タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
(志野視点、金曜日夕刻、膵喘寺スターレーン)
「あー、志野っちさあ、もう帰んの?」
「日比谷や調布さんたち、カラオケ行くって言ってるけど。志野、どうなん?」
「志野はああいうの、苦手なんだよ。だから、俺たちと下のゲーセンでストⅡ大会するんだよな?」
「それもいいなー。
あ、まてよ。ちょっと一瞬考えさせて。」
──高木たちと遊ぶのもいいな。話があるって言ってたし。
そう思っていたんだけど、視線の先で、心残りそうにこちらに一瞥をくれながら一足さきに離脱していく頼りなく可憐な夏制服の後ろ姿をみつけてしまった。紫藤だ。
たぶん、下で待つつもりだろう。
そして僕の視線の動きを、高木たちにも気づかれてしまった。
「あー」「そりゃね、そっち行くっしょ」
誘ってくれてた高木たちから、いかにも察しました、というような声。
冷やかし3割くらいだが、基本、快く送り出してくれようとする。いや僕、まだ決めてないのに。
そう思いながらも、同調圧力の空気に弱い、純然日本人である僕は。
この流れに逆らえず、「ごめん、今日はそうするわ。またな」と彼らに声をかけ。
一次会のボウリング場から脱出し、そそくさと階段を早足で降りる。
階段下から吹き込あがる夜風。湿っていて涼しい。
紫藤の姿を、僕はこのアミューズメント施設の1階部分の薄くらがりに探しながら。
中河原さんと別れてここまでのことを、思い出していた。
──────
あの後、僕は必死に走って会場の膵喘寺スターレーンにたどりついた。
僕の出身地である多賀島の人々は、都会と違ってかなり時間にルーズ。
4時に待ち合わせて、時間どおりに集まるのが半分くらい(ほとんど女子)。20分すぎてようやく、という感じ。
(これは県民性っていうか、僕の生まれた地方全体がそんな感じ。僕自身は結構、時間に几帳面な方なんだけどさ。)
ただその多賀島基準でも、僕はやや出遅れ気味だったらしい。
ついつい彼女、中河原桜さんとの話に引き込まれてしまって遅刻した。身から出た錆だ。
(いつもは僕、時間には正確にするようにしてるよ。
でもさ、先輩の家出には僕とのことも影響してるみたいだし。
それに有明りなも言ってた、『角のある巨大な猿』っていう奇妙な符合が気になってしまって、さ。)
ともかく、僕は打ち上げの会場であるボウリング場に遅参し。調布に怒られながらレーンの一つに配属され。
初回ゲームのレーンでは、僕と同様に遅刻してきた奴らの寄せ集めグループに参加することになった。
6人のメンバー中、僕を除く男子3人は遅刻上等の連中。
悪い奴らじゃないけどさ、僕や高木とかとはノリが違ってなんか緩い。
かといってクラスの中心ってわけでもない。「だりーわ」とか言ってぐだってる感じ。
ただ、中央高だからね。仲間うちでしかしゃべらないってわけでもない。僕も会話に混ぜてくれる。
女の子は、ちょっとヤンキー系というかコギャル系の中村さんと、体育会系部活動女子の宇都宮さん。どっちもあまり接点がないけど、しいていえば宇都宮さんとは文化祭である程度協力してもらって話したことがある。
ゲームが中盤くらいにさしかかったとき。
(ちなみに僕はビリじゃないけど、ビリから2番目。なんかこのレーンの連中、こういう遊びに慣れてる面子が多いんだ。)
「ねえ。志野ピって、みなりのカレピなんしょ?」
一投して(なんとかスペアがとれた)戻ってくると。
僕の座ってた席の横に移ってきたらしい、スカート短めで派手めの女の子の姿。
中村さんという、なんか当時でいうコギャル系の女の子だ。
もっともガングロとかにまではしてない。すこしア〇ラーっぽいって程度。
「あー、たぶん?」
「あはっ、たぶんって。なにそれ、ウケるー!」
うへえ。僕この子苦手。
ひとしきり僕の物言いを笑われて、なんか感じ悪いなー、と僕は不快感を覚える。
こういう子が、いつも付き合ってる男ってのは。
うまくこういうやりとりを利用して、距離を縮めたりできるんだろうか。でも僕は心狭いから無理。
