※この作品はR-18です。

大江戸捜査網 ハーレム・サムライ   作:a-su

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Bパート

「なあ、これはただの盗みや人殺しじゃあない。もっと醜悪な、何か得体の知れないものを感じるぜ」

「そうね……私も同じことを思ってた。タイチロウ、私は医師として、殺されたあの子の声を世間(よのなか)に届ける義務がある。しばらくは青木様と行動を共にすることになると思うわ。タイチロウは、タイチロウの役目を果たしなさい」

「おう、わかってるよ。どうやら隠密(おれたち)の出番が来ちまったようだな」

 

 ◆◆◆

 

 主(あるじ)、本多左門守忠興は、屋敷の奥書院で太一郎の報告を黙って聞いていた。

 すでに日は高く昇り、障子を通して夏の陽光が畳の上に降り注いでいる。

 

「御前は、鼠小僧をご存知でしたか」

「うむ、鼠小僧が姿を消したのは、ちょうど儂が元服する頃であったからな。上様に御目見得が叶った時、噂を聞いたものだ。他ならぬ上様の口からな」

 

 忠興はふうむと言って、菓子を口に放り込んだ。今日の菓子は紀州の干し柿のようだった。干された実が歯で割れる音とともに、甘い香りが太一郎にまで届いてくる。忠興はゆっくりとその味を楽しむように咀しゃくすると、満足げに目を細めた。

 

 それから再び、太一郎に向き直って言った。

 

「米や味噌まで盗んで施す『鼠小僧』と、幼子さえ殺す『鼠小僧』か。まったく同じ奴の仕業とも思えんが、別人だとも言い切れぬ」

 

 忠興は顎に手を当てて考え込んでいる。やがて、意を決するように小さくうなずくと、太一郎に命を与えた。

 

「よし、太一郎。先ずは施しをする方の鼠小僧を追え。無宿人長屋を張り込めば、いずれは現れるだろう。相対すれば、真実はいずれ知れる」

「承知しました。それで、女医者の方ですが……」

 

 太一郎が言うと、忠興は苦々しげに首を振って答えた。

 

「うむ……儂の方からも北町奉行殿には申し伝えておこう。しかしな、太一郎。此度の敵は、盗人でも人殺しではなく、世間(よのなか)の声というものだ。恐らく町方や火付盗賊改方(ひつけあらため)の手に負える相手ではあるまい。気を引き締めて行くのだぞ」

「はい、お任せください」

 

 忠興は静かに立ち上がり、奥書院から出て行った。

 一人になった太一郎は、思わず大きく息を吐いた。指令を伝えた時、お雪がどのような怒り方をするか、ありありと想像できたからである。

 

 ◆◆◆

 

 果たして、お雪は頭から湯気が立つほど怒っていた。

 

「鼠小僧の騙り(にせもの)ぃ!? 五歳の娘まで殺すぅ!? 太一郎兄貴ぃ! そんなふざっけた話があるもんですか!」

 

 いつもの蕎麦屋「竹むら」二階である。太一郎は慌ててお雪の口を塞ぎ、声が漏れないようにした。

 

「しーッ、お雪ちゃん。他の客に聞こえるだろうが。おれの名前まで出すんじゃねえよ」

「だって太一郎兄貴が!」

「だからおれの名を出すなって」

「むぐ!」

 

 お雪はまだ何かを言いたそうだったが、しぶしぶ黙り込んだ。

 

「ったく、お雪ちゃんは血の気が多いんだから」

「……でもさぁ」

 

 太一郎がぼやくと、お雪が不満げに唇を尖らせた。

 

「本当に腹立たしいのは、騙りがいたことじゃないんだ。瓦版やら世間の噂に目隠しされて、悪党の悪事を見抜けなかったあたしら自身だよ」

 

「……」

 

「太一郎兄貴、聞いてる?」

「ああ」

「まあ、いいけどね……。とにかく、あたしは〈にせ鼠小僧〉の方を張ればいいんでしょ。見つけ出して、こてんぱんにしてやりましょ!」

 

 お雪は腕まくりをして拳を握った。可愛らしいような光景だが、お雪がその細腕で人を括(くび)り殺せると知っている太一郎としては、笑い事ではない。

 

