小鍋を出し、醤油と味醂、酢を煮立てる。冷めたら
その日の夕餉は、牡蠣豆腐だった。お英がたっぷり持ってきてくれた牡蠣を次々むいて丁寧に洗い、昆布と酒を入れた湯で火を通す。
「タイチロウ、お酒は? 患者さんからいいのをもらったのだけど」
「いや、いい。飲みたい気分じゃねえや」
豆腐を切って鍋に落とすと、太一郎はジェニファーに礼を言いながら小皿に湯を取り、軽く塩を振って味を見た。牡蠣と昆布の旨味が溶け出して、やや下品ながら吸い物にも似た味わいがある。悪くない出来だ。
「おいしそうね」
「…………」
何か言おうと思うのだが、言葉が出てこない。太一郎の目には、ふつふつと煮える湯で踊る牡蠣と豆腐が、まるで人の頭のように見えていたのだ。しかも、それらは妻たちの顔をしているではないか。
「たいちろー、どうかした?」
お英が心配そうに顔を覗き込んできて、太一郎はようやく我に返った。なんでもない、と言いながら慌てて蓋をすると、逃げるように
◆◆◆
お雪を除く三人の妻と夕餉を終え、太一郎はすぐに庭へ降りた。刀を抜き、無心に素振りを始める。
何も考えたくなかったからだ。今はただ体を酷使したい気分だったのだが、そんな気持ちとは裏腹に体の方は正直であった。剣は人の首を斬る高さを何度も走り、人の頭が次々飛んでいく妄想に襲われるのだ。
「エイッ、エイッ!」
こんな気持ちは、神明一刀流の道場にいた頃以来だった。その頃はまだ自分が人を殺したいのだとは気づいていなくて、同期や兄弟子を次から次に叩き伏せながら上達していくことに喜びを感じていた。あっという間に煙たがられるようになって、ますます木刀を振り回した。
『それが俺の武士道だ』
夏、自分が斬った兄弟子を思い出す。彼が取りなしてくれなければ、放逐されて道端で人を襲っていたかもしれない。それくらい荒んでいた時もあったのだ。
それだから、二人で井戸水を浴び握り飯を食べながら剣術談義に花を咲かせた時のことは、忘れたくとも忘れられない。
『……俺は、侍として生きたくとも生きられなかった人間なんだ。お前とは違うんだよ』
それは違う。兄弟子は、剣を握って自分に立ち向かってきた。最後の最後、武士であろうとした。
そして自分に斬られ、彼は永遠に武士のままになった。
『そういうのをな、鬼の念仏と言うのだ』
秋、自分を半死半生に追い込んだ般若を思い出す。子供を操り、人の命をほしいままに弄んだ外道。
同じ暗具を使いこなし、人殺しに耽溺する奴を見て、これが自分の末路かと思った。毒と戦いながら、堕ちた自分がお雪に殺される悪夢にうなされたこともあった。
『おりん! おりん、どうして──』
だが、奴は死んだ。最後は妻の名を呼びながら死んだ。他ならぬ自分が切り落とした妻の生首に涙しながら、芋虫みたいに這って死んでいった。
『太一郎。幸福に生きなさい。それが儂の、ただ一つの願いだ』
冬、病を得て死んだという父を思い出す。息子の狂気を知りながら、決して否定しなかった。武芸と学問を湯水のように与え、家が傾くのを承知で武者修行の旅に送り出してくれた。
『─────────────────』
死に目には会えなかった。困窮の末、肺の病にかかったらしい。
移さぬようにと実家に戻されていた母は、旅から戻った自分を詰った。お前さえ生まれなければ、と。そのまま出家し尼となって、父の菩提を弔い続けている。
「負けて────たまるかっ────」
剣を振るいながら、太一郎は思う。自分は何と情けない男なのだろうと。父とは比べ物にならないくらい惨めで、哀れで、醜い男だとつくづく思う。
それなのにまだ戦うつもりでいる。幸せに生きるという、人生を賭けた戦いを、諦められない。
なぜなら、それが愛の証だからだ。
「隠密同心、心得の条!」
酷使した手が痺れている。肩も腕も足も腰も痛くてたまらず、それでも叫びながら刀を振り続ける。
「わが命っわがものとっ、思わずッ、武門の儀ッ」
天から地へ、振り上げた刀を振り下ろす。もう何度振ったかわからなかった。それでもまだ止めない。止めたら二度と刀が振れなくなるからだ。
「あくまでっかげにってっ、己がきりょうっ、ふしっ!」
