その隣家は下田家といい、女房はお
そして、お伊都夫婦は非常に子沢山であった。十六で嫁いできてから、毎年立て続けに十人もの子を産んだのだ。当時、近所では「お伊都さんは多産の生き仏じゃ」などと噂されたものであった。
その子どもたちも殆どは養子や嫁に行き、家に残っているのは長男のみだ。そんな彼女の楽しみといえば、日に一度、隣家に住む出楠太一郎の妻、美樹と三味線の練習をすることであった。練習といっても大したものではない。簡単な
「お伊都様、折り入ってご相談が……」
美樹がそう言ってきたのは、秋が少し深まり、イチョウの葉が美しく色づいた頃のことだった。いつものようにお伊都の家を訪れた彼女が、どこか浮かない顔で切り出したのである。
お伊都は首を傾げた。美樹と知り合って三年になるが、初めての事であった。
美樹は、お伊都と対照的な女だ。ひと目見てハッとするほど美しい顔立ちをしており、肌は透き通るように白い。髪は赤毛に近く豊かだったが、これがまた実に美しい。体つきはやや小柄であったが、それがかえって豊満な胸を強調しており、何とも艶めかしかった。それでいて所作には品があり、育ちの良さを感じさせるのである。こんな女を世の男が放っておくはずがなかったのだが、不思議なことに嫁入りは二十歳の時であった。この当時では遅い婚姻と言ってよい。
そして、二十三になる今も子宝に恵まれていない。夫である太一郎はまだ十八歳の若侍で、お伊都も面識はある。稀に庭先で剣の稽古をしている姿を見ることがあったが、引き締まった肉体といい、隙のない立ち姿といい、なかなかの男前であると思ったものだ。夫婦仲は良すぎると言っていいほどに良好であり、美樹の悩ましい声が聞こえてくることもしばしばだ。お伊都としては、あてられた夫が情熱的に求めてくるのが困りものである。この歳で十一人目は勘弁願いたいのだ。
さておき、話を戻そう。
つまり何が言いたいかというと、そんな二人が子供ができないのはおかしいのではないかということである。実際、近所の人々は口々にそう言ったものだった。やれできにくい体質だの、やれ旦那の方に問題があるだの、好き放題言っていたものだ。
「……それで、話というのは?」
お伊都の問いに、美樹は少し
「……実はわたくし、月の物が来なくなりまして……」
「……あら。あらあらあら~……まあ!」
驚いたお伊都が思わず声を漏らすと、美樹は顔を赤らめた。どうやら本当らしい。
「あまり大きな声で言わないで下さいまし」
「まあまあ……おめでとうございます! 本当に?」
「はい……昨日、大川端のお医者様に診てもらったところ」
「まあ……まあ! まあ!」
お伊都は思わず破顔した。なんとめでたいことだろう。武家の女にとって、跡取りを産むことは何よりも大事な御役目だ。美樹もこれでようやく肩の荷がおりたというものだろう。
「それでその……十人ものお子様を立派に育て上げられたお伊都様に、ぜひ、色々とお力添えを頂きたく」
「ま~あ任せて頂戴! 美樹さんのためなら何だってするわ!」
間髪入れずに答えたお伊都を見て、美樹の顔に笑みが浮かんだ。お伊都から見て、美樹は娘と呼んでいいほどに歳が離れている。孫でも生まれるかのような気分だった。とにかく、自分にできることであればなんでもしてやろうという気持ちになったのだった。
◆◆◆
それから二ヶ月の間、お伊都は美樹の家に足しげく通った。太一郎は御役目で家を空けており、なぜか異人の女医者がいたのだが、お産には詳しくないとの事だった。美樹の母親も勇んで乗り込んで来ていたのだが、「お産の生き仏」とまで呼ばれたお伊都には到底かなわぬと思ったらしく、助役に回ってくれた。
若く不安を抱えた妊婦に、自分の数奇な経験を伝え、その暮らしを楽なものにしてやる。お伊都にとって充実していると言える日々が続いた。
あっという間に二ヶ月が経って、初雪が降り、美樹の
門の前を掃き清めていたお伊都の耳に、遠くから叫び声と、ものすごい足音が聞こえてきたのだ。何事かと思って顔を上げると、血相を変えた若い侍が飛び込んでくるところだった。