「おれは病人に化けてあちこちの無宿人長屋に入り込む。お雪ちゃんは婆さんに化けて遊郭や岡場所を張り込んでくれ。言っておくが、うっかり殺すなよ」

「分かったけど、なんで婆さんに化ける必要があるの? あたしは花魁でも夜鷹(よたか)でも、どっちでも構わねえぜ」

「馬鹿言うない、お雪ちゃんが女郎に化けたんじゃあ、佳(い)い女すぎて鼠より狼が寄ってくらあ。哀れで可哀想に見えるくらいが丁度良いんだよ」

「……おう、わかった」

 

 お雪は少し頬を染めて、こくりと肯いた。

 

 ◆◆◆

 

 それから少し経った、ある夜。深川の闇夜の中を、一人の黒ずくめが疾走していた。

 全身を黒い服で覆い、これも黒い布を貼った背のう(リュック)を背負っている。

 

 ご存知、鼠小僧である。

 

 今、鼠小僧が降り立った長屋の住人たちは、皆一様に痩せ細っていた。栄養失調なのである。この長屋に住む人々は、ほとんど全員が大なり小なりの貧乏人だったのだ。

 やがてある住戸の前に立った鼠小僧は、覆面の中で顔をしかめた。中から、し尿の匂いが漂ってくる。ここは病人の住まいかと当たりをつけ、鼠小僧は背のうから米と味噌を包んだ風呂敷を取り出し、そっと扉越しに差し入れた。

 

 中から声がする。

 

「鼠様……おれは太助と申します……明日をも知れねえ病人の身に、こんなにして下さるなんて……どうか、お声を聞かせて下せえ……」

 

 この家の住人は、どうやら太助という男らしい。しかし鼠小僧は答えなかった。ただ黙って、その場を離れようとする。

 障子ががらりと開いて、中から一人の男が顔を出した。髪を伸ばし放題にし、髭もろくに剃っていない。ぼろをまとって背筋は曲がり、顔色は土気色をしている。とても健康とは言い難かった。

 男は鼠小僧を見つめると、両手を差し出してくる。

 

「ああ、鼠様……おれはもう家族からも見捨てられて、このまま死ぬだけなんだ……神様仏様鼠様、少しでも哀れとお思いなら、どうかこの手を握ってやって下せえ。その手にすがらせて下さいよぅ……」

 

 鼠小僧は、その手をじっと見下ろしていたが、ややあって無言のまま、男の手を握り返した。すると男は、ぽろぽろと涙を流し始めた。泣きながら、男は言う。

 

「──お前が鼠小僧か」

「!?」

 

 驚愕のまま、鼠小僧は手を振り払って駆け出した。長屋の木戸に足をかけると、そのまま屋根まで飛び上がる。

 そこでようやく振り返ると、病人の姿はどこにも見えなくなっていた。

 

「……」

 

 呆然と立ち尽くした鼠小僧はかぶりを振って屋根の上を駆け出した。そのまま一里ほど走った鼠小僧は、一軒の廃寺に潜り込むと、そこでようやく息を整えた。

 一里は、現代(いま)で言えば約4km。それを全力で走り、しかも呼吸をほとんど乱していないあたり、やはり凄まじい体力の持ち主だった。

 

「あの男……一体、何者?」

 

 呟いて、鼠小僧は唇を噛む。どことなく田舎訛りがあるが、澄んだ声だった。

 それにしても、あのような病人が、なぜ自分に気づいたのか? それとも単なる偶然なのか。どちらにせよ、油断ならぬ相手であろう。あの目に宿った異様な光……。何かしら尋常ではない。今思えば、掴んだ両手は、まるで剣術の稽古を積んだような、硬く鍛え上げられた感触をしていた。

 鼠小僧は、小さくかぶりを振る。

 

(……詮索は無用)

 

 そして、静かに立ち上がったときである。

 

 わん、と犬の鳴き声が響いた。見れば、一匹の白犬がこちらを見つめて尻尾をふっている。

 

「腹が減ったのかい、おいで」

 

 問いかけてやれば、嬉しげに吠えてくる。

 

「待て」

 

 言って、鼠小僧は背のうを下ろし、中から自分の携帯食料(にぎりめし)を取り出した。

 

