タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
ここから2~3話くらい、苦手な方も多いであろうリアルタイムNTR編になります。この閑話が終わってから、この閑話の前に本筋の話を割り込ませて更新しようかと考えています。本当ならそちらの話を先に書くべきですが、性癖(※誤用)には勝てず、──。
直截的な不適切描写は少ないのですが(今回の分にはほとんどありません)、倫理観レスかつ空気がいまいち読めない主人公のダメダメさが発揮されます。精神的な不快度数が高いかもしれないので★としています。ご注意ください。
苦手な方は読み飛ばして大丈夫です。後であらすじをつけます。
(追記)後から気づいたのですが、おそらく主人公の客観的行動としては「寝取り」です。本人の主観的認識としては「寝取られ」なのかもしれませんが。
あー、いかん、これ、悪夢パターンってやつかもしれない。
僕は雨に濡れて体調をくずして寝入り、その夢の中で。
成人男性と思われる「誰か」に憑依していた。
この「誰か」は、人間だ。うん、僕だってやるときはやるんだよ。見直したか。
それはともかく。
この僕が憑依した「誰か」は、そこそこ偉い人だと思う。個室でこそないが、部署の奥の方の席。
課長級の人たちと、並びの席にえらそうにふんぞりかえって座っている。
周りの人たちからは、どこか敬意と、そして恐れを向けられてるのを感じる。
「
あー、なんかの役所勤めなのかな?
最初、「さんじかん」と言われて3時間もレクされるのかよ、とビビったが、役職名だったようだ。
僕にはよくわからない話を、ほうほうと聞きながす。
ただ、僕の憑依したこの「誰か」はちゃんと聞いていて、鋭いツッコミを入れている。賢いらしい。
ただな。頭は良いかもしれないが、性格はよくないっていうか、人望ないタイプかもしれない。
たとえば。
「──ってことだよな。これ、ちゃんと裏取ってる?」
「あー、そこまでは、──取ります。」
「そのくらい事前にやっとく話だろ?いったい今まで何やってた?」
「──」
「税金で食わせてもらってて、それで済むんですかね。お気楽な奴らだ、ってZ務省から言われてしまうんだよ。だいたい、もっと早く話あげとけよ、馬鹿なの?
まー、前途有望な○○君には俺なんてどうでもいい奴なんだろうけどね?」
きっと仕事はできるのだろう。
さっと文書を見ただけで、ぱっと内容を把握して問題点を指摘してる。当を得てるかどうかは僕にはわからないけれど。
そして口がうまいのかなんなのか、ぺらぺらぺらぺらとよくしゃべる。いかにも御説もっとも、なことを。
(僕はどちらかというと口下手で、頭の中にアイデアが渦巻くんだけどうまく口に出てくれない。つっかえつっかえになってしまう。それと比べて、この誰かは脳みそから口へのルートが太いのか、そりゃもう理路整然と話ができる。)
ただね、でも。この「誰か」のダメ出しが結構、いやかなりきつい。
この目の前でレクしてくれた、青年官僚。
たしかにまだ少し仕事には慣れてなさそうだけど、基本、まじめそうで好感がもてる人だ。
それなのに、僕が憑依したこの男は、この青年官僚に嫌味を言いまくる。枝葉末節、重箱の隅をつつくような欠点を見つけ出しては指摘する。
僕、なんだかうんざりしてきたよ。
この憑依している人物、僕とは徹頭徹尾気が合わない、パワハラ野郎じゃないか。
仕事はできるんだろう。出世もしてるし一目置かれてるみたいだし。
でも、人望はない。非ライン管理職にされてるの も、部下を潰さないためじゃないのかなー。
(僕は、仕事がいくらできても部下を潰すやつは管理職をやらせてはダメだと思う。全体としての組織のパフォーマンス、下がっちゃうから。)
レクをこなし、文書を読んでは起案した人を呼びつけて詰め、外からの電話を処理し。
そんな風な数時間がすぎ、僕の憑依した男は仕事が終わったと判断したのだろう。
「朝言ってたけど。俺、今日は約束があるから先帰るわ。」と横の係長(秘書っぽい仕事をしてる。あと死ぬほど僕を怖がってる)に言い捨て。
「お疲れ様っす!」という部下にろくに返事もせずに、職場を後にする。
(ちなみに仕事の中身やこういう挙措動作、オートモードっていうのかな、放っておくと勝手に僕が憑依したこの『誰か』がやってしまう。
ただ、僕がマニュアルモードで介入しようとすれば僕の思うように動かすことができる。そんな感じ。)
さて、僕の憑依したこの男。
エレベータを降り、ためらいなく流しのタクシーをとり、近場の繁華街に向かう。
コリアン、チャイナ、そしてタイ、ベトナム。様々な国の料理の美味しそうな匂いが混じりあい。
街角には、お客さんを呼び込む、まだちょっと日本語の怪しい女性店員の姿も。
意外に美人な鼻筋の通った顔は、ちょっとだけ調布に似てるな。もちろん別人だけど。
たぶんこの僕の宿主の好みだったんだろう、視線がべっとり、ねっとりとまとわりつく。女が少しひきつった微笑みを返す。
ただ、今日はこの僕が憑依した誰かは、約束があるみたいだ。すこし高級そうな居酒屋に入っていく。
旧知の仲の人たちなんだろうか。ちょっと裕福そうな人たち20人くらいの集う個室の座敷に通される。同窓会かな?
