タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
調布は、敵愾心の満ちた上目遣いにこちらを見る(調布も長身だが、僕のほうが10cmくらい高い)。
調布は僕に顎をしゃくって、美術室の中に入るよう促した。
美術室には一年生のとき、校舎見学で来たことがある。あと、文化祭のときにクラスの出し物のタテカンを作るために来たことがあるな。それ以来だ。
美術室に入る。校舎の端で廊下がないので、縦横とも普通の教室より広く、ゆったりしている。
キャンバスや木製イーゼルの高い棚が教室の後ろを区切っていて、その後ろは美術部室になっている。
明るい窓際にはデッサン用の白い石膏像が一定間隔で並んでいる。鉢植えのポトスの緑が目に眩しい。
どこで話すのか分からず棒立ちになっていると、「あっちで」と教室の窓側に促される。
どうせなら、と角の端の最前列の席に座ると、調布はわざわざ一つ開けた最前列の席に座った。
スペースを空けるのは警戒の表れだな。ちょっと傷つくが、ーー問題ない。
一人、誰の助けもなく、で自分より大きい男と、人気のない教室で対決するんだ、そりゃ警戒も用心もするよ。
でも一対一でか。こんな機会もあるかもしれないと思っていたが、その場合は、集団で吊るし上げられるかと思っていた。
「話があるって聞いたけど「聞きたいことがあるけど」」
被った。気が合うなあ。
目で促すと、目に圧を溜めてゆっくりと切り出した。平坦な語調が怖い。
「あなたさあ、自分がやったことわかってる?て言うかさあ、あなたと、それとみなりがなんて言われてるかわかる?」
「少しは。」
「いってみなさいよ。」
「僕は言葉のいきさつではあるが、紫藤さんが好きだと言った。そして、紫藤さんが誰を選んでもいいけど、幸せになってくれるといい、と言った。」
「はいはいそれで。何言われてるかわかってる?」
「他クラの知らない奴からはよく思われてない、っていうか、女好きの変な奴、みたいな感じかな。神奈川たちからは面白がられてるって感じだけど。」
「みなりが何て言われてるか、知ってる?」
「そこはあまり知らない。女子の間の話は分からない。男子の間では、どんな子なのか興味を引いてしまったらしい、見に来た奴もいたな。目立ちたくないとしたら、こんなことで迷惑をかけてしまって悪いと思ってる。しかも噂になった相手が、多分苦手な僕なんかでさ」
「ええ、ええ、少しはわかってるじゃない! そう、迷惑なの、凄い迷惑なの!わかる?あんたみたいなのと噂になって、どんな思いをしてるか!」
我が意を得たりと、調布が攻勢をかけてきた。瞳の中にに炎が燃え立つ様を幻視する。
あんたみたいの、か。僕の調布的な評価は高くないらしい。悲しい。
「でもまだわかってないのよ、わかってたらそんなにボケボケしてられるはずがない!」
調布は興奮してきたのか、席を立って僕の席のすぐ横に来た。僕は見上げるしかない。
男子生徒を叱る女教師の図だ。高低差を使った威圧。
「あんた、あの子の何を知ってるの?ろくに話したこともないんでしょう。外見がちょっと好みだからってホイホイ唾付けて。あなたはあの子を汚したの、汚してるの。わかる?」
僕の机にばんっと両手をついて。ちょっと勢いにのけぞった僕を睨みつける。
距離、近っ。
調布は目を一瞬閉じ、ーー僕はその薄い、色白な、血管が透けてみえる瞼に思わず目が吸い寄せられた、ーーそして、一呼吸をおいて開け、糾弾を続ける。
「話したこともなく、相手の同意もなく、いきなり自分の感情だけで公表して交際を強いようとするーーー、それって、」
少し汗をかいたのか、ごく微かに刺激的な甘い体臭とシトラスの制汗剤の爽やかな匂いのブレンドが鼻を打つ。
ヤバい、ちょっと勃ってきてしまってポジションがーー。
「あたしに言わせるとそれって、社会的な強姦よ。」
なんて彼女は素晴らしいんだろう。話の一部には異論があるが、でもことの真実の一端をついている。
僕の
調布はふと身の危険を感じたように身を引いて腕で自分の肩を抱いた。
胸の膨らみが強調され、思わず目が行きそうになった。
調布も気づいたのか、さらに一歩さがって横の机にぶつかってよろけた。
だが、そこで踏みとどまる。
「ちゃんと聞いてたの?これだけ言われて、ニヤニヤして。気味悪い!何か言ったらどうなの?それとも罵られて喜ぶ変態さんなの?」
「じゃあ、ちょっと言わせてもらいたい。」
本当はちょっと反論したいが、まだ時じゃない。
僕も立ち上がる。調布の警戒度が爆上がりしたのがわかる。
パッと目を配って、ーー逃走経路をチェックしたのかな。本当に賢い女の子だ。
でも心配するようなことはしないよ?
