※この作品はR-18です。

タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。   作:Marchhatter

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 志野視点です。


258 少し汚れて、でも染まらないまま(24)(志)

(志野視点、多賀島中央高校旧本部棟5階、通称「開かずの間」、午後6時)

 

「志野くん。どうして目を合わせてくれないのかな?」

 

「いや、──気にしなくていいんだ」

 

「わたしが、イヤになっちゃった?」

 

「ちがうよ!

 ──たださ、ちょっとさ。ほら、恥ずかしくて、さ。」

 

「ええっ?

 うー。はずかしい姿をみられたのは、わたしなんだけどな──」

 

 放課後の旧本部棟5階、通称「開かずの間」。

 そこに忍び込んだ僕と紫藤は、紫藤の立案した計画に沿って。

 僕にはアレへの殴打トレーニングを、紫藤には耐苦痛トレーニングをそれぞれ施した後。

 部屋の内窓を開けて、風を通して暑い部屋を涼しくし。

 その後、ソファに折りかさなって、すこし感想を述べあい。

 要はいちゃつきながら、ふたりで寝落ちしちゃってたんだ。

 

 いや、いちゃついたって言っても。諸兄ご期待の展開になんか、全っ然、至ってないんだよ。

 手をお腹側から紫藤のブラウスの下に侵入させてナマ肌をさわさわしたり、ブラウスの上から小ぶりだけどちゃんと盛り上がってて気持ちのいいふくらみに手を当てたりして、楽しんでたら。

 なんだか安心しちゃって。そのまますうすう、ぐっすりと。

 いやまてよ、そのお昼寝で意識をなくす寝入りばなに夢をみたな。あれ、ちょっと気になる夢なんだが、──。

 

 あー、それはともかく。

 寝て目が覚めて頭が冷えてきたら、あらためて恥ずかしさがこみあげてきて。それで冒頭のやりとりになったわけだ。

 いやだってさ、よく考えたら。神聖なる学校でけしからんことに至ってて。

 しかも。大事にするつもりと言いながらなんの罪もない紫藤をきりきり縛り上げて。

 紫藤の足の裏やお尻を叩きまくったのは、──まあ程度はともかく彼女自身の計画内だからまあいいとして。

 無理やりに近い状態でお尻に指を挿入したり水を注入したり。いや僕、何考えてるの馬鹿じゃない?

 自分が調子に乗って浮かれてやりたい放題したことが、いまさらながら恥ずかしい。──頭が冷えた紫藤に、幻滅されたりしてないかな?

 

 彼女の様子を、おそるおそる目のすみで伺ってみる。

 彼女は頬を軽くふくらませながらも、なんか目元をピンクに染めてる。彼女も恥ずかしい、っていうのは嘘じゃないみたいだ。

 おずおずとお詫びの気持ちをこめて頭を撫でてみると、気持ちよさそうに、ちょっと機嫌のいい猫みたいに頭をかしげ、(なんだかいつのまにか美少女っぽくなった)長い睫毛の透くような瞼を閉じてうっとりした様子になり。

 そしてまた目をあけて、僕に向かってにこにこしてくれた。あー、大丈夫っぽい。

 

 夏の夕方、6時頃。まだまだ明るい。

 今日は、紫藤はホストファミリーの家に帰る。最終下校時刻の六時半ごろに、学校の裏手にお迎えが来る。

 それまで軽く部屋や道具の片づけをして、部活組の生徒たちが下校するのにまぎれて僕たちも学校を出た。

 

「志野くん。学校、終わっちゃうけどさ。

 来週、──」

 

 そうそう、補習期間が明日で終わる。終わったから、いろいろやるべきことが目白押しなんだ。

 いつのまにか時間が飛ぶように過ぎて、もう来週しか竜神関係の準備の時間がない。来週末が竜神娘たちにあの頭蓋骨を貸す約束の日だ。

 紫藤母の不気味な夢の世界も訪れないといけない(これはそこまで急がなくてもいいかもしれない、と紫藤は言っている。でも、放置してるわけにもいかない)。

 あの医学部のイケメン先輩の関係での、救出ミッションもある。ハーフの美女さんが囚われの身になっているとか、なんとか。これ、僕の直感だけどあの国領が熱した鉄板に乗せられていじめられたり、調布が大蛇と戦ったりしてた、あの未来につながってる気がする。

