タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
上履きシューズのラバーの底が、キュッキュッという小気味よい音を立てた。
学校の廊下は、青と白のリノリウム。ところどころ軽く角が剥げてるところもある。
今となっては(というか今、ここに生きてるけど)懐かしさを感じる。
ここらへんは特別教室が続く一帯で、通り過ぎる生徒や教員の姿もまばらだ。
放課後、ESSの部長さんに、部長さんのお父さんのお仕事のことについて聞く約束をしてる。紫藤がお世話になってる吉祥育英会のことについて聞きたいんだ。
事前には伝えられなかったから、今日は父親に聞いてくれるよう、頼むだけになるとは思う。
わざわざ約束をするってほどのことでもなさそうに思えてくるけど。
でも学年も違うし、部長さんは部活を引退してるし、下手をするとなかなか会って話ができないんだ。
この部長さん、僕がドキっとするようなことを言ったりして
「いじり」って、いじめと同じだ、許せない!っていう人は、もちろんいると思う。
いや、僕も冗談わからない人っていうか、どっちかというとそっち側だよ。イジられても、アドリブなんてまるで利かないから切り返せなくて場が白けるし。
だから大学のサークルとかでも、いじられるのは恥ずかしくてイヤだったな。放っておかれて無視されるのも避けたいけどね。
でもね、いい。この部長さんなら許す!
っていうか、もっとやってください。全然OK。
仲のいい親戚のお姉さんみたいな距離感で、年下の美少女(なんでもっと注目されて騒がれないんだろう?)から弄られるんだよ?ご褒美以外のなにものでもない。
部長さんは彼氏はいないらしいし、いたこともないらしい。そこも完璧。みんな見る目ないな*1。性格もいいし、超お買い得物件だと思うんだけど。
あと、
揶揄うといっても、人を馬鹿にしたり、人前で笑いものにしたりするようなことは絶対しないからだと思う。
僕に好意のありげな言動をからめて、心地よく転がしてくれるんだ。時には、ちょっぴりきわどく。
うん、わかってるよ。先輩後輩としての仲は良好だけど、本当にそこまで強い好意があるわけじゃない。じゃれてるだけだ、ってことくらい。
だから、僕も部長さんの好意ありげな言葉を、真に受けることはない。だいたい、僕には紫藤だっているしね。
でもさ、ちょっとどぎまぎして、楽しいんだ。キ○バクラとかラウンジとか、本当はこんな感じだったら楽しいのにな。
僕、職場の飲み会の二次会とかで、上司や先輩にその手の女の子が同伴してくれるところ(スナック?)に引きずり込まれたこともあったけど。
どこがどう楽しいのか、1回目の人生では全然わからなかったよ。煙いし、ウィスキーの水割りも僕は好みじゃないし。話も合わないんだよね。
まあそういうわけで、おそらくは少々鼻の下を伸ばしていたかもしれない僕は。
部長さんとの約束どおり、ワクワクしながら放課後のESSの部室に向かったのだった。
事情を知った、紫藤と調布のジト目に見送られながら。
──────
ESSの部長さんの後任については、おおむねこの部長さん(元部長さんなのかな)が調整してすでに内諾も得ているらしい。部長さんは、仕事も相当できるんだ。
今日は活動日ではないので、待ち合わせをした部室(いわゆるLL教室というやつ。ビデオとか上映できる。ESSではリスニング練習と称して英語字幕の映画とか、みんなで観てたよ)には部長さんの姿だけがあった。
窓にほど近い席の机に、突っ伏している可憐な背中。
窓には、風に揺られる白いカーテン。
白いブラウスの背中に、触れそうで触れない。
なんてことない教室が、名作映画の一カットみたいに思える。
「──部長。お疲れさまっす。」
声をかけると、部長さんが、ううーん、と可愛い声を出して身を起こす。
「志野君?ありがとう、ちょっと疲れててね。
それと。もう『部長』じゃないんだよ?」
──これから、君にとって私は、ただのゆきずりの女。
気安く呼んでくれてもいいんだよ?”おい、美鷹”って。
そう、剛速球を投げてくる。うわー、どう答えればいいんだ。
えー、いや、その。と、へどもどする僕をみて、部長さんは慈愛の笑みを浮かべてる。
「それにしても。志村さんに引き継いで、肩の荷がおりたよ。」
新部長の志村さんは、僕と同学年の理系クラスの子だ。
部長さんは(これからは「先輩は」と呼ぶべきか)、椅子から立ち上がり、近づいてくる。ふー、と重荷をおろした風に肩をポンポン叩いて、グルグル腕を回してみせながら。
ちょっとコミカルな表現が、超可愛い。
だけど僕は、その右腕のひじ上から先の部分(前腕部)にまかれた包帯に目を惹かれた。
教室に入ってきたときから、気がついていたけれど。
腕を吊ってこそいないが、そんなに軽くもなさそう。これは?