あと、なんやかんやと紫藤のことを聞き出そうとするのはやめてほしい。別に興味ないでしょ、そんなこと。
どうもこのレーン、男4人と女の子2人なんだけど。
女の子2人の仲が、あんまりよくなさそうなんだ。素行のゆるいヤンキー女とがちがちの規律命の体育会系女のとりあわせだし。
男子もまあ、僕を含めパッとしないし。
それでヤンキー女たる中村さんはこのレーンを見限って(そういうところも、どうだかなーと思う)。
これまでは、投げるときだけこちらのレーンに呼ばれて戻ってくるだけで。
それ以外は隣のレーンの友達とばっかりしゃべってキャハキャハしてたみたいなんだけど。
そっちはそっちでゲームが盛り上がり始めてしまって。
それでも、なんかアタシってじゃまー?なんて言ってひらきなおって(?)粘ってたみたいだけど。
その相手の友人からも、ジャマじゃないけどせっかくだからマジに投げてきなよ、みたいに言われ、受けが悪いのを感じたのか。
しかたなくこっちに戻ってきて、僕に粉かけてきたってことみたいだ。
(僕たちのレーンのもう一人の女子、体育会系の宇都宮さんがオタサーの姫状態で僕のレーンの男3人と話してたから、混ざりたくなかったんだろう。)
彼女にとっては、ただのひまつぶし。
でも僕にとっては、針のむしろっていうか、黒ひげ危機一髪っていうか。
だってさ。なんか世間舐めてて波長あわないし、だいたい「それで?紫藤さんとは、もうヤったの?」とか聞いてくるわけだ。やめてほしい。
要はこの子、頭の中がピンク色なんすよ。それにそんなの、僕が答えるわけないじゃないか。
しばらく僕をいじって、壊れた自販機のように叩いても揺すっても面白い話が出てこないと見切ったのか。
彼女はぺらぺらと自分のことを話しはじめる。自分の中学の話とか(興味ないけど、不良の先輩がすごかったとかなんとか)、よその学校のかっこいい男子に声をかけられた話とか。全く興味ない。
まあでもこの手の子、話を聴くタイプじゃない。
たいてい仲間うちで「ウチらスゲー」みたいなことを言いあって、世間の馬鹿な大人(先生たち)や冴えないクラスメイトを笑って、自分たちが勝ち組と思いたいだけなんだ。
彼女の容姿は、まあ公平にみて。
派手めだけど、女の子の間では美人って言われるタイプだと思う。
校則違反のリップ、進学校では異例に短い(ギリ校則違反でない国領よりも短い)スカートも目を惹く。
なんていうんだろう、迫力があって不良っぽい。セックスアピール満載、って感じ。
でもなー。僕としてはなんかみてて恥ずかしい(自分の好みじゃない、一部の男の下品な欲望を拡大して『こういうの好きなんでしょ』って示されてる感じ、っていうか)──話はもちろん合わないし。
それに全体的に痩せすぎっていうか。ルーソにつつまれた脚も、女の子が評価する細さ。
僕としては、顔も体も調布の方がいい。頭も良くて話も合うし、体は、──っと、勃ちそうになるから思いだすのはやめとかないと。
まあこの場は、まあ、最低限のお付き合い。はいはい、と聞いておこう。
──そう思って、相手してたんだけど。
意外にこの子は聞き手がいればそれでよかったらしい。
饒舌にタラタラと話し続けてる。
「それでさー。
ばあちゃんが夜は出歩くな、って。うざくてさー」
要は物騒だから出歩くな、と釘を刺されて夜遊びに支障が出てる。他校のちょっと気になる彼と会えない、とかなんとか。知らんがな。
ただ、そのおばあさんの注意は、もっともなんじゃないだろうか。多賀島は最近、色々物騒だし。
ほら、紫藤母が倒れたあたりから止まってるけど。
あの筋肉男のやった連続殺人事件、いまでも未解決のままだしさ。
そのほかにも、東京で犯行をかさねてた猟奇的な連続殺人犯が、多賀島で目撃されたって情報もあった。
そういうと、「志野ピー、ばあちゃんみたい。つまんない」とか言われた。
いや、僕もつまらない男だけどさ、君も僕にとってはつまらないよ。
「ばあちゃん、最近生きてることがわかって、うちらと同居するようになったん。ママとは30年ぶりだって。すごいっしょ?