「ほら、お食べ」

 

 差し出すが、犬は食べようとしない。ただ尻尾を振りながらこちらを見つめて、わん、ともう一度吠えた。

 

「……変な子だね、あんたは。よし、それじゃあこうしよう。そのにぎにぎ団子を半分こしようじゃないか。それでいいだろう?」

 

 そうして、自分も握り飯を食べ始める。

 その傍らで、犬がもう一度吠えた。

 

「鼠様は、犬にもお優しいわけだ」

 

 暗闇に男の声が響いて、鼠小僧は慌てて立ち上がった。しかし、声の主は見えない。

 

「ここだよ鼠様。少年だと聞いていたが、なるほど。まさか女だったとはな」

 

 提灯の明かりと共に物陰から姿を表したのは、先程の太助という病人だった。いや、今や足腰はピンとしてどっしりと立ち、髪も髭も伸び放題にはしているが、顔つきは精力的な若者のものだ。

 

「……何者、どうしておいらが女とわかった」

 

 鼠小僧が問うと、男は笑った。

 

「さあて、どこの誰だろうね」

「ふざけるな」

「まあまあ、そう怒らずとも。お役目柄、おれは医者より人の体に詳しくてね。手を握ったとき、すぐに女だってことはわかっていたよ」

 

 鼠小僧は目を細める。

 

「お前、一体なんなんだ」

 

 男はどっかと座りこんで、さらに白犬を指差す。

 

「ついでに、この犬が追跡するための匂いを付けさせて貰った。逃げてもいいが、無駄だぜ。どんなに洗っても、三日は取れねえ匂いだ」

 

 鼠小僧は目を細める。

 

「なら、何故わざわざ姿を現わした」

 

 すると、太助はにやりと笑って、言った。

 

「そりゃあ、話が聞きたいからさ。まあ、座りなよ」

 

 座り込んだ男は隙だらけで、敵意も殺気も感じない。言われるまま座ると、彼は口を開いた。

 

「素直で結構。おれの名は出楠太一郎。今はこんな形(なり)だが、れっきとした直参(じきさん)だ。最も町方や火付改じゃあないから、あんたを捕らえようとは思っちゃいないが」

「…………捕らえるつもりが無いなら、なぜ追ってきた」

「そんなもん、決まってるだろう」

 

 太助、いや太一郎はにたりと笑う。

 

「鼠小僧の正体を知りたかったからだ」

「正体?」

「ああ。江戸中の人間が噂している、鼠小僧の本当の正体さ。……小石川の春日町、長崎屋勘兵衛という薬種問屋を知ってるかい」

「長崎屋……? 小石川には行ったことがないから、知らない」

「じゃあ、『鼠参上』という書き文字については」

「おいら、字は書けない」

 

 鼠小僧の反応を見て、男は何事か考え始めたようだったが、やがてゆっくりと語り出した。

 

「やはりか。数日前、長崎屋に賊が入って、千両箱と、五歳になる娘の命を奪った。現場に『鼠参上』と一筆残してな」

「今、何て言った。命を……奪った?」

「ああ、そうだ。念のため聞くが、あんたの仕業じゃないんだろうな」

「そ……そんなはず、あるわけない! おいらは鼠小僧、弱いものの味方だぞ! 子供を殺すなんてとんでもない!」

 

 鼠小僧は悲鳴のような声で言った。鼠小僧の名は、彼女にとって誇りなのだ。鼠小僧は、貧しい人々のために盗みを行う。決して罪のない者を傷つけず、貧しい者に施しを与える。それが彼女が受け継いだ生き方であり、正義であった。

 だから、それを汚されることが何よりも許せない。

 

「そうだろうな。あんたは殺めていない。だが知ってるかい、江戸の庶民は金持ちの子供が殺されても〈仕方がない〉〈いい気味だ〉と思うようになっちまった。あんたが『鼠小僧』の名を蘇らせたせいだ。あんたに責任が無いと、誰が言えるかね」

「う、うるさい!」

 

 鼠小僧は立ち上がり、男に向かって飛びかかった。男は抵抗せず、鼠小僧は胸ぐらを掴んで馬乗りになった。

 

