タイムリープで同級生の残酷な運命を変えようと頑張る話。 作:Marchhatter
「──僕しかいない。ヤるしかないさ。」
その男、志野は、じっと舞台に目を注ぎながら、そう言った。
彼女は、戦慄が背筋を駆け上がるのを感じて、気づかれないよう、身の震えを押し隠した。
彼女は、完全に過小評価していたのだ。
この男の危険な本性を。
文化祭のステージの袖で、彼が思わず漏らしてしまった、狂った本音に。
彼女、──国領ハルカは。
思わず、自分の不明と甘さを呪いたくなった。
昨日から今朝のことだけでも、彼の危険性は明らかだったといえるのに!
そしてその親友を通じて知り合った、
その両名を、どうやらその男、志野は。
すでに誑かしているようだった。
それまでも、うすうす疑っていたのだが。
文化祭前夜の泊まり込みで、そのことを国領ハルカははっきりと確認した。
泊まり込み自体は、とても楽しかった。
親友である紫藤みなりは、彼女の大のお気に入りだったし。
その友人であり、飾らない親愛の情を示してくる調布智美とも、あっというまに打ち解けた。
彼女たちとの、気のおけない語らいに加えて。
意外にもその男、志野も紳士的だったし、食事も美味しく、会話も弾んで楽しかった。
夜のトランプも怪談話も、何も考えず、飾らずに楽しめた。
おばあちゃんの家に泊まっていた、小学生のころのように。
しかし、その折々に。
国領ハルカは気づいた。発見してしまった。
隠されては、いても。
紫藤みなりの、熱に浮かされたような、恋情のこもった視線。
調布智美の、ただならぬ重い感情の込められた、発情した雌の視線。
彼女らのそうした視線が、間違いようもなくあの男、志野に向けられていることを。
ああ、こいつらあの男にヤられてしまったんだな、と。
人並外れて目敏い国領ハルカは、そう悟った。
男が自分の親友を奪い去ったことは、この際まあいいとしよう。
だけど二股をかけていることは、ひどく不誠実だ。
本人たちも、恋のライバルだとは思っていても。
お互い相手が同じ男に処女を奪われ済みだってことまでは、きっと知らないのだろう。
知っていたら、あんなに仲良くできるはずがないよ。
そう、改めて国領ハルカは認識して。
翌朝発覚した志野と紫藤みなりの同衾をネタに、調布智美の嫉妬を煽ってみた。
誠実さのカケラもない二股男への、せめてもの腹いせ、意趣返しだった。
だが、この男の本性を、危険性を、正確に見抜けていたら。
そのとき、茶化すのでなく、もっとストレートに、その危険性を訴えることができたのに。
そう、国領ハルカは臍を噛んだ。
なぜなら。
親友二人を隠れて姉妹丼するのに飽き足らず。
今ここで。この、ステージの袖で。
目の前の男は、どうやら新たな美しい犠牲者をすでに選び終わっていて。
自分の毒牙にかける、と宣言したのだ。
そう、潜めた声ながら、断固たる調子で、自信に満ちた調子で。
"ジュリエット"を陥とせるのは、自分しかいない、と。
しかも。
その言葉とともに、耳元にかすかに伝わった彼の息に、国領ハルカは、軽い眩暈とともに、ゾクゾクするような、奇妙なスリルと快感を感じて、思わず一瞬、彼から身を遠ざけた。
──この男は、危険だ!
震えてしまいそうな自分の肩をそっと抱いて、彼女は、ふらっとぐらつきかけた自分を立て直した。
──こんな男を、野放しにしていていいのだろうか?