「あ、これ?すこし無理して、痛めちゃった。」
ほら、もう歳だからね。と、部長さんは年上自虐マウントをしてくる。
実際には部長さんは年の離れた兄妹の妹だからか、姉という立場に憧れがあるらしく。
折にふれ、すかさず僕を弟扱いして、お姉さんぶってくるんだよね。
普通の人より、わずかに近い対人距離。白い頬に、薄く血の色が透ける。
「で、何を聞きたいんだっけ。私の父の、仕事のこと?」
「はい。」
「それだけ?」
「はい?」
「もちろん、それだけじゃないよね?
──夏の、放課後の教室。波打つ、白いカーテン」
折からの風が、白いカーテンをふわあっと巻き上げる。おそらくきっちりと校則どおりの丈の、部長さんのスカートも。
日光を浴びて揺れるカーテンを楽しそうに見やりながら、部長さんは続ける。
「呼び出した男。呼び出された女。
密室での数時間。──何も起きないはずがなく*2。」
「違いますって!」
ふふふふ、って笑うきれいな口の形も、完璧。
あー、ちなみに密室じゃないよ、ドアは開けたまま。でないと暑いからね。
特別教室のある一帯だけど、他の部活もあるから、人の通行も、ないわけじゃない。
「あーあ、違うんだ。残念。
そうだ。良かったら。学校の外で話さない?」
「外で?」
「志野君、忙しいかな。『できたら』で、いいけど。
──いい?」
「もちろんっす」
いや、もちろんいいんだけどさ。その、人目が。
部長さん、前も言ったように距離が近い。並んで歩いたりするとき、ときには寄り添うように、肩がつくくらいに。
いうまでもなく白百合を思わせる華のある美少女である、そんな部長さんが親しげに僕と並んで校内を歩くと。
──すごく視線を感じる。
驚愕の視線、好奇の視線、嫉妬の視線。
「みっちー!彼氏ー!?」
日焼けして活発そうな、部長さんのクラスメイトらしい子とその仲間たちが声をかけてくる。
仲間たちの驚愕の視線は、──僕みたいな地味男がそばにいるからかな。
「惜しい!違うよ!
そう、楽しそうに、絶妙に切り返す先輩。
それに対して上がった、相手やその仲間たちからの黄色い声や、うまくやんなよー、とかの言葉。
きっと、彼女たちとの仲も良好なのだろう。
まあ先輩は、同性にも人気があるタイプだしな。
ただ。
その後ろのガタイのいい、体育会風の爽やかな男子生徒からは、なんだか信じられないものをみる視線をもらった。この人も、先輩のクラスメイトなんだろうか。
その視線に気づいた先輩が、タカムラ君、またね!と呼び掛けて手を振ると、顔を赤くして手を振り返してたが、始終僕に対する視線がちょっとマジな感じで怖かったっす。仮想敵を見る感じの、据わった目。
階下まで降りると、僕の顔を覗き込むように部長さんが問いかけてきた。
「志野君は、バス?自転車?それとも歩き?」
「今日は、自転車です。」
「じゃあ、自転車置き場行こうか?私は歩き。」
自転車を出すと、右腕を傷めているらしい先輩の荷物も、一緒に乗せてあげる(僕の自転車はこの時代にありきたりなスポーツバイクだけど、後ろの荷台以外に前にもカゴをつけてる)。
自転車は、押していこう。
並んで木漏れ日の下を歩きながら、先輩のお父さんの仕事について、ぽつぽつ聞いてみる。
「私の父、窓際管理職だと思う。
あまり重要な仕事なんて、してないよ?」
その割には忙しそうだけどね、と言って笑う。
この部長さんの母親が吉祥グループの創業者一族出身で、婿入りしたという縁でそれなりに良い待遇で勤務しているとのこと。
「人事だから、採用は関係してると思う。
5、6月あたりは帰りがかなり遅いし、ときどき面接した子の話を母としてるよ?
