タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
ぬるいですが胸糞展開があるかもしれませんのでご注意ください。暴力など犯罪描写や未成年の飲酒、同性愛者への揶揄と受け取られそうな記述などがありますが、推奨するものではありません。
気に入らない。
最初にあいつ、志野の顔をみて、思ったのはそのことだった。
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志野という男の子。
初めてみた時から、もともとちょっと変な奴。そう思ってた。
いや、顔が悪いとか、態度が最低とか、そういうんじゃない。
顔は悪くない、平凡の範疇だとは思うけど、まあ、すっきりした造作だ。
でもそれは本人が自分で獲得したものじゃない。単に親の遺伝子の組み合わせが良かっただけだ。
態度も悪くはない。男子同士でも一目置かれてるし、女子にも基本的には親切、紳士的だ。
ただ、自意識過剰の逆というか。
どうしようもなく自分の気が利かないところ、空気の読めないところ、ーーそう、自分の変人さに、あまり自覚がない。
恐ろしいことに、おそらくあいつは、自分のことを常識人だと思っている。
クラス替えがあって、男子のこととかに話が及んだとき。
みなりがあいつのことを、ちょっといいかも、挙げたのに対して。
えー、ちょっと微妙、と言ってしまった。
みなりが男子に興味を示すことはあまりない。これはこれで男の子に慣らす貴重な機会かも、と思い直した。
顔はまあまあだし、頭も悪くなさそうだし、まあ好物件じゃん?とか、フォローした。
まあ、嘘ではない。顔はまあまあ良いし、頭は悪くない、ちょっと変人なだけだ。
でも私は気に入らない。いや、嫌いだ。
思えば、少し似てたんだ。あいつに。あの私の元家庭教師に、顔が。
遺伝子の組み合わせで決まるものだし、本人には何の咎もないとわかってはいるのだけれど。
ーーーーー
人は平等に生まれてきたとか、嘘っぱちだ。
平等であるべきだが、生まれは不平等としか言いようがない。
生まれた時の骰子の出目で、おおきくその人の人生は左右されてしまう。
生まれつき、悲惨な家庭に生まれたら。極端な場合には生存すらおぼつかない。コインロッカーで人生が終わるかもしれない。
生まれつき、まともな家庭に生まれたら。本人が微妙でも、手厚く見守られ、ちやほやされ、そこそこ幸せに暮らせるだろう。
それですべてが決まるとまでは、言わないけれど。
私は、たまたま遺伝子の組み合わせがそこそこ良かった方に入るのだろう。
両親は大学の研究者。忙しそうだが、私に時間をさいてくれたし。ちやほやしてくれた。
田舎にしては、すごくリベラルな家庭環境だったと思う。
私もたまたま、人から見ればうらやましがられる条件をいくつか備えて生まれた。
生まれた月が学年の中では早かったのもあり、かけっこも勉強も、あまり努力しなくてもトップで。
クラスでは級長、運動会では選抜リレーのアンカー、書道は金賞、女の子グループでは誰もが認める女王蜂。男の子たちもちょっと意図的に気をひいてやれば、面白いように私に夢中になった。(もっともその後女の子同士でいさかいになりやすいこともあって、控えるようにしたけど。)
図画のお絵かきみたいに、ちょっぴり苦手な科目もあったけれど、それですら人並み以上にはこなせた。
あと成長が早かったせいか、女の子にしてはちょっと高い身長と重い体重には悩まされたけど、まあ些細なことだ。そういうのを気にする男の子など、こっちからお断りだし。
思いあがってたんだな。私は優れた人間で、同級生みんな、たいしたことない奴ばっかりだと。
その罰を受けたのかもしれない。
大都市圏はまた別かもしれないが、私の住む地方都市レベルだと、私立中学校に行く子は少ない。
私は、親から私立の中高一貫校に行くか?と言われたが、地元の国立大学付属中を選んだ。
さすがに親にそこまで負担させるのも悪いし、私立のお坊ちゃんお嬢ちゃんだけでの純粋培養ってのもどうかと思った。
付属中学も結構純粋培養だった。でもレベルがそこそこ高く、勉強以外の活動も盛んだった。楽しかった。
中学校の間に、母親の学会発表とかで数回、上京する機会があった。
信じられないくらい大きな都市。飛行機から下りて都心まで、ずっと家が立ち並んでいる。