この男(僕の憑いてる宿主ね)に気づいて、一瞬、方々で交わされてる会話が止まったり、静まったりする。
そして特に陽キャな人たちなんだろう、気を取り直して呼びかけてくれる人も。
「ドブさん、遅かったっすね!」
「いやいや役人さんたちゃにゃ、早い方よォ。だってさ、──」
そしてまた和やかにそれぞれの会話に戻っていく。
一応はあいさつされてるけど、この男、あまり歓迎されてない、っていうか敬して遠ざけられてるみたいだ。
ちなみにこの男の名前は、「
ここに集まった、人たちをそれとなく観察する。
同級生かと思ったが、年齢にはばらつきがある。
──30代なかばから、40代手前くらいがマジョリティかな?
歳のいった人も、50にはまだ間がある。40を過ぎてる人も、過ぎてない人もいそうだ。
あきらかに先輩後輩の間柄の会話が漏れ聞こえる。
髪の薄い人も、半分くらい白髪になってしまった人もいるな。女の人もいるが、男の半分以下。少ない。
初対面どうしの人も、いるみたいだ。
僕のすぐ後に、僕より人望がある人が来たみたいで。
それにあわせて仕切り直しの乾杯、そしてしばしの駄弁り。
同窓会。それも、大学の研究室かサークルかなにかの同窓会かな。と、僕は見当をつけた。
(僕はこの男に憑依してるし、行動に介入もできるけど、その思考や記憶、知識などを直接に覗くことはできないんだ。
だからこの会合が何なのかも、わからない。)
同窓会の常であるように、そこそこ、成功してる者しか来ていないみたいだ。
会話から推測すると、かなりの大企業の幹部だったりベンチャー社長だったり、お堅いところの役職者だったり。
要は、上澄みっぽい、忙しいけど余裕のある人たちの雰囲気。
どっか敬遠され気味なので(でも本人はどうも気づいてないか、気づいてても気にしてないみたいだ)、アウェイ感があるのと。
そしてその成功者特有のキラキラ感にもなじめない、僕は。
片隅の比較的地味そうな人がいる卓の空き席を選んで座らせてもらうことにした。
向かいのやせぎすな男にやや引き気味ながらも微笑まれて、こちらも会釈し返す。誰やねんお前、と思いながら。
「
おずおずと、その男。おしゃれな感じのポロシャツ野郎が声をかけてくる。
頭に若白髪があるけれど、肌の感じはこの僕が憑依した男より若々しい。30代後半から40代前半くらいに思える。この男とは、10歳差くらいかも?
大学で重なっているとは思えないが、旧知の仲のようだ。
「カイキ中じゃないからな。これでも早いほうだ。」
カイキ中って何だろうと思ったけど、おそらく「会期中」か。国会のことだろうな。
相手の顔を、再度確認すると、──ん?
