タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
間が空いてしまいましたが、そのうちあらすじを付けようと思います。
前半、紫藤みなり視点→後半、志野視点です。
235 少し汚れて、でも染まらないまま(1)(紫・志)
(紫藤みなり視点、火曜日夕方、病院)
「ねえ、さとみん。」
「ええ、わかってる。わかってるわよ。
あー、でも。こんなことって、──」
「ちょっと、洒落にならなかったね、──。
次、どうしよう?
っていうか、──また、やるんだよね?」
──さとみんとわたしと、ハルカちゃん。
3人で、わたしのお母さんに添い寝をして。
その「夢」の中に潜り込むことを、試みた。
そしてまったく同じ時間に眠りから覚めた私たちは、薄暗くなった病室で顔を見合わせている。
わたしたちは、夢の世界にそろってもぐりこみ、そして無事に戻ってきた。
(ちなみに倒木を抱えて汚れた、さとみんのブラウスも。
みんなの靴を入れて少し汚れたさとみんのビニール袋も。
すべて、こちらの世界では元のまま、きれいなまま。)
ハルカちゃんは、わたしたち3人の中では、いちばん平常どおりにみえる。
もともとハルカちゃん、非日常の冒険は大好きみたいだからね。
でもやっぱり、すこしは怖かったんだろう。
言葉こそ前向きだけど、軽く背をかがめる感じで。
わたしたちに問いかける様子には、軽いおびえがまじってる。
そして、さとみん。
まだ整理がついてない感じ。
落ち込んでたりはいない、だけど、動揺してる。
いつも動じることなく構えてるさとみんにしては、めずらしい。
わたしは、──そんなさとみんに、ねえねえどんな気持ち?と言ってみたい気持ちも、あるのだけど。
あの夢の中の、6月の雨の日みたいなうす暗い世界。
そこに現れた怪異をかいまみての、ずっしりした重い気持ち。
それが、重い鉛のおもりのように胸に沈んでいる。
「そうね。──もちろんやるわよ。早い方がいいと思う。
でも、志野も呼ぶべき。
それと、とりあえず反省会っていうか。
『厄落とし』が必要じゃないかしら。」
顔にかかってた髪を整えながら、立ち直ったさとみんがハルカちゃんに応じる。
「あー。ボクもそうしたいな。」
「わたしも。」
「ねえ、とりあえずマ〇ク行かない?」
「あー、そうする?
でもボク、あまり持ち合わせがないんだけど。」
眉をハの字にする、ハルカちゃん。
「大丈夫、気にしないでよ。ポテト一緒に食べようよ?」
夢の世界は、現実の世界のようにリアルで、しかも妙に怖かった。
あの「くもひめさま」が何なのかも、わからない。
ただ、これだけはわかる。
あの世界には、危険がある。
その危険に、さとみんとハルカちゃん、そしてたぶん志野くんをひきこむことになる。
もしかすると、──
「行きましょうよ。
ほらほらみなり、不景気な顔、しないの。
──すごいことじゃない。正直、あたし感動してる。世界観が揺らいでるわよ。」
さとみんが、ばあんと背中を叩いてくれる。うっ、息が止まるよ。
ハルカちゃんもだんだん復調して、ほらボク、カッコよかったでしょ?と言い、あの華麗な空中殺法(?)を自慢する。
そんなにぎやかな中で、わたしの心の重さもだんだん軽くなっていったんだ。
──────
病院そばじゃなくて、みんなに帰りやすいようにすこし駅に戻ったところの、〇ック。
フライドポテトは、わたしのあこがれだ。
お金のあるおうちじゃないから、ごくときたま。
そう、お誕生日のお祝いのときとかにしか食べさせてもらえないし。
ただ、今はちがう。
まいらさんを通じて、御前様からお小遣いももらってるんだ!
