隠密同心・出楠太一郎は、愛妻の美樹との間に子ができないことに悩んでいた。
情女のジェニファーからの情報により、太一郎は深川にアヘンが蔓延しつつあることを知る。
相棒のお雪と共に横浜に向かい、太一郎はエゲレス商人ベンジャミン・パナイスを成敗する。
隠密同心と深川奉行所の活躍により、江戸は束の間の平和を取り戻したのであった。
Aパート
浅草の闇夜の中を、一人の黒ずくめが疾走していた。
全身を黒い服で覆い、これも黒い布を貼った
「……」
黒ずくめの眼下で、『御用』の提灯がてんでに散らばっていく。恐らく捜索の目を広げる意図だろう。黒ずくめはそう推量して、屋根の上を走る速度を上げた。
走り、走り、そして跳躍する。いかなる足場であろうが、その身のこなしには一片の危なげもない。まるで飛ぶように屋根から屋根へと飛び移るその姿は、さながら猿か鳥であった。
やがて一軒の長屋の前に音もなく降り立った黒ずくめは、抱えていた木箱から何枚かの小判を取り出し、それぞれの
(これでよし……)
「ねずみさま」
「ねずみ大明神」
物陰に隠れている住人たちが、口々に言った。
一つ頷き、再び身を躍らせる。今度は隣の長屋だ。先ほどと同じ要領で小判を投げ込む。またもや、あちこちの家から歓喜の声が上がった。
「ありがたや、ありがたや……」
「なんという御慈悲じゃろう」
「あの世へ行ったら必ずお礼を申しますぞえ」
「ねずみ様、ありがとうござります」
(………………良かった、喜んでくれたみたい)
心の中でほっと胸を撫でおろしつつ、次の家を目指して走る。
だが、そこで背後からの怒声を聞いた。思わず足を止め振り返ると、『御用』の提灯を手にした一人の侍がこちらに向かって走って来るところだった。
「御用だ
(また青木様か!)
追いついた同心・青木源造は、肩で息をしながら怒鳴った。源造はまだ若く見えるのだが、
「いくら貧乏人に施しをしようがな、盗みが御法度であることに変わりはねえんだ。大人しくお縄になって罪を償いな!!」
源造の言葉にも、鼠小僧は反応しなかった。ただ黙って立ち尽くしているだけだ。それが余計に怒りを買う結果になったらしい。
「何とか言わんかいッ……!!」
叫びざま十手を振り上げると、力任せに打ち下ろしてきた。鼠小僧はそれを紙一重の差でかわすと、その勢いを利用して相手の懐に飛び込んだ。
「うおっ!?」
面食らう源造を尻目に、鼠小僧は蛇のように、ぬるりと源造の背後に回り込んでいる。そして、跳んだ。
「……て、てめえ俺を踏み台にしやがったなっ!!?」
悲鳴を上げる源造を
「待てい!! 待ちやがれぇー!!」
必死の形相で叫ぶ声を聞き流し、屋根から屋根へと跳躍を繰り返す。
源造の声を聞きつけた『御用』の提灯が、右から左から蕎麦屋から居酒屋から、次々に現れる。
「御用だ!」
「「御用だ御用だ!」」
「あっ、きさま酒飲んでやがったな!」
「誤解だ誤解! 御用だ御用だ!」
まるで蟻の大群のような提灯行列が、どかどかと走り回る。
(しつこい奴らだ……。おいら一人にこんなに大勢でかかりゃいいってもんじゃないだろうに)
心中で毒づきながら、屋根を跳んでは距離を稼ぎ、路地に降りては視線を逃れ、そうして少しずつ追跡者を引き離していく。
(そろそろ大丈夫かな……?)
