※この作品はR-18です。

大江戸捜査網 ハーレム・サムライ   作:a-su

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Bパート

「ふーい…………」

 

 お雪は天井を見上げて息をついた。汗ばむ肌の上を、熱い湯が流れていく。

 

(あ~、生きけえるぜ…………)

 

 湯船に浸かる心地良さに目をつぶりながら、そんなことを思う。

 日本橋の湯屋・桜湯である。江戸の町人は家に風呂を持てないので、こうやって銭湯に通うのだ。朝一番なので、客はお雪だけだ。桜湯は江戸では珍しく男女が分かれた銭湯である。このごろ、こういう場所が増えてきたという。

 

 お雪は、さっきの行為の余韻でまだぼんやりしている頭を振って、思い出していた。

 ついさっき、自分がしたこと──

 

 〈うう……助……けてよぉ……太一郎兄貴ぃ……〉

 

 その言葉が脳裏に浮かんでくる。

 

「ちくしょう! あんなこと言っちまうなんて……!」

 

 お雪は、再び涙目になって、ぶくぶくとお湯の中に顔を沈めた。きつく目をつむる。そうすると、まぶたの裏に太一郎の姿がはっきりと映る。脳裏の太一郎は、隙のない洒落者の着物姿のまま、いつもの穏やかな笑顔で語りかけてくる。

 

 〈しょうがねえなあ、お雪ちゃんは〉

 

「……太一郎兄貴ィ……はっ!」

 

 いつの間にか、お雪は立ち上がっていた。お雪の裸身を、朝の光が照らし出す。白い光の中で、お雪は、自分の胸元にある二つのふくらみを、じっと見つめていた。その膨らみの下に、ぽっかりと穴が開いているような気がして、両手で隠すようにしてみた。しかし、手は空しく宙をさまようだけで、そこにあるはずの空洞を埋めることはできない。

 

「あたし、どうなっちゃってんの……?」

「何が?」

「!?」

 

 突然の声に、お雪はびくんとして顔を上げる。手拭いを持って湯船に入ろうとしていたのは、ひと月前の事件で知り合ったお英だった。

 

「誰かと思えば、お英かよ……」

「らしくないよ、どうしたの? お雪、大丈夫?」

 

 お英は、お雪の隣に腰を下ろして心配そうに声をかけてくる。

 

「別に、なんでもねえよ」

 

 ぶっきらぼうに答えて顔を逸らすと、お雪はもう一度湯船に体を沈めた。

 

「ふう……」

 

 気持ちいい。お雪の顔から険が取れて、とろんとした表情になる。お英も同じように目を細めている。二人はしばらく黙って湯に浸かっていた。

 

「……ねえ、お雪」

「あんだよ」

「おいらさっき、蒸し饅頭を買って食べたんだけど」

「朝から饅頭かよ、蕎麦食えよ蕎麦」

「そう言うと思ったけど、やっぱり饅頭が食べたいと思って買ったんだよね」

「へっ、食い意地張ってんなお前も」

「それで、その蒸し饅頭を食べながら、ふと考えたことがあるんだ」

「ほう?」

「お雪のおっぱいって、これくらいの大きさじゃないかって」

「げほっ! ごほごほごほっ!」

 

 お英はお雪の胸元をじっと見て、正解! というように親指を立ててみせる。

 

「そんなわけあるか! てめぇの目ン玉、腐ってんじゃねえのか!」

 

 お雪は思わず立ち上がり、お英に向かって怒鳴りつける。

 

「でも、当たってるでしょ?」

「ぜっ……全然違うわ!」

「そうかなぁ……。じゃあ、触らせてみてよ」

「やだよ! 恥ずかしいだろ!」

 

 お英がずいっと身を寄せてきたので、お雪は慌てて湯船の中を後退した。

 

「そんな逃げなくても、取って喰ったりしないってば」

「そういう問題じゃねぇだろ! 大体、なんでお前が触る必要があるんだ! 自分で揉んでれば十分だろ!」

「う~ん、それもそうだね」

 