血走った目で虚空を睨む。そこに敵がいるかのように。いや、本当にそこにいるのかもしれない。何しろ敵は自分なのだから。醜悪な顔をした自分自身なのだ。そいつが死ぬまで、戦いは終わらない。
「ごかめい、いかにても果たすべしっ!! 死してっ────」
「そこまでにしておきな」
細い腕が、汗まみれの太い腕を掴み止める。途端にどっと疲労が押し寄せてきて、太一郎は地面に倒れ込んだ。荒い息のまま、その娘を見上げる。
整った顔立ちの美しい少女であった。さらりと流れる黒髪は、背中の中ほどまで伸びており、それを後ろで束ねている。
特に魅力的なのは目で、一流の木彫り職人が丹精込めて彫り上げたような美しい形である。きりっとした眉の下で、鳶色の瞳が呆れたように見下ろしていた。
「兄貴、ほんとにバカだね」
お雪はため息をついて、手拭いを差し出した。
「ペラペラ喋りながら素振りするやつがあるかい。姿勢もガタガタなら呼吸もできてないし、見ちゃいられないよ」
「悪い……つい、夢中になって……はっくしゅん!」
急激に冷えた汗が体温を奪い、太一郎はぶるりと身震いをした。妹分はまたため息をつくと、やれやれといった調子で手を差し出す。
太一郎が素直にその手を握ると、ぐいっと引っ張り上げられて立たされる格好となった。
「……ありがとよ」
「まったく、こんな情けない兄貴は初めて見たよ。ほら、風呂が沸いてるから入っておいで」
ぺしりと背中をはたく幼妻に、太一郎は疑問をぶつけた。
「お雪ちゃん、俺の偽物を捕らえに出てたんじゃないのか。一体どうなって…………」
「さっき捕まえたよ! ああもう、とっととお行き! あたしも行くから、汗を流して入りなよっ」
尻を蹴られ、太一郎はつんのめるようにして風呂場へ向かった。
◆◆◆
「ああ~生き返るねぇ~」
湯船に浸かりつつ手足を伸ばすと、お雪の乳房が縦につぶれる。日一日と成長している気がするが、当のお雪は特に気にした風もなく湯浴みを楽しんでいる。
「そうだな、生き返る…………」
向かいで湯を堪能する若妻を眺めつつ、太一郎はぼんやりとつぶやいた。初めて会った時は、なんだこの小汚い山出しの田舎娘はと辟易したものだ。だが江戸の湯につかり、成長期を迎えたお雪は見る見ると輝きを増していった。
よくここまで化けたもんだ、ふとそう思う。
手足はすらりと伸びて肉付きもよくなり、乳房は名の通り雪化粧をした富士のごとくツンと盛り上がっている。
尻は丸みを帯びつつも上向きとなり、肌は珠のように白い。
顔もあどけなさを残しながらも端正になり、時によって気品のようなものさえ漂わせ始めている。
それでいて笑顔には屈託がなく、いつも溌剌としているのだから不思議だ。
「なに? じっと見て。見惚れてるのかい? へへへ」
お雪がにやにやしながら身を寄せてくる。
湯に浮かべた橙の実から漂う爽やかな香りが、若い娘独特の甘い体臭へと変わる。
濡れた黒髪をかき上げながら、太一郎の顔を覗き込んだ。
「……まあ、そうだ。綺麗になった」
「へ~、そ、そうかい。えへへへへ」
お雪は照れ隠しのように橙の実を指でつついては、水面へぽちゃんと沈めて遊んでいる。
可愛い女だ。この娘が一人、自分の疑いを晴らすために東奔西走していたのだと思うと、申し訳ないような、有り難いような気持ちになる。
「どんな奴だった、偽物は」
「え? どんなもこんなも、普通だったよ。変な術を使うでもなし、妙に強いわけでもないし……なんだか拍子抜けしちまったね」
「似てたか」
「いいや、ちっとも。お雪様が保証するよ。あたしの旦那は百倍いい男だって」
そうか、と言って、太一郎は妹分を抱き寄せた。一見そうは見えないが、鋼のような筋肉を隠した細身の背中がすっぽり収まる。
体のあちこちにある小さな傷を、優しく指でなぞっていく。
「ン…………」
「すまなかったな、お前ひとりに任せて」
「ふふ、いいってことよ。今夜、あたしを抱いてくれればそれでいい」
「ずいぶん唐突だな。何かあったか」
「別にィ? ただ、頼りになる弟ができてちょいと気が緩んでんのさ」
「おとうと? 一体──むぐっ」
「んっ…………ふ……」
