タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
調布さんは、中々端倪すべからざる人物です。書いてて楽しいです。
志野視点(一部、第三者視点)です。
一時的ながら微鬱展開です。軽めに(?)とどめたつもりですが、この後の数話入った後、まとめて読んでもいいかもしれません。
「強い人」として、僕は秋月さんを知ってる。ただ、本当はどのくらい強いのか、知らない。
僕は本格的に武道をやったことはないし、喧嘩が強いわけでもない。「1回目」のときには、物理的な殴り合いの喧嘩なんて高校生以降はほとんどしたことなかったし。
素の僕は、まあ平均的な一般人。少し背が高いし、2回目はちょっと頑張ってるから平均より少しだけ体力があるかもしれない。でも普通の状態なら、そこらへんを歩いてる、腕に自信のあるヤンキーどもにも勝てないと思う(ただ変な集中力があるせいで、初見殺しでは勝てる。その程度だ)。
だから僕にとっては、その手の強者を見分ける感覚など、特に鋭いわけでもない。
ただ、素人の僕が一見しても、そこにいた男は強者感があった。
背がそこまで高いわけじゃない。僕と同じか、むしろ少し低い程度。
体重は、僕よりありそう。フード付きのマントから覗く腕には、力強い筋肉。そこに刻まれた古傷もあわせて、とても堅気とは思えない。
動きも、虎のように柔らかいのに不穏なものがある。
時代錯誤な灰色のフードを被り、顔の下半分も同色の布で隠したその男は、占い師の護衛(ヒモ?)なのだと思う。
占い師に並ぶ列が消化されたため、階段を上がったら、部屋の入口に、その護衛がいた。
この護衛は客たちを数人ずつ分けて、空けている入り口からうすぐらい室内に客を招じ入れる。
床は板ばりなのだが、構わず、土足で上がらされる。
客たちもこの男の漂わせる、只者でない雰囲気に気づいてる。
数人の客たちとともに、部屋に足を踏み入れた僕と先輩は、顔を見合わせる。ちょっと不安そうな先輩の顔。
1間ほどの廊下ともいえないスペースを通って入った、8畳くらいの薄暗い部屋。
足元は、板の間。部屋の一方は、垂れ布で隠されてる(もう一部屋、ありそうな感じだ)。部屋のドアの対面側の一面は閉じられたふすまがあり、こちらも奥に1室あるのか、あるいは押し入れか。
この板張りのスペースには、飲食店にありそうな大きめのテーブル。
テーブルの3辺に、椅子が数脚(長い辺1つに3、4つ、短い辺2つにそれぞれ1つ)
どの椅子ももらってきたか拾ってきたかしたのだろうか、種類が統一されてなくてちぐはぐだ。
僕たちは、そこに座らされた。
テーブルの残り1辺(長い辺)には、椅子が一つだけ。
そこに座る、やはり目だけを出したフードつきマントをかぶった女と思しき姿。
この女占い師の強い生命力を感じさせる、エキゾチックな切れ長の目が、座った一団をかるく撫でた。
視線を投げかけられたときに、何かぞくっとした感覚を覚えたのは、僕だけじゃないようだ。ななめ向かいの女子大生っぽい女の子2人組が、泣きそうな顔で顔を見合わせた。
これだけは占い師風といえばいいのか、カーテンは閉められて薄暗くなっている。フードのせいもあって、護衛の男も、女の風貌も、その目元以外は全くわからない。
ごくり、と誰かが唾をのむのが聞こえた。
「あなた。」
占い師は、中央近くに座っていた、OLさんみたいな感じの人に視線を投げて、唐突に言葉を発した。
「あなたの母は、病む。
あなたと、あなたの母は、行く、病院。すぐ。そして、あなたの母は、治る。
「!」
耳に心地よい、澄んだ声。
文法がやや変だが、発音はしっかりしていて、日本人と変わらない。
突然、これらの言葉を投げかけられたOLさんは、驚愕しながら、思い当たることでもあるのか聞き入っている様子。
「あなたの母の体の右は、もつ、これ、今。」
さらに女は、両手で何か小さいものが膨らむ様子をしてみせる。
「早く。」
占い師は、出口を指さす。護衛の男がやってきて、OLさんは外に案内されていく。
出口近くで、何か出捐を求められているようだ。助言をもらったら払うというシステムなのだろうか。