 お英はそう言って、自分の乳房を持ち上げてみせる。お雪より二回りは大きい。

 

「ぐっ…………ちょっとデカいからって調子に乗りやがって……」

 

 悔しげに歯噛みするお雪を見て、お英はくすりと笑った。

 

「気にしなくても、その内大きくなるよ。それに、上には上がいるし」

 

 そういってお英が両手で示した乳房の大きさに、お雪は言葉を失った。

 

「えっ、なにそれ…………西瓜か何か? ……ていうか、どこから来たのその乳おばけ」

「ぷっ……その言い方、失礼だってば」

 

 お英はそう言いながらも、どこか嬉しげだ。お雪はため息をついて、湯船の縁に腰掛けた。お英もお雪の隣に腰掛ける。二人並んで座ると、互いの肩が触れ合った。

 

「…………なあ、なんで朝イチから風呂に来たんだよ」

「今日は診療所に女中さんがいなくて。それに、こんな髪だからね」

 

 言って、お英は自分の髪に触れた。銀に近い薄い金色(プラチナブロンド)の髪は、江戸の庶民にはないものだ。

 

「気にすんなよ。生まれつきなんだから、仕方ないじゃん」

「おいらが気にしなくたって、周りが気にするの」

 

 お英はそう言って、少し寂しげに微笑む。お雪は目を逸らした。

 

「……ねえ、お雪のお父ちゃんは、どんな人?」

「さあ…………覚えてねえな」

「そっか。おいらのお父ちゃんはね、よく言ってたよ。『困っている人がいたら助けてやるんだぞ』って」

「ふーん。まあ、鼠小僧だもんな」

「うん。おいらもいつか、あんなふうになりたいな」

 

 お雪は、脚で湯をかき混ぜる。

 

「…………なあ、お前は隠密にはならないのか?」

「隠密? ああ、隠密同心のこと。うん、でっかい声で、人は殺さないって言っちゃったしね」

「そっか。でもさ…………隠密でも、困ってる人を助けられると思うぜ。そりゃ、悪代官とかには評判悪いかもしんねえけどさ……」

 

 お雪は、また脚で湯をかき混ぜる。

 お英は、そうだね、とだけ言った。

 

 ◆◆◆

 

 湯から上がった二人は、二階で茶を飲んでいた。お雪は冷たい麦湯を飲みながら、お英の胸元を見る。

 

(やっぱり、こいつの方がデカイよなあ)

 

 お雪の視線に気付いたお英は、呆れたように言う。

 

「さっきも言ったけど、お雪だってすぐに大きくなるよ」

「ホントかよ」

「本当だよ。ほら、ちょっと触ってみていいよ」

「……………………って触らねえよ!」

「あははっ」

 

 お雪は、お英の胸に手を伸ばしかけたが、慌てて引っ込めてしまった。お英はそんな様子のお雪を見て笑う。

 ため息をついたお雪は窓の外を見る。と、お雪の顔色が変わり、「やべえ!」と言って立ち上がる。

 

「どうしたの、お雪」

「あー、詳しくは言えねえけど、緊急の仕事が入ったんだ。わりい、もう行かねえと」

 

 お雪はそう言い残して、駆け足で店を出て行った。

 

「一体なんだったのかなぁ」

 

 残されたお英は、ぼんやりと外を眺める。窓から見えたお地蔵様に、赤い鉢巻きが巻かれていた。

 

 ◆◆◆

 

 地蔵の赤い鉢巻きは、隠密同心集合の合図である。

 芸者風に変装したお雪は、神田川の船宿〈弁天屋〉の座敷に入った。船宿とは宿泊する場所ではなく、渡し船の待合所がいつしか宴会場としての機能を備えたものだ。その性格上、誰が出入りしても怪しまれにくい。

 

「お殿様、お雪です」

「入れ」

 