でも、志野君は進学でしょう?」
「はい。採用じゃなくて、奨学生とかの関係を、──」
横断歩道を渡ると、ちょっと広めの公園。
僕の家の方面へのバスも、この公園横のバス停に停まるからなじみがある。
まだ幼稚園か保育園くらいの年齢層の子どもたちが、母親たちに見守られながら鳩を追いかけている。
ここでもいいけど、どうせなら川の方に行かない?と先輩は言う。もちろんOK。
先輩も、そこまで父親の仕事を詳しく知っているわけではないらしい。
ただ研修企画とかの人材育成関係が主担当で、奨学生関係の事務も行っている、という。
その奨学生の話。詳しく。友達がこんど、選ばれたみたいで。
「そうそう。
たしかお父さんの会社のグループ、谷津崎グループとも関係が深くて、奨学生の寮を共同管理とかもしてるみたい。
業務提携っていうのかな。事務も一部、受託してると思う。」
そういう、ちょっと気になる言葉が出たのは、川べりの親水公園についた頃だった。学校から離れてリラックスしてきたのか、「お父さん」みたいに、言葉遣いももすこし砕けてきてる。
親水公園と言っても、この当時はほとんど整備されてない、ただの河川敷だ。
土手を上がったところに、ところどころ開けたスペースがあって、公衆トイレがある程度。
誘われて、土手上の踏み分け道(遊歩道っていえるほど、整備されてない)沿いに、自転車を押しながら歩く。
ゴミとかも結構転がってて、あまりきれいとは言えないけど、部長さんは楽しそうだ。
河川敷や公園には、ときどき不良どもが群れてたりすることもあるから、僕としては警戒してた。
でも今のところは小学生くらいの子供たち程度しかいない。
子供たちは、石ころを川に投げ込んだりして遊んでる。
すくい網で魚を捕まえようとしてる子たちも、いるな。
「お友だち、奨学生なんだ?」
「はい。吉祥グループの特別奨学生です。『紫藤みなり』って言います」
「特別奨学生の、シドウさん。
──なんか最近、見たか聞いたか、した気がする。」
眉を寄せて考えている真剣な顔。すごく綺麗だ。
顔や外見の良しあしは、性格や内面の美しさを保障するものじゃない、ってのは知ってるけれど。
「──ごめんね、はっきり思い出したら、また言うね。
メモか何かで『シドウ』ってカタカナ書きを見たかも。
『指導』って意味だと思ったけど、シドウさんって、人の名前のことだったのかも。
奨学生の待遇ってどんな感じか、ってのも聞いとこうか?
条件が合えば、志野君も応募してみてもいいかもね。」
是非お願いします、と僕は言った。
でも先輩の言葉からすると、吉祥グループの奨学生ってことみたいだな。心配ないか。
「そうそう、志野君、同じ学年に私のいとこがいる、って知ってる?
──その子、すごいんだ。記憶力が、すごくいいの。目にしたものを写真みたいに覚えていられるの。
お父さんの書斎に、一緒に入ったときに、特別奨学生の書類かメモかをチラッと見た覚えがある。
そのメモ、今ではないかもしれないから、その子に聞いて確かめてみてもいい。
もちろん私も、帰ってからお父さんに聞いてみるけど。
個人のプライバシーだから話せない、とか言って教えてくれないかも。
そう、先輩が言う。だから従妹にも聞いた方がいい、とも。
中河原さんというのは、美術部の、なんとなく僕と同類で親近感を抱くけど空気読めない発言で僕を困らせた子だ。そういえば、あの子も地味に装ってるけど実は顔が良いんだよね。
あー、あの文化祭のときの落とし前(?)のこともあるし。
一度、話してみようかな。と、僕は思った。
──────
「それで志野君。何か、言うことはないのかなー。」
僕と先輩は、土手(堤防)の天端の胸壁(膝くらいの高さの、塀みたいなやつね)の名残りと思われるコンクリートの構造物に腰掛けて休んでいた。(自転車は、鞄を積んだままその横に停めていた)。
そして先輩は、ちょっといたずらっぽい目をして、僕に顔を近づけて問いかけてきた。
痛々しく包帯がまかれた右腕はだらっと下げられてるけど、左手でちょんとシャツのすそ付近を摘まれる。