ある大名屋敷の裏まで来たところで、鼠小僧は夜道を歩き出した。目指す先は本所にある自分の隠れ家だ。今夜の施しを終えれば、またしばらくは身を隠すことになるだろう。
ぬっ、と、目の前に源造が立ち塞がってきた。息も絶え絶えの様子だが、執念深く追ってきたらしい。
「ぜえ……ぜえ……やっと追い付いたぞ」
荒い呼吸の合間に、そんなことを呟いている。
「いい加減、しつこい。おいらは弱い者を助けたいだけなんだ。黙って見逃してくれよ」
鼠小僧は、この夜初めて声を発した。美しく澄み上がった声音に、源造は一瞬言葉を失い、それから怒ったように叫んだ。
「うるせえ! 何と言おうが盗みは盗み、法は法だ! 俺はなあ、お前が
言って振るわれた十手を、しかし、ひらりとかわす。見上げるような大名屋敷の塀に飛びついた鼠小僧は、そのまま蜘蛛のようにするすると登っていった。
「嘘だろう、人間業じゃねぇぞ、あんな動き……!」
「捕まえろ、早くしろ!」
背後から源造と手下たちの声が聞こえてくるが、もう遅い。鼠小僧はすでに塀を乗り越えていた。一度大名屋敷に入れば、町方である源造たちは追跡を続けられない。大名屋敷は建前上大名の領地であるから、あくまで江戸の治安維持が任務である町方が踏み込めば政治問題になってしまう。
くそ、くそという罵声と、地団駄を踏む足音が聞こえるが、それらを置き去りにして、鼠小僧は夜の江戸に消えていった。
◆大江戸捜査網
ハーレム・サムライ◆
第二回 女ねずみ只今参上
「鼠小僧?」
でございますか、と言ったのは、無役の旗本・本多左門守
太一郎の向かいで大きく頷いたのは、美樹の父、
「そうなんじゃ。美樹や太一郎殿がまだ子供の頃、お江戸を騒がした鼠小僧という者がおったのじゃが」
「ああ……あの、大名屋敷にばかり盗みに入り、金品は貧しいものに分け与えたという」
「そう、それじゃ。大きな声では言えんが、
勘蔵は、美樹から酌をされると、一気に盃を空けた。
太一郎から見て、勘蔵は
しかし、太一郎は勘蔵を慕っていた。忠興の側近として恥じることのない
太一郎は美樹の酌を受けながら言った。
「それで、その鼠小僧が再び現れたというわけですか」
「そういうことじゃ。去年の暮れから、噂が囁かれるようになった」
まだ春雨が降り終えて初夏に入ったばかりであるから、半年足らずである。
「しかし……仮に鼠小僧だとして、もう結構な歳になっているはずでしょう」
「それがな、声を聞いた町方の同心によれば、まだ少年だったらしい」
太一郎はへえ! と驚いて見せた。
「では、鼠小僧の息子か孫かが名乗りを上げたということでしょうか」
「関係のない子供が義賊ごっこをしているだけかもしれませんよ」
口を挟んだのは美樹だった。今日の美樹は、勘蔵を迎えるために着飾っている。薄紅色の着物を着て、髪を結い上げ、紅を差していた。美樹の左の耳元で、白百合を模した飾りのついた髪留めが揺れている。太一郎が贈ったもので、この春からの新調だった。
〈おれの女房は、日本一の
今日の美樹を見て、太一郎はそう思う。
「まねごとなら、そう遠くないうちにお奉行所に捕らえられるのではありませんか。偽物ですもの」
「おお、美樹の言う通りかも知れんのう」
勘蔵が禿げた頭を撫でながら、箸で
「それはそうと美樹、これは上手いこと作ってあるのう」
「もう、お行儀が悪うございます。母上に言いつけますよ」
それはいかんと笑う勘蔵と、釣られてコロコロと笑い出す美樹。太一郎はそれを眺めながら、〈親子とはよいものだな〉と思った。太一郎の父は早逝したので、こうして酒を酌み交わすこともなかった。それを思えば、勘蔵のような好漢を