まだそのOLさんが部屋の外に出きらないうちに、占い師の女は、彼女から見て左端の客に目を据える。
「あなた。」
額にしわの刻まれた中年男。スーツが少し緩い。
かつては恰幅が良かったのだが、その後、体が痩せたのかもしれない。
ふてくされたように、男は女を見返したが。
「あなたは、迷う、その仕事、今。その人は、頼む、仕事、あなた、かつて。その人は、悪い。あなたは、失う、すべて、
「──どうすれば、いいっていうんだ。」
男は、女の言葉を聞いて。
一度、俯いたあと、顔を上げてそういう。これも覚えがあるのだろう。
うすくらがりの中だが、横の客に比べてもこの男のむくんだ顔は血色が悪く、覇気がない。
女は一度、目を閉じた。そして目を見開く。
男を射抜くような、強烈な視線が数秒間、注がれ。
男が、びくっとして、丸めていた背を伸ばした。
「あなたは、売る。あなたの店、家。
人が来る、近い
男が、はっと息を呑んだのが分かった。
「あなたの店、家は、安い。あなたは、不満。しかし、あなたと、あなたの家族は、安全、後に。」
男はまた、こくこくとうなずく。目に、畏怖の色が浮かんでいた。
出るように指示されて席を立った男は、途中で女の方に振り向いて何か言いかけたが、護衛に阻まれ、護送されて出ていく。
「あなた。」
僕たちをとばして、次の女子大生らしい2人組に先に声が掛けられる。
心配ない今は、とだけと言われて、それだけで手を振られて、戸惑うような礼を言いながら、訳のわからないプレッシャーから解放された喜色を浮かべて出て行った。
女と護衛の男は一瞬、視線をかわし、出捐を特に求めず、男はこの2人組を外へ送り出す。
ここまで、わずか1、2分もないくらい。
そして、飛ばされた僕たちに、女の視線が突き刺さる。僕は、何かを背中のあたりから引きずり出されるような悪寒を感じた。
先輩に視線が移る。先輩は部屋に入ってから一言も言葉を発していないが、女の視線を受けて、身を震わせた。
女は、フードの下で眉をひそめた。
「あなたたち、後に。」
ひらひらと手を振られる。
僕たちは、意外に丁寧な男の身振りでの誘導に従い、布の仕切りで画されたスペースの(予想のとおり、流しがあった)陰にある椅子に移る。
そこから2、30人くらいが、流れ作業のようにさばかれていく模様を、僕と部長さんは聞いていた(布の仕切りのせいで、見えない)。部長さんは、何か気落ちしたような、不安そうな面持ち。
それでも、同じく宙ぶらりん状態の僕と顔を合わせると、おずおずとほほ笑む。もういいです、って逃げ出したい気持ちなのかも。僕もそうだ。
さばかれていくお客さんの半分くらいは、問題ない、とか、心配ない、とか言われるだけ。
残りは、一言、二言だけだが何か意味のある助言をもらってる。その場合は、何か謝礼をもらうらしい(チャリン、という音からすると、硬貨程度でいいらしい)。
女の声はその場の客には丸聞こえ。プライバシーとかおよそ気にしていない様子。
ただ客たちも、特に問題にしないのは、単にこの時代がおおらかだから、というだけでなく。
たいていは「心配ない」だからということもあるし、意味のあることを言われた客は、たいてい何か思い当たることがあるのか、それどころでない状態で蹌踉と出ていくから。
そして何より、女が何一つ客たちからは情報を求めようとせず、一方的に言いたいことを宣告してるだけだからなんだと思う。
客たちは、おおむね納得してるみたいだ。というより、何か得体のしれないものから逃れたい、という感じだろうか。
一人、あなたは既に観た。もう観ない、とだけ言われて追い出されたチンピラ風のしゃべり方をする男の客がいちゃもんを付けようとしていたが。
護衛の男が何かをしたのか、急におとなしくなり、外に送り出されていたようだった。
どうやらこの占い師は、「一見さんお断り」の逆らしい。人ごとに1回しか観ないらしい。
「すぎる。止める。」
間仕切りのむこうで女がそういうのが聞こえた。男は、いったん客たちの流れを止めたようだ。
ドアが閉められる。
男の顔がのぞき、僕らは、手真似で出てくるようつたえられる。
一体僕たちは、何をされるんだろう?
