鎖でつながれたお雪が目を覚ました時、一羽の鳩が飛んでいた。白い翼を広げ、お雪を見守るように空を旋回する。お雪はそれに微笑んだ。
「……」
ゆっくり周囲を見渡す。彼女は裸のまま、逆さ吊りにされていた。両腕の手枷は床に、両足首の足枷は吊り具と繋がっているようだ。
見上げれば、そこは船の甲板のようだった。眼下の空は茜色に染まり、太陽が水平線に沈んでいくところだ。潮風が冷たく吹き付けてくる。
周囲の船員たちが、下卑た目でこちらを見ている。いずれも下帯一つの薄汚い格好をしているが、その顔ぶれは様々であった。
「……ここは?」
「ようやく目が覚めましたか、お雪さん」
その声を聞いて、全身が総毛立つ。思わず体を起こそうとするが、鎖のせいでそれは叶わなかった。
「おりんっ……!」
「ご機嫌よう、隠密同心」
そこにはひとりの尼がいた。豊かな白髪を後ろでまとめた上品な老女で、白装束に身を包んでいた。
〈黒いデウス〉の怪人、おりん。かつて延命寺でお雪と対決し、再起不能となったはずの女だ。しかしおりんは今、平然として立っている。いや───
「へ、へへ。お前さん、ちょいとやつれたみてえだなあ。どしたい、長崎の食い物が合わなかったのかい?」
「いいえ、ちっとも。特にあの、豚肉の醤油煮を饅頭で挟んだものなど、大変おいしくいただきました。ちょっと手が汚れる食べ物ですが、もう私には関係ありませんから」
おりんは、おどけるように両腕を掲げる。手首から先は、ない。断ち切ったのはお雪である。
「私も、夏の終わりまでは地獄の苦しみを味わいました。血が流れすぎて、一時は死ぬかと思いましたが、幸いにも生き永らえまして」
「そいつは重畳だ。あたしもね、今度会ったらお前を五体ばらばらに切り離して、油かけて焼いてやろうと思ってたんだ。どうでえ、今からでも」
「ほほほ……口の減らないこと」
お雪の虚勢を見透かしたように、おりんが微笑んだ。
『オーレンライト号』の戦いで、お雪はしんがりを務めて太一郎とお英を逃した。だが自分自身は、お雪を待ち受けていたおりんに捕らえられてしまったのだ。
「まさか人だけでなく鼠まで操れるとはな。この化け女め」
お雪を追い込んだのは、おりんが操る鼠の軍勢であった。船底から現れた無数の黒い群れは、お雪の手足に絡みつき、噛みつき、自由を奪った。そのまま海へと引きずり込まれ、お雪はついに力尽きてしまったのである。
そして再び目覚めた時にはこの通りだ。お雪は船に載せられ、どこかに運ばれていこうとしているところらしい。
「この船は何処に向かっている」
「あら、知りたいですか? でもその前に、自分の心配をなさったほうがよろしいですよ。むくつけき男どもの中なのですから」
お雪は、ぎり、と歯ぎしりした。周囲にいる男たち、〈黒いデウス〉の信者なのか、全員が首から石を下げている。
「こん小娘、ねぶった口が聞けんごとしてやろうか」
「女んくせに生意気や、立場ば分からせてやる」
彼らは裸のお雪にむらがると、一斉に彼女の体をまさぐり始めた。
「……っ! …………!!」
お雪が身をよじらせると、男たちはさらに興奮を高めていく。ある者は乳房を揉みしだき、ある者は太ももを撫で回した。男たちの下卑た笑い声が響く中、お雪は歯を食い縛って耐える。
その内、船員の一人がどこからか小さな壺を取り出した。中に入っているのは何やら黒い粒状のものだ。
「! 女悦丸……! それをどこでっ」
「おっ、知っとーとか。これさえあれば、どがん女でん、よがり声が止まらんくなるばい」
アヘンを濃縮したよがり薬、女悦丸。それを飲んだ女はたちまち理性を失い、男を求めてやまなくなるという代物である。この薬を飲んでしまった女がどうなるかは、実際に目撃したお雪はよく知っている。
身をよじるお雪を、屈強な男たちが数人がかりで押さえつける。
