タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
(前章のあらすじ)
主人公は大学卒業後、東京で就職して働いている、30代中ばすぎくらいの男。いわゆる就職氷河期世代。
主人公は帰郷して出席した高校の同窓会で、2学年の秋に退学していなくなった同級生のことを話題にする。主人公はこの同級生の女の子と、ごくわずかながら接点があった。
誰もその消息を知らなかったが、同級生の一人が、この同級生が惨殺されている動画のリンクを提供する。動画は3本あったようだが、主人公は1本だけしか見ていない。
この同級生のことを調べようとして主人公は探偵事務所に依頼を出す。数日おいて、探偵事務所で報告を聞いた後、探偵事務所に関係のある用心棒とともに、主人公は銃撃される。
重傷を受けて人事不省の状態でみた幻覚だろうか、主人公は奇妙な人々の出てくる夢で、賭け事に勝ち、望みを問われて「同級生のこと」を思い浮かべる。賭け事の相手は、「同級生のこと」を主人公が叶えたい望みとして受け取ったようだった。
6 距離の詰め方がわからない(1)開始(前章あらすじ付き)
入眠時ミオクローヌスという現象がある。
要するに、眠りに入ろうとするときに、びくっとする現象だ。
誰しも覚えがあると思うが、たとえば寝入りばなに、落下感のようなものを感じてびくっと覚醒してしまうことはないだろうか。それだ。
半分眠りかけたときは状態が曖昧なので、「覚醒すべし」と勘違いした脳から信号が誤って送られてしまい、そのような事態になるらしい。
ーー長々と何がいいたいかと言うと。
現在の、というと変だが、120周年記念式典があった年の、2010年代半ばまでの記憶と意識を持つ「僕」が、199X年の春のある日に、高校生の「僕」として意識を目覚めさせたときが、まさにこれそっくりだったらしい。要するに、こいつ、居眠りしててびくっとしてるぜ、とみられてしまったということだ。
はあ。
2年生に進級した、その初日のガイダンスの時間。
担任の先生の自己紹介やクラスメイトの自己紹介、学級の運営の説明なんかかをやるやつだ。
僕はこの時間に戻ってきた。さっそく注意を受けた僕は一躍クラスで少々注目を浴びてしまった。
はじめはいきなり先生から穏やかに、しかしあきれたように注意を受けて、何がなんだか分からなかったというのが正直なところだった。
ついさっきまで、おそろしく非日常的な拉致未遂や銃撃に巻き込まれたうえに、さらに訳の分からない世界での骸骨男との対峙もあった。
次から次へと場面が変わるので、自分がいったいどのような場面に遭遇しているのか全く分からなかった。
だから最初は机に座っているというただそのことだけから、仕事中だったっけ?となり。
次に、周りに制服を着た高校生たちが座っているのを見て、またもとの世界、銃撃を受けたあの世界で、ただ治療を受けて今に至るまでについて、僕の記憶に欠落がある状態なのではないか?、などと。
だから先生から「大丈夫か、あー、志野」と言われたときに、非常に胡乱な受け答え、つまり職場の上司か取引先に対するような、恐縮しまくったトーンでの大きな声での謝罪と返答、をしてしまったのだろう。
周りから失笑があがっていて、先生も苦笑していた。
ズレる方向としては逆かもしれないが、先生に向かって「お母さん」と呼びかけたのと同じような感じだ。
ごめんなさい、ちょっとぼうっとしてました、と言い訳をして、どっと恥ずかしさに汗が噴き出るのを感じながら着席する。
この2年生だったころの担任の先生は、非常に温厚な人で、まだ午前中なんだから気をつけようね、と赦されたのはよかったのだが、今でも教室のところどころに笑い声が上がっていて鎮火しきっていない状態だ。
そして僕はどうしてこのような事態になっているかを、とりあえずは無理やり飲み込んだ。
最初は全く見知らぬ黒い学生服の男子高校生やセーラー服に身を包んだ女子高生たちに見えたものが、よく見ると、つい先日記念式典で再会した元クラスメイトたちのまだ清冽な姿だったりする。
だから、なんとか事態は飲み込めた。
そして、この状態に適応すべく、周りを盗み見て、アンテナをフル回転させる。
季節は春だ、窓の外の若葉と中庭の桜の花がそれを示している。
なぜだかわからないが、僕は高校の教室、おそらくは2年生の教室にいる。
そして、あごひげを生やした、英語教員であるせいか知らないが英国紳士じみた優雅な挙措動作と話しぶりを好む40代くらいの男性教員が、これから1年の航海をともにする仲間なんだから、みたいな説話の続きを話している。
つまり、2年生の始まりの日だ。
「それでは、自己紹介をしてもらいましょうか。最初は「あ行」から、というのは面白くないですよね。最後の「わ」からにしましょうか、それとも四隅でじゃんけんで決めてもらいましょうかねえ。
ここは順当にじゃんけんで「あ」の青山君からか「わ」の若原君からかを決めましょうか。」
どうして僕はこんな中途半端な時点に戻されたのだろうか。
それに、時間を巻き戻されるというのは、ーーこれが本当にそのようなものだとすれば、ーー普通ならあり得ない話だ。
それこそ小説では何べんも使い古されているパターンだが、それはそんなことがありえないからこそ願望として成り立つパターンなのだ。
