タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
すごく大部になって読みにくくなってしまったかもしれないこの話、お読みいただいて好意的に評価してくださり、すごくうれしかったです。
貧乏暇なしという感じで、ここしばらく忙殺されてなかなか時間がとれず筆が進められませんでしたが、もちろんこの話、完結までは続けていくつもりです。
ちなみに1、2か月ほど前、今の部分とは別の(先の)部分にあたる「書きたい場面」ができてしまい。
その部分を書いていて(邪道なのかもしれません)、ようやく半分くらい書いたところで、
「これ、──ひょっとすると解釈違いなんじゃないか?」
と気づいてしまい、現在は頭を冷やすため寝かせていますが、つなぎ部分まで完成できたらそのうちおそるおそる載せてみたいと思います。多くの人には引かれる嗜癖だと思いますが、でも書いてみたい誘惑には勝てず……。
志野視点→第三者視点です。
(語り手(志野)視点、8/1火曜日午後、多賀島市内)
真夏の午後の、じりじりとした日差し。遠くに見える、入道雲。
この猛暑の中、僕に多賀島の繁華街までの案内を依頼してきた生意気娘は。
──どうでもいいから最短で!急ぐの!
と言い。
僕はその、僕が案内して当然というような
しかしいったん引き受けた以上、キャンセルもできないし。
また余所者と丸わかりで隙だらけに見える彼女が、心配でもあり。
あのうらぶれた裏町を抜けるまでは、案内してやることにした。
(この裏町を突破しないと、たしかにかなりの大回りになるんだ。)
──この界隈は危ない、ですって?
私だって下町で暮らしてたことくらいあるわよ!大丈夫大丈夫、と。
そう言っていた、彼女だったのだが。
さすがに、荒れた裏町に入り。
道に転がるゴミやたばこの吸い殻、割れたコーラのガラス瓶の欠片や。
道端でしゃがみこんでるヤンキーどもや、ぶつぶつ独り言を言いながら唾をそこら中にはきちらす、しみだらけの服を着てる老人や。
化粧レスだと顔色が悪く、傷んだ果物みたいに疲れた表情を浮かべている水商売(偏見)の中年女などの行き交う、すさんだありさまをみて。
あからさまにドン引きして、後悔したような表情を浮かべてる。
でも、自業自得だ。
「ねえ、──私もあんまり人のこと言えないけど、その、えーと。
──ワイルドなのね、多賀島って。」
彼女はきょろきょろと、あたりに目を走らせていたが。
老朽化した長屋から聞こえた、女の怒鳴り声と、火のつくような子供の泣き声に、おびえたようにびくっとして。
僕のシャツを、逃がさないぞといわんばかりにつかんできて、身を寄せてそうささやきかけきた。
やわらかい体からは香水なのか柔軟剤なのか、いい匂いがしてきたけど、──はっきり言って邪魔だ。
「仕方ないだろ。
最短ルートで、って言ったのはそっちだ。」
──それに、多賀島を馬鹿にしたがるけど。
多賀島に限らず、どこだって裏町ってこんな感じだぞ。もっとひどいところもある。世間知らずかよ。
こっちの方は口にはしなかったけど、僕の抱いた不快感は伝わったらしい。
「あーもう、私が悪かったわよ!ごめんなさい。ここまでとは、思わなくて。
──これでいい?」
華奢な体格の割には意外とある胸を僕の腕に押し付け、こっちをあざとく媚びた上目遣いで見ている気配。
なんだかいちいちむかつく小娘だ、と感じてしまい。
温厚な僕にはめずらしく、「ああ」と不愛想に答え、視線を外し。
誰かが食べ終わった後に路上に放置した、インスタント麺のプラスチックカップごみをみつめる。
小娘は僕の不機嫌を察したのか、「ごめんなさい」と、こんどはしおらしく言い。
身を離して、うなだれてカラコロとスーツケースを引いてる。
(あー、荷物は男のお前が持ってやれよ、と読者諸兄は思われるかもしれないけど。
なんとなくあまりこの子とかかわりあいたくなくて、さ。こっちからは言い出さなかった。
ただこの裏道ルート、舗装もされてない砂利道もあって、そこはさすがに運んであげたよ。それほど重くなかったけど、妙に重心が偏ってた。)
少しして、さすがに僕も大人げなかったかな、と思い。
へこんだ様子の彼女を、横目で見る。