 紫藤は来学期からはこっちには来にくくなるだろうな。だから、8月末までにいろいろ進めておかなきゃ。

 

 紫藤的には、僕に協力してほしいことがあるらしい。ちょっと今は言えないけど、と言ってもじもじしていたけど、僕にはぴんときた。

 紫藤があの鍛錬の最後で白状してたことだな。シノザキミズキがどうのこうの、とか。よくわからないが、愛人みたいなもの?

 ちょっと気になる。一度、そのホストファミリーのところに状況確認しに行ってみるのがいいのかもしれない。

 

 ──────

 

 紫藤をお迎えの車に乗せて見送った後(僕も紫藤もなんとなく気まずいってことで、僕はドライバーさんに見えないように、まるで不審者みたいに紫藤を物陰から見送ることにしてる。こっそり紫藤が手を振ってくれる)、僕は夕暮れの街を急ぐ。

 片付けておきたい、延ばし延ばしにしていたとある重要な用事をすませねばならない。

 

 砦山の下の文教地区っぽい一角にある、県立の中央図書館。近くには博物館とか美術館もある。

 図書館の自習室目当てで訪れてるらしい、制服が微妙に違う他の学校の生徒たちとすれ違う。男はみんな頭よさげに、女の子たちは聡明で美人っぽくみえる。

 実際、図書館でわざわざ勉強するのは真面目な子たちが多いんだろうな。

 

 自転車を図書館の広い屋根付き駐輪場に止め、柱廊を歩く。この図書館のルネサンス様式の外回廊は、いつ来ても厳粛な気持ちになる。

 閲覧室に行くには、ロッカーに荷物を預けなければならない。筆記用具だけを取り出し、窓口のお姉さんたちに頭を下げて、入場者ゲートを押して入る。

 利用者は少なくなってきてる。外はまだ暗くなってはいないけど、もう蛍光灯が点灯してる。

 

 図書館1階は広いレファレンスコーナー。2階まで吹き抜けになった開放的な空間、上面が斜めの立見台に今日の新聞。その周囲の書棚に、過去数か月分のバックナンバーと縮刷版。

 そしてこの1階の一角に、全国のハローページ(電話帳だね)のコーナーがある。そこで目的の電話番号を探す。

 

 僕の「彼女」に関する記憶は、かなりかすれている。これは、僕の「2回目」が始まる前にすでにそうだった。

 電話帳には、知りたい人と同じ苗字が数十行ほど並んでいる。そして僕は彼女の父親の名前を正確には覚えていないし、その父親が自分の情報をハローページに乗せているかどうかも知らない。

 だから直接にこのハローページから彼女の家の電話番号を調べるのは、無理だ。関係ありそうなところから搦め手で探ろう。

 この時代はまだ華やかなりし受験戦争の舞台でもある、東京のとある有名な大学受験予備校の窓口電話を確認。一度レファレンスコーナーのある閲覧室を出て、ロビーの片隅にある公衆電話に向かい、度数の残ってるテレカで電話をかける。

 知りたいのは、とある受講生の連絡先。そう、僕の「1回目」での元、恋人だ。

 

 もちろん、20年後なら予備校が受講生のプライベートな情報を教えるなんてことない。ただ、この当時はまだ個人情報保護法制定前の時代、事務員さんの意識も高くない。ちゃんと理由を示せば結構緩く教えてくれる。

 ただ、理由づけは苦しい。間違って同じ受講クラスの他の学生さんのテキストを持ち帰ってしまった、連絡してお返ししたいが近く模試がある、その前にお返ししないと迷惑になるかも、などとつくり話。英語の誰それ先生のクラスです、とかろうじて覚えていた情報も伝えて信憑性を高める。