もちろん、無駄づかいはできない。
志野くんからは、お金を借りたりしてるからね。
それはともかく。
ポテトフライやクリームソーダを手に、マ○クの2階に私たちは昇り。
ほとんど満席だったが、折よく空いた、窓際のかたすみに陣取る。
窓の下には、帰宅途中の会社員や学生たちの姿。
あたりには私たちと同じような中高生、暇そうな大学生や、ちょっと疲れたっぽいOLさんたちの姿。
視線を感じる。
茶髪のちょっと軽そうな男子高校生っぽい人たちや、アンニュイな感じの大学生っぽい服装の男の人とか。
男子高校生は仲間にこそこそ話して、仲間もこっちに目を向けてくる。
まあ、さとみんやハルカちゃんがいて、華やかだからかな。
でもさとみんたちと違って、わたしはあんまりそういう視線に慣れてないからなー。顔が上げられない。
でも幸いにして離れてるし、わざわざこっちに来たりはしなかった。
わたしたちの座った席のすぐお隣には、部活帰りらしい、スカート短めな茶髪女子高生の一団。
「うちらさー、──!」とかお互い、自分の言うことを聞いてもらいたくて声を張り上げる感じ。
わたしたちが座ると一瞬、こっちに関心が向いたけど、すぐ別の話に移ってる。わたしたちの話を聞いてたりはしていない。
それを確認して、わたしたちはポテトフライをつまみながら額をよせあう。
「ねえ、一度、念のため確認するわよ。
あたしは正直、まだ信じられない思いなんだけど。
あたしとみなりとハルカは、同じ夢をみた。──そうよね?」
「うん。わたしとさとみんとハルカちゃんとは、森の中をあるいて、へんな虫とかと戦った。そして、──」
「あと、古いお屋敷に入ったよ!そして、外に出られなくなった。」
「そして、屋敷の中には、どうやら『蜘蛛の化け物』が徘徊してた。
──あーあ、やっぱり、現実なのね。」
──いや、夢だけどさ。
そういって、頭を抱えて、ふー、と息を吐くさとみん。
唯物論者のさとみんには、このオカルト体験は結構ショックだったみたいだ。
夢の中にいたときは、すぐ順応してたのにね。
やがて気をとりなおしたさとみんを中心に、わたしたちは、ポテトをつまみながら体験したことをひととおりおさらいする。
そしてその過程で気づいたいくつかの情報をつきあわせ、あの夢の中の世界についての仮説を構築してみる。
①お母さんは、たぶんあの屋敷のどこかにいる。
あの屋敷の中で出くわしたおじさんは、わたしに似た人が「くもひめさま」のところにいる、みたいなことを言っていた。
「くもひめさま」は、きっと、あの最後に私たちが逃げた、屋敷を這いまわる化け物じみたなにかだよね。
その「くもひめさま」に、お母さんがつかまってるんだ。
お母さんを救出しないといけない!
「まだ夢が続いてるってことは、生きてるのよ。望みはある。」
「夢の中で食べられちゃったら、こっちのお母さんも死ぬのかな?」
わからないが、早いことにこしたことはなさそうだ。
ただ、もう昏睡状態になってからかなりたつ。すぐすぐ、でなくても間に合うだろうか。
②あの世界は、一部、物理法則を無視している。というか、いかにも「夢の中」らしい、不思議な論理がある。
たとえば、あの屋敷。外からみたときの家の広さと、中に入ったときの中の広さが違う気がする。
また、構造がうにゅーっと変わって出口がなくなってる。生き物みたい。
そして、わたしたちの力も強化されてた。
夢の中では、すくなくともハルカちゃんは身が軽く、さとみんは力がつよくなってる。
わたしは、うーん(絶望)。
「そこは、しょうがないわよ。」
「きっと最後に、すごい異能が発現するんだ!