それきり勘蔵と美樹は鼠小僧から興味を無くしたようだったので、太一郎も共に料理を楽しみ、大いに酒を飲んだ。
◆◆◆
へべれけになった勘蔵は、迎えの下男と共に帰っていった。笑いながら門まで見送った美樹だったが、戻ったときには妙に不機嫌になっていた。ひっくり返って
「
「なんでもありません」
そっぽを向いてしまった妻の頬に手を当ててみるが、美樹は振り向かなかった。
「義父上に何か言われたのか?」
「……子は、まだかと言われただけです」
太一郎はため息をついた。
勘蔵は美樹のことを溺愛している。嫁いでくる前から、美樹の器量の良さや、気性の素直さを褒めちぎっていたし、美樹が太一郎の妻となってからも、「うちの娘は美人だからのう」などと言っては、美樹の母に〈人妻に向かって〉と睨まれている。
「義父上は孫の顔が見たくて仕方ないのだろう。そんなに怒ってやるな」
太一郎は勘蔵に怒る気持ちにはなれない。子ができないことは太一郎自身の責任であると考えていることもある。何より、忠興の側近である勘蔵は、太一郎の役目を良く知っている。
つまり、〈義父上は何故、おれのような人殺しに、美樹を添わせてくださったのだろうか〉という思いがある。
「太一郎様、今日の膳に蛤をお出ししましたでしょう。あれは、実家が贈ってまいりましたの」
「うむ? それがどうか……ああ」
蛤は春の季語であり、産卵前の春が最も味が良い。美樹の実家がその旬を過ぎた今の時期に蛤を贈ってきた理由に、太一郎はようやく合点がいった。
「蛤は、夫婦円満の縁起物だと言われているからな。義父上の気遣いだったのか」
「太一郎様は、ご不快ではありませんか。まるで、わたくし達の夫婦仲が悪いとでも言われているようで」
太一郎は、そんな馬鹿な、と笑った。
「そんな事はない。おれ達は、幸せであってくれと望まれているのだ。これほど嬉しいことは、ない。美樹は嫌なのか」
「いいえ。わたくしは、その……」
美樹は俯いて言葉を濁したが、太一郎は察して、その肩を抱いた。太一郎は美樹を愛している。心の底から、この女を自分の物にしておきたいと思う。だが、子ができぬことは、美樹にとっては辛いことであろう。
「なあ美樹、蛤はまだあるだろう。夫婦水入らずで少し飲み直さぬか。今夜は月が綺麗だ」
「……はい」
太一郎は美樹の手を取り、縁側へと誘った。
◆◆◆
太一郎は美樹と並んで座ると、杯を手に取った。
「美樹、酌をしてくれ」
美樹は太一郎の手に己の手を添え、酒瓶を傾けた。太一郎は一口で飲み干すと、今度は美樹に酌をしてやった。
二人で、蛤の煮物を口に運ぶ。季節外れのはずだが、身は柔らかく、そして甘い。
「美味いな」
「ええ、本当に」
酒をもう一献飲む。
「太一郎様、蛤がなぜ夫婦円満の縁起物なのか、ご存知ですか?」
「確か、二枚の殻がぴたりと合わさるように、二人の愛もぴったり合うと言う意味だったかな」
美樹はこくりと小さく首肯した。
「わたくし達も、蛤のようにぴったり合いますでしょうか」
そう言って微笑んだ美樹の唇が濡れていた。潤んだ瞳で見つめられて、太一郎は言葉が出なかった。頬に手を伸ばすと、美樹は目を閉じて太一郎の指を受け入れてくれる。柔らかい唇も、太一郎を優しく迎えてくれた。
「ちゅっ……はむぅ……んん」
美樹は太一郎の舌を吸い、太一郎は美樹の腰紐を引いた。するすると解けた衣が床に落ちていく。露になった美樹の乳房を太一郎は優しく掴んだ。大きく丸く、柔らかな肌に指が沈む。
「あっ」
