タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
(竜宮司咲耶視点、沢上集落(上竜神沢)、某日)
「このたびは、ありがとうございました。
本人も、娘と孫の顔をみてくらせる、と感謝しておりました。小父様と大以田様のおかげです。」
「アツシがみつけたんですわ。あっしはちょちょっと口利きしただけでさあ。」
「!?俺、オジキの言うとおりに動いただけなんでっ!」
沢上集落ともいわれる、竜神の住む村の境界、県道が見え始めるあたり。
そのあたりで、竜神の娘は世話になった中年男とその部下の青年に謝意を述べていたが。
ふたりの手柄の押しつけ合いがほほえましく、つい口元を覆ってしまう。
その様子に気づいた、中年男が照れくさそうに続ける。
「今回は、ちょっと頼りになる伝手がみつかったんでさあ。あっしらはそこに相談しただけなんで。
それにね、ほんと、あっちの件でのやらかしもありましたし。これで、すこしは埋め合わせになりましたかね?
また他の件も、なにかあったらお伝えしますわ。
それじゃ、ちょっと現場仕事が入ってますんで。あっしらは、ここらへんで。」
竜神の娘は、懇意にしている建設会社の中年男とその部下である純朴そうな青年に頭を下げて謝意を示し。
男たちの方も、謙遜してみせながらも自分たちの仕事ぶりに満足そうであり。
こころなしか、いつもより軽い元気な足取りで車の走る道に戻っていった。
その後ろ姿が、見えなくなるまで見送り、竜神の娘も踵を返す。
手元には、彼らから受け取った発泡スチロールの箱。
それに目を落とし、端麗な竜神の娘の口元が我知らず柔らかく上がる。
彼らは、性懲りもなく彼女を美味な氷菓で餌付けしようとしているようだった。
──────
いよいよ竜神を故郷に帰すため、異界への「門」を開く日が近づき。
竜神の娘と呼ばれる彼女、竜宮寺咲耶は忙しい日々を送っていた。
竜神がいなくなってしまえば、彼女がここにいる理由もない。
そして、近いうちにダムができてしまえば。
彼女の村の一部は水に沈み、そして彼女が建設会社から請け負っている仕事も終わる。
最終的にはかなりの額の補償金も受け取ることになるが、その後は収入は途絶える。
今住んでいる村人たちの、その後を考えねばならない。
そう考えた彼女は、志野青年たちを除けば彼女が唯一信頼している村の外の大人である、建設会社の
老婆たちの行く末について相談し、身元を引き受けられる親族を探したり、福祉につないだりしていた。
村人には、3女4女で結婚もできず家の中で小間使い代わりの一生を送る、昔でいう「おばさ」のような者も多かったし。
中には戸籍や住民票がなかったり、空襲で死んだと思われ、そのままになっている者すらもいる。
これまでも幼馴染の手を借りて探したのだが、係累がみつからなかった者たちである。
そういう者たちに粘り強く話をし、並行して養老院の手配をするために行政に相談したり、街近くに移転できる家をさがしてもらったりしていたのだ。
戸籍や住民票がなかったり死んだことになっている者に関する役所関係の処理は、特にややこしい。
その際に、あの
異形の姿の彼女は、町の役人など他の人に姿をみられるわけにいかない。それに、竜神との縛りのせいでこの地を離れることすらもできない。
いいんでさあ、好きでやってんですよ、と中年男も青年も言うが、そういうわけにもいくまい。何かあらためて手厚く礼をする必要があるだろう。
それにしても、驚くべきことにかなりの村人たちが係累を見つけることができ、身元を引き受けてもらえるようになったのは僥倖だった。
やはり餅は餅屋、馬は馬方。
きっと彼らの仕事には人夫の世話や周旋も含まれていて、だから人探しに長けているのだろうな、と彼女は思う。
ともかく、竜神の帰還の話が出てすぐに動いてもらって、並行しての話し合いの結果、ほとんどの村人が新しい境遇に身を置くことに同意してくれた。
閉村はここで生まれ育った彼女にとっても寂しいことではあるが、致し方ないことでもある。
もともと、死に比肩すべき長い眠りから覚めてこの姿になってから。
いつか村を閉じ、後片付けを終わらせたらこの生に終止符を打つことは、自分の中で決めたことだったのだから。
「サクヤちゃん、無理しとらん?」
村の十字辻まで戻ると、彼女の幼馴染みに出くわした。
彼女の家を訪れて空振りに終わって帰ってきたところらしい。ちょうどよかった、これ食べんさい、と重箱に入れた山芋の煮物を示され。
サクヤちゃんも荷物があっとたいね、と幼馴染も彼女の家までついてきてくれるようだ。
「大丈夫。キクちゃんは?」
この姿は年老いてしまった幼馴染も、近く村を離れることになっている。
きっと思うところもあるだろう、と彼女は思って問いかけるが。
「あたいはもちろん大丈夫さあ。もともと、娘夫婦からも一緒住まんねって呼ばれおったけんね。
孫の顔もみれるし、悪か話じゃなかとよ。」
そうそう、キクちゃんには子供も孫もいる。親孝行な子供たちで、ときどき墓参りに来てたな。
そう、彼女は思いだす。
縁者とともにくらすのも、幸福な老後であろう。
それに比べて彼女自身は?──竜神が帰ってしまえば天涯孤独の、人の形をした化け物でしかない。
そう思って心に影がさした彼女をみすかすように、幼馴染は言葉を継ぐ。
「そおんな顔、しなさんな。
竜神様が、天に還られるとじゃろ?