「まあ、出楠様。ずいぶんと……」
遅いお帰りで、と出かかった皮肉を抑え、笑顔で出迎えるお伊都。それは美樹の夫、出楠太一郎だったのである。彼は息を切らせながら、お伊都に詰め寄った。
「お伊都殿……! みっ……美樹はっ!?」
「え? ええ、今、御宅の方におられますけれど……」
答えるや否や、太一郎は自宅の玄関に飛び込んだ。走り去る時、太一郎から汗の匂いがむわっと漂ってきて、お伊都は顔をしかめた。
「全く、そんなに慌てるくらいなら御役目など放り捨てて帰ってくればよろしいでしょうに……」
ぶつぶつ言いながら
「あらまあ……まあまあ……やっぱり、美樹さんに首ったけなのねえ」
それは、若侍・出楠太一郎が男泣きに泣く声だった。それを美樹があやしながら宥めているのである。しばらくして、泣き声が小さくなり、代わりに夫婦の笑い声が聞こえたので、お伊都はそっとその場を離れることにした。自分がいては邪魔になるだろうと思ったのだ。それに、そろそろ夕飯の準備もしなくてはならない。今日は久しぶりに魚でも焼こうかしらなどと考えながら、彼女は門をくぐった。
◆◆◆
それから数日後の事である。お雪とお英は浅草の仲見世にいた。目的地へ向かう道すがら、茶店で一服していたのだ。
「……で、たいちろーったら私を放ったらかして飛び出して行っちゃってさあ」
「へえ、そりゃまた災難だったな」
お英の話に相槌を打つお雪の表情は明るい。暗示の影響はすっかり抜けて、元の快活な少女に戻っていたのだ。
「ほんとだよもう! 私がどれだけ心配したかわかってるのかな」
二人とも掛け値なしに美しい少女である。古着屋で買ったと思しき小袖を着ているが、二人の美貌の前には野暮ったく見えて仕方ない。お英の
「お英、団子が冷めちまうよ」
「んもう! 分かってるってば!」
お英はそう言って串に刺さったみたらし団子にかぶりついた。甘辛いタレが口いっぱいに広がる。
「おいしい~!」
目を輝かせて言う彼女を見て、思わず笑ってしまうお雪であった。
実を言うと、再開してしばらくの間、二人の間には微妙な空気が漂っていた。というのも、互いに相手への態度を決めかねていたのだ。
何しろお雪は暗示にかかっていて、自分の名前さえ曖昧にされていた。お英が大切な誰かだという事は認識できても、はてどのように大切だったのかまでは思い出せない状態だったのだ。船の中で太一郎がお英を抱く気配を感じれば正直嫉妬もしたし、彼女の心をかき乱す一因となっていた。
だがそれも今や過去の話となった。お雪にとっては太一郎もお英もかけがえのない存在である事に変わりはなく、暗示が解けるにつれて真っ先に感じたのは、お英に対する愛おしさだった。それは仲のいい姉妹のような感情だと思うのだが、もしそうでなくとも今更どうということはない。どうせ同じ男に抱かれるのだから。
一方のお英の方も似たようなもので、お雪に対する気持ちが以前と同じなのか自信がなかった。何しろ一月半の間、太一郎に献身的に仕えて人生まで差し出したような状態だったのである。太一郎に甘えるために「お雪より太一郎が好き」「この世で一番太一郎が好き」と何度も宣言していたほどだ。男に溺れきった状態にあって、今更同性の
だが太一郎への恋を叶え、彼に甘えるお雪を見た時、なんて可愛いんだろうと思ったのも事実である。そんな相手に冷たくできるはずもない。
二人はお互いにお互いの気持ちを察し合い、今まで通りの付き合いを続けることにしたのだ。こうして仲睦まじく茶店に入って
(どうしよう……)
(どうしたもんかね……)
お互いに相手をチラチラと見ながら、頭の中で考えを巡らせる。そのうちに、どちらからともなく吹き出してしまった。二人は声を上げて笑った。周囲の客が
ひとしきり笑って落ち着いたところで、お雪はお英の手を握った。指と指を絡ませるように握り直すと、彼女の目がまん丸くなった。そのままじっと見つめてやると、彼女の顔がどんどん赤くなってくるのが分かる。耳まで真っ赤になったのを見て、お雪はますます嬉しくなった。