美樹が声を上げた。太一郎は美樹の胸の先端に吸い付き、舌先で転がしながら、美樹の背筋を下から上になぞる。
「あぁっ」
美樹は背中を反らせた。太一郎が美樹の髪を撫でると、白百合の髪飾りが揺れる。
美樹、と囁くように名前を呼ぶ。
「美樹、お前が欲しい」
「はい、わたくしも……でも、お外ですから、激しいのはいけませぬよ。
「良いではないか、聞かせてやれば」
「いけません。美樹が恥ずかしゅうございます」
そう言って、美樹は太一郎の口に吸い付いてきた。頭を掻き抱いて、美樹は太一郎の歯茎を舐め回す。
「へむっ……んふぅ……」
くちゅりと音を立てて、唇と舌を離す。糸を引く唾液が切れぬ内に、今度は太一郎から口づけする。美樹の後頭部を押さえつけながら、太一郎は美樹の口腔を犯した。
「あん……じゅるっ……りゅっ……んぐっ」
二人、膝立ちになり激しく求め合う。ぴちゃぴちゃとした水音が響く。
太一郎は美樹の口内を犯しつつ、片手で美樹の秘処に触れた。そこは既に湿っており、熱を帯びていた。
太一郎は美樹の下着の中に手を差し込み、陰核を刺激した。
「んんーッ!……ん、んんん!」
びくんっと身体を震わせて、美樹が悶えた。口を塞がれているせいで、鼻息だけが荒くなる。美樹の膣口から溢れ出た蜜が、太一郎の手をしとどに濡らしていく。
太一郎が美樹の耳元で言った。
「美樹、おれの
美樹がこくこくと首を縦に振った。
太一郎が立ち上がると、美樹の細い指が、太一郎の袴と褌を解く。ぶるん、と勢い良く太一郎の男根が飛び出した。
「まあ……♡」
その大きさを見て、美樹は目を丸くした。
太一郎が自分の男根を握り、美樹の顔の前に突き出すと、美樹は飛びつくように、太一郎の亀頭に吸い付いた。舌先で鈴口を刺激する。
「じゅぶっ♡ れろっ、んむっ、じゅぷっ、ぢゅるるっ」
「うっ」
太一郎がうめき声を上げた。
この当時の俗な言葉に〈酒男と湯女〉あるいは〈
美樹は舌先で、裏筋や雁首などを攻め立てた。そして、喉の奥深くまで太一郎の陰茎を飲み込む。
「うっ……くっ……」
太一郎は美樹の頭を押さえつけた。美樹は苦しそうな表情を浮かべながらも、太一郎の腰に腕を回して離れない。美樹の口の中は、まるで別の生き物のように、太一郎の酒魔羅を包み込んだ。
「ぐぶぅっ、ぐっ、んぐっ、ぐっ」
美樹がえずくような音を漏らす。だが、美樹は太一郎から離れようとはしなかった。むしろ、より強く、激しく、貪欲に、太一郎の剛直へと食らいついてきた。
「み、美樹……」
太一郎は美樹の頭を両手で掴んで、前後に揺さぶった。美樹の口の端から、唾液なのか、太一郎の先走り汁なのか、分からない液体が流れ出た。
太一郎は情けない声が漏れぬよう、歯を食い縛っていた。
やがて、ぷはあと音を立てながら、美樹が太一郎の酒魔羅を開放する。剛直は湯気を立てて、天を衝いていた。美樹はその先端をぺろりと舐め上げ、陰嚢を指で優しく揉むように刺激した。
「太一郎様……美樹は、どのような姿で太一郎様をお迎えすれば、宜しゅう御座いますか……」
美樹が上目遣いで太一郎を見つめた。その目は潤んでいる。
太一郎は美樹の頬を撫でて、おれの膝に座れ、と言った。美樹はこくりとうなずいて、あぐらをかいた太一郎の股の上に座り込み、対面座位の姿勢をとった。美樹は太一郎の首の後ろに手を回し、ぎゅっと抱きついてくる。
太一郎は身体を少し後ろに倒し、腰を上げて一気に美樹の膣内へ挿入した。
「あ゛っ……♡」
一度だけ甘い声を漏らした美樹は、完全に体重を太一郎に預け、自分の指を噛んで声を封じた。