 忠興はお雪の芸者姿を見るや、目を細めた。

 

「これは、良い。実に似合っておる。お雪も成長しおるのう」

「そんなに褒めたって、なんにも出ませんぜ」

「何を言うか。わしとお雪の仲ではないか」

「お戯れを」

 

 お雪は忠興の湯飲みに、新しい茶を注ぐ。忠興は甘党で、酒は喜ばない。盆には、お雪が見たことのない菓子が載っていた。

 

「食うか? 越前の銘菓、羽二重(はぶたえ)餅だ。遠慮するな」

 

 羽二重とは、しなやかで手触りの良い上質な絹布のことである。

 

「えへへ、じゃあ頂きます。……うまっ……」

「そうであろう。口に含めばふわりととろけ、もち米の優しい甘さがほんのりと広がる。まさに羽二重の如き絶品だ」

 

 忠興は屈託のなさそうな笑顔を浮かべて言った。お雪もつられて笑う。

 

「ごっほん。それでお雪、本題だがな」

 

 忠興は咳払いをして、急に真面目な顔になった。

 

「赤坂に延命寺という禅寺があるのだが、そこに覚念(かくねん)という僧侶がいる。この者について調べてもらいたいのだ」

「はい」

「実はな、さる大名家より密告があった。延命寺には怪しげな金の動きがある。各地の大名家や大身旗本から、寄進と称して多額の金を受け取っているようだ」

「それは、つまり……賄賂ですか?」

 

 忠興は首を左右に振った。

 

「怪しげと言うのはそこだ。そこらの侍や名主なら、寺社に賄賂を出してもおかしくはない。しかし、大名ともなれば話は別だ。それも千両二千両となればな」

「に、二千両……それだけあれば大名行列でもできそうだ」

「そうだ。大名なら出せぬ金額ではないが、おいそれと捻出できる額でもない。しかも密告してきた大名家によれば、その捻出を誰が決したか、とんとわからぬらしい」

「それって、覚念はお大名に金を出させる何かを持ってるってことでしょうか」

「おそらくはな。そこで、お主には延命寺の坊主どもを調べてもらいたい。そして、覚念の正体を見極めよ」

 

 はい、と言ったお雪は、そこで少しも(・)じ(・)っ(・)とした。

 

「お殿様、太一郎兄貴……太一郎様はどこに?」

「あやつは密告してきた大名家の領地に潜らせた。早飛脚で報告を受けたのが今朝、戻りは早くとも三日後になるだろう」

 

 忠興は、お雪の顔を覗き込むように見た。

 

「よいな、お雪。決して一人で深入りするでないぞ。太一郎は、いつもお前の身を案じておるのだから」

「はい、心得ております、お殿様」

 

 お雪は胸を張り、きりっとした表情で答えた。

 

「よし。では、行け!」

 

 ◆◆◆

 

 武家の人妻風に変装したお雪は、駕籠に乗って赤坂の延命寺へ向かった。赤坂と言うだけあって坂の多い土地で、駕籠かきは汗を流しながら、必死で登っている。

 

(この坂でそんなに苦しんでちゃ、江戸中に噂が広まるような活躍はできないよ)

 

 お雪は内心で苦笑しながら、辺りを見た。

 赤坂はいわゆる山の手で、江戸城から見て西側に広がっている。幕府の役所や諸大名の屋敷、大名の別邸や下屋敷などが建ち並ぶ閑静な場所だ。坂道が多いせいで、駕籠を使っての移動も一苦労である。しかし、その分だけ町の雰囲気は落ち着いており、どこか上品な雰囲気が漂っていた。

 お雪は駕籠かきに十分な駄賃を渡してやった後、近くの茶屋に入った。

 

「お団子二つ下さい。あとお茶も」

 

 店番をしていた若い娘に声をかけると、彼女は愛想よく返事をした。

 

「あ、はい、ありがとうございます」

 