そう、彼女は自分に問いかけた。
英語劇が終わり、志野たちが出ていき。
国領たちの出番になり。
客席に爽やかな笑顔を向け、演技している間も。
その問いは、国領ハルカの頭からは離れなかった。
そして彼女の聡明な頭は、演技を重ねつつも。
さらに前のこと。
その男、志野のことを知ったときからのことを、思い返し始めていた。
ーーーーー
彼女は、志野という男が自分の親友、紫藤みなりに公開告白をした、とまず聞いた。
素っ頓狂なことをする男だ。
その程度にしか、最初は思わなかった。
彼女の親友、紫藤みなりは、ほわほわと柔らかい人柄ではあるが、それなりに芯は強い。
変なストーカーになど、なびくものではない。
今回のその男も、そのうち突き放されてあきらめるだろう、と思っていた。
しかし。
紫藤みなりは、その後。
その男、志野と付き合い始めたと聞いた。
その間、親友である自分、国領ハルカには全く告げられもせずに。
──そのくらい、教えてくれてもいいのに!ボクとみなりんの仲なんだから。
──それにみなりんは、変な男になんか、もったいないよ!
そう思って。ただ、変な男じゃないかもしれない、という可能性を考えて。
自分の周囲、特に志野と1年のときの同じクラスのクラスメイトたちに、志野というのはどんな男か聞いて回った。
そして実際に、全校集会のときに、指差しでどの男か教えてもらい、その目で確かめた。
その結果、あくまで印象ではあるが。
地味で愚鈍、せいぜい美点は少し背が高くて見かけはそこそこだという程度の男としか思えなかった。
いや、男はすべて愚鈍だと思ってるから、正確には外見はそこそこだが、地味で人畜無害な男というだけの印象。
そんな凡夫が、みなりんと付き合うって?
ふうん。
不愉快だ。
花に芋虫が乗ってるのを見るようじゃないか。
あの男は、みなりんの本当にいいところを知って誘惑したんじゃない。
単に手近だから誘惑したんだろう。名前が近くて、席が前後だって聞いてるし。
そんな愚物がボクの珠玉に手を出すなんて、おこがましい。
匹夫、珠を抱いて罪あり、だ。
ちょっと物申して、身の程を知らしめてやらなきゃ。
初めに呼び出してやり込めようとしたのは、そんな考えからだった。
思いあがった考えだった。
浅い、愚かな考えだった。
後から思い返して、国領ハルカもその時の自分が愚かだったと、そう心から反省した。
ただ、そういう考えに至ってしまったのは
ともかく、彼女は彼にガツンと言ってやろうと思ったのだ。ガツンと。
彼、志野を部の練習部屋でもある多目的室に呼び出したときの彼女は、自分の有能さを信じ、志野の心をあっさり挫くことができるだろうと信じて疑っていなかった。
負ける要素は、ないように思えた。
しかし、志野が呼び出しに応じて、多目的室の扉を開けたとき。
それが、彼女の悪夢の始まりだったのだ。
ーーーーー
繰り返すようだが。
彼女は志野を呼び出したとき、自分の勝利をつゆ疑っていなかった。
一方は生徒会所属で成績も良いし運動もできる、クラスでも学年でも一目置かれた優等生。
一方は元クラの同級生も「どういう人だって、言われても──」と首をひねる地味男。
勝敗は明らか。そう思った。
ところが、男は逆襲に転じ、彼女に圧力をかけ。
気付いたら、もし男が勝ったらなんでも言うことを聞く、と言わされてしまった。
一方的にやり込めて、昼休み時間の残りで読みかけのファンタジー本を読むはずの彼女の計画は狂いまくった。
誤算だった。
そのときすでに感じていた、「おかしい」「このままじゃ、いけない」という気持ち。
あの第六感の警告を、信じてればよかった。
まあいいや。わけのわからない交渉力なんかじゃなくて、ペーパーテストなら問題なく勝てるだろう。
そう思い、──事実、国領ハルカの中間テストの成績自体は、相当良かった。
高校に入って、2番目くらいに良かったと思う。
しかし。
志野は、その彼女の上を行った。
最初は、疑った。
もしかすると、カンニングを行ったのかもしれない。
彼女の親友、紫藤みなりはすでに彼に篭絡されていたし、席は前後。
同じ点数だというのも、怪しい。偶然?ないない。
最初は、そう思った。
でも。
紫藤みなりは、あれは彼の実力だと断言した。彼女の目にやましい曇りはなかった。
事実、どうやら間違えた設問とかも、違うらしい。
そうなると、──勝負で負けたのは事実。
そうして、彼女は青ざめることになる。
──聞きたいか?そう、あんなことやこんなこと。もう、ここでは言えないような、
──もう口には出せない。ぐっちょぐちょ。奥歯ガタガタ、
──経験したら、もう元には戻れないかもしれないな?