そしたら巫女様も、自由になる。言い伝えのとおり。」
まあ、そのとおりだ。
彼女と竜神の契りも、有効なのはこの世に竜神がいる間だけ。
彼女の異常な体力や精神感応能力のいくつかは、竜神との交わりで受けついだ竜神の種由来のものであったり体得したものであったりして、竜神が異世界に帰還しても失われることはないが。
ある種の能力は、竜神から借りているだけなので竜神がいなくなれば失われてしまう、と彼女は聞いていた。
他方で、竜神との契りによりかけられていた制約もなくなる。
彼女は自由になり、この地を離れてどこにでも行けるようになる。
ただ、自由と言っても。
彼女には、今何か、特にしたいことがあるわけでもない。
復讐は、終わっている。
正確には、一部すませられてないものもある。村からもういなくなっていたり、すでに死んでいたりする仇もいないわけではない。
でも首謀者である村の顔役のボンクラ息子と、その取り巻きのなかても特に悪質な者たちは、もれなく討ち果たした。
それ以外の従犯的な者で村外に出た者の行く末を調べたり、すでに死んだ者の墓を掘り起こしてその屍を辱めたりしようというほどの熱量を、彼女は維持できなかった。
そう、彼女は灼けつく復讐の意志を果たし、いわば「燃えつき症候群」になっていて。
かろうじて父である竜神や、村人たちとのふれあいに、わずかな心のよりどころを見出して生きていた状態だったのだ。
しかしその両方に、近く彼女は別れを告げることになる。
──そして、その後は?
自由。
その言葉の響きはいいが、彼女には果てしなくその指すものが空虚に思えていた。
「ほら、玄関口においとくばい。上手く作れたとよ。
そっちの氷菓子は、氷室にいれっとね。ちょうど行かんならんけん、よこしなっせ。」
なお愁眉の晴れない彼女の思っていることを読み取ったのか。
今は年老いた幼馴染は眉を開き、さとすように言葉を継ぐ。
「なあん、サクヤちゃんは、あたいらと違ってまだ若かとよ。いまからやけん!
せっかく、竜神さんに拾ってもらった命。これからは好きに生きて、好きに死んでよかと。
物見遊山に出ても、お洒落な格好をしても。」
──ほら、気分を変えて金毘羅さんとか、出雲大社とか。
いっそお遍路さんにお参りにいってみんね?