なんでかお金はあって、それはいいんだけど。
いろいろ頭古くて、うるせーの。」
今はまだ、介護保険の創設前*1。家庭で介護を担ってる時代。
僕はちょっと、彼女とその母(話をきくかぎり、パート勤めのシングルマザーだ)に同情を覚えた。
でも話を聞くと、おばあさんも元気で頭もはっきりしてて、介護の必要はまだないとのこと。彼女の家は母子家庭らしいし、お金があるだけいいんじゃないだろうか。
そう思いながら、話を聞いていたのだが。
次の一言に、僕は思わず前のめりになってしまった。
「すっごい田舎にいたんだってさ。サワガミ村だかタツガミ村だか、そんな名前のとこ。」
それって、──あの竜神の娘のところじゃないか。
あれこれ疑問符が浮かんだが、こちらから聞き出すまでもなく彼女がぐちまじりに家庭の事情を話してくれる。
どうやら、彼女の母は若い頃に駆け落ちみたいな感じで家を出て男と住むようになり、おばあさんとは生き別れになっていたらしいのだが。
そのおばあさん、サワガミ村(おそらく、竜神の娘のいる村だ)に住む親戚のもとに身を寄せていたらしく。
その親戚が村を出て行った後、ついていかずにそのまま村に居ついていたが、親戚も代替わりしたのかその後連絡がつかなくなってしまっていたらしい。
(竜神の娘からも、身寄りのある人はもう村から出て行ってしまっていて、今、村にいる人はほとんど頼れる身寄りのない人だと聞いたことがある。)
ところが、この子のおばあさんについて、世話役の娘(たぶん、竜神の娘だ)が。
なんらかの伝手を使って親族がいないかを調べなおし、また福祉にも相談する過程で。
彼女の母がいることが判明し、双方とも同居を望んだため。
村の財産を分与してもらって村から転出し、彼女たちと同居することになったらしい。
彼女は「ばあちゃんのごはん、茶色い」とか言ってはいるが。
朝昼の食事など、おばあさんが家事を担当してくれて助かってはいるみたいだ。
「ばあちゃん、電気がある生活はひさしぶりなんだって!
どんだけ田舎よー、って思うよねー」
「そうだね」
そう、相槌を打ちながら。
社会から孤立してたはずのあの村が、意外にも社会を頼ってるらしい(福祉とかね)ことに軽く違和感を覚え。
そしておそらくそれを行ったのであろう、あの
──もちろん、僕はあの外見だけはいいパワハラ女の考えを知る由もないが。
おそらく竜神が異世界に帰ったら、あの村を「閉じる」つもりなのかもしれないな、と思いあたる。
彼女の特別な力は、竜神から受け継いだものと借りたものとがあると聞いたことがある。
竜神が帰還してしまったら、その「借りた」力がなくなり、いままでみたいに村を運営できなくなるのかもしれない。
だから、村の清算を急いでるんじゃないかな。
これ、どうしたものかな。僕にはいいことなのか悪いことなのか判断がつかない。
頭の切れる調布なり、国領なりに後で相談だな、と僕は思う。
ちらっと、調布のいるレーンに目を向ける。
調布が折しも、女の子っぽくない本格的なフォームでボウルを転がし、ストライクを取ってみせて周りを沸かせてる。4連続か、超人かよ。
調布はクラスの中心的な連中が多いレーンで、僕とは違うグループ。
僕はちょっと、陽キャどもの中心にいる彼女をみて寂しさを覚えるけど、──まあ、これは仕方ない。調布にも付き合いがあるだろうし。
それに調布は、別に僕を無視して見せつけてるってわけじゃない。
さっき一度、ゲームの切れ目に彼女は僕のところにやってきて。
来るのが遅い、と僕は再度怒られ、他のクラスメイトには見えないように何やらメモらしき紙片を胸ポケットに突っ込まれた。たぶん明日の指示か何かだろう、僕と調布はデート(?)する予定だけど、まだ待ち合わせの場所すらも決めてない。
その横のレーン。女の子多めのレーンに、紫藤がいる。ぽて、とボウルを置くようにこわごわ投げてる。
紫藤は僕を待ってたみたいなんだが、僕が遅れて到着したせいで調布グループの女の子仲間に吸い込まれてしまい。
僕と同じグループになれなかったことに思うところがあるらしく、時折、無念そうにこっちを流し目で見やる。
僕と視線が合うと、なんだか困ったように笑ってくれる。だから、怒ってはいないみたいなんだが──。
それはともかく。
「ねえ、志野ピーは世界史、多々木先生のクラス?