背は高くないけど、鋭敏そうな、IQ高そうな顔つき。どっか見たことあるな、この顔。
「たしか今日、結婚記念日なんじゃないですか?」
「あー、そうだったか。よく覚えてるな。」
おい、と僕はこの僕が憑依した男にツッコミを入れたい気分になる。
奥さんほっぽって、何、飲み散らかしてるんだよ。
っていうかこの若白髪ポロシャツ。なんで人の結婚記念日まで覚えてるんだ。
「あの子、寂しがりやさんですから。
女の子には旗日は大事ですし、今日は帰りに花束でも買ったらいいですよ。」
「ああ、そうだな。そうしよう。」
僕の憑依している男が鼻で笑って嫌味っていうか憎まれ口を言おうとした気配があったので、それを押えて、僕は介入して男を操って、無難に答える。
うん、「俺はもういいよ。あんな中古の小娘。あの女コマしたいんだろ、下取りさせてやろうか?」なんて答えようとしやがったみたいだ。このドブカス。
くりかえすように、この憑依中、オートにしていると元の人格が自律的にしゃべって行動する。でも、僕が介入して僕の思うような言動をとらせることはできる。
そして僕が介入した言動について、憑依されてる本人ではそれが自分の意思でやってる、自然なことだと思ってるみたいだ。僕の存在は、完全に意識の外らしい。
ちなみに僕の感覚だけど、僕が体の操作権を100%とり、憑依されてる本人の意識を完全に止めて深い睡眠状態ないし仮死状態にしてしまうこともできそうだ。ただ、不都合が多いから今はやらない。変な話、体の大きさとかも違うから歩き方からして変わってしまうだろう。
ただ、何割かは体の操作権限を渡して動かしているとはいえ、僕が介入して彼に取らせる言動は周りの人には違和感があることもあるわけで。
そしてこの、今のやりとり。
僕による「普通の答え」が返ってくるのは、実のところ目の前の彼には予想外だったみたいだ。
ちょい性格ワルオヤジだもんな、この僕が憑依してる男。
「──体調、大丈夫っすか?」
「おいおい、それって失礼じゃん?
なんか僕、変なこと言ったかい?」
僕は笑ったが、それも、目の前の彼にとっては相当に予想外の反応だったようだ。
軽い違和感を感じてただけの最初のころと違い、今や彼はじっと固唾を飲んで僕を見守ってる。その隣の席の男も。
どうやらこの僕の憑依した男にありえない言動を取り続けてしまったのだろう。あるいは、自称が「僕」なのがまずかったのかな、と僕は思った。役所での自称は「俺」が多かったし。
(ちなみにこのドブ氏、部下や見下してる相手には「俺」、同僚や軽視してるらしい上司には「僕」、力のある上司や政治家には「私」とかなんだ。
そういう、人にあわせて露骨に態度を変えるところも僕はあんまり好きでなかった。)
「──あ、ああ。すみません。そんなつもりじゃなくて。
ただ、ここ毎日、暑いですし。夜も、熱帯夜でしょう?
しかもお役所、忙しいって聞きますし。
結婚記念日のことは別に、たまには早く帰って休んだほうがいいんじゃないか、って。」
「ありがとう。もうちょっといたら、退席しようかな。
でも高木も、忙しいんだろ?」
自分が半オートモードでしゃべった言葉で、僕はこいつが、誰かようやく思い当たった。高木だよ、高木!
苦労があったのか、この若白髪で最初はそれとわからなかったが。
スーツだらけのおっさん集団の中で少しだけ浮いてる服装。
上等そうなポロシャツ、少し長めの髪、洒落た黒縁眼鏡。
いかにも、テック企業のやり手社員って感じ。
高木、成功してそうだな。よかった。あいつには、いい人生を送ってほしい。
ただまあ、高木も苦労してそうだね。
そういえば鶴見さんとは、どうなったのかな?
「つ、鶴見ゆかりって、──え、ええっ!?
ご存じなんですか?──あー、その、たしかに昔、高校時代に、──」
慌てて、何か言ってるな。
ふふふ、カマかけてみたけど、どうやら鶴見さんとはくっつかなかったのか。違う人と結婚したのかな。
ただ、このドブ氏は、直接には鶴見さんを知らないはず(高木は驚愕してたし)。
つまりドブ氏は僕たちの高校の人脈じゃない。高木とは大学か、社会人になってからの知人だな。
しばし、雑談。
なんだか、僕の周囲の人が僕の言動に注意を惹かれている気配。
話には入ってこないけど、どこか耳をそばだてられてるのを感じる。
なんなんだ?
高木から高校時代の話を聞きだす(ちょっとこれは、と思う話も聞けた。目が覚めたら確認しなきゃ)。
そればかりじゃなんなので、適当に仕事あるあるのネタとか振ってみたりする。ついでに、近くの席でこっちに関心を向けてる人にも粉をかけてみる。
だんだん、周囲の僕への警戒心が薄れてくるのを感じる。
たぶん「あの人、聞いた噂よりは地雷じゃない、まともな人だな」みたいな感じかな?