紫藤とそれほど変わらないくらいの小柄で華奢にみえる体。赤い色が入った髪。
シャドウを引いてるのかもしれないけど、小顔なのに目は大きい。
ただ紫藤が性格も天使なのに対し(真実)、この娘は顔だけだろう。
外見こそ悪くないが、どっか尖った、意地っ張りな性格が見え隠れする。
すぐ暴言を吐き、でもこっちがムカついて突き離すとすがりついてくる感じ。
メンヘラ、とまでは思わないけど、同性受けも悪いだろう。
(いや、人間関係偏差値の低い僕にはよくわからないけど。)
僕の視線に気がついたのか、こっちを娘が見返し。目があった。
額に汗がういてて、前髪が幾筋がはりついてる彼女は、ちょっと口元を緩めた。
「ねえ、──さっきはごめんなさい。」
さすがに僕も、へそを曲げ続けてるわけにもいかず、苦笑して気にするなと手を振る。クソ汚い界隈なのは、確かだからな。
ぽつぽつと、会話をかわす。
「それでさ。私のこと、もしかして知ってる?」
いや、そう言われましても。
思い当たらず、僕は首を振ろうとして。
ふと、首をかしげた。
確かに、この顔にはデジャヴュがある。ただ、もっと性格は健気で、いじらしくて、──
「えーと。ドラマに出てたりした?」
「あー。わかる?」
「もしかすると『昨日の国から』?」
単なるあてずっぽうだった。そもそも僕はあまりテレビ見ないし。
だが僕の返しを聞いて、びくっ、と娘の肩が跳ねる。
「あー、あははは、──はぁ。そう見える?」
深いため息。外したのかな。
きっと有名子役と「似てる」とよく言われて、でも本当は別人、ってパターンだな。
うーむ、そういうのって傷つくよな。自分が無名で、有名人の「もどき」だって言われてるようなものだし。
あわてて、僕はフォローしようとする。
「いや、ちゃんと見てないけど。
あの中の、主人公の兄妹の妹の方に、感じ似てるなって思ったけど。
でも、な。やっぱり違うかもな、だって、あー、──」
「まあ、似てるっていうか。」
──あれ、私なのよね。
そう、彼女は自虐的な笑いを浮かべて答える。
「!そうなのか?」
僕は結構なおどろきを覚えて、彼女を見返した。
彼女によると、とあるドラマの中で主人公の妹の少女時代を演じた、無邪気で健気な女の子役だったという。
視聴率がすごくよかったわけじゃないが、そこそこの人気があったドラマのはずだ。
80年代末からのトレンディドラマ(笑)の奔流に、埋もれて忘れ去られてしまったけど。
「わかりやすい悪」みたいなものがないストーリーとどこか重たい結末は、僕の記憶に引っかかっていた。たぶん、名作と言っても誇張にならない作品だ。
だとすれば、もっと誇っていいはずなのに。──あのため息は?
「もう長いこと、テレビには出てないから。
ほとんど気づかれなくなってたんだけど。」
彼女はわずかに、照れたように口角をあげつつ。
しかし同時に苦いものをかみつぶしたような、複雑な表情を浮かべた。
──────
彼女は、芸名なんだけど、と断って「
苗字はよく出演してた時からいろいろ変わった、親も離婚したり再婚したり死んだりしたし。と彼女は口に上せて僕をみたが、僕は頷いただけで突っ込まなかった。
(彼女としては聞いてほしかったのかもしれない。
ちょっと我ながら冷淡な反応だったかもな、と僕は後で反省した。)
有明は幼いころに子供番組でデビュー。子役としてドラマに出ていた。
演技の才能はあったみたいね、単なる早熟かもしれないけど。と、人ごとのように言う。
例のドラマの主人公役の子役の演技とともにもてはやされ、人気を集めたが。
「それでね。それなりに売れて思い上がっちゃったのかしら。
私も、親も。」
彼女の演技の才で得た大金で、母親は遊びまわるようになってしまい。
もともと衝突しがちだった昭和タイプの父親は、外に女を作って家に帰らなくなり。
「そして、私も勘違いした。
演技の才はあったと思う。でも、それしかなかったのよね。」
年上の業界人からちやほやされ、仕事漬けで。
まともな人付き合いの感覚を身につけられなかったのだ、という。
もともとあの業界、良く言えば実力主義で、数字を持ってる人が強い。
そういう実力は、人格的な円満さと必ずしも一致しない。もちろん人格者もいるが、そうでない人もいる。
特に若いアイドルには、瞬間的な風速を自己の実力と勘違いしてる向きもあって──。