「お英、ひと気のない場所まで行こうか。お前の望み通りにしてやるぜ」
お英の手を引きながら立ち上がると、彼女も慌てて立ち上がる。手を繋いだまま歩き出すと、おずおずとした様子でついてくるのが分かった。
仲見世を抜け、雑木林の中の小路で、二人は唇を重ねた。互いの唇をついばむように軽く吸い合うだけの口づけだったが、それでも十分すぎるほどだった。
顔を離すと、お英が潤んだ目でこちらを見つめてきた。何か言いたげだったので黙っていると、やがて口を開いた。
「……続きはしないの?」
その言葉にお雪は苦笑した。相変わらず、色ごとが好きな女だ。もっとも、自分も人のことは言えないだろうが。初めて知った太一郎以外の唇は、想像以上の心地良さだった。
「兄貴とするのと、どっちがいい?」
そう言ってやると、お英の顔がパッと明るくなった。
「どっちも!」
お雪がもう一度苦笑する番だった。今度は声に出して笑う。すると、お英もつられたようにクスクスと笑った。しばらく二人で笑い合ってから、再び顔を近づけた。唇が触れる寸前、彼女が囁いた。
「お雪、大好き。たいちろーの次に好き」
「あたしも、兄貴の次にお前が好きだよ」
そのあたりが、丁度いい落とし所だろう。
囁き返すと同時に唇を奪う。そうして、何度も角度を変えながら、深い接吻を繰り返したのだった。
◆◆◆
浅草から今戸橋を渡ると、その先はもう向島である。風光明媚な景色の中を歩き、花見と桜餅で有名な長命寺を左手に見ながら少し進むと、伝法寺という禅寺がある。お雪とお英は、そこで墓前に手を合わせていた。
墓石にはこうある。
〈出楠家 先祖代々之墓〉
この伝法寺は出楠家の菩提寺であった。美樹とジェニファーの懐妊を知った太一郎は、二人の体調が悪くない日を選んで、父の墓前に報告に行く事にしたのだ。その場にお雪とお英を同席させたのは、女達の顔合わせという意味もあった。
お雪は自分の父を知らない。隠密同心の母と恋に落ちたが、結局結ばれる事はなかったと、その程度だ。だから太一郎が彼の父親にどんな想いを抱いているかなど知る由もない。
だが、太一郎の様子を見ていれば神妙にしようという気持ちにもなる。彼は固く目をつぶり、一心不乱に手を合わせていたのだ。それだけ真剣に想っているという事なのだろう。ならば、それに倣うだけだ。
やがて顔を上げた太一郎は、晴れやかな顔をしていた。そして女達を振り返る。
「さて、腹が減ったな。美味いものを食って帰ろう」
と、美樹が太一郎の袖を引いた。
「あの、太一郎様……あちらは、よろしいのですか?」
彼女が示したのは、伝法寺の本堂であった。住職が鐘をついているのが見えた。今はちょうど正午なので、これから午後の読経が始まるのだろう。それを聞くと、太一郎は苦笑して肩をすくめた。
「今日はいいんだ。あの人も迷惑だろう」
「でも……」
「いいんだよ」
彼は美樹の手をそっと握ると、手を引いて歩き出す。
後に着いて歩きながら、、お雪はふと思った。それは、〈兄貴のお
◆◆◆
太一郎は、一行を近くの料理屋へと誘った。そこは
「冬場の鮒はほとんど眠っていて、泥の中に潜んでいるんだと。だから捕るのは難しいし、珍重される」
「それに値も上がるから、料理屋には人目が少ないと、そういう事かい?」
「ま、そういうこった。だが味も絶品だぜ」
案内された座敷からは、小舟が浮かぶ川が見えた。水面には赤い
「太一郎様、ありがとう存じます」
「ありがと、タイチロウ」
二人が礼を言うと、太一郎は照れ臭そうに笑った。それを見たお雪は自分も手を差し出した。
「兄貴、あたしとお英も頼むよ」
「ああ、そうだったな」
太一郎はお雪にも手を差し伸べ、お雪はその手を掴んでゆっくりと座敷に上がる。その際、わざと体を預けてしなだれかかると、一瞬驚いた顔をしたもののすぐに笑顔を浮かべて抱き留めてくれた。こういうところが好きだなあと思いながら顔を上げると、彼もこちらを見て微笑んでいるのが見えた。