(この僕が憑依した男、必ずしも全員とは顔見知りではないみたいだ。)
それなりに、まったりと満腹にならない程度に、前菜を突っつきながら30分ほどすごし。
「じゃあ、そろそろ出ようかな。みんなにはよろしく。」
「あー、俺も抜けます。
一緒に、駅まで行きませんか?」
そうして僕と彼はお金を置き、お疲れー、またなー、とかの皆の声を背後に退出する。
そういえばこんなことも、あったな。そうだ、あれは紫藤の消息を聞いた同窓会のときだったな。
忙しい人が多いらしく、僕以外にも出る人はいるし、逆にようやく仕事を抜けて入ってくる人も。
だから、特に引き止められたりはしなかった。
外は夏の夜。かすかに饐えた臭いのする、呼び込みの多い赤坂の猥雑な通りを、しばらく歩く。
やがて、彼が、真剣な目を向けてきた。
「土武先輩。本当に、土武先輩ですか?」
「僕以外のなんだってんだよ。俺だよ。オレオレ。」
オレオレ詐欺のまねをして笑いを誘ってみたが、あまり受けなかった。面白くないからな。
でも、すこし彼の空気が柔らかくなる。
「はーっ、──なんか感じ変わったな、って思いまして。
ご心境の変化とか、あったんですか。
おふたりのこと、風の噂で聞いてちょっと心配してたんです。」
「?」
あー、高木がこのドブ氏の奥さんと友達なのか。
もしかすると高木も、この男の結婚式に出席したりしたのかもしれない。なるほど。
僕が困惑したのを、高木は感じ取ったらしい。
「あー、勝手に人のプライベートのこととか、聞いちゃってごめんなさい。
ほら、土武さんの奥さん、高校の同級生なんで。つい、気になっちゃって。」
ちょっとイラっとする反面、興味が出てくる。
同級生って誰だろう。僕と高木の知ってる子かな。
「それで、彼女の友達から聞いたんです。
その、夫婦では、──まったくない、って。」
「?」
何の話だろう。
僕は純粋な疑問を浮かべて、彼を見返す。彼にも僕の疑問は、伝わったみたいだ。
焦ったように、あー、すいませんとか言いながら頭をガシガシかいてる。
見かけは風格出てきたけど、こんなとこ、高校の頃と変わんないな。と僕は微笑ましく思う。
彼は言いにくそうに、切り出す。
──あー、うちもそうなんです。妻とは、その、会話はしますけど。すごい事務的っていうか。冷めきってて。
あっちのこととかも、全然なくなって。はい、レスっす。子供もいませんし。
でも先輩と奥さんは、そもそも会話すらもないんですよね。顔をあわせることすら珍しいって聞いちゃって。
あの──、僕、本当に昔のことで、今は違いますけど。
ぶっちゃけあの子に憧れてたこともあって。
──今は違いますよ、今は!不埒な気持ちなんて、ないです。
あと紹介した手前、責任あるのは確かなんで。はい。
あの子、ひところやばいくらい落ち込んでたことがあったんすよ。その後、持ち直したようにみえるんですけど、あの子の親友に聞くとそうでもないらしくて。
幸せになってほしいっていうより、不幸にはなってほしくないなー、って思ってて。
そう言われて、苦笑してしまう。
人間関係が、見えかけてきた。
この僕が体を借りてる誰かの奥さんが、高木の高校の同級生。
そしてこの僕が憑依してる、土武氏(下の名前は、
まあ、まだ30代半ばくらいにみえる高木と違い、この土武氏はたぶん40は余裕ですぎてる。50近くかも。
40代すぎの夫婦でそこまで仲がいいのも、珍しいと思うが。
それに高木の言ってること、遠回しだけど「お前が不幸にしてないだろうな」ってことじゃないか。
正直失礼な気もするが、まあいい。高木は良い奴だし、心配かけないようにしなきゃな。
「大丈夫だよ。」
──今日は結婚記念日だし、金曜日だし。
いつもは、仕事もあってかまってやれないけど。
花とワインでも買って、話してみるよ。ゆっくり。
そう聞いた彼は、ますますびっくりしたようだったけど。
うんうんとせわしなく、ちょっと嬉しそうに頷いて。
そして赤坂見附駅の地下鉄の改札をくぐると。
先輩、また。と、手を振って見送ってくれる。僕も手を振り返して、別れる。
(彼は銀座線。僕は丸の内線で、逆方向だった。)
さて、家に帰るか。しばらくオートモードだな。
──────
帰り道を覚えてるだろうか、という懸念は杞憂だった。
この土武氏の体は、しっかり帰り道を覚えている。
僕は帰りのルート上のターミナル駅ビル(ル○ネ)に入っているスイーツショップでケーキを、やはり同じビルにある高級スーパー成城○井で甘口の微発泡の白ワインを買い。
そしてもう閉じかけてるテナントの花屋さんにお願いして、小さなブーケを作ってもらう。
なんだか、オラわくわくしてきたぞ!