「わがまま放題で高飛車に、周りの人を振り回して。
でもそれが格好良くみえたりしてたのよ。力がある証拠みたいで。馬鹿ね、私。」
そんな悪い手本を模倣し、生意気な言動で監督やプロデューサーからも煙たがれるようになり。
それでも幼い外見で高度な演技やせりふ回しができる彼女は、売れっ子としてひっぱりまわされていたが。
成長して、幼稚園児などの幼い子の役はできなくなり。小学生高学年くらいからなら、できる子役も多いわけで。
加えて中学生に入ったあたりから、母の銭ゲバぶりが敬遠されたこともあり。
彼女の仕事は減り、声があまりかからなくなってしまい。
それを受けて、家庭はさらにぎくしゃくするようになり。
「お金がなくなって、家もなくなって。パパもママも、私を置いてどっか行っちゃった。
もともと壊れてたのね、私の家。
私が稼いだお金がある間は、パパもママもそれを取りに家に帰ってきてただけで。」
そして子役としての彼女の賞味期限切れで、一家は離散し。
彼女は関東の親戚をたらいまわしにされ。身をもって悲惨な思いをしたらしい。
事務所からも縁を切られ、子役あるいは役者としての仕事もなく、忘れ去られている。
「目をかけてくれてた監督が引退する前に使ってくれたのが、大きな仕事だと最後。それが2年前、──いや、もう3年前?
もう、業界から、いや、家族からも。いろんな人から見限られたのよね。
今の私は、減価償却しきった後。部品取りまでした後の自動車産廃、ってとこ。」
──後の利用法は、
そう、彼女は自虐的な笑みを浮かべて総括した。
──────
そうこうしているうちに、いつのまにか裏町は抜けていた。
表通りに出れば、もう路面電車に乗れる。そこまで変わらないものの、このまま歩くより多少早く目的地につけるだろう。
そう、彼女に伝えるが。
「もういい。このまま歩いていい?
電話は入れたし、どうせ私は、約束の時間も守れないクソガキだって思われてる。
だから、このままホテルまで案内してくれない?もう、近くなんでしょう?
お礼はするから。お願い!」
多賀島駅では、ホテルに電話が通じないとさわいでいた彼女だったが。
単に電話番号を手帳に控えるときに書き間違えていただけらしく。
電話帳で確認してフロントに掛けて、待ち合わせ時間に遅れることは先方に伝言してもらった。
第一印象が悪かったのもあって、今でも僕はこの子に積極的な好感は抱けていないが。
(考えなしの暴言で人の逆鱗をつついては謝る、ってのが多い。悪気はないみたいだが軽率だ。)
ただ、正直なところ。
ある種の同情と「懐かしさ」みたいなものを抱いてしまったのだ。
まあ元子役だっていうから、真にせまった演技かもしれないが。
照りつける太陽の下、汗ばむ彼女が固い表情で僕にぽつぽつと漏らしてくれた言葉に、嘘はないと僕は感じた。
そしてまた、非常にクソ生意気な言動も見え隠れするが。
彼女のもともとの性格は、そこまで悪いようには思えない。
学校には「あまり行けてない」らしくちょっと常識に欠けてるところはあるが、頭は悪くない。
(たとえば自分に一般的な社会性が足りない、といった自己分析ができること自体、彼女の地頭がいいことを示してる。)
そして人の許容度を試すような、彼女のイラつく言動も。
周りの大人がこの娘のことをちゃんと気にかけてやらなかったせいなんじゃないか?と、僕は感じた。
要は、気を惹いて自分への愛情を確かめたいのではないか、と思うんだ。
この子本人には、僕はなんの思い入れもない。中学生だった姉がこの子が出てた例の有名ドラマ、気に入ってみてたからつきあいで見たことがあるだけだ。
だけど、この子の『歪み』が、僕の「1回目」での唯一、わずかな期間だけ付き合った女の子に似てる。
もちろんタイプは、全然違う。
僕のつきあってた子はもっと陰性植物っていう感じだった。ただ、家庭が終わってるってのは同じで、──。
あ、やばっ。
そういえばやっておくことを思い出した。あぶないあぶない、後で確認しないと。
一瞬、気をとられてしまい無言の間ができてしまった。
気を取り直して、不安そうにこっちをみて返答を待ってる彼女に答える。
「お礼って言っても、タクシーに乗るお金とかも、節約したいんでしょ?