 娘はお雪の容姿を見て、一瞬見惚れたようだった。お雪は髪を武家風に結い上げ、上手に化粧をしている。

 

「お待たせしました。お代はこちらです」

 

 娘はお雪の前にお盆を置き、茶を注いだ湯飲みを置いた。お雪はその茶をひと口飲んでから、口を開いた。

 

「ありがとう、おいしいお茶ですね。一つ教えていただきたいのですが」

「あっ、はい! 何でもお聞き下さい、奥様」

 

 娘はお雪が多めに渡した代金に気をよくして、明るく応じた。

 

「あたくし、これから延命寺の覚念さまを拝みに行くんですけど、あの方の評判を教えていただけませんか?」

「はぁ、覚念さまですか」

 

 娘は少し考えるふりをして言った。

 

「そうですね、とても穏やかな人柄だと聞いてます。それから……」

「それから?」

「信じられないくらいの美形なんです!」

 

 娘は目を輝かせ、頬を紅潮させて語った。

 

「もう、ほんとに綺麗なんですよ。透き通るような白い肌で、まるで菩薩様みたいなお顔立ちなんです」

「まあ、そうなの。それでは、さぞかし覚念様目当ての参詣者も多いことでしょうね」

「えぇ、そりゃもう。毎日のように行列ができていますよ」

 

 お雪は団子を食べ、娘の話を聞き終えてから店を後にした。

 

「ご馳走様。美味しかったわ」

「またご贔屓に」

 

 ◆◆◆

 

 延命寺に到着したお雪は、門前で客待ちをする駕籠を避け、境内へと入った。広い境内には、多くの人間が出入りしている。

 

「女ばかり……噂は嘘じゃあないようだ」

 

 お雪の周りを取り囲むように歩いているのは、いずれも人妻風の女性たちだ。彼女達は一様に、覚念の噂話で盛り上がっている。

 

「ねぇ、あなたはどう思う? 覚念様のこと。あんな仏様みたいな方に好かれたら、どんなに幸せでしょうねぇ」

「でもお坊様よぉ、あたしらがこんなこと言ったら怒られちゃうんじゃないかしら」

「あら、大丈夫よ。だって覚念様って、女性には優しいって評判なんだもの」

 

 おしゃべりに夢中になっている女性達の間を抜けながら、お雪は覚念の姿を探した。

 

(あれか。……おー、確かに女みたいな美形だね、ありゃ)

 

 覚念は本堂の縁側をゆっくりと歩き、庭を見下ろしているところだった。女たちの黄色い声が聞こえるのか、時折笑顔を見せて手を振っている。

 

「きゃっ! 覚念様に手を振り返してもらえた!」

「私も!」

 

 覚念は、次々と駆け寄ってくる女性たちに優しく微笑み、本堂に入っていった。

 

(しっかし、なよっとした美形のどこがいいんだかね。あたしゃ顔より……ん?)

 

 お雪が注目したのは、寺のあちこちに立っている僧侶たちだった。

 

(なにか、変だ。妙に目つきが鋭い……それにあいつら、それぞれが死角を補い合うような配置になってるぞ。まるで、何かを警戒してるみてぇだが……何が起きてんだい、ここは)

 

 お雪は延命寺を後にする。

 

(こいつは与し難し、だ。忍び込む手筈を整えて、今夜あたり乗り込んでみるか……)

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 境内にいた一人の尼が、お雪の後ろ姿を見てこう言った。

 

「あら、蕎麦屋の……ふふ」

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 草木も眠る丑三つ時、お雪は忍び装束に身を包み、闇夜に乗じて延命寺の塀に接近した。

 

「行くぞ」

「うん」

 

 お雪は、相棒の肩を踏み台にして、塀の上まで飛び上がった。寺の中には見回りがいるが、距離は離れている。今のところ見つかる心配はあるまい。

 お雪が合図すると、相棒は塀の真ん中あたりに飛びついた。どうするのかと見ていたら、何とそのまま壁を蹴って真(・)上(・)に跳んだのである。

 