顔がいい人は、恐れげもなく顔を近づけられていいっすね。
僕、至近距離からじかじか見られると「肌汚いなー」とか「鼻毛出てる」とか思われそうで、とてもそんな距離ゼロにできないっすよ。
先輩はその点、完璧っす。しみも面皰も見当たらない。
というか恥ずかしくて、まじまじと見ることなんてできないんだけど。
「ありがとうございます?」
「ふふふ、どういたしまして?」
でもまだ、何か期待するような目でこっちを見つめ続けてる。
「志野君。これはデートなんでしょう?」
「デート、なんですか?」
いや、たしかに約束したときに、そう言われたし。
はた目から見ると、たしかにそういう感じかもしれない。
高校生がふたり並んで歩いて、寄り添うように座って、──。
「そうだよ。デート。
志野君は、いつも、デートのときはどうしてるのかな。
たとえば、彼女さんとお出かけするときは?」
「そうですね、──」
考えてみる。
紫藤とも調布とも、デートらしいデートってしたことない、と思い当たる。特に調布。
紫藤とも、ときどきお茶を飲んだり、服をみたり、病院に紫藤母のお見舞いに一緒に行ったりする程度。
こんど美術館に行こうよっていうのが、唯一まともなデート企画かな。これも紫藤発案なのが恥ずかしい。
──歩いたりとかしか、してません。
ときどき喫茶店に入ってお茶を飲んだり、駅ビルで服とか見たりしますけれど。
それ以外にお洒落なこととかは、何も。
しかたがないので、そう白状した。
ふうん、と言っていたずらっぽい笑みを浮かべた部長さんの顔に、何か罠に嵌ったのを察知。
「そうなんだ、志野君。
デート、いっぱいしたことあるんだね?」
経験豊富なんだね、志野君。すごい!
私、モテないからさ。これまで、男の子とデートしたことなんて、ないんだ。
これから受験戦争の暗い日々を過ごす哀れな先輩に、思い出をくれないかな?
近くには、お店もなにもないけど。
あそこの自動販売機で冷たいものでも買って、二人で飲もうか?
それくらいなら、いいよね?
そう、部長さんは楽しそうに誘ってくる。
「二人で飲もう」って。まさか。
「それと。──キスとか、したりする?」
うわっ。踏み込んできた。
キスって、──先輩と僕が、って話じゃないよね?紫藤と僕がしてるのか、って話だよね?
大丈夫、期末試験の成績、国語は偏差値60に到達したんだ。こんな簡単な文脈を読み間違えるわけがない。
きらきらした期待する目で、先輩は返事を待ってる。
「えーと、はい、します。」
「ええっ!?志野君って、意外に
上気する先輩の頬、さまよう瞳。胸のあたりを、両手で押えてる。
「あー、する?したい?しようか?
でも私、はじめてなんだけど──」
でも、はじめてはいつか経験するんだ。大丈夫大丈夫、と言ってる。
あれっ。
いつのまにか僕と先輩がキスする話にされてる?まずいまずいまずい!
焦る僕をおいて、先輩は。
歯をちゃんとみがいたよね私、大丈夫だよね、などと、こんどは額から目のあたりを手で隠しながら呟いてる。
顔を抑えた手の下からみえる、頬が赤い。いつも柳に風といった感じでおだやかで余裕ありげな先輩が、動揺している気配。
早く、「違うんです」って、言わなきゃ。罪悪感で胸が押しつぶされそう。心臓が痛い。
「あの、先ぱ「ごめん、聞いていい?」」
被っちゃった。どうしようと焦る僕をよそに、先輩は続ける。
──あの文化祭のときに、みたよ。志野君のつきあってるかわいい子と、背の高い美人さん。
あの小さくてかわいい子の方が、さっき言ってた特別奨学生のお友達の、紫藤みなりさんなんでしょう?
「はいっ。でも、──」
──そうなんだ!
その子と、キスしてるんだ。
あの、背の高い美人さん、調布さんだっけ。
──あの子とも?
「はい。ただ、さっきの、──」
──すごい!両方!?
もしかすると。その先、「C」とかまで?
「いや、それはまだですっ!あのふたりにはっ」
──ふー、そうだよね。
さすがにまだ高校生だし、ね?
でも、キスはしちゃってるんだ、ふたりも。しかもCまでの子がほかに!?なに、寸前?