「おいらは……お父ちゃんの願いを叶えたかっただけだ! 明日食べるものもない人たちを救いたいって、だから、だからお父ちゃんは鼠小僧になったんだ! お前はそれを……!」

「そうか……お前、鼠小僧の娘か」

 

 男は、素早く彼女の覆面を剥ぎ取った。ああっと声を上げて、鼠小僧の娘は飛び退くように離れる。

 

「やっぱりな。思った通りだ。銀の髪に、緑の目……お前、異人だな」

「やめてえっ!!」

 

 娘は叫びながら、慌てて両手で髪を隠した。

 

「おいらは異人じゃない! おいらはお英(えい)、鼠小僧(ねずみこぞう)次郎吉(じろきち)の娘だ!」

 

 ◆◆◆

 

 この当時の日本には、許可を得た異人たちが、千余人ほど暮らしている。彼らは母国を遠く離れた日本(がいこく)にはるばるやって来た訳であるから、自然裕福な生まれの者がほとんどだ。そうでなければ、学業で極めて優秀な成績を修め、国からの支援を得てやって来た者たちだ。ジェニファーがその好例だった。

 だが人生一寸先は闇という言葉がある通り、日本(がいこく)で財産を失い、没落していく者も皆無ではない。

 つまりお英……本名をエイミーという亜米利加(アメリカ)人の少女も、そうした困窮した家の生まれだった。

 

「……お父ちゃんがおいらを人さらいから買ったとき、おいらはまだ三歳だった。お父ちゃんは、あまりにおいらが泣くものだから、忍びなくなったって……それからずっと、お英って名前をつけて、可愛がってくれた」

 

 そう語るお英の髪は銀に近い薄い金色(プラチナブロンド)で、盗みのためか短く刈り込んだ形(ベリーショート)にしている。瞳の色は、鮮やかな緑である。

 外つ国では決して珍しくない容姿かもしれないが、しかしこの国ではやはり珍しいものだ。

 お英の実の両親がどうなったか、それは分からなかった。太一郎は〈死んだのだろう〉と推測したが、あるいは、お英を手放して生き延びることができたのか。いずれにしても、今となっては分からない。お英もあまり気にしている風はなかった。

 お英は、エイミーという本名以外、何も知らないと言った。親の顔すら覚えていないと。

 

「お父ちゃんは、おいらを育てるために江戸にいられなくなり、鼠小僧を辞めて、畑を耕して暮らすようになった。だけど、去年ふっつりと帰って来なくなって……」

「それで、お前さんは江戸に来て鼠小僧を始めたのか?」

「そう。お父ちゃんの残した本で、一所懸命おつとめ(盗み)のやり方を覚えて……そうしたらきっと、お父ちゃんが迎えに来てくれるって……」

 

 とうとう泣き出したお英を見て、太一郎は溜め息をつく。

 太一郎が見たところ、お英はお雪より少し年上、十六歳くらいだろう。太一郎自身とも二つしか違わない。しかし、養父と二人で貧しく暮らしてきたせいか、どこか幼いところがある。あるいは彼女は、親の愛に飢えるがあまり、子供を演じているのかも知れなかった。

 

「……おいら、どうしたらいいんだろう。おいらのせいで、小さな女の子が殺されたなんて。どうやってその子のお父ちゃんやお母ちゃんに詫びれば良いんだろう」

「お英ちゃん、って呼ばせてもらうけどな。勘違いしちゃいけないのは、あの娘が殺されたのはお英ちゃんの責任じゃない」

「……」

「だがな、『鼠小僧』を持てはやして偽物をつけ上がらせたのは世間(よのなか)の連中だ。そして、世間(よのなか)の連中をめ(・)く(・)ら(・)にしちまったのは、お英ちゃんの責任だ。その責任は、自分で取るしかない」

 

 太一郎の言葉を聞いて、お英の緑の目がまた潤んだ。

 ぐしぐしと目を拭いて、俯いたまま喋りだす。

 

「……知った風なことを言わないで。あんたなんかに、何が分かるんだよ。直参ってことは、公方様(しょうぐん)に仕える侍なんでしょう。苦労知らずの侍に、何が分かるっていうの」

「そうだなあ」

 

 太一郎は、首を横に振った。

 