「へっへっへ、そうあまりなしゃんなや」
「大人しゅうしとったらすぐ済むけんな」
「くっ……」
お雪は観念したように、全身の力を抜いた。その様子を見て、男は満足げに笑う。
「そがんしょげなしゃんな。気持ちようしてやるだけや」
そして、女悦丸を摘み上げてお雪の口元に近づけてくる。大人しくなったお雪に気を良くしたのか、他の船員たちもにやにやしながら眺めているだけだ。
刹那のことである。女悦丸ごと、男の指が二本失くなっていた。
「ひ……ぎっ!? ああぁぁぁっ!!」
絶叫を上げる男の指から、血が噴き出す。お雪はぺっ、と指ごと女悦丸を吐き出した。
「ゆ、指がぁっ!! おいん指がなかぁあっ!?」
「お……お前っ、何をっ」
「こ、こん女っ、食いちぎりやがったぞっ」
「馬鹿野郎っ、何しよーっ、早う取り押さえろっ」
慌てふためく船員たちを、お雪はぎろりと睨みつけた。
「てやんでぇ、べらぼうめ! そんなヘボい毒でお雪様の
そう言って唾を吐きかけると、大の男たちが悲鳴を上げてすくみ上がった。
おりんだけが笑っている。くすくすと笑う彼女に向かって、お雪は言った。
「おう、おりん。暗示でも薬でも持ってきやがれ。あたしは十文字お雪。〈黒いデウス〉だか何だか知らねえが、人様の娘に手ェ出したことを後悔させてやるぜ」
お雪の啖呵を聞いて、おりんの笑みが深くなる。心底楽しそうに笑うと、手首のない右腕を振って船員たちに合図を送った。
「皆さん、この娘はあなた方の手に負える相手ではありません。作業に戻ってくださいまし」
その言葉を受けて、船員たちは渋々といった様子で持ち場に戻った。おりんは改めてお雪の方を向く。
「やはり貴方は素晴らしいです、お雪さん。私の目に狂いはなかった」
「御託はいいさ。さっさとかかってこいよ」
お雪が言うと、おりんは再び笑みを深めた。
「まさかまさか。お雪さんの事ですもの、私の暗示にも対抗策を仕込んでいるのでしょう? 例えば、〈自分に快楽を与えるものを殺したくなる暗示〉だとか……」
「……さあ、どうだかな」
お雪が素知らぬ顔で返すと、おりんは笑みを崩さずに続けた。
「私から見れば、貴方ほど恐ろしい怪物はいませんわ。その身一つで大の男十人を打ち倒す腕前といい、私の術をことごとく跳ね除ける精神力といい……」
おりんの言葉には感嘆の念すら含まれていた。
「……ふん、あたしを負かしたところで、てめえらが勝てる道理はありゃしねえ。お天道様はお見通しよ」
歯を剥いて威嚇するお雪に、おりんは笑って返した。
「ええ、もちろん分かっていますとも。ですから、貴方には〈黒いデウス〉の事をもっと理解していただきたいのです。貴方を、我らの同胞として迎え入れるためにもね」
そう言うと、おりんは背を向けて去った。船員に航路の変更を指示するためだろう。お雪は空を見下ろす。逆さ吊りのせいで、頭に血が上ってきた。そろそろ限界だ。
「……黒いデウス、ねえ。あたしゃどうにも、お前が本気で何かを崇めるとは思えねえよ」
一人呟いた後、お雪は意識を手放した。
◆◆◆
船は風を受け、入り江へと進む。その先には、寂れた漁村があった。村人は奇妙な一団に驚き、何事かと見守る。
だが、すぐにおりん達と気付いたのか、次々頭を地面につけてゆく。村人たちの中心には、一人の老爺がいた。
「ようこそおいでくだされた、黒坊主の皆様方」
村長らしき老人が出迎えると、男たちは次々と荷物を下ろし始めた。船から荷降ろしを行う男たちをよそに、お雪を抱えた男たちが上陸する。
裸のお雪を見て、村人たちがざわめいた。だが誰も助けようとはしない。ただ、ひそひそと話をするばかりだ。
どこからか、鳩の鳴き声が聞こえた。お雪の意識が浮上してくる。どうやら吊るされている時間は終了したらしい。
(これが〈黒いデウス〉の本拠か……?)