ロミオくんって、やっぱり大人だよ!
知ってる人がそんなに
そうそう、それでさ。
もし私が、志野君と、──
先輩もいつもの余裕がないせいか。僕が先輩の思い違いを訂正しようとしても、話が行き違ってしまう。
そして先輩は何かそれに関連することを言いかけて、ふと声を途切らせた。
何か気になる音でも聞こえたように、あたりを見回す。
僕もそんな先輩の様子に、何があったんだろう、とひとまず周りに視線を飛ばした。
別に変ったものは、あたりには見当たらない、聞こえない。
街に近いあたりには、それなりに人がいるけれど。
僕たちが川にきたあたりは住宅街に入ったあたりだし、さらにそこから1キロくらい上流に歩いてきた。
ここらへんまでくると、人は少ない。眼下の河川敷には、僕の身長を超す葦が茂ってる。
土手の道路の横の自販機のあたりに、無人の自動車が止めてある。ちょっと小洒落た、センスのいい外車。
先輩はそれをちらっとみて、河川敷の方に目を転じたので、僕もそちらに目を向けた。
2、30メートルほど先。皮をむいたゆで卵みたいな美肌の色白の肌の青年が、小学生くらいの女の子を連れて、下の河川敷から土手を上がってきてる。
青年は大学生かな、社会人だとしてもまだ20代だと思う。若い。
女の子は、4、5年生くらいじゃないかな。
女の子は、特にすごくきれいとかいう感じでもなく、日焼けしてて、顔立ちも素朴。
泥遊びしてたのか、葦原に分け入ってたのか、白いTシャツが埃に汚れてる。
年齢の離れた兄が妹を迎えにきた、という感じだけど──。
突然手を握られて、僕はぎょっとして先輩を見た。
でも先輩は僕ではなく、じっとその2人を見つめてる。呼吸が速くなってる。
「あれ、止めないと。」
「えっ?」
「志野君、ごめんね。──合わせて!」
そう言うと、突然先輩は座っていた胸壁から、立ち上がり。
「ごめーん、遅くなっちゃった!」
そう呼びかけながら、二人の方に駆け出した。僕も、後を追う。
二人はもうほとんど土手上まで上がってきてた。青年が、ぎょっとしたようにこっちを見る。
青年は顔だちも整ってて背も高い。美青年と言っていいだろう。
「サナエちゃん、遅くなってごめんね?
そして、ありがとうございます!」
「おねえちゃん、わたし、──」
小学生の子は、何か疑問いっぱいのようで、問いを発しようとするが。
先輩が軽くしゃがみこんでその子と目線をあわせて、にこっとすると。
ぽかんとして、じいっと先輩の完璧な顔にみとれて絶句しまった。すごい。
「いままで面倒みてくださってたんですよね。ごめんなさい!
なにかご迷惑とか、おかけしてしまいました?」
先輩はこの小学生の子の姉か保護者役を演じて、青年に話しかける。子供の名前は、どこで分かったんだろう?
女の子が何も言わないのは、顔見知りだからかな。いや違うな、先輩に見とれてる。知人ではない?
「あ、いや。そんなことはないけれど。
君、この子のお姉さん?」
「いえ、頼まれてて。」
そうだよな。青年の問いは、当然の疑問だ。
別に不細工ではないし素朴でかわいいけれど、この子は日焼けか地黒かの日本人顔。先輩の色白美少女顔とは、血族関係なんてなさそう。
頼まれた、ってのももちろんちょっと苦しい言い訳だ、青年も半信半疑といったところ。
それにしても、顔見知りでもない子に対してこの挙に及ぶとは、──先輩、そんなにお姉さんプレイがしたかったのかな?