いいよ、乗りかかった船だし。どうせ帰り道だしさ。」
「──ありがとう。」
言いにくそうにあさっての方向をみながら礼を口にする、ほっとした風情の有明の横顔を、また目の隅でみる。
そう素直にしとけば普通に可愛いのにな、と僕は思った。
──────
「あー、ぶっちゃけ親戚はいるけど、あんまり頼れない。
関東の親戚は、私の一家とはかかわりあいたくないっていうのがほとんど。
残りは、──こっちがかかわりあいたくないっていうか。
私をとことんしゃぶりつくしたいっていう、まともじゃない親戚くらいかしら。」
こっちに親戚がいるのか、と聞くと。
彼女は自嘲気味に笑いながら、そう答えた。
母親が失踪前に金銭トラブルですごく迷惑をかけていたらしく。
関東の親戚とは、ほとんど絶縁状態。関心を示す親戚は、こちらから願い下げのヤバい奴ら。
結局、ここ多賀島在住の遠縁の親戚に頼み込んで書類に名前を貸してもらい。
生活面では、ある種の篤志団体に拾われ、どうにかなっているそうだ。
(何か言葉を濁していた様子に、いわゆる『貧困ビジネス』みたいなものだろうな、と僕は直感したが。
紫藤の境遇との類似性に、そのときはあまり思いが至らなかった。)
ホテルが見えてきたので、あれだよ、と彼女に指差す。
バブル時に建設された、ハイグレードなホテルだ。
しかし僕の想定と異なり、彼女はどことなく気がすすまなそうな表情を浮かべた。
あまり詮索しなかったが、仮に今回、彼女が多賀島に来たのが、こっちの親戚に会う用事なのだとしたら。
その親戚とは書面以外にほとんど付き合いがなく、気まずいのかもしれない。
ホテルの近くまで来ると、彼女がまた身を寄せてきた。
「ねえ。本当にいい?その、お礼のことだけど。
前払いでお金もらえるかも。すぐ済ませるか、時間もらって出てくるから、ちょっとだけ待ってくれたら、──」
「それはいいよ。」
ちょっとうんざりしながら、僕は再度拒否した。
そんなもののために、案内してやったわけじゃない。
だいたい、今日はたまたま暇な時間があったし、帰り道の道筋でもあったからつきあったけど。
彼女のせいでもう相当、時間を食われてる。もうこれ以上お付き合いする義理はない。
それに、だいたい。
もし会うのがその親戚なら、遅参したうえにいきなり金をせびられたり、金を渡したとたんに中座されたりしたらいい気はしないだろう。絶対に。
差し出がましいけれど、と断って。
絶対にお金のことを先に言うな。まずは相手に誠意を尽くして謝るんだぞ、と強めに釘を刺す。
「そうよね。ごめんなさい。貴方には、すごく迷惑をかけたわ。
私は、──なんか楽しかった、ひさしぶりに。ありがとう。」
彼女は意外にもあまり意地もはらずそう言って、ちょっと笑ってみせ。
じゃあね、と背を向けて歩き出し、最後に一度だけ振り返って、まだそこにいた僕に手を振り。
その華奢な背中は、ホテルの自動ドアに吸い込まれていった。
さて、一件落着。帰るか。と僕は思ったのだが。
彼女に説教したとき、後悔したような表情を浮かべた彼女の顔が、どうにも心に重い鉛の球のように沈んでしまっていて。
それがあの紫藤の1回目のときの別れのときの記憶と重なって、どうにも落ち着かない。