お雪はか細い意識の中で、少しでも情報を得ようと考えた。だが、視界に映るのは荒涼とした岩場ばかりで、ここがどの辺りなのか見当もつかない。
「その娘は? 一体どうなさるので?」
「ふふふ、ちょっとした客人です。和尚様は? ご挨拶に伺いたいのですが」
「おられますよ。今日は朝からずっとお堂に籠もっておられましてな。どうぞこちらへ」
◆◆◆
お雪は全身を縛られたまま床に転がされていた。
琴の音の響く静かな空間だった。本地垂迹の様式を模したような仏殿の中で、おりんが舞っている。白い衣をまとった美しき巫女は、神々しさと共に妖艶な雰囲気を纏っていた。
〈黒いデウス〉の男たちは正座したまま微動だにしない。村長は彼らを黒坊主と呼んだが、今の彼らはおりんの操り人形、活ける亡者だ。目の奥に宿った光はどんよりとして生気がなく、まるで死人のようだった。
「お目覚めですか、お雪さん?」
お雪の視線に気づいたのか、おりんが声をかけてきた。
「ああ、よっく眠れたよ。いつでもテメエら皆殺しにしてやれるくらいにな」
軽口を叩くが、実際体がだるくて仕方がない。首と手首には痛みがあるし、下腹部がじくじくと熱を持っているような気がする。
「それは良かったですわ。せっかくなら良い夢を見られた方がよろしいでしょう?」
おりんは微笑んで言った。しかしすぐに真顔になって続ける。
「とはいえまずは、私たちについて知っていただく必要がありますわね」
おりんが軽く足を踏み鳴らした。それを合図に、男たちが明かりを灯す。照らし出されたのは、無数の仏像が安置された奥の間である。
「………………? なんだ、なにか臭う……?…………!」
お雪の目が見開かれる。彼女の知る限り、これほど禍々しい光景はかつて見たことがない。
全ての仏像は、首のところを切り落とされていた。首を落とされた仏像たちは、奥の間の中心を向いている。そこにある祭壇には人身獣面のはりつけ像が置かれていた。
延命寺の祭壇にあったものと同じだが、はりつけ像は酷く汚されていた。血である。それも何年も何年も、何度も何度も塗り重ねられたかのようなどす黒い色をしていた。
「ようこそ、お雪さん。ここが〈黒雲和尚〉の本堂、〈黒いデウス〉の聖地です」
おりんは歌うように言った。そして懐から何かを取り出す。赤い液体の入った瓶であった。栓を抜くと、中の液体を一滴、そのはりつけ像に振りかける。
「
おりんの祈り。いや、呪いの言葉だ。
黒坊主が唱和する。
『デウスよ、汚れよ。
黒坊主たちの表情が崩れる。はりつけ像を侮蔑するように見つめると、嘲るように笑い声を上げた。全員が全員、同じ表情を浮かべて笑うその光景は異様で、おぞましいものだった。
おりんも笑っている。彼女は恍惚としていた。陶酔していた。その表情に狂気の色はない。心の底から幸せそうな笑みを浮かべている。それがかえって不気味だった。
お雪は背筋に冷たいものが奔るのを感じたが、どこか納得している自分もいることに気づいた。目の前の女が何かを崇めたりはすまいという直感は、どうやら正しかったようだ。
「ああ、ああ……ようく分かったよ、おりん。黒いデウスなんて神は、始めから誰の心にもいなかったわけだ。キリシタンが信じるデウスを、穢して呪う。それがお前ら〈黒いデウス〉の正体か」
お雪は穢されたはりつけ像を見上げた。よく見れば、それは人身獣面ではなかった。首の部分には隙間があり、そこからはみ出る人間の髪が表現されている。
磔にされた人間が、獣の面を被せられ、侮辱されている像なのだ。
「
そう言って、おりんは笑った。〈黒雲和尚〉とやらは、まだ姿を現していない。
「たしかにこいつは地獄絵図だな。この……首を切り落とされた仏さん達は、なんだい。供養のためって訳でもなさそうだけど」
お雪が問うと、おりんは笑みを深めた。
「かつて、この天草で、キリシタン達は次々に仏の首を切り落とさせました。仏の教えを信ずるものを、キリシタン一揆に駆り立てるために」
おりんが語ったのは、かつて天草・島原で起こったキリシタン一揆と、そこで行われたとされる信仰破壊のことだ。一揆の首謀者たちは、キリシタンへの改宗や一揆への協力を拒んだ百姓たちを次々に責め立て、最後には処刑していったのだという。