まずは警戒心を解かねば。
「いくつか誤解を解きたいが、ただ最初に、一番大事なことから言っておきたい。」
「何よ!」
「僕が言ったことは、嘘でも冗談でもない。僕は紫藤の幸せを願ってる、君と同じようにね。」
君、なんて普通は言わないけど、勢いで出ちゃった。
まあいいや、勢い勢い、空気空気。
「もしかしたらあの子が傷ついてるかも、とは思ってた。気づかせてくれてありがとう。」
ちゃんと常識のある、話のわかるやつだということはわかってもらわないとな。
すると、少しだけ調布も決まり悪げな表情を浮かべた。
そう、この子も悪い娘じゃないんだ。
「でも全く話をする機会もなかったんだ。「あー、それは、ー-」だから僕にはどうしていいか、すぐにはわからないが、」
ゆっくりと、焦らず急がず爽やかに。
「僕にできる埋め合わせはさせてもらおうと思う。」
少し間を置き、調布が何か言おうとする機先を制する。
「当面のことを鎮める方法は、いくつかある。
いったん、僕が形だけは告白して振られるというのもいい。
逆に、僕が別の子何人もに似たようなことを言いまくって、薄めてしまう手もある。ーーわかってる、これは被害者を増やすだけだから、下策なんだろうな。
そもそも2、3か月もすれば噂は忘れられるかもしれない。」
「人のうわさも75日って?ハン、そんなこと、埋め合わせになってないわよ。」
聞いていた調布が少し元気を取り戻して突っ込みを入れる。
「跪いで謝罪しろというのならそうするし、遺書を書いて腹を切れ、屋上から跳び下りろというならそうしよう。本当に紫藤が僕にそうしてもらいたいならな。」
目を合わせて腹に力を入れる。息を呑んで調布が一歩下がった。
「本当は、紫藤はどう思ってるんだ?」
調布は口を開けたが、何も言えず閉じた。
なるほど、紫藤に確認せずに決めたんだな?疑問手だ。
だけど咎めて追い詰めるのはもう少し後だ。
少し口調を和らげる。別の角度から崩してみるか。
「そもそも、紫藤の友達だろ?でも、どれだけ紫藤のことを知ってる?」
「あんたよりは知ってるわよ!」
鳩がクークーと窓際に降りて鳴き始めた。外は長閑だ、中はブリザードだけどな。
「私立中に弟がいることは?」
「知ってる」
「中学校時代、「僕」女だったことは?」
「ーーそうなの?」
新春の風が吹き抜けて、カーテンが舞い、教室の入り口の木のスライド扉がガタっと音を立てた。調布の長めのスカートも翻る。
「『ベルばら』のオスカルのなりきりをしてたことは?」
「知らないわよそんなこと。でもそんなの大したことじゃ、ーー」
「ーー知ってるか?紫藤の父親は再婚だってこと。その継父が、多分、他の家族とうまくいってないこと。離婚の話が始まってること。」
「なんで、そんなこと、ーー」
「紫藤のお母さんは多分体が弱いこと。もう父親が家にお金を入れるのをやめたかもしれないこと。働こうとするだろうが、だが体調がそれに耐えられるかわからないこと。耐えられないとしたら、私立中の学費を出せるかもわからないこと。頼れる親族がいないこと。ーー」
「いったい、あなた、どうやって、」