 彼女と予備校で同じクラスだったという奴が大学時代の友達だったので、その名前を借りた。

 うん、わかってる。迷惑行為だよな。何かあったら謝りたおす。でも今は他に方法が思いつかない。またあいつに再会したら昼飯にスタ丼でも奢ろう。

 折り返しにされたら詰むところだったが、なんとか電話番号を入手。そのまま、ハローページでその電話と一致する苗字の名前と住所を確認。これで、父親の名前と住所がわかった。

 そして今度は地図のコーナー。ゼ〇リンの詳細な住宅地図で彼女の自宅を確認。この時代にまだグーグルアースはないのが残念だ。駅から自宅までのルートを地図でよくよく観察して、これだ、と思う問題スポットを特定した。

 

 今週末、この予備校主催の全統模試がある。僕が2年生のころに、彼女がこれを受けたことを僕は知ってる。

 そしてその後の帰宅途中に、彼女がとある事件に遭うことも。その事件を防ぎたいんだ。

 時計を見る。今は、まだ早い。午後8時すぎくらいがいいか。一度家に帰ろう。

 電話番号を書いたメモをポケットにしまい、彼女の自宅の周辺の地図をコピーさせてもらい(ちなみに複写のためには専門のカウンターに申し出て、申請書を提出することが必要なんだよ)、僕は家に急ぐ。

 

 ──────

 

 父親が早めに帰宅したので、父母と夕食をいっしょにとる。

 父は最近はまた仕事が忙しい模様。でも母の耳のない折をみすまして小声で僕に話しかけてくる。僕のバイクのことを気にしてくれてるみたいだ。

 あー、それもあったな。でも納車向け整備を考えると、竜神の帰還までは難しいな。感謝の意を表して、近いうち相談したいと言っておいた。嘘じゃない、駐輪場のこととかもあるし。

 軽くニュースをみながら時間をつぶし、いったん僕は自室に戻る。本とかバイクカタログとか読みたいけど、ぐっとがまんして予習をすすめる。

 数式を解きながら、考える。2つ、電話をかけなきゃいけない。

 簡単な方から、やっておくか。

 

 僕はまずまだ気が楽な方を先にすませる。あの地雷女、有明りなのポケベルへの送信だ。これは、まあ親に断って送るだけ。

 いや、別に会いたいわけじゃないよ。でもポケベルに連絡入れるって約束しちゃったし。

 一言、挨拶程度でいいよな。えいっ。

 

 次が問題だ。話を両親に聞かれたくない。せめて電話がコードレスだったらいいのに。

 8時をすぎて母親が入浴し、父親も自室(書斎というか、机がある)に入って何やら持ち帰ってきたらしい仕事をしはじめたのを見計らって、居間にある電話を使わせてもらう。

 さすがにこの時代、プッシュホンになってる。メモをみながらボタンを押す。耳に響く、コール音。

 胸がどきどきする。

 

 誰も、取らなかったら。今日だけじゃない、明日もあさっても?

 今は別室にいる僕の父親が、いきなり戻ってきて電話を咎めたら?

 彼女が取らず、早く帰宅した彼女の父親が取ったら?

 この彼女の父親が、なかなかに面倒な人であることを僕は知ってる。

 

「──はい。」

 

 かなりコールを数えた後、ちょっと暗めの、若い娘の声が出た。

 もともと彼女は陽気な人格じゃない。あからさまじゃないけど、迷惑そう。

 でもその懐かしい声に、僕のどこがが決壊しそうだった。紫藤ほどじゃないかもしれないが、彼女のことを長く引きずった思い出があふれはじめてる。

 だから感情を殺し、あえて事務的な声で淡々と要件を告げた。

 

「夜分遅くすみません。柏原(カシハラ)ミサさん、ですね。

 今週末、湯ゼミの全統模試、受けますよね。それで、──」

 

 僕は、考えた内容を伝え。彼女がちゃんと理解していることを確認して、電話を切った。

 僕の乏しい脳で考えついたことは、やった。これで十分だろうか?本当なら自分自身の目で確認したいが──。

 しばらく思い悩んだが結局部屋に戻り。僕はふとんで大の字に横たわった。

 もう、今日はいいや。明日のことは、明日の僕に任せよう。ダメ押しするのか、もう介入しないのかも含めて。

 

 ──────

 