太一郎がゆっくりと抽送を開始すると、その動きに合わせて、美樹も小さく喘いだ。
「んっ、んっ、んっ、んんんんんんっ」
太一郎はあくまでゆっくり、慎重に、美樹の胎内を突き上げた。美樹は太一郎にしがみつき、必死に快楽に耐えていた。
太一郎の耳元で、荒い息が繰り返されている。
「……はっ、…………はっ、…………うっ、ううっ……はぁっ……はあっ……」
美樹は太一郎にされるがまま、ただひたすら耐え続けていた。
太一郎は美樹の背中に手を当てて支えると、腰の動きを徐々に早めていった。美樹の口から、くぐもったような吐息が漏れる。太一郎は美樹の腰を掴み、上下に揺さぶった。
「ふぐぅっ♡ …………ううぅっ…………♡」
美樹は懸命に声を抑えていたが、それでも時折、堪えきれないといった様子で、甘く蕩けたような鳴き声を漏らしていた。
太一郎は囁くように美樹、美樹、と繰り返し名前を呼んだ。美樹はそれに応えるように、太一郎様、太一郎様、と何度も名前を呼んでくれた。
太一郎はそれが嬉しくて、もっと美樹の名前を呼ぼうとしたのだが、その時、美樹の口がぱくりと開き、赤い舌が突き出された。察した太一郎はその口に吸い付くようにして、美樹の口を塞いでしまった。そうして声を封じてから、終わりに向かって、太一郎は激しく美樹の子宮を責め立てた。
美樹は涙を浮かべながら、太一郎の唇を吸っていた。そうして、夫婦が同時に頂点を向かえる。太一郎は美樹の身体を強く抱きしめ、孕め孕めと念じながら、美樹の中に注ぎ込んだ。
「はあーっ……はあーっ……はあーっ……」
美樹は太一郎の腕の中で身体を大きく震わせ、しばらく余韻に浸っていたが、やがて力尽きたように、その身を太一郎にあずけてきた。
太一郎は美樹の頭を優しく撫でた。
「美樹、おれはまだ足りぬ……奥に床を延べよう」
太一郎は美樹を横抱きにして立ち上がった。美樹は小さく喘ぎながらも、太一郎の首筋をぺろりと舐め、「はい、太一郎様……」と答えた。
◆◆◆
数日して、太一郎は日本橋の蕎麦屋「竹むら」にて、またも鼠小僧の噂を聞くことになった。お雪は太一郎に茶を出しながら、しきりに鼠小僧を褒めた。蕎麦屋が始まる前だからか、お雪は町娘風の小袖姿である。
「ほれ、ここ。昨日の今日でもう
「昨日の今日?」
太一郎は出された茶を飲み干すと、お雪が差し出した瓦版を受け取った。
『江戸市中を騒がす大泥棒、鼠小僧ふたたび現る!』
太一郎はそれを読んで眉根を寄せた。
「なになに……『先日、日本橋の呉服問屋 嶋田屋より、五十両の金品が盗まれるという事件が発生した。盗みの現場には〈
「これがお江戸の速さってもんかね。まあ、こんなのは序の口だよ。こっちの記事を見てごらん」
お雪は得意げに次の記事を指差した。
『嶋田屋の五十両、町人長屋に次々届く』
『昨夜未明、本所・亀沢町の無宿人長屋に、突然小判が次々投げ込まれた。長屋では口々に鼠さま、鼠
太一郎はふうむと言って、再びお雪を見た。
「お雪ちゃん、前の鼠小僧は大名屋敷ばかり狙ったと聞くが、今の〈鼠さま〉は商家も襲ってるのか」
「ああ、そうらしいね」
お雪が言うには、今の鼠小僧は金持ちであれば相手を選ばず狙い、貧しい者に施しをしていく。その盗品は金銀財宝から、米や味噌などの食料まで様々だった。そして、必ず貧しい者に配っていくのだそうだ。
「米に味噌って、ずいぶん
「米屋に行くのも辛い貧乏人の味方ってことじゃない。あたしゃ好きだねえ。それに、清廉潔白の
お雪の言葉に太一郎は曖昧に笑って答えた。