ごく普通の平日なのに、途切れることのない人波。
渋谷のスクランブル交差点では、高級スーツのエリートたちから腰ばきダメージジーンズのチーマーまで。
モノグラムのバッグを掛けた、いかにもなブランド系女子大生から、チェックのマフラーを巻いたルーソ&ガングロ女子高生まで。
入り乱れていた。
憧れた。
小さな井戸の中じゃなく、このもっと広い世界、トップの中で競い合いたい。
(そのうち、東京も、世界の中では小さな片隅だと知ることになったが。)
多分両親もこの機に私をそうした世界に押し上げるつもりだったのだろう、東京への出張時に、国立大付属中や名門私立中の学校説明会や見学を入れてくれた。
その中には、塾の全統模試でいつも勝てない人たちの在籍する中学の名前もあった。
行きたい。
本気になって、勉強することにした。
親に頼んで、塾に加えて、家庭教師をつけてもらった。
それが躓きの始まりだったかもしれない。
しばらくは、何もかも順調だった。
家庭教師は、地元の国立大の医学部の学生だと称していた。
さすがに優秀でレベルが高い。教え方もうまく、成績も順調に伸びた。全統模試でも上位の常連となり、秋口には第一志望の、東京の名門女子高でA判定も出した。まずよほどのことがなければ落とさないでしょう、と通い続けてた塾の先生からも言われた。
そして私は、彼に夢中になった。
今にして思うと、薄っぺらいところもあったんだけど。
同級生のエロガキたちとは全然違う、お洒落で物柔らかな佇まい、それでいて自信たっぷりな物腰、打てば響くような聡明さ、医師の卵としての凛とした倫理観(後で、これは見せかけだったと思うようになったけど。)。
家庭教師と女子学生、という背伸びした女の子に訴えかける状況の背徳感も良かったのかもしれない。
勉強が一段落すると、私と彼は親の目を盗んでキスをするようになり。
キスはやがて、愛撫に発展し。
服の上からだった愛撫の手は、やがて服の下に、そしてデリケートな部位に及んで。
私はそれに囚われた、心待ちにするようになった。
難問が解けるとキス、そして数分間、乳首にご褒美がもらえる。模試の好成績があると、濃厚なキスが与えられ、下着を下ろされて、あそこに愛撫を受ける。時には、口でも。
母が帰ってくると、裾を直し、弾ませた息を殺し、上気した頬を暖房のせいにしながら、隠蔽する。
そして私は、ついに間違えた。
最後の一線を越えてしまった。
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医師国家試験の準備もあるから、という理由で、彼は受験を待たずに家庭教師を辞めた。
今にして思うと、計画的だったのかもしれない。同時並行で、同じようなことをしていたのかも、と。
クリスマスの近いとある日、外で会おう、と言われて私は舞い上がった。
外はコートでおとなしめに装ったが、中は少し大人っぽい服装。
今にして思うと、少し挑発的な格好だっただろう。
ちょっと不良なところのある友達に頼んで、お泊り会だというアリバイも作ってもらい、時間を確保。
その夜、高級レストランで、大人の女性のような
ただの背伸びしたメスガキのくせに、浮かれてしまっていた。
会話に気を付けようと言い交わして、シャンパンも頼んだ。飲むと理性が少し溶けた。
私はさぞ滑稽だっただろう。彼への愛を告白して、彼も柔らかく微笑んで受け入れてくれて。
非常にスムーズに、私は予約済みのシティホテルに招じ入れられ、処女を奪われた。
痛かったけれど、愛はそういうものだと思っていた。
幸せだと思ってた。
だけど。
すべての良い思い出は、すぐに黒く汚されることになる。
数日後、私に電話がかかってきた。
大変なことになった。助けてほしい、と彼から。
指定された待ち合わせ場所に行くと、憔悴した様子の彼がいて。
そして彼を取り囲む、堅気でない、暴力的な雰囲気の黒服の男たちがいて。
彼はいう。彼が失敗して、いいところのお嬢さんをやってしまったのがばれた。
それを償う必要がある、らしい。とんでもない額の代償で。
それに協力してくれないか?と。
さすがに変だと思ったし、だいたい私以外にそんなことをしていたなんて、と憤った。
私が協力しないと分かると、写真が出てきた。見たとき、顔から血の気が引いた。