 太一郎はずっと、お英の鼠小僧に何か相通ずるもの(シンパシー)を感じていた。だから今、美樹にもジェニファーにも明かしていない秘密を話す気になっていた。

 

「分かるさ。おれも、人生の裏道を歩いてきた人間だからな。おれだって、子供の頃には苦労したんだ」

「嘘。侍の子供が、そんな苦労をするわけがない」

「まあ聞けって。おれはな、生まれつきの人殺しだったんだ」

「……え?」

 

 お英が目を丸くした。太一郎は、淡々と話を続ける。

 

「生まれつき、生き物を殺すのが好きで好きでたまらないんだ。おれは小さい頃から、遊び半分で近所の野良猫を片っ端から殺した。鶏を絞めて、食わずにそのまま捨てたこともあった。知ってるか? 鶏を絞めると、くけーっ! って凄い声で鳴くんだって。あれを聞くのが楽しくって、何度もやった。父上にばれるまでな」

 

 お英は唖然としている。無理もない。太一郎自身、こんな話は誰にもしたことが無いのだから。

 

「それから、おれは剣術道場に通わされた。父上は、おれが殴ったり弱いものいじめをしたりするのが好きだと勘違いをしたのかもしれない。おれ自身そうなのかと思って、必死で修行して兄弟子の誰よりも強くなったが、でも違った。おれが好きなのは、殺すことそのものだったんだ」

 

 ようやく理解が追いついたのか、お英がひっ、と言って後ずさる。

 

「……で、でも、それは悪いことだよ。誰かを殺すなんて、間違ってる」

 

「ああ、そうだな。確かに悪いことだ。お天道様の下じゃあ、絶対にやっちゃあいけないことだ。でも、だからだ。だから父上は、おれに色んな武術を身に着けさせた。剣に、柔術に、エゲレス武術。対馬(ツシマ)で、毒や暗具の使い方も学ばせた。いくらでも金を出してくれたよ。家が傾きそうになるまでな。……江戸に帰ってきたら父上はとっくに死んでいて、母上は家を出て尼になっちまったってたが」

 

「……」

 

「そうして、おれは隠密になって、人を殺す命令を受けるようになった。最高だったよ。おれが殺す相手は、みんな〈殺してもいいやつ〉ばかりだった。悪い事をしていたからだ。おれは正義のために人を殺せる。そう思うと楽しかったよ。でも、辛いこともあった。一番辛かったのは、おれが殺した悪党が傷つけた人に会うことだった。『よくぞ仇を取ってくれた』って言われたこともある。でも、違うんだよ。おれが正しいことをしたんじゃなくて、あいつらが勝手に〈殺してもいいやつ〉になっただけなんだ。それをおれは……」

 

「もう止めて!」

 

 太一郎は口を噤(つぐ)んだ。いつしか、太一郎はお英の方を見ずに、自分の気持ちばかりを語っていた。

 

「なんだって言うの!? そんな悍(おぞ)ましい話をおいらに聞かせて、何になるっていうの!」

 

 お英が、泣きそうな顔をしている。 

 太一郎は、顔から火が噴き出るような恥ずかしさに襲われた。

 しかし、言ってしまったものは仕方がない。

 

「悪かった。もしかして、鼠小僧なら分かってくれるかもと思っちまってな」

 

 太一郎は頭を掻いた。

 

「おれが言いたいことっていうのは、つまりなんだ……おれたち裏道を生きる人間には、考えるべき責任があるんじゃないかってことだ」

「……責任? 人殺しの責任なんて、死罪以外にないじゃない」

「あるさ。それは、生きてくれと願った人のために生きていく責任だ」

 

 太一郎は、お英の顔を見た。お英はすっかり怯えてしまったようで、両手を胸の前で握りしめている。しかし、話を聞く気は残っているようであった。

 

 

「おれの父上は、人殺しでもいいから、おれに生きていて欲しいと願ってくれた。

 女房の親父殿も、おれを人殺しと知っていて大事な娘を嫁にくれた。

 それに、主(あるじ)もおれを信頼してくれている」

 

 太一郎は、噛み締めるように言った。

 