お雪はくるりと振り返り、夫の頭を抱き寄せ強引に唇を重ねた。しばらくそうした後、ようやく解放すると舌をちろりと出して悪戯っぽく笑う。
「兄貴、あたしのこときれいだと思うかい。兄貴の女房に相応しい、ちゃんとした女に見えるかい?」
「当たり前だろ」
「じゃあ、言って。きれいだって。俺の女房に相応しい、立派な女だって」
「綺麗だよ、お前は」
「……うん」
「お前は俺の女房に相応しい。立派で可愛くてしっかり者で、最高の女だよ」
「うん……嬉しいよ、兄貴…………んっ…………♡」
再び唇を吸いながら、お雪の手がゆっくりと男の体を這い回る。やがて胸筋から腹筋を撫で下りると、股ぐらで雄々しくそそり立つモノを掴んだ。
「……」
「…………今日、すごい。なんか…………こん棒みたいだよ」
「言うな」
「もしかして、あたしに気を使って? 誰とも? お英とも、姉さんとも、先生とも…………」
娘の声が高ぶる。
ちゃぷりと揺れる湯よりも熱い、煮え滾るような情念とともに、いま花開こうとする女がすがりついてくる。
それに応えるように抱きしめると、耳元に濡れた声を吹き込まれた。
「うれしい……。あたしも、あたしも兄貴が欲しい。兄貴だけが欲しいんだ……!」
上ずってかすれた声は歓喜に満ちていた。呼吸がはあっ、はあっと乱れていく。吐息がかかる耳元が、燃えているように熱かった。
「ずっと我慢してたんだよ……あたしがまだ子供だから、我慢してくれてると思ってたから、なのに兄貴ときたら、こんなに熱く硬くさせて……。こんなの見せられたら我慢なんてできないよぉ……!」
強く抱きついてくる女体は燃えるように火照っていた。それがたまらなく愛おしくて、思わずぎゅっと抱きしめてしまう。細い肩や腰のくびれを手で撫でると、切なげに身をよじらせるさまが可愛らしい。
「このまま布団まで連れてってッ、お願いだよ兄貴ぃ……!」
お雪はもう待ちきれないとばかりに足を絡めてきた。その滑らかな素足に腿の内側を撫でられるだけで腰が抜けそうになるが、ここでへばっては男がすたるというものだ。
「わかったから落ち着け。まず体を拭いてからな」
湯から上がり浴衣を羽織った途端、後ろから抱きつかれる。まるで親に甘える子供のように背筋に顔を埋め、ぐりぐりと何度も額をこすり付けてくる。
「おいこら、まだ途中だぞ。湯冷めするから髪をしっかり拭いて……」
「兄貴が拭いてぇ。はやくぅ」
「やれやれ、甘えん坊のわがまま娘め」
「いいでしょ、今日はさ、今日くらいはさぁ、いっぱい甘えたいんだよぉぉ~~」
今まで聞いたこともないような甘ったれた声を出すものだから、ついつい言うことを聞いてしまう。
もちろん惚れた弱みもあるだろうが、それ以上に相棒として共に戦ってきた凛々しい十文字お雪が甘えに甘える姿に、心が揺さぶられるのだ。
柔らかい黒髪に手ぬぐいを当て、そっと押さえるようにして水気を拭き取っていく。お雪はまだ少し湿っているそれを鼻先に当ててくんくんと匂いを嗅いだ後、うっとりした声で呟いた。
「あぁ……いい匂いだ……。兄貴の匂いがする……」
「俺の髪の匂いなんざ、どうってこたぁないだろう」
「そんなことないよォ、たまらないよ、この匂い……」
「ふうん……」
聞かねえほうがよかったな、と思う。照れてしまって仕方がない。
そんなことを考えながら頭を拭くと、お雪が首に腕を回してきて、頬にちゅっちゅと接吻の雨を降らせてくる。くすぐったくて笑うと、さらに激しく唇を押し当てられた。
こいつめ、と頬に手を添え顔を離させると、今度は不満げに頬を膨らませる。そしてまた首っ玉にかじりつき、顎先に口付けしてくるのだ。じゃれつく子猫を思わせる愛らしさである。
「もう行くぞ。ほら、歩きにくいから……」
「だぁめ、寒いからもっとくっつくのぉ」
「ああもう、しょうのない奴だなお前は!」
「へへっ♡ あったかいだろォ~♡」
もうお手上げである。太一郎は苦笑しつつ腕の中の娘を抱き上げると、そのまま母屋に戻ったのだった。
◆◆◆
火鉢がぱちぱちと音を立てている。その中で真っ赤に焼けた炭が、冬の寒さを押しのけるように熱気を放っている。