 地雷女である有明りなから電話がかかってきたのは、かなり深夜のことだった。

 予習復習もひととおり終わり、お風呂に入り、空いた時間でバイク雑誌を読んでニヨニヨしたり、竜神関係のことをあれこれ考えて額にしわをよせてメモを作り作業をすすめたりしていて、もう寝ようか、なんて思いはじめた頃。

 音量を落としたFMラジオのクロスオ〇バーイレブンが始まり。「彼女はそのまま、読まずに破り捨てた の だ っ た ──」と、ナレーターさんが意味深にショートショートを朗読し、音楽が始まる寸前。

 僕は、居間の電話の呼び出し音を聞いた。

 

 こんなはた迷惑な時間帯にかけてくるのは、多分あいつだ。いや、あいつしかいない!

 かかってきたとたんに、僕は不思議なほどの確信を抱いた。

 この前、深夜に呼び出されて会ったときはちょっとしおらしげだったが、やっぱりあいつはちやほやされてスポイルされた自己中(ジコチュー)女だ。そのうち、ピシッと言ってやろう。

 そう思いながらも急いで居間に出て、2コール目で受話器を取る。親は多分もう寝てるだろうから起こしたくない。

 

「はい、もしもし」

 

「夜分遅くごめんなさい。──ねえ、しーくん?」

 

 最初は名乗れ。

 有明りなへピシッと言うことリストに一行を加えながら、僕は答える。

 

「ああ、志野だ。有明さんかな?もう寝る時間だぞ。」

 

「ごめんなさい。でも、しーくんの声がききたくて。」

 

 だいたい、いつから僕のことをそんなファンキーな愛称で呼ぶようになったんだ。

 いや、別にこそばゆいだけでそこまで嫌なわけじゃないんだ。

 なんだかうれしそうに、家から町におりる道が分かったの、崖を降りるはしごをみつけたの!と報告してくれる。

 すこし声を潜めてるのは、向こうも電話が台所にあるからだろう。

 

 彼女の日中の冒険談を聞き、電話とポケベルをするときのルールを決めたりしたが。

 最初から彼女はときどきあくびをかみ殺すような気配があったが、10分もしないうちに回答が間延びするようになり、がん、と受話器を取り落としたりし始めた。どうも、寝落ちしかけている様子。

 今日はよほど疲れてるみたいだ。話を切り上げることにしよう。彼女もさすがにゴネなかった。

 

「ねえ、しーくん?

 ──こんど、また、会ってくれますか。」

 

 終わり際。一時は寝ぼけた声に気力が戻り、そして急にちょっと丁寧語になる、有明りなの神妙な声。

 いや、会うのはいいけどな。調布たちとは絶対出くわさないようにしなきゃ。

 それに外見は可愛いと思うが、この地雷女、有明りなと僕はそんな親しい仲になるつもりはない。僕には紫藤がいるし。調布もこわいし。

 でも、記者さんが興味津々だったしな。その仲介は、してあげなきゃいけない。

 それに、多賀島を一度案内してやりたい。知り合いもいないだろうし、心細いだろう。基本、家に閉じこもりっぱなしで街には出てないみたいだしな。

 

「ああ、大丈夫だ。楽しみにしてる。また、連絡しよう。」

 

「ありがとう、しーくん!

 それじゃ、おやすみなさい。遅くまでごめん、ぐっすり休んでね。じゃあね!」

 

 こちらもまたね、と答えて電話を切る。

 よしっ。これでこっちのノルマも達成。あとは、明日だな。

 僕は適当なところで切り上げて、充実感を感じながらふとんにもぐりこんで扇風機のタイマーをかけた。

 

 暗闇のなか、目を閉じて横たわった。

 外の建物と建物の間の庭の芝生からだろうか、夜の虫の声が聞こえる。

 まぶたの裏、暗黒の中に、草木の導管みたいな幾何学的な同心円状の模様が飛び交う。

 

 ふと、夕方、紫藤といちゃついた後のまどろみの中で見た夢を思い出す。

 夢ともいえないような夢の断片。この手の夢を僕は以前にも見たことがある。国領のときだ。

 あれが正しかったか間違っていたかはわからないが、僕はそれを信じて行動した。結果として、おそらく正解だったのだろう。

 

 いままですっかり忘れてたけど、──今日の僕は、何をみたんだ?

