※この作品はR-18です。

大江戸捜査網 ハーレム・サムライ   作:a-su

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Bパート

「子供が生めないようにするのさ。腹ン中に薬を入れて、無理やり産めなくしちゃうの」

 

「…………そうかい。薬で産めなくするのかい」

 

〈心配しないで、タイチロウ。私だって子供は欲しくないの〉

〈心配しないで、タイチロウ〉

〈心配しないで――〉

 

 ◆◆◆

 

 太一郎の主、本多左門守忠興は大坂・堺より取り寄せた酒饅頭に夢中であった。堺・百舌鳥にある仁徳天皇陵の形をした焼印が押してあるという、太一郎からすれば如何にも大坂らしい拝金的な菓子なのだが、忠興にとってはどうやら、お気に入りの一品であるらしく、先ほどから何個も平らげては悦に入っているのだ。

 

「うむ、やはりうまいのう。 如何にも大坂という、材料の繊細な使い方が味であるな」

「御前、御公儀は黒卍党なる悪党どもを如何にするおつもりでしょうか」

 

 太一郎は、主の機嫌が良いのを幸いに、かねてから聞きたかった疑問をぶつけてみた。

 

「黒卍党? あの攘夷主義者共のことか」

「はい。市中探索の情報では、最近異人の断種処置を声高に訴える輩が増えているとのことですが」

 

 忠興は、太い眉をしかめて言った。

 

「断種……清国や天竺では、宦官というものがいるが、それと同じことか。異国の娘を妾に迎えたい者が、そのような世迷言を吐いたことはあるが。黒卍党がそれを言ったのか? いささか、信じられぬことだが」

 

 忠興が言うのは、つまり断種とは、古来交わることを許されぬ者同士が共に過ごすために行われてきた処置だということだろう。宦官しかり、慰みものの妾しかりである。排外主義者で、異人を追い出せと主張してきた黒卍党の在り方とは矛盾があると言いたいのだ。

 

「は……こちらの瓦版をご覧下さい」

 

 太一郎は、懐から一枚の紙を取り出し、主に渡した。黒卍党が配っている瓦版である。

 

「ふむ……なんとまあ、過激な内容だ。しかしな、太一郎。鼠小僧……いや、女ねずみの事件でもそうであったように、記されたこと、話されていることが真実とは限らぬぞ」

「しかし……」

「黒卍党は過激な攘夷論者の集まりであるが、所詮は烏合の衆よ。お前が異人絡みの事件に熱くなるのは分かるが、影に何がいるのか、広い視野で調べ直すことだ」

 

 主の言葉に、太一郎は赤面した。ジェニファーへの私情を指摘された気がしたのである。

 

「ところで、太一郎。お前は異人の娘を妻とすることを、どのように思うか」

「は……はっ!」

 

 畳み掛けられて、太一郎は思わず平伏した。

 

「その……異人異人と呼ばれますが、我らとは生まれた国を違えただけのことであり、ならば、良き友、良き伴侶となることも可能であり、また、互いに幸せを願い、その……想いを通ずることは自然の成り行きでありまして、決して、その、非難すべきこととは思えず、特に、医学を修めたる者などは、それは美しく……ではなく、聡明にして患者を救わんとする心まことに気高く、また、その、それがしは、ただ、愛しいと思うばかりで……」

 

 太一郎は、顔を真っ赤にしてまくし立てた。忠興は、そんな若侍の意外な姿を面白そうな顔で眺め、笑った。

 

「もう良い、もう良い。出楠太一郎ともあろう者がそこまで言うのだ。その通りなのであろう。確かに、異国の者と契りを結び、子を成せば、この国は乱れるかもしれん。だが、お主の申すとおりだとすれば、それもまた、自然の流れということになろう」

 

 太一郎はますます頭を上げられなくなり、額を畳にこすりつけた。

 