「寒くないかしら?」
「おれたち二人はどうってこたない」
この時代、冬にする交わりの難敵は寒さだ。なにしろ満足な暖房器具がなく、木造の家屋自体も隙間が多いからどうしようもない。その分、炭による一酸化炭素中毒が起きにくいのは利点と言えたものかどうか。
「お前と美樹こそ大丈夫か? 体とか、特に──」
「大丈夫よ、タイチロウ。ちゃんと温めてあるわ。赤ちゃんがびっくりしないように……ん……」
自身が医師だけに、ジェニファーは妻たちみんなの体調をよく見てくれていた。そんな妻の頬に手を当て、薄い唇を塞ぐ。
肌はしっとりと汗ばんでいて、触れるたびに瑞々しさを感じる。軽く舌を絡めた後で離すと、初めての女は頬を染めて微笑んでいた。
子を宿して五ヶ月目、腹部のふくらみが目立ち始める時期らしいが、よく分からない。冬だけに綿入りの着物を何枚も重ね着していることもあるが、元々豊満すぎる乳房がさらに一回り大きくなっているせいだ。
「お前のこの顔を、彫刻像みたいで現実味がないなんて思ったこともあったなあ。それが今じゃどうだ。こんなにも────」
「その辺にしておきなさい。私を口説くより先に、すべき事が山ほどあるでしょう」
ジェニファーはぴしゃりと言い放つと、こちらの胸にしなだれかかってきた。背中に手を回し、優しく抱きしめる。
「まずは家族を増やすこと。その後、私のために何か贈り物を用意して頂戴」
「……そうだな」
ふと視線を横に動かすと、美樹の顔がすぐ傍にあった。ほどよく熟れた食べ頃の桃を思わせる最初の妻は、自分を待ちわびるように瞳を潤ませている。
太一郎の手が彼女の頬に触れた時、小さなため息が漏れた。うっとりと閉じられた瞼は艶やかに濡れている。
指先で唇にふれてやると、誘うように口を開く。その口に指を差し込むと、すぐに吸い付いてきた。指一本を舐め回されるだけでぞくぞくするほど感じてしまう。
「美樹さん、ダメよ。お雪さんが待ってるんだから」
「んん……ちゅるっ……分かっております……あと少しだけ……ふちゅ……」
ぬめぬめとした感触を楽しむように指を舐めしゃぶられ、思わずうめき声を漏らしてしまう。だがジェニファーの言う通りだ、今日の主役は美樹ではない。指を離すと、彼女は物欲しげな瞳でこちらを見つめてきた。
「すまねえな、待たせちまって」
太一郎はそう言って、お雪に向き直る。
彼女はすでに帯を解き、布団にもぐって恥ずかしそうにこちらを見上げていた。期待に震えるような眼差しで見つめながら、しかしなかなか近づいてこないことにじれったく思っているようだ。
「お英」
「いよいよだね、たいちろー、お雪。とうとう二人が一つに結ばれるんだね」
足元にひざまずいた薄い金髪の新妻が、手早く帯を解いてくれる。浴衣を割りそうなほど持ち上がった
「嬉しいなあ……♡ 好きな人と好きな人が初めて結ばれるんだよ……? こんな素晴らしいことが他にあるかなぁ……?」
「俺もそうさ、お英。お前が俺と添うてくれて本当によかったと思ってる」
白いうなじを撫でると、お英は目を細め心地よさそうな吐息を漏らす。すっかり発情してしまったらしく、瞳が蕩け始めていた。そんな彼女に布団の中から鋭い視線が突き刺さる。
「あっ、ごめんごめん。私は見に徹するからごゆっくりどうぞ」
「この腎張り(好き者)……」
「十四で赤ちゃん作りたがってるお雪ほどじゃないよ」
じゃれる小娘たちをよそに、太一郎は布団をめくり、お雪の上に覆いかぶさった。二人分の体重を受けて、寝床が沈む。お英が掛け布団をしっかりと二人にかけてくれた。
「あつい……♡ すごく熱くて硬いよ……♡」
お雪は恍惚とした表情を見せている。首元まで布団の中だから、見えるのは顔だけだ。
だが腰をくねらせているのは、下半身に伝わる感触ではっきり分かった。
「いいな。入れちまうぞ、お雪……!」
「……きて! きて! きて! あたしの奥まで来てぇぇえ…………あっ!」
青い果実を覆う下草をかわし、ぐっと肉の包丁を押し付ける。
初々しい若妻の秘裂は夫を迎え入れようとして潤み、その入り口を広げていく。