 よく考えたら、あれは等閑視していいものではなかったかもしれない。

 僕は記憶をさかのぼる。思い出せない約束のような、気がかりなその記憶を求めて。

 

 まるで、それは屋上からばらまかれた写真。下にひらひら落ちたその数枚を眺めるようだ、そう思ったのを覚えている。

 過去から将来に向かう、木々の枝のような世界線の分岐。そのそれぞれについた葉が数枚いや十数枚、落ちたように。

 その異なる世界線のそれぞれの、ごく限られた一場面を僕はかいまみた。

 

 いくつかは、過去の情景。

 化石が出る、って言われてた近所の山に友達と出かけて、炎天下でスコップを振るい、地面を掘った。

 ミミズしか出ないし、石を掘り出してもそれが化石かどうかなんて、小学生にわかるわけない。

 そのうち化石なんてどうでもよくなって、木の上に縄を張って秘密基地を作った。よく、マダニとかに刺されなかったな。

 帰ろうとしたらどこかで帽子を無くしてしまったのに気づき、友達と探し回るも見つからず。

 しょんぼりしながら帰って白状したけど、母はそんなに怒らなかった。祖父の形見だったのに。

 あの麦わら帽子は、どこにいったんだろう。そのまま、忘れ去られた草原か林かで朽ち果てていったんだろうか。

 

 いくつかは、あきらかに現実化する可能性の薄い世界線。

 厳しい寒さに凍てつき、氷河に呑まれている東京。新宿の都庁舎も、分厚い氷が覆う。

 地表の氷を削り作られた坑道をくだり、かつては賑わっていたであろう地下道にもぐりこみ。

 その一帯に棲む「残された人々」に食料を売りつける商人然とした僕の姿。

 

 いくつかは、現実化の可能性の少しある世界線。

 紫藤が野原を歩いてる。ジャンバースカートを着た紫藤が、くるりと回って幸せそうにこの視点の持ち主(僕?)に微笑みかける。

 黄色い花の咲き乱れる野原に、草を折り敷き。紫藤は花の冠を編み、この幸運な誰かの頭にのせる。居心地わるそうにしてるみたいだ、紫藤がそれを揶揄ってくる。

 

 いくつかは、現実化の可能性の濃い世界線。

 未来の紫藤だろうか?すこしだけ身長が伸びた気がする、彼女の姿。

 坂の上の家の庭で、洗濯物を取り込む紫藤の後ろ姿。決して広くはないが、緑の多い庭。線路に近くて、しかも坂をのぼり切った上で、もより駅からは回り込まないといけないちょっと不便な立地みたいだ。

 髪を少し伸ばした紫藤が、僕の視線を感じたのか振り返る。誰もいないので困惑したような気配。振り向いて目を瞠っている彼女は、今と変わらない。いや起伏のあるシルエットは、女性として今より成熟してるようにみえる。

 家にもどり、かいがいしく家を片付け、料理を作る紫藤を僕の視線は追随する。

 紫藤は、どこか僕の視線を感じて不審に思ってるみたいだ。パッと振り向いたり周りを見回したりしてるが、僕に気づかない。

 ため息をついて、頭を振る紫藤。彼女の顔には、どこか諦念の混じった悲しみがある。

 

 きちんと片付いた居間のソファに、一人座る紫藤。テレビ棚には写真。

 なぜかぼやけてよくみえないその写真の中、紫藤の横に写っている「誰か」が僕ではない、と僕は直感的に悟った。

 帰りが遅い「誰か」を待ちわびて、自室に入って机に向かう紫藤。何かをこりこりと書いている。

 ドアベルの音、そして紫藤はさっと立ち上がって迎えに出るようだ。

 僕の視線はそれを追わず、紫藤が書いていた分厚いノートのようなものを見ようとする。

 焦点がぼやける、しかしいくつかの文字がわかる、だけどやっぱり読めない、意味が取れない、──。

 

 ──その続きを思い出そうとしながら、僕はいつかもっと深い眠りに落ちていった。

 

 

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