再びテーブルの席に案内された僕と先輩は並んでこわごわと座った。扉は閉められていて、客は僕たちだけ。
テーブルにはフェルト状の布が敷かれ、そこに球状のガラス(あるいは、水晶だろうか)が置かれていた。
男は、つつましく壁際に下がっている。
「私は、読めない、あなたのさだめ、後に。」
まず、女は僕に目を据えて、そう言った。僕は内心で、顎を落とした。
まじかよ。これだけ待たされて(と言っても、並び始めてから、30分ちょっとくらいしか待ってないかな?)、あんまりだ。
しかし。
「あなたは、見る、"塔"。見る、神々の宴。見る、※※※※※※※。かつて。」
※のところは、聞き取れなかった。
女は、あっけにとられた僕を置いて、続ける。
いつのまにか、女の目は、水晶球にひたと据えられていた。
不思議なことに、水晶球はおのずから光を発しはじめていた。
「※※※は、知らない。※※※は、織らない。※※※は、切る、かつて、あなたの糸。
あなたは、染める者。
あなたは、知る、※※※※※の乙女。あなたは変える、乙女の模様。」
熱のこもった声。
いや、女の目は、あのほかの客たちを占っていたときの鋭い目ではなく。
水晶球に向けられているが、水晶球をちゃんと見ていないかのように、ぼんやりとしていた。
何らかの、トランス状態だ。そう、僕は感じた。
水晶球の光が、脈打つように定期的に、強弱の光を発しはじめた。
「
瞬間、水晶球の光が一瞬だけ爆発的に眩しく強まり、そして光を喪った。
女が、のけぞった。女が目を閉じ、苦痛に顔を歪めながら、がくがくと肩を震わせるのを、僕は見た。
護衛の男が、慌てたように女の肩を持ち、ゆさぶる。
幸いなことに、女は持ち直した。ひどく汗をかき、大きく息をついている。
男がかいがいしく、水差しから素朴な木のコップに移した水を飲ませた。
僕はまた、先輩と目を見かわした。
先輩の目に、不安、恐怖が渦巻いているのがわかる。
先輩が、僕の腕(ひじ上のあたり)を、自分の無事な方の手(左手)で、軽く腕を組むように握ってきて驚いた。僕は、僕の腕をつかむそのやわらかい手の上に、自分のもう一方の手を重ねた。
「あなた。」
「はい。」
男の介抱を受けた女占い師(というより、彼女は巫女に近いものだろう、と僕は感じ始めていた)は、しばし、心配げな雰囲気をただよわせる男とささやきかわしたが、問題ない、というように男の腕を軽く叩き。
まだ少し息が荒いながら(この女は「本物」なんだろう。客たちには、何か覚えがあったみたいだし、と僕はぼんやり考えていた)、今度は先輩に目を据えてきた。
僕の腕をつかむ先輩の手に、力が入るのを僕は感じた。
「わたしは、できない、伝える、あなた。」
女は、水晶球に目を据えていた。
水晶球は、光を発しない。ただ歪んだ像を映すだけだ。
「あなたの目は、見る。あなたは、知る。」
女が身を乗り出し、手を上に向けて延ばしてきた。
先輩は意を汲み取ったのか、僕の腕を放し。
痛めていると言っていた腕とともに、両手を女にゆだねた。
女は、先輩の両手を水晶球に導き、手のひらで挟むようにさせた。
そしてその上から、自分もつつみこむように手を重ねた。
「あなたの、さだめ。」
何かを女はその後につぶやいたが、僕には聞こえなかった。
水晶球が、光を発し始める。光が波打つ。そして、光が強まる。
僕は、先輩の顔を横からみた。
先輩は、なにか眩しいものを見せられているように、目をそらしたいかのように、しかしそれができないように、眉を寄せ、苦痛を覚えているような表情をうかべ、水晶球に目を注いでいる。
光が、脈打つ。
「い、いやっ」
先輩が、声を上げた。
強弱の光を不定期に発する水晶に目を転じていた僕は、その声に先輩を見た。どうした!?