調布の目に、紫藤と似て、抑えきれない、困惑と、そして怯えのような色が浮かぶ。
「そこで、だ。」
「?」
「そこでだ、調布さん、君はどれだけ知ってるのかな。こうした話を打ち明けられたことはあるのかな。話は戻るけど、それも打ち明けられないような人が、勝手に話を進めることを、紫藤はどう思ってるんだ。ーーそれとも紫藤の本当の気持ち、知ってると言えるのか?」
「って、聞かなくても分かるじゃない、ーー」
僕の言葉に、何か不穏な気配を感じたのか。調布は一歩下がった。
逃がさない、ここで追い詰める。
僕は逆に、一歩距離を詰めた。
「それは決めつけだ、紫藤は紫藤で自分の意見を持ってるはずだ。紫藤は自分で自分のことを決める、運命を選ぶ権利がある。」
「それは詭弁よ、だってーー」
「詭弁だって?」
また一歩踏み込む。気迫に押されて調布は一歩下がる。
僕の言葉は耳障りがよいが、空虚な言葉の羅列にすぎない。
現実にはそんなことまで本人に聞かなくても察せることだろうし、それでいいのだ。
だが、調布は公開告白に社会的強姦を感じ取るほどの理想論者で、そしてあまりにも若く純粋で潔癖だ。
そうであればこそ、僕の議論に理を認めてしまう。
そう、断罪の刃を自分にも向けてしまう。
「理想論だ、それは認めよう。現実世界はあまりにも残酷で、自分ではどうしようもない制約と偶然に左右されてしまう。だが、その中だからこそ、できる限りは、他人でなく、自分で、本人で決めるべきだ。」
おっさんムーブその2だぜ、ちょっと持ち駒は少ないが、畳み掛けよう。
調布が冷静なら簡単に議論の粗を指摘されるだろうが、今なら。
「知らさない、決めさせない、それは対等の人間に対する態度じゃあない。支配相手の奴隷や赤子に対するものだ。自分に依存させ、操ろうというのと紙一重だ。」
さらに一歩詰める。
調布の断固とした態度は崩れ、覇気は消え去り、顔に焦燥が見える。
調布はまた一歩下がる。
「違う!あたしは、ただ!」
「違わない。紫藤を独立の人格と見た態度じゃない、それは、」
詭弁なんだけどな。さっき結構苛められたから、このくらいは意趣返しさせてもらおう。
我ながら性格悪いが、こう追い詰めていると、その、ーーゾクゾクするような快感を感じてしまう!
「自分の思い通りになるお人形と見てるんだ。それは、僕に言わせれば、ーー精神的奴隷化だ。」
「そんなつもりじゃ、あっ、」
一歩一歩、追い詰められていた調布が下がり際に教壇の段差に足をとられて倒れかかる。
悪いことに、梱包から解きかけの石膏のオブジェがある、角が尖っていて、ーー危ない!
少女漫画じゃないんだから回り込んで抱き止める、なんてのは不可能だ。
格好悪く、宙に浮いた手を掴んで引いて、倒れるコースを少しだけ変えるだけ。
不十分な体勢のため支えきれず、ちょうどXの字のように少しクロスした体勢で折り重なってしまう。
ギリギリで胸に手を当てるなんていうラブコメ展開は避けられた。
一応不可避の事故、セクハラにはならないはず、いや畜生、下半身が重なってて勃ってるのがばれてるじゃないかどうしようこんなところ見られたら社会的な死だけどーーって調布は何を見て驚いているんだ?