「おれは、その期待に応えなくちゃならない。だから決めたんだ。

 役目以外で、決して人は殺さない。

 おれに役目をくれる主(あるじ)を決して裏切らない。

 例え人を殺さずにはいられないという人間だとしても……

 好きな女を守って、子供を産ませて。幸福に生きてみせるぞ、ってな」

 

 お英は、滔々(とうとう)と話す太一郎の目を真っ直ぐに見つめ返した。

 ため息をつくように呟く。

 

「……そう。それがあんたの責任なんだ」

 

 とは言え、世の中そんなに甘くはない──美樹には子ができぬし、ジェニファーとは夫婦(めおと)になれなかった。

 

 だが、太一郎は、自分が生きていることが、父の願いを叶えることだと、信じていた。自分を大切に想う人たちの期待に応えるために、自分は生まれてきたのだと思っていた。それが、この太平の世に生粋の人斬りとして生まれた自分に課せられた、義務なのだとさえ思っていた。

 

「責任、責任か……おいらの責任は、どうやって果たすべきなんだろうね……」

 

 お英は、俯いて、言った。

 

「先々どうするかはお英ちゃんが決めることだが、差し当たっては偽物の凶行を止めなきゃならんのじゃないか。おれも、おれの主から偽の鼠小僧を追えと命じられている。手を組もうぜ」

 

 お英が、太一郎の言葉の意味を理解するまで、しばらく時間がかかったようだった。

 やがて、お英は口を開いた。

 

「分かった。お父ちゃんの名前を汚した偽物を、おいらが止めてみせる」

「よし、決まりだ。よろしく頼むぜ、相棒」

「相棒はやめて」

「じゃあ、お姫様」

「……」

 

 お英は、無表情のまま、ぷいと横を向いてしまった。

 

「それと、もう一つお願いがあるんだけど」

「なんだ?」

「あんた……いや、太一郎さんのその格好、どうにかならないの。臭い」

「……いや、これは変装で、普段はもっと洒落てるんだがね……」

 

 太一郎は頭をかいた。これだから太一郎は変装が嫌いなのだ。

 

 ◆◆◆

 

 一夜明け、江戸には初夏の風が吹いていた。

 お英は、謎の侍・太一郎に連れられて、大川端(おおかわばた)にある異人医師ジェニファー・ヴィンケルマンの診療所にやって来た。

 ジェニファーはお英を一目見るなり、彼女を風呂場に連れ込んだ。

 

「感染症になりたいなら別だけど、そうじゃなけりゃ、今すぐ身体を洗って来なさい。年頃の娘がそんな格好でいるものじゃないわ」

 

 お英は、言われた通りに頭から湯を浴び、石鹸をつけて手ぬぐいで体を擦った。お英はこの時初めて石鹸というものを知った。南蛮渡来のもので、ほのかに果実(オリーブ)の香りがする。

 湯に体を沈めると、体の芯に残っていた疲れが溶け出して行くような心地になった。こんなにゆっくりお湯に浸かったのは久しぶりだ。

 

「……お父ちゃん」

 

 故郷では、養父の次郎吉が五右衛門風呂を沸かしてくれた。小さい頃は、よく一緒に入ったものだ。

 

 〈鼠小僧が五右衛門風呂とは生きた心地がしねえな〉とよく笑っていたのを覚えている。

 

 次郎吉は、どこで覚えたのか不思議な技を身に着けていた。武器は使わなかったが、どんな岩でも鳥のように跳び越え、木から木に猿のように跳び移り、走れば犬よりも早かった。

 本人はそれを〈天狗の技〉と冗句まじりに言っていたが、お英は信じている。〈お父ちゃんは、きっと天狗様の弟子だったんだよ〉とお英はよく言ったものだった。

 お英も、次郎吉の後を追って真似事をしてみたが、最初は上手くいかなかった。一緒に山を駆けても、次郎吉に追いつくことはできなかった。

 

『お父ちゃんみたいになるのは難しいよ。だってさぁ、お父ちゃんはなんでもできるけど、おいらなんにもできないもん』

『そりゃあお前、お前はまだ子供だし、それにまだ八つだろう? これからいくらもできるようになることはあるさ』

『本当?』

『ああ。それからな、お英。困っている人がいたら助けてやるんだぞ。誰も彼も救えるわけじゃないが、それでも、誰かを不幸にしないで済むなら、それは立派なことなんだからな』