先輩は、目を閉じていやいやするように首を振っていた。目の端に、涙が伝うのが見えた。
「だめ!」
女が叱りつけた。先輩は、気丈にも唇を噛み、涙にぬれた目を見開いて、また水晶球を見つめた。
水晶球は、しかし、もう光を喪いかけていた。
それでも、そのときにも何かを先輩は見たのだろう。はっとしたのが、僕にはわかった。
光が消えた。
何らかの力を使ったのだろうか。女も、ぐったりと疲れた様子だ。
しかし、立ち直った女は、水晶を布で包みながら言った。
「あなた、知る、あなたの運命。
変わる運命、ある。変わらない運命、ある。」
そして水晶球を仕舞った女は、疲れたように僕らに手を振った。護衛の男が、僕たちのために背後で扉を開けている。
しかし僕が立ちあがっても、先輩はそのまま、目にハンカチを当ててうなだれて座ったままでいた。男が、占い師の女を見やると、女は首を振った。
「あなたたち、休む?」
女は、さっきも僕たちが待たされてた仕切り幕のほうを腕で示す。
しかし、先輩はそこでようやく立ち上がり、ぎこちなく笑顔を浮かべて巫女に頭を下げ。
行こうか、志野君。と言って、歩き出した。
僕は先輩の分の鞄も取り、占い師に頭を下げて、先輩を追った。
「別れと、再会。あなたは、信じる。必ず。」
そして去りゆく僕に、占い師はそう呼びかけた。
意味深だが、よくわからない。ただ、悪い言葉ではなさそうだ。だから、また礼を返しておいた。
男は心配そうに巫女の方をちらちら見ながら、僕を戸口に案内する(先輩は、戸口を出てしまっている)。
どうやら、この巫女がこのような対応をした、僕たちのような客は珍しいのではないか、と僕は思った。
「お金は?」
僕は戸口までついて、ふと思い出して男に聞いてみた。
男は巫女のいる奥に視線を投げた後、僕に向き直って首を振った。料金は、出さなくていいらしいということらしいのだが──。
本当にいいのかな。
僕はすぐ出せるようにしておいた財布から、たまたま入っていた硬貨をほとんどすべて入れた。男は、拒まなかった。
──────
外に先に出ていた先輩を、追う。
先輩の様子が、変だ。
元気がなく、うなだれて先に歩きだしてる。
(ただ、それでも美少女オーラは隠しようもなく、階段に並んでいる客たちが呆気にとられて先輩を見つめているのがわかった。)
追いつくと顔を上げ、志野君、なんだかすごかったね、と言って口元に笑みを浮かべた。
「──ほら、もう今日は締め切るみたい。」
振り返ると、さっきの護衛の男が今いる客を階段に追い込み、チェーンを掛け渡すのがわかった。
まだ、日は高いのだが。
「志野君は、言われたこと、何かわかった?」
「いえ。何がなんだか。」
ちょっと分析してみないと、わからないが。
ただ、あの巫女は、おそらく
占いで有名なのは、コールドリーディングだ。小さな問いかけからの返事をもとに、客の情報を読み当てていく。しかし、この巫女は、全くそんなことをしていない。
そして、僕への謎のお告げ。あれも、なにがしかの真実味がある。
たとえば「神々の宴」という言葉。あれは、僕がタイムリープする直前の、あの奇妙な存在たちとの邂逅を指しているのではないかと思われた。
そのほかの固有名詞のいくつかは、なぜか聞き取れなかった。ただ、僕がなにかにハブられてる、といったことを言いたかったみたいに思えた。
最後に、「ザルキマダル」がどうのこうの、と言いかけていた。あれは、いったい──。
「──志野君。そこの公園で、休もうか。」
いつのまにか僕たちは、表通りに出て。
いつか妙な薬でやられていた調布を不良どもから救い出した、あの公園に来ていた。
昼間の公園は、まだ平和なもので。
子供を遊ばせるお母さんたちや、駆け回る小学生くらいの男の子たちがいる。