「まあ、儂も道ならぬ恋をしたことがある。今となっては、若さ故の過ちというか、苦い思い出だ。お前にどうこう言える筋合いではない。だが、勘蔵はともかく、美樹殿への義理は通すことだ」

「はっ……御前のお心遣い、この太一郎、深く感謝いたします」

 

 太一郎は、ようやく顔を上げた。忠興の顔には優しい微笑みが浮かんでいた。主が自分より一回り年上であることを思い出し、太一郎は恥ずかしくなった。

 

「それとな、太一郎……摘んだ花だけでなく、傍に咲く花のことを、少し気にかけておくが良い。……お前の剣が引き立つのは、花のそばにいる時であるが……手折れば、それなりの代償があると心得ておくことだ」

 

 太一郎は、どうとも返事ができなかった。傍に咲く花の心当たりはあったし、自分自身、そういう状況になれば、手折らずにいられる自信がなかったからである。

 

「もう行くがよい、太一郎。異人の断種など、下手をすれば外つ国との戦になりかねん。黒卍党であろうとなかろうと、必ずやその首を落としてこい」

「はっ! 承知しました。御免!」

 

 太一郎は、深々と頭を下げた。そして、音もなく部屋を出て行った。

 

 忠興は、太一郎が出て行ってからしばらく、黙って座っていたが、茶を手に取り、庭へと目をやった。白百合の花が咲いている。

 

「……全く、過去というものは、忘れたいものに限って忘れられぬものだ。親の因果が子に報い……か」

 

 忠興は独り言のように呟き、酒饅頭の最後の一つを頬張ると、ゆっくりと立ち上がった。

 

 ◆◆◆

 

 いつもの「竹むら」の二階。太一郎はお雪と向かい合って座り、蕎麦を食べていた。

 

「はい、兄貴。七味唐辛子ね」

 

 お雪は、小鉢に入った粉を太一郎に差し出した。よく手入れされた艶やかな黒い髪が、日の光を受けて輝いていた。

 

「おう、ありがとうよ」

 

 太一郎は礼を言いながら、なんとなくお雪の顔を眺めた。お雪は蕎麦をすする手を止め、怪しげな表情を浮かべた。

 

「なにさ兄貴。惚れ直した?」

「馬鹿野郎、ちげえよ」

 

 太一郎は笑ってごまかし、蕎麦をすすり始めた。

 お雪は、クスッと笑い、自分も箸を動かし始めた。

 太一郎は心中でため息をついた。

 

 〈虎の爪〉の事件から、いや延命寺の事件からこっち、お雪は太一郎に対する好意をあけすけに表すようになっていた。太一郎としては、困るのである。忠興が言う傍の花とは、つまりこの事であろうが、しかし、太一郎はどうしていいか分からなかったのだ。

 

 お雪から、ふわりと良い香りが漂ってくる。お雪は名前と違って火の玉のような娘だから、初めは好意の伝え方も豪快なものだったが、最近は妙に色っぽくなって来ている。元々変装のために身につけている化粧の術を、目立たない程度に薄く施したお雪は、太一郎にとって、どこか妖しく美しい生き物にさえ見えた。

 初めは成長期のは(・)し(・)か(・)のようなものと思っていた太一郎も、段々お雪が本気であることに気付かざるを得なくなってきている。

 お雪は、どう見ても自分のことを好いてくれている。それも妹としてではなく、女として。悪い気分では、なかったが……。

 

 

「それで兄貴、黒卍党の内偵を進めればいいんだね? 異人の断種がどうのこうの、お英にはもう聞かせたのかい」

「ああ、お英ちゃんが黒卍党に近づかないようにな。今度の一件、あの子からすれば聞きたくない話だろう。ここの所何度も世話になっちゃあいるが、今回ばかりは巻き込めねえ」

「そう? お英は案外、兄貴が思ってるほど弱い女じゃないよ。最近のあいつ、自分が異人だってことも……おっと」

「なんだそりゃあ」

「まあ、そのうち兄貴にも分かるよ」

 