 

 お英はかぶりを振って、湯から上がった。今のお英は数えで十六、身体もすっかり大人に近づいている。

 長く伸びた両足とそこから続く臀部(でんぶ)には筋肉がみっしりと詰まり、持久力を支える脂肪が腰回りを中心に全身に蓄えられている。胸は、大きくはないが形が良く張りがあり、乳房の下の肋骨の隆起もさほど目立たない。胸の先端は桜色に上気している。両手は岩登りの訓練を繰り返したために皮が厚く、指が長く、掌は大きい。足裏には硬いマメができており、それが足の親指の付け根から踵まで続いている。自分では見えないが、背中の筋肉も綺麗についていることだろう。

 お英は、自分が男装するとそ(・)れ(・)な(・)り(・)に見えるのではないかと考えていた。

 

(……この髪と目以外はだけど……)

 

 お英は自分の髪をつまみ上げた。銀とも金ともつかない淡い色の髪の毛は、彼女自身他に見たことがない。

 正直に言ってお英は自分の髪を嫌っていた。

 

 ◆◆◆

 

 風呂から上がって浴衣を着たお英を見て、ジェニファーは目を丸くした。

 

「あら、鼠と聞いたけど灰かぶり(シンデレラ)だったのね」

 

 髭を剃ってこざっぱりした袴姿に着替えた太一郎は、お英にジェニファーを紹介してくれた。

 

「お英ちゃん、こっちはジェニファー。まあ、おれの情女(いろ)だ。ちょっと訳ありだがな」

「はじめまして、お英さん。ジェニファー・ヴィンケルマン、こう見えて医者よ。よろしくね」

「次郎吉の娘、お英です。こちらこそ」

 

 お英はぺこりとお辞儀をして、それから首を傾げた。

 

「あの……情女(いろ)ってなに?」

 

 お英に全く悪気はなく、ただ言葉を知らなかったので聞いただけなのだが、太一郎とジェニファーは顔を見合わせて苦笑した。

 

「なんだと言われてもな……つまり、色っぽい仲とでも言えばいいのか」

「お英ちゃん、タイチロウと私は時々同じ布団で寝るの。そういう意味だと思えばいいわ」

 

「同じ布団で寝る? なんだか家族みたい」

 

「えぇと……」

「あら、いい事言うじゃない。そうね、私とタイチロウは家族よ」

 

 ジェニファーがそう言うと、太一郎は難しい顔で黙り込んでしまった。

 

「さ、お英ちゃんはお腹空いてるでしょう。今朝食を用意させるから食べていってね。あっ、それ私の寝巻きだけど大丈夫? 昔のだから大きすぎることはないと思うんだけど」

「うん、ありがとう」

 

 やたら上機嫌なジェニファーが、鼻歌交じりにお英を案内したのは、診療所の奥にある小さな部屋だった。簡素だが寝台や箪笥(たんす)もある。

 朝食は白粥に梅干しと大根おろしと沢庵、それに豆腐の田楽というものだったが、お英は立て続けに粥を十杯、豆腐も二丁は平らげた。

 お英は鼠小僧として走り回るだけに、体力が必要なのだ。

 そしてその食欲に呆れている太一郎を尻目に、お英は満足げな笑顔を浮かべた。

 

「ごちそうさま」

「お英ちゃん、美味しかった? いっぱい食べたからお腹苦しくない?」

「ううん、全然苦しくない。ありがとう、ジェニファーさん」

 

 ジェニファーはにっこりと微笑んだ。

 

「良かったわ。ねえお英ちゃん、あなたが本物の鼠小僧ってタイチロウは言ったけど、本当なのかしら」

「…………」

 

 お英はじっとジェニファーを見た。微笑んでいるが、目の光は鋭い。お英はジェニファーを〈甘く見てはいけない〉と見た。

 

「そう。それに、おいらは今まで人を殺したことはない。小石川に現れたのは、偽物。信じて、ジェニファーさん。お願い」

「そうね、信じるわ。私は小石川で殺された女の子の遺体を診た。非道い有様だったわ。お英ちゃんがあんなことをするわけはないと思う」

 

 ジェニファーは手で顔を覆うようにして話しだした。

 