近所の女子高か何かの制服を着崩して、ベンチそばでラジカセを付けて何やらステップを踏んでるややヤンキー系というかヒップホップ系の女の子たちとかがいる程度。
がっつりしたヤンキーどもは、今はいないようだ。
「向こうのベンチ、空いてるね」と言い、公園を横切る途中で。
先輩は僕の顔をまじまじとみて、そして足元を見て、何かに気づいたような表情をした。
「志野君に私の鞄、ずっと持たせちゃってたね。」
いいんですよ、と僕は言うが。
「それに靴紐、緩んでるよ。
ちょっと待ってて!鞄、おろさなくていいから。
すぐ、結んであげるよ。」
そういうと、先輩は両手に鞄を持った僕の前に回り込んできて、足を止めさせ。
スカートを軽くさばいて、僕の足元にひざまずいた。
そう、ひざまずいた。文字どおり、膝をついて。しゃがみこむのでなく。
「ちょ、ちょっと。先輩?」
「ごめんね、すぐ終わるからさ。」
ふわあっと、緑の風が僕らを包む。
鞄を下ろそうと思うが、先輩の頭がすぐ僕の膝の前にあって、膝が曲げられない。
後ろに下がろうにも、先輩がすでに僕の靴の靴紐を手に取っているので身動きできない。
目の下に、体を折った先輩の背中。ブラウスの生地にかすかに透ける、ブラの線。そして、スカートから出た、なめらかに白い片脚のふくらはぎも。
先輩は、へどもどしている僕の靴の靴紐を一度ほどき、そしてそれを丁寧に結んでいるようだ。
きゅっ、と一度足甲が締まる。きつすぎず、ゆるすぎず。
右足と、そして左足を結んでいるときに、片手を痛めているのを忘れて、うっかり地面に突こうとして支えきれなかったのか。
僕の足に覆いかぶさるように体勢を崩した。
「先輩っ!?」
「大丈夫、大丈夫。」
先輩は一瞬、そのまま無事な片腕で僕の足にしがみつくような姿勢をとった(はずみで、頭が僕の足の甲に数秒、触れた)が、なんとか持ち直して。
また結び終わり、立ち上がった。
あの包帯で巻いた右腕。相当ひどく痛めてるな、と僕は思った。
「これで大丈夫だよ。ほら、上から下までハンサムさんだ。
鞄、重かったでしょう?こっち返して。いいから。
──それで、あのあたりがいいかな。
志野君に、言わないといけないことがある。」
公園のベンチに、座る僕と先輩。
ただ、あの河川敷にいた時と違って、先輩は少し離れて腰かけた。
「志野君。今日は、ありがとう。」
感謝の言葉。しかし、なぜか僕は先輩から感謝の念というより、圧力を感じていた。
先輩が、優しげに笑ってみせる。でも目が笑っていない、何か覚悟を秘めたまなざし。
これと似た表情を、僕は1回目でたしかに見た覚えがある。
──僕の1回目の人生で、2か月ちょっとだけ。
唯一の恋人だった女の、別れ際の表情だ。
もちろん先輩は100年に一度のレベルの美少女(僕主観)であり。
くまの深いジト目毒舌家の(でもそれも好きだった)、僕の1回目の人生での元恋人など、比べるべくもなく優美なのだが。
どこか薄く攻撃性をただよわせた、しかし同時に妙な罪悪感と開き直り(?)を覗かせる表情。
それが、酷似していて。
僕は胸の中がすうっと、冷えるのを感じた。
女の人がこういう表情をしたときは、もうこれから先は決まってる。
占い師などに、言われるまでもない──。
「楽しかった。でも、もう十分。」
きょうは、羽を伸ばしたかっただけなんだ。受験生だしね。
これはデート。でも、これで終わり。
楽しかったけど、志野君と私との関係は、終わりにしよう。始まってもいないけれど──。
これからは、私と学校や道端で会っても、話しかけてこないで。私も話しかけない。お互いに、他人になろう。
「先輩?」
冷酷な目をしてそう、僕に宣告する先輩。
なんだか足元から地面が崩れていくような、重力が急に増したような。
そう、まさに悪い夢を見ているような気分。
先輩に、こんな言葉を言わせるなんて。
いったい僕は、どこで何を失敗したんだろう?