富士のお山をみたり。東京さ行ってみたり。
宿をとって美味しいもん食うたり、舶来の生地でハイカラな洋服をあつらえたりしてもよかろうもん。
と、幼馴染は言ってくれる。
もちろん頬かむりとか化粧とかで肌を隠さねばならないかもしれないが、それくらいの人はいくらでもいるだろう、と。
旅の誘惑に、沈んでいた彼女の心もわずかに動く。
多賀島ですら、彼女は数回しか行ったことがない。
ましてや富士山も東京も、子供のころの彼女たちにとっては地の果て。一生に一度行けるかどうかの場所。
それが。
今の時代なら汽車も道路も便利になって、1日も立たずにいける、と幼馴染はいうのだ。
(さすがに誇張だろう。だが寝台特急を使えば、ぎりぎり1日ということも今の時代ならあるのかもしれない、と彼女は思う。)
それに、服。服か。
きれいな服を、嫌いな人はいないだろう。
なんだかんだいって、彼女も女の子である。わずかにテンションがあがる。
この姿になる前は、お洒落な洋装をして、人目を惹いてみたかった。
生家に残された、お気に入りだった母の手作りのモスリンの白いワンピースは、すでに黄ばんで大きさも合わない。
とはいえ、この異形の姿を見られても向けられるのは恐怖と嫌悪の目でしかないだろう、と考えて彼女の心はふたたび、ぷしゅう、とへこむ。
「年相応に。
どっかの
今はなあ、婚前に交際するんが当たり前。だあれも、なあんにも言わんと。」
誰かと交際してもいいのだ、とまで幼馴染は彼女を唆しはじめる。
差し出がましいようだが、このまま彼女が一人になるのをみるのは忍びない、と。
さすがにな、と彼女は思うが。
「ほらほら、この前来たっていう、例の」
幼馴染の見立てによれば、志野青年にも実は脈があるのではないか、とも。
(ちなみに竜神の娘は、思いにふける様子を見咎めたこの幼馴染によって巧妙に尋問され、露骨な表現こそまぬかれたものの彼に対する思慕を白状させられてしまっていた。)
「ちらっと遠目にみただけじゃけど、派手なところは全然なかね。
でもやさしそうで真面目そうで、悪うなか」
──そしてまた。複数の女を囲っていることを咲耶は問題視しているが、それはむしろ好都合ではないか。
女たちに不満を持たせないくらい甲斐性があるということかもしれないし。
そこにもう1人加わっても問題ない、ということもありうる。
まだ年若い童女をも、囲っているというが。
見た目や年齢で差別したりしないとすれば、咲耶にも十分な勝算がある、ということではないか。
別に三々九度にはこだわらないのだろうし、子種をもらうだけでもいい。
いやそれより、既成事実として、──
そういう、あまりに打算的というか。
身もふたもない、いっそ不埒な考えを聞かされて。
中身は大正期の純情乙女である彼女は、頬が熱くなって頭がぐるぐるするのを感じる。
「キクちゃん!違うけん!」
「違わん違わん。でも、そりゃ自分でみて、考えて決めることばい。
サクヤちゃんは、自分のために生きればよかたい。」
カラカラと笑って、幼馴染は。
ほんなら溶けないうちにこれ氷室に入れてくるけん、と言って別れを告げ、道を戻っていく。
その後ろ姿を見送りながら、彼女は深くため息をついた。
──────
竜宮司咲耶が、本当の意味で年若い娘だった時代。
上下水道はまだ現在ほどいきわたっておらず、電話も村のなかでも裕福な家にしかなかった。
ただ、この沢上集落(上龍神沢)は下の集落の一部でしかなく、冷や飯ぐらいの者たちの居場所とされていたため電話のある家はほとんどなかった。
そのため、今でも電話を使うには下の集落にもっとも近い家々の1つに行く必要がある。
一度家に入り、幼馴染からもらった山芋を卓に置き蠅帳をかけて。
必要な資料を携えて家を出て、彼女は村のはずれの家を訪れ。
合鍵を開けて中に入り、引き戸のレール部分にアルマイトが用いられた掃き出し窓をあけて空気を入れ替える。
(彼女の時代にも、アルマイトのやかんや弁当箱を地主の家で使っていたものだが、この一帯の一般家庭ではまず目にするものではなかった。ああ日本も豊かになったものだ、と彼女はこのアルマイトのサッシをみるたび感心している。)
もわっとした空気が抜けていくが、代わりに入ってくるのもぬるい空気。
外の櫟の林からは、蝉の鳴き声が響く。
沢上集落ではもっとも新しく建付けのいい家なのだが、集落の中心からみるとはずれにあることもあって、今は誰も使っていない。
当初の計画上は取り壊すはずだったが、計画の見直しでこの家はダムの縁近くとはいえ、残せることになっている。
この家より下流側の、いわゆる下龍神(沢上集落の、本村)の家々は取り壊されることになる。一部の地域は、水に沈む。
取り壊しは、近いうちに始まると聞いた。こちらは解体業者が担当し、咲耶自身はその作業には関与しないが、不要なものはもらってもいい、と中年男から聞いている。
彼女はあまり電話になじみはないが、使い方くらいはわかっている。
電話を取り上げ、「
相手からこの顔を見られないという利点はあるが、相手の顔を見ることができないのはとても不安であり、竜神の娘は電話をあまり好まなかった。
それでも気が進まないながら、深呼吸して受話器をはずし、1回転ごとに確認しながらダイヤルを回して電話をかける。
出た相手に用件を告げると。
しばらく「どうしよう」「下手をしたら○されっぞ!」などの焦ったようなやり取りや。
「待たせんな!会長に繋ぐしかねえだろ!」とかの怒号まじりの会話が、しばし受話器の向こうから聞こえてきて、忙しいところにかけてしまっただろうか、と彼女は心苦しく思ったが。
やがて、初老と思われる女が電話に出た。声にドスはあるが、やはり動揺がぬぐえない様子。
「はい。あー、竜神様の巫女様。絞鳥でございます。
──この度は、うちの者が不始末を。──」
この女のことは、中年男からなかなかの人物だと聞いたことがある。
ただ今回、咲耶がこの女傑に電話を架けたのは、一種の苦情と要望を伝えるためである。
女傑も、自分の手のものが竜神の娘のシマを荒らしたことは、身に覚えがあることであったとみえ。
また、さすがに彼女の圧倒的な力については、聞き及んでいるらしく。
その後の話し合いは、彼女の主観的にはスムーズに進んだ。
(電話に慣れていない彼女は、遠方に声を届かせるために心持ち声を張り上げ。
またまとめておいた言い分メモを切り口上で朗読したのだが。
それが先方からは血も凍る恫喝に聞こえていようなどとは、まったく気づいていなかった。)
「はい、それならば、そのように!