 お雪はどこか艶のある笑みを浮かべた後、今度は凄みのある笑顔を見せた。太一郎がよく知る、いかにもお雪らしい、悪に対する殺意を湛えた笑顔だ。 

 

「黒卍党だろうがどうだろうが、あたしの友達に手を出そうってんなら、このお雪様が黙っちゃいない。生まれてきたことを後悔させてやるさ」

「お前は……まあ、いいさ。頼むぜ」

「任せときなって。それより、兄貴の方こそ、くれぐれも油断しないでよね。大川端の女医さんが心配だからって、うっかり死んじゃったりしたら許さないんだからね」

 

 真顔のお雪に言われ、太一郎は思わずぎょっとした。

 

「お英ちゃんから聞いたのか?」

「女医さんのことでしょ? もちろんだよ」

「ったく……余計なこと言いやがって……」

 

 頭を掻く太一郎に、お雪はふふんと鼻を鳴らした。

 

「あたしだってね、兄貴のことが好きだからこそ言ってんだかんね。いくら兄貴が剣の達人でも、女医さんはただの人なんだから。もしものことがあったらって思うと、あたしは夜も眠れないよ」

 

 生意気を言うお雪に、太一郎は思わず吹き出した。

 

「なにがおかしいんだよ」

「いや……そうだな。すまねぇ」

 

 太一郎は、お雪に謝った。

 

「お雪ちゃんに言われるまでもない。俺は、絶対に死ぬわけにはいかないんだ。美樹やジェニファーや、それから……お雪ちゃんの、ためにもな」

「分かってるなら、よろしい」

 

 お雪は満足そうな笑みを浮かべて言った。

 

「さ、着替えるから外しておくれよ。早速変装して忍んでくるからさ。……それとも、見たい? あたしの肌」

 

 ◆◆◆

 

「それで、見せたの、たいちろーに」

「いやあ、さすがにそれは恥ずかしかったよ。それにさ、あんまり押しても引かれたら駄目なんだろ?」

「うん……」

 

 お英の前で、お雪は化粧を直していた。

 大川端の診療所である。お雪の変装は完璧だった。普段の快活な姿とは全く違う、自信に満ちた美女の姿。

 お英はついつい目を奪われていた。

 

(おいら、やっぱり……)

 

 いくら友人とは言え、好きな男を誘惑した女に、お英は一欠片の嫉妬心も抱かなかった。むしろ、太一郎と共にお雪の肌を拝みたいという気持ちがあった。

 

「それでな、お英。黒卍党のことなんだけど」

「えっ?!」

 

 突然お雪に声をかけられ、お英は声を上げてしまった。

 

「ど、どうかしたか?」

「ご、ごめん……おいら、ボーッとしてたみたいだ」

「そっか……薬で子供を産めなくさせるなんて、怖いよな。ごめんな、あたしが気を遣わなくっちゃいけないのに」

「そ、そうだね。絶対に黒卍党をやっつけようね」

 

 そう言うと、お雪は難しい顔をした。

 

「いや、それがなあ……黒卍党の中でも、あの瓦版、けっこう評判悪くってな」

「評判が悪い……? どうして?」

 

 お雪はちらちらとお英の方を見て、言葉を選びながら言う。

 

「その……なんつーかさ……『そんなことをして、異人と遊びで交わる者が出たらどうするのか』……えー、『異人とは住む国を分けるという最初の考えを徹底すれば良いではないか』って、そういう意見もあってさ」

「うん……?」

 

 お英は首を傾げた。

 

「つまり、異人は嫌いだけど、薬を飲ませて……ってのは、ある意味で後腐れなく遊べるんじゃないか、とか考える奴がいるかもしんない、って話」

「ええ……気持ち悪い……」

 

 詰まるところ、女を玩具にしようとする者と、あくまで差別を続けようとする者の対立があるということなのか。

 