世界を再構成したりとか、さ?」
ハルカちゃんは、ラノベの読みすぎだよ。──と、やさぐれた私はずずず、とマックシェイクを吸い込みながら思った。
③「現実世界で、わたしたちが所持していると思っているもの」は、夢の中で使うことができる(たぶん)。
ただこれは、要検証だ。わからないことが、いろいろある。
さとみんは、今度いろいろ実験したいと言ってる。
「部外者の人に、箱の中に何かを入れてもらって、それを持ち込んでみる。
開けると、どうなるかしら。」
「シュレーディンガーの猫だね!」
ハルカちゃん、たぶんそれ違うと思う、──けど。
まてよ?たしかに、共通してるのかな?
「何かをいれた」という可能性が、空けた途端に確定するのかもしれない。
④時間の流れは、夢の中と現実世界とでちがう。
夢の中では、半日以上、いやほとんど一日、過ごしていた気がしている。
ところが、現実世界ではわずか1時間ほどしか経っていなかった。
「ってことはさ。
テスト前に教材を持ち込んで、じっくり勉強できるかな。」
「さっきの話次第じゃない?あたしたちが本当の意味では中身を認識してないものを、持ち込めるかって話よね。
夢の中に、中身が分からない何かを持ち込んで、その何かを発見できるか、って話。」
本当の夢だったら、ちょっときびしそうだよね。
だけど、あの夢はすごいリアルで、現実的だったしな、──。
⑤検証すべきことが、たくさんある。
「まず、確かめないといけないこと。
みなりのお母さんが、あるいはあたしたちが、向こうで死ぬとどうなるか。」
「さとみん、それ確かめられないよ。死んだら終わりじゃないか。」
「ええ。だから、確かめるべきは、その一歩手前。
『向こうでの負傷がどうなるか』ね。
話は、出てたのにね。ちゃんと確かめとけばよかった。どうかしてたわ」
「あのさ、わたしたち、向こうで歩いたり戦ったりして疲れたよね?
それで、疲れをこっちに持ち越してる?」
「みなりん、それは肉体的ダメージを引き継がない、ってことかい?
たしかに、そこまで疲れた感じはしないね。」
「ただ、向こうでできた疲労物質をもちこさない、ってことと。
向こうで死んでしまって、戻るべき意識がなくなることとは、違うかもしれないわね。」
「肉体のほかに、精神とか魂がある、ってこと?」
「いえ、あたしはそんなものはないと思ってる。
『精神』や『意識』は、脳神経の興奮状態の一様相にすぎないと思ってる。
ただ、脳神経が、自分が死んだと認識して活動を停止したら、──」
そんな重要な話から。
そしてここには書くほどでもない、いくつかのもっと細かい疑問や仮説や考察を、わたしたちは気ままに論じあい。
後で大事になるかも、と、私はそのいくつかを、ルーズリーフのノートに書きつけた。
──────
検証をひととおり終えると、私たちの気分はずいぶん軽くなってきていた。
何しろまわりには、声高にしゃべる中高生のグループがたくさんいて。
そんな現実世界の騒音に、非日常は遠いことのように思えてきたんだ。
ようやく一区切りをつけたわたしたちは、帰り道につくことにした。
「ねえ、みなり。もうすぐ授業、終わりよね?
夏休みにはいったら、こっちにはあまりこれなくなる?」
さとみんが、そんなことを聞いてきた。
たしかに、わざわざわたしがこちらにくることは少なくなるかもしれない。
あー、そんなことより。
あのこと。あの、こわい御前様のことを伝えなきゃいけないのに。
頭がきゅうっと締まるように痛くなって、伝えられない。
さとみんは、何も言わないわたしをみて、別れ別れになるのがさみしいとわたしが思ってる、と思ったみたいだ。
「ねえ、あたし、バイクの免許を取ったの覚えてる?
もし家を教えてくれたら、遊びにいってもいいし。
みなりを連れ出すのも、できると思う。」
本当は1年たたないといけないらしいけどね、と舌を出してる。
「ひっこしもあるのかな?