あのとき彼がいやらしく彼女の唇をみつめながら言っていた言葉が、耳に蘇る。
──きっと、犯される!
志野の前に出てきた彼女が、塩を掛けられた青菜のようになっていたのも、無理はないだろう。
ーーーーー
意外にも、志野は。
ねちねちと彼女を言葉でいたぶりはしたが、そこまで彼女の処女を奪うことにはこだわらなかった。
もっとも、口や
結局、「手を貸せ」すなわち、
まあ、汚らわしいけど仕方ない。
ちょっと話に違和感を感じたが、そのときは、犯されないで済みそうなことに、ただただほっとしていた。
その後、廊下で会うたびプレッシャーをかけられたり、二度目の期末テストでの勝負を持ち掛けられたり、志野たちのアジトに忍び込んで密談を盗聴したり、それがばれてチビるかと思うくらい恐ろしい圧力を受けたり、でも意外にも志野の一味に友好的に迎えられ、胸の踊るような冒険、救出計画に入れてもらえたりして。
紆余曲折を経て。
彼女にも、判ってきた。
どうやら、一度目の中間テストの勝負の代償である、「手を貸せ」とは。
みなりの父の救出計画。それに手を貸せ、ということだと。
そう理解し、思い違いを修正して。
国領ハルカの中での、志野の評価は上がってきていたのだ。
あ、こいつ結構いいやつじゃん。という風に。
ちょうど、不良が電車でおばあちゃんに席を譲ったようなものかもしれないが。
最初の印象が悪すぎたから、その反動で、かなりいい奴に思えてきていたのだ。
意外に彼は誠実に、あるいは誠実そうに振る舞っていたし。
特に紫藤みなりを、大事にしている様子が見て取れた。
そうやって、評価を上方修正していたのに、ーー!
前夜祭の泊まり込みで、さらに彼の大人っぽいところ、気前の良いところも知って。
女の子2人を二股にかけてるのは気に入らないけど、まあ女の子たちには気づかせてやったし。
そうなれば、修羅場を経てこの男も態度を改めざるを得ないだろう。
悪い奴じゃないしそのくらいで勘弁してやるか、と思っていたところに。
文化祭のステージ発表で、国領ハルカは、
形式的には、英語劇だった。
国領ハルカは知っている。簡単なリハーサル程度はやってるらしいが、ほとんどぶっつけ本番に近いこの劇のことを。
たしか生徒会の資料では、代々、あまり人気のないステージ発表のコンテンツのワースト3に入っていた。
プログラム順は、自分たちのダンスがこの英語劇の次だと知って。
創作ダンス部の出場メンバーの反応は、二つに分かれた。
前のつまらなさとの対比が出ていいんじゃない?お客さんもこの時間に休憩に行って、フレッシュな状態で私たちの演技を見てもらえるよ、というのと。
つまんない演しものの次なんて、お客さん少なくなっちゃうじゃない!いやだよ!というのと。
しかし。
順番が次のため、舞台袖に来て待機していた、国領ハルカを含む創作ダンス部のメンバーたちは、震撼する。
その男、ロミオは。いや、志野は。
意外にも、落ち着いていながら、情熱のこもった良い声を、朗々と広い会場に響かせ。
その音の響きで、少なくとも一部の女の子の耳を奪った。
観客たちは、いつになくこの演し物に関心を奪われていた。
──なにあれ、かっこいいんじゃない。
そういうささやきを、国領ハルカの耳は捉えた。
確かに。
時代がかった、ベストのようなグレーの衣装も志野に不思議に似合って、ロマンチックだ。
手に持った小道具の花と相まって、結婚を申し込みに行く騎士のようなたたずまい。
そう思うと、均整の取れた、ほどよく筋肉がついて体幹のしっかりした長身も目を惹く。
何より、その内容。
文豪の紡ぐ甘い愛の言葉が、──これまた衣装のマジックのせいもあるかもしれないが、学年一と言っても過言でなさそうな、美しく清楚な少女に捧げられ。
美少女も、それに応え、自分の愛を告げる。
いままでの英語劇の比ではない。すごく、格好よく決まってる。
しかし。
そのやり取りの中で。
客席からは、──みえただろうか?