いや、もちろん僕には紫藤と調布もいるし。いわゆる男女交際なんて、考えてはないけど。
ただ、僕を弟みたいに甘やかして構ってくれる先輩との、この心地よい関係が、在学中は続くと思ってた。
「あと、やっぱり。
キスは、やめておこうね。
志野君には、大事な彼女さんたちがいる。そして、私にも婚約者がいるんだ。」
婚約者がいる、というところで僕はなんだか頭がカッと熱くなる気がした。
いままでこの美貌の先輩に、まるで恋人みたいに親しく寄り添ってもらえて。
そしてあの妄想の中の自分みたいに、鼻の下を伸ばして喜んでたけれど。
その今までの自分が、客観的に見て滑稽に思える。ピエロじゃないか。
「きっと私が志野君の時間をこんな風にもらったって聞いたら。
かわいい子の彼女さんも、美人な方の彼女さんも、いい気はしないね。
そのときは私の代わりに謝っておいてくれると、有難いかな。」
──ここまでつきあってくれて、ありがとう。もう私は、大丈夫だよ。
私はイーエスには、もう二度と顔を出さない。きょうのことも、誰にも言わない。安心して、続けてね。
彼女さんたちを、大事にしてね。志野君は悩んでたけど、どっちを、って選ばなくてもいいんじゃないかな。それで、幸せなら。
志野君の人生だよ、思い切り生きればいい。
私?これから?変わらないよ。受験勉強して、大学に進学して、夫に尽くす貞淑な妻になるんだろうね。
志野君といた今日は、幸せだった。忘れることなんて、できないくらい。
でも、もう思い出すことはない──。
立ち上がろうとする先輩。
僕は思わず、無事な方の腕の袖を軽く手に持ち、引き留めてしまった。
「先輩、──どうして?」
先輩は、冷たい微笑を浮かべた。抜き身の刃のような鋭さ。
いつもは温かい表情に隠れていた、近づくだけで凍りつきそうな氷の美貌に。
侮蔑の色をにじませながら、先輩は語気を強めて言い募る。
──あーあ。きれいに終わらせたかったのに。
もう二度と話しかけてこないで、って言ったんだけどな。
もしかすると、私が志野君のこと、本気で好きだったなんて、思ってないよね?
ちょっと好みかなって思ったけど、でもそれだけ。
だいたい、私と志野君では、いろいろ不釣り合いでしょう?
なんか、言ったら?
言えないなら、この手を放してよ。
もしかして、怒ってる?私を
いいよ、好きなだけ殴って、蹴ってくれて。誰にも言わない、約束だから。
ここだと人目があって無理なら、あの裏に行こうか。
ああ、それはいいって?