ボクだって、休みに入ったら部活もないし、お手伝いできるよ!」
「そうね。もう、弟くんも寮に入ってるのよね。
もしイヤじゃなかったら、みなりの家、いってみてもいい?」
──お片付け兼、お泊まり会とか。どう?
と、さとみんが聞いてくる。
あ、それいいかもしれない。
たしかに、もうほとんどの物品は荷造りしてしまっているけど、まだ運び出してないし。
御前様の館は、完備してるけどこわい。かといって多賀島の家にいると、一人ぼっちでさみしいし。
たぶん猫なんだろう庭のがさごそする音や、ただの家鳴りだろうきしみに、どきどきしてしまう。
さとみんが来てくれたら、楽しいだろう。
その、──性的魅力向上委員会も、開きたいし。
「わー、うらやましいな!
ボクも!お泊りしたい!」
さわぐハルカちゃんを二人でなだめながら、そのうちお泊りしよう、そうしよう、という話になる。
わたしの家でなくても、日蔭谷のお父さんとハコヤさんの家でもいいかも。
「そういえば、みなり。
そのホストファミリーだっけ。そこに、あたしたち招かれてるんだっけ?」
「あー、そうなんだけど。」
その話、あったよ。
ノルマを果たすため、一応、声は掛けたんだったっけ。
でも、な。──なんだか良くない、まずい気がするんだ。
あのおじいさんは、わたしには親切だったけど、実は。
まいらさんを拷問したり、塔の中に誰かを閉じ込めてたりする、悪い人でもある。
そうだ、まるで「ジキル博士とハイド氏」みたいだ。
(ここで、わたしの脳裏に、なにか大事なことを発見したようなピリピリが走ったけど。
このときは、まだうまくそれを言語化できなかった。)
行かなくていい。いや、行っちゃいけない、と言いたいけど──。
そう言おうとすると、頭が締め上げられるように痛む。本当に言おうとしたら、気を失うだろう(確信)。
「まあ、詳しい話、また聞かせてよ。
別件の、ほら竜神の娘の話もあったじゃない。そっちも、そろそろよ?
まあ、志野がいろいろ考えてるみたいだけど。」
口ごもったわたしをみて、さとみんはあっさりと流した。
そして竜神さんや、サクヤさんとかのことに話はうつっていく。
そうだ、そっちの話もあるんだよね。
そのうち、キャンプってことにして泊まり込んでみようか。なんて話になる。
(たぶんだけど、サクヤさんは「おもてなし」好きだし、わたしはサクヤさんの読書友達だからね。)
イケるイケる、という話になって、明日志野くんに相談しよう、ということになった。
空になったポテトの容器をなごりおしく、みつめながら。
わたしたちは、傾きかけた日差しの中、撤収にかかったのだった。
──────
(語り手(志野)視点、8/1火曜日午後、多賀島市内)
久々に、時間が余った。「ヒマ」ってやつだ。
「1回目」の大学生以来かもしれない、この異常事態。
ひととおり情報交換して元さんの事務所を辞したが、まだ日も高い昼下がり。
僕は適当な私服なので、今のところ街を歩いても見とがめられてない。
さすがに制服で技能試験を受けるわけにいかなかったからね。適当な私服を着て、目深に野球帽を被ってる。
多賀島だと、授業のある時間帯に高校生が街を歩いてると補導される、──って聞いた。実は本当かどうか知らないけど、みんなそう信じてた。
ただ。私服だと高校生と大学生の区別は、つかないだろう。おせっかいな大人が、そんなにいるとも思えない、と頭では思うんだ。
だけど東京みたいに、昼間から制服で街をぶらぶら歩いてて、なんか言われても「創立記念日です」が通用する感じじゃない。
さて、そんなわけで。私服の僕は、学校に行くわけにもいかず。
いくつかの可能性を、検討する。
①家に帰る。
まあ、僕も暇じゃないからね。いろいろやることだってある。
今は勉強も調子いいけど、油断してると凡人の僕はすぐ転ぶし。
肝心の、あの糞老人の怪力の謎も突き止めないと。
あー、そういえば竜神を送り返す計画もあったな。
でも、なんとなくまだ名残惜しい。フリーなのは、ひさしぶりなんだ。
②父の職場に行って差し入れでもしてみる。
父に頼みたいことがある。
そう、免許とったからね。バイクがやっぱり欲しい。
ただな、まあどのみち家で会うしな。職場訪問なんて、父も恥ずかしいだろう。
③部長さんの家があるとか言われたあたりに、行ってみる(家の場所自体は知らない)。
いや、わかってるよ。言われなくても。
これはダメだ。ストーカーだよね。だからやらないよ。
ただ、納得はいってないんだ。なんだか、すっきりしない。
部長さんを
ただ、部長さんが本当は何を考えていたか知りたい。
本当に、クソ女だったんだろうか。それとも、──?