「最初は、寺院に火を放ちました。その次は仏に小便をかけさせたのです。最後には、仏の首を切らせることで、仏を信じる心を凌辱し、踏みにじり、粉々に打ち砕きました」
おりんは淡々と語る。その口調からは何の感情も読み取れない。歴史そのものには、興味がないらしい。
「キリシタンは自分たちを〈白組〉、そうでない者を〈黒組〉と呼んで、徹底的に差別しました。ですが……」
「〈白組〉の一揆は御公儀に敗北し、後には〈黒組〉の恨みつらみが残ったってことかい」
お雪の言葉に、おりんは頷いた。
「ええ、その通りですわ。今なお続くキリシタン弾圧の原因となった一揆こそ、まさに我ら〈黒いデウス〉の起源なのです」
おりんは手のない両腕を掲げて、恍惚とした表情になる。ここからが、彼女の最も語りたい部分なのだろう。
「この世の全てを造り給うたキリシタンの神、デウス。……ふ、くく、ふふ、そのデウスも所詮、人という間違った
お雪は黙って聞いていた。
おりんは人間を憎み、見下している。誰でも操れてしまうのだ、人も鼠も同じように。誰も彼もが虫けらに見えたに違いない。
だから〈黒いデウス〉に、黒雲和尚とやらに取り込まれたのだろう。神も人も、全て間違った存在だという邪まな教えに。その行き着く先は……。
「……そうかい。なら、あたしにも〈黒雲和尚〉を紹介して欲しいね。責任を持って首を刎ねてやるよ」
お雪は歯を剥き出して嗤う。それを見たおりんの顔からも笑みが消えた。無表情になった彼女の顔は作り物のように見えた。
「貴方には理解できるはず。隠密同心として、貴方も人間の薄汚い欲望を目の当たりにしてきたはずです」
おりんが言う。この女にとっては、この世は最初から地獄だったのだろう。
『好色絢爛女』を通じて、お雪は〈あい〉の、つまり、おりんの生涯に触れた。
自分と対等な者は誰もいない。その苦しみは如何ばかりのものだったのだろうか。想像するしかないが、きっと想像もできないほどに辛かったのだろうということは分かる。
あの艶本は、おりんの悲鳴であり慟哭だったのだろう。
「それで、今度はあたしも穢そうってわけかい」
お雪が言うと、おりんは首を縦に振った。
「ええ、けれど貴方だからですわ。私が出会った中でも最も高潔な魂。私は貴方をモノにして、貶めたい。そうして初めて、私の信仰が完成するのですから」
おりんが一歩一歩、歩き出す。その足音さえ、暗示の伏線となるはずだ。お雪は力を抜いた。
「どうとでもしやがれ。まな板の上の鯉だ、せいぜい綺麗に捌いてくれや」
お雪が吐き捨てるように言うと、おりんは少し残念そうな顔をした。
「諦めるのですか。貴方の仲間は死んだのです。一度傀儡になれば、もう二度と戻ることはできません。そんなことになる前に、自分の意思で〈黒雲和尚〉の元に来る気はありませんか?」
おりんの言葉に、お雪は小さく笑った。
「冗談言っちゃいけねえや。おりんよ、お前は出楠太一郎を知らねえ。あの人が、どんだけ生き汚いか知らねえ。あれこそ、本物の悪党さ」
お雪の笑みが、信頼という力を得て段々と深くなる。
「兄貴は死んじゃいねえよ。必ずあたしを助けてくれる」
「……そう、そうですか。それでこそお雪さんです」
おりんはそう言って微笑んだ。そしてまたゆっくりと近づいてくる。強い意志を感じ取り、歓喜に打ち震えるように。
「貴方が信頼する隠密同心を、貴方に討っていただきましょう。隠密同心に勝てるのは、きっと隠密同心だけ。ねえ、そうでしょう? 隠密同心の十文字お雪さん」
「へ……」
少しだけ笑って、お雪は意識を手放した。自分の全てを、太一郎の生存に賭けて。
◆◆◆
太一郎の苦痛は、筆舌に尽くし難かった。
最初は、トリカブトの毒から逃れる作業だ。クリストファーの船で輸血を続けながら、胸骨にひびが入るほどの強さで、何度も何度も心ノ蔵を押し込まれる。意識などないのに、その度に走る激痛を覚えている。それは一昼夜続いた。
お雪は帰ってこなかった。
その次に、輸血の副作用が現れた。幸運にも輸血された血液は太一郎と同じ血液型であった。サイコロを百度ふって百度、一の目が出るほどの確率だ。だが免疫反応の暴走により、太一郎を強烈な掻痒感と呼吸困難が苛んだ。太一郎は絶叫した。それが何日も何日も何日も続く。