「悪い金持ちとは言うけどな、金持ちだから悪いってわけでもなし。いや、金持ちにだって親もいりゃあ子もいるんだ。やたらに鼠小僧を褒めるのもどうかと思うが」
「そりゃあそうだけどさ。まあ、善いことをするんだから、多少の盗みは許してもいいんじゃないかい」
ちょっと口を尖らせて言ったお雪を見て、太一郎は苦笑した。
◆◆◆
太一郎が驚いたのは、
「なんだよ、お前までねずみねずみか? この頃どこに行っても鼠小僧の話で持ち切りだなあ」
太一郎が言うと、ジェニファーは紅茶を飲みながら顔をしかめた。
「困ったものよね。人助けをする泥棒さんなんて迷惑千万よ。だって私、それなりにお金があるお家からも治療代をいただいてるのよ。当たり前でしょう、お金がなければ薬も仕入れられないんだから」
ジェニファーは不満げな顔で頬杖をついた。
「鼠小僧がお金持ちから財産を奪っていって、その子供が大病をしたらどうなるのよ。薬が買えなくちゃ、助かる命も助からなくなるじゃない」
「ふうん、確かにそうだ。しかし、鼠小僧がいて初めて医者にかかれた貧乏人もいるんじゃねえのか」
「それはそうかもしれないけれど、金持ちだからって悪者とは限らないし、悪者だとしても何をやってもいいってことはないでしょう」
ジェニファーのような美女のふくれっ面というのは中々見られるものではない。太一郎は思わず微笑んでしまった。
太一郎は、鼠小僧に何か
〈ごっこ遊びをしているだけかもしれない〉と美樹は言った。
〈善いことをするんだから、多少の悪事は許してもいい〉とお雪は言った。
〈悪者だから何をされても仕方ないわけじゃない〉とジェニファーは言った。
いや、全くその通りなのだが、いちいち全て太一郎自身に刺さって来る言葉でもあった。太一郎は快楽殺人鬼であり、忠興に忠誠を誓った侍であり、また徳川の治世を守る隠密である。お役目という大義を得て、悪党を斬り、それを己の快楽としている。
言わば善と悪を併せ持つ者同士、〈鼠小僧と、一度話をしてみたい〉という興味が鎌首をもたげてくるのだった。
「ねえ、そんなことよりタイチロウ。今日は泊まっていけるんでしょう。ね、お風呂に入りましょう」
今日のジェニファーは白衣ではなく、着物姿である。しかし太一郎に肌を見せる目的なのか、襟元を大きく開いて豊満な乳房が半分ほど露になっていた。視線を感じたのか、ジェニファーはわざとらしく身体の前で腕を組んだ。そうすると、乳房がぐいと持ち上げられ、強調される。
最近のジェニファーは女として脂が乗り切って、太一郎は〈外つ国一の
そして、ジェニファーが悪戯っぽく上目遣いで見つめて太一郎の腕を取った、その時だった。
「ヴィンケルマン先生! ヴィンケルマン先生はおられますかな!」と、玄関の方で男の声が聞こえた。
「……もう! いい所だったのに! 下らない用件なら怒鳴りつけてやるんだから」
ジェニファーが唇を尖らせて、着物の前を直し立ち上がった。
私室から出て行くジェニファーについて行った太一郎は、扉の隙間からそっと応接室を覗き見た。通されていたのは、定町廻り同心と思しき、厳つい顔をした年若の武士であった。見慣れぬであろうソファに居心地悪そうに座った武士は、武士らしくなくジェニファーにペコペコと頭を下げている。
「大変申し訳無いことです。急に押しかけてこのようなお願いを申し上げるなど……」
「青木様、顔をお上げください」
ジェニファーが言った。
「私も
「はい、小石川の春日町、長崎屋勘兵衛という
ジェニファーは薬種問屋? と顔をしかめて、それから扉に向かって呼びかけた。
「ちょっと、タスケさん! 小石川に検視に向かいますから、支度をしてちょうだい!」