あー、でももう考えないほうがよさそうだ。
昨日のことを思い出すと、頭がくらくらするくらい、怒りっていうか恥ずかしさっていうか。そういうぐちゃぐちゃした感情がこみあげてくる。
やめ、やめ。女の子って、本当に何考えてるか分からないや。
④なんとなく街を歩く。図書館で涼む。
非生産的。疲れる。でもまだ帰りたくないし。それだけ。
消去法で、僕は④を選んだ。
──────
僕はぷらぷらと街を歩き回ってみた。
記憶に残る、思い出の街角をたずねる。
僕が小学生のころ、写生大会で描いた記憶がある古い市庁舎。
(ちなみにいつのまに建て替えられて、20年後は機能的だけど味わいのないビルに替わってたかな。)
改装前の、戦前建築の荘重なたたずまいの百貨店。
この時代にあって、まだアドバルーンも1つだけふわふわ浮いてる。
真夏の日差しを浴びて、角が丸っこい緑とカーキのツートンカラーの路面電車が表通りを走る。
ぞろぞろと、停車場から下りてくる中高生の群れ。
将来を知る僕の目にはすこしすすけて、しかし猥雑な活力に満ちてみえる街。
保険会社や銀行の本店がある、ビジネス街。
暇そうな若者の姿に加えて、忙しくせこせこと歩く、ぶかぶかの裾幅の広いスーツのおじさんたち。髪は整髪料で丁寧に整えられている。
この人たちが、バブルに乗ってたのかな。
それとも、バブルを横目にこんちくしょうと思いながら、地道に世界を支えてくれてたのかな。
アーケード街。
違法駐輪(この時代は必要悪として放置されてる)が多いけど、誰も気にしてない。
今では絶滅危惧種のゲームセンター。
今みたいにきらきらしてなくて、薄暗い奥には卓球台がある。
カツアゲされるから行くな、って言われてたな。
こんな辺鄙な街にもあった、無印良品。
このころはまだお洒落な人しか行かないような、ちょっとハイソな感じだった。
まだ多い、街角の中小規模の書店。
中に入ると、クーラーが心地良い。
途中で苦しくなって読むのを止めた大河ファンタジーの、黄色い背表紙。
未完のまま作者が逝去したとき、1回目の僕は30歳前後だっただろうか。
約10年間の社会人生活を過ぎて、深い感慨も抱けないくらいに心が乾ききってしまっていた。
好きなSF作家の文庫本が、平積みになってる。
ここにあるのは、新潮社版だけど。
中東風っていうのかな、チャドルみたいなベールで顔を隠す女性の深いまなざしが印象的な徳間書店版が好きだった。
「振り向けば、旅愁──」の煽りのやつ。
買いたかったけど、我慢して図書館の本を借りてたっけ。
書店を出て、街はずれに向かって歩く。
ときどき立ち寄った、古書店の前を通りすぎる。
横目に覗くと、古びた本が並ぶ書棚の奥で稀覯本みたいなものに目を落としている鼈甲縁眼鏡のおじいさん。
この書店でも、買いたかった本があった。買えないほどでもなかった。
少し高い位置に死蔵されてた、世界文学全集の中の一冊。
でもなぜか躊躇しているうちに、この街での僕の10代は過ぎて。