私が処女を喪ったときの写真。されているさなかの写真、眠った後の裸の写真、--。
隠し撮りしたビデオもあるんだそうだ。すべてを撮られていた。
脅された。
私は馬鹿だった。世間体や親の目を気にして、泥沼に足を踏み込んでしまった。
汚い廃屋みたいなところに連れ込まれ、ビデオを撮られた。
後から知ったが、裏ビデオの実写援交シリーズの一つとして流通してしまったようだ。
顔にモザイクはつけるって言ってたけど、多分嘘だ。
目隠しをつけられたのは、顔ばれしないように、というより、趣味の問題なんだろう。
彼も含めて、何人もにヤられた。
いろんな玩具を使われて、縛られて、鞭打たれた。
口で奉仕しろと言われ、断ると傷がつかないように執拗に殴られ、結局最後には口に含まされた。何人ものものを、喉の奥にまで突き込まれて、えずいた。
そしてあそこに乱暴に男たちのものが突き入れられた、そしてお尻の穴にまで、無理やりに。
普通のやりかただけじゃなく、いろんな体位で。
あそことお尻に、同時挿入もされた。
寝てだけでなく、立った姿勢で、両方に同時に。男たちにサンドイッチされた体勢で。
泣いても、叫んでも意に介されなかった。
最後には、抵抗の無駄を悟った私の目は死んだ魚のようになっていたことだろう。
へらへら笑いながら、いい絵が撮れた!と言ってる監督。そしてその取り巻き。
堅気じゃないスタッフたち。
多分グルだった、医学部生だと言っていた私の元・家庭教師。
みんな笑顔だった。
こいつらには、さぞかしハッピーな結末だったことだろう。
私は雑にシャワーの水を掛けられ、数枚の紙幣を無理やり押し付けられて、家に帰された。
衝撃と悲しみと怒りが限界を超えると、涙すら枯れた状態になると知った。
不幸中の幸いというべきか。
これをもとに、また何度も脅迫されるかと思ったが、その後の接触はなかった。
内容が内容だけに、しつこく連絡を取ると警察沙汰になり、立件されると考えたのだろうか。そこまでは良くわからない。
その後。
愚かな私は、親にだけは心配をかけまいとして、無理に明るく振舞った。学校での演技も、完璧に近かったと思う。
しかし、私の中のなにか大事なもの、人に対する無垢な信頼とか、未来への希望みたいなものとかが、毀されてしまっていた。私の心は、凍りついて碎け散り、心の座には虚ろな空間だけが残されていた。
当たり前だが、直前になって受験勉強の熱意も失い、調子も大きく崩れた。ただ、意地もあって、惰性で勉強は続けた。私を踏みにじったあいつらに負けてしまう気がしたから。
だが、第一志望に擬していた、かつて模試でA判定を取った私立の名門女子高には、落ちた。偏差値的に同程度以上のレベルで、行ってもいいなと思っていた国立大付属高には合格できたけれど、私は、もはや東京に進学する意味を見い出せなかった。いや、生きる意味すらも見い出せなかった。
親には持ち前の演技力で嘘を演じつづけた。何か鬱屈があると気づいていたみたいだけど、思春期でもあることだし、と見守ってもらってたみたいだ。
第一志望の入試には失敗したとはいえ、十分な成果は挙げた。だから東京の学校に進学しないことについては、親は残念そうで、お金のことは全く気にするな、と言ってくれた。でも私は、第一志望の学校に落ちたことで東京には興味を失ったように装い、反面、地元の公立校が好きになったふりをして、そこを選んだ。
自分の意思で選んだ学校に行きたい、といえば許してくれた。親はそういう耳障りのいい言葉には弱かった。
本当のことをいえば、こんな生ける屍にお金をかけるなんて、無駄もいいところだと思っていた。高校に進学することにしたのも、親を心配させたくなかったという、それだけだ。
一応その地方のトップレベルの学校。レベルも高かったが、基本的には今までと同じだ。努力しなくても泳ぎ渡っていけるだけの力はある。ただ、毎日が砂を噛むようだった。何も感じなかった。同級生の賞賛や羨望、男子生徒の憧憬の眼差し、なにもかもが陳腐で空しかった。
心が、空っぽになっていた。食事の味すらもほとんど感じない、まるで他人事のよう。それに気が付いて。
我ながら馬鹿だと思いながら、自分が犯されるのを想像して自慰してみた。
何の快感も得られなかった。
贖罪を求める修道女のように、上半身裸になって、ベルトを使い自分で自分の背中を手加減なく打ち据えてみた。