うちら、阿架原クラス。サイテーっしょ?」
中村さんが何か言ってる。さっきから何の気まぐれか、僕にやたら話を振ってくるんだ。
ちなみに阿架原先生というのは、ちょっと高圧的で被害妄想強めの先生。
知識はあるんだけどねちっこくて、何かあると自分が馬鹿にされたと思って怒り出す。体罰も多いので、嫌われてる。
先生的には自分が意地悪な生徒どもの嫌がらせを受けてる被害者だと思ってるらしい。僕らからすればどうみても加害者なんだけど、自分は被害者だから尊厳を守る行為は許される、と思って加害にいそしんでいるらしい。まあ、よくみるパターンだ。
この中村さんは苦手だが、ただ進度別クラスで阿架原先生に受け持たれてるってことは同情すべきだな。
阿架原先生は地元の中小企業の社長の息子で、彼女(中村さん)の母もその会社で働いているのだが。
阿架原先生の親であるその社長、地元の名士だというが彼女はあまりいい印象を受けなかったらしい。
「その社長もさー。あれ、なんかイヤらしーの。
この前、鶴ちゃんとお母さん迎えにいったら社長が出てきて菓子くれたけど。
なんか視線が、べたあっとしてて。上から下にさがってくんよ?
あれ、絶対うちらの胸とか脚とかみてたよねー。
特に、鶴見っちみる目線、超キショかった。」
「あー、そうなんだ。」(僕もついつい調布や紫藤の脚とか見ちゃうけど。もしかしなくても気づかれてるのかな?顔から火が出そうだ。)
中村さんと同じ中学出身の鶴見さんの母もその会社でパートとして働いていたので、ときどき一緒に迎えにいったりしてたみたいだ。意外なところにつながりがあるな。
(鶴見さんは調布グループで、学校生活上はそこまで中村さんと絡みがあるわけではない。)
ちなみに紫藤母も一時期そこでパートしてたと聞いた。──世間は狭いな、やっぱりナギさんにこの地元でのバイトは認めるべきじゃないかもしれない。
阿架原先生のことから転じて、彼女が日々覚える不満がいろいろと披瀝される。
たとえば、現代文の教師が調布にえこひいきしてるんじゃないか、とか。
「そりゃ調布サマはうちらなんかより頭も顔もいいんだろうけどさー。でもちょっとひいきがすぎん?」
「いやあいつ、たぶん迷惑に思ってると思うよ。」(これは、本人からちらっと聞いたこともあるから彼女の名誉のために言ったんだけど、中村さんは僕が同調してくれなくてあまり面白くなさそうだった。)
美術の先生が病気みたいで、もう死ぬんじゃないか、とか。
「この前も、階段を上がり切れなくて、まだ2階への踊り場の鏡のとこによりかかってた。ヤバくね?」
「あー、もう歳だからねー。」(僕自身はあまり接点ないけど、調布はあるはずだよな。一度聞いてみよう。)
謹厳実直で「鋼鉄の処女」の呼び名も高い浦和先生が、この前見知らぬ男と学校で密会してたとか。
「なんかかっこいい、ほら、あの文化祭で変な議員とっちめてくれた男の人。
浦和先生、見たことないような笑顔で笑ってたの!」
「あー、そうなんだ。」(
そういった、主に不平不満と自慢から成るのだが。
他クラスはおろか他校にまで及ぶくらい交友範囲が広いだけあって、なかなかに興味深い情報が含まれている彼女の話を。
僕はしばらく、聞き続けたのだった。
──────
そういうわけで、それなりに僕と彼女は表面上は友好的に会話を終え。
ゲームが終わり、レーンがばらけると中村さんも彼女の仲間グループに吸い込まれていく。