ありうる可能性として、少なくとも時間の巻き戻しよりは現実的なものが、ほかにもいくつかある。今が夢で、過去に戻ったという明晰夢を現在見ているのか。
それとも、戻されたと思っているこの意識、2010年代半ばまでの記憶自体が、本物ではないのではないか。
つまり「未来までの記憶を持っているという錯覚」をしているだけなのではないか。
十分な検証が進まないままに、僕は一応はこれが夢の中であるにせよ、未来の記憶があるという錯覚があるにせよ、とりあえずは一般の高校生としての普通の反応をすることにした。
じゃんけんの結果、普通に「あ行」からの自己紹介となり、「青山」君から順番に、石川君、夷隅くん、市川さん、印西君、上野原君、宇都宮さん、ーーと進んでいく。
僕の「志野」は、「紫藤」の一つ後で、机の配置としては、教室の教壇から見て最右列(窓際の一列だ)の次の列(右から2番目の列)の最も後ろということになる。
掃除道具入れがある関係で窓際の列は一列少なく、僕は最後列で、右側にいる茅ヶ崎君しかお隣さんがいない。
茅ヶ崎の前が高木(僕に紫藤のその後の情報を教えてくれた)、僕の前が紫藤になる。
順番が回ってくる。僕の前の紫藤が、小さいが透き通った、それなりにとおる声で、音楽と読書、読書だと特に推理小説とファンタジーが好きで、文芸部に所属していること、猫とか仔犬とかが好きなこと、などを述べる。
うん、普通だ。ぱちぱちと拍手。
僕もごく尋常に自己紹介をする。
部活は卓球部とESSの掛け持ち、ただしどちらかというと半幽霊部員。
部活ではやっていないけどバスケットボール、そして読書も好き、藤沢周平とか(ここで先生が、渋い趣味だねえと感心したように述べる。そういえばこの先生も好きだって言ってたな)。
そしてやけっぱち気味に「あともちろん、寝るのも好きです!」と締めくくると、箸が転んでもキリシタンが転んでも(という一節のある小説があった。懐かしい※1)おかしい年頃の少年少女たちがどっと笑う。
着席して、次の島根君以降の自己紹介を、ぼんやりと聞きながら考える。
この時点に戻ってきたのは現実か、そしてなぜ戻ってきたのか。
僕は、この奇妙な時間遡行が、おそらくはあの死者たち、そして獣面の神々たちの夢あるいは現実と関係しているのだという仮定に一応の信を置き始めていた。
この、自己紹介を含む、「現在経験していること」は、夢にしては情報が多すぎた。
自己紹介を聞き流しながら、手元のまだ真新しい教科書、その1ページ1ページを見るともなく見る。
僕がその詳細まで一つ一つ記憶しているはずもない、小説や解説文の数々。
「舞姫」そして「こころ」を教科書で読んだのは、このころだったのか。
それらを諳んじているはずもないのに、今目の前に一節一節が読めている。
これは、少なくとも単なる夢ではない。
なぜこの時点に戻ってきたのか。
僕はそれについても、一つの仮説を立てつつあった。
最後の現世に戻りたいという希望を伝えるとき、僕はあの紫藤を見た、9月の夕焼けの教室を思い浮かべていた。
そしてもし時間を巻き戻せるのであれば、あの時点に戻るのではないかと思っていた。
その夕焼けの時点ではなく、この春の時点だった理由は、彼らが、あの「夕焼けの教室」ではなく、僕が思い浮かべた「人」を基準としたからだろう。
そう、おそらくこの教室のこの時間に、おそらくはさっきの居眠りしかけていたと皆に思われているその時点で、過去の僕は初めて紫藤を紫藤として意識したのだ。
紫藤との最初の記憶、それはここにあり、そして僕はそこに遡行したのだろう。
最後の若原君までが自己紹介を終えると、先生は嬉しそうにもみ手をしながら、これから一年間、貴重な青春の日々を送ってください!とちょっと恥ずかしさに引いてしまう言葉を述べ、黒板にさらさらとこれまた先生の好きな、著名な南極探検隊の求人広告(と言われている)の英文を筆記体で書いていく。
―――MEN WANTED for Hazardous Journey.
Small wages, bitter cold, long months of complete darkness, constant danger, safe return doubtful.
Honor and recognition in case of success.―――
そしてゆっくりと、日本語の訳を述べていく。
僕はその穏やかな声を聴きながら、また窓際から少し遠くの中庭を見やる。
春は盛りに近く、中庭の桜の大木は、眼下にその灼熱した生殖の幻覚の後光(※2)を振りまいていた。
続いて、目を前に向けた。僕のすぐ前の席に座る紫藤は、少し姿勢を崩して軽く片頬を突いて、背中を軽く丸めて、先生の熱の入ってきた言葉を聞いていた。
その背中を見ながら、僕はこれからどのように動くべきなのか、動くべきでないのか、考え込んでいた。
※1新井千裕「忘れ蝶のメモリー」だった気がしますが、同著者の別著かもしれません。
※2「灼熱した生殖の幻想の後光」・・梶井基次郎「桜の樹の下には」から。(正確には、満開の桜の花の雰囲気について、「灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ」)。