4、5分ほど、もし何かあったら戻ってくるかもしれないと思って佇んでいた僕だったが。
──まあ、出てこないし。大丈夫だろう。
そう思い、踵を返したのだった。
──────
(第三者視点)
「もうすぐなんだろうな。」
「電話での伝言どおりですと、もうすぐのはずですわ。」
高級ホテルのティールームの一角。
プライバシーが確保された半個室に、ガラス張りの一面から明るい外光、木漏れ陽がふりそそぐ。
かつては太っていただろう、砕けたゴルフシャツの赤ら顔の老人と。
カエルのような印象のでっぷり太った男と。
そしてやや暴力的な雰囲気を漂わせるサングラスの中年男が、空調の利いた部屋に集まってきていた。
「まったく。人を待たせおって。礼儀もしらん餓鬼だ。
ガマガ君も、まちくたびれたやろ?」
「あー、えー、はい。」
太めの男は胡乱な答えをよこすが、慣れている老人は気に留めず笑った。
こんどは、サングラス男に問いかける。
「ところで
「さて。私には、なんとも。
ただ先方は、これまでは期待どおりのものをよこしてくれていた、と。」
そうだな、と老人は考える。
ただ、今回はいつもにまして張り込んだ。その元は、取るつもりだ。
老人はこの地の著名な政治家だったが、とある不運で失脚した。
(その意趣返しは、そのうちするつもりでいる。老人は思い出すだけで腹が立つ記憶をまた脳裏に浮かべて、ぎりっと奥歯を噛んだ。)
失地回復も見込めないほどのかなりの打撃を受け、ひところは床に伏していたが。
この先代からつながりがあり、多大の金銭的な援助も受けているガマガという太った男に、引き続きの援助を目的としての接待をするのと同時に、自分でもひさびさの気晴らしをしたいと考え。
とある組織に依頼して、大枚をはたいて人を派遣してもらったのだった。
とんとん、と扉にノックがあり、給仕が訪問客を告げる。
「遅くなりました。お客様がお見えです。」
老人は頷き、客を通すように促した。
──────
(第三者(有明りな)視点)
口の中が軽く乾いている。
あー、これ。台詞、とちっちゃうときの感じだ。
彼女は、一瞬だけごめんなさい、とウェイトレスさんに断り。
深呼吸をする。心を落ち着かせるために、スーツケースの中に入れてきたもののことを考える。
ピンクの楕円形の、布と綿のかたまり。
初出演のお祝いで買ってもらった、「どんぐり」という名前のブタのぬいぐるみだ。
終わったら、あれをぎゅっとできる。大丈夫。
ウェイトレスさんも仕事もありそうなのに、そんな彼女を見守ってくれていて。
深呼吸を終えた彼女に、ちょっとだけ休みますか?と聞いてくれる。
(少しだけ訛ったその響きに、不思議に人情と旅情を
いや、いいです、と言うと、そっと耳元に口を近づけてきて、「ちょっと怖そうな人たちでしたけど。大丈夫ですか?」と再度確認してくれて。
ちょっと心配げな顔を向けられるが、元気そうな演技でうなずいてみせる。
そう恐れていても仕方ない。これは、彼女の
お邪魔します、とわざとらしくなく、しかし庇護欲をそそりそうな感じに声を上げ。
ウェイトレスさんに開いてもらったドアを通る。背中に、心配そうな視線。前から、ねっとりとした男たちの視線が集中する。
背後でぱたん、と扉が閉まった。
「ほー、べっぴんさんやのー!