その間、お英は献身的に太一郎を看護した。水を飲ませ、尿を取り、薬を塗り込み、時には喘ぐ太一郎を胸に抱いて寝かしつけたりもした。その甲斐あってか、徐々に症状は落ち着いていった。
クリストファーは、その様子をお英の肩越しにじっと見つめていた。
お雪は帰ってこなかった。
次は、忠太郎に刺された傷口からの感染症だった。この頃の太一郎は病み衰え、既に自力で立つことさえできなくなっていた。
お英は船上で太一郎の世話を続けた。やがて、お英の体力にも限界が来る。栄養失調と過労、睡眠不足と精神的疲労、それら全てが積み重なり、お英は倒れた。クリストファーはお英を献身的に看護したが、一度も太一郎を見舞うことはなかった。
お雪は帰ってこなかった。
もちろん、お英も看病ばかりしていたわけではない。最も信頼する医師、太一郎の女房であるジェニファーに早飛脚を送り、助けを求めた。だが江戸と長崎は遠い。手紙を受け取ってからジェニファーが到着するまで、早くとも一月と、半。加えてお英は知らなかったが、この時ジェニファーは身重であった。江戸でどれほど頼み込んでも、乗れる船がなかったのである。
お雪は帰ってこなかった。
せめて彼女がいれば、もう少し他のやり方があったのかも知れない。だがお英一人にできたのは、ひたすらに『父』にすがって太一郎に尽くすことだけだった。
お英の懸命な介護にも関わらず、太一郎の命は尽きる寸前であった。
◆◆◆
「お前は本当にお母さん似だね、エイミー」
「はい、お父さん……」
ベッドの中で、クリストファーがお英の髪を撫でる。お英の体に緊張感はない。既に毎日のことだからだ。
「幸せだよエイミー。私はずっと待ち望んでいたんだ。愛しいマリアとの間に生まれたお前を、自分の手で育てたかった。この手で抱きしめてやりたかったんだよ」
「嬉しいです……ありがとう……ございます……っ」
「ああ、エイミー。他人行儀という言葉、私は苦手だよ。どうかお父さんにもっと甘えておくれ」
言いながら、クリストファーは優しくお英を抱きしめる。その手は、お英の全身をまさぐるように動いていた。
「もうこんなに大きくなったんだね。16歳のエイミーを、お母さんに見せてあげたかった」
「んっ……はぁ……」
お英はクリストファーの手つきに性的なものを感じていない。形を確かめるように撫でて、軽く揉んでいるだけだ。むしろ、お英は温かみと安心感を感じていた。
それが恐ろしい。お英の肉体は、この男が父であると、はっきりと訴えているのだ。
「可愛いよエイミー……私の娘……マリアの娘……私の宝物……」
クリストファーの声には、仄暗い怨念が込められているようだった。彼の指は、まるで壊れ物を扱うかのように繊細に、それでいて執拗に、お英の肌の上を這い回っている。
お英はその胸に顔を埋めて、目を閉じた。
「……エイミー、今すごく幸せです……幸せすぎて……怖いくらい……」
嘘だ。お英の心は恐怖でいっぱいだった。自分がどれほど尽くしても、太一郎は助からぬかもしれない。『エイミー』を演じて、なり切って、その全てが無駄に終わるとしたら、自分はどうすればいいのか? わからない。何もかもがわからなかった。ぽろり、とお英の瞳から涙が零れた。
クリストファーは見て見ぬふりをした。お英の頭を何度も撫でながら言う。
「幸せか……私も幸せだよ、エイミー。お前のためなら何でもできるよ」
クリストファーの腕の中にいる間、お英は何も考えないことにしていた。
今は、これが最善なのだ。クリストファーが自分を娘として愛している限り、彼は自分を守ってくれるだろう。ならば、それでいいではないか。
「愛してるよ、エイミー」
クリストファーはお英の額に口づけを落とす。
「おとう……さん……」
「もう寝ようか、エイミー。明日から看病はメイドに任せなさい。お前に無理はさせられないよ」
「いいえ、お父さん……エイミーは平気です……どうかエイミーにやらせてください……」
頑なに首を振るお英を見て、クリストファーは小さくため息をついた。
「わかった。でも今日はここまでにしようね」
そう言って、そっとお英を抱き寄せる。
「お休み、私の可愛い子」
こうして二人は同じ寝台で眠りにつく。これが日常になってしまった事に恐怖を覚えながら、お英は意識を手放した。
(続く)