「さ、次はお英ちゃんだ。おいで」
「私はいいよ、恥ずかしいし」
「だめだ。さあ、早くしなさい」
「……うん」
お英は頬を染めて小さく頷いた後、意を決したように左手を差し出した。それを掴んだ太一郎は優しく彼女を引き上げた。お英の脚力ならば足の指先だけで跳び上がれる高さを、男の手を借りて上がる彼女はどこかいじらしかった。
座敷に上がると茶が運ばれてくる。女達の間には、微妙な緊張感があった。特にお雪とジェニファーはこれが初対面だ。
「さて……今日は初めての顔合わせだ」
上座に座った太一郎が、年齢に似合わぬどっしりとした貫禄で口を開く。その目は四人の女を順番に見据えていた。
「既に知っているとは思うが、この場にいるのはおれの女房と、これから女房にする者だけだ。いいな」
女たちは黙って頷く。それを見て、太一郎は緊張からか一度咳払いをした。
「では、おれから一人ひとりを紹介するとしよう……まずは、美樹」
「はい」
名を呼ばれた美樹は背筋を正して座り直すと、改めて深々と頭を下げた。
「改めまして、ご挨拶申し上げます……わたくしは、出楠家の妻、美樹と申します。どうぞよろしくお願い致します」
「うむ……美樹は、おれの最初の女房だ。三年に渡って、おれによく尽くしてくれた。おれの暮らし向きの事を知りたければ、美樹に聞けば間違いはない。特にお英とお雪は、姉と思って頼るといいだろう」
美樹は小さく頷きつつ微笑んだ。彼女の笑みを見て安心したのか、太一郎は一つ頷くと今度はジェニファーを見た。
「ジェニファー・ヴィンケルマンよ。黒髪だから分かりづらいと思うけれど、れっきとした異人なの。十六の時にこの国に来て、医者をしているわ。よろしくね」
そう言って愛らしく片目をつぶる彼女に、太一郎が続けた。
「ジェニファーと知り合ったのは、おれが十三のときだ。横浜で傷の手当をしてもらったのが切っ掛けでな」
そこで、太一郎は茶を口に含んだ。一息ついたところで続ける。
「……言いにくいが、おれにとっては初めての
「ええ、知ってるわ」
ジェニファーはくすくすと笑った。その様子を見て美樹が言う。
「ジェニーさんとわたくしは、既に納得づくで肌を重ねました。どうか安心してくださいましね」
するとジェニファーも悪戯っぽく笑って言った。
「そうね、とても素敵な夜だったわ」
それを聞いた太一郎は頭を掻いて苦笑した。
「お雪さん、お英ちゃん。タイチロウはね、女二人、いっぺんに平らげてもまだ足りない、底なしの腎張りよ。覚悟しておくことね」
その言葉に二人は顔を見合わせたが、ややあって微笑み合った。そして再び視線を戻した時には、二人とも真剣な面持ちになっていた。
お英が居住まいを正し、深く頭を下げた。
「お……じゃない、私はお英。見ての通り、亜米利加の異人で、本名はエイミーと言います。生まれはこの国だけど、三つの時に親と生き別れになって……養い親の跡を継いで、人に言えない稼業をしてきました」
「言っておくが、お英ちゃんは稼業の上で人を殺めたことはない。おれを信じて、この子を受け入れてくれ」
太一郎が、美樹に向かって頭を下げる。彼女は赤毛の頭を深々と下げ、それから顔を上げて口を開いた。
「辛いお生まれだったのでしょう。これからは、わたくし達を家族と思い、甘えてくださっていいのですよ」
「そう……かな?」
お英は少し戸惑ったように視線を揺らしていたが、やがて意を決して顔を上げた。
「じゃあ……お姉さま!」
「え?」
「おい」
お雪は思わず、お英のでかい尻を引っ叩いた。ばしんという音が部屋に響く。しかし彼女は痛がりもせず嬉しそうに笑っていたので、どうやら冗談だったようだ。
「ごめんなさい、つい嬉しくて……」
そう言いながらお英は照れ笑いを浮かべた。太一郎を見ると彼はやれやれといった風に肩をすくめている。
「全く……美樹、ジェニファー。不義理をして済まないとは思うが、お英とは既に長崎で夫婦の契りを交わした。だが、おれが命を繋いだのは、お英が全てをおれに捧げてくれたお陰だ……おれはどうしても、この娘を家族に迎えたい」