「お待たせ」

 

 音もなく塀の上に着地した相棒を見て、お雪は驚き半分、呆れ半分で言った。

 

「お前、つくづく人間離れしてるなあ。いや、流石は鼠小僧次郎吉の娘だね」

「まぁ、これくらいは」

 

 お英は涼しい顔をして言う。

 

「それより、こんなお寺にホントにあるの? 何千両の大判小判」

「あるさ。後ろ暗い金なら、手形に替えたりはしない。大方、どこかに隠し金庫があるんだろう」

「そう。報酬は五十両、ちゃんと貰うからね」

 

 二人は暗闇の中、足音を忍ばせて移動を開始する。番僧たちの警備は厳重だったが、お英が的確な経路を選択してお雪を先導する。

 

(こいつ、なんでしゃがんだまま走れるんだ?)

 

 時には大胆に、時には慎重に、二人は侵入を悟られることなく、やがて本堂の屋根裏へと辿り着くことができた。

 

「なあ、どこにあると思う? 大名が金を出したくなるような、出さなきゃいけないような何かって」

「坊さんが一人でやったことなら、そいつの寝所。集団での犯行だとしたら、それこそ床下とかじゃない?」

「じゃ、まずは寝所から行くか。坊主がいたら、そのまま吐かせてもいい」

 

 お雪とお英は、天井板の隙間を押し開け、内部を覗き込んだ。

 

「うわ……」

「げっ……」

 

 二人が見たのは、男と女の宴だった。覚念らしき全裸の男と、どう見ても武家の女房にしか見えない年増女が絡み合っている。

 お英がひそひそと話しかけてくる。

 

「ねえ、お坊さんって女としちゃ駄目なんじゃなかったっけ」

「あ、あたしに訊くなよ」

 

 よく見れば、覚念と絡み合う女の他に、もう一人の年増女が布団に転がっている。その女は全身を痙攣させ、口から泡を吹きながら白目を剥いていた。

 

「………………なあ、あれ死んでないか」

「ううん、あれは気持ち良すぎて意識が飛んでるだけ。その内目を覚ますよ」

「何で分かるんだよ」

「それよりもさ、ほら、見て」

 

 お英は、二人の情事を指差す。

 

「あの男、何か変だよ。よく見たら、さっきから何もしていない。ただ、自分のものを女の人に押し付けてるだけ」

 

 お雪は目を凝らしてみる。たしかに、覚念は指一本動かさず、胡座をかいておっ勃たせているだけだ。それなのに、女は狂ったように悶え続けている。

 

「覚念様! どうか私にもお慈悲を! この卑しい雌豚めをお使い下さいませ! ああっ! ああ! いやあ! 逝ってしまう! おおっ! おおっ! おおゥ!」

「奥方様、拙僧は疲れてまいりました。お休みになって頂いて結構ですぞ」

「嫌ァアアッ!! 許してぇ!! 挿れてぇ!!」

 

(あんまり長いこと見てたら、目が腐りそうだ。雌豚ってより、どっちも豚そのものだよ、ありゃあ)

 

「ああ……そうだな。でも、それがどうかしたのか」

「どうかしたのかって、男が女を善がらせるには鵜(う)の目鷹(たか)の目で女の反応をよく見て、時には大胆に、時には繊細に攻める。これが基本中の基本でしょ」

「だから何で分かるんだよ」

 

 二人は天井板をもとに戻し、目を合わせてため息をついた。

 

「ふーっ……どうやってかはともかく、あの罰当たりが何をやっているかまでは分かったね」

「まあ、一応な。ああやって武家の女を虜にして、それをネタに強請ってるんだろう」

「薬かな。アヘンとか」

 

 お雪は、覚念の寝所の惨状を思い出す。

 

「うーん……兄貴が言ってたけど、アヘンを吸うと男も女もイカかタコみたいになるらしいぜ。あんな風にはならねえと思うけど」

 