「まあ、黒卍党の連中の中にも、そういうのはいるだろうけどさ。でも、今回の件は、なんか妙に引っかかるんだ」

「妙……?」

「いや、実はさ、あたしも兄貴に教えてもらったんだけどさ。その黒卍党がやってることは、全部が全部、悪じゃない? っていうか。お英に言うのもなんだけど、ほら、悪いことをする異人も、いないわけじゃあないし」

「まあ、そうだね。おいらとか、泥棒だし」

 

 気を使わせたくなくて言ったのだが、お雪は余計言いにくそうになってしまった。

 

「あ、いや、そうじゃないよ。そうじゃないんだ。ただほら、食えないとか、住むところがなくて徒党を組んじゃうみたいな……お江戸じゃ目立たないけど、大坂や長崎、横浜には結構いるらしいんだ。それでその……」

「おいら別に気にしないよ。はっきり言って」

「……分かった。ありがとよ」

 

 お雪は深呼吸をして、意を決したように口を開いた。

 

「黒卍党の首領、異人なんだよ」

「え……?!」

「黒卍党の首領は、クリストファー・アップルホワイト。亜米利加(アメリカ)から来た男だ。元々は商人だったらしいけど、その……異人の中でも、色の濃いのとか、回教徒は、劣った人間だってことを言っていてな。そういうのを攻撃するために、黒卍党を作ったらしい。で、悪いことをする異人と黒卍党を対立させてる、っていうか」

「亜米利加人……おいらと同じ……」

 

 お英は呟いた。太一郎が言っていたことを思い出したのである。

 

 〈お江戸じゃ、あいつらは鼻つまみものさ〉

 

「つまり、お江戸以外では、黒卍党は人気があるってことだね」

「まあ……少しはな」

 

 お雪は頭を掻く。

 

「たいちろー、ジェニーとは横浜で出会ったらしいから。実際に見たのかもしれないね」

「まあ、武者修行で大坂にも行ったらしいし、その時かもしれないけど」

「おいらたち、まだ子供なのかな。たいちろーの事、よく知らないよね。おいら、たいちろーに抱いて欲しいと思ってたのに、なんか……」

 

 お英はお雪をじっと見た。最近は、自分が誰を好きなのかも分からなくなりつつある。

 お英の言葉を聞いて、お雪は笑った。そして、ぽんとお英の肩に手を置く。

 

「兄貴のことなんか、これからゆっくり知っていけばいいのさ。焦らなくても、兄貴は死なない。どんな悪党が相手でも、この十文字お雪がいる限りな。きっと兄貴を守ってみせる。約束だ」

「お雪……なんか、格好良いよ」

 

 お英は思わず涙ぐんでいた。

 

「ははは、照れるぜ」

 

 お英は、とうとう、自分がお雪に惚れていると素直に自覚した。つい、お雪に抱きつく。

 

「おっと、どうしたんだよ。お英は甘えん坊だなあ、あたしより年上なのにさ」

「ごめん……ちょっとだけ」

「しょうがないなあ」

 

 お雪は苦笑しながらも、優しくお英の髪を撫でた。

 

「……お雪」

「んー?」

「お雪は、おいらのこと……」

 

 表で、争う音がした。

 

 ◆◆◆

 

 

「どなたか! どなたかおられませんか!」

 

 声を聞いて、お英は慌てて飛び出した。

 

「忠介さん?! 忠介さん!」

 

 表で争っていたのは、何人かのやくざ者と、それを指揮しているらしい浪人者。全員、黒卍党の構成員らしく、腕に卍の入れ墨を入れている。

 彼らが取り囲んでいるのは、浅黒い肌の見上げるような大男、忠介だった。

 

「おお、エイミーさん! ……うわっ!」

 

 忠介は、飛びかかってきたやくざ者に組み付かれてしまう。

 やくざや浪人は、既に刃物を抜いている。お英は咄嗟に石礫を拾って投げつけた。

 

「こいつ……!」

「お英、下がってな」

 

 お雪が前に出る。忠介は匕首で刺されたようだが、傷は浅かったらしく自力で立ち上がった。その背丈は七尺(二メートル以上)に近いのではないだろうか。

 

「邪魔すんじゃねえ、このアマ!」

「やかましい!」

 

 お雪は匕首で突いてきたやくざ者の右手を掴んで捻り上げると、その指を次々にへし折っていく。

 

「ぎゃあーっ! 