──────
郊外に向かう私鉄の各駅停車の電車に揺られて、十数分。
小さい駅からすこし歩いた、崖(というほどじゃないけど)の上の高台の、角地に立つ住宅。
線路が近く、線路への斜面が雑木林みたいになってて。
やや侵入路が狭いけどあたりには緑が多く、不便だからなのか昔ながらの庭の広い家が多いせいで、東京区内とは思えないほど落ち着いた風情。
家は割と築の古そうな和洋折衷住宅を、シックにリフォームした感じ。あー、道もせまいし、再建築不可なのかもしれないな。
僕は、花束を背中に、ワインを書類鞄に隠し、インターホンを鳴らす。
高木の話を聞いてから、心臓がどきどき言ってる。もし、僕が間違ってなければ。あるいは。
表札には2つの姓が書いてある。一つはこの僕が憑依してる「土武」。もう一つは、──。
「はい、土武です。」
澄んだ、ソプラノの声。変わらないんだね、君。
僕は「俺だ」とインターホンに言い捨て、答えを待たず(この僕の憑依した男は、目下の人への自称は「俺」が多いし、態度が少し大きい。僕、あんまり好きじゃないタイプ)、ドアに向かう。
こわごわ、という感じにドアが開く。
「ただいま。」
「?──おかえりなさい、カスオさん。」
ああ、──大好きな声。
僕はふしぎそうな、妻(推測)の視線を受けて微笑む。
「これ、みなりに。
あとで、ワインも開けようよ。少しだけなら、飲めたっけ?
今日、結婚記念日だったって思い出して、さ。」
「──はい、ありがとうございます?」
花束を受け取る彼女は、ますます不審の念を強めてる感じ。ううむ。
やっぱり行動、ミスったか。
「その、夕ごはん。食べていらっしゃると思って、たいしたものは、──」
「ああ、大丈夫だよ。小さいけどケーキも買ってきたんだ。」
あるもの、なんでもいい。なかったら、なくてもいいよ。適当に済ますし。
みなり、まだ食べてなかったら、僕作ろうか?
そう言うと、めっそうもない、といわんばかりにぶんぶんと首を振られた。目の困惑が深まる。
おい、カスオ。お前めっちゃ信用ないぞ。
──────
広くはないが、きれいに片付いた家。専業主婦なのかな、紫藤。
そう、僕の憑依したこの男と結婚していたのは、──紫藤みなり。
(表札にも「紫藤」ってあった。もしかすると籍を入れていなかったりするのかな・・?)
彼女はちょっとやりかけの仕事があったみたいで、自分自身もごはんがまだみたいだ。
お夕食、すぐ準備しますね、と言ってパタパタと台所に向かった。
洗面台でうがい、手洗いをする。鏡のなかの自分の姿をみる。
背は高い。ちょっとくせ毛の髪は、「僕」とは違う。
もともとは端正そうな容貌。だけど睡眠不足のせいかくまが濃いし、最近体が緩んできてるみたいだな。あと、頭はいいけど性格悪そう。典型的な悪役ロールっていうか。
同性受けがあまりよくないのかもな、あの飲み会の、遠巻きな感じからすると。
高木も、最初引き気味だったし。よく、僕たちの結婚式出てくれたよね。聞いた感じ、紹介してくれたのも彼みたいだけど。
それにしても。
目に焼きつけた紫藤の後ろ姿を、しみじみと反芻する。
この夢の中では、彼女は歳をとって成長し、大人になったはずだ。
でも容貌とかの外見は、あまり変わってない。あー、でも「より女性らしくなった」って感じかな。
ほら、全体として華奢で細い印象は、同じだけど。
少しだけ、──いや胸は確実に、そしてお尻も大きくなった?