太一郎は切実な目でそう言った。だが美樹もジェニファーも気にした様子はなかった。むしろ嬉しそうな顔をしているくらいだ。
「いいのよ、タイチロウ。お英ちゃんは妹みたいなものだし、あなたの幸せは私の幸せでもあるわ」
「わたくしも同感です。太一郎様、どうかお英さんを幸せにしてあげてくださいましね」
二人の言葉を聞き、太一郎は安堵したようだった。彼が目配せをするのを見て取ったお雪は、んんっ、と咳払いして続けた。
「あたしはお雪。日本橋で蕎麦屋の女中をしていますが、それは世を忍ぶ仮の姿で」
すっと背筋を伸ばす。それだけで、美樹とジェニファーは緊張感に息を呑んだのが分かった。
人の気配がない事を確かめてから、短く言う。
「本職は、太一郎兄貴と同じ、ここでは言えない御役目を受ける者です。お英とは違って、何度も人を手にかけてきた、血生臭い人間です」
その言葉を聞いても、美樹とジェニファーは表情を変えなかった。美樹は武家の娘で、ジェニファーは医師であるからだ。
とはいえ、お雪のような少女が手を血で染めていることは、別の話だ。案の定、美樹が恐る恐る尋ねてきた。
「あの……どうして、そのようなお仕事をなさっていらっしゃるのですか」
「それは……」
「お雪ちゃんが、どうしておれと同じ稼業をしているのか、それは聞かないで欲しい」
太一郎が口を挟んだ。それは厳とした口調であったので、美樹は口をつぐみ、ジェニファーが抗議した。
「どうして? 家族でしょう。私たちなら大丈夫よ」
「それでも駄目だ。言葉にしても、きっとお前たちには伝わらない。それは嘘をつくのと同じことだ」
太一郎は一度立ち上がると、美樹とジェニファーの前で畳に両手をついた。
「どうか頼む。こればかりは、聞かないでくれ。この娘がどういう人間か、それは目で見て判断してやってくれ」
そうして懇願する彼を前に、二人は何も言えなくなったようだ。しばし沈黙した後、先に口を開いたのはジェニファーだった。
「……分かったわ、もう聞かないことにする」
「ああ、ありがとう」
太一郎はほっとしたように礼を言った後、また座り直した。今度は頭を下げずに前を向く。
「祝言は、また改めて考えるが……今日この日から、お前たち四人とおれは家族になる。よろしく頼むぞ」
その言葉に、女達は頷いた。みな一様に頬を紅潮させている。それを見た太一郎は満足そうに笑うと立ち上がった。
「さて、料理を運ばせるか。ここの鮒飯は美味いぞ」
伝法寺の方から、鐘の音が聞こえてくる。その音を聞きながら、お雪はそっと息を吐いた。
(これでやっと、あたしも普通の人間になれる)
◆◆◆
鮒飯は絶品であった。内臓と鱗を始末した鮒を胡麻の油で炒め、春菊の薬味とともに出汁で食べる、贅沢なものだ。食後には濃い煎茶が出されたが、これも良い香りで美味かった。
笑って食事をする女達を眺めながら、太一郎は満足していた。こうした光景がいつまでも続けばいいと思っていたのだが──馬の
「来たぞ、お雪ちゃん。御役目の時間だ」
「あいよ」
「私も行くからね」
返事をしながら立ち上がるお雪とお英。刀掛けに置かれた大小を手に取り、帯に差した。美樹とジェニファーを見やる。
「必ず、お前たちの元へ帰る。おれは父親になるんだ。だから、待っていてくれ」
美樹とジェニファーは黙って頷く。太一郎は、二人をそっと抱き寄せた。
「ん……太一郎様……」
「タイチロウ……」
二人の女房と、同時に唇を交わす。暖かい感触を確かめた後、太一郎は身を離した。
これより先は、死地であろう。だが、〈黒いデウス〉何するものぞ。鬼一など,
もやは恐るるに足らず。
出楠太一郎には、愛の証があるのだから。
(父上、ご照覧あれ。太一郎は生きて、生き抜きます)
「行ってくるぜ」
それだけ言うと、三人は揃って部屋を出ていった。残された美樹とジェニファーはその後ろ姿を見送ったあと、顔を見合わせる。そしてどちらからともなく手を握り合ったのだった。
伝法寺から、また鐘の音が聞こえてきた。
(続く)