入り口からばっと人影が走り去ってる、誰だ?
「追いかけて!あの子よ、みなりなの!」
起き上がって走る。廊下にすでに人影はない。教室まで戻る。いない。とりあえずは戻るか。
美術室に戻る。調布は椅子に戻っているが、項垂れていて髪も少し乱れている。僕が戻ると、恨めしげに僕を見上げた。
「見つけてくれた?」
「悪い、追いつけなかった。」
「最悪!」
机に突っ伏す。僕が横の席に座ると、顔だけこちらに向けた。
顔を見合わせていると、なんとなく、最悪の状況ながら笑いがこみ上げてきた。
調布も苦笑いしている。
「ま、あの子逃げ足だけは早いから。ーーそれに、その、悪かったわ。こんなことになるなんて。言いすぎだったわ。」
調布も、確信犯(誤用)だったか。まあでも正しい点があるよな。
「こっちもだから、おあいこだな。悪かった。」
ハハハ、と力なくまた笑い交わす。
「決めとこう。まず、調布さんは紫藤との関係復旧に努めてくれ。僕を悪者にして構わない。」
もし最後のやり取りを聞かれていたとしたら、まあ、事実だしな、と付け足す。
「それ、大変よね、あの子鋭いから。」
また突っ伏す。あの覇気に満ちたさまが嘘のように萎れている。かわいい。
「私が余計なことしてたって、怒られるかしら。まああの子の性格的にそっちはなさそうだし、そっちだとしてもまだその方がましよね、もしかすると、」
あさっての方向を向いて続ける。
「横恋慕の末の裏切りって、勘違いしてないかしら。」
始業式の少し後、クラスの気になる男子の話になったのね、あんたのどこがいいかさっぱりわからないけどさ、あの子悩んだ末にあんたの名前出したわ、と言う。
「ねえ、もしあたし、裏切り者ってハブられたら責任とってくれるかしら。」
「ないだろその可能性は。紫藤が一人になってしまう方がありうる。」
「そうね。」
「しばらく僕は直接、紫藤に接触しようとするのは控えるよ。だから紫藤のことは任せた。」
「仕方ないわね。」
「その上でだ、できれば色々相談したい。連絡していいか。携帯は、ーー持ってないか。」
まだこの時代、携帯はビジネスマンや大学生の一部しか持っていない。
中高生は持っててもせいぜいPHSかポケベルだ。
電子メールも知られてない。そして僕らの学校は通信機器持ち込み禁止だ。
「家の電話に掛けて。7時8時ならあたしが取る。あとは、靴箱に手紙をいれて。だいたい毎日美術部にいるから、呼び出してくれてもいい。」
「美術部のほかの部員経由でバレないか?」
「今更でしょう。同学年の子は二人しかいないし、うち一人は掛け持ちであまり来ない。もう一人は口が固いわ。大丈夫。」
「それは最終手段だな。でもそうするかもしれない。」
「そうね。」
二人で顔を見合わせて、はあ、とため息をつく。
思っていた経路と違うが、協力関係が築けたことは喜ばしい。
「そろそろ戻ったらどうかな、紫藤も戻ってるかもしれない。頼むぜ。」
「任されたわ。」
ふう、と息をついて調布は立ち上がった。
「あ、お弁当はいいのか?」
「まだ時間ある?食べて行こうかしら。」
調布は弁当箱を取り出し、そして僕を見た。
「半分食べて。全部食べる時間がないわ。お昼、買ってないんでしょう?」
中には大きなサンドイッチが2つ。渡された一つを遠慮せず、感謝して受け取る。
何も喋らず食べ終える。調布は室内窓側にもある水道で口を濯ぎ、先行くわね、と扉に向かった。
「ええと、あなたも、その、」
少し逡巡している。
「遅れないようにね。また。」
扉は閉めずに出ていった。
さて、対紫藤戦線に強力な援軍を獲たとみていいのか。それとも?