多少の痛みは得られたが、心が枯死していく感覚は何も変わらなかった。
手に触れるすべてが、灰色の砂に代わっていく。人も、物も、砕け散った自分の心の残骸も。
もう少しそのままだったら、周囲からは不可解に見える自殺をしてたかもしれない。
ある日の美術の授業。
砂になりゆく世界に反逆したくて、毒々しい原色を筆でキャンバスに叩きつけた。
周りの生徒のうち何人かは、私の絵に引いてた。残りの大勢は、感心してた。
理解されない怒りも苦しみも、もはやぼんやりと遠くのもののようにしか感じない。限界だ、と思った。
ただ、この学校でいちばん年を取っているという、すでに嘱託か何かになっていた美術の教師は、何かをその絵から読み取ったように思えた。
彼は何も余計なことは言わなかったが、授業が終わったあとに私を呼び止め、自分の絵を見せてくれた。
美術準備室で取り掛かっている絵。
ああ、この人も大事な何かをなくしたんだ。その絵を見て、なぜかそう思った。
多くの人々の群像だった。あるいは争い、あるいは助け合い。荒野を横切り、空に突き刺さる槍のような、巨大な塔を目指している。人の生きる苦しみ、歓び、そして哀しみが描かれていた。
この老教師は、体の具合があまりよくないらしい。未完に終わるのだろうな、とぼんやり思った。
だが、この老人には嫌悪感を抱かなかった。絵を見て、少しだけ心の奥が動いた気がした。
絵を描くのは苦手だったけど、この老教師が顧問をしている美術部に入ってみた。
構成部員は十数名いても、実質的に活動メンバーは数名のみ。
そして毎日行っているのは私くらい。暇な部だ。
同級生とはうわべだけの親交を結び、表面上はうまくやっていた。
あれ以来、もう男の友達は作らなかった。いや、作れなかった。
近づかれるだけで吐き気がした。特に、あの男、元家庭教師と似ている男には。
周囲には、男の威張ってるところがイヤだと言っておいた。これはまんざら嘘でもない。性別で決めつけてくるやつ、顔の表面みたいな、うわべの与えられたものでしか判断しないやつは大嫌いだ。
そのうち、同級生の女の子と仲良くなった。私のことを姉のように慕ってくれる、小さなかわいい子。
アニマルセラピーとでもいうのだろうか。その小動物のような子、みなりといるうちに、少しずつ傷は癒えた。
みなりとの仲について、陰では「れずみん」とか呼ばれるようになってたらしいが、知ったことか。
ただ、この子も何かの影を持ってるな、とは思った。男性恐怖症みたいなところがある。
でも、あえてほじくり返すことはしなかった。
相変わらず重い手袋を纏い、全身の皮膚の上に厚いゴムをかぶせられてるような感覚、世界とつながっていない感覚。灰色の世界。
みなりとの間だけは、その感覚は薄らぎ、ほのかに世界も色づいて、わたしも演技なく笑い、話すこともできた。しかし、それもかつてに比べればぼんやりしたものだったし、彼女以外との世界は、わたしにとって灰色のままだった。
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2年生に進級した。
私の周囲の女の子グループで話をしていたとき、その男、志野の名前がその子、みなりの口から、気になる男の子の名前として出てきたとき。
勘弁してよ、と思ったのは事実。
少し、志野は私の元家庭教師に似てたから。
ただ、違ったのは中身だった。
うん、まともにみえてかなりの変人だと思った。ありていにいえば、馬鹿だと思った。
ときどき、彼の視線を感じることもあった。ますます嫌いになったが、打ち捨てていた。
そしてある日。
考えなしな行動力で、そいつがいきなりみのりに対する公開告白をぶち上げた、と聞いて。
私はここしばらくないくらい、頭に来た。彼の、男の身勝手さに。
数日はそれでも我慢したが。
結局呼び出して、詰問した、責め立てた。徹底して、志野の心を折るつもりだった。
意外にも逆襲された。いや、物理的な逆襲ではなかった。言葉の剣での戦いだ。
そしてなんの弾みか折り重なってしまって、みなりに誤解された。
誤解を解くのに苦労した。
でも、なんかこのドタバタが、大変不本意ではあるが、とても久しぶりに、その、楽しい気がした。
話すうちに、志野も基本的には性格が悪くない、善良な人間だということもわかった。