 小声で話しながら、二人は屋根裏を探索する。

 

「ん……?」

「どうした、お英」

「見て、これ」

 

 お英が示した柱には、絡繰り仕掛けが施されていた。

 

「何に使うんだ、こんなもの……」

「これ、扉を開けるからくりだよ」

「ふうん……なら、この下に隠し部屋があるな。お前の予想が当たったわけだ」

「うん。行ってみよう」

 

 お雪たちは、本堂の中に降り立った。そこは通路の突き当りで、周囲には小さな仏像が置かれている。

 

「お雪、こっち来て。扉を見つけた」

 

 お雪は、仏像の一つを退かしてみた。壁の穴に、操作棒が差し込まれている。

 

「きっとあの絡繰りだよ」

「よし、動かすか」

 

 お雪とお英は、一緒に棒を動かす。すると、ゴトンという音と共に、仏像の後ろが開き、地下への階段が現れた。

 階段を下り、二人は地下室に到着した。

 

「うわぁ」

「すご……」

 

 壁の松明が、その地下室の内部を照らし出す。そこには、大名家からの寄進と思われる千両箱や、高そうな壺などが無造作に置いてある。

 

「ここ、宝物庫だ!」

「こりゃ、大したもんだ」

 

 さらに地下室の奥には、観音開きの大きな鉄の扉があった。お雪は、その大きな扉を押し開ける。

 その先にあった物を見て、お雪は首を傾げた。二十畳ほどの空間には、小さな舞台と、祭壇のようなものがある。祭壇の後ろには、十字形の柱に何かが磔にされていた。

 

「……なんだこりゃ。獣の頭をした人間の像、か?」

「お雪、あったよ。お大名の泣きどころ」

 

 お英が見つけたのは、いくつもの文箱だった。お雪は中にあった文を読み上げてみる。

 

「『愛しき覚念様、わたくしを哀れと思し召すならば、この身をお使いくださいませ』……?」

「恋文かな」

「それにしちゃあ、書いてあることが物騒だぜ。『この身が朽ち果てるまで、あなたの端女になります』だってさ」

 

 お英は、ふうんと言ってお雪から手紙を受け取る。

 

「……あれ? お前、字読めるのかい」

「田舎者だからって馬鹿にしないで欲しいな。書くのはともかく読むだけならできるさ」

「へえ。じゃあ、これも読んでくれよ」

 

 そう言って、お雪は文箱から別の紙を取り出してお英に渡す。

 

「『……我が藩の財政は火の車、とても千両ものご寄進は叶いません。この上は、あなた様にご慈悲を賜りたいと存じます。どうか、私めと共に御仏の国へ参りましょう』」

「……心中の誘いか。こんなもんがあるなら、そりゃいくらでも〈ご寄進〉は強請り取れるだろうな」

「そんなものかな。お武家様も大変なんだろうけど、あんな罰当たりに払うくらいなら貧乏人に施せばいいのにね」

 

 2人は、祭壇に掲げられた人身獣面のはりつけ像を見上げた。像はよく磨きこまれていて、誰かが大切に手入れしているのだろうと思われた。金と欲にまみれたこの地下室には、あまりに不似合いだ。

 

「……あの像はなんなんだろな。どう見ても仏様にゃあ見えねえが」

「さあ。おいらにもわからないや。横浜で見た〈でうす様〉とは大分違うけど」

 

 あらぬ方から声が聞こえてきた。

 

「──あなた、〈でうす様〉をご存知?」

「誰だ!?」

 

 振り返ると、いつの間にかそこにはひとりの尼がいた。上品な老女で、白装束がよく似合っている。いずれにせよ、この地下室に突然現れたからには只者ではあるまい。

 

 〈気をしっかり持て〉〈そうではない〉〈忘れるな〉〈騙されるな〉

 

「ぐっ!?」

 