「君は、──」
「ほら、カズお兄ちゃん*3もいるから。帰ろうか?」
先輩は美青年に相対しながら、女の子の肩を軽く抑え、僕の方にすうっと押しだす。
ここらへんがカリスマなんだろう。女の子は、素直に促されるままに僕の方に来た。
「本当に、ありがとうございました!それでは失礼します。」
青年も、先輩に魅了されたように見とれてて。
先輩の声にはっとして、──名前を聞こうとしたのかな?先輩を呼び止めようとしたが。
ごめんなさーい、約束があって!と、先輩は一方的にさよならを告げて。
僕と女の子に、それじゃ、行こう!と言ってずんずんとその場を離れた。
──青年の目が、まだ。
僕たち、特に先輩の背に突き刺さってるのを感じる。
「志野君、ごめんね。このまま離れよう。」
腕を痛めたからだろう、今日の先輩は指定の学生カバンを持ってきているが、持ちにくそうだったので、僕の自転車のかごに入れたままだ。離れるのは容易。
無事な方の手を女の子とつなぎながら、その場を離れるとき、先輩はまたぺこり、と後ろの青年の方を向いてお辞儀した。
僕も、自転車を押して並んで歩きながら一瞬、振り向く。青年は追ってはこない、土手下の自販機に向けて歩きだしたようだ。
土手と土手沿いの道路には高低差があるので、道路と土手上との間をつなぐスロープのあるところまで行かないと降りられない(担いで降りることもできるけどさ、でも2人分の鞄もあるし)。
だから、最寄りのスロープを目指す。
背後で、エンジン始動音。あの自販機横の車に、青年が乗り込んだのだろう。
「ねえ、お姉ちゃんら、誰?お
うちの名前、サナエちがう、サキエ。ほかの子と、間違えとらん?」
「あー、ごめんね。大丈夫なの。すぐ、訳を教えるね。
志野君、ちょっとだけいい?送っていきたいの。」
いや、それはいいけれど。
推測だが、だいたい状況は分かってきた。
「あのお兄ちゃんは、知り合い?」
「ううん。遊んでたら、声かけてきて、飴くれた。」
「それで、一緒行こう、って言われた?」
「うん。海行きたいか、って言われて。
行きたい、言うたら、乗せてってくれるって。」
事案だ、とまでは即断できない。本当に好意で、載せていってくれようとしたのかもしれない。
ただ、不自然だ。あの青年、女の子とはお互い初対面で名前も知らない、教えてもいない。
──あまりいい感じがしない。
「そうね。大人の人もいろいろだから。
それは親切なのかもしれないけど、もしかするとよくない人もいるかもしれない。」
「ゆうかい犯、とか!?」
「そう、たとえば、ね?
知らないか、いつもは会わないような男の人から何かもらったり、ついて行ったりするのは、やめた方がいいよ。」
──どうしていいかわからないときは、近くにいるおばさんとかでもいい、声かけてみせたらいい。
親がすぐ近くにいるから聞いてくる、とか言って離れてもいい。
待たずにすぐ連れて行かれそうになったら、逃げていい。車の方向とは、逆に。
先輩が立ち止まり、またしゃがみこんで、女の子の目に自分の目の高さをあわせて、そう諭してる。
女の子も、素直にコクコクうなずいてる。
「今日はもうお外はやめて、帰った方がいいよ。
家に帰って、お母さんに今日のこと、必ず言っておいてね。先生かお巡りさんに伝えてもらうといい。」
──さっきの男の人の車のナンバー、覚えたから。
これ、もし聞かれたら渡すといいよ。
そう言って、先輩は僕を止め。
前カゴの鞄から何か取り出そうとしたが、怪我してる手つきの危うさをみて、僕は自分の鞄からルーズリーフのノート1葉とシャープペンシルを取り出して、口述筆記をしてあげた。
「お姉ちゃんらは?」
「私、美鷹。もし連絡する必要があれば、ここにして?