そしてスカートの裾からみえる脚や、サマーニットから出た二の腕が、ひどく艶めかしいんだ。
ちなみにこの僕の憑依してる男、つまり高木の大学の先輩(たぶん)。
高木の外見(30代後半?)や、彼に対する言葉の空気感からいけば、少なくとも5~10歳差くらいはありそう。
紫藤も高木と同じなら、30代後半くらいのはずだけど。
でも全体的な体型も外見も肌の白さも、2回目の高校生のときと変わらないのが不思議だ。
先に述べたように、なんとなく色っぽくなってる。それ以外は、あの美少女めいた紫藤そのまま。
きっと紫藤も「家な○子」の子役さんみたいに、成長が遅いのかなんなのか、年齢で外見が変わらないタイプなんだろうな。
直接、居間に向かう。
きれいなテーブルクロスのかかった木のシックなテーブルの席に座り、もの珍しく居間をみわたす。
落ち着いた色合い。磨かれた家具の、重厚な木の質感。余計なものはないが、貧相ではない。
夫婦で映ってる写真が飾ってあったが、子供の写真はない。まず確実に、いないんだろうな。
だから高木とかその友達(調布や国領たちなのかな)が、気にしてるのか。
居間と続きになってる台所では、エプロンをつけた紫藤が手際よく調理中。
今、腰を屈めてなにかしてる。足を伸ばしたまま身をかがめたから、突き出される恰好になってる紫藤のお尻、そしてスカートの裾が傾いて面積を広げた眩しく白いふくらはぎが、僕の目を吸引する。
出来上がったお皿を受け取りにいくのを口実に、キッチンに近寄り彼女の脚を眺めようとして、驚かれ。
もとの席に、押しとどめられてしまう。しょぼん。
やがて夕食ができ。
彼女はテーブルの、僕の対面の席に座る。
おそらく僕のぶんは何も準備してなかったんだと思うけど、手早くごはんと味噌汁、酢の物、サラダと焼き魚を用意してくれた。
たぶん今日は遅くなる、ごはんは要らない、ってこの男が言ってて、自分だけだと思ってたんだろうな。
「ごめんね。遅くなる、って言ってたんだっけ。」
「いいんです。でも、どうして?」
「高木君って、いたじゃん?
あいつに、今日は早く帰れ、って怒られてさ。ハハハ、」
「──あ、高木くん。」
ぬう。
心のせまい「僕」は、紫藤の口から感慨ぶかげに出た異性の名前というだけで、すぐに高木に嫉妬を燃やし始めたが。
その暗い感情を表には出さぬように気を付けて、言葉を続ける。
「高木君も、元気そうだったよ。
やり手業界人みたいなポロシャツ着てた。涼しそうだった。
自由そうで、うらやましいよ。」
「カスオさん、お仕事がお仕事ですから。」
「そうなんだよね。」
いや、本当はそうなのかどうか、知らんけど。
この男、シャツはブルーで、暑いにもかかわらずネクタイしてタイピンまでつけてる。
すごいお洒落そうではあったけど、スーツは
今?ネクタイはもちろん外した。スーツも上衣を脱いでソファに掛け、シャツのボタンを2つほどはずしてる。
(紫藤が目を丸くしたところをみると、この男はあんまりやんないんだな、そういうだらしないこと。
まあいい、どうせ夢の中の世界のことなんだし。)
僕は買ってきたワインも出して、邪道かもしれないが氷を入れて注ぐ。
実に上品な微甘口のイタリアワイン。食前酒に良い。
紫藤はアルコール、飲めるんだよね?
「ワイン、ちょっとだけ試さない?」
「──はい、頂きます。」
紫藤のこの男に向ける感情が、実はまだ読み切れない。
高木の言葉と、僕への態度から考えるに。
夫婦仲がこじれてたか、冷え切ってたかしてたんじゃないだろうか。
まだ敬語を、崩してくれない。
「みなり、乾杯しようよ。──乾杯!」
「──乾杯。」
きゃらん、とグラスを軽く当てて口につける。僕にさっきから注がれたままの紫藤の視線が、揺れてる。
なんだか、僕のことを判じかねているような、対応に迷っているような目。
もしかしてこの男、紫藤と疎遠なだけじゃなくて、DVとかしてたのかなー。
そうだとしたら、僕、後で自主的にこの男の頭を壁にごんごんぶつけたり、頭の半分だけ丸刈りにしたりして懲らしめてやろうかな。僕が夢から醒めて体を返した後、七転八倒すればいいんだ。ふふふ。
「──いいことが、あったんですか?」
質素で薄味ながら、美味しいなー、と感動しつつ味噌汁を啜っていると。
紫藤がおずおずと、僕に聞いてきた。
ワインのせいかな、透きとおるような肌、その目の端に、ほんのりと赤味がさしてる。
「あったよ、たくさん。
ほら、みなりと出会って結婚できた。」
「──そうですか。ありがとうございます。」
うわあ。スベった。
紫藤はにっこり愛想笑いをしたけど、そのあとサラダを口に含みながら眉をひそめたのを僕は見逃さなかった。
結婚、してるんだよな。あれっ、もしかして籍は入れてないのか?表札に苗字が2つあったし。
「カスオさん。もしかして。
すごく疲れてるんじゃ、ないですか。
最近、お仕事もいそがしかったし。
お風呂も入れてあります。きょうは早めにお休みになっても、──」
「ああ、ありがとう。早めに休みたいけど。
でもせめて今夜は、みなりと一緒にいたいんだ。──だめ?」
ごくり、と紫藤の喉が動いた。
「──はい。大丈夫です。」
目を伏せて。紫藤はそう答えた。
声は硬くて、全然うれしそうじゃなかった。
──────
僕は、渋るみなりを先にお風呂に入らせて。
うきうきと寝室に行って、──おや?