──左様ならば!」
受話器を置くと、彼女は深々とため息をつく。
電話の向こうの女傑は、どこか含むところがありそうではあったが。
ともかくもこの件については要望を受け入れると表明してくれた。
この件での理はこちらにある、と彼女は思っていて、だから難色を示す女傑を押し切った。
彼女が周旋人として仲介することになっていた、案件の一つ。
それを女傑(正確には、女傑の部下)が妨害して横取りしてしまった、というのが事の真相。
──私としては本来、
でも、あの子が気にしていたしな。
彼女の手には、険のある表情の顔写真の写しのある、
この件で恨みを抱いた女傑が、後で彼女に別の形で報復をしかけてきて。
それが志野青年たちを巻き込む、一つの試練を彼女に課することになるということは。
そのときの彼女には、思いも及ばぬことであった。
──────
気晴らしに、彼女は日が傾くまで多少の農作業を行った後。
彼女が父とも慕う、竜神のもとに赴いた。
志野がおっかなびっくり滑り降りた急斜面を、彼女は恐れ気もなく走るようにして滑り降り。
最近父が入り浸っている、奥津城の一つの部屋に赴く。
父なる竜神は、暗やみのなかで壁画の描かれた壁に相対していた。
──父よ具合は
──娘よ悪しからず
──その絵は父ですね
──肯 昔を思う 後わずかなれば
闇の中でも視力のある父と娘は、しばらく並んで壁画を眺める。
父と、「向こうの世界」で父とは幼馴染として育った英雄との話を描いたものだと聞いたことがある。
その仲間たちとともに父は恐ろしい怪物を討伐したのだ、と彼女は聞いていた。
その父がどうしてこの世界に来ることになったのか、父は語りたがらず、彼女も敢えて詮索してこなかった。
おそらくは志野青年の持つ「鍵」のようなものを使ったのだろう、と彼女は推測しているが、──。
──父よ 父が去り 私は一人になります
思わず、言葉がこぼれてしまった。
父が元の世界に戻れないかもしれない、という危惧はすでに伝えてあったが。
彼女自身の寂しさを漏らしてしまったのは、はじめてだったかもしれない。
──娘を嘆かせること 我が不徳なり
ただ 我が命はいずれ長からず
触手がためらいがちに伸びてきて、彼女の細く締まった腰に巻きつき、引き寄せる。
別の触手が、なだめるように頭をなで、別の触手が肩を抱く。
多くの触手に抱きしめられ、愛撫されて彼女は目を閉じて吐息を漏らした。
彼女は、竜神の娘である。
彼女はうっとりと、傍から見ればおぞましい怪物である竜神の目元に頬を寄せた。
──娘よ 汝を縛る誓約も解かれん
──自由は望まず この地を離れることも 父亡きあとに生きることも
──娘よ 我が望みは 娘が自由な心で星を掴むこと
竜神は謎めいた言葉を発したあとは、もう何も意思を発さず。
彼女が落ち着き、乱入を謝して戻っていくまで、その触手で愛撫を繰り返していた。
彼女が去っていったあとも、その場にとどまり。
昔日の栄光を描いた壁画を前に、数千年の齢を経た竜神は。
人にはうかがいしれぬ思いに、ふけっていたのだった。