やがて肉襞の間に隠れていた花弁が姿を見せ、その花びらの奥に潜んだ果肉が切り裂かれたとき、彼女の中に生まれたものは苦痛ではなかったようだ。
「お゛っ……♡♡♡」
喉奥から搾り出されたその声は、苦悶ではなく歓喜の色を帯びていた。幼さを残す整った顔立ちに皺を寄せつつ、大きく目を見開いて体を震わせているさまはひどく煽情的だ。太一郎は思わず生唾を呑み込み、それからはっと我に返った。
相手はまだ十四の娘なのだ。苦痛を覚えていないはずがない。自分がしっかりしなくてどうするのか、と己を叱りつけ、それでもなおこみ上げる衝動をどうにか抑え込むと、努めて優しく語りかけた。
「痛いか? それとも苦しいか? ゆっくり息をしてみろ、大丈夫だ」
「……大丈夫じゃない」
「えっ」
「全然大丈夫じゃないよ……。すごい……体がばらばらになりそうなくらい、兄貴のセガレから、気持ちよさが伝わってくる……」
それは痛みに対する悲鳴ではない。未知の快楽に対する戸惑いであり、そしてそれを受け入れた歓びの叫びだった。太一郎は胸を撫で下ろしながら安堵の息をつくと、優しい口調で語り掛ける。
「なら良かった。しばらくこうしてるから、少しずつ慣れような」
するとお雪もまた緊張を緩めたのか、砂の山が崩れるように表情を崩すと、こくりと頷いてみせた。
「……うん」
柔らかな布団に包まれて、見えないままお互いの体をまさぐり合う。既に触れ合った回数は少なくなく、どこが気持ちいいのかも分かっているのだが、こうやって改めて肌を合わせるとなると不思議な気分になった。何しろ自分たちは今、初めて体を重ねたのだ。
「ん……ん……んん……♡」
「お雪……ああ、お雪……」
最初は二人ともどこかぎこちなかった。だが徐々に体の力を抜いてゆき、今では完全にお互いを受け入れ合っている。
温かい。冬の寒さをものともせぬほど、若い夫婦は燃え上がっていた。まるでこの世に二人しかいないかのように、夢中になって互いを求めあう。
「はあっ、ああっ、あぁっ……!」
太い腕が女体を抱きすくめるたびに、お雪の口から嬌声が上がる。彼女が今、かつてないほどに興奮していることが心音から分かる。
これまで味わったことのない強烈な刺激によってもたらされる脳髄への刺激が、彼女の中の女を目覚めさせつつあるのだ。
「お雪ッ、なんて声を出すんだッ、なんて声を……! お前の声が可愛くて、俺ぁどうにかなっちまいそうだ!」
「だって、だってぇ、こんなの知らないんだよぉ、こんなに気持ち良くて、こんな幸せで、あたし、本当に死んじゃうんじゃないかってぇ……っ!」
切羽詰まった声と共に、膣壁がきゅうっと収縮する。愛する男のものが欲しいと強請っているのだ。
しかしお雪の体には大きすぎるため、締め付けるだけで精一杯という様子だった。お雪自身はそのことに気付いているのかいないのか、自分の意志とは関係なく男を絞り上げようとする自分の体に翻弄されているようだ。
「ううぅ……っ♡ やだっ、やだぁっ! 勝手に締まっちゃうぅう!! 助けてっ、助けてぇっ!!」
「もう、仕方ないなあ」
彼女の手を握ったのはお英だった。タコの多い手が、悶えるお雪の指をぎゅっと包み込む。それだけで不思議と安心したのだろう、お雪の表情からは不安の色が消えていた。
「すまねえ、お雪、お英! 俺はもう少し、もう少しだ!」
太一郎が激しく腰を打ち付け始めると、美樹とジェニファーは顔を見合わせて笑った。妊婦である二人は遠巻きに見ながらも肩を寄せ合い、新たな女が羽化するさまを見守っている。
「兄貴っ、もうだめっ、だめだよっ、いっちゃうぅっ!」
「いけ! 俺の嫁になれ! 俺がお前の旦那になる! 今日からお前は俺だけの女になるんだ!」
「なるっ、なりますっ! あなたの妻になります、ずっとずっと兄貴だけがいい、これからもずっとあなただけっ」
ぐぽぐぽと淫靡な音を立てて蜜壺が掻き回されてゆく。
二人を包む布団はまるで嵐の中の海のようだ。風で吹き飛ばされてしまいそうなほどの激しさは限界が近い証拠だ。この調子だとすぐにでも達してしまうだろう。