こっち
酒焼けした感じの、好色そうな老人が声を掛けてきた。
彼女は、適当に流そうとして。
そこでここに来る道を付き合ってくれた、朴訥そうな青年の言っていたことを思い出し。
まずは頭を低く下げて、遅れてきてしまった詫びを述べる。
ええよええよ、こっちも遅れとったしな、と赦しの言葉をもらい。
おじゃまします、と言って彼らの着く卓に近づいた。
部屋はわりと広め。8畳くらいの長細い部屋に、ソファとコーヒーテーブルのセットが2つ。
入ってきたドアの反対側は、一面ガラス張りになっていて、まぶしく照り返しが入ってきてる。
薄いレースのカーテンが引いてあるが、外(中庭)をときどき人影も通る。
ここでいきなり
卓には、声を掛けてきた好色そうな老人が1人。
その向かいに、でっぷり太った40くらいの蛙に似た印象を与える男が1人。
ちょっと堅気でなさそうな暴力的な気配も漂わせる、屈強そうなサングラスの男は席に着かず、さりげなく老人の後ろに立ち位置を変えている。
「ほう、ほら、握手を「ハラ先生。その前に」」
サングラス男が近づいてきて、彼女は思わず身をすくませた。
「サドハラ、お嬢ちゃんがこわがっとろうが。
ええよ、ええよ!これまでも、あっこからの子は、大丈夫だったがゃ?」
サドハラと呼ばれた男は、おそらくボディガードか何かなのだろう。
彼女のボディチェックか何かをしようとしたのだろう。
止められたサドハラは、もの言いたげに老人を見返すが。
無理に彼女のチェックをしようとはしない。
ただ、ここでチェックしておいてもらった方が心証はいいはずだ。
「あの。どうぞ、お構いなくお調べください。」
地が出ないように、可憐で無垢そうな少女の演技で、軽く両手を上げる。
老人も、彼女がいいといえばそれはそれでいいらしい。
男が軽くポケットをフリスクするのを、見守っている。
ワンピースのスカートの外側から、腿の外側を軽く撫でられたのは、きっと革ベルトか何かで凶器を吊っていないか調べたのだろう。
その手のものは、身に付けていない。
「そんなところで。ええやろ。
ところで、話は、聞いとるね?」
「はい。
ご主人様の身の回りのお世話を。そして、余興を。」
「ほうほう、そうやんな。
余興は、『ありのあり』ってことかいな?」
「いえ、マネージャーからは聞いていません。
無しでいい、と聞いているのですが。」
指示されたとおり、ちょっと不思議そうな声色で突っぱねる。
「ほー、ほー。でもね。よう考えて?
わざわざね、東京からね。ぴか一さんを、って。大枚払って呼んでるんよ。
何をしないといけないか、何をしてはいけないか。
『リトルウィッチ』の子なら、口で言われんでも、わかるやろ?なあ?
──まあええ、一度、家に来てもらってからやんな。
お嬢ちゃんには、まだわからんかもしれなんだが。
一晩寝て、ちょっと、よおく考えてもらお、な?
自分が何をしなけりゃならんのか。責任ってものを、どう果たすか。な?」
そう、説教じみた言葉を発しながら。
ねっとりとした視線が、彼女の体の線を舐めまわす。
ただ、彼女はその視線から。
顔はともかく、彼女の体は、この老人の好みから少し外れているのではないか?と推測した。
確かに老人からは好色そうな視線が向かっているし、普通に喜んで
しかし、その視線には、そこまで高い熱量があるようには思えない。
老人の好みは、もっと成熟した女性なのだろう、と彼女は推測する。
彼女はその点、背は高くないし、そこまで外からわかるほど胸も大きくない。子供体型にみえるのだろう。
ただ、脱ぐとそれなりなんだけどな。と、若干の不満を彼女は覚えた。
彼女を眺めた後、老人の視線は、老人の向かいに座る太めの男に転じた。
この、老人の向かいの蛙のような印象の男の人。この男の人の好みは、おそらく老人とは違っていて。
彼女の膝上くらいのやや短いワンピースの裾のあたりに、こってりとした欲望を浮かべ、見開かれた小さな目が注がれている。
あ、この男、
組織が彼女を選んだのは、この男が要望を出したか、この男のことを組織が知っていて考慮したからかもしれない。
その大事な部分を知らせてくれない組織の姿勢を不満に思ったものの。
どのみち彼女は組織にがんじがらめにからめとられ、その手から逃れることができないので。
彼女は内心の不満を押し隠して、この蛙男に向けて微笑んでみせた。
「あー。きみね。
なかなかね、その、かわいいね。」
べったりとした口調。額に張り付いた、ポマードか何かを効かせた髪と似て、粘着的な響き。
「ハラさん、いいですかね。そのね、少しだけね。」
「ガマガくん。ほら、外が外だからな。」
「ええ、ええ、見たいんですね。ただ、見るだけなんですね。」
「ふん。サドハラ。あばれるようなら抑えろ。
──お嬢ちゃんや。ちょっと、このおじさんに見せてくれるかな」
どうやら、太めの蛙に似た印象の男の方が彼女により関心を抱いている。
どうやら少し味見させろ、と。そう、この太めの蛙男は言っているらしい。
「え、いったい、何をですか?」
そう、普通の少女ならこの状況に置かれて示すだろう、おびえと恥じらいとを顔に浮かべてみせながら。
彼女はどう立ち回るべきか、頭を回転させて考えをめぐらせる。
しかしその間にも、サドハラと呼ばれた男は、圧を発しながら彼女に近づいて来るのだった。