう片腕を背中にねじり上げて、その手首にも嵌める。
我ながら手慣れてきたな、と彼は思う。
「おじさん、──!」
「黙れ。騒ぐと殺すぞ。」
同じグローブボックスには、刃物も隠してある。
それを示してドスを利かせた声で脅すと、女の子は息を呑み、うなずいた。
怯えた表情が、彼の嗜虐心を刺激する。
前が痛いくらいに怒張するのを、彼は感じた。
「おとなしくしてろ。」
助手席に乗り込ませて、表向きはわからないように後部座席に畳んでおいてあったバスタオルを掛ける。
その上から、シートベルトをかける。
さて、ずらかるか。先に家に行き、重要なものだけ持ちだして、もう飛んでもいい。その方が安全だろうか。
数日は、目くらましに在職しておくか。
しかし。
「たすけてー!」
バカ娘が、声を張り上げた。
威圧されて声は出さないだろう、と油断してしまっていた。ちょうど運転席のドアをあけたのをみすまして、叫びやがった。
雉も鳴かずば撃たれまい、って知らんの?
ゆっくり何度もヤって殺すつもりが、屍姦になっちまうやないか。
あわてて片手を伸ばして、バカ娘ののどをつかみ、ぎゅうっ、と絞めると声が止んだ。
お仕置きだ、一度強くつかんで痛みを与え、脅しのために手を添えたままにしておく。
もう片手でエンジンをかけ、軽自動車のシフトをドライブに入れ、門に向かおうとするが、──
「せんせーい、あれっ、あれーっ!みーちゃんっ!くるまのなか!」
「!」
馬鹿娘の声に呼びよせられたのか。
2人の先生たち。一人は彼と仲が悪い、男の教諭。
それと、園児たち数人が走り出てきている。
先頭を走る男の子と、その横で手を引っ張られてる女性教諭には、助手席の美鷹を見られた!
計画とは違うが、そのまま逃げるべし。
どのみち、日ごろから飛べるように用意はしている。
身元に結びつくようなものは、家には置いてない。カネはどうとでもなる。
そう思い、バカ娘ののどから手を放し、両手でステアを握った時だった。
突然、駐車場内でスピードを上げて走り出そうとしていた車のエンジンが空ぶかしになり、速度が落ちる。
はっとしてシフトをみると、馬鹿娘が片足を上げてシフトレバーをN(ニュートラル)に入れている。
カッとなって、足を払いのけ、D(ドライブ)に戻す。
馬鹿娘ののどをつぶすべく、片手を伸ばす。
「こなくそがっ!」
娘は、器用に体をねじり、彼の手を逃れたようだ。手が空をきった。
彼は、一瞬だけ前方から目を離し、彼女の方をみる。
ひどく冷静な目をして、こちらをみている?
「おじさん。わきみはいけないんだよ。」
またニュートラルに戻したように速度が落ち。
そして、こんどは急にばきっと音がして車が急停止した。
シートベルトをしていない片手運転の彼は、ステアリングホイールに上半身と頭をうちつけ、一瞬、痛みで息ができなくなる。
痛みに身動きできず呻く彼は、視線の先でオートマのシフトレバーがP(パーキング)に入っているのに気づいた。
幼女が器用に、足でボタンを押しながら動かしたようだ。あの鉄火場で?両足で?片足で?
グローブボックスも、開いて物が散乱してる。開けたのか?足で?
いや、それはどうでもいい。
幼女もこの急停止で多少のダメージを受けているはずだが、うまく体をねじってシートベルトに挟まり、衝撃を減らしたようだ。
そこまで、考えていた?まさか?
次の瞬間、彼とはあまり折り合いのよくなかった屈強な男性教諭がカギをかけていなかった運転席のドアを開け、彼を引きずり出す。地面に伏せた姿勢で、腕を背中に上げて取り押さえられた。
ダメージを受けていた彼には、抵抗のしようもなく。
また、手錠を掛けられて泣いている幼女(いつのまにか、年相応に泣いてみせている。たいしたタマだ)。
そして、グローブボックスからはみ出て落ちた刃物や手錠、過去の犠牲者の目を覆わせるような写真。
その状況に、彼はとうてい、説得的な申し開きができず。
手際よく連絡が行っていたのだろう、すぐにやってきた警察によって彼は拘束され、連行されていく。
戦後最悪の、性犯罪者のひとり。
連続幼女誘拐殺人犯、
──────
(美鷹の父、吉祥寺秀鷹視点(当時))
誘拐されかけた彼の愛娘は、そのメンタルの状況が心配されたが。
幸いにも、深刻な悪影響はなさそうだった。
まだ幼く、自分のまきこまれかけた状況が分かっていなかったのかもしれない。
それがわかる年齢になってからが心配ですが、と保護にあたった女性警察官が言っていたな、と父である彼は思う。
驚くべきことに、美鷹を誘拐しようとした職員には、その保持物品から連続殺人の容疑があるとのことだ。
こんなことで発覚しなかったら、おそらく迷宮入りだったであろう、と思われる事件だ。実際に古い2件は、すでに時効にかかっている。また別の1件は、別の容疑者が逮捕されてる。冤罪ということだったのだろう。これから大騒ぎになるのは、確実だ。
誘拐を現行犯で捕まえられたこと。
ロッカーから目を覆わせるような写真や本が発見され、園児たちがそれらを見せられていたことが発覚したこと。
写真のいくつかは、本県及び隣県の連続幼女誘拐殺人事件の被害者だったこと。
それらから、まず有罪は動かないであろうこと。
本人は黙秘していますが、写真の物証がある。死刑か、すくなくとも無期懲役には持ち込みたいところです、と疲労が顔に浮いた検察官から説明されて、彼は少し安心した。お礼参りなど、冗談じゃない。
ただ、さっそく弁護団が組織されているらしい。外見は悪くないし、善良そうというか陽性の人物にみえるためだろうか、冤罪だと信じる女性たちからの苦情電話も多いとか。
数日たち、しばらくの休みのあと、娘が幼稚園にふたたび登園した日。
彼も半休を取って、いつもは妻に任せている幼稚園へのお迎えにやってきた。
園庭で、利発そうな男の子と女の子たちが、何か仲睦まじげに語り合っている。
その中にまじる娘の無事な姿をみると、心が温かいもので満たされる。
やはり彼と同時刻くらいに迎えに来ていた、目鼻立ちの整った背の高いお母さんが、そっと近づいてきて、他に聞こえないように声を潜めて語り掛けてきた。
「ミタカちゃんの、お父さま?