この寝室、ベッドは広いのに寝具が貧弱だ(まあ夏だからってのもあるんだろうけど)。
枕もタオルケットも、1つしかない。
まわりの様子からみるに、どうもこの寝室、現在は紫藤の私室になってるみたいだ。
広めの、二階から一階まで降りる大屋根に接した一階の和室。吹き抜け風に天井が高く、梁がある。
学習机みたいな机の本などをみると、紫藤の関心の所在とかが分かりそうだ。
あとで、ちょっとだけ調べさせてもらおう。ストーカーじみた、後ろめたいワクワク感。
とりあえず紫藤がお風呂に入っているすきに、家の中を軽く見回る。
どうやら僕の憑依した男は、2階の書斎みたいなところにある簡易ベッドで寝ているようだ。
きれいに片づけてあるこの家の中で、唯一、この書斎だけ、雑然と本が積み上げられてる。
僕は、この体の持ち主に対して軽くイラっときた。
ようやく、帰宅前に高木に言われた言葉の意味が分かった。
この男と紫藤、関係が良好でない。そしてベッドも別だ。セ○クスレスなんだな。
──なにお前、レスになってるんだ。紫藤だぞ紫藤。
だいたいだな。お前が彼女と結婚できてるってことは、僕が結婚できなかった、ってことで。
つまりお前が僕の紫藤を寝取ったってことだよな。ああ?
なのに、さ。仕事にかまけて紫藤を放り出してるってさ。犯罪だよ。
いや、紫藤と毎日ねんごろによろしくヤッてるとしたら、ね。それはそれで大罪だ!
いずれにしても、頭ごんごんの刑だな。うん。
僕は気になることがあって、紫藤の部屋になってる寝室に戻る。
この寝室の、紫藤の机。
学校とか塾の先生か何か、やってるのかな。国語の教科書とかが並んでる。
そして、ちょっと僕が気になったもの。
そう、革表紙風の日記帳みたいなものが机上にある。
ぱらぱらとめくる。几帳面な、黒やブルーの万年筆で手書きされたページ。
最新のページをみてみる。ほうほう。
”8月○日 晴れ。
今日は、志野くんの○周忌だ。”
「うぶっ!」
あまりの動揺。けほけほ、と咳きこむ。
えー、何?この世界線、紫藤は生き残ったけれど、僕はやっぱり死んでるの?なんか悪いことした?
あーでも、僕が紫藤と一緒にいないってことは、僕が死んだからか。生きてたら、一緒にいるよね。
それに僕がここにいるってことは、僕がこの世界線にいないからこそ可能なのかもしれないな。
まあいいや。読み進めよう。
”二度と取り返しがつかない、ってわかってるはずなのに。
寂しくて、思わずあの頃のことを思い出してしまう。”
そして数十行。
なんだか、僕に対する慕情たっぷりの女子高生ポエムみたいなのが。
ちょっと丸い筆跡で丁寧に、連綿と書きつらねられている。
ううむ。紫藤は、「上書き保存の人」じゃ、なかったんだね。
いや、ほら、タイプあるじゃん。
新しい恋人ができると、過去の恋人の記憶の上に「上書き保存」しちゃって、過去の恋人の記憶を消してしまうタイプと。
名前を付けて別に保存して、過去の恋人のことを忘れないタイプとが。
女の子は、大抵前者だと言うけれど。
紫藤は、違うらしい。
ぱらり、と今日より前のページをみても。
どのページをあけてみても。必ずぱらぽらと目に飛び込んでくる、僕の名前。
うわあ。重っ!