最後に帰省したときには、すでに店は閉店していた。
あのおじいさんが、どうなったのか僕は知らない。
やがて僕は本来の僕の学生時代には来たこともない、区画整理の進んでいない古い裏町に入った。
あの、調布を連れ込んでいろいろやっちゃったホテルや。
ESSの先輩と一緒に来た占いの店の近くだけど、そこからさらに街に入ったあたりだ。
学生時代には、ヤンキーどもを恐れて決して入り込まなかった。
幅1メートルもないような、せまい袋小路。
どぎつい現職の青と赤と黄色の、スナックの電飾看板がひしめき合う。
昼見ると陳腐で、この当時の感覚的にも時代遅れ。
でも夜になると、明かりがついて華やかっていうか淫猥な雰囲気になるのだろう。
器量は悪くないがぶよっとした印象のだらしない服装の女たちが、井戸端会議を開いてる。
僕が通りかかると、一瞬口を止めてこっちを見てきた。もちろん、足早に通りすぎた。
幸いにも絡まれることもなく、街はずれに、進んでいく。
唐突に現れる、モルタルの古いアパート。
権利関係が入り組んで再建築できないのだろうアパートには、まともな雨どいもなく。
雨水が落下するであろう軒下には、砂利ともいえない小石が敷いてある。
そんな裏町の通りを、歩いてしばらく。
やがて街は町に、ビルは住家になり。
気がつくと、旧市街の街はずれに来ていた。
のど乾いたな。自販機で飲み物を買うほどじゃないけど、水が飲みたい。
市役所とか公民館とか、ないかな。
そう思いながら辺りをみまわすと、茶色い、年季を感じさせる建物に気づいた。
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| 多賀島駅 |
| TAGASHIMA STATION |
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
目の前の看板に、僕はここが多賀島駅だということに気がついた。
ものすごくひなびた、しょぼい駅舎なんだ。
あー、もしかするとウォータークーラーでもあるかな。
駅のロータリー横の飲み物の自販機近くの陰には、地元のヤンキー高か何かの制服の茶髪男2人と、黒のパンタロンにトレーナーみたいなユルい恰好の金髪リーゼント男1人とが、ぐでっとしゃがみ込んで何かしゃべくってる。
あ、奥のパンタロンは煙草吸ってるな。あっちには、近寄らないのが吉だ。
駅入り口近くになかったら、諦めよう。
駅前にはターミナルこそあるが、すごく小ぢんまりしてる。
角が丸くて色が少しあせた青いバスが炎天下に止まっていて。
乗り込むお客さんは、まばら。
腰のまがったおばあさんが、一足一足、踏みしめるようにバスに乗り込むと、ぴー、と音が鳴ってドアが閉まる。
駅前の公衆電話で電話かけてた女の子が、受話器を耳に当てたまま、焦ったようにバスをみる。
あー、この子。旅行客だな。間違えて降りたんじゃないかな。
この多賀島駅というのは、曲者なんだ。
いかにも「多賀島市の玄関口」みたいな名前だよね?