またねー、楽しかった!と僕には手を振ってくれて、それを見咎めた彼女の仲間たちに冷やかされてる模様。僕はただ話を聞いてただけだったんだけどな。
そして、冒頭の場面にもどる。
紫藤が同性の友人たちとバイバイ、と小さく手を振り交わして先に帰ったのをみて。
僕は誘ってくれたクラスメイトたちに謝意を告げ、彼女を追わんとして離脱した。
(ちなみに調布は、まだまだ付き合うみたいだ。目を合わせると、口パクで「あ・し・た」と言うように口を動かされ、手を振ってきた。明日のことが打ち合わせゼロだが、さっきのメモに書いてあるんだよな?まだ確認できてなくて不安だけど。)
階下に降りて、あたりを見回す。
ゴロゴロ、と遠くで雷の音。それに対する、きゃー、という女の子たちの声。夕立が来るかもしれない。
人が行き交う中、入り口近くの柱の一つに小さな人影。紫藤だ。
鞄を体の前に持ち、上目づかいに警戒心を浮かべて行き交う若者たちをみている。
僕の姿を認めると、ほっとしたようにかわいい顔がほころんだ。
「志野くん、お友達はよかったの?」
「うん、大丈夫。だから送るよ。みなりは、今日はどっち?」
「樋木崎に戻るんだけど、さ。少し遅くなる、って言ってあるんだ。
だから、ちょっとだけいい?途中まで一緒でも。」
もっとも、彼女には特にこれを今したい、とかといった考えはないらしい。
僕も特にない。紫藤といればそれだけで楽しい。
茶髪の若者の多いアーケード街を、ふたり並んでぷらぷらと歩き、多幸感につつまれながら考える。
紫藤が迎えの車との待ち合わせ場所にしたという、川沿いの公園まで戻ることにしようか。
空はもう暗くなりかけてるが、雲がたれこめてきたせいでもある。涼しい風。雨が降りそうだな、折りたたみ傘、入れてあったっけ。
「?」
服を引っ張られた感覚があって、紫藤の方をみると。
紫藤が、ためらいながら僕の夏服のシャツの裾をつかんでいた。
見上げられて、ほこほこと笑いかけられる。僕は思わず、顔が赤らむのを感じた。
周りを軽く見回す。誰も知ってる人はいないかな。じゃあ。
ためらいがちに手を伸ばすと、紫藤はシャツを離して手をつないでくれる。
僕たちがはじめて手をつないだ日のことを、思い出す。
あの日の紫藤の手は慣れない家事に荒れ、顔もすこしやつれていた。あのふざけたカエル男を撃退したときだ。
今の紫藤は、あれからすごく変わったようにみえる。
4月にはかわいいけどめだたず小学生みたいだった彼女は、さなぎから孵った蝶のような変化を遂げ。
今は、透明感を湛えたロリ美少女になってきていて。
それは顔つきとかだけじゃなくて、その手もしっとりとやわらかく、すべすべしてきてる。
いい変化だと、僕は思っているのだが──。
そうして歩いてしばらくして。
なんだか、手がすーすーするな。
そう思った僕がふと気がつくと、僕たちの手は離れていて。
そのかわり、僕の腕が紫藤の腕にかかえこまれていた。要は、腕を組んだ状態。
手をつなぐよりずっと近い距離に、紫藤の小さくやわらかい体。
いつのまにか、紫藤はその体温がわかるくらいに、ぴっとりと体をよせていた。
最近、ブラウスごしに存在がわかるようになったふくらみが、僕の腕にふよふよと押しつけられ。
ふりむいた僕を見上げる紫藤の顔、かすかに上気して桜色になっている頬に。
どこか媚びるような、ご褒美をねだる子供のような笑顔。
しかし彼女の潤んだ目には、焦燥と熱望が浮かんでいて。
僕はずき、と胸を衝かれるような感覚を覚えた。
──思えば昨日、僕はもっとやるべきことがあったんじゃないだろうか?