僕はあまりのことに脳がフリーズ。まともに内容が頭に入ってこない。
しかし、精神力を振り絞ってまた最新のページ(今日のものらしい日付、新しいインクの匂い)に視線を戻す。
なになに。
”あの熱気と湿気のこもりきった、陰惨な部屋。
でも、わたしたちにはあの荒涼とした部屋が、澄みきった風の吹き抜ける、緑の高原のように──”
?なんだろう。
とにかく紫藤がそこで、良い思い出があるってことか。
”忘れられない。
志野くんの、あのたくましい腕。
わたしを縛って、○○を××してくれた、あの熱い手。耳元でささやきかける、情熱的な低い声。
そして容赦なくわたしを責めぬき、貫いた志野くんの○○。かくしようもなく、私のみにくい心の奥底の欲望までもあばきたてた、鋭い目── ”
うわあっ。
何を書いているんだ人妻紫藤。これはあかんやろ。重罪だ!
マジ、これは丹念に検分せねば。と、僕は思う。
しかしそのとき、カチャ、と音がした。
ふとみると、部屋の戸口に。
浴衣風の部屋着を着て、首にタオルをかけた紫藤の姿。
僕を、というより僕が拡げたノートを、恐怖に満ちた目でみつめている。
あれ、そういえば。
紫藤、お風呂から上がってきたんだな。
ただ。
そのときの僕は、紫藤のあんまりな赤裸々告白録に脳を灼かれ。
乾いた笑いで表情が崩れるのを必死で抑えるため、顔の筋肉を総動員していて。
おそらくはひどくしかめた渋面で、ノートから視線を僕の顔に上げた、紫藤を見返してしまった。
おそらく客観的には、鬼瓦に似た表情で。
あ、いかん。
紫藤が泣きそうだ。
そりゃそうだ。あんな黒歴史ノート、僕だったら自分以外の誰に見られても絶叫マシーン化、不可避だよ。
僕は素早く頭を回した。この男なら、僕より頭がいいはず!
よしっ。解決策。──ろくなもんが思いつかないっ。
「ああ、みなり。お風呂、上がったんだね。
──すごく綺麗だよ。」
まずは、ごまかさねば。
僕は顔に笑みを浮かべ、紫藤の黒歴史日記を置いて立ち上がり。
紫藤の方に、一歩踏み出す。
しかし、紫藤は顔に縦に線が入り。一歩、廊下に下がる。どうして。
「どうしたの?大丈夫、何も怖がることなんかないよ。」
「え、ええ。」
よしっ。敬語が崩れた。すこしは気を許してくれた?
そのまま彼女を褒めちぎろう。
「みなりは、すごく可愛いよね。ほらだってさ、──」
僕は紫藤の美しさ、かわいさと賢さを挙げて、ほめたたえてみる。
決して大きくはないけど、高校生のときよりふくらんだ胸のことにも言及しないとな。だってほら、紫藤は牛乳を飲んでがんばってるんだよって、一度言ってた。
きっと紫藤も、僕の言葉に心をうたれて態度が軟化してくれるだろう。「北風と太陽」戦略と名づけよう。
ただ言葉を尽くした割には、なんだか僕を見あげる目がまだ恐怖で満ちてる気がする。まだ足りないみたいだ。
よし、つぎはちゃんとスキンシップをとって僕の思いを伝えよう。
「ほら、こっちおいでよ。」
さらに、歩み寄ると。
紫藤はうなだれたまま、死刑台に歩み寄る囚人のような足取りで
気持ちはわかるよ、だってさ。
見た目はまったくの女子校生だけど。さすがにアラフォー人妻があんなポエム書いてたなんて知られたら。
紫藤の性格なら、恥ずかしさに舌噛んで自害図りかねない。
だから、ここは気持ちを盛り上げてあげないと。
「今日は、僕にとってうれしい日なんだ。
みなりが、そんなに元気ないと悲しいよ。」
あれ。一瞬、怒りに満ちたキッとした目で見上げられた。
でも、すぐになんかしょぼんと視線が下がる。
おかしいな。
「ほら、ほら。」
そうそう、スキンシップだった。
近づいて、こわばる彼女の体をぎゅと抱きしめてみる。あー、紫藤だ。
少しだけ伸びた身長。そして胸もすこし、大きくなってる!
僕は、僕と彼女の体の間でむにゅっ、と潰される彼女の胸の感触をしみじみと味わった。
背中にまわした腕を下げていくと、──この腰からしっかりしたお尻への曲線、たまらないね。
僕のそれが、むくむくと勃ちあがる。
よし。これはどうせ夢の中。かまうもんか。
僕は、黒い笑みを浮かべた。
部屋の中の鏡で、紫藤が横目にそれを確認して怯えてたなんて。
そのときの僕は、知るよしもなかったのだった。