でも、ほとんど使わない、使えない駅。
昔はそれなりに使われてたのかもしれないけど、街の中心からは遠い。ローカル駅の一つだと思っていい。
ちょっと前まで「南多賀島駅」って言われてた、「多賀島中央駅」が町の中心だ。
(ちなみにいまでも、「南駅」って呼ぶ人が多い。)
間違えてこっちで降りると、大変なことになる。乗り継ぎの交通の便もよくないし。
このバス、今、動き出してるけど。これに乗り遅れると、次のバスにせよ電車にせよ、かなり待たされることになると思うが、──
「あー、待ってよ!」
ブロロロと動き出したバスを見て、たまりかねたのか。
赤っぽい髪の、やや小柄な女の子が慌てて電話を切り、走り出てくる。
でも、バスは無情にもロータリーを出て行ってしまう。
「んもう、──えっ!」
ようやくバス停の時刻表を確認した彼女は、絶句してる。
あー、これは嵌ったね。
多分30分後とか、40分後なんだろう。今は、ちょうど中途半端な時間帯だしな。
ちょっと憐みというか、きまぐれな親切心を覚えた僕は。
いつもなら、絶対しないんだけど。
珍しく暇だったのもあって、近寄ってその子の薄い肩越しにその時刻表をのぞきみた。
「あー、40分後っすか。相当、待つことになるっすね。」
「なんなのよ、もう!ほんっとクソ田舎ね!?」
「──そんな言い方、ないだろ」
うーん、いつもなら苦笑いですませられるんだけどな。
先輩からダメ出しされた例の事件もあって、やっぱり本調子じゃない。
不快さに、血がさあっと冷める感覚。
小さめのスーツケースを引いて、ベレー帽を頭に乗せた彼女を睨む。
華奢で小柄、ロリっぽい体つきだけど、容姿は整ってて、──まあ、意外に可愛い。
紫藤ほどじゃないけど。うん。
僕にはよくわからないが、おしゃれで都会風なセンス。
標準語の言葉づかいからしても、東京の子だろう。
道慣れない、旅行者だというのが丸わかり。
自販機横の暇そうなヤンキー高校生とその先輩みたいな目つきの悪い男どもが、こっちをちらちらみてる。
僕にはめずらしく鼻を突っ込んだのは、このままだと、この子があいつらに絡まれたりしないかって心配もあったんだけど。
──でもな。きっとこいつも、ESSの吉祥寺先輩と同じだ。外見だけいいクソ女。
かかわって、いいことなんてなさそう。
しかし。
「ねえ、ごめん。
──ごめんなさい。私が悪かったわ。」
僕の怒気が伝わったのもあってか。
勝気な外見に似合わず、意外にもしおらしく娘は謝罪してきた。
そうすると、僕の怒りも長続きしない。
もともと、たしかに娘の気持ちも分かるんだ。都会から来たらびっくりするだろう。
「あー、降車駅間違えたんだろ?
街の中心に行きたいのか?」
「ええ、そうみたい。
○○ホテルで、待ち合わせしたんだけど、──」
名前のせいで、こっちを多賀島のメイン駅だと思ってしまうんだよな。
この子も、きっと勘違いして降りてしまったんだろう。
なまじ、急行がごくときたま停車する駅だからやっかいなんだ。
駅名のアナウンスを聞いて、慌てて降りちゃったらしい。
僕が彼女に、彼女が行きたがっているホテルは、多賀島中央駅に近いところだと説明すると。
彼女の顔に、焦燥が浮かんだ。
「あたし、人と会う予定があるの。○時に、ホテルのロビー。──間に合わない?」
「あー、そう。ちょっと大変だな。
次の電車も、バスも40分後だからな。」
一生懸命歩けば、3、40分だろうか。
途中で路面電車に乗れば、バスを待つより早い。
急ぐなら、タクシーを呼べばいい。
いずれにしても、電話入れておいたほうがいいだろう。
そう教えて、離れようとしたのだが。
「電話、通じないし。──あー、きっと怒られる、──!」
あまりにも追い詰められたような、その様子に。
クソ女とは思ってはいても、僕はわずかに同情心が芽生えるのを感じた。
「その。あまり手持ちがないの。
──ねえ、お願い」
その路面電車まででいい。道を教えてくれ、と言われて。
まだこの子の暴言を忘れてない僕は、どうしてそんな義理があるんだ、と思いはしたが。
ただ、ね?やっぱり僕、善良で温厚だしさ。うん。
途中の下町、結構危険だし。
どうせ僕も家に帰るんだから、途中までは同行してやろうか。と。
そう、思ってしまったんだ。