私、カナメの母です。タカムラです。
この度は大変でしたが。でも、無事で良かった!」
関係者としてカナメ君が聴取を受けたので、立ち会っていたカナメ君の母親も事情を知っている。
「ああ、タカムラさん。
無事だったのは、カナメくんのおかげだそうで。」
「いえいえ!──そんな、もっと早く、──」。
先生が、早く駆けつけてくれたのは、このタカムラさんちのご令息の功績だったらしい。
美鷹がいないのに気づいて、先生を巻き込んで捜索モードに入ってくれていたらしく。
美鷹が上げた救いを求める声に、いち早く駆けつけることができたそうだ。
「かわいいお嬢さんですね。
犯人、つかまえられて、本当に良かったです。」
もう一人の関係者、リカちゃんの母もそっと寄ってきた。
リカちゃんは、美鷹の従妹の桜ちゃんとふたりで、あの犯人の悪行を指摘した功績がある。
もしあのロッカーが折よく同時に暴き立てられることがなければ、もしかすると過去の犯罪の方は未発覚に終わったかもしれない。
単に、彼の娘がせがんだので、裏庭で誘拐ごっこのために乗せて車を走らせてあげたのだ、という男のぬけぬけとした嘘が通る可能性もわずかながらあったのだ。
「うちの子、どうもその。
美鷹ちゃんとは、すごく仲がいいんですが。
ただ、美鷹ちゃんのこと。恋敵だと思ってるみたいで、──」
「まあ、なんておませ!かわいか、ねー!──」
「ぜったい勝ち目なかよ、って言ってるのに。でも本人、──」
いつしか、かしましいおしゃべりに移行した母親ふたりの話を聞きながら。
迎えに来た父母たちにまだ気づかず、熱心になにか話し合っている3人の子供たちを彼は眺めた。
なるほど、カナメくんはもしかするとうちの美鷹が好きなのかな。
リカちゃんは、そんなカナメ君が好き。でも、気づいてもらえていない。
一方の美鷹には、その気はまだなさそうだな。なんとなく、リカちゃんを盾につかってることに、カナメくんは気づいているだろうか。
そう、娘たちを眺めながら、彼はほほえましく思っていた。
──────
今回も、成功した。
数日ぶりに登園した幼稚園で、幹部3人で反省会をしながら。
美鷹は、冷静にそう評価する。しかも、期待していた以上の成果だ。
ただ、当初から友好的ではあったが、この事件を機にカナメくんが美鷹に気を惹かれ、まとわりつくようになったのは誤算だったが。
うまく彼のことを好きであるリカちゃんを操って、そちらに関心を向けさせれば済む話だ。
リカちゃんとは力を認めあって均衡状態だったのだが、すこし当たりがきつくなっている。こんどは、恋を応援する友人ロールで、懐にはいって懐柔することにしようか。
学ぶことも、多かった。
お母さんにつきそわれていった、警察署。
おはなしを聞かせてね、と言われて女のおまわりさんらしい人にいろいろと話を聞かれた。その後、疲れた感じのスーツの男の人からも。
その警察署で、「臭いのある人」を、2人みかけた。
1人は、前後をおまわりさんに固められてつれてこられてた、獰猛そうな坊主頭の人。お母さんがすばやく、その人の視線から美鷹を隠した。
たぶん、悪いことをした人だ。
あのさっちゃんにいやらしいことをしてた幼稚園の先生とは、ちょっと違う、もっとこげくさい感じの臭いだったが、やっぱり異様な悪臭。
でも周りの人は、臭いに気づいていない。
生きている人間で、あの手の臭いがする人は、きっと悪い人なんだ。
そう、彼女は思いあたる。
そういう人には、近づいちゃいけない。
ただ、もう1人が問題だ。
そのおまわりさんたちの中に、悪臭をさせている人が1人だけいたのだ。
しかも、結構、偉そうな地位にいるらしい人。
しかも、気づかれてないと思ってるらしいけど、彼女と彼女の母親に視線をとめた。
その一瞬、面白い玩具をみつけてねたましく思い、横取りしようとする悪ガキみたいな表情が浮かんだ。
それが、当時の彼女には気がかりだった。
─────
(199◯年、砦山城枡形跡)
追想は、一瞬のうちにすぎた。
バキバキバキと、枝を踏み折りながら、誰かが降りてきている。急傾斜を、人外の速さで。
彼女が気づいたこの枡形跡の「影」が、ふうっと消滅した気配に、彼女は眉を上げる。
何者かはわからないが、只者でないことはたしかだ。
彼女はそう考え、その何者かを迎えうてるように。
気力をふるいたたせて、立ち上がったのだった。