 お雪の頭が、激しく痛みだす。お雪は顔から血が引くのを感じた。今の今まで、この女の顔を忘れていたのか。

 

(ち……違う、そうじゃあない……)

 

「お雪! どうしたのお雪!」

 

 お英が揺さぶってくるが、お雪はそれどころではなかった。

 

「お前……昨日「竹むら」に現れた女……!」

「あら、大したものですね。昨日の今日でもう思い出すなんて」

 

 老女は、穏やかな微笑を浮かべた。

 

「私は〈おりん〉と申します。先ほどは失礼いたしました。少しばかり、お話をよろしいでしょうか」

「何の話だ」

 

 お英が警戒して言う。

 

「お雪に何をしたんだ。返答次第じゃ、ただじゃ済まさないぞ」

「今は何も。お雪さんの頭が痛むのは、私が昨日かけた暗示を外そうとしているからです」

「あんじ? あんじってなんだ」

「ふふ、とてもイイものです。大丈夫、無理矢理に記憶を呼び起こそうとしなければ、すぐに元に戻ります」

 

 お雪の頭痛はますます激しくなっていた。頭の中で何かが暴れているような感覚がある。だがお雪は、〈苦痛を恐れてはならない〉と直感的に考えた。でなければ、この場を切り抜けられないと思えたのだ。

 

 ──決して、この女の〇〇を○てはならない。

 

「私はね、お雪さん。貴方を助けに来たんです」

 

「助け…………だあ…………?」

 

「ええ、そうなんですよ。実は私には、貴方にとってのお兄様と同じくらい大切な方がいるのです。その方は大変なお力を持っていますし、その方を敵に回すのはとても恐いことなのです」

 

 おりんは、ひょう、と跳んだ。老女と見えたおりんが、一跳びでお雪たちを飛び越え、地下室の舞台に着地した。まるで重さを感じさせない軽業だった。

 

「あの方の抱擁を受け入れることこそ、救い。そのようにお考えください」

 

 言いながら、おりんは小さく足を踏み鳴らし始めた。

 

「ま、ず…………お……えい、に……げ……」

「何が救いだ! まずはお雪を元に戻せ!」

 

 お英は、お雪を背にかばい、決然と言い返した。お雪は、頭痛と必死に戦いながら、何とか立ち上がろうとする。

 

(早く、早く立ち上がって、お英を逃がさないと!)

 

 香り……バラのような匂いが、おりんから漂ってきた。足の動きも、一定のリズムで続いている。それがおりんの攻撃なんだと、お雪の記憶が訴えかけている。

 

「あんた、覚念っていう罰当たりの仲間だろう。これ以上お雪を苦しめてみろ、いくらおいらでも許さないぞ!」

 

「ふふっ。私はただ、これから舞いを見せるだけ」

 

 ──り(・)ん(・)。鈴のなる音。

 

「あなたに、ね」

 

「……お英ッ! その女の舞いを見るなァーっ!」

 

 お雪の声は間に合わなかった。舞い始めたおりんを、お英はまともに見てしまった。

 

 

 

「私の名は、おりん。またの名を、〈絢爛(けんらん)お燐(りん)〉と申します」

 

 

 

 お雪の目の前で、お英は金縛りに遭ったかのように硬直した。そのままの姿勢で、ゆっくりと膝を突く。そして、お雪の方へ倒れ込んできた。

 

「お英……お英!?」

 

 お雪は、お英を抱き止める。お英の顔は青ざめていた。うつろな目で、ぴくぴく痙攣しながら、お雪を見上げてくる。

 

「お雪さん、心配はいりませんよ。お英さんは、これから極楽に堕ちるのです。覚念和尚によってね」

 

 おりんの言葉を聞いて、お雪の頭に血が昇った。お英を、あの年増女たちのような豚に変えようと言うのか。怒りが、覚悟を決めさせた。

 懐から護身用の短刀を引き抜く。お雪はそれを逆手に握り締めると、自分の左腕に突き立てた。

 