会社につながるけど、『秀鷹をお願いします』って言えば、私のお父さんにつながるから。」
そしてまた1行、僕は言われるがままに電話番号を書き足した。
彼女が口述した連絡先は、先輩の父親の勤め先のものらしい。従姉妹ほどじゃないのだろうが、先輩もなかなか記憶力がいい。
思惑があって、僕はその連絡先を記憶に刻み付けた。
「家は、近い?」
「うん、すぐそこ。」
「じゃあ、近くまで送っていくよ。お母さん、家にいるかな。お母さんかお父さんか、言うんだよ?」
「うん。鍵あるし、お母も、もう帰っとるかも。」
パートか何かに勤めてるらしい母は、普通の母親らしい。多分、言えばわかるだろう。
あたりさわりのない話をしながら、住宅街を歩く。
僕はさりげなく周りに目をやり、さっきの青年のことを警戒してたけど、杞憂のようだ。彼も彼の車も見かけない。
3階建ての古い青灰色の鉄骨アパートの前で、女の子は立ち止まる。
「ここ。チャリあるけ、お母も帰っとうよ。」
「じゃあ、大丈夫だね。ちゃんと、言ってね?」
「うん、バイバイ。」
「じゃあね。」
たたたと階段を昇っていき、鉄のドアを開けた女の子の「ただいま」という声、応えの声、ガチャンと閉まる音を聞いて、僕らは踵を返す。
「志野君、ありがとう。そしてごめんね。
でも、みてられなかったんだ。」
それにしても、よく気づいたな、先輩。
まあ事案だったのかどうかは分からないが、僕はお手柄だと思う。
「志野君も、途中から気付いたでしょう?」
まあ、言われてみるとどこか違和感のある組合せだった。
清潔感溢れる、お金に困ってなさそうな青年と、ちょっとくたびれた服装の女の子。
不釣り合いなんだ。先輩でなくても、誰か気づいたことだろう。
ただ、あの場には僕らの他には見ていた人もいなかった。もし先輩が気づかなかったら、そのまま連れていかれてた可能性は高い。
まあ、あの青年が、実は善意の人という可能性もわずかにあるが。
そう思った僕の心を、読み取ったかのように。
「あの男の人、よくない人だよ。」
人のことを悪く言ったことがない先輩が、確信をこめてそう言ったので僕は少し驚いた。
それに気づいたのか、先輩がうすく笑った。
「確かに、証拠はないんだけどね。」
そう言った先輩は、一瞬、妙に冴え冴えとした冷気を帯びているように、僕には思えた。
しかし次の瞬間、ふう、とため息をつき、困ったように笑った先輩は、いつもの先輩だった。
「それで。どこに向かってるんですか?」
「もう少しだけ、いいかな。志野君と行ってみたいところがあるんだ。
この道を、まっすぐ行った先。」
まだ日は高いし、了承する。
いつのまにか橋を渡り、僕たちはテクテクと広い国道沿いを市街地の方に歩く。
途中で先輩は、ここって家のそばなんだ、見られたらきっと付き合ってるって思われるよね。と嬉しそうに言う。いいのかな。
少し蒸し暑い、昼下がり。白っぽい路面から、太陽に熱された路面の輻射熱が跳ね返ってくる。
先輩は、刺繍付きの白いハンカチで額を抑えながら。
裏道の方が影があって涼しいかもね、そっちを伝って行こうか、と言って、僕もうなずいた。
──────
それから、二十分ほども歩いただろうか。
先輩と僕は、アステロイドプラザという、多賀島の市街中心部からは少し外れた盛り場にやってきていた。
あまり治安のいい一帯ではない。僕が以前、紫藤父と密会した調布を鞭で責めたホテルも、この近くにある。
だから飲食店とかだけじゃなく、いかがわしい店やホテルの原色の看板もあったりするんだが、──。
その一角。一階が古びた、かき氷の旗を出してる名曲喫茶店になってる建物の、2階に上がる外階段に立ち並ぶ人々の列に、僕と先輩が並んでいた。
ここによくあたる占い師がいる、と先輩は聞いたらしい。占い師?
──いや、僕の趣味では断じてない。占いやおみくじなんて、全然、信じてないし。
先輩も信じてはいないそうだけど、気になるから、と言って強く誘われたんだ。
まあ、治安も悪いし、父親とかとくる場所でもない。何より、まあ先輩が可愛いし。潤んだ目で懇願されると、ほら。
並んでるのは、──まあ、大学生くらいの女の子が多いけど、カップルもいたりする。ところどころ、くたびれた作業着の壮年の男とか、バーのママさんみたいな人とか。列は、かなり長い。
──こんなにたくさんだと、すごく時間かかるんじゃないか。1人20分だとしても、数時間?
そう思ったが、並んで10分もしないうちに、列が動き始めた。
先頭近くに並んでいたであろう男女が、つぎつぎに降りてくる。狭い階段を、すれ違う。
「観る人を、選んでる?」
どうやら定期的に、その時点で並んでる人を観相して選んでるらしい。
暴動とか起きないのかな。並びに並んで、そのうえでダメって断られたりしたら。
しかし、選ばれなかった人々は、意外にも従順に降りてきてる。たしかに残念そうな人もいるが、思いに沈んでる風の人が多い。中には、意外にも明るい顔のカップルや、笑いさざめいてる女子大生3人組も。
階段を上り、自分たちの番になって。
その理由の一端が、分かった気がした。