それは二人の動きに限った話ではなく、部屋全体に満ちている異様な熱気が物語っている。女四人が放つ甘い香りに、汗の匂いまでもが混じり合ってむせ返るような淫臭が立ち込めている。それは生命だけが放つことのできる芳醇で官能的な香りだ。
ああ、おれは生きているんだ。
出楠太一郎は生きているんだ。
「いくよ、あたしの気がいく! もういく! いくッいくッいくッ!」
「出すぞ! 全部受け止めろ!」
その言葉と同時にお雪が背中を反らせた。太一郎はありったけの力を込めて彼女を抱きしめる。その瞬間、奥深くで弾けた精が子袋を満たしてゆく。お雪はそれをうっとりとした表情で受け入れていた。
「うぁ、出る、まだ出る……!」
どくっ、どくんっ、と力強い脈動が生じるたび、太一郎は目を白黒させた。
体の中心で生じた熱の塊が瞬く間に広がってゆく快感は凄まじく、ともすれば失神してしまいそうなほどだったが、そこは男の意地がある。
歯を食いしばって堪え、今日生まれた新しい女を抱きしめ続けた。
「んふぁぁ……あにきぃ……」
やがて射精が終わりを迎えた時、太一郎は汗まみれになって脱力する。だがその腕の中に抱かれた少女は幸福そうな笑みを浮かべており、その表情を見てほっと安堵した。
「……ふう」
射精を終えた後、太一郎は額の汗を拭いながらお雪の中より男根を抜き出し、布団を抜け出た。
「あぁ……」
喪失感に喘ぐように口を開けたままのお雪の姿は凄絶な色気に満ちており、それを見守る三人の目には羨望の光があった。自分だったらどうなってしまうんだろう、きっと気持ち良すぎて死んでしまうに違いない──そんな思いがありありと見て取れる眼差しだ。
そんな三人を手招きしながら、太一郎は笑いかけた。その顔は先ほどまで鬼気迫る勢いの抜き差しを行っていた人物とは思えないほどに晴れやかなものだった。
「悪いが、新しい布団を出してくれ。今夜はたっぷり付き合ってもらうぞ? 一人ずつ、たっぷりと可愛がってやる」
お雪を除く三人は顔を見合わせると、期待に満ちた笑みを浮かべていそいそと動き始めたのだった。
◆◆◆
「
「声が大きいよ」
正之助の放言を直ぐ様たしなめる。それができたのは、お雪も内心同じことを考えていたからだ。
ニセ者を捕らえた、その翌日である。
前と同じ、江戸湾を一望する丘の茶屋だ。湾内には黒々とした波濤が立ち上り、寒風が潮の香りを運んでくる。太陽は低い位置にあるが、まだ正午前であった。
「見えますか、義姉上。あれらの船にはためく色とりどりの旗。あれは国旗と申すそうです」
「こっき? なんだいそりゃ」
「国の象徴、だそうで。大海では、その船がどこの国に所属しているのかを示すために必要だとか」
「ふ~ん」
湯呑みから熱い番茶を啜りながらお雪が相槌を打つ。すると正之助が言った。
「義姉上は、この国がなんという名前かご存知ですか?」
「くに? さてねえ、なんて言ったっけね……ええと、そうそう、〈
「ふふ」
団子を食べ終えたお雪が、口元を懐紙で拭いながら答えると、正之助は面白そうに笑った。どうやら見当違いだったらしい。
「違いますよ、義姉上。それは我々が暮らすこの町と、周りを囲む山野などを含めた地域の名称に過ぎません」
「へえ」
「
「ああ」
「そうした
「そう」
話の長いやつだ。新しいみたらし団子を頼んでやると、待ってましたとばかりに食いつき始める。その間に、お雪は頭を働かせた。特に、異人である家族、ジェニファーの言だ。
「ええと……そう、聞いたことがある。〈ヤーパン〉だ。たしか、そんな名前で呼んでるのを聞いたことがあらあ」
「んぐんぐ……さすがは義姉上、です。〈ヤーパン〉以外には〈ジャパン〉〈ジパング〉〈リーベン〉〈ハーポン〉〈ジャポン〉〈イーポニヤ〉などとも呼ぶそうで」
「お前、ひけらかす時は本当に楽しそうだね」
「はい!」
皮肉も通じず嬉しそうに返事をするものだから、かえってこっちが恥ずかしい気分になる。咳払いをして誤魔化してから先を促す。
「それで、なんでそんな沢山名前があるんだ? ほら、聞いてやるから言ってみな」
「よくぞ聞いてくれました。〈