「あら」

 

「うっ……ぐぅぅゥ……!!」

 

 鋭い痛みとともに鮮血が噴き出す。だが、お雪は悲鳴を上げなかった。怒りと痛みが、彼女を苛む頭痛を吹き飛ばしていく。

 

「いいですね。その気高さは、とても尊いものです」

 

 おりんは、愉快そうに拍手をしてみせる。挑発だ。お雪はそちらを見ずに、お英を抱き上げた。

 

「戻って来るぜ、〈絢爛お燐〉!」

 

 お雪は、お英を抱えたまま駆け出した。全速力で階段を駆け上がる。隠し扉の前には、既に三人の番僧がいた。お雪に武器はない。背中にはお英を担いでいる。圧倒的に不利だ。

 

「どきゃあがれ、雑魚どもが!」

 

 だがそれでも、お雪の方が強い。お雪の膝が一人の顔面を打ち、倒れざまの踵がもう一人の顎を砕いた。最後の一人が匕首を構えたが、それよりも速くお雪が体当たりをする。よろめいたところに肘打ちを叩き込むと、敵は壁に叩きつけられた。

 お雪は匕首を奪い、障子をぶち破って庭に着地し、裏門目指して走る。おりんの姿はなかった。

 

「よし、今のうちに逃げるぞ!」

 

 お雪の頭からは、もはやおりんのことは完全に消え去っていた。今はただ、この場を逃れることだけを考える。

 

「お英、しっかりしろよ! すぐに医者に連れて行ってやるからな!」

 

 返事がない。お雪は焦っていた。早くしないと、お英の命に関わるかもしれないのだ。

 

「ちくしょう、どこへ行きやがった!」

 

 ちょうどいい所に、番僧がいた。いや、匕首を使ったことから考えるに、金で雇われた偽僧侶かもしれない。お雪は匕首を突き付けて脅し、裏門を開かせた。

 

「ありがとよ!」

 

 番僧を殴りつけて気絶させると、脱兎のごとく駆け出す。お雪は走った。走り続けた。追手の声は徐々に遠くなっていく。周辺は既に、田畑と林ばかりになっていた。

 

「ふー……ここは、新宿か? ここまで来れば……くっそ、痛え」

 

 もう大丈夫だろう。左腕は痛むが、上手く刺したので手当すれば動かせるはずだ。立ち止まり、お英の体を揺すってみる。

 

「おい、お英、お英」

 

 反応がない。

 

「お英!?」

 

 慌てて、呼吸を確認した。息はしている。

 お雪は近くの廃屋に飛び込んだ。埃っぽい畳にお英を寝かせてやる。

 

「お英! お英! 目を開けろ!」

 

 必死になって呼びかける。お英の胸は微かに上下していた。どうやら生きているらしい。

 涙は堪えた。ここで自分が泣いてしまえば、自分をかばってくれたお英に申し訳が立たないと思ったからだ。

 

「ごめんな、ごめんな。お英」

 

 すると、お英の瞼が小さく震え始めた。

 

「う……ん……」

 

 お雪は顔を近づけ、お英の耳元でささやく。

 

「お英? お英?」

「う…………うあ…………あああ…………!」

 

 カッと目を見開いたお英が、自分の体をかきむしる。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁ!! ほし…………欲しい…………! 欲しいよぉ…………!」

「お英? お英!? 落ち着け!」

 

 お英は口の端からよだれを流し、焦点の定まらない瞳を宙空にさまよわせ、何かにすがりつこうとしているかのように、両手を伸ばして彷徨わせている。

 

「お願い……助けて……たいちろー……ジェニ……! おいら欲しい、たいちろーのチンポコが欲しいよう……!」

 

 〈お英さんは、これから極楽に堕ちるのです〉

 

 お雪は全身の血が凍り付く音を聞いた。

 

 夜明けは、まだ遠い。

 

(続く)

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