志野の甘い言葉を、逃げることもできず、耳にすこしずつ、すこしずつ垂らされ、沁み込まされて。
美少女の白い頬に血がさし初め、目が潤み、決して演技でないため息が漏れ、胸のふくらみが手で押さえられ、肢がそっと、落ち着かなくもぞもぞと、──
──自分たちは、何を見せられているのだろうか?
言葉による、調教。――公開調教。
そんなはしたない語が浮かんでしまい、ぶんぶんと頭を振る。
この女は誰?というか、志野はこの女とも、――?
幕が下り、待機のため舞台袖に来た志野に、問い詰めようと決心する。
簡単に言葉を交わし、聞こうとしたそのとき。
「似合ってるよ。」
いきなり先手を打って髪型を褒められ、思わずもじもじとしてしまう。頬に血が上る。
まずいよ、これは志野マジック。幻想だ。
聞くべきことを、聞かないと。
そう思って、国領ハルカは気を取り直して尋ねる。
「ねえ、あれは誰なんだい?さっきジュリエットしてたの。」
今は女王様役として佇んでいる、さっきの美少女をそっと指して聞く。
ふうん、ESSの部長か。え?待てよ、ESSの部長って、たしか、──!
いや、そんな場合じゃない。
そっちも気になるけど、本筋はこっちだ。
「ふぅん。──いいのかい?その、見てたら。彼女も演技じゃなく、まんざらじゃないみたいに見えたけど。君、まさか実際に彼女を口説いてたりなんかしてないだろうね?彼女たち(紫藤みなり、調布智美)も、君にはいるんだろうに。そんな人倫に悖ることは考えてないよね?」
そう、釘を刺して。
そして、帰ってきたのだ。斜め上の答えが。
「いいも何も。──しかたないじゃないか。僕しかいない。ヤるしかないさ。」
他の男など、問題外。
自分だけが、その高嶺の花を手折れる。
だから自分が、彼女を犯るのだと。
直截的な言葉で、そう告げられた。
続いて、志野は言い放ったのだ。
「僕は真剣だよ。もちろん。ヤると決めた以上は、ね。」
その言葉を放つ志野は、真剣な、というより、飢えた狼のように酷薄な、──そう。
獲物を狩る、肉食獣の目をしていて。
明らかに集中力のほとんどを舞台に、その美しい獲物に注いでいた。
彼女は、一瞬、言葉をなくした。
そう、男の危険な匂いに、その奇妙な引力に、瞬時、魅了されてしまったのだ。
すっかり気圧された彼女、国領ハルカは、せいぜい。
女の子の自由意志なら、それは蛾が街灯に、蝶が花に集まるようなものだ、と、自分を無理やり納得させるしかなく。
そして。
「──刺されないように、気をつけるんだ。」
わかるだろう?と。
そう、志野に一矢報いるくらいのことしかできなかったのだった。
だが、もちろん。生返事が帰ってきただけ。
志野は改心する気は、なさそうだった。
新たな犠牲者が出るのは、間近い。
暗澹たる思いを、国領ハルカは抱いた。
そして。
──今は、時が悪い、忍ぶしかない。
特に隔意がないかのように振る舞って、この男の懐に入り込もう。
しかし自分がいつか、ブルトゥスとなって、この男に引導を渡すことになるかもしれない。
親友と友人、二人には恨まれるかもしれないけど。
思わざるを得なかった。