「これは実に興味深いことです。なぜならば、異なる土地から来た人々によって呼ばれた名が、まったく別種の文化の狭間で拡散しつつも混然一体となり、やがて新たなものへと昇華されるのですから。そこには、様々な思惑があったことでしょう」
「例えば、外つ国との交易が容易になるため───」
途中からは聞き流しながら、お雪は〈日本〉について考えようとした。だが、あまり頭が働かない。
串に一つだけ団子を残したまま語る正之助を見て、こいつは武士に向いてなさそうだ、と思うのがお雪という人間の
「頭のいい人間には、世の中はそんな風に見えてるのかい」
「え? いいえ、これはただの知識です。真に知る、そのためには二つの
ようやく一息ついた正之助に問いかけると、なんともつまらない答えが返ってきた。
お雪は舌打ちをする代わりに、ため息混じりに呟く。
「じゃあ結局、あんたは何をしたいんだい」
「正之助が思うに……」
そこで一度言葉を切ってから、正之助は続けた。
「……思うに、正之助は世の中の
そう言うと、彼は遠い目をして彼方を見やる。その先には海、そして異国から来た多くの船。おそらく彼の眼には、違うものが見えているのだろう。きっと、お雪とは違う何かが。
「……叶うなら、義兄上とともに。あの人に、この江戸などは狭すぎるでしょうから」
その言葉に対して、お雪は何も答えなかった。別に無視したわけでなく、かける言葉が見つからなかったのだ。
しばらくしてから、今度は逆に尋ねてみた。
「あたしにゃぁ、お前が何を言いたいのかさっぱりだよ。どうして急にそんなことを言いだしたんだい?」
すると正之助は一瞬困ったような表情を浮かべ、話題を変えた。
「夏に、命を救っていただいた事件のことを覚えておいででしょうか」
「あん時……〈虎の爪〉事件のことか。そういや、お前にはまだ礼を言われてなかったねぇ」
「恥ずかしながら、茫然自失としておりまして。あの節は大変お世話になりました。改めてお礼申し上げます」
「よせやい、堅苦しいのは苦手なんだ。もう忘れておくれ。それより、さっさと話しな」
正之助は少し間を空けた。
「実はあの時……義兄上に斬られた一人の侍がおりました。山上善三郎様です」
「ええと……あんたと姉さんを拐かした
「
突然、正之助が声を張り上げたので、お雪はぎょっとした。しかし当人はそれどころではないらしい。拳を固く握りしめ、血走った眼でお雪を睨みつける。
「悪いのは
「…………」
「そしてあの方は自ら望んだ道を捨て、悪党に尻尾を振ることを選んでしまったのです!」
「……正之助」
「そんな方ではなかった! 本当は誰よりも学問が好きで、武芸にも秀でていて、心優しい方だったはずなんです! 正之助はそう信じていたのに!!」
「正之助」
「悪いのは、間違っているのは、この江戸です!
「正之助っ!!」
大声で怒鳴りつけると、正之助はびくりと身体を震わせて口を閉ざした。瞳からは涙が流れ出し、頬を濡らしていく。そっと周りを見ると、店主はそっぽを向いていた。
しばらく無言のまま、気まずい沈黙が流れていく。
「……その話、誰かに言ったのはあたしが初めてだね」
「……はい」
「他には言っていないね」
「……申し訳ありません。歳が近いせいでしょうか。正之助は、義姉上に甘えてしまいました。どうかお許しください」
「いいよ、許すさ。だってお前はあたしの弟なんだから」
蚊の鳴くような声で謝るものだから、お雪は怒る気もなくしてしまった。それどころか、妙に嬉しくさえあった。自分が、人として認められたような気がして。
微笑みかけてやると、彼も安心したように笑みを浮かべた。その表情がやはり美樹に似ている気がして、ああ、兄貴が気に入るわけだと思ってしまう。
正之助が団子を食い終わるのを待ってから、お雪は口を開いた。
「正之助、お前の言う狭苦しい大江戸八百八町に、人が何人住んでるか知ってるかい」
「八百八町というのは例えで、
「いいから、人は何人なんだい。お前はそのうち、何人の顔を知ってんだい?」
「……数に数えてはならないとされる人々もいますから、正確には分かりません。しかし、町奉行支配下の町方だけでも、およそ百万。出稼ぎ人、寺社方、色街、百姓、我ら武家、合わせれば二百万近くが住まうと言われております」