そして僕が無意識に、軽く曲げてしまったひじが。
自分の腕に当たる紫藤の胸のふくらみを、やわらかく圧迫してしまったようだ。
びく、と一瞬彼女の体が硬直したのが感じられ。
ふくぅ、というような吐息がかすかにもれた。
そして彼女は顔を伏せ、頭をくいくい、と僕の肩に横から押しつけてきた。
僕が足を止めると、僕の腕にからみつくのを止めて、なんだか不安そうな表情で見上げる。
「ごめんね、志野くん。」
「え?ぜんぜん。みなりは何も悪くないよ。」
何ひとつ悪くない。これは僕にはご褒美。
そう思ったのだが。
「ううん。さっきは、ちがうチームになっちゃってさ。」
あー、そのことを気にしてたのか。
ただ、あれは調布にも怒られたように僕が遅刻したのが悪い。紫藤は悪くない。
こういうところ、紫藤は自罰的に考えることが多いので気をつけないといけない。
だからそこはちゃんとフォローしたのだが。
「ううん。わたしがちゃんと待ってればよかったんだよ。ごめんね。
それで中村さんとは、何か話してたの?」
あー、もしかするとそこが気になってたのか?
まあ、中村さんはパッと見派手だし美人ではあるので、紫藤はそこに引っかかったんだな。
「学校のあれこれ。ほら、阿架原先生の被害妄想がヤバいとか、その親の社長がいやらしいとか、さ。
みなりのお母さんも、たしかそこで働いてたんでしょ?」
「あー、そうなんだ!」
紫藤はそっちのつながりは知らなかったみたいだ。
たしかに彼女の母が倒れたときの会社、「アカハラ製靴」とかいう会社だったらしい。
──それはともかく、僕はそうして自分への冤罪を晴らしたのだが。
「でもさ。やっぱり。
わたしの気がすまないから。──なんか、してくれていいよ。」
「?」
「だから、さ。やっぱり、わたし。
志野くんを心ならずもうらぎって、孤立させちゃったわけだよね。
だからつりあいをとって、志野くんがわたしにすこしだけ意地悪してくれるといいな。」
「??」
紫藤の言い分によると。
僕が後で来るって分かってたのに、彼女は友人たちの慫慂に負けて僕を待てなかった。
言うなれば、メロスがもう来ないと思ってしまったセリヌンティウスみたいなものなんだそうだ。
あの小説*2の中でメロスがその親友を、清算として1発殴ったように。
僕が紫藤にちょっぴり罰を与えてくれると、彼女としてはしっくりくる。
──そういうことらしい。
ただ、それを顔を赤らめて説明する、彼女の横顔をみていて。
僕は、彼女のかくされた意図を把握した!と思ってしまった。
──つまりだね。
彼女は、そういう口実で僕といちゃつきたいんじゃないだろうか?
紫藤は基本、真面目な性格だからなー。
キスしようよ、とか、ぎゅっとしてほしい、とか自分からストレートに口に出せない。
(これは期間的には短いけど、僕の紫藤観察からも明らかだ。
まったく言わないわけじゃないけど、基本は内気で僕の誘いを待ってる。それもかわいい。)
そしてそれは僕もある意味、似たもの同士。
素直に「これさせてよ」とか言えない。なんか口実を探してしまう。
ほら、バイトだという建前で紫藤にお金を渡して耳かきしてもらった男だよ、僕って。
僕もそういうところ、直さないといけないなー。
「一押し二金」だっけ、男はちょっと強引なくらいの方がいいって昔から言われてるわけだし。
そんな、後から考えるとちょっと勘違いな方向への決心を固めつつ。
──時間も多少ある。僕も紫藤といちゃつきたい。そして紫藤もきっと僕と同じ気持ちだ。
せっかく紫藤が、勇気を出して稚拙な口実ながら誘ってくれたんだし。
でも、こんどは自分からちゃんと気づいて言い出せるようにしないとなー。恥ずかしいことを女の子に切り出させちゃ、だめだよ。
さっきから、紫藤のすべすべした手や、やわらかいその体の体温や。
控えめではあるが、腕を組んだときに胸を押し当てられたりとかで。
知らず知らず、頭の中がかなり茹ってしまっていた僕は、そう考えながら。
紫藤の誘い(と僕は思った)を利用して、彼女の提案してくれた「軽い意地悪」を彼女にしてみることにしたんだ。