じゃあ、ここにいても時間の無駄だね、お互いに。これで、おしまい。
もう、いまこの瞬間から、志野君は私の中では、過去の人です。
私の人生には、不要。もう近寄らないでください。
──でも、楽しかったのは本当。ありがとう。
迷惑をかけちゃったこと、ごめんなさい。でも。
さよなら。
そう、僕に宣告して。
吉祥寺先輩はベンチを立ち上がり。軽く腰のあたりを払って、自分の鞄を取り。
公園の入り口を目指して、歩き去っていった。
一度も、振り返らなかった。
僕は、何も言えなかった。言えずに、遠ざかっていく後姿を、ただ爪が手のひらに食い込むくらい、固く固く拳を握り締めて見つめていた。
ちょっと離れたところのヒップホップ女子高生どもが。
いつのまにかダンスの練習を止めて、この経緯を見てなんかひそひそ言ってる。
いや、やっぱり先輩は目立つからな。注意を集めてたんだろう。しかたないんだけど。
「わー、きっつー」とか、「
もう僕の心、ズタボロだよ。
──────
先輩は、きっと優秀なストーカー製造機になる。
気のありげな様子で、あれだけ温かく柔らかく包みこむように接して油断させておきながら。
いきなり態度を豹変させて、冷たく突き放す残酷さ。
この仕打ち。あまりにもひどくないか?
まあ、何度もいうようだが僕は先輩が本気じゃないってわかってたし。紫藤だっているし。
だけど、「釣り合わない」なんて言われると、真実なだけにやっぱりすごく傷つく。
最初っからなにも関わろうとしないでいてくれた方が、よほどマシじゃないか。
やっぱり、先輩もあいつらと同じ穴の
自分が優位にあると思って、人のことを見下して、虫けらみたいに扱う猿山のクズどもの。
やっぱり僕は、ああいうアッパークラスっていうか、ジョックスの世界のやつら、大嫌いだ。
先輩は、違うと思ってた。
見てて胸が痛くなるくらいの美少女なのに、性格も良くて。
あんなに親身に、モテない僕(たち)にも優しくお姉さんプレイして付き合ってくれたいい子で。あれが嘘や演技とは、とても思えない。
でも所詮は、
クソどもの一味。外見は女神の、脳内お猿。白く塗りたる墓*1。もう、こりごりだ。
婚約者(おそらく垂金権造じゃなくて、少女マンガに出てきそうな、背が高くて少し冷たい美貌の、スパダリ権力者なんだ。きっとそうだ)に本性がバレて、断罪ざまぁされて。
どっかの鬼畜ホストにでも、肉〇器にされてヤリ捨てられればいいのに。
すっかり頭に血が上っていた僕は、不快感と怨念とをたぎらせながら自転車に乗り。
よく考えれば気づけたはずの、先輩の行動にある矛盾に思いを巡らせることもなく、その場を走り去ってしまったのだった。
──────
──────
公園の入り口を、彼女は出る。わずかに期待していたが、後から、走り寄ってくる足音は聞こえない。さすがに彼も、愛想を尽かしたのだろう。仕方がない。
どこか早く、一人になれる場所が欲しい、と彼女は思う。手近なのは、アステロイドプラザの女子トイレか。
公園の出口を出ると、小走りに走り始める。人が驚いたように彼女をみて、道を空ける。
手に、鞄が重い。こんな重い鞄、ずっと彼は持ってくれてたのか。
心の中で謝りながら、プラザに飛び込み、2階への階段を上がる。
「ごめんね、志野君。本当に、ごめん。」
走りながら、もう涙がにじんできていたが。
運よく空いていた女子トイレの個室に飛び込むと、もう止まらなかった。
声を上げないよう努力しながら、嗚咽を押し殺す。
いつもの癖で右手でハンカチを取ろうとポケットをさぐり、痛みに逡巡し。
さっきすでに一度使った折、左側ポケットに移してたことを思い出し、取り出して目に押し当てる。
肩を揺らし、しゃくりあげる。声を出さないようにしても、かすかにきゅう、っと漏れる呼気。
その夕方の女子トイレには、珍しくほかに利用客はなく。
個室の清潔で無機質な白い壁以外に、そんな彼女の慟哭を知るものはなかった。