「声が出せないように猿轡(さるぐつわ)をされて、棒のようなもので滅多打ちにされていたわ。直接の死因は内蔵破裂。執拗に背中を殴打された痕があった。ひどい暴力を受けて、虫の息になった五歳の子供を、動かなくなっても殴り続けたみたい。酷い話よね。そんなこと、本当にお英ちゃんができるかしら」

 

 お英は首を振った。

 

「できない。おいらには無理」

 

 お英の脳裏に、血まみれの幼い少女の遺体の光景が浮かぶ。

 煙草を吹かしていた太一郎が言った。

 

「そいつは、単独犯(ひとり)じゃねえな。単独犯なら刃物を使う。わざわざ黙らせてから殴るのは、複数犯だ。それも、集団だな」

「どうしてわかるの」

「意味がないことをしているからだ。ズブリと刺せば済むものを、わざわざ痛めつけるのは、〈あいつがやっているから〉〈おれもやろう〉〈おれもやらなきゃ〉ってな、同調圧力(みんなのこえ)があるんだ。そういう空気は伝染しやすいし、盗人のような閉鎖的な集団になればなおさらだ」

 

 太一郎の言葉に、お英は吐き気を催すような嫌悪感を覚えた。

 

「気持ち悪い」

「そうだな。だが、この世の中には、気持ちが悪いものがたくさんある」

 

 お英は、あんたみたいな、と言いかけたが、ジェニファーの手前、やめた。

 太一郎は、生かしてはおけねえな、とポツリとこぼした。

 

「……それで、どうやって捕まえるの。おいらは人を追いかけたことがないから、よくわからない」

「こういう場合、誘い出すか、巣を見つけるかだ。おれの仲間が巣を探しているが、まだ連絡がない。まず餌を撒いてみるか」

「どんな?」

「お英ちゃんだよ。〈にせ鼠小僧〉の弱点は、お英ちゃんの影に隠れなければ盗みが続けられないことだ。つまり、お英ちゃんを捕らえたから処刑すると噂を流せば、向こうから出てくるはずだ。そこを追跡して、巣を叩く」

 

 お英は難しい顔で考え込んだ。

 

「……それだけじゃあ、うまくいかない気がする」

「なぜだ」

「だって、〈にせ鼠小僧〉には盗みを止めるって選択肢もある。何かもう一つ、別の手を考えなきゃ。おいらを助けないと自分たちの身が危ないぞって脅迫するような手じゃないと」

 

 太一郎は、しばらく考えて、ジェニファーのほうを見た。

 

「ジェニファー、おまえ北町の青木殿と奉行所に行っていたな。青木殿は何を調べていた?」

「詳しくは聞いていないわ。与力の誰々が消極的だとか、瓦版が出回るのが早すぎるとか、そんなことを言っていたかしら」

「瓦版……? なぜ瓦版を気にする……?」

 

 首をひねる太一郎を見て、お英も首を傾げた。

 

「瓦版ってなに? ごめん、おいら田舎育ちだから、よくわからない」

 

 ジェニファーはお英の顔を見て、説明を始めた。

 

「瓦版はね、簡単に言うと、紙に文字や絵を印刷して売る商売のことよ。お江戸では、庶民の間で広まっているわ。鼠小僧の事件をみんなが知っているのは、事件があるとすぐに瓦版が売られるからよ」

「ふーん」

 

 お英はわかったような、わかっていないような顔をした。

 太一郎は顎に手を当てて考えていたが、ふとジェニファーに〈なあ、おまえ〉と女房に話しかけるような気安さで問いかけた。

 

「もしかしたら青木殿は、結構な腕っこきなんじゃないか。確かに、世間(よのなか)に鼠小僧の情報を流しているのは瓦版屋だ。だが、それは本当に信用できるものか?」

「なるほど……青木様は、瓦版の出所を疑っているわけね。そうね、そういうことなら、ちょっと調べてみる価値はあるかも。私、青木様に詳しい話を聞いてくるわ」

 

 ジェニファーが立ち上がると、太一郎も煙草の灰を叩いて立ち上がった。

 

「おれは仲間の所に行ってくる。お英ちゃんは寝ておきな。明日は早いぜ」

 

(続く)

 

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