正之助は真面目に答えた後、少し寂しそうに目を伏せた。
「顔を知っているのは……せいぜい、五十人かそこらではないでしょうか」
「そうかい。あたしは、まあ……だいたい五千ぐらいかな」
そう言うと、正之助は意外そうに目を丸くした。
お雪が嘘や冗談で言っているわけではないことを察したらしく、すぐにまた真面目な顔に戻る。
「さすが、隠密同心」
「よせやい。人間ってのは、元々一生でそれくらい覚えられるんだよ。あたしが偏ってるだけさ。隠密以外の生き方を知ろうとしなかったし、知りたくもなかったからね」
それは本心からの言葉だった。
人並み外れた強さと、どれだけ殺しても傷つかない鋼の心。生まれ持った素質に、隠密同心の正義と生き方はぴったりと符号していた。まさに魚に対する水のようなものだ。
お雪自身でさえそう思うのだから、周りは尚更だろう。実際、太一郎でさえ進んで他の道を教えようとはしなかった。隠密同心になる前の彼女は知らなかったが、隠密同心となる前から既に、隠密同心という生き物だったのだ。
「お前にゃあ、このお江戸は狭いだろうけどさ。そこには色んな人間がいるんだ。そりゃぁ、人間は欲深くて、狡賢くて、嘘つきの、他人を踏み台にしてもなんとも思わねえ、そういう下衆どもの集まりさ」
「辛辣ですな」
「そんなもんだよ。それでも、その下衆どもには心がある。優しさがある。信念もある。死にたくないって気持ちも、もっと良く生きたいっていう思いも」
それは、彼女がつがいに選んだ太一郎も同じことだ。
「人を好きになりたい、子供を作りたい、幸せに生きたいっていう願いもね。そいつら全部ひっくるめての人間だもの」
言いながらお雪は立ち上がり、江戸湾を眺める。いつしか日は天の頂きに達していた。冷たい海風が頬を撫でるが、不思議と寒さはない。
「だから、悪党に堕ちたなら殺す。まだなら守る。上様、神様、仏様、誰でも知ったこっちゃねえ。あたしは叩っ斬る。それが正しいからじゃない」
そこで言葉を切り、振り向いてにこりと笑う。
「それが隠密同心、十文字お雪様の生き様だからね」
「……例えそれが、義兄上であってもですか」
「ああ、あたしは斬る。あの人が道を間違えたんなら、せめて苦しまないように介錯してやるさ」
「悲しい、ですな。義姉上は」
正之助の言葉を聞き、お雪は笑った。まるで他人事のように明るく笑い飛ばす様は、いかにも彼女らしい姿である。
「そう言うなよ、正之助。切った張ったの人生も案外楽しいし、何より兄貴に会えたもの。それに、ほら」
お雪は両腕を広げた。成長期だけに、着物は少しずつ窮屈になっている。
「あたしは女に生まれた。月の役(月経)もある。あたしには、あたしの知らない果たすべき役割がまだあるんだ。兄貴と一緒にね」
「義姉上は……義姉上は、なんと言ったものか」
「豪傑?」
「ああ、それですそれ。正之助は、義兄上が可哀想でなりません──あだっ!」
「こやつめハハハ」
お雪が笑いながら頭を小突くと、彼は情けない声を上げた。そして恨みがましい目つきを向けてくるので、ますます笑ってしまう。本当に、可愛い弟だ。
「もういいです、なんだか馬鹿らしくなりました。正之助は、正之助の信じるところに従って生きていきます」
「そうしな。お前が悪党になったら、あたしが責任もって首を刎ねてやるよ」
その言葉に嘘はなかった。たとえ義理の弟だろうとも、十文字槍を振るうことに躊躇いはない。
それが自分らしさだと、お雪は固く信じている。
「ところで、あの偽物はどうなりました」
「あ? ああ、南町奉行所からお殿様に引き渡されたよ」
「よく目付の方々が許しましたな」
「御老中様と話がついてるのさ」
「それはそれは。吐きましたか? 黒幕の正体を」
「さあ? 拷問はあたしより上手いのがわんさといるからねぇ」
「なるほど……このまま、何事もなく終わって欲しいものですが──」
◆◆◆
もちろん、そうはならなかった。夢路が内通者の手引で逃亡し、そやつが忠興の側近、太一郎の義父、美樹と正之助の父である小野寺勘蔵と知れたときが、終わりの始まりであった。
(第十一回 太平の湯 了)