みなりのことは、とにかく大事に思ってるようだ。
ただ、その思いが全く二人の間の関係の前進にはつながってない。何なのあんた。
その馬鹿げた突飛な行動力、なんのためにあるのよ。
こんなにイライラさせられるのも、久しぶりだ。
それからも、私は心ならずも志野とかかわるようになった。
まったく手のかかる子たちだ。
まるで小姑のようにやきもきしてみなりに小言をいったり、志野に圧力をかけたりしながら。
上から目線で、そう思ってた。
心労を覚えた。
空っぽだった心の座は、そのときには、もはや空っぽではなくなっていたのかもしれない。
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そんなある日。
連休明け、みなりが妙に色気を出してきたことに私は気づいた。
あの上気した頬、ぎこちない腰のかばい方。私でなくても、女の子なら気づくだろう。
鎌をかけた。あっさりとみなりは引っかかった。
連休中、温泉地に誘われ、ホテルでご休憩。
ああ、そう。
目の前が真っ赤になった。
志野、あんた。
ちゃんとつけてたら、死刑にとどめてやるけど。
つけずにやったんなら、凌遅刑だ。
生きたまま、ずたずたに、ぎたぎたに、細切れにしてやる。
男として生まれてきたことを後悔させてやる。
そして私は呼び出して、とりあえず跪かせ、尻に敷いた。
どうしてやろうか。そう思いながら耳をぎりぎりと引っ張り、尋問する。
ただ、冷静に聞いてみると、私とみなりのやりとりで生まれた勘違いだったらしい。
まあ気に入らないけど。
死刑にはできないな。
仕方がないから、尻に敷くのをやめて解放してやった。
それから後のやりとりで、私は驚愕することになる。
この馬鹿にしてた男の本性に気づいて。
馬鹿だったのは、私だ。
とんだ狂言回しだ、私は。見透かされていたんだ。
志野は、私の過去を知っていた。
どうして知っていたのか、皆目見当もつかないが、あのビデオを目にする機会があって、私だと気づいたのかもしれない。
それを脅迫材料に、私を跪かせることもできるだろうに。
でも、知っていることを遠回しにほのめかしながらも。
何も口外しない、守ってやる、と彼は私に言った。
あのひどく自信満々な態度で。
いや、そういう態度になるのもわかる。あの気の利かないふり、あれもきっと仮装なのだろう。
絶句する私に、志野は微笑みかけて、綺麗だ、と私に言った。
そのとたん、心に熱いものが、噴き上げた。
窓の外には、初夏のような日差し。むせかえる新緑。吹き抜ける風。
志野は裏表なく、心からその言葉を言った。それがはっきりわかった。
そうだ、きれいだ。この世界も、わたしも。
久しぶりに「生」の世界が私の体を包む。
私は、生きている。
私は、生きてていいんだ。
動揺の余り、私としたことが、美術室から、いや彼から逃げ出してしまった。
廊下を歩きながら、そっと胸を押さえる。
胸の鼓動が、激しい。どんなに走ったときよりも、そう、あの元家庭教師と体を重ねたときよりも!
だけど。
志野、あなた、みなりが好きなんでしょ。
あの、みなりを見る目をみれば、誰だって分かる。
でも少し心は痛いけど、この痛み、ーーおそらくは失恋の痛みーーですら心地よい。
ああ、私は生きている、生きてるふりのゾンビじゃない!
廊下からまた外をみる。何の変哲もない景色、でも今を取り戻した私にの目には、この上なく美しく見える。
死の近いあの老美術教師の気持ちが、分かった気がした。
今なら描ける、いや描きたい。この世界のすべてを。
美しいものも、醜いものも。
この偉大な、生という奇跡を。
だけど志野、「守ってやる」なんて、何様のつもり。
私をあまり見くびらない方がいい。守るのは私だ。
私はあなたに感謝してる。この世界を取り戻してくれた、あなたに。
口では言わない。いつか行動で示そう。
あなたに救われたことには感謝するけど、そんなそぶりは見せない。女の子の意地と演技力を甘く見ないことだ。
そっと陰から見守ろう。そしていつか、そういう機会があったら。
素直になって、あなたにこの想いを、感謝を伝えよう。
心の死んだ人間が甦る奇跡があるんだから。きっとそういう機会もあるだろう。
渡り廊下の手すりに肘をついて寄りかかり、解いた髪を風に靡かせ、生の充溢した世界を遥かに見下ろしながら。
私は、そう思った。