◆◆◆
太一郎とジェニファーの姿は、定町廻り同心の青木源造と共に小石川の春日町にあった。太一郎は、あの後素早く下男の姿に変装し、ジェニファーに同行していた。
長崎屋の遺体は五歳の娘で、両親は抱き合って泣きじゃくっていた。
「可哀想に……。こんな小さな娘が、死んでしまうなんて」
「青木の旦那、こいつは事故でございますか。それとも殺しでしょうか」
太一郎扮する太助から聞かれた青木源造は、うるさそうに首を振った。
「それを今からヴィンケルマン先生に見ていただくんだろうが」
「へい、まあそうなんですがね。うへえ、ひどい臭いだ」
風のない日だから、漂う死臭に源造が鼻を押さえて眉間にしわを寄せた。太一郎も源造に倣って鼻を押さえる真似をする。太一郎のような人斬りから見れば、この程度の死臭は日常茶飯事だが、源造は殺しの現場に慣れていないのだろうか。
「お嬢さんをこちらに」
遺体を前にしてジェニファーが言うと、母親は娘の遺体を抱きかかえてジェニファーの前に差し出した。
「ああ、かわいそうに。まだ五歳ですよ」
母親はただただ涙ぐんでいるが、父親に促されてその場を離れる。
「では、始めます」
ジェニファーがそう言って、遺体に十字架を切り、それから服を脱がせた。
下着姿で横たわる少女を見て、太一郎は思わずため息を漏らした。身体には無数のあざがあり、中でも腹と背中に大きく広がった青黒い内出血の跡が目立つ。おそらく打撲による外傷だろう。骨折をしている箇所もあり、特に左足首に酷い捻挫が見られる。
ジェニファーが源造の方を振り向いて、少し声を低めて言った。
「明らかに他殺です。……どういうことですか? なぜ私のような異人を、わざわざ……これほど明らかなもの、どんな
しかし青木源造は何も答えず、ただ難しい顔で遺体を見つめるだけだった。
「他殺ですな。間違いなく、事故ではありませぬな?」
しばらくしてから、ようやく口を開いたかと思うと、そんなことを言う。
「ヴィンケルマン先生、すみませんが、こいつを見てもらえますかな」
源造が懐から取り出したのは、一枚の半紙だった。『鼠参上』とある。
「青木様、これは?」
「実は、昨夜この長崎屋に盗人が入り、これを残していったのです。朝になって、千両箱三つと、この娘の命が奪われたことが分かりました」
源造は怒りをにじませた声で続けた。
「ここだけではない。『鼠参上』と記して家人を惨殺する畜生働きが、既に何件も起きているのです」
畜生働きとは、
「……だと言うのに、『鼠参上』と一枚残しただけで、
「それで、私を呼ばれたのですね。御公儀お許しの異人医師という肩書を利用して、奉行所の尻を引っ叩こうと」
「左様。……ご迷惑をお掛けしますが……」
「わかりました。できる限りのことはいたします」
太一郎は源造に問いかけた。
「青木の旦那、こいつはホントに鼠小僧の仕業なんですかい。鼠小僧は弱い者の味方だと聞きやしたが……」
「……分からねえ。分からねえが、俺は違うと睨んでる。俺は何度も、この足で鼠小僧を追いかけ回したが、奴は殺しなんぞしたことはねぇ。ましてや、こんな小さな娘まで手に掛けるような野郎じゃあなかった」
源造は苦々しげに言う。
太一郎は、源造から離れてジェニファーに小声で話しかける。
「なあ、これはただの盗みや人殺しじゃあない。もっと醜悪な、何か得体の知れないものを感じるぜ」
「そうね……私も同じことを思ってた。タイチロウ、私は医師として、殺されたあの子の声を
「おう、わかってるよ。どうやら
(続く)