 あっ! 

 ゆび! 折らないで!

 た、助け……! 

 うぎゃぁーッ!!!」

 

「貴様、何者……ぶげっ!!」

 

 浪人者が刀を振りかぶるが、お雪はその懐に潜り込むと、左の掌底で顎を打ち上げ、脳震盪を起こさせた。

 

「てめえら、女だからって容赦は……ひいっ?!」

 

 残った二人のやくざ者は、忠介の張り手とお英の蹴りにあっさりと叩き伏せられた。

 

「大丈夫? 忠介さん」

「は、ハイ……エイミーさんがこれ程強いとは知りませんでした。それに、そっちの女性は一体……?」

 

 お雪は美女に変装したままだったので、忠介にはなおさら奇妙に写ったらしい。大男の忠介が、怯えるように後ずさる。

 

「ああ、この子……ううん、この女性はまあ、忍者と言うか」

「ニンジャ……? ニンジャがなんで……?!」

 

 忠介が目を見開いていた。無理もない反応である。しかし、今は説明をしている暇はない。

 

「お英、この男は?」

「ジェニーの元患者で、忠介さん。ジェニーに助けてもらった恩を返したいって、横浜で下男をやっているはずなんだけど……」

 

 その時、悲鳴を聞きつけたのか、新手が現れた。

 

「なんだ?! どうした?!」

「てめえら、なんだそのザマは?!」

 

 現れたのは、これも黒卍党の構成員らしき男たちだった。全部で五人。いずれもが筋骨隆々の大男だが、うち一人は、他よりも頭一つ分大きい。

 

「……お英、ここはあたしに任せて、お前は忠介を連れて兄貴のところまで逃げな。深川だ」

「う、うん……分かった」

 

 お雪はそう言うなり、一番大きな男に飛びかかった。大男も応戦する。

 

「おらぁーっ!」

「ふんぬぅーっ!」

 

「忠介さん、こっち!」

 

 お英は、忠介の手を引いて走り出した。

 

 ◆◆◆

 

 太一郎がいたのは、深川にある拠点の茶屋だった。太一郎の主が、手の者に切り盛りさせているらしい。

 追手を撒いたお英と忠介は、裏手から駆け込んだ。

 

「旦那様……ああ、ようやくお目にかかれました」

 

 忠介は、太一郎の姿を見てほっとしたのか、へなへなと座り込んでしまった。

 

「ご無事でなによりです」

「旦那様は止せよ、忠介。お前の主はジェニファーだろうが」

 

 太一郎は忠介を立たせ、背中をさすってやっている。忠介が顔を上げて咳き込むように言った。

 

「は、はい……それで、奥様が……」

「奥様でもない。あいつに一体何があったんだ」

 

 忠介は懐から手紙を引っ張り出すと、震えながら差し出した。

 

「……黒卍党に囚われております。どうかお救いください……旦那様」

「なんだと!?」

 

 太一郎は手紙を奪い取ると、広げた。

 

「どうしたの、たいちろー。何かあったの?」

 

 お英は太一郎にそっと身を寄せた。太一郎は薔薇の香水をつけているようで、一瞬甘い香りに陶然としてしまい、すぐに我に返った。

 

「お英ちゃん……ジェニファーの館が黒卍党に占拠されたらしい。それにな……」

「占拠って……! ジェニーは悪いことなんかしてないよ! どうして?」

「例の、断種用の薬を作ったのは……ジェニファー……あいつらしいんだ。黒卍党の一派があいつに薬を作らせて、江戸で実験を繰り返していると……」

 

 太一郎の言葉を聞いて、お英は愕然とした。

 

「そんな……どうして?! ジェニーがそんな恐ろしい薬を作るはずない!」

 

 太一郎は自分の拳を手のひらに打ち付けた。

 

「自分で使うためだとよ! おれの子を孕まねえように! おれの責任だ! 畜生! おれがいつまでも、あいつを日陰者扱いしてきたから……。いや、違う。あの時、もっときちんと話を聞いていれば……」

 

 太一郎は顔を歪めて唇を噛んだ。いつもの余裕のある表情は影も形もなくなっている。

 

「たいちろー……落ち着いて、たいちろー。そんな事言ってる場合じゃないよ。一刻も早く、ジェニーを救わないと」

「お英ちゃん……すまねえ。そうだな。ジェニファーと話をしなけりゃ、何も始まらない」

 

 太一郎は気を取り直したようだったが、お英は逆に不安になった。太一郎がここまで動揺するのは珍しい。それだけ、ジェニーのことが好きなのだろう。

 

「待って、たいちろー。おいらも行く。たいちろー達は、命令がないと江戸を離れられないんでしょ。おいらが先にジェニーを助けて逃げるから、後から追いかけて来て」

 

 お英がそう申し出ると、太一郎は目を丸くした。

 

「お英ちゃん……まさか、一人で乗り込むつもりか?! 万に一つ、捕まったら何をされるか……」

「だって、おいらは身軽だし。それに、おいらなら黒卍党の奴らに捕まったって、酷い目には遭わされないから」

「な……なに?」

 

 お英は自分のへその下辺りを撫でた。

 

「おいら、ちょっと普通の人とは違うかもしれないから……子供を産まないほうがいいかもしれないんだ。だから、平気」

 

 お英の常識では、お雪を好きになるとは、そうした意味も含んでいた。

 

「ば……馬鹿野郎! 何を言いだしてんだ!」

「え……」

 

 太一郎の顔は真っ赤になっていた。そのまま、思い切りお英を抱きしめる。

 

「子供を産まないなんて、言うんじゃねえよ……! 親っていうのが、どんなに凄いもんか、お英ちゃんだって知っているだろう! 次郎吉親分が、どんな想いでお英ちゃんを育てたか……!」

「た、たいちろー……」

 

 お英の肌を通して、太一郎の鼓動が伝わってくる。お英は自分が今、男の腕の中にいるのだということを自覚し、急に恥ずかしくなった。

 

「う……♡」

 

 体温と薔薇の香りが体内に染み込んできて、お英は思わず吐息を漏らしてしまう。

 先程撫でたへその下……子宮の奥が熱くなり、じゅん……と潤むような感覚を覚えた。

 

(なにこれ……?!)

 

 お英は戸惑ったが、嫌な感覚ではなかった。むしろその逆だった。身体が疼くような、切なくなるような、甘く苦しい快感だった。

 ずっと抱かれていたいとさえ思ったが、忠介が唖然として見ている。お英は太一郎の背中を叩いた。

 

「あ……た、たいちろー、離して……♡ 分かった、分かったから……お願い……」

「あ、すまねえ……」

 

 身を離した太一郎の顔を、お英はそっと撫でた。

 

「たいちろーのお父ちゃんも、たいちろーが不幸せにならないように、頑張ったんだよね……ジェニーも、お内儀(かみ)さんも知らない、おいらにだけ教えてくれた……」

「お、おう……まあ、そういうことだ。よく覚えてたな」

「おいら、もう言わない。子供を産まないなんて、もう言わないから……だから、ジェニーを助けさせて。ずっと見てたから分かるよ。ジェニーは、たいちろーの子供を産みたくてずっと泣いてた。だからさ」

「お英ちゃん……すまん」

 

 太一郎はそう言うと、お英の頭を胸に抱き寄せた。

 

「おれは、お英ちゃんの屍なんか拾わねえぜ。絶対に、生きて、ジェニファーを守ってくれ。頼む……!」

 

(続く)

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